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杉戸の街歩き2日目です。<br />東武動物公園駅の東口から伸びる停車場通りを進み、旧日光街道を北へ向かって歩きます。

東武鉄道の開業七駅を歩いてみよう。(その6)杉戸2/2

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2025/05/25 - 2025/05/25

7位(同エリア846件中)

旅行記グループ 埼玉の旅その3

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2025/05/25

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杉戸の街歩き2日目です。
東武動物公園駅の東口から伸びる停車場通りを進み、旧日光街道を北へ向かって歩きます。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
  • かつてはこの辺りに脇本陣がありました。<br />本陣の東側の脇本陣は、蔦屋権左衛門・吉兵衛の跡です。

    かつてはこの辺りに脇本陣がありました。
    本陣の東側の脇本陣は、蔦屋権左衛門・吉兵衛の跡です。

  • 脇本陣の少し北側には、奥まった所に風格のある門が見えました。

    脇本陣の少し北側には、奥まった所に風格のある門が見えました。

  • 本陣跡(長瀬清兵衛)の門です。<br />杉戸宿では長瀬家がその任にあたり、建坪およそ166坪半であったと『宿村大概帳』にはあります。

    本陣跡(長瀬清兵衛)の門です。
    杉戸宿では長瀬家がその任にあたり、建坪およそ166坪半であったと『宿村大概帳』にはあります。

  • 本陣の西側には脇本陣・酒屋伝右衛門跡です。

    本陣の西側には脇本陣・酒屋伝右衛門跡です。

  • 旧日光街道。

    旧日光街道。

  • 旧日光街道の南側、路地の奥に鳥居が見えました。

    旧日光街道の南側、路地の奥に鳥居が見えました。

  • 愛宕神社の鳥居です。明治26年9月造立。

    愛宕神社の鳥居です。明治26年9月造立。

  • 鳥居の右手に藤棚がありました。。

    鳥居の右手に藤棚がありました。。

  • 鳥居はありませんが、南側が正門のようです。

    鳥居はありませんが、南側が正門のようです。

  • 古川橋竣工記念碑。昭和17年8月建立。

    古川橋竣工記念碑。昭和17年8月建立。

  • 左は力石、右にはさざれ石があったようです。<br />また、重軽石もあったようですが、なくなっています。

    左は力石、右にはさざれ石があったようです。
    また、重軽石もあったようですが、なくなっています。

  • 力石。

    力石。

  • 狛犬(阿形)。

    狛犬(阿形)。

  • 狛犬(吽形)。伊勢講の人たちが明治41年(1908年)に奉納しました。石工は島田吉蔵。<br />

    狛犬(吽形)。伊勢講の人たちが明治41年(1908年)に奉納しました。石工は島田吉蔵。

  • 愛宕神社の拝殿。<br />元は香取神社として、杉戸宿の鎮守でした。<br />明治の初めに愛宕神社を合祀しています。

    愛宕神社の拝殿。
    元は香取神社として、杉戸宿の鎮守でした。
    明治の初めに愛宕神社を合祀しています。

  • 鈴が三つ、銅鑼もあります。

    鈴が三つ、銅鑼もあります。

  • 扁額は、愛宕神社・香取神社の二社が併記されています。

    扁額は、愛宕神社・香取神社の二社が併記されています。

  • 伝承によると、宝永2年(1705年)の大水の際、香取神社の大銀杏の根元に愛宕様の像が流れてきたそうです。<br />愛宕様の像というのは、伊弉冉尊(いざなみのみこと)のことでしょうか。

    伝承によると、宝永2年(1705年)の大水の際、香取神社の大銀杏の根元に愛宕様の像が流れてきたそうです。
    愛宕様の像というのは、伊弉冉尊(いざなみのみこと)のことでしょうか。

  • 御神木の大銀杏。<br />災害の影響もあり大きな樹洞ができています。<br />愛宕様の伝承がある大銀杏のようで、樹齢は数百年でしょうか。

    御神木の大銀杏。
    災害の影響もあり大きな樹洞ができています。
    愛宕様の伝承がある大銀杏のようで、樹齢は数百年でしょうか。

  • 洞(うろ)の中に観音菩薩像が鎮座しています。

    洞(うろ)の中に観音菩薩像が鎮座しています。

  • 大銀杏の洞に鎮座する瑠璃観音像。<br />水辺に浮かぶ蓮華座に立ち、両手に持った瑠璃壺(香炉)から放たれる芳ばしい香りで災いや厄難を退け、あらゆる人々を救済する瑠璃観音です。

    大銀杏の洞に鎮座する瑠璃観音像。
    水辺に浮かぶ蓮華座に立ち、両手に持った瑠璃壺(香炉)から放たれる芳ばしい香りで災いや厄難を退け、あらゆる人々を救済する瑠璃観音です。

  • 御本殿。

    御本殿。

  • 左から、伊勢両宮の碑、明治33年再建。<br />聖徳太子の碑、文政13年5月吉日建立。<br />青麻神社の碑、明治33年再建。<br />天神碑。

    左から、伊勢両宮の碑、明治33年再建。
    聖徳太子の碑、文政13年5月吉日建立。
    青麻神社の碑、明治33年再建。
    天神碑。

  • 杉戸宿の高札場跡。<br />旧日光街道から関宿への分岐にあった上町の四郎兵衛屋敷内に高札場が建てられていました。伝承ではこの高札場で罪人の懲罰を行ったそうです。

    杉戸宿の高札場跡。
    旧日光街道から関宿への分岐にあった上町の四郎兵衛屋敷内に高札場が建てられていました。伝承ではこの高札場で罪人の懲罰を行ったそうです。

  • 渡辺金物店跡。<br />横町の名士・渡辺勘左衛門家の分家となった先々代が創業しました。<br />築100年以上の古民家は、杉戸町で取り組む「リノベーションまちづくり」事業によって再活用され、現在は「八百宿」という​シェアオフィス兼レンタルスペースとなりました。また、不定期ですがクラブ茶屋という地域文化交流会が催されています。

    渡辺金物店跡。
    横町の名士・渡辺勘左衛門家の分家となった先々代が創業しました。
    築100年以上の古民家は、杉戸町で取り組む「リノベーションまちづくり」事業によって再活用され、現在は「八百宿」という​シェアオフィス兼レンタルスペースとなりました。また、不定期ですがクラブ茶屋という地域文化交流会が催されています。

  • 丸井酒店。<br />江戸時代、酒造りを目的として越後から杉戸に移住をしてきた内山家が創業しました。<br />昭和初期まで酒造りを続けましたが、現在は酒小売&立ち呑みバーとなっています。店舗の奥には蔵が残されています。

    丸井酒店。
    江戸時代、酒造りを目的として越後から杉戸に移住をしてきた内山家が創業しました。
    昭和初期まで酒造りを続けましたが、現在は酒小売&立ち呑みバーとなっています。店舗の奥には蔵が残されています。

  • 杉戸宿の北側が枡形となっている場所に古民家があります。

    杉戸宿の北側が枡形となっている場所に古民家があります。

  • 角穀跡。二代目小島定右衛門が創業した米穀問屋でした。米の輸送には、大落古利根川を利用していました。

    角穀跡。二代目小島定右衛門が創業した米穀問屋でした。米の輸送には、大落古利根川を利用していました。

  • 屋号は、街道の角にある米穀問屋を意味しています。江戸の米相場を見ながら取引を行っていたと伝わっています。<br />この表蔵の奥にも3つの蔵が残っています。

    屋号は、街道の角にある米穀問屋を意味しています。江戸の米相場を見ながら取引を行っていたと伝わっています。
    この表蔵の奥にも3つの蔵が残っています。

  • 杉戸山 宝性院の石柱門です。<br />参道の奥に朱塗りの山門が見えます。

    杉戸山 宝性院の石柱門です。
    参道の奥に朱塗りの山門が見えます。

  • 宝性院の門前に、奥の細道三十三カ所霊場(左)、弘法大師新四国八十八箇所霊場(右)、の石碑があります。

    宝性院の門前に、奥の細道三十三カ所霊場(左)、弘法大師新四国八十八箇所霊場(右)、の石碑があります。

  • 観音堂。参道の右手にあります。

    観音堂。参道の右手にあります。

  • 観音堂での写経の様子。境内の掲示板より複写。

    観音堂での写経の様子。境内の掲示板より複写。

  • 観音堂での寺ヨガ。境内の掲示板より複写。<br />仏教もヨガもインド発祥ですから、相応しいでしょう。

    観音堂での寺ヨガ。境内の掲示板より複写。
    仏教もヨガもインド発祥ですから、相応しいでしょう。

  • 山門手前の様子。

    山門手前の様子。

  • 宝性院の山門。<br />明和5年(1768年)に諦宥和尚の代に建立された門で、通称赤門と呼ばれています。<br />

    宝性院の山門。
    明和5年(1768年)に諦宥和尚の代に建立された門で、通称赤門と呼ばれています。

  • 山門右脇に青面金剛像庚申塔。<br />中央と右の庚申塔には青面金剛と金剛に踏みつけられる邪鬼、その下に三猿が彫られています。

    山門右脇に青面金剛像庚申塔。
    中央と右の庚申塔には青面金剛と金剛に踏みつけられる邪鬼、その下に三猿が彫られています。

  • 金剛に踏みつけられる邪鬼、三猿。

    金剛に踏みつけられる邪鬼、三猿。

  • 不動堂修築記念碑(左)、不動堂改修記念の碑(右)。

    不動堂修築記念碑(左)、不動堂改修記念の碑(右)。

  • 境内の様子。<br />江戸時代には寺子屋が設けられ、明治5年にはそのまま小学校になったそうです。

    境内の様子。
    江戸時代には寺子屋が設けられ、明治5年にはそのまま小学校になったそうです。

  • 六地蔵尊。

    六地蔵尊。

  • 宝性院の不動堂。<br />幸手城主の一色義直が永禄3年(1560年)に不動堂を建立し安産不動明王を安置したことが宝性院の始まりといわれています。<br />安政4年(1857年)、成田山新勝寺(千葉県成田市)の不動明王と諸法山菅谷寺(新潟県新発田市)の不動明王を勧請し、不動明王三尊が祀られています。

    宝性院の不動堂。
    幸手城主の一色義直が永禄3年(1560年)に不動堂を建立し安産不動明王を安置したことが宝性院の始まりといわれています。
    安政4年(1857年)、成田山新勝寺(千葉県成田市)の不動明王と諸法山菅谷寺(新潟県新発田市)の不動明王を勧請し、不動明王三尊が祀られています。

  • 不動堂の扁額は、武田信玄の子孫である武田侍従信之(高家旗本)の揮毫です。<br />

    不動堂の扁額は、武田信玄の子孫である武田侍従信之(高家旗本)の揮毫です。

  • 堂内の彫刻。

    堂内の彫刻。

  • 不動明王は見えません。

    不動明王は見えません。

  • 絵馬。

    絵馬。

  • 真言宗智山派の杉戸山 宝生院 不動寺の本堂です。<br />元和2年(1616年)に教識和尚が入山して宝性院第一世となり、杉戸宿本陣の庇護を受けて本堂を建立、御本尊・大日如来をお祀りしました。<br />本堂は関東大震災で大破し、昭和9年(1934年)に再建しました。平成17年(2005年)に大改修が行われ、堂内に十三仏が安置されました。

    真言宗智山派の杉戸山 宝生院 不動寺の本堂です。
    元和2年(1616年)に教識和尚が入山して宝性院第一世となり、杉戸宿本陣の庇護を受けて本堂を建立、御本尊・大日如来をお祀りしました。
    本堂は関東大震災で大破し、昭和9年(1934年)に再建しました。平成17年(2005年)に大改修が行われ、堂内に十三仏が安置されました。

  • 扁額は杉戸山。<br />御本尊は胎蔵の大日如来坐像です。<br />本堂内には十三仏(不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩)が安置されています。

    扁額は杉戸山。
    御本尊は胎蔵の大日如来坐像です。
    本堂内には十三仏(不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩)が安置されています。

  • 御本尊は大日如来像。

    御本尊は大日如来像。

  • いろはもみじ。

    いろはもみじ。

  • 鐘楼堂は平成4年(1992年)に檀徒の寄進により再建されました。

    鐘楼堂は平成4年(1992年)に檀徒の寄進により再建されました。

  • 梵鐘は大東亜戦争中に供出されたため、昭和28年(1953年)に第十二世真祐和尚が世界平和を願い「一打鐘声萬民和楽」と記して鋳造されました。

    梵鐘は大東亜戦争中に供出されたため、昭和28年(1953年)に第十二世真祐和尚が世界平和を願い「一打鐘声萬民和楽」と記して鋳造されました。

  • 布施愛三君布施浄雲君墓碑(左)。<br />布施愛三、海雲の親子は杉戸尋常小学校で教師を務めましたが、愛三氏は明治41年1月2日に没し、浄雲氏は明治43年3月12日に22歳で没しました。<br />教師や生徒が墓碑を建立しました。<br /><br />快良筆子塚(中央)。<br />快晄、快良は江戸末期から明治初期に宝性院住職を勤め、新勝寺不動明王と菅谷寺不動明王を勧請してお不動さまの信仰を広めました。<br />この筆子塚は寺子屋の生徒(筆子または寺子と呼ばれた)が師匠への感謝のために建てた墓碑です。<br />台座には筆子16名と発起人12名の名前が刻まれています。明治12年2月28日建立。<br /><br />杉戸町初代町長 渡邊徳太郎氏墓石(右手前)。<br />渡邊徳太郎は宝性院の寺子屋で学び、明治22年4月の市制・町村制法により杉戸町の初代町長に就任しました。町民教育の重要性を認識し、清地の来迎院境内に葛飾高等学校を開設しました。明治24年1月30日没、享年42歳。

    布施愛三君布施浄雲君墓碑(左)。
    布施愛三、海雲の親子は杉戸尋常小学校で教師を務めましたが、愛三氏は明治41年1月2日に没し、浄雲氏は明治43年3月12日に22歳で没しました。
    教師や生徒が墓碑を建立しました。

    快良筆子塚(中央)。
    快晄、快良は江戸末期から明治初期に宝性院住職を勤め、新勝寺不動明王と菅谷寺不動明王を勧請してお不動さまの信仰を広めました。
    この筆子塚は寺子屋の生徒(筆子または寺子と呼ばれた)が師匠への感謝のために建てた墓碑です。
    台座には筆子16名と発起人12名の名前が刻まれています。明治12年2月28日建立。

    杉戸町初代町長 渡邊徳太郎氏墓石(右手前)。
    渡邊徳太郎は宝性院の寺子屋で学び、明治22年4月の市制・町村制法により杉戸町の初代町長に就任しました。町民教育の重要性を認識し、清地の来迎院境内に葛飾高等学校を開設しました。明治24年1月30日没、享年42歳。

  • 参道右手に立つ弘法大師像、摩尼車、毘沙門天像、馬頭観音像。

    参道右手に立つ弘法大師像、摩尼車、毘沙門天像、馬頭観音像。

  • 修行大師像。

    修行大師像。

  • 摩尼車。<br />「摩尼」とは摩尼宝珠とも、知意宝珠とも言われ、意のままに宝を出すと言われる珠のことです。仏様の徳にたとえたり、お経の功徳にたとえたりします。<br />一回まわせば、お経を一巻読んだのと同じ功徳が持られる言われています。摩尼車にかるく手をあて、次の経文を唱えながら手前に回して下さい。<br />羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

    摩尼車。
    「摩尼」とは摩尼宝珠とも、知意宝珠とも言われ、意のままに宝を出すと言われる珠のことです。仏様の徳にたとえたり、お経の功徳にたとえたりします。
    一回まわせば、お経を一巻読んだのと同じ功徳が持られる言われています。摩尼車にかるく手をあて、次の経文を唱えながら手前に回して下さい。
    羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

  • 日光街道すぎと七福神の毘沙門天像をお祀りしています。

    日光街道すぎと七福神の毘沙門天像をお祀りしています。

  • 文化7年(1810年)建立の「日光道中」と刻まれた道標です。<br />上部に馬頭観音像があり、日光街道で一番大きい馬頭観音像とされています。

    文化7年(1810年)建立の「日光道中」と刻まれた道標です。
    上部に馬頭観音像があり、日光街道で一番大きい馬頭観音像とされています。

  • 道標。

    道標。

  • 馬頭観音像。

    馬頭観音像。

  • 宝性院を辞して旧日光街道に出ると、路地の東側には「東京駅」の看板が見えました。

    宝性院を辞して旧日光街道に出ると、路地の東側には「東京駅」の看板が見えました。

  • 近寄っても、やはり東京駅です。<br />グーグルマップによると、地元の食堂のようですが、「本日休業」の札が出ていました。メニューやサンプルもなく、詳細不明です。

    近寄っても、やはり東京駅です。
    グーグルマップによると、地元の食堂のようですが、「本日休業」の札が出ていました。メニューやサンプルもなく、詳細不明です。

  • 旧日光街道を進むと、石垣の先に大きな屋敷が見えてきました。

    旧日光街道を進むと、石垣の先に大きな屋敷が見えてきました。

  • 渡辺勘左衛門邸です。<br />享保7年(1722年)に杉戸宿に移り住んで以来、現在九代目の渡辺勘左衛門家は、江戸中期以降、 一目置かれている杉戸宿の旧家です。かつては広大な農地を所有し、多数の小作人を抱えていました。

    渡辺勘左衛門邸です。
    享保7年(1722年)に杉戸宿に移り住んで以来、現在九代目の渡辺勘左衛門家は、江戸中期以降、 一目置かれている杉戸宿の旧家です。かつては広大な農地を所有し、多数の小作人を抱えていました。

  • 明治7年には質屋を営業していた記録が残り、明治33年(1900年)、杉戸銀行(埼玉銀行の前進の一つ)の設立に関与しました。杉戸尋常小学校や杉戸高等小学校の設立に際して多額の支援を行いました。

    明治7年には質屋を営業していた記録が残り、明治33年(1900年)、杉戸銀行(埼玉銀行の前進の一つ)の設立に関与しました。杉戸尋常小学校や杉戸高等小学校の設立に際して多額の支援を行いました。

  • 渡辺勘左衛門邸。<br />明治9年(1876年)、五代目勘左衛門が第六区杉戸宿副戸長に就任、昭和4年(1929年)には六代目が第10代杉戸町町長、昭和8年(1933年)には、七代目が第12代町長を務めました。

    渡辺勘左衛門邸。
    明治9年(1876年)、五代目勘左衛門が第六区杉戸宿副戸長に就任、昭和4年(1929年)には六代目が第10代杉戸町町長、昭和8年(1933年)には、七代目が第12代町長を務めました。

  • 道標。<br />街道に少し戻ったところに新しい道標が建っています。

    道標。
    街道に少し戻ったところに新しい道標が建っています。

  • 次の久喜駅を目指して歩きます。

    次の久喜駅を目指して歩きます。

  • しばらく進むと石柱門がありました。

    しばらく進むと石柱門がありました。

  • この境内には複数の神社が鎮座されています。

    この境内には複数の神社が鎮座されています。

  • こちらは稲荷神社。<br />

    こちらは稲荷神社。

  • お狐様ではなく、狛犬(阿形)。

    お狐様ではなく、狛犬(阿形)。

  • 狛犬(吽形)。

    狛犬(吽形)。

  • 朱塗りの鳥居には稲荷大神の額が掲げられています。

    朱塗りの鳥居には稲荷大神の額が掲げられています。

  • こちらは厳島神社。<br />御祭神は宇賀弁財天です。<br />手前の常夜燈は、明治13年(1880年)建立。

    こちらは厳島神社。
    御祭神は宇賀弁財天です。
    手前の常夜燈は、明治13年(1880年)建立。

  • 御神木。

    御神木。

  • 金刀比羅宮のようです。

    金刀比羅宮のようです。

  • 境内の南側に富士塚があります。

    境内の南側に富士塚があります。

  • そして、麓には杉戸富士浅間神社が鎮座します。<br />

    そして、麓には杉戸富士浅間神社が鎮座します。

  • 富士山本宮浅間大社の分霊が祀られています。<br />御祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です。

    富士山本宮浅間大社の分霊が祀られています。
    御祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です。

  • 浅間神社では、毎年7月1日に初山が行われ、子供の健やかな成長を祈願します。<br />塚の高さは約4m。

    浅間神社では、毎年7月1日に初山が行われ、子供の健やかな成長を祈願します。
    塚の高さは約4m。

  • 富士塚にはいろいろな石碑が建っています。<br />大日如来の碑。嘉永6年5月建立。

    富士塚にはいろいろな石碑が建っています。
    大日如来の碑。嘉永6年5月建立。

  • 楕円形の石碑は、昭和33年の大落古利根川改修工事の際に川底から出てきたそうです。

    楕円形の石碑は、昭和33年の大落古利根川改修工事の際に川底から出てきたそうです。

  • 芭蕉句碑。<br />八九間 <br />空で雨ふる<br />柳哉<br />(はせ越)<br />はせ越は、芭蕉翁のこと。<br /> おくのほそ道では、杉戸宿についての記載はなく、この碑が建てられた経緯も不明です。

    芭蕉句碑。
    八九間 
    空で雨ふる
    柳哉
    (はせ越)
    はせ越は、芭蕉翁のこと。
    おくのほそ道では、杉戸宿についての記載はなく、この碑が建てられた経緯も不明です。

  • 山腹から頂上を見上げます。

    山腹から頂上を見上げます。

  • 頂上には富士大權現の石碑が祀られています。弘化3年(1846年)丙午5月建立。

    頂上には富士大權現の石碑が祀られています。弘化3年(1846年)丙午5月建立。

  • 山頂から南東方向の眺めです。<br />冬季なら大落古利根川の向こうに富士山が見えるかもしれません。

    山頂から南東方向の眺めです。
    冬季なら大落古利根川の向こうに富士山が見えるかもしれません。

  • 曇り空のため富士山は見えませんが、建物の間から東武鉄道の電車が見えました。

    曇り空のため富士山は見えませんが、建物の間から東武鉄道の電車が見えました。

  • 久喜駅までは約6.5kmあります。<br />頑張れば歩ける距離ですが、葦が茂る川沿いの道を歩いて東武動物公園駅に向かいます。

    久喜駅までは約6.5kmあります。
    頑張れば歩ける距離ですが、葦が茂る川沿いの道を歩いて東武動物公園駅に向かいます。

  • 駅舎から見える東武動物公園駅前の西口ロータリーです。<br />画面の中央右寄りに、東武動物公園の新滑空水上コースター・カワセミが見えています。<br />杉戸の街歩きを終えて、このシリーズ最後の久喜へ続きます。<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    駅舎から見える東武動物公園駅前の西口ロータリーです。
    画面の中央右寄りに、東武動物公園の新滑空水上コースター・カワセミが見えています。
    杉戸の街歩きを終えて、このシリーズ最後の久喜へ続きます。
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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