2025/03/31 - 2025/04/01
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この旅行記のスケジュール
2025/03/31
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奈良県はあまりお祭りのイメージはないと思います。東大寺や大仏も季節には関係ないといったことだし、奈良はどっしりとした歴史の街ですからね。全国的に有名なのはお水取りくらいでしょうか。対して、最大のお祭りは、12月のおん祭なのですが、それでもどれだけ知られているかというとかなり怪しいものだと思います。そうしたことはあるのですが、以下の通り、ここまでなんとか奈良県の祭りやイベントをあれこれ拾い集めて、ちょっと一服していたのが今の状態でした。
陀々堂の鬼はしり(1月)
https://4travel.jp/travelogue/11955149
興福寺・元興寺ほかの節分祭(2月)
https://4travel.jp/travelogue/11327877
長谷寺の「だだおし」(2月)
https://4travel.jp/travelogue/11601029
奈良のお水取り(3月)
https://4travel.jp/travelogue/10760880
春日祭(3月)
https://4travel.jp/travelogue/11891152
「日本最大秘仏本尊特別ご開帳」と「町家の雛めぐりと壺阪寺大雛曼陀羅」(3月)
https://4travel.jp/travelogue/11893723
当麻寺練供養(5月)
https://4travel.jp/travelogue/11132229
吉野山の蛙飛び行事(7月)
https://4travel.jp/travelogue/11514383
なら燈花会(8月)
https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/10343177
春日若宮おん祭り(12月)
https://4travel.jp/travelogue/11312539
https://4travel.jp/travelogue/11312541
ほかに若草山山焼きとかなくはないにしても、やっぱり目ぼしい祭りはもうほとんど行き尽くしたのかなあ。そんな中でふと目に留まったのが、薬師寺の修二会花会式なんですね。これもほとんど知名度はないと思いますが、なんか面白そう。節分みたいに鬼が登場するのが気になります。
この薬師寺の修二会花会式は、国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事。3月23~31日に行われるのですが、最終日の鬼追い式がやっぱり見どころ。会場は、境内、金堂の前。かがり火が焚かれる荘厳な雰囲気の会場は、夜空に東西塔も浮かび上がって、これだけでも一見の価値あり。松明を手に持ち暴れまわる鬼どもを最後は毘沙門天が鎮めるという展開です。松明から火の粉が舞うかなりの激しさですが、少し遠めから見るのでまあまあ安全。冬の節分と違って寒くもないので、それも安心でありがたい。期待したとおり、ちょっといいお祭りでした!
そして、その他は、薬師寺の修二会花会式をはさんで一日目に大和郡山、二日目に橿原。
大和郡山は豊臣兄弟が始まる直前だったし、桜の季節。ちょうどお城祭りで賑わっていました。
なお、調べると大和郡山は、2011年9月以来(https://4travel.jp/travelogue/10685585)。久々の大和郡山ですが、まずは例によって大和郡山のこと。悠久の歴史がある大和国ですから、戦国時代から江戸期のことなんかイマイチ興味の対象にはなりにくいのですが、それでもその時代に焦点を当てると浮かんでくるのはこの郡山です。大和国で育った戦国大名は唯一、筒井順慶。三好長慶の寵臣として力をつけた松永久秀が大和国に進出してきて苦境に陥りますが、粘り強く抗争を続けた末に勝ち取った大和国の支配権。大和郡山城を築き、44万石(与力分の石高を覗くと18万石)の居城としたのが絶頂期ですね。しかし、ほどなくして、天正13年(1585年)、畿内は豊臣一門でという方針のもと、伊賀上野20万石に転封。形式的には加増でしたが、不満が残ったとも言われます。関ヶ原の戦いでは東軍につき、所領を安堵されますが、江戸期に入るとお家騒動によって、筒井家は改易。代わって、藤堂高虎が伊賀に入りますが、同じ外様でも筒井家は豊臣家に近いため狙い撃ちにされたというのが真実に近いようですね。この辺り、筒井家は、豊臣家からも徳川家からも冷たい仕打ちにあったような印象。ちょっと悲哀も感じます。
なお、ここで、伊賀上野に移った筒井家に代わって大和郡山城の主になったが、豊臣秀長。秀長は、この時、紀伊国、和泉国に加えて大和国を領有したという流れで、石高は110万石。郡山城は破格の城の位置づけでした。ただ、文禄4年(1595年)に秀長の養子、豊臣秀保が死去すると秀長家は断絶。110万石は約10年の歴史です。その後、五奉行の一人、増田長盛が22万石で城主となったりしますが、豊臣家が滅び、増田家も改易されると徳川譜代・親藩の時代。最後は柳沢吉保の子、吉里が15万石で入封し、幕末まで。ただ、柳沢吉里はなかなかの人物だったようだし、大和国には郡山藩以外に目ぼしい藩はない。秀長の時代には及びませんが、大和郡山は引き続きそれなりの存在感があったのではないかと思います。
大和郡山がちょっと長くなりましたが、もうひとつの橿原も益田岩船や牽牛子塚古墳ほか飛鳥の散策で回りきれていなかった必見スポットが残っていたので、かなり意味があったかな。奈良はそうやって最後の詰めが残されているところがいくつかあって、やっぱりそれが課題。おいおいこれも手を付けていかないといけないような気もしてきました。ひとつ課題を解消するとまた次の課題。奈良もなかなか大変です。
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奈良の一日目は、夜の薬師寺修二会花会式までの時間を使って、大和郡山を訪ねます。
近鉄郡山駅に到着。
まず向かったのは、郡山市街の南側にある郡山八幡神社。少なくとも室町時代には存在していたという歴史があって、郡山城鎮護の八幡宮として崇められてきた神社。現在地には、文禄3年(1594年)に移転しています。郡山城鎮護の八幡宮として崇められてきた神社 by たびたびさん郡山八幡神社 寺・神社・教会
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イチオシ
正面の向拝がけっこう立派。住宅地の中にあっても堂々とした印象です。
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少し西に向かって。
洞泉寺は、源九郎稲荷神社と一体になったような境内。入口でちょっと迷いました。
創建は、天正9年(1581年)。その後、ほどなく現在地に移転してきたよう。殺風景な境内に本堂が一つ建っているだけですが、ここには国重要文化財の本尊木造阿弥陀如来と両脇侍立像を祀っているということ。拝観料を払えば拝観できるようです。 -
さらにJR郡山城の方に進みまして。
薬園八幡神社は、通称「やこうさん」。ちょっと変わった名前ですが、もともとは、奈良時代、平城宮の南側、梨原の薬園新宮内に設けられたのが始まり。その後、当地に移転し、現在の社殿は桃山時代の再建されたもの。平城宮の南側、梨原の薬園新宮内に設けられたのが始まり by たびたびさん薬園八幡神社 寺・神社・教会
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立派な向拝に、周囲に金属製の灯籠がいくつも下がっていて、いろんな歴史を想像させてくれるように思います。
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イチオシ
すぐそばにある外堀緑地は、郡山城の外堀を埋めて作られた公園。緑地には北門と南門があって、北門は冠木(かぶき)門で、南門は高麗門。石畳の小径が長く続いていて、南北の出入り口には門。ちょっとなんだろうという眺めですが、外堀を埋めて作られた公園と知ると納得です。
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豆パン屋 アポロは、もうJR郡山駅のほど近く。外観は粗末な感じでしたが、
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店内に入ると一転。板床で雰囲気があるし、並んでいるパンはどれも輝いていて、名店の匂いがプンプンです。
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お店の名前にある豆パンをいただきましたが、ふわふわの食感にちょっと脂分も含んだような豊かな味わいがたまりません。これは絶品。郡山にあってはかなり別格のお店ではないかと思います。
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ここから引き返して、郡山城の方に向かいます。
春岳院は、鎌倉中期に創建された東光寺が前身。その後、豊臣秀吉の異父弟である秀長の菩提寺となりました。豊臣秀吉の異父弟である秀長の菩提寺 by たびたびさん春岳院 寺・神社・教会
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冒頭触れましたが、秀長は和泉、紀伊、大和の3国、110万石を有した郡山城主ですが、それにしては小ぶりなお寺ですけどね。現在の本堂は、正徳元年(1711年)の再建。狩野貞信筆の秀長画像などもあるようです。
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少し南に下がって。
これは、本家 菊屋 本店。ここは郡山城跡にもかなり近いし郡山の中心部ですね。江戸時代にタイムスリップしたような大きな構えのお菓子屋さんというよりお茶屋さん。 -
イチオシ
縁側に腰かけていただいたのは、看板商品の秀吉も口にした御城之口餅。牛皮のお餅ですが、粒餡あをくるんで黄な粉でまぶしたもの。それなりにパンチがあって、お茶を飲みながらいただくと至福の味わい。郡山にはこんないい店があったんですね。見落としていた自分に反省です。
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郡山城跡に行く前に、もう少しこのエリアを探索します。
旧川本邸は、大正13年に建てられた木造三階建て遊郭建築。1階から3階のすべてが細かいすだれ格子という変わった外観です。 -
玄関から
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中に入ると
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共通スペースは落ち着いた感じですが、
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階段を上がった
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二階とか
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三畳の部屋が各所にあって、これはいわゆる売春宿のチョンの間というやつですね。昭和33年に廃業。当時の上流花街の繁栄を偲ばせる建物というのですが、どう思いを馳せるのかはちょっと微妙です。
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ここから西に向かって、大納言塚を目指します。
その途中。
杉屋菓舗の看板商品は、きんつばですね。きんつばには、芋きんつばと普通のきんつばがあって、 -
女性に人気なのは芋きんつばのようですが、ここは基本のきんつばかな。
スキッとした餡子の甘さがいい感じ。これぞ正統派のきんつばです。 -
さて、これが大納言塚。つまりは、豊臣秀吉の異父弟、豊臣秀長の墓所。一段高い場所に周囲を白い漆喰塀で囲った立派な構え。
天正19年(1591年)に郡山で没 by たびたびさん大納言塚 名所・史跡
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イチオシ
中央に、ずんぐりとした宝篋印塔が建っていました。
ちなみに、豊臣秀長は、天正19年(1591年)に郡山で没。大和郡山110万石の城主であり、大納言という位。秀吉の異母弟というだけでなく、絶大な信頼を寄せていた人物として知られます。 -
そこから北へ。改めて、郡山城跡に向かいます。
永慶寺は、その途中にある黄檗宗の寺。 -
山門や鐘楼、
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本堂の意匠は確かに少し中国風の感じもありますが、そこまで強くはないかも。
それよりも、山門から石段を上がったこの本堂の周辺とか見晴らしがよくて、一種の公園のよう。寺の境内という雰囲気ではないですね。
郡山城主、柳澤家の菩提寺。柳沢吉保の長男で甲斐甲府藩の第2代藩主だった柳澤吉里が当地への国替えの際、伴ってきたというお寺です。 -
いよいよ郡山城跡に入ります。
桜の季節は、お城まつり。露店がいっぱい出ていますよ~ -
奥に進んで、この辺りは郡山城の本丸跡。
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柳澤神社という神社が建っていて、これは五代将軍綱吉の側用人、柳澤吉保を祀る神社。柳澤吉保は、大和国郡山藩の初代藩主、柳沢吉里の父ですからね。ただ、神社はあまり歴史的なものではなくて、明治に入って藩主家に関係する神社の設立がブームになった頃に建てられたもの。明治13年の創立です。
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その裏手に回ると、郡山城天守台展望施設。郡山城の天守台の石垣の修復と併せて、展望施設として整備されたもので、天守閣の復元をするのではなくて、簡易なものとしてこうした形になったのだと思います。
桜の季節だったこともあって気分爽快 by たびたびさん郡山城天守台展望施設 名所・史跡
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展望所からは周囲がよく見渡せて視界良好。
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ちょうど桜の季節ですからね。気分は爽快です。
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続いての柳沢文庫は、郡山城毘沙門曲輪に設立された郡山藩主、柳沢家の歴史的資料を保存公開する施設。郡山藩主、柳沢家の初代は、柳沢吉里。第5代将軍徳川綱吉の側用人として権勢をふるった父の柳沢吉保があまりにも有名なので認知度はイマイチですが、徳川吉宗の享保の改革下、甲府藩主から郡山藩主への国替えは表向き15万石と変わらず、左遷というほどでもないでしょう。
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また、展示されているいろんな資料を踏まえると名君という評価。豊臣秀長の110万石の時代と比べると格はまったく違いますが、それでも明治維新まで続いた柳沢家の遺産は意外に少なくないように感じました。
ちなみに、金堂の町並みで知られる近江国の五個荘も郡山藩の領地。柳沢家の商業振興が優れていたという話を現地で耳にしたことがあります(https://4travel.jp/travelogue/11456654)。そんなこともちらりと思い出しました。 -
イチオシ
裏手から入って、正面から出てきました。
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入り口の「お城まつり」の看板も立派です。
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近鉄郡山駅の方に戻ってきて、ここで昼飯にします。
旬味和膳 季乃庄は、よさげな和食屋さん。 -
店内のカウンター席で、桜弁当をいただきました。刺身も揚げ物も煮物もそれぞれが丁寧に造られていて、いいお味。ただ、これだけおいしいのに、ちょっと量が少なめなのは残念でした。
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同じ筋にあるころっけのハヤシです。
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いろんな揚げ物があるのですが、ここは基本のコロッケをいただきました。
ただ、おいしいことはおいしいのですが、私的にはちょっと塩味がきつくて、そこはけっこうマイナス。もっと薄味でいいと思うんですけどねえ。残念です。 -
まだ時間に余裕があるので、予定通りですが、ここから田原本の方へ。石見駅で下車して、そこから歩きますよ~
道の駅 レスティ唐古は、石見駅から歩いて。唐古 鍵遺跡と兼ねて訪ねたのですが、施設は意外に立派。 -
産直コーナーも地元の特産品でしょうか、
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いちごとか充実していました。
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ほか、田原本の見どころを紹介するパネルもけっこういいですね。予定していたところ以外にも見どころあり。この後の街歩きで活用させてもらいました。
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向かいが唐古 鍵遺跡史跡公園。国の史跡でもある弥生時代の環濠集落の遺跡、唐古 鍵遺跡史跡の周辺を整備した公園です。
芝生の広場とかはかなりの規模 by たびたびさん唐古 鍵遺跡史跡公園 名所・史跡
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これは、その一角に建つ遺構展示情報館。発掘現場の保存も丁寧です。
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公園は、芝生の広場とかかなりの規模。
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環濠の復元とかもしっかりしているし、
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この物見やぐらはここのシンボルかな。なんか雰囲気がありますね~
遺蹟は奈良盆地の中央部にあって、大型建物の跡のほか、青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見されたというのがポイントです。 -
唐古 鍵遺跡史跡公園から東に向かった集落の中。
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千萬院は、聖徳太子が創建し秦河勝に下賜した法貴寺の塔頭の子院。微妙な関係ですが、聖徳太子ゆかりの寺ということでしょう。
建物はそんなに古くもないようだし、お堂が一つあるだけというこじんまりとした構え。平安時代後期の?造不動明王?像が国指定の文化財で、田原本での位置づけはそれなりのようですが、思う程のインパクトはありません。 -
隣りの池坐朝霧黄幡比賣神社も法貴寺の鎮守。
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式内社というのはさすがです。
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そこから西へ。田原本駅の方を目指します。
やっと田原本の中心市街に入って、これは鏡作神社。「鏡作坐天照御魂神社」の石柱が建って、なかなか立派な構えです。 -
天照大神が天の岩戸に隠れた際、八咫鏡を作ったとされる石凝姥命など三神を祀る神社。鏡づくりの神として信仰を集めてきたほか、美の神として美容師さんとかの参拝も多いようです。
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さらに市街中心部に進んで。
本誓寺は、田原本5000石の領主であった平野家の菩提寺。平野家の祖は、平野長泰。あまり有名ではないですが、賤ヶ岳の七本槍の一人。賤ヶ岳の功により領地を賜り、以降、平野?は田原本で幕末まで9代続くことになる。 -
1万石に満たず大名ではなかったことが改易にもならず続いた所以ということで、地元では5000石は逆に縁起がよかったという評価だとか。
なお、門構えはとても立派ですが、本堂はコンクリート造り。ちょっとギャップもなくはないですけどね。 -
ほとんど隣りの浄照寺は、慶安4年(1651年)、田原本の2代目領主、平野長勝によって創建。本願寺大和五箇所御坊のひとつで、田原本御坊とも。
表門から鐘楼、太鼓楼の厳めしい構えは、いかにも浄土真宗といった雰囲気ですね。 -
田原本では、平野氏の菩提寺、本誓寺と並ぶ代表的な寺院です。
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御菓子処 はつの家は、田原本駅近くの老舗の和菓子店。のっぽビルのような外観が一風変わっています。
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いただいたのは、通産大臣賞受賞という五千石最中。田原本は、賤ヶ岳の七本槍の1人、平野長泰の陣屋町という歴史があって、五千石というのはそれにあやかるもの。改めてですが、1万石なら大名のところ、5千石だったことで豊臣ゆかりであったにもかかわらず、改易にもならなかったというある意味縁起の良い石高。最中の方もすっきりした甘さで、なかなかの出来栄え。田原本ならではの逸品だと思います。
さて、田原本もこれで終了。そろそろ薬師寺に向かいましょう。 -
薬師寺に到着。イベントは夜ですが、予め現場を確認しておきたいと思います。
それにしても、ここも本当に久しぶりですねえ。南門から中へ。薬師寺 寺・神社・教会
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さっそく東塔を拝みましたが、前回来た時はまだメンテナンスの工事中。それから何年かかったのかなあ。ずいぶん長くかかったような気がします。
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しかし、こうして美しく蘇ったのはありがたいこと。素晴らしいですねえ。
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そして、日が傾き始めていますが、予想外の青空。
この時間は撮影タイムですね。 -
薬師寺は東西塔がシンボルですが、金堂もめちゃめちゃ立派で美しい。
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東大寺とは違った趣き。全体の伽藍の構成とか雰囲気は、法隆寺の方に近いような気がします。
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大講堂と金堂の組合せとか。
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東西塔。
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東西塔と金堂とか。
一生懸命狙いますけど、その雰囲気を一枚の写真に収めるのはとても難しい。
うーん、これくらいがいいところ。ちょっともう限界ですね。
ただ、仏像の方は、大講堂の弥勒三尊像(奈良時代)に金堂の薬師三尊像(白鳳時代)。特に、金堂の薬師三尊像の日光菩薩、月光菩薩のくびれた腰のひねりは大きな見どころ。以前、東京国立博物館で公開されたことがあって、その時に間近で見た感動は今でも忘れられません。今回も久々の再会。楽しく拝見しました。 -
最後は、裏手の東院堂。
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白鳳時代の仏、聖観世音菩薩像も拝見しました。
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今夜の宿は、国際観光民宿山代屋。
薬師寺修二会花会式で夜が遅くなるので、近くにどこか泊まるところはないかと探して、ヒットしたのがここなんですね。そういうことで薬師寺から歩いて行けますが、田舎道をやっぱりそれなりには歩きます。いったんチェックインをして薬師寺に向かいましたが、いつ帰ってもいいように離れの方の部屋を用意していただきました。玄関から上がって個人住宅みたいな感じの部屋。部屋にはトイレも付いていて、まあまあ落ち着けます。 -
改めて、薬師寺です。
修二会花会式のための開門を待つ人の行列が既にできていて、ちょっと焦りましたが、なんとか最前列の席を確保しました。 -
日が暮れてきて、雰囲気が出てきましたね。
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かがり火も焚かれて
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準備ができたようです。
最終日の鬼追い式を拝見 by たびたびさん修二会花会式(薬師寺) 祭り・イベント
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人影が現れました。
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なんだろうと思っていると
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たぶん露払いのような役目の人。
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会場を一周して場を整えます。
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中門の方では鬼の入場ですね。
前が見えにくいのか、それぞれ付き添いが付いています。 -
そして、松明を手渡される。
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鬼が揃って、全部で5匹。
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さあ、いよいよかな。
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中門を下りてきましたよ~
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会場の金堂の前広場に散った鬼ども。
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松明を手にして
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暴れ始めます。
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鬼が手にした松明と
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かがり火の炎の競演。
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ただ、松明はそこいらじゅうに打ち付けるので
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音もすごいし、
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火の粉がバンバン上がります。
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年によっては観客が危険を感じるほどだったという話も聞きましたが、
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その反省もあってか、
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今年は少し観客との距離を取っているよう。
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激しいことは激しいですが、
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これだけ距離があれば安心ですね。
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と
これは毘沙門天? -
鬼は相変わらず暴れていますが、
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毘沙門天の登場で、ちょっと空気が変わったような。
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圧倒的な力を秘めているかのような堂々とした構えと姿。
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暴れる鬼どもを威圧して
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鎮めていくよう。
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さしもの鬼どももその力に屈して退散するしかありません。
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さすが毘沙門天。
世の平和を取り戻すヒーローです。
なるほどー。節分チックな演出ですけど、やっぱり会場がすごい。金堂と東西塔に囲まれた会場って、ここに勝る会場なんてありませんからね。いいものを見せてもらったと思います。 -
翌日は、ちょっと田原本の続き。
秦楽寺は、大化3年(647年)に聖徳太?の家?だった秦河勝が建立したと伝えられる古寺。秦楽は、秦の楽?という意味があって、付近には雅楽の楽?や猿楽の関係者も住んでいたのだとか。 -
本尊は千?観世?菩薩?像。百済国から聖徳太?に献じられたものとされますが、現在の本尊は平安時代の作のようです。
本堂のすぐ前は古びた大きな池。ちょっと変わった雰囲気です。 -
もう一つ同じエリアの補巌寺は、至徳元年(1384年)の創建。曹洞宗の寺で、大和では初めての禅宗寺院だったとか。能楽観世流の世阿弥が本寺において得度していて、山門の脇には「世阿弥参学之地」の碑が誇らしげに建っています。ただ、その山門の辺りは雰囲気があるのですが、その奥には一般住宅のような建物だけ。それが今の本堂なんでしょうか。妙なことになっています。
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橿原駅に出て、橿原駅からはレンタサイクル。ここから橿原、飛鳥の落穂ひろいをしたいと思います。
橿原市昆虫館はけっこう山の上。自転車だとなかなか大変ですね~ -
一方、展示内容は予想外に充実していて、
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「地球は虫の惑星」のパネルでは、地球上の生物のほぼ4分の3が昆虫であるとか。意外な事実を知ったり、
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最後は温室で
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いろんな蝶と戯れたり。
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これなら行く度に新たな発見がありそう。
なかなかいい施設です。 -
妙法寺は、遣唐使として唐に渡った吉備真備が無事帰国できたことに感謝して、願をかけていた御厨子観音を祀り創建したという寺。
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境内には、吉備真備が観音の加護で数々の窮地を救われたという逸話が紹介されていて、吉備真備と観音の深い縁を感じさせるものでした。広い駐車場から本堂まで長い坂が続いていて、その辺りの雰囲気も独特です。
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橿原エリアから飛鳥を目指して南下を続けます。
ふと目に留まった甲子屋。「日本一のみたらし団子」ってすごい看板ですけどね。 -
半信半疑でしたが、パックに入ったみたらし団子は、もっちりふわふわのだんごに、甘じょっぱいタレがたっぷりかかって、なるほどねー。めちゃめちゃうまいじゃないですか。
これならまんざらはったりでもないですね。「日本一のみたらし団子」の看板はそう間違ってはいないと思います。 -
藤原京は、日本で初めて唐風の条坊制が用いられた都。天智天皇、天武天皇の思いを引き継いだ持統天皇が遂に完成。飛鳥京から遷都。持統8年、(694年)から和銅3年(710年)、平城京に遷都するまでの都でした。
朱雀大路は、朱雀門から南に延びる通り。幅21mの大路だったことが確認されています。平城京より狭いもののようですが、それでも画期的なものだったと思います。 -
そのそばにある橿原市藤原京資料室は、JAの施設の二階です。
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藤原京の1,000分の1模型ほか藤原京跡からの出土品、瓦や土器などをそれなりに展示していました。ビデオがあって、天智天皇、天武天皇の思いを受けた持統天皇の解説がドラマチック。改めて、けっこう心に残りました。
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畝火山口神社は、小さな集落の奥。畝傍山を背負った何もない斜面にありました。
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穏やかな構えが印象的。現在は、安産の守り神のようですね。
この時期はちょうど桜が満開で、人知れず咲いているのがちょっと不思議な光景でした。 -
続いての歴史に憩う橿原市博物館は、新沢千塚古墳群に隣接して作られた立派な施設。
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新沢千塚古墳群から出土した土器類を中心に展示していますが、古墳時代だけではなく、縄文時代から弥生時代の解説や一部は室町江戸時代の今井町の陶磁器までを展示。
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橿原市の総合的な博物館になっています。
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すぐ隣りの新沢千塚古墳群を訪ねます。これは、畝傍山の南方、丘陵地帯に位置する古墳群。古墳の総数は600基以上もあって、4世紀末から7世紀にかけて造られたもの。丘全体に重なり合うように古墳が密集していて、ちょっと壮観ですね。古墳群は国の史跡。出土品の一部は国の重要文化財となっています。
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新沢千塚古墳群公園というのもあって、子供向けの遊具がそれなりに。古墳に興味のない子供達でも楽しめるという趣向でしょう。まあまあ良く出来ています。
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もうそろそろ飛鳥のエリアですよね。
益田岩船は、謎に包まれた飛鳥の石造物の中でも最大のもの。小山の上にあって、階段を登っていきますが、予想と違ってかなり大変でした。謎に包まれた飛鳥の石造物の中でも最大のもの by たびたびさん益田岩船 自然・景勝地
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目指す石造物が竹林の中に見えて来るとやっとひと安心。確かにどっしりとした存在感は素晴らしいものがありますね。
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石の周りを一周するとまたその大きさを実感します。
いやいや、これは是非見ないと話になりませんね。飛鳥の石造物の中でもかなり特異なものだと思います。 -
そして、とうとうやってきました。牽牛子塚古墳です。
進入路を進むと手前の方から見えてきて、ちょっとはっとするような眺め。これはなかなかドラマチックな登場ですね~ただの古墳とはわけが違います by たびたびさん牽牛子塚古墳 名所・史跡
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この古墳は、天智天皇、天武天皇の母である第37代斉明天皇の陵である可能性が高いとされていて、
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形状は特別な八角墳。当然、国の史跡にも指定されています。
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たまたま石室が公開されていましたが、
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とても精巧に出来ていて、高貴な印象。やはり、ただの古墳とはわけが違います。
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保存の方法もかなり手をかけていて、
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それも含めて素晴らしいと思います。
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牽牛子塚古墳からしばらく西に向かって、今度は菖蒲池古墳。
一見荒れ地のような場所なんですが、その一角に国史跡を示す立派な石柱と石室の入り口を囲う建物が建っていて、やはり特別な古墳であることが分かります。
一辺約30m、二段築盛の方墳で、両袖式の石室。玄室内には2基の家形石棺が並んでいるようです。 -
飛鳥は菖蒲池古墳で切り上げて、橿原神宮駅の方まで戻ります。
橿原神宮駅の近く。
久米御縣神社の御県神社というのは、皇室の御料地である御県に祀られていたことを示すよう。創建が第11代天皇、垂仁天皇27年の頃とされるにしてもほぼ神話の時代かと思います。
神社の前に設置された案内板に詳しく説明がありました。
一部、はしょったところもありますが、以上でレンタサイクルは終了です。 -
これから広島に帰るのですが、お腹が減ってますよね。
橿原神宮前駅の周辺で夕方くらいの中途半端な時間にどこか食べるところはないかとうろうろ。当てにしていたところもやっていなくて困っていたのですが、この橿原オークホテル レストランを発見。スタッフがしっかり対応してくれて気持ちよく食事ができました by たびたびさん橿原オークホテル レストラン グルメ・レストラン
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こちらで手早くカレーをいただきました。誰もいなくて、貸し切り状態。しかし、スタッフがしっかり対応してくれて気持ちよく食事ができました。ありがとうございました。
では、これで落ち着いて広島に帰りたいと思います。お疲れさまでした。
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