2012/05/22 - 2012/05/22
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jijidarumaさん
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<Romantische Strasseロマンチック街道、Schwäbische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅>
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
もう14年も前の事になる。
観光街道尽くしの旅はいつもながら楽しい。
ここウルムの町については、ヒトラーの暗殺未遂事件の首謀者として銃殺された英雄Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンケ・シュタウフェンベルク伯爵や古城ホテルBurg Katzensteinカッツェンシュタイン城の騒動などが主体になって、旅行記の印象が薄くなった。
それでも補うように口コミ3編を書いているが、今回、それらを纏め、追記して1篇を作ってみた。
5月22日(火); 晴、25℃、245km
ヒトラー暗殺未遂事件の首謀者シュタウフェンベルク伯爵がJettingen-Scheppachイェッティンゲン・シェップパッハのイェッティンゲン城で生まれていることを知って訪ねた後、路を西に走る。
48kmでウルムに到着だ。
写真:Ulmer Münster ウルム大聖堂(161.53m)は大きすぎて(高すぎて)、相当後にに下がらないと写真に納められないのだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【ウルムっ子たちが自慢する大聖堂は今や世界第二位の高さだが、この町には難しい早口言葉とウルムの雀伝説がある】
<Ulmウルム観光>
15:45~16:30
ウルムはBaden-Württembergバーデン・ヴュルテンベルク州南部にある人口12万人の大きな都市だが、訪れた回数は意外に少ない。この時も、先の行程を急いで、ウルムの町をそっと撫ぜた様な観光になった。
近隣の都市に約70km東にアウクスブルク、55km西にReutlingenロイトリンゲン、70km北西にStuttgartシュトゥットガルト、30km北東にTeddy bearテディベアー(Steiffシュタイフ社)の故郷Giengenギーンゲンなどの観光地がある所為だろう。
参考写真:Ulmウルム1493年の絵 -
<観光名所>
今回も大聖堂、市庁舎、漁師の一角を見ただけだ。
事前によく調べておいたパン文化博物館やウルム宣誓所などは、結局、何も見ないままに終わった。
ここは次回もなさそうなのだが・・・。
参考写真:De_Merianメリアン・ウルムの要塞都市1650年作成 -
写真:ドイツの田舎町(旅名人ブックス)リストとMap・・・・田舎町という、ドイツの観光的に行くべき大小さまざまな都市を網羅している。
だが、ベルリン、ミュンヘンといった大都市は赤丸印が付いて、除外されている。Ulmウルムも大都市とみなされて掲載されていない。
因みにここで掲載されたリストで、唯一Seiffenザイフェンだけ訪れたことがない。 -
ウルムはドナウ川沿いに位置し、中世より交通・交易の要所として栄えた。
12世紀には帝国都市( Freie Reichsstadt:封建領主の干渉を排除して自治権を獲得した都市。一定の市民には自由が認められたので、自由都市とも云われる)となっている。
19世紀の初め、Napoleonische Kriegeナポレオン戦争(1803年~1815年)があったが、ウルムも交通の要所という事もあったから、大きな戦いに巻き込まれた。
1805年10月17日、20万を超えるナポレオンのフランス軍がバイエルン公国領であったウルム郊外で半分の兵力のオーストリア軍を撃破した。
“Schlacht von Ulmウルムの戦い”である。
この2ヶ月後、ナポレオンはウィーン北方のSchlacht von Austerlitzアウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア連合軍に大勝したと云う事でよく知られている。
写真:ザックリした町巡りをしてしまったウルムの地図。観光案内所(ウルム) その他の観光・遊ぶ
-
ウルムの町で一番の有名人は、独特の銅像を建てられたALBERT EINSTEIN アルベルト・アインシュタインであろう。
アインシュタインはドイツ ・ウルム生まれの 理論物理学者、1921年ノーベル物理学賞を受賞した。
1879年 3月14日ヴュルテンベルク王国 ウルムに生まれた。
1940年、アメリカ国籍を取得。
1955年 4月18日、ニュージャージー州プリンストンで亡くなった。享年76歳。
彼は生まれ故郷のウルムについて、以下の様に語っている。
・・・・・
誕生した町は、実の母から受け継ぐ出自と同様に、人生において特別なものとして位置づけられる。私たちは自分の本質の一部を生まれた町にも負っている。
だから、私はウルムに感謝の意をこめて思いをはせる。ウルムは高貴な芸術的伝統と素朴で健全な本質を結びつけているからである。
<ALBERT EINSTEIN アルベルト・アインシュタイン>
・・・・・
写真:ウルムにある*パン文化博物館やアインシュタインの像。
*Museum der Brotkulturパン文化博物館:
ドイツのパンの歴史。開館;10~17時。
Salzstadelgasse 10 (近くにパークハウスあり) -
ウルム生まれのアインシュタインの事は、ドイツの若い人も忘れてきているだろうが、ウルムの「Zungenbrecher(ツンゲンブレヒャー)早口言葉」はいまだ健在だ。
【ウルムのZungenbrecher(ツンゲンブレヒャー)早口言葉】
ウルムっ子がしゃべる早口言葉はなかなか難しくて、実際聞いてみるとよく聞き取れない。
In Ulm, um Ulm, und um Ulm herum。
「ウルムで、ウルムの周りで、ウルムのあたりで。」
Ulmer Liederウルムの歌#5:
ウルムの観光名所を案内しつつ、ウルムの早口言葉を歌っている。
こちらのyoutubeをお楽しみください。
https://www.youtube.com/watch?v=KukAhqhUVAI
また、早口言葉 EP(シーズン1)のまとめビデオもある:
Zungenbrecher 4.0 - Staffel 1 - YouTube
参考写真:Ulm_Donauschwabenuferドナウ川沿いに立つウルム大聖堂 -
ウルムの町はドイツでは早口言葉でも有名で、この早口言葉は同名のガス・バッカスのヒット曲「恋はスバヤク(1963年)」でも使われたと云う。
https://www.youtube.com/watch?v=Z49NP0DTOJs&list=RDZ49NP0DTOJs&start_radio=1
参考写真:Ulmウルム1597年の俯瞰 -
第二次世界大戦では、当時の国内の主要都市同様に、旧市街の80%程が破壊される打撃を被ったが、爆撃の目印になりそうなウルム大聖堂は幸い無事であった。
この点、ドレスデンとは大きく異なるといえる。
案外に「20世紀最高の物理学者」とも評され、1921年のノーベル物理学賞を受賞したAlbert Einsteinアルベルト・アインシュタインの生まれた町として知られていたからかもしれない。
彼は1940年、アメリカ国籍を取得。
参考写真:Ulm_1900ウルムの風景(1900年頃) -
いつも、<そっと撫ぜた様な観光になってしまった」のが申し訳ないほど、15世紀、当時の世界における都市(ウルムの)の地位を裏付ける言葉がある。
Venediger Macht,
Augsburger Pracht,
Nürnberger Witz,
Straßburger Geschütz,
und Ulmer Geld
regier’n die Welt.
ヴェネツィアの力、
アウクスブルクの壮麗さ、
ニュルンベルクの機知、
ストラスブールの大砲、
そしてウルムの金
が世界を支配する。
・・・・・
Ulmer Geld regiert die Welt.
mittelalterliche Redensart
「ウルムの金は世界を支配する。」
中世のことわざ
Hätt’ ich Venedigs Macht und Augsburgs Pracht, Nürnberger Witz und Straßburger G’schütz und Ulmer Geld, so wär ich der Reichste in der Welt.“
<Sprichwort>
「もしヴェネツィアの権力とアウクスブルクの華麗さ、ニュルンベルクの機知とストラスブールの大砲とウルムの金があれば、私は世界で最も裕福な者になるだろう。」
<格言ことわざ>
写真:ウルム大聖堂前の噴水はちょとした木立の中にある。 -
イチオシ
<ウルムっ子が自慢するウルム大聖堂>
この都市はゴシック様式の大聖堂で知られており、1377年より建設が開始され、1890年にようやく完成した。
その教会の塔は161.53mで、2025年10月29日(従って、旅行当日は間違いなく世界一でした)まで世界で最も高い教会の塔でした。
ところが、2026年に完成予定のスペインのSagrada Famíliaサグラダ・ファミリア (聖家族贖罪教会)は、2025年10月30日に162.91mに達したとガーディアン紙が発表した。
つまり、スペインのサグラダ・ファミリア は世界一の高さを誇るドイツのウルム大聖堂の161.53mを抜いて、世界で最も高い教会になったのだと。
大聖堂の中心にある世界一高い塔は768段もあるのだが、例の如く、塔には登っていない。
この写真のように、大聖堂の全体像を撮るには、結構後ろに下がって撮らないといけない。
写真:高さ161.53mのUlmer Münster ウルム大聖堂の正面ウルム大聖堂をウルムっ子が自慢するのもよく分かる。 by jijidarumaさんウルム大聖堂 寺院・教会
-
ドナウ川沿いに立つ姿は実に美しく、ウルムっ子が自慢するのも分かる。
大聖堂の建物の長さは123.56m、幅は48.8m。内部も広く、身廊の高さは42mにもなる。
写真:Ulmer Münster ウルム大聖堂の大聖壇 -
堂内の聖壇、聖席の木彫り、堂内のパイプオルガンはやはり美しい。
写真:Ulmer Münster ウルム大聖堂の聖席の木彫り -
写真:Ulmer Münster ウルム大聖堂のパイプオルガンは意外に小さく思えた。
-
写真:Ulmer Münster ウルム大聖堂の脇聖壇
-
≪ウルムのZunftkämpfeツンフト闘争≫
中世後期の西欧(特にドイツ)において、大商人によって独占されていた市政運営への参加を求め、手工業者が手工業ギルド(同職ギルド)を組織して起こした闘争である。
13世紀末よりドイツやネーデルラントの各都市において、ツンフト闘争が展開された。
ウルム(1327年)、シュパイヤー(1330年)、アウクスブルク(1368年)などの都市においてはツンフト闘争を成功させ、手工業ギルドの親方が市政への参加を果たした。
しかし、失敗に終わることも多く、マクデブルク(1301年)では首謀者らが捕らえられて公開火刑に処され、ケルン(1371年)でも30人強の織物工が処刑された上、関係者への追及はそれからも続いた。このように、大商人による寡頭体制が維持された都市も多く存在したと云う。
(ツンフト闘争のことでも、ウルムの先進性がうかがわれる)
≪Metzgerturm肉屋の塔≫
1340年建設。“ウルムのスレートの塔”とも呼ばれる。
参考写真:Ulm大聖堂からドナウを望む・・・新旧の市街地 -
ドナウ川に沿った町ウルムらしく、漁師と皮革工の一角があり、絵画的な美しさを感じさせた。
<Fischer und GerberViertel漁師と皮革工の一角>
Schiefes Haus傾いた家、Alten Brücke、ドナウ川岸沿いの市城壁、これら一帯は絵画的な美しさをもち、水車や水辺もあり、涼し気で、食事をして、ゆっくりしたい場所だった。
漁師の一角に近い、ドナウの中州上にあるレストランGerber-Hausゲルバー家、Drei Kannenドライ・カンネン、 historisches Brauhaus歴史的なビール醸造所 などで食事を考えていたが、結局、ロマンチック街道の要衝、Nördlingenネルトリンゲンの南東、Wörnitzヴェルニッツ川の谷を見下ろす急峻な尾根に築かれた山城、古城ホテルBurg Harburgハールブルク城の見学が響いて、先を急ぐことになってしまった。
写真:緑濃い漁師と皮革工の一角ウルム:漁師と皮革工の一角は絵画的な美しさがあって、食事をして、ゆっくりしたい場所だ。 by jijidarumaさん漁師の一角 散歩・街歩き
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イチオシ
写真:漁師と皮革工の一角・・・ちょっとゆっくりしたい場所。
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イチオシ
<Rathaus市庁舎>
この町の市庁舎は良く目立つ。
フレスコ画の彩色が独特で、私にはちょっと変わった印象がある。
1370年に最初に建てられ、以降、度々改装されている。
南側の壁面には各地の紋章がフレスコ画で描かれ、東面には1520年製の天文時計があり、今も正確に時を刻む。
写真:Rathaus_Ulmウルムの市庁舎・・・フレスコ画のある南側ウルムの市庁舎は良く目立つが、フレスコ画の彩色が独特に見える。 by jijidarumaさん市庁舎(ウルム) 建造物
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参考写真:Rathaus_Ulmウルムの市庁舎・・・東面(右手)には1520年製の天文時計が今も正確に時を刻む。
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<Ulmer Schwörhaus ウルム宣誓所>
1613年に建設された。1785年にバロック風に改築され、1944年第二次大戦で罹災し、1954年に現在のように再建された。
かつて、帝国自由都市の時代にウルムのPatrizierパトリツィア(ローマ時代はPatriciusパトリキ・都市貴族=大商人)の代表である市長とZuenftツンフト手工業者ギルドとが町の権力争いをして、その結果、町の議会で町の憲法(制度)を取り決
め、宣誓した。
参考写真:Schwörhaus_Ulm_Frontansichtウルム宣誓所の正面 -
<Schwörmontagsfestシュヴェーレンの月曜日祭り>
ここでの出来事を記念したシュヴェーレンの祭りは1933年が始まり、町最大の祭りになっている。シュヴェーレンの月曜日祭りは4年毎に、7月の最後から2番目の月曜日に催される。
(旅の時期が合えば、一度は見てみたい祭りだ)
14世紀、中世の衣装を身にまとった人たちが街中を踊りながら、練り歩く。特に中世伝統のFischerstechenフィッシャーシュテヒエンは人気のあるもので、それはドナウ川で小舟に乗った人たちがお互いに竿で突き落としあう競技をする。
・・・・・
参考写真:Schwörmontagsfest auf_der_Donauシュヴェーレンの月曜日祭りはドナウ川で行われる。 -
【ウルムの雀のこと】
さて、地球の歩き方2003~04年には、書かれていても良さそうだが、「ウルムの雀の伝説」は一言も書かれていない。手元の様々な観光本(例えばAral Auto Buch 1974~75年版)にもUlmer Spatzウルムの雀の言葉がなかった。
2012年の私共の旅では、事前の知識もなく行ったためか、街中や大聖堂内のウルムの雀を見ていないし、気づかなかったようだ。
先日、偏西風さんの旅行記で「ウルムの雀(2007年9月の旅)」のことや、街中にウルムのマスコットとして出現した数々の作品(オブジェ)を見て、伝説好きの私も実は驚いた。
こちらにコメントしようと思ったが、書きたいことも多くなり、独立した旅行記に構成しなおした。
それにしても、この伝説が世に知られるようになったのは、何時の事かわからないのだが、Wikiにもそれらしいものがなく、Spitznameニックネームだという「ウルムの雀」で検索すると、ようやく出て来た。
伝説内容から思えば、大聖堂が建設された頃のことだろう。それなら<1377年より建設が開始され、1890年にようやく完成した>が参考になる。
何しろ、雀のオリジナルはかつて大聖堂の屋根に置かれていて、今はオリジナルと称する古びたものが大聖堂内のガラスケースに収まっており、屋根には二代目?が置かれているようだ。
以下にその伝説を記載する。
参考写真:左手に木材のようなものを纏めて立てている。伝説のUlmer Spatzウルムの雀が大聖堂工事の人々に見せた場所だそうです。 -
とりあえず、その伝説は下記の通りだ。
【Die Legende vom Ulmer Spatzウルムの雀の伝説】
昔々、誇り高い市民たちが大きな教会を建てました。このウルムの帝国自由都市の教会は、これまでに見た中で最も高いものになるはずでした。
屋根を支えるために、Baumeister大工の棟梁(とうりょう)は長い木の梁(はり)を必要としました。それで彼はGehilfen助手たちを町の外に送り出した。
勇気を持った男たちは森へ出かけ、巨大な木を伐採しました。彼らは木材を荷車に積み、それを引いて帰路につきました。しかし、町の城壁の前で荷車は思いがけず止まってしまいました。門を通ることができなかったからです。太い大きな木材は門の幅よりも長く、もし荷車を片側に合わせて押したとしても、反対側にいっそうはみ出してしまいました。
ウルムの町全体がそのことを知り、騒然となった。職人たちは仕事を休み、子どもたちは好奇心で駆け寄り、マルクト広場に参集した婦人たちは眉をひそめながら、大聖堂建設を企てた身分の高い市民たちが、どうしたら解決できるか議論するのを聞いていた。
彼らは解決策を見つけるべく、各種の本を読んでみたが、この解決策に対する助言は何一つ見つからなかった。
普段は何にでも答えを知っている市長でさえも途方に暮れていたが、唯一の解決策を見出した。解決策は唯一のように思われた。
つまり門を取り壊さなければならなかったのだ!
ちょうど町の混乱が最高潮に達したとき、小さな雀が群衆の上を飛んでいきました。雀はくちばしには金色に輝く穀物の茎をくわえていました。そして雀は城壁に近づいてきました。そこで壁の石の隙間に巣を作ろうとしました。
人々は息をのんで見守りました。賢い雀は茎を回して、長い方を壁の隙間に押し込んだのです。
そこでウルムの人々も自分たちの梁となる木材を回して、それが荷車の上に縦に置かれるようにしました。そして荷車を前に進めると、エル、エル(Elleエルは昔の尺度で長さ55~85㎝)ごとに、少しずつ、荷車は門を通り抜けていきました。
見守っていた群衆は歓声を上げた。ウルムの人々は雀に拍手を送り、心から雀を歓迎した。
感謝の気持ちを持って、後のウルムの世代はウルム大聖堂の高い屋根に雀の記念碑(石像)を建てた。
そこにはくちばしに穂をくわえた雀の像がある。
こうして雀はウルム市の人気者となった。
付け加えれば、ウルムの子供の間でもお気に入りの料理は*「Spätzleシュペッツレ」である。
引用:Text nach Carl Hertzog (1842) カルル・ヘルツォークによるテキスト(1842年)バーデン・ヴュルテンベルク州
*≪Spätzleシュペッツレ≫
さて、シュペッツレだが、柔らかい卵麺の一種であり、ドイツ、オーストリア、アルザス、南ティロル料理で使われる。
シュペッツレはシュヴァーベン語で“雀”を意味するシュパッツ(Spatz)の縮小形である。
<歴史>
シュペッツレの発祥地域は不詳であり、様々な地域がこの麺の発祥地を主張している。Spätzleを記載した1725年の文献が発見されているが、中世の挿絵を見ると、もっと古い時代にこの麺が存在した。
現在欧州では、シュペッツレは「シュヴァーベンの名物料理」として広く知られている。
<語源>
Spätzleの意味は「小さなスズメ」である。
この麺を作る器具が発明される以前は、手やスプーンで生地をちぎって作っていたため出来あがりの形がドイツ語でハウス・シュパッツ(Haus-Spatz)またはシュパーリング(Sperling)と呼ばれる雀の小さなもの、
すなわちシュパッツェン(Spatzen、「小さなスズメ」)に似ていた。
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀im_Münster-Original・・・こちらが14世紀のオリジナル? -
「Ulmer Spatzウルムの雀」はウルムのシンボルだと云う。
街中には様々な作品(オブジェ)があり、これを見て回るのも観光の一つで、楽しいかもしれない。
参考写真:Ulmer Spatz_im_Münster-Original・・・こちらが14世紀のオリジナル・・・・・?Ulmer Spatz“: das Original aus dem Jahr 1858 vom Münsterdach befindet sich heute im Ulmer Münster nahe dem Eingang in einer Vitrine
「ウルムの雀(シュパッツ)」:1858年にミュンスターの屋根から降ろされたオリジナルは、現在、ウルム大聖堂の入口近くのガラスケースにある。 -
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀 auf_Münsterdach・・・二代目だろうか!
-
実は*面白い話がある。
【Die Wahrheit über die Legende des Spatzen von Ulm!ウルムの雀伝説の真実!】
短い伝説によると、ウルムの住民はウルム大聖堂の建設に特に大きな梁(はり)が必要だったが、木材は城門を通過することができなかった。
やむなく彼らが城門を壊そうとしたとき、巣作りのために藁(わら)を運んでいる雀が、くちばしの中で藁を横向きから縦向きに変えたのに気づいた。ウルムの人々は悟りを開いた。そのひらめき以来、彼らは荷車に長い荷物を横向きではなく縦向きに積み門を通過した。
それで城門を一度壊して、再建する必要がなかった。]
この伝説は、カール・ヘルツォークによる1842年の詩に初めて記録されている。
・・・・・
*ウルム大聖堂の身廊の入口近くのガラスケースにある像は、裕福な市民によって寄贈されたものだそうです。
ただ、それは雀ではなく、聖書のノアの箱舟の物語のように、オリーブの枝をくわえた【鳩】だと云う。
大聖堂の上にある【鳩】はその大きさから、住民たちはそれを嘲笑的に【雀】と呼ぶようになり、そこから伝説が生まれた。・・・・この文章を読み、驚いたが、確かに雀のように見えないで、意外とそれが真実かもしれない。
・・・・・
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀auf_Münsterdachは大聖堂の屋根に置かれている(二代目?の拡大) -
街中の様々な作品(オブジェ)が登場する、こんな歌も
Wir sind die Ulmer Spatzen - Ulmer Lieder #6
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7NyQexoy8Wg
Volkslied mit Untertitel und Bilder.
Liedtext:
In Ulm, um Ulm, um Ulm herum . . .
Wir sind die Ulmer Spatzen,
witt witt, witt witt, tralla trallala.
Wir singen froh und schwatzen,
witt witt, witt witt, tralla trallala.
Einst flog in Ulm so ein Spatz durch das Tor,
so erzählt es die Fabel,
machte den Ulmern den richt’gen Weg vor
mit einem Strohhalm im Schnabel.
Und seither sind wir Ulmer
als klug und g’scheit bekannt, weit im Land,
und heißen Ulmer Spatzen,
in Ulm und um Ulm herum.
Text und Musik: Helmut Enz
国民歌、字幕付きと画像付き。
歌詞:
ウルムで、ウルムの周りで、ウルムのあたりで…
私たちはウルムのスパッツェン(雀)です、
ウィット ウィット、ウィット ウィット、トララ トラララ。
私たちは楽しく歌っておしゃべりします、
ウィット ウィット、ウィット ウィット、トララ トラララ。
かつてウルムで一羽のスズメが門をくぐって飛んだ、
それが伝説に語られているように、
クチバシに藁をくわえてウルム人たちに正しい道を示した。
そしてそれ以来、私たちウルム人は
賢くて頭がいいと評判になり、遠くの国々でも知られ、
ウルムのスパッツェン(雀)と呼ばれるようになった、
ウルムで、そしてウルムの周囲で。
作詞・作曲: ヘルムート・エンツ
(ウルムの雀の伝説を踏まえて歌っている)
・・・・・
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀の作品(ホテル・レストラン前だが、ホテルの名前が「ウルムの雀」ズバリだ) -
ともあれ、マスコットの起源は気になったから、
今流行りのAIで調べてもらいました。
・・・・・
「ウルムの雀の伝承は、中世ドイツでウルム大聖堂の建設と結びついて生まれたとされます。大聖堂の建設自体は14世紀後半に始まっており、一般的には起源は中世後期、だいたい14~15世紀頃にさかのぼると考えられています。
ただし、当時からすぐに「ウルムの雀」という名で文献に現れたわけではなく、口承の笑い話や寓話として長く語られ、それが後世になって記録や観光案内、土産物などに定着していったとされています。
また、「ウルムの雀」が公式に「町(市)のマスコット」になった具体的な年や日付を示す情報は見つかりませんでした。」
・・・・・
想定内の回答でしたが、伝説や伝承とはそうしたもので、
皆さんがこれで楽しめれば、それで良いのでしょうね(笑)。
・・・・・
さらなるWiki情報では
2001年、南のミュンスター塔を保存するために、「雀スパッツェン・インヴェイジョン」と呼ばれるチャリティーアートプロジェクトが開始されました。
275体のスズメの原型がアーティストやその他の人々によって制作され、市内のあちらこちらに設置されました。プロジェクトの終了時には、ほとんどのスズメが競売にかけられ、一部は依頼者や寄付者の所有物として残されました。オークションでは、南塔の修復のために35万ユーロ以上が集まりました。
・・・・・
前の写真、大聖堂近くのホテルレストラン「ウルム・雀スパッツェ」などはその当時の名残かもしれません。
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀の作品の一部(カラフルな姿は、普通は小枝だが、こちらはト音記号をくわえている。音楽学校の前だからのようです!) -
ウルムの30km北東に、Teddy bearテディベアー(Steiffシュタイフ社)の故郷Giengenギーンゲンの町がある。
2012年5月23日(水)、「Margarete Steiff Museumマルガレーテ・シュタイフ博物館」を一度訪れたことがあるが、その時はウルムの雀の人形は見たことがなかった。
最近販売するようになったのか、可愛い「Ulmer Spatzウルムの雀(シュタイフ社)」の販売先のHPに作品を見つけた。
参考写真:Ulmer Spatzウルムの雀(シュタイフ社)」の作品 -
最近、我が家の庭にやってこなくなった雀です。
春先は雀の子供たちが生まれて、たくさんやってきたのに・・・。
参考写真:日本の雀
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、ウルムもいろいろでしたので、頭の体操になりました。
(2026年04月20日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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この旅行記へのコメント (4)
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- 偏西風さん 2026/04/26 02:48:29
- 「ウルムの金は、、、。。。」
- jijidarumaさん、今晩は、お邪魔します。
「ウルムの金は世界を支配する」と言われたのですか。それほど裕福な都市だったとは意外です。サグラダファミリアに追い越されて2位になったとは知りませんでしたが、ケルンを凌ぐ大聖堂を建てるからにはかなりの財力があったのでしょうね。
早口言葉「in Ulm......」を実際に聞くのは初めてです。1曲目はウルムの街の紹介、案内にもなっていますね。ガス・バッカスの「恋はスバヤク」は若いころよく聴きました。「in ulm......」の歌をドイツ語で歌っていることにびっくりしましたが、ドイツでも活躍した歌手だったのですね。
ウルムの「賢人」を何人か紹介するポスターのようなものを見たことがあります。
その中に、アインシュタインと並んで、ウルムの市民に梁の入れ方を教えてあげた雀も出ていたのがよかったです。
手製の翼でドナウ川を飛んで渡ろうとして失敗したベルプリンが—という仕立て屋もいました。1曲目でSchneiderと歌われるのはこのベルプリンガーのことだと思いますが、ほかにどんな人がいたか思い出せません。
シュタイフ社の雀は可愛いですね。
またよろしくお願いいたします。
- jijidarumaさん からの返信 2026/04/26 17:36:21
- Re: 「ウルムの金は、、、。。。」
- 偏西風さん、
今日は。いつもありがとうございます。
かつて乍ら、本編のなかで、お名前を書かせて頂きました。
ウルムの町は、ドイツの様々な観光地に比較して、文中にもたびたび書きましたが、「サラッと観光して、次の町に行く」というものでした。
ウルムの雀伝説のことなど、伝説好きにしてはサラッとし過ぎたようです。観光本で事前に知識があれば、展示物などにも目を向けたのでしょうが、雀の姿は目に入らなかったのです。
改めてウルムの事を調べてみれば、なんとマー、題材豊富な町でした。
ウルム大聖堂が世界第二の地位になったのは、私も今回初めて知りました。ウルムっ子には残念でしょうが、それ以上の面白いものがありましたね。
貴旅行記を拝見すると、いつも何かを気づかせて、あらたに見直したいことがあります。本編もそういう事もあり、本来なれば、貴旅行記にコメントすべきでしたが、こちらに様々な追記をしながら、構成をし直してみました。ありがとうございました。
さて、最初のYOUTUBEは観光案内としては、良くできていて、良く見つけた、良く選んだと自賛したものです(笑)。
軽快な曲が耳に残り、早口言葉(これがなかなか耳に理解できませんし、歌えませんけど)、観光名所、歴史的な話を含んで、飽きさせませんね。他のYOUTUBEもまた面白いです。
「ウルムの「賢人」を何人か紹介するポスターのようなもの」を見ておりませんので、かってにWikiを参考にして、私が幅広くウルムの賢人(雀は外しました!)を選んでみました。
第一にノーベル物理学賞を受賞されたアインシュタイン博士、
第二に私がひいきの英雄・ヒトラー暗殺未遂事件の首謀者クラウス・フォン・シュタウフェンベルク 伯爵・参謀大佐、
第三には「砂漠の狐」の異名で呼ばれる活躍を見せた名将ロンメル将軍・・・その死にあたって、祖国の英雄としてウルムで盛大な国葬が営まれた。
第四に世界的な自動車部品メーカーBoschボッシュの創立者ロバート・ボッシュ、
第五は「ウルムの仕立て屋さん」アルプレヒト・ルートヴィヒ・ベルブリンガー(ハンググライダーで空を飛ぼうとした発明家)、
また、有名な指揮者カラヤン氏はウルム市立歌劇場において、『フィガロの結婚』でオペラ指揮者デビューを果たし、以後5年間専属指揮者として活躍したとのことで、十分賢人の資格があるといえましょう。
以上です。
*尚、一度投稿したのですが、なぜか?「4Tra側が目下込み合っているので時間をかけて、再投稿してください」と表示され、先の投稿分は消えてしまいました。
したがい、今回の分は原文を思い出しつつ、書き直して投稿したものです。
そんなこともあり、返信が遅くなりました。ご容赦ください。
jijidaruma
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- pedaruさん 2026/04/25 07:41:47
- こんなことまで知っているなんて、チコちゃんに褒められるー
- jijidarumaさん おはようございます。
ネタのいっぱい詰まった引き出しを、たくさんお持ちなんですねー。
動画が添えられているので、楽しめました、といっても言葉は分かりません。
歌詞付きですので、分かったような気がします(笑)。
この町の大聖堂は戦争中爆撃されなかったのですね。訳があったのでしょうか?
日本も慈悲深いキリスト教の国から、無抵抗の市民が無差別攻撃をされました。
動画では楽しそうな歌声を聞いているうち、ああ、この人たちも戦争ばかりしている国に住んで、やっと今は幸せなんだろうな、と言う思いが湧いてきました。
日本は地震はあるけど、島国ですから外国の侵略をうけなくてよかったですね。
われわれは生きてもあと30年(笑)、戦争が起きないことを祈るのみです。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2026/04/25 17:45:19
- RE: こんなことまで知っているなんて、チコちゃんに褒められるー
- pedaruさん、
今日は。いつもありがとうございます。
ウルムは古くからのドナウの水運と街道のお陰で豊かな町でした。
文中にも書いたように、ウルムの富は他国の有名都市にそん色ない
力があったから、格言まで残したようです。
そのような偉大な町の観光をさらっと観光した罰を今になって受けて、
様々なネタを紐解くのに実は苦労したのです。
最後っ屁のように、雀でなくて鳩なのだよと、書いてしまった所は
私も性格が悪い。
動画は珍しく多く掲載しました。聞いていると、気持ち軽やかになるので、
(内容の理解は別にして)それだけで十分かと(笑)。
また、ご質問の「この町の大聖堂は戦争中爆撃されなかったのですね。
訳があったのでしょうか?」
ドレスデンの大聖堂は粉々に爆撃でやられて、長い復興の時間が必要に
なりました。文中に、勝手ながら、私好みでウルム大聖堂は「アイン
シュタイン(米国籍を取得した)の生まれ故郷だったから連合軍も爆撃
しないように気をつかった」ようだと書きました。
似たような話があります。
「バイロイトの次に訪れたのは、距離120kmのCoburgコーブルクの町である。
ここコーブルク公爵領はドイツの中央部、バイエルン州の北部にあたり、
フランケン地方と称する。
英国王室(ハノファー王朝)、つまり英国が最も栄華を極めた Victoria
ヴィクトリア女王の時代、女王の王配(おうはい:女王の夫のこと)
Albrecht von Sachsen-Coburg-Gothaアルブレヒト・フォン・ザクセン・
コーブルク・ゴータ(英語読みはアルバート公、1840年-1861年)は
Coburgコーブルク公爵家の出身でした。
コーブルクの町はザクセン・コーブルク・ゴータ公家の宮廷があり、
上記のように英王室との深い結びつきがあった町でした。その所為か?!
第二次大戦下、英空軍はこの町を空襲しなかったと云われています。
戦時下でも、こんな話が伝えられているから、人間の戦いの中にも
救いがありますね。
jijidaruma
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