東松山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
秋の恒例行事となりつつある「都道府県魅力度ランキング2025」が発表されて、埼玉県がとうとう47位を獲得しました。これまで46位になったことがあるものの、たぶん多くの埼玉県民が密かに期待していたであろう初の47位達成です。<br />来年には埼玉県民となって60年となるFUKUJIROも、埼玉県内の知られざるスポットを発信したいと思います。<br />そんなことを思いつつ仕事のため東松山市民文化センターに行ったところ、彫刻家・高田博厚の作品群を目にしたので、サクッとまとめました。<br />高田博厚(TAKATA HIROATSU (1900~1987年))は、日本を代表する彫刻家・思想家・随筆家です。<br />熱心なクリスチャンであった母の影響を受けていた高田博厚は、12歳で洗礼を受けました。少年時代から文学や芸術に目ざめ、大正7年、18歳で上京して高村光太郎と出会い、彫刻の道に入りました。<br />昭和6年(満州事変の年)、31歳のときに妻と4人の子を残して渡仏し、スイスのロマン・ロランの家に滞在していたマハトマ・ガンジーをスケッチしたこともあります。キリスト教的な思考が可能であったことからヨーロッパの優れた知識人と交流し、第二次世界大戦を潜り抜けて活動し、27年近くパリに滞在し57歳で帰国しました。<br />その後も精力的に創作活動を続け、晩年は鎌倉にアトリエ兼住居を建て、86歳でその生涯を閉じました。<br />ところで、元東松山市教育長の田口弘氏は、高村光太郎と親交があったことから昭和40年(1965年)の高村光太郎を偲ぶ連翹忌(れんぎょうき)において高田博厚と出会い、そこから親交を深めていきました。<br />そんな縁から東松山市では、1986年~1994年にまちづくりのシンボルとして東武東上本線高坂駅の西口から約1kmにわたって高田博厚の彫像作品を屋外展示する事業を実施しました。

東松山市民文化センターで高田博厚の作品を観ました

134いいね!

2025/10/25 - 2025/10/25

4位(同エリア787件中)

旅行記グループ 埼玉の旅その3

0

32

FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2025/10/25

  • 東武東上本線の東松山駅で下車

  • 17、18分歩く

この旅行記スケジュールを元に

秋の恒例行事となりつつある「都道府県魅力度ランキング2025」が発表されて、埼玉県がとうとう47位を獲得しました。これまで46位になったことがあるものの、たぶん多くの埼玉県民が密かに期待していたであろう初の47位達成です。
来年には埼玉県民となって60年となるFUKUJIROも、埼玉県内の知られざるスポットを発信したいと思います。
そんなことを思いつつ仕事のため東松山市民文化センターに行ったところ、彫刻家・高田博厚の作品群を目にしたので、サクッとまとめました。
高田博厚(TAKATA HIROATSU (1900~1987年))は、日本を代表する彫刻家・思想家・随筆家です。
熱心なクリスチャンであった母の影響を受けていた高田博厚は、12歳で洗礼を受けました。少年時代から文学や芸術に目ざめ、大正7年、18歳で上京して高村光太郎と出会い、彫刻の道に入りました。
昭和6年(満州事変の年)、31歳のときに妻と4人の子を残して渡仏し、スイスのロマン・ロランの家に滞在していたマハトマ・ガンジーをスケッチしたこともあります。キリスト教的な思考が可能であったことからヨーロッパの優れた知識人と交流し、第二次世界大戦を潜り抜けて活動し、27年近くパリに滞在し57歳で帰国しました。
その後も精力的に創作活動を続け、晩年は鎌倉にアトリエ兼住居を建て、86歳でその生涯を閉じました。
ところで、元東松山市教育長の田口弘氏は、高村光太郎と親交があったことから昭和40年(1965年)の高村光太郎を偲ぶ連翹忌(れんぎょうき)において高田博厚と出会い、そこから親交を深めていきました。
そんな縁から東松山市では、1986年~1994年にまちづくりのシンボルとして東武東上本線高坂駅の西口から約1kmにわたって高田博厚の彫像作品を屋外展示する事業を実施しました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩
  • 東武東上本線の東松山駅です。<br />大正12年(1923年)10月1日、東武東上本線の武州松山駅として開業。昭和29年東松山駅に改称。<br />昭和48年に3代目となる現在の橋上駅舎が竣工しました。

    東武東上本線の東松山駅です。
    大正12年(1923年)10月1日、東武東上本線の武州松山駅として開業。昭和29年東松山駅に改称。
    昭和48年に3代目となる現在の橋上駅舎が竣工しました。

  • 東松山駅は東京駅や深谷駅を思わせる赤レンガ作りの外観です。<br />駅舎の屋根の上には、鐘も設置されています。<br />ちなみに東松山市は平成20年にオランダヘルダーラント州ナイメーヘン市と姉妹都市提携し、レンガ造りの町並みをイメージする事業を進めているそうです。

    東松山駅は東京駅や深谷駅を思わせる赤レンガ作りの外観です。
    駅舎の屋根の上には、鐘も設置されています。
    ちなみに東松山市は平成20年にオランダヘルダーラント州ナイメーヘン市と姉妹都市提携し、レンガ造りの町並みをイメージする事業を進めているそうです。

  • 東松山市のマンホール蓋。<br />市の花である「ぼたん」をデザインし、中央に市章を配しています。

    東松山市のマンホール蓋。
    市の花である「ぼたん」をデザインし、中央に市章を配しています。

  • 市章は、昭和29年7月1日の市制施行に際し、公募により9月13日付けで当選したものです。市章のデザインは、松山のマの頭文字を組合せて全体的に「東」を形造り、中央より3方へ分れる山型の線をもって「山」の文字を表現しています。<br />

    市章は、昭和29年7月1日の市制施行に際し、公募により9月13日付けで当選したものです。市章のデザインは、松山のマの頭文字を組合せて全体的に「東」を形造り、中央より3方へ分れる山型の線をもって「山」の文字を表現しています。

  • 何やら目立つ建物ですが、GoogleマップやYahooマップには出ていません。

    何やら目立つ建物ですが、GoogleマップやYahooマップには出ていません。

  • こちらが東松山市民文化センターです。<br />東松山駅から歩いて17、18分といったところ。<br />昭和51年(1976年)に竣工、平成12年(2000年)にリニューアルし、名称も東松山市民文化センターに変わりました。敷地面積は約14,000m2。

    こちらが東松山市民文化センターです。
    東松山駅から歩いて17、18分といったところ。
    昭和51年(1976年)に竣工、平成12年(2000年)にリニューアルし、名称も東松山市民文化センターに変わりました。敷地面積は約14,000m2。

  • 入り口にある大きなモニュメント。<br />掲示板ではないでしょうが、謎です。

    入り口にある大きなモニュメント。
    掲示板ではないでしょうが、謎です。

  • 鉄筋コンクリート造り3階建、延床面積は約5,600m2です。<br />1,200席のホールや大小会議室、スタジオ等を備えています。会場使用料金がとても安い施設です。

    鉄筋コンクリート造り3階建、延床面積は約5,600m2です。
    1,200席のホールや大小会議室、スタジオ等を備えています。会場使用料金がとても安い施設です。

  • 2本の鋼鉄製のモニュメント。

    2本の鋼鉄製のモニュメント。

  • 東松山市民文化センターのエントランスには多数の彫像等が展示されていました。<br />すべて高田博厚氏の作品です。<br />着衣の女(ブロンズ)、1979年鎌倉。

    東松山市民文化センターのエントランスには多数の彫像等が展示されていました。
    すべて高田博厚氏の作品です。
    着衣の女(ブロンズ)、1979年鎌倉。

  • 裸婦座像、1976年鎌倉。

    裸婦座像、1976年鎌倉。

  • 女のマスク、1961年。

    女のマスク、1961年。

  • 草東、1970年鎌倉。

    草東、1970年鎌倉。

  • アンリエットHennette、1938年パリ。<br />この年、巴里日本美術家協会を設立しました。

    アンリエットHennette、1938年パリ。
    この年、巴里日本美術家協会を設立しました。

  • 岩波茂雄(1881~1940、岩波書店創業者)。<br />神田の古本屋から会社を起こし、夏目漱石の「こころ」を処女出版するなどして、今日の岩波書店を築きあけました。大正5年(1916年)、出版業界で初めて文化勲章を受章しました。<br />岩波茂雄は、高村光太郎の推薦で高田博厚にコンディヴィ著「ミケランジェロ伝」の訳出を依頼し、刊行しました。

    岩波茂雄(1881~1940、岩波書店創業者)。
    神田の古本屋から会社を起こし、夏目漱石の「こころ」を処女出版するなどして、今日の岩波書店を築きあけました。大正5年(1916年)、出版業界で初めて文化勲章を受章しました。
    岩波茂雄は、高村光太郎の推薦で高田博厚にコンディヴィ著「ミケランジェロ伝」の訳出を依頼し、刊行しました。

  • 高橋元吉(1893~1965、詩人)。<br />代表作は「遠望」。大正10年(1921年)、高田博厚は前橋で初めて高橋元吉に出会うと、お互いの精神の同一性を認め、以降親密な関係を築きました。<br />高橋の死後、その面影を思い起こしながら肖像を制作しました。この作品は、高坂彫刻プロムナードに設置されている高橋元吉像とは異なっています。

    高橋元吉(1893~1965、詩人)。
    代表作は「遠望」。大正10年(1921年)、高田博厚は前橋で初めて高橋元吉に出会うと、お互いの精神の同一性を認め、以降親密な関係を築きました。
    高橋の死後、その面影を思い起こしながら肖像を制作しました。この作品は、高坂彫刻プロムナードに設置されている高橋元吉像とは異なっています。

  • 彫刻家・高田博厚(たかだ ひろあつ)氏。<br />昭和32年(1957年)、ライ・レ・ローズのアトリエを洋画家・野見山暁治に譲り、彫像作品を自ら破壊し、絵画は野見山に処分を依頼したという。<br />数千冊に及ぶフランスで集めた書籍を持って帰国、東京都新宿区下落合に住みました。

    彫刻家・高田博厚(たかだ ひろあつ)氏。
    昭和32年(1957年)、ライ・レ・ローズのアトリエを洋画家・野見山暁治に譲り、彫像作品を自ら破壊し、絵画は野見山に処分を依頼したという。
    数千冊に及ぶフランスで集めた書籍を持って帰国、東京都新宿区下落合に住みました。

  • 詳細不明ですが、高田のサインがあります。

    詳細不明ですが、高田のサインがあります。

  • 詳細不明です。センターの方も事情を知りませんでした。

    詳細不明です。センターの方も事情を知りませんでした。

  • 2階ロビーにも作品などが展示されています。

    2階ロビーにも作品などが展示されています。

  • 高坂彫刻プロムナードの案内図。

    高坂彫刻プロムナードの案内図。

  • 年をとるにつれて、口惜しまれることが二つある。(中略)ピアノをおそわらなかったことと、数学に不勉強だったことを悔やむ<br />高田博厚著『高田博厚 私の音楽ノート』より。<br />高田博厚は1957年にフランスから帰国すると、大和楽器が製造したLESTER PIANOを購入しました。<br />このピアノは、晩年を過ごした鎌倉のアトリエで高田博厚が実際に使用していたものです。<br />令和5年(2023年)に遺族より東松山市に寄贈されました。

    年をとるにつれて、口惜しまれることが二つある。(中略)ピアノをおそわらなかったことと、数学に不勉強だったことを悔やむ
    高田博厚著『高田博厚 私の音楽ノート』より。
    高田博厚は1957年にフランスから帰国すると、大和楽器が製造したLESTER PIANOを購入しました。
    このピアノは、晩年を過ごした鎌倉のアトリエで高田博厚が実際に使用していたものです。
    令和5年(2023年)に遺族より東松山市に寄贈されました。

  • ピアノを弾く高田博厚氏の写真。

    ピアノを弾く高田博厚氏の写真。

  • うずくまる女、1975年鎌倉。

    うずくまる女、1975年鎌倉。

  • 女優のマスク、1934年パリ。<br />高田博厚は帰国の際に、自ら作品を破壊しており、パリ時代の作品は貴重です。

    女優のマスク、1934年パリ。
    高田博厚は帰国の際に、自ら作品を破壊しており、パリ時代の作品は貴重です。

  • 若い女の頭部、1973年鎌倉。

    若い女の頭部、1973年鎌倉。

  • パラスのトルソ、1969年鎌倉。

    パラスのトルソ、1969年鎌倉。

  • 向かいあう2体の彫像。

    向かいあう2体の彫像。

  • 在  NO. I。<br />「主よ、日は傾き夕暮が迫ってきましたから、どうか私たちと共にいてください・・・・・」「ルカ伝」の中の、イエスが復活して第子たちのところに現れ、食事を共にした折の弟子たちの言葉。

    在 NO. I。
    「主よ、日は傾き夕暮が迫ってきましたから、どうか私たちと共にいてください・・・・・」「ルカ伝」の中の、イエスが復活して第子たちのところに現れ、食事を共にした折の弟子たちの言葉。

  • 在  NO. Ⅱ。<br />彫刻が真の「彫刻」でありうるのは、あらゆる芸術作品に共通する一つの普遍性が「影」を通じて内奥からにじみ出している「存在」であることだけである。作者の言葉。

    在 NO. Ⅱ。
    彫刻が真の「彫刻」でありうるのは、あらゆる芸術作品に共通する一つの普遍性が「影」を通じて内奥からにじみ出している「存在」であることだけである。作者の言葉。

  • 灯明、1971年鎌倉。

    灯明、1971年鎌倉。

  • 高田博厚『私と彫刻』より。<br />キリスト教の素養もなく、芸術家でもないFUKUJIROには難しすぎる言葉です。<br />最後までお読みいただきましてありがとうございました。

    高田博厚『私と彫刻』より。
    キリスト教の素養もなく、芸術家でもないFUKUJIROには難しすぎる言葉です。
    最後までお読みいただきましてありがとうございました。

134いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

埼玉の旅その3

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP