2025/01/14 - 2025/01/15
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2025/01/14
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奈良の祭りは、やっぱり歴史の重み。歴史を守りたいという迫力と言ってもいいかもしれませんが、神事としての原点が感じられる祭りが多いし、神々しさや荘厳さがいいですね。例えば京都だと芸事的な要素やエンターテイメントが入るので、それとはまったく違う感覚があります。
最大の祭りは奈良市のおん祭り(https://4travel.jp/travelogue/11312539、https://4travel.jp/travelogue/11312541)。ただ、それでも全国的な知名度はイマイチですから残念なところです。むしろ有名なのは、東大寺二月堂のお水取り(https://4travel.jp/travelogue/10760880)でしょうが、これも実際のところはそんなに優雅なものではない。火の粉をバンバン浴びるので、服に穴が開いたりしてけっこう洒落にはなりません。
ほか、中将姫伝説の煌びやかな当麻寺練供養(https://4travel.jp/travelogue/11132229)、元興寺や興福寺の本気の節分(https://4travel.jp/travelogue/11327877)、吉野の奇祭、蛙飛び行事(https://4travel.jp/travelogue/11514383)に、大御所的な長谷寺のだだおし(https://4travel.jp/travelogue/11601029)、勅祭、春日祭(https://4travel.jp/travelogue/11891152)と主要どころはひととおり拝見してきましたが、ここでひと区切りつける位置づけになるのが今回の陀々堂の鬼はしり。あちこちの祭りで、地元の人から新しい祭りの情報を得る中で、これは是非!と勧められることが多かったのがこの祭りですからね。ただ、場所的なことや季節的なこともあって、なかなか決断がつかず、やっと踏ん切りがついたもの。五條のリバーサイドホテルから会場まで歩いて行けることが分かったのが最後の決め手になりました。
ということで、鬼はしりのこと。
陀々堂の鬼はしりは、五條市の念仏寺陀々堂で毎年1月14日に行われる修正会結願の行事。二月堂の修二会にならって始めたもののようですが、鬼はしりの部分は基本、追儺式。ただ、鬼は追い払われる対象となる悪い鬼ではなく、阿弥陀如来に仕え災厄を除き福をもたらす善い鬼とされているのがちょっと珍しいところです。また、室町時代から500年以上も一度も欠けることなく行われてきたのもすごいこと。国の重要無形民俗文化財に指定されているのは当然かもしれません。
さて、念仏寺は普段は無住の寺なのですが、この日は同じ五條市の真言宗の寺、転法輪寺からやってきた僧侶が護摩行を行います。堂内で護摩が焚かれる姿はまあ普通なのですが、その後、境内に設けられた護摩壇に火が点けられると真っ赤な炎が遥か天上まで立ち上る。こんなに激しいのは私も初めてくらい。山伏の法螺や太鼓の音も鳴り響いて、祭りは一気に熱を帯びてきます。
そして、やおら、鬼走りの一団が護摩行の終わった陀々堂の中へ。主役の鬼は、斧を持つ赤い鬼の父鬼、捻木を持つ青い鬼の母鬼、槌を持つ茶色の鬼の子鬼の三匹です。鬼は父鬼から順に、須弥壇裏の松の板壁を1mほどの長さの樫の棒2本で拍子をとって叩く”阿弥陀さんの肩叩き”で登場。ダダン、ダダン、ダダン。歌舞伎みたいな芝居がかった感じと思ってもらうといいかなと思います。
堂内には、引き続き護摩行の煙が立ちこめていますが、鬼に先立っての佐役(スケ)が肩に担いだ燃えさかる松明が加わわるとさらにもうもうです。次に佐役は戸口に立ち、祭りの無事を祈るため、手に取った松明を振って水の字を描きます。そこから、いよいよ鬼のチーム。水の字を描いた佐役(スケ)とは別に、鬼はそれぞれ補助を受ける佐役(スケ)とペアになっていて。まずは大松明を肩にした佐役(スケ)が鬼を先導して現れますが、佐役(スケ)は大松明をいったん戸口の外まで運んで鬼を待ちます。トップバッターの父鬼は一の戸口(北側)の内に立ち、今度は自らが佐役(スケ)から大松明を受けて左膝の上に置くと、右手の斧を高く上げて決めのポーズ。父鬼から始まって母鬼、子鬼へと続くのですが、それぞれ一の戸口が終わると、二の戸口(中央)、三の戸口(南側)へと順送り。つまり、子鬼が一の戸口(北側)に立つ番では、父鬼、母鬼は三の戸口(南側)、二の戸口(中央)に進んでいて。この三匹の鬼が並んだところがクライマックスですね。それを三回繰り返して、祭りは終了です。ところで、重さ60kgの大松明ですが、移動の際、炎は扉の枠や天井を舐めるように這っていて火事にならないかとハラハラするくらい。鬼に付き添い丁寧に火を消していく水天(かわせ)もかなり重要な役割。鬼役3名、火天(かって)1名、佐(すけ)4名、水天(かわせ)5名、貝吹き2名、太鼓打ち1名、棒打ち3名、鉦打ち1名など。主役も脇役も全員がワンチームになって支える祭りであることもしっかり付言しておきたいと思います。
なお、鬼はしりは夜なので、日中は、久しぶりに根来寺の周辺ほか。翌日は、九度山から紀ノ川の下流も散策して、真言宗の濃厚な風景を確認。花岡青洲の里もなかなか新鮮でした。回るのがきついエリアはこれで終わったので、この後の加太や和歌山市内、粉河寺周辺の旅は少し気が楽になったかなと思います。
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まずは、根来寺を目指します。
根来寺にはJR砂川駅から和歌山バスに乗り換えて行くのが便利ですね。山越えの道で、かなりのショートカット。けっこうスピードも出すので、JR砂川駅から根来寺のバス停までは15分。あっという間に感じました。和歌山バス、とても頼りになります。 -
バス停を降りて根来寺に向かうと大門が見えてきました。ちょっと飛び地のような場所なんですけどね。五間三戸二階二重門。江戸時代の末期に建てられたということです。
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根来寺の前に道の駅 ねごろ歴史の丘の方へ。抜け道みたいな細い通りを上って行った先にありました。駐車場とかしっかりした道の駅ですが、ちょっとこじんまり感は否めない。
道の駅 ねごろ歴史の丘 道の駅
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メインの建物もきれいですが、
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産直とかはほとんどないので、魅力はちょっとイマイチです。
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敷地の続きに建つのは旧和歌山県議会議事堂。
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現存する唯一の和風建築の府県会議事堂ということで、国の重要文化財です。
明治31年に建築され、昭和13年まで使われた後はJAの事務所となりますが、根来寺境内に移築され大客殿として使われたことも。大勢の人が利用するのには都合がいい建物だったのだろうなと思います。 -
時間は早いですが、もう昼飯にしたいと思います。
古民家カフェレストラン初花は、根来寺の参道入り口付近。大通り沿いにあって、この辺りの食事処としては唯一の存在かな。古民家カフェレストラン初花 グルメ・レストラン
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古民家を活用した店内の雰囲気もいいし、ランチメニューもまずまず。リーズナブルな値段できちんとした和食が楽しめました。
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では、根来寺へ。
むしろ、戦国時代の末期に信長を震え上がらせた鉄砲の根来衆とかの方が有名かもしれませんが、ここは高野山から独立し、力を着けていった新義真言宗の総本山。
開山の覚鑁が新義真言宗の創始者です。 -
ちなみに、新義真言宗のことですが、ちょっと変わり種。
空海が確立した真言宗ですが、空海があまりにも偉大で教義を固く守り続けているのが特徴です。しかし、その中でほとんど唯一といっていい革新がこの覚鑁の新義真言宗と言われていて、一言で言えば、末法思想や浄土思想を受け入れた真言宗なのですね。 -
真言宗の本尊は大日如来。絶対的な仏なのですが、そもそもこれが釈迦なのかどうかはよくわかりません。厳密にはルーツは仏教ではないと思うのですが、とにかくこの頃はすべてのものはブッダが説いたものという解釈ですから、あれこれ教義を融合するのにさして違和感はなかったのだと思います。神道と仏教が融合するのさえ普通でしたからね。
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なお、政治的なところで言うと
紀州は石山本願寺にも加勢、信長に敵対していましたが、それを完膚なきまでに叩き潰したのは秀吉。紀州攻めは10万を超える勢力で行われ、根来衆を始め紀州の在郷勢力は壊滅します。
関西では秀吉は今でも人気者ですが、なので紀州だけはアンチ秀吉。たぶんその土壌があったので、家康は御三家を紀州においたのではないかというのが私の推測です。
新義真言宗はとにかくその家康に取り入って、京都だと智積院とか関東では川崎大師や高尾山、成田山新勝寺とかとても多い。基本的にアンチ秀吉ですから家康としてもとても都合がよかったのだと思います。
ただ、教義として、新義真言宗が真言宗の発展かというとまあそうではないでしょう。明らかに妥協の産物だし、しかし、そうしたものが生まれざるを得なかったというのは真言宗や密教の限界かな。鎌倉仏教を輩出した天台宗の柔軟性こそ仏教の本流であるというのが私の解釈です。すべての人は救われるの扉を開いたのは大乗仏教にこだわった最澄だし、奈良仏教の南都六宗の唯識派が廃れ、唯名派の諸法実相を定着させたのも日本の仏教においては限りなく大きな功績です。今の日本人もその恩恵に大いに預かっているのですが、それに気が付いていないのがちょっと残念でまた面白いところかな。日本人は無宗教だとか主張する日本人論が一世を風靡した時期もありましたが、私からすればバカも休み休み言えというしかありません。 -
ちょっと根来寺から脱線して長くなりましたが、このエリアの見どころは根來寺庭園という、江戸時代、小堀遠州が作庭した国指定の名勝庭園。
根來寺 寺・神社・教会
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光明真言殿と名草御殿の間に位置していて、その間のスペースを埋める形の庭。しかし、積極的にその存在をアピールするような感じではないので、気が付かずにスルーする人も多いかもしれませんけどね。
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ただ、
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イチオシ
砂の平庭に配置された力強い飛び石と勢いのあるソテツがまずは印象的だし、
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目が慣れてくると奥の池を巡る石組もしっかりしたものがあるというのが分ってきます。
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名草御殿の方に進みますと
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この建物もまずまずですが、
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ここからだと先ほどの庭がさらによく分かる。
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やっぱり庭は石組ですからね。
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この趣のある力強さはやっぱりさすがですよね。
しかし、敢えて言うと小堀遠州らしさは直線的な意匠を取り入れた飛び石の方かな。その飛び石があるからこそ、この伝統的な石組の凄さも増しているという受け止めの方がいいかもしれません。 -
光明真言殿と
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その奥の行者堂、聖天堂も確認して終了です。
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続いては、少し飛び地になった大塔エリアへ。
正面が大師堂。その右手に大塔と -
イチオシ
大塔の奥に大伝法堂。
大伝法堂には、本尊である金剛界大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂の三尊が祀られていて、これが根来寺の本堂です。 -
ただ、圧倒的に有名なのは、この根來寺大塔ですよね。
天文16年(1547年)、かつて高野山上にあった大塔の形式を継承して作られた高さ36mの多宝塔は、下層方5間、上層円形、本瓦葺、朱塗2層の唐式塔。ちょっとずんぐりした姿は、ちょっと生真面目で正直優美さには少し欠けますが、堂々たる姿。日本最大の規模を誇る国宝です。根來寺大塔 名所・史跡
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根来寺を終わって、もう少し周辺散策です。
和歌山県立森林公園根来山げんきの森は、根来寺からそう遠くはないように思ったので、歩いてみましたが、うーーん。やっぱりけっこう遠いし、かなりの上り道。アクセスは、なかなかハードです。 -
ただ、公園の駐車場はかなり広いし、遊歩道もかなりよく整備されていて、家族連れが安心して山歩きを楽しめそうな感じですね。
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展望所から岩出の市街もよく見えました。
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げんきの森から戻って、上岩出神社へ。
神社は、大宝元(701)年の創建。蔵王権現を祀ったと伝わります。その後、長承2年(1133年)、根来寺の覚鑁上人が改めて加賀国白山比咩神社を分霊して祀ったとか。
境内に室町時代の板碑があって、これは北朝方の降伏を祈って建てられたもの。なるほど長い歴史を感じます。 -
ここから岩出駅を目指しつつ。。
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荒田神社は、荒神信仰という天照大神の荒魂を祀る式内神社。
石鳥居から境内を眺めるとちょっと寂し気でしたが、寛永元年(1624年)の再建という本殿は、和歌山県指定有形文化財。三間社流造で、屋根は檜皮葺。丹塗りの美しい建物でした。 -
大宮神社は、和銅5年(712年)の創建。熱田神宮より日本武尊を勧請し、当地の産土神となりました。
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その後、康治元年(1142年)、根来寺の覚鑁上人が神祇官八神を祀ったり、鳥羽上皇の勅願所に定められたり。社殿が複数重なるように建っていて、けっこう賑やか。あれこれの経緯があるのだと思います。
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時間がまだあったので、岩出駅を過ぎて、今度は紀ノ川沿いまで。
岩出頭首工の”頭首工”というのは、井堰のこと。水をせき止めて、そこから水を引くためのものです。岩出は米の産地で農業用水を引くための水路がたくさんなるので、その用水に農業用水を引くための井堰が必要なのですね。
昭和28年、台風13号によって4つの井堰が流失し、それらを一つに統合したのが岩出頭首工です。なかなか大規模なものです。 -
少し進むといわで御殿の跡。
紀の川に支流の春日川が合流する地点ですが、ここから上流を眺めるとぱあっと視界が広がって、確かに景勝の地であることが分かります。 -
今はもうありませんが、元和5年、この地に徳川頼宣によって建てられた巌出御殿では、徳川吉宗が幼少期を過ごしたということ。今は老人ホームみたいな施設が建っています。
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岩出駅に到着。ここで晩飯を調達します。
ノンノダンクは、10分弱は歩きますが、岩出駅の比較的近くのパン屋さん。スーパーみたいな敷地の中にありまして、イートインとかもあります。 -
いくつか買い込みましたが、ソフトな仕上がりのパンがけっこうおいしくて、あれ?という感じ。けっこういけてます。
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岩出駅から大和二見駅に移動。ここから陀々堂に向かいますが、その前に。
近くの集落にある生蓮寺に寄ってみます。
こちらは、古くから安産、雨乞い、晴れ乞い祈祷の請願所。平安時代の初め、嵯峨天皇が皇后の安産祈願のために小野篁に命じて地蔵菩薩像を安置したのが始まりとされています。おびただしいてるてる坊主がぎっしりと by たびたびさん生蓮寺 寺・神社・教会
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いかめしい山門から
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イチオシ
境内に入ろうとすると、
山門にはおびただしい何かが。。
これはてるてる坊主です。 -
山門だけじゃなくて、本堂にも。
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てるてる坊主がぎっしりとぶら下がっていて、ちょっと異常な光景。
雨乞い、晴れ乞い祈祷の請願所がいつの間にかこんなことになったのでしょうが、ただ、これもある意味では参詣者の思いを受け止める形なのかもしれません。 -
大和二見駅からだとほぼ3km。陀々堂に到着しました。
護摩行の準備をしているようですね。
陀々堂の前では多くのカメラマンが陣取っていて、私もなんとか位置をキープ。鬼はしりは子供たちが主役の昼の部もあるので、早い人だと午前中から既に場所を取っているのだとか。2~3時間は私も覚悟でやってきましたが、そんなの甘い甘い。親切に間に入れてもらったことに感謝です。松明を抱えた3匹の鬼が陀々堂の扉の前に揃って仁王立ちになるのがハイライト by たびたびさん陀々堂の鬼はしり 祭り・イベント
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お堂の前には松明の桶。祭りの大事なアイテム。
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護摩行の方が始まりました。
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火天(かって)が護摩壇から火をもらって
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それを
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境内の方へ。
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境内の護摩壇の方に火が移されました。
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イチオシ
うわわー
すごい白煙ですよ~ -
すぐに
メラメラと炎が立ち上ります。 -
火の粉が遥か天まで届くような勢い。
しかし、それがちゃんと結界の中に納まっているのもすごいかも。 -
ひとしきり焚きあがって
山伏たちが引き上げてきました。 -
お堂の中では今度はなんでしょう。
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護摩壇から
佐役(スケ)の松明に火が移されました。
いったん境内に出てきて -
今度は
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鬼たちを引き連れて堂内に入ります。
主役の登場です。待ってました~ -
鬼たちは須弥壇裏へ。
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須弥壇裏から
松明を肩に担いだ佐役(スケ)が出てきました。 -
一の戸口(北側)に立って、
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祭りの無事を祈り、
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手に取った松明を振って水の字を描きます。
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重い松明をものともせず
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うーん
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イチオシ
豪快です。
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二の戸口(中央)に移動して
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こちらでも同じようにパーフォーマンス。
これもなかなかの見せ場です。 -
一の戸口(北側)ではまた動きが。
松明を担いだ佐役(スケ)が出てきましたが、背後には鬼も続いていますね。 -
それにしても、今度の松明はさっきの松明より一回り大きい大松明。
これが60kgの松明ですね!ずっしり感がちょっと違うように思います。 -
イチオシ
佐役(スケ)はそのまま戸口の外に出て
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そこから戸口に立つ父鬼に大松明を渡します。
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父鬼の膝に大松明を乗せるのですが、これは大変な作業ですよ~
一方、大松明の炎は戸口の枠を舐めていて、そっちの方もハラハラです。 -
イチオシ
父鬼は、大松明をうまく受け取ったようです。
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ポーズを決めて、まずは最初の難関突破です。
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続いては、母鬼のチーム。
大松明を担いだ佐役(スケ)が先導です。 -
同じように大松明を渡していますが、
隣りの二の戸口(中央)では、既に、父鬼が決めのポーズで待っています。 -
母鬼も大松明が膝に乗ったよう。
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決めのポーズで
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イチオシ
しっかり見せ場を作ります。
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子鬼のチームもやってきました。
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佐役(スケ)が大松明を子鬼に渡します。
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さあさあ、
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イチオシ
なんとか
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乗りましたね。
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そして、三匹のそろい踏み。
見事に決まりました!
ほら貝も鉦もここぞばかりの響きです。 -
二周目の父鬼。
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ちょっと余裕が出てきましたかね。
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まあ、それはないか。
やっぱりギリギリいっぱいというところ。 -
二周目の母鬼も
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必死だし
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子鬼の方も
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無我夢中でしょう。
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さあ、父鬼は最後の三周目。
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父鬼が中央に立ってのそろい踏みです。
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イチオシ
がんばってますよ~
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父鬼は中央での最後のパーフォーマンスです。
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さて、これで終了。
大松明は堂外に運び出されて火は消されることになります。
夢か幻か。想像していた以上に素晴らしい祭りでした。ここに至るまでの皆さんの努力には並々ならぬものがあったはず。深く敬意を表したいと思います。 -
今夜の宿はリバーサイドホテル。大和二見駅からもまあまあ近いし、陀々堂から直接歩いて戻れるのがとにもかくにもとてもありがたい。
建物はそれなりに大きくて、夜でも遠くから見えていて安心感がありました。部屋もビジネスホテルとしてはしっかり。また、隣りに金剛の湯という日帰り温泉があるのでそれもポイントは高いと思います。陀々堂の鬼はしりの夜に泊まりました by たびたびさんリバーサイドホテル<奈良県> 宿・ホテル
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翌日は、九度山からスタートです。
ただ、その前に学文路駅で途中下車して、学文路天満宮へ。 -
学文路天満宮は、菅原道真を勧請して天治元年(1124年)の創建。明治に入って、学文路村内の神々55柱を合祀したとありました。
小高い丘のような場所にあがるとちょっとした集落があって、その一番奥に鎮座していました。入口の割り拝殿とか穏やかな構え。 -
そこを抜けると本殿はもう一段高い場所。
全体の配置のバランスもいいように思います。 -
続いては、学文路苅萱堂。
途中の道は京大坂道。高野七口と呼ばれる7つの主要な高野参詣道の一つで、京都、大阪からの高野街道が紀の川を越えると学文路駅の脇を抜けて山道に入り高野町の極楽橋を経由して高野山に至ります。学文路駅から学文路苅萱堂までの途中にも何か所か京大坂道の看板が出ていて、往時の重要な位置づけをアピールしていました。 -
そして、これが学文路苅萱堂。
元は筑紫の国の領主だった苅萱道心とその妻千里、子の石童丸ゆかりの寺。家族を捨てて、高野山で修業に明け暮れる苅萱道心。その父に会おうと母千里とともに高野山を訪れる石童丸ですが、苅萱道心は父とは名乗らず、石童丸を追い返す。高野山は女人禁制。学文路に残していた母のもとに帰りますが、母は急病のために死去。再び高野に戻った石童丸。苅萱道心の弟子となりますが、その後も父子の名乗りをすることはなかったそうです。
寺にはその母が信仰していたという人魚のミイラが伝わっていて、「人魚のお堂」という看板が掛けてありますが、至って穏やかな構えです。
ただ、苅萱堂だと高野山にある方が有名。石童丸の物語を紹介する施設で、まあまあの観光スポットになっています。 -
学文路駅から九度山駅に到着。ここからが本格的な散策のスタートです。
真田いこい茶屋は、九度山市街のメインストリート沿い。地元のボランティアグループが運営するまちなか休憩所のようで。 -
真田幸村に関連するグッズや町のお土産品が並んだりしていますが、やっぱりボランティアの人と地元の話をしたりするのが楽しいですね。ちょっと元気をもらって、また街歩き。ほっとする場所です。
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メインストリートをどんどん進んで。
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道の駅 柿の郷くどやまは、九度山市街をほとんど抜けた西の端。
道の駅ということは何かの道路から便利な場所なんでしょうが、あんまりそんな感じでもないですね。出入りする車の数も少ない感じだし、施設もあんまり活気はないかな。目玉は、世界遺産情報センターかなと思います。 -
その世界遺産情報センターがこちら。
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九度山町ゾーン、町石道ゾーン、高野山ゾーンの三つのゾーンがあって、九度山から高野山にかけての見どころを丁寧に解説しています。最初のパネルは丹生官省符神社。そういえばと思って、ここから丹生官省符神社に行くバスがあったはずだと思ってスタッフに尋ねたら、ここは観光案内所ではないという紋切型の対応をされてしまい、ちょっとがっかり。展示の方はとてもしっかりしているのに、じゃあ、いったいこの施設って何なんでしょうね!と言いたくなりました。
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道の駅の産直コーナーは、産直市場よってって。たぶん、外部の業者に運営を任せているんだろうと思います。九度山というと山の中のイメージですが、ミカンの類がけっこう豊富。そうそう、ここは和歌山ですからね。改めて、それを思い出しました。
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朝飯は、ベーカリーカフェ パーシモン。道の駅 柿の郷くどやまの中にあるイートインありのパン屋さんです。
店内はきれいで広くて、これはどうしたんだろうと思うくらいの雰囲気ですね。買ったパンをすぐ横のテーブル席でいただきましたが、焼き立てのパンが次々と店内に並べられていく様子を眺めたり。けっこう優れもののお店です。 -
ここからさらに西へ。丹生酒殿神社までが目標です。
まずは、慈尊院。高野山の政所として創建。高野山町石道の登り口です。慈尊院 寺・神社・教会
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空海の母、阿刀氏ゆかりの寺。空海を訪ねて来た阿刀氏は、女人禁制の高野山には入山できず、ここに滞在。空海は月に9度ここに居る母を訪ねたことから九度山の地名に。
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空海は母が亡くなると廟堂を建立し、自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったというのです。
乳房を象った絵馬がたくさん奉納されていて、女性のためのお寺なのだなと強く感じました。 -
境内を抜けて、奥の石段を上がると
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丹生官省符神社です。本殿は国の重要文化財で、丹生明神や狩場明神、高野明神ほかを祀る第一殿、気比明神ほかを祀る第二殿、厳島明神を祀る第三殿が横並びで並んでいます。
もとは慈尊院と一体だったようですが、明治時代に慈尊院から独立しています。 -
丹生官省符神社から坂を下って、また長い石段を上がると勝利寺。空海が42歳の時、厄除観音を祀ったという寺です。
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そういう意味では、慈尊院よりも古いし、高野山表参道の玄関口としてかつてはおおいに賑わったのだとか。
安永2年(1773年)に建立されたというさきほどの朱塗りの仁王門が見どころ。険しい石段を上がった先に建っていて、ちょっと威圧感も漂います。 -
勝利寺の境内の一角にある紀州高野紙伝承体験資料館「紙遊苑」。
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空海が教えたと伝えられる手漉き和紙、高野紙(古沢紙)の伝承を目的とする施設。館内に入ると派手な凧がいくつか展示されたりしていて、それも高野紙なんでしょうか。ただ、高野紙は傘紙、障子紙、合羽、紙袋、提灯に張る厚手の紙。ちょっと違うかもしれませんね。
ただ、私的には、高野山の紙と言えば、高野切。紀貫之が筆者とされる古今和歌集の書写ですが、その紙と関係はないのでしょうか。スタッフの人と話をしましたが、結論から言えば関係はなさそう。まあ、古沢紙は庶民的なもののようですからね。それはそうかもしれません。 -
勝利寺から丹生酒殿神社は3.4km。まあ、それくらいならと歩き始めましたが、峠を越えていくようなすごい道。紀ノ川があんなに下の方に見えています。
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やっとのことで、丹生酒殿神社に到着。神社は、高野参詣道の一つ、三谷坂の起点であり、人気の丹生都比売神社への参詣道もここから。丹生都比売神社と丹生酒殿神社は深い関係です。なお、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産、高野参詣道にも含まれているほか、境内にある御神木の大銀杏は樹齢800年。社殿は穏やかな佇まいです。
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丹生酒殿神社でいったんはやれやれでしたが、
今度は三谷橋を渡って、妙寺駅を目指します。
妙寺駅からは笠田駅に移動して。 -
笠田駅からは、名手駅までのエリアを歩きます。ちょっとめちゃくちゃなんですが、もう来ることはたぶんないですからね。
十五社の楠は、笠田小学校となりの妙楽寺境内。脇の方から眺めると幹は割と下の方から何本にも分かれていて、古木によくある太い部分が十分にある隆々たる姿という感じではないですね。ただ、樹齢は600年を越えているようです。 -
続いては、宝来山神社。大きな石の鳥居から参道を進んで、ちょっと豪華な意匠の赤い鳥居もいいですね。
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宝亀4年(773年)、和気清麻呂が八幡宮を勧請したことが始まり。この辺りは桛田荘という荘園で、和気清麻呂ゆかりの神護寺の荘園となっていたのだそう。拝殿の後ろに本殿が四棟並んでいて、国の重要文化財です。
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道の駅 紀の川万葉の里は、国道480号線沿い。物産販売所の看板は遠くからでも見えていて、道の駅では物販の方に力を入れているのが分かります。ミカンどころの和歌山ですからその主力は柑橘類。和歌山の柑橘なら、やっぱりはっさくかなと思います。
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ここは紀ノ川の北側にあるのですが、紀ノ川の南側の高野参詣道のハイキングマップまで掲示されていて、ここが高野山の近くであるということを強くアピールしています。そのつもりはない人でも、これを見てちょっと高野山の方へも寄ってみるかなということになってくれたらなということでしょうか。
車でもそう簡単ではないと思いますけどね。 -
紀の川万葉の里から、またかなり歩いて華岡青洲の里に到着。
文化元年(1804年)、全身麻酔による外科手術に日本で初めて成功した華岡青洲ゆかりの場所。限られたエリアですが、多くの弟子を育てた春林軒、フラワーヒルミュージアム内にある華岡青洲 資料展示室や花岡青洲の墓所とかもあって、なかなかの充実ぶりです。 -
これが春林軒。医学者、華岡青洲の住居兼病院であり、多くの弟子を育てた医学校。華岡青洲の下には多くの患者と入門希望者が殺到。輩出した門下生は1,033名。敷地の中にはいくつも建物が建っていて、当時の隆盛ぶりが偲ばれます。
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そして、こちらがフラワーヒルミュージアム。なんか妙な名前だなあと思ったら、フラワーヒルって、華岡青洲の華岡のことですね。道の駅のメイン施設で円形のドームのような建物。
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ショップのエリアがあって、華岡青洲 資料展示室は一番奥。母、於継と妻、加恵の人体実験の協力を得て、麻酔薬を開発。乳がん摘出の手術を成功させます。一連の展示からは華岡青洲の凄まじい一念が伝わってきますが、一方で乳がんは今でも恐ろしい病気のひとつ。医学の戦いの歴史は今も続いているわけで、それを思うとちょっと複雑。乳がんなんて過去の病気と言える日は来るのでしょうか。
名手駅からJR和歌山駅に帰りまして。 -
JR和歌山駅の西側はみその通り商店街。入口の看板がけっこう目立っていますが、日が暮れたところにはいくつか飲食店があるくらい。昼間が賑やかということでもなさそうだし、しかし、地方の商店街はこんなものかもしれません。
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で、晩飯に向かったのは反対の東口の方。
総本家めはりや 和歌山店は、ずいぶん昔に来たことがあって、今回は二回目です。 -
前回食べた時はめはりすしはやっぱり和歌山市じゃなくて南紀だなとか思ってしまいましたが、やっぱりここのもちゃんとおいしいですね。そして、サイドメニューがしっかりしていて、めはりすしだけで勝負のお店ではない。普通においしく食事ができるお店だということに気が付きました。第一印象が修正できてよかったです。
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で、ここから花山温泉に向かいます。
最寄り駅の日前宮駅から歩きましたが、その途中、せっかくなので気になっていた弥一 宮街道店にも寄ってみます。 -
回転すしのお店ですけど、すっきりした店内は、悠々としたゆったり感に加えてそこそこ高級感もあるし、並の回転寿司ではないですね。マグロとかイカとかをいただきましたが、それぞれくっきりしたおいしさ。北陸だと廻る富山湾 すし玉クラス。ちょっとびっくりのレベルでした。
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そして、花山温泉に到着。最後までかなりの強行軍でやってきましたが。。
湯の花が堆積して赤茶けた大理石のように固まった湯舟は、ちょっと見たことがないほどの迫力。温かい湯と冷たい湯の二種類があって、交互に両方入りましたが、これも疲れがよく取れる感じですね。
湯の質がどういいのかはよく分かりませんでしたが、少なくともこの圧倒的なビジュアルと冷たい湯も楽しめるのエンターテイメント性は抜群。人気の温泉なのは当然かな。和歌山市内に泊まったなら、少し無理してでも訪ねるべき温泉だと思います。 -
なお、日前宮駅からの帰りは梅干し電車でした。
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今夜の宿はタウンホテル丸の内。和歌山市駅から歩いて10分ちょいの場所。遠くはないのですが、ナビだと変な場所が示されて、ちょっと迷ってしまいました。チェックインが予定の時間から過ぎていたので、督促の電話があって焦っていたのもあるんですけどね。外観はこの値段にしては予想外にすっきりした構え。ただ、部屋はやっぱりミニマムですね。エアコンが設置式のもので気が付かず、夜は寒い思いをしてしまったのが残念でした。ご注意を。
明日からは、後半の二日です。
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