2025/02/01 - 2025/02/01
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越ヶ谷七邑の総鎮守である久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、平安時代中期以降には武蔵七党の一つである私市党(騎西党)の崇敬も篤く、除災招福の神として武士や庶民の信仰を集めてきました。
応仁年間には伊豆国宇佐美の領主である宇佐美三八郎重之が埼玉郡騎西の地を領するところとなり、久伊豆神社に古刀を奉献し、篤く尊崇したといいます。
近世に入ると徳川将軍家も篤く崇敬し、二代将軍秀忠公、三代将軍家光公も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝えられています。
また現在の越谷市の中核となった元の四丁野村(宮本町)、越ケ谷宿、大沢町、瓦曽根町、神明下村、谷中村、花田村の七ケ所の総鎮守とされていました。
江戸時代から有名な神社にも関わらず、不思議なことに芭蕉翁が立ち寄った記録はありません。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
-
元荒川。
かつては荒川の本流であり、近世以前には利根川へ合流していました。
江戸の治水対策を命じられた伊奈忠治は、寛永6年(1629年)に荒川本流から切り離しました。同時期に蛇行した流路を整備しています。 -
大沢橋の南側、元荒川右岸に巨木が立っています。
この場所には、越ケ谷本町に移転した市神神明社が鎮座しており、この巨木は御神木でした。
その当時の市神神明社社殿は、旧出羽尋常高等小学校(越谷市谷中)にあった御真影奉安殿を移築したものと言われていました。 -
元荒川沿いを歩きます。
-
越谷御殿跡。越谷市指定旧跡です。
信濃の豪族・海野一族から分れたとされる会田出羽資久の祖先はこの地に土着し、資久は、それまで出羽陣屋と呼ばれていた敷地を徳川家康公に寄進し、慶長9年(1604年)におよそ六町歩の壮大な越ヶ谷御殿を築造しました。
この功により、家康公は越ヶ谷中町の三町四反三畝十二歩を会田家に与え、年貢は免除しました。資久とその子孫は越ケ谷の開発に尽力、その後は越ヶ谷宿の要職を勤めていました。
よろしければ、北國街道の海野宿を散策した旅行記をご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11903040 -
越ヶ谷御殿跡の碑。平成10年建立。
家康公は、しばしばこの越ヶ谷御殿に宿泊し、鷹狩りを行いました。
晩年の慶長18年(1613年)には3度も訪れ、1日に鶴を19羽も捕捉したとあります。
また、秀忠公も越ヶ谷御殿を訪れ、1ヶ月にわたり鷹狩りに興じていたと伝わります。
明暦3年(1657年) 1月、江戸の大火で江戸城が焼失したことから、越ヶ谷御殿を解体して運び、江戸城二の丸として再建しました。
御殿の遺構はありませんが、「御殿町」という地名を残しています。 -
小道を進むと石碑があります。
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建長元年板碑。
鎌倉時代の建長元年(1249年)銘が刻まれた板碑で、秩父の緑泥片岩で造られています。
越谷市最大最古の板碑で越谷市指定有形文化財です。高さ155cm、幅56cm。種子(仏をあらわした梵字)は弥陀一仏です。
板碑については、埼玉県立歴史と民俗の博物館を見学した旅行記をご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11783273 -
近くには鳥居のあるお社がありました。
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ちょっと変わった額が掲げられています。
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元荒川にかかる宮前橋です。
かつては地続きの土地でしたが、元荒川の流路改修により、切り離されました。
かつては寺橋と呼ばれていましたが、寺橋は取り壊され、昭和34年にコンクリート造りの宮前橋を竣工。
現在の宮前橋は平成15年に竣工、橋長70m、幅6mの歩行者・自転車専用の橋です。 -
寺橋由来の碑。
天獄寺前の河川改修に伴って、切り離された越ヶ谷町との通行利便のために天獄寺第四世城譽上人(正親町天皇第三皇子)の発願により橋が架けられました。天獄寺は越ヶ谷町唯一の寺であったため、寺橋と呼ばれていました。 -
注連縄のある参道入り口。
久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、元荒川流域を中心に広がっています。
かつて「久伊豆明神」と称していた埼玉県加須市に鎮座する玉敷神社が総本社とされています。 -
社号標。
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総鎮守七邑の碑。
天保6年(1835年)9月に建立。 -
注連縄。
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一の鳥居。
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石畳の参道。
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参道の左手には越谷アリタキ植物園があります。植物学者の故有瀧龍雄氏の植物園だった所を、寄贈を受けた市が整備しました。
約9,000m2の園内には、市の天然記念物である北米原産「ラクウショウ」や、幹周り4メートル以上もある「シナサワグルミ」など、亜熱帯に近い暖温帯性に生育する樹木を中心に約320種、1,000本もの樹木があります。大人100円。 -
参道は樹叢の中を進みます。
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二の鳥居。
手前に祓え橋があります。 -
二の鳥居を過ぎると、参道の左手には緑の森公園があります。
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参道の途中に埼玉稲荷神社があります。
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塀で囲われた中に進みます。
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天皇陛下御在位六十年記念の碑。
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幟台。
明治16年(1883年)に宮本町の氏子から寄進されました。 -
宮本町幟台移設記念の碑。
以前、幟台は第三鳥居の横にありましたが、境内整備に伴い、平成7年に移設されました。 -
土井晩翠の歌碑。昭和17年10月の建立。
氣吹(いぶき)の屋
いつのみ霊(たま)の宿れりし
あとなつかしき
越ヶ谷のさと
晩翠は明治期の詩人で、瀧廉太郎が作曲した「荒城の月」の作詞を行いました。 -
平田篤胤遺徳の碑。こちらも昭和17年10月の建立。
平田篤胤の功績を讃える碑文が刻まれています。
文末に「先生の学と徳とを慕う人に相謀りて碑をその曾遊の地久伊豆神社の境に建て以て芳躅を永世に伝へむとす誠に美学と云うべしここにその大要を読して永く遺徳を偲ばむとす」と結んでいます。
境内には、埼玉県指定旧跡となっている平田篤胤仮寓跡もあります。 -
誠忠碑。
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戰捷記念碑。
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社号柱と三の鳥居。
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三の鳥居。
一の鳥居からは約350mあります。
第61回神宮式年遷宮で伊勢神宮より撤下された皇大神宮の内宮板垣南御門の古材を拝領し、平成7年9月に建立されました。
太さ約60cmの木曽檜材を用いた、高さ7.5m、幅8.5mの鳥居です。 -
皇太神宮板垣南御門拝領記念の碑。
当時の埼玉県知事土屋義彦の筆。 -
久伊豆神社の藤(県指定天然記念物)。
天保8年(1837年)、越ヶ谷の住人川鍋国蔵が下総国流山から樹齢50年の株を舟で運び、当地に移植したものといわれています。また平田篤胤の門人が奉納したとも伝わります。
樹齢およそ240年と推定されます。 -
この藤は、株廻り7m余り、地際から7本に分かれて、高さ2.7mの棚に枝を広げています。枝張りは東西20m、南北30mほど。
花期は毎年5月初旬が見ごろです。 -
手水舎。延宝3年(1675年)の建造。平成28年に改修しました。
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手水舎の彫刻「登竜門」。
龍門は中国黄河中流にある有名な険所であり、この急流を登ることができた鯉は龍になると古来より伝えられています。 -
参道が続きます。
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神楽殿。年4回、神明神楽連中が神楽を奉納しています。
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参集殿。
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阿茄獅子(阿形)。
文政10年(1827年)、会田出羽資久の子孫会田平兵衛資武が奉納しました。 -
阿茄獅子(吽形)。
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外拝殿です。
久伊豆神社の主祭神は、
久伊豆大明神
大国主命
言代主命(ことしろぬしのみこと)大国主命の御子神
の三柱です。
配祀として
大国主命の御女子神である高照姫命(たかてるひめのみこと)
言代主命の御妃である溝咋姫命(みぞくいひめのみこと)
皇祖天照大御神の第二の御子であり、出雲国造の祖先神である天穂日命(あめほひのみこと)
の三柱を奉斎しています。
昭和55年(1980年)11月建立。 -
御本殿。
寛政元年(1789年)に建造された三間社流造りです。 -
江戸後期の国学者平田篤胤大人が奉納した「天岩戸の図」一面(複製)が張り出されています。「此天岩屋戸図者探考古書自図令画工山里貞由写者也 文政三庚辰七月九日 平田篤胤」 と記されています。
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社殿の奥に摂末社があります。
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本殿後方に6社あります。
・稲荷神社
・諏訪神社
・五前神社
・天満宮
・三峯社
・御嶽神社 -
本殿後方に6社あります。
・稲荷神社
・諏訪神社
・五前神社
・天満宮
・三峯社
・御嶽神社 -
その脇には八坂神社があります。
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旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遙拝殿。
かつて現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域は、国際連盟から大日本帝国に委任統治を託されていました。
コロール島には日本人入植者などの信仰を集めた南洋神社が建立されていました。
彼の地を偲ぶ遙拝殿を建立、平成16年(2004年)4月11日の竣工奉祝祭にはパラオのトミー・レメンゲサウ大統領も出席しました。 -
久伊豆神社の本宗である伊勢神宮の南洋における分社であったことと、土屋義彦埼玉県知事(1992年~2003年在任)が遺骨収集団団長としてパラオを訪問していたことが縁でこの地に建立が決まりました。
-
御霊水。
もとは境内の湧水でしたが、関東大震災の後地下の水位が下がり、自噴しなくなったため、現在は地下約250~300mの深層から汲み上げています。 -
飲用できます。真冬の地下水はとても暖かくてペットボトルに入れました。
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神池。
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榛名神社の碑。
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祖霊社の碑。
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木遣り歌碑。
御神木などの建築用木材を運ぶ際に木遣りが唄われました。
越谷の木遣りは江戸開府以後当地に伝えられたとされます。
この記念碑は、木遣りを継承、保存する「越谷市木遣保存会」が建立しました。 -
巨大な石灯籠がありました。
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祖霊社。
平成18年、神池の南側の一画に建てられ、ご本社とは勿論、他の境内摂末社とも截然と区別された森中の厳なる域内にあります。
古来、「敬神崇祖」が神道の根本的信仰です。 -
神池の小島に水神社があります。
水波能売命(みつはのめのかみ)を祀っています。 -
埼玉県指定旧跡となっている平田篤胤仮寓跡です。
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神池。およそ1,000m2です。
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越谷吾山句碑。
出る日の
旅のころもや
はつかすみ
俳人・国学者の越谷吾山は、享保2年(1717年)、越ヶ谷宿新町の名主・会田家に生まれました。安永4年(1775年)に諸国の方言を分類、解説した「諸国方言物類称呼」を著し、方言学の祖とされています。
また、俳諧の師匠としても法橋の位を授けられ、曲亭馬琴の俳句の師でもありました。
この句碑は、高さ1.15m、幅98cm、厚さ最大27cmの自然石で、嘉永2年(1849年)1月に建立されました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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