2025/05/05 - 2025/05/06
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2025/05/05
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徒歩での移動
新町橋を渡る
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小渕の一里塚
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徒歩での移動
小渕交差点を通過
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すきすきすぎーと36パーキング
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大作桃塢の生家
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満聚山九品寺
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徒歩での移動
宮東橋を渡る
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電車での移動
姫宮駅
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大落古利根川を渡ると粕壁宿の中心部からは離れ、次の杉戸宿へ向かう道が続きます。
小渕一里塚を過ぎ、関宿往還追分を過ぎると小渕山観音院があります。
観音院は、おくのほそ道で松尾芭蕉翁と河合曽良が宿泊した場所として有力な候補とされています。
小渕山 正賢寺 観音院は、江戸時代に書き写された「小淵山本尊記」によると、鎌倉時代中期の正嘉2年(1258年)創建と伝えられる古刹です。京都の「本山修験宗聖護院門」の末寺として安水2年(1773年)正年行事職を許され、明治時代になるまでこの地方の修験道場の一つであり観音信仰の中心として栄えてきました。
御本尊は、飛鳥時代の木仏と推定される正観世音菩薩です。御本尊は秘仏となっていて、真綿にくるまれ御厨子の中に安置されているそうです。ご開帳は60年に一度、丙午の年になります。前回のご開帳は昭和41年(1966年)、次回のご開帳は令和8年(2026年)の予定とされています。
この御本尊については次のような話が伝わっています。
一人の熱心な観音菩薩の信者が小淵村に住んでいました。ある日、菩薩が夢に現れて「あなたの信心の篤さに報いるため、この土地の人々にご利益を授けたい、明日そなたは利根川河畔の草の中からわが身を見つけるであるう」と告げました。翌日、朽木が菩薩像に見えました。これこそ夢のお告げに違いないと、像を安置しました。
しかし、下僕がそれを木と思い、薪にしようとしたところ、下僕は目が見えなくなり、体が動かなくなってしまいました。信者は下僕の過ちを菩薩に謝り、下僕は元気になりました。
それからは、観音さまの評判を聞きつけ、たくさんの人達がまるで市のように集まって来ましたが、その観音菩薩を拝み見た者は目が見えなくなってしまうので、その信者は菩薩像を包みお堂に安置することにしました。
そして観音院には、江戸時代の修験僧圓空が彫った圓空佛七躯が祀られていました。この圓空佛は埼玉県指定有形文化財となっており、普段は埼玉県立歴史と民俗の博物館に保管されていますが、毎年5月3日から5日まで開催される圓空佛祭で里帰りご開帳がされています。今年は6日までの開帳と聞き、雨の中を拝観しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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旧日光街道は、大落古利根川に架かる新町橋を渡り杉戸宿へ向かいます。
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江戸時代には舟運で栄えていました。
4と9のつく日には六斎市が開かれていました。 -
かつては古利根川にかかる唯一の橋が新町橋で、長さ約16間、幅約3間の板橋でした。大橋や粕壁大橋などと呼ばれていました。
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大落古利根川の上流方向。
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大落古利根川の下流方向には古利根公園橋が見えます。
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新町橋の袂には上喜蔵河岸(かみきぞうかし)と呼ばれた船着場がありました。
小型の高瀬船などで米や生活物資が運ばれていました。
当時の石垣の一部が残っているらしいのですが、見つかりませんでした。
新町橋の下には、周りから見えないように船が隠されていました。 -
新町橋を渡った街並みです。
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一つ目の交差点を左折して、このまま旧日光街道を500mほど歩くと小渕の一里塚に着きます。
今回は所用のためにいったん駅前に戻りました。 -
翌日は雨になりました。
芭蕉翁と曾良が粕壁に泊まった元禄2年3月27日(西暦1689年5月16日)も夜中に雨が降り始め、翌朝にはいったん止んだものの出発するとまた雨が降り、昼過ぎに上がったと曾良は記録しています。
さて、この辺りに小渕(こぶち)の一里塚があったはずです。 -
空き地を通り過ぎた所に石碑がありました。日本橋から9里の史跡小渕一里塚跡の碑と庚申塔です。
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さらに北へ進むと、粕壁宿の中心部からはかなり離れていますが、山田桐箪笥製作所にもシャッターアートがありました。
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旧日光街道は国道4号線に合流します。
現在は舗装路ですが、江戸時代の日光街道は、雨が降るとドロドロにぬかるみ、旅人は難儀していました。 -
国道4号線と国道16号線が交差している小渕交差点です。これまでに数百回は通過していますが、歩いて横断したのは初めてでした。
気づかずに通り過ぎてしまいましたが、交差点の上り車線側には道標が残っているようです。 -
しばらく歩くと、小渕山 正賢寺 観音院の大きな看板がありました。
公式HPによると、春日部市のコミュニティバス「春バス」幸松地区ルートに乗車して小渕団地方面 梅原病院 下車 徒歩1分と案内していますが、実際には梅原病院を過ぎてから4~5分歩きました。 -
京都にある本山修験宗聖護院門の末寺という小渕の観音院には立派な楼門があります。
修験とは行者すなわち山伏の寺ということです。 -
仁王門は元禄2年(1689年)の建立と伝えられています。芭蕉と曽良は完成した楼門を見たのかどうか、ちょうどその頃です。
春日部市唯一の仁王門として市の有形文化財になっています。三間一戸楼門形式、間口は4.5間、奥行は2.7間、高覧付きの縁がある2階にはかつて釣鐘がありました。戦時供出しました。 -
楼門に向かって右に金剛力士像(阿形)が安置されています。現在、市指定文化財になっています。
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左に金剛力士像(吽形)。
かなり傷みがあり、朽ちる前に修繕されることを望みます。 -
楼門の左手には、ちょっと違和感ある「憲法九条の碑」があります。
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花つか。安政3年(1856年)建立。
背面に「我額の みつる月の 光哉」と刻まれています。 -
参道は圓空佛祭の提灯が飾られていました。
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松尾芭蕉の旬碑。
観音院は、おくのほそ道で松尾芭蕉翁と河合曽良が宿泊した場所として有力な候補とされています。
ものいへば
唇寒し
秋の風 -
本堂の前にはご献香販売所。
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小淵山観音院は、鎌倉時代中頃の正二年(1258年)建立と伝わる古刹です。
本堂は、内陣の棟札により寛政12年(1800年)再建であることが分かりました。
五間四方階楼付き、入母屋造り、唐破風向拝には大きな鰐口が下がっています。
家内安全・商売繁盛・学業成就等、あらゆる祈願にご利益がある祈願寺として親しまれてきました。 -
この頃、雨がさらに強く降ってきました。
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御本尊は、正観世音菩薩木像。飛鳥時代の作と伝承されています。
御本尊の御開帳は60年に一度、丙午の年で、次のご開帳は来年(令和8年)の予定です。
いぼ、こぶ、あざ取りに霊験あらたかと云われ、こぶとり観音とも呼ばれていました。 -
訪問日は、今年の圓空佛祭の最終日でした。混雑しているかと思っていましたが、雨降りでもあり、ゆっくりと圓空佛を鑑賞できました。
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圓空佛七躯が勢揃いしていました。
中央に聖観音菩薩立像、左側に不動明王立像、右側に伝毘沙門天立像。
右端の白い桐箱に入った役行者像、左手の白い桐箱には蔵王権現立像。左端には徳夜叉明神像と護法大善神像です。 -
本堂内のお賓頭盧様。
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聖観音菩薩立像。
総高194cm、像高162cm、臂張49.3cm、台座奥行14.7cm。一つの材から掘り出した圓空佛では県内最大の像です。
背面は見えませんが、墨書されているそうです。 -
右手は胸前で、第一、二指を念じて印を結んでいます。
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左手は未開敷(つぼみ)の蓮華を握り、足を開いて蓮華座の上に立つ姿です。
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口を軽く開いて歯をのぞかせています。
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不動明王立像。
総高132cm、像高111.6 cm、臂張32.6cm、像奥16 cm。埼玉県唯一の立像の不動明王です。
右手に宝剣を執り、左手は網索を持ち、岩座上に立っています。 -
伝毘沙門天立像。
総高134cm、像高115.5cm、臂張26.7cm、像奥16.7cm。
頭上に大きな龍の頭を頂き、両手で宝塔を捧げ持っています。岩座上に立っています。 -
役行者倚像。
総高30.5cm、像高27.9cm、臂張15.3cm、像奥7.1cm。
右手に錫杖を持ち、高下駄を履いて腰掛けている姿です。 -
聖徳太子像。
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白馬像。
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蔵王権現立像。
総高39.8cm、像高34.3cm、臂張16.6cm、像奥8.3cm。現在確認されている唯一の蔵王権現像で、とても貴重な圓空佛です。
髪を逆立て、右手を挙げ、左手は拳を握っています。右足を上げ、左足で全身を支えています。 -
徳夜叉明神像。
像高28.8cm、臂張15.8cm、像奥10.6cm。
逆三角形の顔、吊り上がった目が特徴的。背面には「徳夜叉明神」と墨書されています。 -
護法大善神像。
像高29.1cm、臂張17.8cm、裾奥10.6cm。
逆三角形の頭、くちばしのような顔、吊り上がった目が特徴的。背面には梵字で「護法大善神」と墨書されています。 -
本堂内の絵馬。
伊勢両宮御神楽之圖。下部には奉納者の名前が並んでいます。 -
草加宿の野口新右エ門が奉納した絵馬。
松尾芭蕉は深川から船に乗り、千住からは歩いたので、その距離は6里30丁でした。
初日とは言え、1日の歩行距離としてはかなり短めです。
曽良の記録で粕壁宿に泊まったことは確実とされていますが、宿泊場所はわかっていません。有力な候補地は2ヶ所あり、宿場の入り口に近い東陽寺か宿場を過ぎた観音院ではないかとされています。
翌日は、粕壁宿を出て杉戸宿、幸手宿、栗橋(中田)宿の関所を通り、利根川を渡り、古河宿、野木宿と進み間々田宿に泊まっています。粕壁宿から9里13丁20間であることを考えると、東陽寺よりも観音院に泊まったような気がしました。 -
しばらく雨宿りしていたら、雨が上がったので、もう少し歩いてみましょう。
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国道4号線をさらに北上すると、杉戸町との境界線が出てきました。今は杉戸町ですが、江戸時代は杉戸宿ではなく、本郷村でした。
標識の先には丸い玉が見えています。 -
ここは国道4号線と北緯36度線が交差する地点となっており、地球儀のモニュメントが設置されています。テヘラン、カラコルム、チンタオも北緯36度なんですね。
今はハラホラムといいますが、カラコルムに行ったモンゴル旅行の記憶を思い出しました。 -
この地球儀は回転しないので、FUKUJIROが回って日本付近を撮影しました。
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町の位置や歴史などが表示された案内板
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すきすきすぎーと36パーキング。
平成5年(1993年)3月に整備された休憩施設(無料駐車場)となっています。
その一角に地球儀が置かれています。 -
珍しくなった公衆電話ボックスがあります。
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飲食店もありました。
めし屋さんには「売り切れ」の表示がありました。 -
ガスが出ていますが、もう少し歩きます。
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広い敷地の民家がありました。
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敷地の柵には、大作桃塢(おおさくとうう)の生家という説明がありました。
大作桃塢は、天保12年(1841年)本郷村に生まれ、12歳になると百間村(宮代町)の西光院において、山科公子に漢詩を学び、後に江戸に出て、新井稲亭のもとで学問を修めて本郷村に戻りました。
そして、父・大作有隣の寺子屋である文蔚堂を引き継いで教育に努めました。
明治になっても「豊秋教舎」として引き続き教え、教えを受けた人は千人を超えるほどであったといいます。昭和2年(1927年)、87歳で亡くなりました。 -
割烹料理店に稲荷社がありました。
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道路の分岐に出ました。
左が旧日光街道、右は国道4号線です。 -
旧日光街道を進むと、九品寺(くほんじ)です。
金網のそばに石碑が建っています。 -
街道に面して地蔵堂があります。
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地蔵尊。
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六地蔵尊。
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満聚山 九品寺の本堂です。
曹洞宗のお寺で、御本尊は釈迦如来像です。 -
扁額は九品寺です。
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地蔵堂の隣に、日光街道の道標を兼ねた庚申塔があります。
ちょっと読めませんが、正面に「青面金剛」、左側面に「左 日光」、右側面に「右 江戸」と彫られているようです。
元は道路の向かい側にあったものを、移設されたようです。 -
天明4年(1784年)に堤根村の農民42人が費用を負担し、新川村(春日部市)の石工・星野常久が作りました。
このまま進むと昔の清地村を通り、その次が杉戸宿です。
杉戸宿には、天保の頃は旅籠が46軒もあったそうですが、現在は宿泊施設がありません。
明るいうちに最寄駅の姫宮駅まで歩き、電車で帰ることにしました。 -
九品寺の裏には大落古利根川が流れています。下流方向。
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大落古利根川の上流方向へ川沿いの道を歩きます。
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宮東橋を渡ります。
この辺りは大落古利根川を渡るための橋が少なく、上流の清地橋へは1,930m、下流の小渕橋へは2,700mも離れています。 -
宮東橋から上流方向。中央に見えている建物は、杉戸町で一番高いマンション・アールコード杉戸河壇(9階建)。
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田舎道を2km以上歩いて住宅地に入りました。
宮代町のマンホール蓋を見つけました。町の特産品である「ぶどう」を描き、中央には「み」をデザインした町標があります。 -
酒屋さんの店先には蛙の置物。
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東武伊勢崎線の姫宮駅に着きました。結構な距離を歩きました。
ここまで田舎の風景を見てきたので、斬新なデザインの駅舎にビックリしました。少し離れて見ると、スペースシャトルっぽいです。
春日部の旅は杉戸につながった所でお終いです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- pedaruさん 2025/05/29 05:12:53
- 町に歴史あり
- FUKUJIROさん おはようございます。
マイナーな街歩き、しかしそこにはキラッと光る歴史が息づいています。
円空仏がこんなに身近にあるとは知りませんでした。
ここの円空仏は丁寧な彫、大きさも一級、貴重な仏様です。
町を挙げて円空祭りをするなんて意識が高いですね。
次も期待しています。
pedaru
- FUKUJIROさん からの返信 2025/05/30 07:18:35
- Re: 町に歴史あり
- pedaruさん、こんにちは。
私も円空仏があることを全く知らなかったのですが、前日、春日部観光案内所で聞いてびっくりしました。
慌てて翌日に見て来ました。
他所で見た円空仏はガラスケースに納められていたので、見えにくかったです。
今回は、直に、しかもすぐ近くまで寄れたので、とても良かったです。
人が暮らすところには、必ず歴史がありますね。これからも街歩きを楽しみます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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