2025/11/03 - 2025/11/03
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東武鉄道の開業七駅は、杉戸宿の近くに置かれた杉戸駅(現在の東武動物公園駅)の次は終点の久喜駅になるのですが、幸手市権現堂堤の曼珠沙華まつりを見に行ったご縁もあるので、番外編として幸手宿の跡を歩いてみました。
はるか昔、日本武尊の東征に際して「薩手(さって)が島」に上陸し、田宮の雷電神社に農神を祭ったという言い伝えが残っており、この「薩手が島」が現在の幸手の地とされています。
徳川家康が関東に入府すると、一色義直を御家人として武州葛飾郡幸手5,160石を与えました。一色氏は現在の幸手駅付近に陣屋を構えましたが、一族は後に下総国相馬郡木野崎(千葉県野田市木野崎)に移りました。一色氏が離れた後の幸手はその大部分が天領とされました。
日光街道・奥州街道の整備により、日本橋から6番目の宿となり、元禄年間より幸手宿と称されました。
天保14年(1843年)の「宿村大概帳」によると、幸手宿は長さ585間(9町45間)約1,060m、道幅6間(約10.8m)、家数962軒、人数3,937人、本陣1軒、脇本陣なし、旅籠27軒、人馬継問屋場は1ヵ所、高札場1ヵ所がありました。
そんな幸手市のマスコットキャラクター「さっちゃん」の旅姿バージョンを表紙にしました。さっちゃんは権現堂の桜と菜の花をイメージした妖精で、平成3年に誕生しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
東武鉄道日光線の幸手駅に初下車しました。
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駅ピアノ。小学校高学年くらいの女子が弾いていましたが、とても上手でした。
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幸手駅の東口。
駅前はロータリーになっています。 -
東武鉄道日光線の幸手駅(東口)。
昭和4年(1929年)に開業、そのときから複線電化でした。
平成31年(2019年)3月17日、現在の橋上駅舎ならびに東西自由通路を供用開始。 -
東武鉄道日光線開通記念碑。
駅敷地の隅にありました。
「鉄道王」と言われた根津喜一郎(初代)社長の書です。
赤字続きだった東武鉄道からの要請により社長に就任し、東武伊勢崎線を川俣駅まで路線延長を行い、杉戸駅(現在の東武動物公園駅)から分岐する東武日光線を敷設、また東上鉄道との対等合併を推進するなど、経営拡大を進め、今日の発展につなげました。 -
ロータリーに手形プレートが設置されています。
幸手市は市名の幸手が「幸せの手」とも読めることから、青年会議所が主催して、その年に最も幸せを感じさせてくれた男女一人づつから手形を寄贈して貰うハッピーハンド事業によるもの。 -
現在の幸手駅周辺にはかつて一色氏の陣屋(館)が置かれていました。
その敷地内に祀られていたとされる一色稲荷神社です。別名、陣屋稲荷とも呼ばれています。
鳥居は平成20年5月建立。 -
一色稲荷神社(陣屋稲荷)の境内。
お狐様が鎮座しています。 -
幸手市のマンホール蓋。
幸手市の花である桜の花びらを散りばめ、中央に市章をデザインしています。市章のモチーフも桜です。 -
狭い路地に迷い込んでしまいました。
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倉松川に沿って東へ歩きます。
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志手橋。
幸手市南一丁目、倉松川に架かる橋です。橋長約8.8m、幅員約18m。
この地は昔から交通の要衝であり、江戸時代から木橋が架けられていました。
近くの神明神社には高札場も設けられていました。 -
志手橋。南から北方向。
ここから幸手宿が始まっていました。 -
親柱はかなり痛んでいますが、橋灯と銘板の跡が残っています。
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倉松川の下流方向。
この先の下流域は水田地帯となり、幸手市と杉戸町の境界付近では大島新田調節池が設けられています。 -
江戸時代より前、倉松川の下流域には大きな沼(倉松沼とも)が広がっており、江戸時代の新田開発により耕作地となりました。
写真は、杉戸町本島にある大島新田調節池で、現在は小さな池ですが、江戸時代は見渡す限りの水面だったようです。
そのため、旧日光街道は杉戸宿を過ぎると高野村辺りで西方へ大きく迂回せざるを得ませんでした。 -
志手橋の北側から南方。
右の道が迂回してきた旧日光街道。
左の道は国道4号線から分かれた県道65号線。 -
神明神社(しんめいじんじゃ)。
江戸時代の中期に建立された神社で、村の鎮守でした。 -
螺(たにし)不動尊の碑。昭和14年奉納。
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平成元年建立の鳥居。
江戸時代にはここに高札場があり、幕府の掟書や法令などを書いた高札が掲げられていました。 -
稲荷大明神、聖徳太子堂、水神宮をお祀りしています。
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神仏習合の名残で、境内に菅谷山と成田山の不動尊があります。
菅谷不動尊は、新潟県新発田市にある菅谷寺(かんこくじ)の菅谷(すがたに)不動尊に関係しているらしく、「たにし不動尊」と云われます。
眼病の人がたにしを描いた絵馬を奉納するとご利益があると云われます。 -
成田不動尊。
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狛犬と拝殿。
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狛犬が抱えているものはタニシにも見えますが、牡丹の花のようです。
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狛犬は大正11年(1922年)3月17日建立。
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今宮大杉神社。
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拝殿。御祭神は大日霊命を主祭神として、建御名方命と誉田別命を配神としています。
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御本殿。
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改築記念碑。
神明神社は宝暦5年、祖先が氏神として奉祀しました。
社殿は既に220数年前の建物にて、破損個所の修理を施して参りましたが、第二次世界大戦に遭遇し、加うるに昭和22年の大水害の惨禍を受けました。
氏子の総意により、本殿を建替えることとなり、都市社会施設特別整備事業の指定により埼玉県より300万円、幸手町より30万円の補助金を受けて昭和52年に再建した旨が記されています。 -
ご神木のイチョウ。
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大杉神社の神輿庫。
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旧日光街道に西面する岸本家住宅主屋。
江戸時代末期の建物であり、「上庄」の屋号で醤油製造業と小売業を営んでいました。 -
木造2階建、桟瓦葺。正面切妻造のとても目をひく外観です。
正面の庇部分を店舗とし、後方の主体部分を住宅としていました。
道路拡幅の際に曳き家を行い、地元のNPOなどが活用しています。 -
明治天皇行在所跡(あんざいしょあと)碑。
岸本家住宅の向かい側にあります。 -
昭和10年に建てられた説明板があるのですが、文字は読めません。
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題字は東郷平八郎元帥海軍大将。晩年の昭和8年4月3日建立。
明治天皇は幸手に2回宿泊しています。
明治14年(1881年)7月21日の山形・秋田・北海道への巡幸の際と、明治29年(1896年)10月20日~22日に近衛師団小機動演習天覧のため、幸手を行在所としました。 -
旧日光街道(北方向)。
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旅館朝萬(あさよろず)。
幸手市の中心街にあり、江戸時代の文政2年(1819年)に創業、200年以上の歴史を持つ老舗旅館です。
館内には当時の「宿札」が残り、明治9年(1876年)と明治14年(1881年)に明治天皇が行幸したときに同行した宮様や随行員の方々、明治29年(1896年)の大輪の大演習で滞在した要人のものがあります。 -
この辺りに日光街道碑があったようです。
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擔景寺横町へはいります。
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擔景寺横町の標識も」ありました。
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法林山 擔景寺(担景寺)は、浄土真宗本願寺派の寺院です。
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六字名号碑。
擔景寺所蔵の本願寺第21代御門主明如上人の幅より「名号と蓮座」を拡大・刻印して、第12代釋韶秀上人が平成5年に建立しました。 -
山門。
現在の山門は平成27年に再建しました。
明和4年(1765年)建立の山門がありましたが、東日本大震災で破損したため、同位置・同規模で再建しました。龍や獅子頭の彫刻は、旧山門の彫刻をそのまま利用しました。 -
山門脇には阿形の狛犬がありました。
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寺紋。
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参道脇には、親鸞聖人御幼少像。平成2年7月建立。
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その手前に西本願寺即如前御門主お手植えの松があります。昭和59年12月5日。
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鐘楼。
江戸時代の鐘楼は関東大震災で倒壊しました。
この鐘楼は、第11代釋果陸上人が昭和40年に建立した鉄筋コンクリート製です。 -
梵鐘。
以前の鐘は戦時供出で失いました。
鐘楼の再建に合わせて鋳造したようです。 -
擔景寺(担景寺)の本堂は、延享2年(1745年)に第4代全達上人が建立した木造建築です。
本堂の荘厳な内外陣は浄土そのもので、即如前御門主が関東御巡教の折りに立ち寄りました。
明暦6年(1660年)に僧順覺(信長の側近堀秀政の子)が開基、御本尊は恵心僧都の作と伝わる阿弥陀如来像です。
古くは寺子屋でもあり、大戦末には東京からの疎開児童の宿泊所となりました。
本堂に庫裡(客殿)が連結しています。 -
法林山の変額。
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東隣には雲光山 瑠璃光院 常光寺があります。
天台法華円宗のお寺です。 -
山門。
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山門の前には18羅漢尊建立之碑がありました。
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山門を潜ると、正面に本堂が建ちます。
御本尊は大日如来です。また薬師如来・観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王も祀られています。
延宝8年(1680年)僧顕海が開基したと伝えられています。 -
境内には十八羅漢尊像が並び建てられています。
一般的には十六羅漢尊が知られていますが、黄檗宗では十八羅漢尊が祀られるそうで、関係あるのかないのかわかりません。 -
十八羅漢尊像。
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十八羅漢尊像。
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十八羅漢尊像。
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境内に稲荷大明神が祀られていました。
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稲荷大明神。
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庭には池もあります。
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常光寺では樹木葬が執り行われるようです。
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旧日光街道をさらに北へ歩きます。
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永文商店。
明治36年に創業しました。以来100年以上にわたって流通業を営んできました。日・月定休。 -
永文商店には幸手宿のシャッターアートがありました。「久保田」の垂れ幕で隠れてしまっていたのが残念です。
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幸手宿問屋場跡(さってじゅくといやばあと)。
問屋場役は、問屋4人・年寄り8人・帖付4人・馬指4人・見習1人・月行事4人の総勢25人で構成され、近くには本陣や旅籠、茶屋などが軒を連ねる宿場の中心でした。年間休むことなく業務を続け、人足25人と馬25頭の常駐が義務づけられていました。 -
現在は公園になっており、トイレもあり、休憩もできる場所です。
江戸時代にはこの辺りを幸手宿久喜町と言っていました。 -
こちらの建物も商店だったようで、奥に細長く続いています。
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本陣跡。
本陣を営んだ知久家は、本陣のみならず問屋・名主をあわせた三役を兼ねていたそうで、幸手宿では重要な役割を果たしていました。その敷地は千坪もありましたが、その屋敷跡には明治時代に開業した鰻屋が建っています。 -
義語家さんは、明治20年に開業したうなぎの蒲焼き店です。
現在は六代目の小林麻美子さんが厨房を切り盛りし、137年間続く味を守り続けています。月・火が 定休日で、祝日でも営業していませんでした。 -
成田金物店。
江戸時代の宿場税は街道に面した間口の幅に対して課税されていたことから、間口を狭くし、奥行が長い特徴がありました。
街道に面して店舗、次が住居、一番奥に倉庫を設けるのが一般的でした。
そのため、昭和時代になると建屋の横にレールを敷き、荷捌き用のトロッコを走らせていました。
こちらには現役のトロッコがあるそうですが、お店は閉まっていました。 -
向かい側にある長島ガラス店にも現役のトロッコがあるようですが、やはり閉まっていました。
また、先ほど見た永文商店にもトロッコがあるそうです。 -
愛の妻路地に入ります。
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幸手観音の満福寺に来ました。真言宗智山派のお寺です。
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門柱を過ぎると最初に鐘楼が建ちます。
除夜の鐘には毎年多くの方が除災招福を願い鐘を撞きに集まります。 -
満福寺の梵鐘は「そだての鐘」といいます。
かつては文政4年(1821年)の鐘がありましたが、戦時供出を命ぜられました。
満福寺観世音菩薩の法力にお縋りした信者が東京で成功しました。その篤志家は観世音菩薩の御加護の賜と痛く感激し、昭和34年(1959年)8月、梵鐘を再鋳造して奉納したそうです。 -
荏柄(えがら)山 満福寺の境内です。
戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願寺として建立されたといわれ、江戸時代には、天神神社(通称、裏町天神)や八幡香取社(現在の幸宮神社)の別当を務めていました。
手前の白い堂が延命地蔵堂、正面に観音堂があります。 -
鐘楼に続いて延命地蔵堂。
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延命地蔵尊。
関東大震災の際、篤信の方が災いから逃れる事ができたという縁起があり、延命にご利益ありと云われています。。 -
観音堂。
聖如意輪観世音菩薩をお祀りしています。安産・子育てをはじめとした祈願は観音堂で行います。
江戸時代、天明・天保の大飢饉では多くの人々を救ったことが伝えられています。 -
観音堂の扁額。
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本堂。
御本尊は不動明王をお祀りしています。
開山は僧秀榮。一色氏の祈願所として創建され、一色五天神の別当を務めていたと云われます。 -
扁額は光明殿です。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。後半に続きます。
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