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想ったより広い四国村ムゼウムを歩き回っています。<br />ココ。思ったよりすごいぞ~<br />見応えあるぞ~<br />色々勉強になるし、ひとつひとつじっくり拝見しちゃいました。<br />そもそも香川県が砂糖づくりが盛んであったなんて、全く知りませんでした。<br />高松藩の財源の一つでもあったのですね~~

8日間で香川県をクルっと巡ってきました。?引き続き四国村ムゼウムをプラプラ。その2 この建物は何?トトロ?

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2026/02/24 - 2026/03/04

1907位(同エリア1983件中)

nichi

nichiさん

想ったより広い四国村ムゼウムを歩き回っています。
ココ。思ったよりすごいぞ~
見応えあるぞ~
色々勉強になるし、ひとつひとつじっくり拝見しちゃいました。
そもそも香川県が砂糖づくりが盛んであったなんて、全く知りませんでした。
高松藩の財源の一つでもあったのですね~~

  • 次に現れたこの建物は?<br />トトロ??<br /><br />冨木田家砂糖しめ小屋<br />江戸時代、砂糖は讃岐の特産品でした。<br />讃岐平野には、サトウキビ畑とこのようなサトウキビを搾る小屋が点在していました、

    次に現れたこの建物は?
    トトロ??

    冨木田家砂糖しめ小屋
    江戸時代、砂糖は讃岐の特産品でした。
    讃岐平野には、サトウキビ畑とこのようなサトウキビを搾る小屋が点在していました、

  • 内部はこんな感じ。

    内部はこんな感じ。

  • 円形の建物で、現存するのはココにある2棟だけです。<br /><br />ここでサトウキビを搾っていたのね~<br />でもどうやって??

    円形の建物で、現存するのはココにある2棟だけです。

    ここでサトウキビを搾っていたのね~
    でもどうやって??

  • 次にやって来たのは、<br />六車家釜谷<br />といって、砂糖しめ小屋で絞った生汁を煮詰めるための小屋です。<br />

    次にやって来たのは、
    六車家釜谷
    といって、砂糖しめ小屋で絞った生汁を煮詰めるための小屋です。

  • 生汁を煮詰めると黒糖になりますが、白糖はこの小屋でアクを取り除くことによって精製されていました。

    生汁を煮詰めると黒糖になりますが、白糖はこの小屋でアクを取り除くことによって精製されていました。

  • 再びトトロの世界へ。<br />ココ四国村ムゼウムに存在するもう一つの砂糖しめ小屋ですね。<br />香川県の坂出にあった小屋です。

    再びトトロの世界へ。
    ココ四国村ムゼウムに存在するもう一つの砂糖しめ小屋ですね。
    香川県の坂出にあった小屋です。

  • 中に入ってみました。

    中に入ってみました。

  • 真ん中に3つの石臼がありますね。

    真ん中に3つの石臼がありますね。

  • 腕木と呼ばれる大きな木の棒を牛が引いて回転させ、サトウキビを搾ったのですね。<br /><br />ココを牛がこの棒を引いてグルグル回っていたのですね。<br />だから丸い建物だったのですね。

    腕木と呼ばれる大きな木の棒を牛が引いて回転させ、サトウキビを搾ったのですね。

    ココを牛がこの棒を引いてグルグル回っていたのですね。
    だから丸い建物だったのですね。

  • この四角い建物も、砂糖のしめ小屋です。

    この四角い建物も、砂糖のしめ小屋です。

  • ここでは小作人たちが集まって砂糖のしめ作業を行っていました。

    ここでは小作人たちが集まって砂糖のしめ作業を行っていました。

  • この石垣は、先ほども見た猪垣です。<br />徳島県の山奥にあった猪垣で、猪や鹿から畑を守るために築かれていた猪垣です。

    この石垣は、先ほども見た猪垣です。
    徳島県の山奥にあった猪垣で、猪や鹿から畑を守るために築かれていた猪垣です。

  • 猪垣の所々にはこのような穴があって、畑に入ろうとした猪を生け捕りにしました。<br />井戸みたいですね。

    猪垣の所々にはこのような穴があって、畑に入ろうとした猪を生け捕りにしました。
    井戸みたいですね。

  • こちらは、<br />茶道「遊庵」<br />愛媛県の山間部の、伊予から土佐へ向かう峠にあったものです。<br /><br />村の境や峠に設置された小さなお堂です。<br />嘉永6年、江戸時代に建てられた建物です。<br /><br />

    こちらは、
    茶道「遊庵」
    愛媛県の山間部の、伊予から土佐へ向かう峠にあったものです。

    村の境や峠に設置された小さなお堂です。
    嘉永6年、江戸時代に建てられた建物です。

  • 正面に仏様。<br />三方は吹き抜け。

    正面に仏様。
    三方は吹き抜け。

  • 以前、ココに瀬戸内寂聴さんがお見えになっていたのですね。<br />ココがオープンする開村式の時のようで、彼女によって「遊庵」と名付けられました。

    以前、ココに瀬戸内寂聴さんがお見えになっていたのですね。
    ココがオープンする開村式の時のようで、彼女によって「遊庵」と名付けられました。

  • 通行人にお茶を振舞ったり四国お遍路さんの休息所になりました。<br /><br />江戸時代の建物がよくここまで奇麗に残っていますね。

    通行人にお茶を振舞ったり四国お遍路さんの休息所になりました。

    江戸時代の建物がよくここまで奇麗に残っていますね。

  • これは何?<br />カンカン石?

    これは何?
    カンカン石?

  • この石は、叩くとカンカンと金属のような音がしました。<br />高松の西の国分台で産出する珍しい石です。<br /><br />サヌカイト<br />と言うそうです。

    この石は、叩くとカンカンと金属のような音がしました。
    高松の西の国分台で産出する珍しい石です。

    サヌカイト
    と言うそうです。

  • 四国村ムゼウムの一番の高台にやってきました。

    四国村ムゼウムの一番の高台にやってきました。

  • 灯台ですね。<br /><br />瀬戸内海の大久野島にあった灯台です。<br />明治26年(1893年)に建てられた灯台です。<br />平成4年(1992年)まで現役だたっ灯台です。<br /><br />大久野島といえば、戦時中に毒ガス工場があったことで有名ですね。<br />戦時中は軍事秘密としてこの灯台は地図から消されていたそうです。<br />

    灯台ですね。

    瀬戸内海の大久野島にあった灯台です。
    明治26年(1893年)に建てられた灯台です。
    平成4年(1992年)まで現役だたっ灯台です。

    大久野島といえば、戦時中に毒ガス工場があったことで有名ですね。
    戦時中は軍事秘密としてこの灯台は地図から消されていたそうです。

  • 入口だけ覗くことができました。<br />急な螺旋の梯子がありました。

    入口だけ覗くことができました。
    急な螺旋の梯子がありました。

  • 奥には平屋の建物が並んでます。

    奥には平屋の建物が並んでます。

  • 先ほどの灯台の隣に建っています。

    先ほどの灯台の隣に建っています。

  • こちらは、江埼灯台退息所<br />といって、灯台守の宿舎です。<br /><br />江戸末期、条約で灯台の設置が義務付けられ、初期の灯台は外国人による設計・運用でした。<br />江埼灯台は、神戸港開港に併せて淡路島に設置された灯台で、この建物はそこにあった灯台守の宿舎(退息所)です。

    こちらは、江埼灯台退息所
    といって、灯台守の宿舎です。

    江戸末期、条約で灯台の設置が義務付けられ、初期の灯台は外国人による設計・運用でした。
    江埼灯台は、神戸港開港に併せて淡路島に設置された灯台で、この建物はそこにあった灯台守の宿舎(退息所)です。

  • 明治4年(1871年)に建てられた建物です。

    明治4年(1871年)に建てられた建物です。

  • 本格的な石造りで、中は洋室。<br />暖炉や煙突もあります。<br /><br />平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で倒壊し、ここに移築・復元しています。<br />明治初期の建物とは思えませんね~

    本格的な石造りで、中は洋室。
    暖炉や煙突もあります。

    平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で倒壊し、ここに移築・復元しています。
    明治初期の建物とは思えませんね~

  • さらに奥には、同じような建物が・・・

    さらに奥には、同じような建物が・・・

  • こちらは鍋島灯台退息所。<br />香川県の境で沖にある鍋島という小島にあった灯台の退息所(灯台守の宿舎)です。<br />

    こちらは鍋島灯台退息所。
    香川県の境で沖にある鍋島という小島にあった灯台の退息所(灯台守の宿舎)です。

  • 明治6年(1837年)に建てられた退息所で、和洋折衷の建物です。

    明治6年(1837年)に建てられた退息所で、和洋折衷の建物です。

  • 昭和30年(1955年)まで現役で使われていましたが、その後は暫く通信施設として使われていました。

    昭和30年(1955年)まで現役で使われていましたが、その後は暫く通信施設として使われていました。

  • ここで灯台守のご家族が生活をしていらしたのですね。

    ここで灯台守のご家族が生活をしていらしたのですね。

  • そしてこちらがさらに奥にあった次の灯台退息所です。

    そしてこちらがさらに奥にあった次の灯台退息所です。

  • 愛媛県沖の瀬戸内海にあるグタコ島にあった灯台の灯台退息所です。<br />こんな煉瓦とモルタルの外観ですが、中は今までと少し異なります。

    愛媛県沖の瀬戸内海にあるグタコ島にあった灯台の灯台退息所です。
    こんな煉瓦とモルタルの外観ですが、中は今までと少し異なります。

  • 建物内に縁側と縁石?

    建物内に縁側と縁石?

  • 中には和室があるのです。

    中には和室があるのです。

  • へ~<br />純和風だ~

    へ~
    純和風だ~

  • ちょっとビックリですね。

    ちょっとビックリですね。

  • こちらは、グタコ島にあった灯台の灯台退息所の別棟です。

    こちらは、グタコ島にあった灯台の灯台退息所の別棟です。

  • 別棟には風呂がありました。

    別棟には風呂がありました。

  • 煉瓦でつくられた五右衛門風呂?

    煉瓦でつくられた五右衛門風呂?

  • これは日時計ですね。

    これは日時計ですね。

  • おっ!<br />水仙が咲いてる!

    おっ!
    水仙が咲いてる!

  • で、ココが正門だったんだ~~<br />ここは洋です。

    で、ココが正門だったんだ~~
    ここは洋です。

  • こっちには梅。

    こっちには梅。

  • なかなか綺麗ですね~

    なかなか綺麗ですね~

  • そして、梅の花。

    そして、梅の花。

  • こりゃ綺麗ですね~<br /><br />つづく

    こりゃ綺麗ですね~

    つづく

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この旅行記へのコメント (1)

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  • くわさん 2026/04/22 09:41:43
    いや~、これは知りませんでした
    nichiさん、四国村の旅行記拝見しました。

    私は以前隣の高知県に住んでいたのですが、香川県が江戸時代砂糖産業が盛んだったことを初めて知りました。(香川県と言えばうどんしか知らない)

    以前、九州にも住んでいたのですが、江戸時代、砂糖が貴重品だったのでヨーロッパから輸入し、長崎で水揚げされ、シュガーロードを使って北九州まで運ばれていたそうです。そのおかげでシュガーロート沿いには、長崎のカステラ、佐賀のようかん、福岡の銘菓ひよこなどが誕生したそうです。

    船を空荷で戻すとバランスが悪いということで、重し代わりに有田や伊万里の焼き物をヨーロッパに運び、彼の地では焼き物が重宝されたとのこと。

    なので日本では砂糖は作られていないと思い込んでいました。
    それが香川県で作られていたとは驚きです。灯台下暗しでした。

    そこには灯台や退息所もあるのですね。
    高知県にはたまに帰っていますので今度立ち寄ってみたいと思います。

    ↓の最後のほうに足摺岬近くにあった廻り舞台の写真があります。
    https://4travel.jp/travelogue/11990382

    ありがとうございました。

    くわ

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