東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「平安神宮」の赤い鳥居を背にして神宮通りを歩くとまずは「青蓮院門跡」の5本の楠の巨樹が見えてきます。そして「知恩院」の山門を見上げて「円山公園」に入ります。ここでは「いもぼう」を食べる予定で、何度か行ったことのある「平野屋本店」を予約しようと思っていましたが、この日は定休日なので「平野屋本家」の方を予約していました。料理的にはどちらも同じようなものだと思いますが、個室のある「平野屋本店」の方が良かったかなと思います。食事の後は「円山公園」を散策しますが桜の時期以外ではあまり来ることのない公園です。妻の希望もあって「長楽館」にも寄ることにしました。しばらく待つようだったのでその間に館内の写真を撮らせていただきました。叔母がここでお茶会を開きたいと言っていたのを思い出して尋ねてみると、文化財の建物なので火が使えないということと茶室は3階にあるので、階段を登らなければならないということでした。年寄りの多いお茶会なので大丈夫だろうかと心配していましたが、お盆明けに茶会の招待状が届きました。残念ながら開催が10月で、ちょうどダイヤモンド・プリンセスでオーストラリアからニュージーランドクルーズの最中だったので行くことが出来ませんでした。なかなか3階の和室は見ることが出来ないので本当に残念です。「長楽館」でクールダウンした後は「八坂神社」を参拝して四条通に入ります。「鍵善良房」で買い物をして、今まで行く機会のなかった「鍵善ZENBI」という美術館にも入ってみました。小さい割に値段が高いので躊躇しましたが、開催されていたのが黒田辰秋の作品展だったので入らないわけにはいきません。鍵善との関係が深く、現在にも通じる「くずきり」の器のオリジナルは彼の手によるものです。先ほど「鍵善」のウインドウで何かおかしいと思ったのですが、いつも背後に置かれている赤漆の宝結文飾り板が展示されていました。これまで漠然と鹿知らなかった黒田辰秋と鍵善の関係が良く分かりとても勉強になりました。四条通に戻った後は大和大路を北にぶらぶら歩き、新門前や古門前の骨董店を眺めつつ「三条大橋」を渡ります。三条通を歩きながら安藤忠雄が設計した「タイムズビル」が閉鎖しているのに驚き、「小刀屋忠兵衛」では妻が祇園祭の粽の土鈴を買い求めました。母が遺した鉾の飾りは妻が引き継いで毎年飾ってくれています。歩くのはここまでにしてタクシーで四条川端を下った「一平茶屋」に向かいます。ここは妻のお気に入りの店で、今回は上かぶら蒸し定食を予約してあります。大満足の食事の後は元気になったので「団栗橋」を渡って夕涼みすることにします。橋の上で鴨川の下流方向から花火が上がるのが見えました。何とも風情がある夜になりました。情緒のある西木屋町通りを歩いて、両親が結婚前にデートしていた喫茶店「フランソア喫茶室」に妻を誘いましたが、軽く断られてしまい失意のうちにタクシーでホテルに戻りました。

トラピックス 京都長期滞在 フリープラン 6日間(7)平野屋本店で「いもぼう」を食べて、長楽館から鍵善ZENBIを経て一平茶屋で「蕪蒸し」。

10いいね!

2024/06/26 - 2024/06/26

3685位(同エリア6952件中)

旅行記グループ 2024神戸・大阪・京都の旅

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kojikoji

kojikojiさん

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「平安神宮」の赤い鳥居を背にして神宮通りを歩くとまずは「青蓮院門跡」の5本の楠の巨樹が見えてきます。そして「知恩院」の山門を見上げて「円山公園」に入ります。ここでは「いもぼう」を食べる予定で、何度か行ったことのある「平野屋本店」を予約しようと思っていましたが、この日は定休日なので「平野屋本家」の方を予約していました。料理的にはどちらも同じようなものだと思いますが、個室のある「平野屋本店」の方が良かったかなと思います。食事の後は「円山公園」を散策しますが桜の時期以外ではあまり来ることのない公園です。妻の希望もあって「長楽館」にも寄ることにしました。しばらく待つようだったのでその間に館内の写真を撮らせていただきました。叔母がここでお茶会を開きたいと言っていたのを思い出して尋ねてみると、文化財の建物なので火が使えないということと茶室は3階にあるので、階段を登らなければならないということでした。年寄りの多いお茶会なので大丈夫だろうかと心配していましたが、お盆明けに茶会の招待状が届きました。残念ながら開催が10月で、ちょうどダイヤモンド・プリンセスでオーストラリアからニュージーランドクルーズの最中だったので行くことが出来ませんでした。なかなか3階の和室は見ることが出来ないので本当に残念です。「長楽館」でクールダウンした後は「八坂神社」を参拝して四条通に入ります。「鍵善良房」で買い物をして、今まで行く機会のなかった「鍵善ZENBI」という美術館にも入ってみました。小さい割に値段が高いので躊躇しましたが、開催されていたのが黒田辰秋の作品展だったので入らないわけにはいきません。鍵善との関係が深く、現在にも通じる「くずきり」の器のオリジナルは彼の手によるものです。先ほど「鍵善」のウインドウで何かおかしいと思ったのですが、いつも背後に置かれている赤漆の宝結文飾り板が展示されていました。これまで漠然と鹿知らなかった黒田辰秋と鍵善の関係が良く分かりとても勉強になりました。四条通に戻った後は大和大路を北にぶらぶら歩き、新門前や古門前の骨董店を眺めつつ「三条大橋」を渡ります。三条通を歩きながら安藤忠雄が設計した「タイムズビル」が閉鎖しているのに驚き、「小刀屋忠兵衛」では妻が祇園祭の粽の土鈴を買い求めました。母が遺した鉾の飾りは妻が引き継いで毎年飾ってくれています。歩くのはここまでにしてタクシーで四条川端を下った「一平茶屋」に向かいます。ここは妻のお気に入りの店で、今回は上かぶら蒸し定食を予約してあります。大満足の食事の後は元気になったので「団栗橋」を渡って夕涼みすることにします。橋の上で鴨川の下流方向から花火が上がるのが見えました。何とも風情がある夜になりました。情緒のある西木屋町通りを歩いて、両親が結婚前にデートしていた喫茶店「フランソア喫茶室」に妻を誘いましたが、軽く断られてしまい失意のうちにタクシーでホテルに戻りました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
タクシー スカイマーク JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 神宮通を「青蓮院門跡」まで歩いてきました。ここは何度も拝観しているので今回は立ち寄りません。開山は伝教大師最澄で現在の門主は、上皇の従兄弟にあたる旧伯爵家の東伏見家出身の東伏見慈晃という方です。

    神宮通を「青蓮院門跡」まで歩いてきました。ここは何度も拝観しているので今回は立ち寄りません。開山は伝教大師最澄で現在の門主は、上皇の従兄弟にあたる旧伯爵家の東伏見家出身の東伏見慈晃という方です。

    青蓮院門跡 寺・神社・教会

  • 現在の三千院の「梶井」と「妙法院門跡」と共に天台宗の三門跡寺院でです。「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王や入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主を務めるという格式を誇っています。

    現在の三千院の「梶井」と「妙法院門跡」と共に天台宗の三門跡寺院でです。「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王や入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主を務めるという格式を誇っています。

  • 「青蓮院」のクスノキは北門野南側の傾斜地にあり、数百年の樹齢を保っています。寺院の景観に溶け込みながら時代の重みを感じさせ、悠々と枝葉を茂らせています。

    「青蓮院」のクスノキは北門野南側の傾斜地にあり、数百年の樹齢を保っています。寺院の景観に溶け込みながら時代の重みを感じさせ、悠々と枝葉を茂らせています。

  • 「知恩院 黒門」です。知恩院も以前に何度も来ているので今回は拝観はしません。山号は華頂山(かちょうざん)で、本尊は御影堂の法然上人像と阿弥陀堂の阿弥陀如来像です。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降のことです。

    「知恩院 黒門」です。知恩院も以前に何度も来ているので今回は拝観はしません。山号は華頂山(かちょうざん)で、本尊は御影堂の法然上人像と阿弥陀堂の阿弥陀如来像です。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降のことです。

  • 「三門」は1621年の元和7年に徳川2代将軍秀忠の命を受け建立されました。 構造は五間三戸で二階二重門、入母屋造本瓦葺で、高さ24メートル横幅50メートル、その構造や規模において日本最大級の木造の門です。

    「三門」は1621年の元和7年に徳川2代将軍秀忠の命を受け建立されました。 構造は五間三戸で二階二重門、入母屋造本瓦葺で、高さ24メートル横幅50メートル、その構造や規模において日本最大級の木造の門です。

  • 外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上もあります。一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、先ほどの「南禅寺」やこの「知恩院」の門は、「三門」と書きます。これは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という悟りに通ずる3つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)を意味しています。

    外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上もあります。一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、先ほどの「南禅寺」やこの「知恩院」の門は、「三門」と書きます。これは「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という悟りに通ずる3つの解脱の境地を表わす門(三解脱門)を意味しています。

    知恩院 寺・神社・教会

  • 階段の上に立ったところを望遠レンズで写真を撮ろうとしましたが断られました。

    階段の上に立ったところを望遠レンズで写真を撮ろうとしましたが断られました。

  • 東山をバックに美しい「三門」を見た後は知恩院和順会館で少し涼んでお土産店も覗きました。

    東山をバックに美しい「三門」を見た後は知恩院和順会館で少し涼んでお土産店も覗きました。

  • 「知恩院 南門」から「円山公園」に入ります。

    「知恩院 南門」から「円山公園」に入ります。

  • 以前に何度も来ているいもぼうの「平野屋本店」はこの日定休日でした。小上がりのような座敷があるので本当はここで食事したかったです。

    以前に何度も来ているいもぼうの「平野屋本店」はこの日定休日でした。小上がりのような座敷があるので本当はここで食事したかったです。

    いもぼう平野家本店 グルメ・レストラン

  • ということで予約してあったのが「平野屋本家」のほうです。「一子相伝」を謳う本店と本家が100メートルも離れていない不思議さが漂います。棒鱈と炊き合わせた「芋棒(いもぼう)」は古くから京都のおばんさいでもあります。

    ということで予約してあったのが「平野屋本家」のほうです。「一子相伝」を謳う本店と本家が100メートルも離れていない不思議さが漂います。棒鱈と炊き合わせた「芋棒(いもぼう)」は古くから京都のおばんさいでもあります。

    いもぼう 平野家本家 グルメ・レストラン

  • 麻暖簾が初夏の訪れを感じさせます。その上には伊勢注連縄が掛けられています。女将さんと話したところでは、本来は商売をしているので「商売繁盛」の札を付けたいところですが、八坂神社にはお世話になっているので「蘇民将来子孫家」を掲げているということでした。

    麻暖簾が初夏の訪れを感じさせます。その上には伊勢注連縄が掛けられています。女将さんと話したところでは、本来は商売をしているので「商売繁盛」の札を付けたいところですが、八坂神社にはお世話になっているので「蘇民将来子孫家」を掲げているということでした。

  • まずは冷たいビールで喉を潤します。

    まずは冷たいビールで喉を潤します。

  • 朝ご飯は奮発したので「月御膳」にしました。

    朝ご飯は奮発したので「月御膳」にしました。

  • いもぼうと祇園豆腐、小鉢、梅椀(吸物)にごはんと香の物です。祇園豆腐は京豆腐に吉野葛のあんかけです。お吸い物にはひさご形の玉子豆腐が入っています。

    いもぼうと祇園豆腐、小鉢、梅椀(吸物)にごはんと香の物です。祇園豆腐は京豆腐に吉野葛のあんかけです。お吸い物にはひさご形の玉子豆腐が入っています。

  • 「いもぼう」は海老芋とよばれる大きな芋と、北海道産の棒鱈を炊き合わせた京料理です。この京料理の特徴は全く異なる性質の素材同士がお互いの性質をうまく作用させている点で「出会いもん」と言われます。厚く面取りした海老芋と1週間ほどかけて柔らかく戻した棒鱈を丸一昼夜かけて炊きあげます。棒鱈を炊くときに出る膠質は海老芋を包んで煮くずれを防ぎ、海老芋から出る灰汁(あく)は棒鱈を柔らかくするという理にかなった素材の組み合わせだそうです。

    「いもぼう」は海老芋とよばれる大きな芋と、北海道産の棒鱈を炊き合わせた京料理です。この京料理の特徴は全く異なる性質の素材同士がお互いの性質をうまく作用させている点で「出会いもん」と言われます。厚く面取りした海老芋と1週間ほどかけて柔らかく戻した棒鱈を丸一昼夜かけて炊きあげます。棒鱈を炊くときに出る膠質は海老芋を包んで煮くずれを防ぎ、海老芋から出る灰汁(あく)は棒鱈を柔らかくするという理にかなった素材の組み合わせだそうです。

  • 朝はお酒が飲めなかったのでビールの後は冷酒をいただきます。菊圃(きくほ)というお店オリジナルの冷酒はキンシ正宗という伏見のお酒です。

    朝はお酒が飲めなかったのでビールの後は冷酒をいただきます。菊圃(きくほ)というお店オリジナルの冷酒はキンシ正宗という伏見のお酒です。

  • お腹もいっぱいになったところで午後の観光を続けます。

    お腹もいっぱいになったところで午後の観光を続けます。

  • 「円山公園」の池越しに東山の山並みを眺めます。ここまで来ると混雑しているかと思いましたがそれほどではありませんでした。

    「円山公園」の池越しに東山の山並みを眺めます。ここまで来ると混雑しているかと思いましたがそれほどではありませんでした。

  • アオサギが魚を狙っています。2週間前はチュニジアでピンクフラミンゴを眺めていましたが世界は広いです。

    アオサギが魚を狙っています。2週間前はチュニジアでピンクフラミンゴを眺めていましたが世界は広いです。

  • 池の畔には「京都 炭火鰻 翠川」という店もあります。利用したことはありませんが立地は素晴らしいです。

    池の畔には「京都 炭火鰻 翠川」という店もあります。利用したことはありませんが立地は素晴らしいです。

    円山公園 公園・植物園

  • 最後に「円山公園」で花見をしたのは1995年の春だったので30年も経つのかと思うと感慨深いものがあります。

    最後に「円山公園」で花見をしたのは1995年の春だったので30年も経つのかと思うと感慨深いものがあります。

  • 公園の散策はここまでで「長楽館」に向かいます。ここに来るのも数十年振りのことです。

    公園の散策はここまでで「長楽館」に向かいます。ここに来るのも数十年振りのことです。

  • 「長楽館」は1909年の明治42年に煙草王と呼ばれた実業家の村井吉兵衛により国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築されました。1891年の明治24年に日本初の両切り紙巻きタバコ「サンライス」を発売し、3年後には「ヒーロー」を発売します。パリ万国博覧会で金賞を受賞したことにより世界的水準のタバコと認められます。

    「長楽館」は1909年の明治42年に煙草王と呼ばれた実業家の村井吉兵衛により国内外の賓客をもてなすための迎賓館として建築されました。1891年の明治24年に日本初の両切り紙巻きタバコ「サンライス」を発売し、3年後には「ヒーロー」を発売します。パリ万国博覧会で金賞を受賞したことにより世界的水準のタバコと認められます。

    デザートカフェ長楽館 グルメ・レストラン

  • 1904年の明治37年に村井吉兵衛の別荘として「長楽館」の建設に着手します。設計と監督はアメリカ人建築家のJ.M.ガーディナー(James McDonald Gardiner)という人物です。米国聖公会から日本に派遣され、立教学校や立教大学校で校長も務めています。平安女学院の聖アグネス教会や明治村に移設された京都聖ヨハネ教会も彼の設計によるものです。

    1904年の明治37年に村井吉兵衛の別荘として「長楽館」の建設に着手します。設計と監督はアメリカ人建築家のJ.M.ガーディナー(James McDonald Gardiner)という人物です。米国聖公会から日本に派遣され、立教学校や立教大学校で校長も務めています。平安女学院の聖アグネス教会や明治村に移設された京都聖ヨハネ教会も彼の設計によるものです。

  • 外壁は1階部分に花崗岩を貼り、2階と3階は黄色の化粧煉瓦を使用し、コーナー部分のみ花崗岩貼りとしています。東側に正面入口を配してイオニア式オーダーを用いた玄関ポーチを設けています。ポーチには村井家の家紋である「三柏」の意匠が見られます。

    外壁は1階部分に花崗岩を貼り、2階と3階は黄色の化粧煉瓦を使用し、コーナー部分のみ花崗岩貼りとしています。東側に正面入口を配してイオニア式オーダーを用いた玄関ポーチを設けています。ポーチには村井家の家紋である「三柏」の意匠が見られます。

  • 残された資料によると外部の設計をガーディナーが行い、内装の設計をの設計を大島溢株(みつもと)が担当しています。「桃山徳川両時代折衷の十畳、十二畳の二室、其の他廊下、階段等頗る善美を尽」と記されているそうです。

    残された資料によると外部の設計をガーディナーが行い、内装の設計をの設計を大島溢株(みつもと)が担当しています。「桃山徳川両時代折衷の十畳、十二畳の二室、其の他廊下、階段等頗る善美を尽」と記されているそうです。

  • 内装は東京の杉田商店と京都の河瀬商店が手掛けたことが確認されています。

    内装は東京の杉田商店と京都の河瀬商店が手掛けたことが確認されています。

  • 建築は日露戦争による中断もありましたが、1909年明治42年に竣工します。伊藤博文が「長楽館」と扁額に揮毫を残しています。階段を降りた半地下のような部屋は「球戯の間」です。建築当時は球戯すなわちビリヤードを楽しむための一室で、フロアにはビリヤード台が置かれていました。

    建築は日露戦争による中断もありましたが、1909年明治42年に竣工します。伊藤博文が「長楽館」と扁額に揮毫を残しています。階段を降りた半地下のような部屋は「球戯の間」です。建築当時は球戯すなわちビリヤードを楽しむための一室で、フロアにはビリヤード台が置かれていました。

  • 明治時代に京都の迎賓館として威光をはなった「長楽館」の顔ともいえるのがこのロビーで、華々しい時代を彷彿とさせる優雅なデザインです。

    明治時代に京都の迎賓館として威光をはなった「長楽館」の顔ともいえるのがこのロビーで、華々しい時代を彷彿とさせる優雅なデザインです。

  • ヴェネツィアンガラスのような壁付けのペンダント照明やブロンズ像や蛇紋岩のカウンタートップなど隙のない内装です。

    ヴェネツィアンガラスのような壁付けのペンダント照明やブロンズ像や蛇紋岩のカウンタートップなど隙のない内装です。

  • 席が用意されるまでロビーで待っていても仕方がないので階段室の見学をさせていただきます。今までいろいろな洋風建築を見てきましたが、この建物のクオリティは抜群に高いです。

    席が用意されるまでロビーで待っていても仕方がないので階段室の見学をさせていただきます。今までいろいろな洋風建築を見てきましたが、この建物のクオリティは抜群に高いです。

  • 階段が嫌いな妻はロビーの1階で待ってくれています。

    階段が嫌いな妻はロビーの1階で待ってくれています。

  • 扁額の文字は伊藤博文の揮毫ですが篆刻で造られたものです。内装の木材と同じような造りなので和風でありながら違和感がありません。2階の「喫煙の間」は異国情緒漂う当時の喫煙室です。 正面の窓の外にバルコニーが備えられ、床にはイスラム風の幾何学模様のタイル貼りになっています。観音開きの扉には羊飼いの少女が描かれたステンドグラス、 壁面には竹や蘭などシノワズリーな墨絵が見られます。階段室の天井のモールディングも美しいです。

    扁額の文字は伊藤博文の揮毫ですが篆刻で造られたものです。内装の木材と同じような造りなので和風でありながら違和感がありません。2階の「喫煙の間」は異国情緒漂う当時の喫煙室です。 正面の窓の外にバルコニーが備えられ、床にはイスラム風の幾何学模様のタイル貼りになっています。観音開きの扉には羊飼いの少女が描かれたステンドグラス、 壁面には竹や蘭などシノワズリーな墨絵が見られます。階段室の天井のモールディングも美しいです。

  • 3階は襖が閉じられていますが、その奥は和室になっています。図面によると左右に控えの間があり、その奥が茶室になっているようです。実は2021年に叔母が「嵐山吉兆」でお茶会を行った後に計画していたのがここでの茶会でした。係りの方に尋ねてみると重要文化財の建物なので直火が使えないということと、階段しかないということでした。

    3階は襖が閉じられていますが、その奥は和室になっています。図面によると左右に控えの間があり、その奥が茶室になっているようです。実は2021年に叔母が「嵐山吉兆」でお茶会を行った後に計画していたのがここでの茶会でした。係りの方に尋ねてみると重要文化財の建物なので直火が使えないということと、階段しかないということでした。

  • 叔母から10月に茶会を催すことが決まったという連絡が来たのは夏のダイヤモンド・プリンセスの旅が終わった後でした。絶対に行きたいと思ったのですが、同じダイヤモンド・プリンセスのオーストラリアとニュージーランドのクルーズに重なって行くことが出来ませんでした。この機会を逃したら3階に入る機会は無いので本当に残念でした。

    叔母から10月に茶会を催すことが決まったという連絡が来たのは夏のダイヤモンド・プリンセスの旅が終わった後でした。絶対に行きたいと思ったのですが、同じダイヤモンド・プリンセスのオーストラリアとニュージーランドのクルーズに重なって行くことが出来ませんでした。この機会を逃したら3階に入る機会は無いので本当に残念でした。

  • 席は「球戯の間」で、妻にはゆっくりとソファーに座っていただき、懐かしい「祁門紅茶(きーむん)」があったので注文しました。安徽省を旅した時に菜の花がきれいだったことを思い出します。妻は桃ジュースを注文しましたが、シャーベット状だったので大喜びです。正直こっちにあすればよかったと思いました。

    席は「球戯の間」で、妻にはゆっくりとソファーに座っていただき、懐かしい「祁門紅茶(きーむん)」があったので注文しました。安徽省を旅した時に菜の花がきれいだったことを思い出します。妻は桃ジュースを注文しましたが、シャーベット状だったので大喜びです。正直こっちにあすればよかったと思いました。

  • クールダウンも出来たのでさらに散策を続けることにします。

    クールダウンも出来たのでさらに散策を続けることにします。

  • 「円山公園」から「八坂神社」に向かいます。さすがにここはオーバーツーリズムを感じる人出でした。この辺りまでは子供の頃の遊び場のようなものなので「本殿」で参拝だけして「西楼門」へ急ぎます。

    「円山公園」から「八坂神社」に向かいます。さすがにここはオーバーツーリズムを感じる人出でした。この辺りまでは子供の頃の遊び場のようなものなので「本殿」で参拝だけして「西楼門」へ急ぎます。

  • 「西楼門」の辺りは思ったより人が少なくてよかったです。

    「西楼門」の辺りは思ったより人が少なくてよかったです。

    八坂神社 寺・神社・教会

  • ここからは四条通りを西に進むことにします。

    ここからは四条通りを西に進むことにします。

  • 「一力茶屋」の前を浴衣を着て歩く女性が絵になります。立ち寄ろうと思った「奥田連峯堂」はお休みでした。若い頃はよく骨董品を買い求めましたが、ヤフオクの世界になって足が遠のいています。「一力茶屋」にも30年ほど前に祇園祭のお茶会で来て以来暖簾をくぐったことがありません。

    「一力茶屋」の前を浴衣を着て歩く女性が絵になります。立ち寄ろうと思った「奥田連峯堂」はお休みでした。若い頃はよく骨董品を買い求めましたが、ヤフオクの世界になって足が遠のいています。「一力茶屋」にも30年ほど前に祇園祭のお茶会で来て以来暖簾をくぐったことがありません。

    一力亭 名所・史跡

  • 「鍵善良房」にも立ち寄りましたが、「長楽館」でお茶を飲んだばかりなので来一茶には寄りませんでした。でも「くずきり」は食べたかった。

    「鍵善良房」にも立ち寄りましたが、「長楽館」でお茶を飲んだばかりなので来一茶には寄りませんでした。でも「くずきり」は食べたかった。

    花見小路 名所・史跡

  • もうすぐ祇園祭が始まります。友人が御池通の観覧席を10席押さえたと連絡があったのですが、さすがに2週間空けて再び京都には来れないので諦めました。

    もうすぐ祇園祭が始まります。友人が御池通の観覧席を10席押さえたと連絡があったのですが、さすがに2週間空けて再び京都には来れないので諦めました。

  • 今まで存在は知りながら来たことがなかった「ZRNBI 鍵善良房」という美術館に来てみました。「何必館 京都現代美術館」にも久し振りに行きたいと思っていたのですが、こちらにして良かったです。

    今まで存在は知りながら来たことがなかった「ZRNBI 鍵善良房」という美術館に来てみました。「何必館 京都現代美術館」にも久し振りに行きたいと思っていたのですが、こちらにして良かったです。

  • 黒レンガの粗面が美しい露地の先がエントランスになっています。入場券に付いてくる鍵善良房の代表銘菓「菊寿糖」をひと回り小さくした「菊寿糖 小菊」が嬉しいです。「菊寿糖」は不祝儀にも使えるので、30年前のガールフレンドのお母さんが亡くなった際にもお線香と共に贈らせてもらいました。

    黒レンガの粗面が美しい露地の先がエントランスになっています。入場券に付いてくる鍵善良房の代表銘菓「菊寿糖」をひと回り小さくした「菊寿糖 小菊」が嬉しいです。「菊寿糖」は不祝儀にも使えるので、30年前のガールフレンドのお母さんが亡くなった際にもお線香と共に贈らせてもらいました。

  • 昭和初期に鍵善の当主であった今西善造は様々な文化活動を通じて多くの文化人や芸術家たちと交流を深め、なかでも同世代の木工作家の黒田辰秋と意気投合し、鍵善の店内の改装を任せる計画をしていたそうです。店内には現在も2つの大飾棚を始め、くずきりの螺鈿用器など黒田辰秋の作品を代表するものが多く遺されています。訪問した時は丁度黒田辰秋の作品展が行われていました。

    昭和初期に鍵善の当主であった今西善造は様々な文化活動を通じて多くの文化人や芸術家たちと交流を深め、なかでも同世代の木工作家の黒田辰秋と意気投合し、鍵善の店内の改装を任せる計画をしていたそうです。店内には現在も2つの大飾棚を始め、くずきりの螺鈿用器など黒田辰秋の作品を代表するものが多く遺されています。訪問した時は丁度黒田辰秋の作品展が行われていました。

  • 「朱四稜茶器」<br />蓋上面の中心を頂点にして、螺旋状に広がる稜と谷のデザインがとても昭和30年代のデザインとは思えません。

    「朱四稜茶器」
    蓋上面の中心を頂点にして、螺旋状に広がる稜と谷のデザインがとても昭和30年代のデザインとは思えません。

  • 「拭漆百日紅中次」<br />願うような蔦材が手に入らなかったときに用いたのが百日紅だったそうです。さるすべりの名前の通りツルツルとした手触りの良い木肌を持った堅い木で耐久性にも優れていたそうです。

    「拭漆百日紅中次」
    願うような蔦材が手に入らなかったときに用いたのが百日紅だったそうです。さるすべりの名前の通りツルツルとした手触りの良い木肌を持った堅い木で耐久性にも優れていたそうです。

  • 「運・鈍・根」の書と額も黒田辰秋の手によるものです。十代半ばで木漆工芸の分業制に疑問を抱き、素地造りから仕上げまで一貫制作を志しました。

    「運・鈍・根」の書と額も黒田辰秋の手によるものです。十代半ばで木漆工芸の分業制に疑問を抱き、素地造りから仕上げまで一貫制作を志しました。

  • 「運」は自分位はこの道しかないと思い込む心、「鈍」は工芸の仕事は鈍く誰の助けにも受けずに弛まずやり抜き、「根」は粘り強く繰り返しやるということだそうです。

    「運」は自分位はこの道しかないと思い込む心、「鈍」は工芸の仕事は鈍く誰の助けにも受けずに弛まずやり抜き、「根」は粘り強く繰り返しやるということだそうです。

  • 「朱溜花文茶器」<br />温かみのある朱の溜塗に細い二等辺三角形に切り出した貝片を用いて可憐な花紋を描いています。花弁は12枚づつ、花も散らされているようですが、きちんと配列されています。

    「朱溜花文茶器」
    温かみのある朱の溜塗に細い二等辺三角形に切り出した貝片を用いて可憐な花紋を描いています。花弁は12枚づつ、花も散らされているようですが、きちんと配列されています。

  • 「青貝入尾張茶器」<br />螺鈿の総貼りは蓋の上面から放射線状に張り付けられています。それぞれが異なる色味ですがまとまりを感じます。同じ貝から取られた破片をなるべく原型を再現するように貼られているようです。

    「青貝入尾張茶器」
    螺鈿の総貼りは蓋の上面から放射線状に張り付けられています。それぞれが異なる色味ですがまとまりを感じます。同じ貝から取られた破片をなるべく原型を再現するように貼られているようです。

  • 「螺鈿卍文茶筒」<br />側面に朱漆と螺鈿の不規則な縞模様が陶器の麦藁手のように見えます。蓋の上面には卍文が配されています。卍文はこの時期研究していた李朝家具の意匠にも使われています。

    「螺鈿卍文茶筒」
    側面に朱漆と螺鈿の不規則な縞模様が陶器の麦藁手のように見えます。蓋の上面には卍文が配されています。卍文はこの時期研究していた李朝家具の意匠にも使われています。

  • いきなりすごいものが展示されていて息が詰まりそうです。そんな中に置かれた盆栽の青紅葉にホッと一息つけます。

    いきなりすごいものが展示されていて息が詰まりそうです。そんな中に置かれた盆栽の青紅葉にホッと一息つけます。

  • 古い中国の竜頭船を模した吊り香炉を花器に見立てているのでしょうか。南禅寺で青紅葉を見てきたばかりだということを思い出させます。

    古い中国の竜頭船を模した吊り香炉を花器に見立てているのでしょうか。南禅寺で青紅葉を見てきたばかりだということを思い出させます。

  • 小槌に宝珠、宝鍵など宝尽くしの真鍮製の自在鉤です。これは黒田辰秋とは関係ないようですが、河井寛次郎記念館で見た自在鉤を思い出しました。

    小槌に宝珠、宝鍵など宝尽くしの真鍮製の自在鉤です。これは黒田辰秋とは関係ないようですが、河井寛次郎記念館で見た自在鉤を思い出しました。

  • 「拭漆欅宝結文莨入」と「拭漆欅宝結文マッチ入」と「拭漆莨盆」<br />美しいケヤキの木目を生かした拭き漆のタバコセットです。

    「拭漆欅宝結文莨入」と「拭漆欅宝結文マッチ入」と「拭漆莨盆」
    美しいケヤキの木目を生かした拭き漆のタバコセットです。

  • 小さな美術館でしたが建築は金澤富(IAT STUDIO / Architecs +)が手がけたそうです。こんな感じの家に住めたらいいなと思わせるような階段です。

    小さな美術館でしたが建築は金澤富(IAT STUDIO / Architecs +)が手がけたそうです。こんな感じの家に住めたらいいなと思わせるような階段です。

  • 「朱漆香盒」<br />昭和7年に作られたシンプルな香盒です。

    「朱漆香盒」
    昭和7年に作られたシンプルな香盒です。

  • 「螺鈿亥字香盒」<br />昭和10年になると干支の亥の文字が蓋の上に螺鈿で表されています。猪は無病息災や子孫繁栄の象徴とされます。

    「螺鈿亥字香盒」
    昭和10年になると干支の亥の文字が蓋の上に螺鈿で表されています。猪は無病息災や子孫繁栄の象徴とされます。

  • 「朱漆菱花紋帯留」<br />昭和初期にはこのような装身具を良く手掛けたそうです。

    「朱漆菱花紋帯留」
    昭和初期にはこのような装身具を良く手掛けたそうです。

  • 「蔦金輪寺茶器」<br />少し上から写真を撮っているので分かりにくいですが、横から見ると蓋は屋根のように盛り上がり、経筒から移したように思えます。足利義政から足利義明、さらには織田信長に伝わった金輪寺茶器に感動して作られたようです。蔦材手に入れるのに30年もかかったということです。

    「蔦金輪寺茶器」
    少し上から写真を撮っているので分かりにくいですが、横から見ると蓋は屋根のように盛り上がり、経筒から移したように思えます。足利義政から足利義明、さらには織田信長に伝わった金輪寺茶器に感動して作られたようです。蔦材手に入れるのに30年もかかったということです。

  • 「白楽茶碗」<br />白洲雅子もうならせた黒田の楽茶碗は60歳をを過ぎてからの余技として制作されたようです。白楽茶碗は珍しく見込みには「寿」の文字が刻まれています。

    「白楽茶碗」
    白洲雅子もうならせた黒田の楽茶碗は60歳をを過ぎてからの余技として制作されたようです。白楽茶碗は珍しく見込みには「寿」の文字が刻まれています。

  • 「赤楽茶碗」<br />赤楽や黒楽は他にもいくつか作例があるようです。余技でこれだけのものが造れたらと思うと羨ましくも思えます。

    「赤楽茶碗」
    赤楽や黒楽は他にもいくつか作例があるようです。余技でこれだけのものが造れたらと思うと羨ましくも思えます。

  • 「共筒茶杓」<br />

    「共筒茶杓」

  • 「乾漆八稜水差裡耀貝螺鈿」<br />乾漆で作られた水差しは見た目よりも軽いものなのだと感じます。多分水を入れたときに見た目と重さが合致するのではないでしょうか。陶器は料理を持った時に見た目と実際の重さが合致しなければならないという話を祖父や大叔父たちから聞いたことがあります。

    「乾漆八稜水差裡耀貝螺鈿」
    乾漆で作られた水差しは見た目よりも軽いものなのだと感じます。多分水を入れたときに見た目と重さが合致するのではないでしょうか。陶器は料理を持った時に見た目と実際の重さが合致しなければならないという話を祖父や大叔父たちから聞いたことがあります。

  • 外側の八面は捻じりながら削ぎを入れた時期に用いられるようなデザインです。内側に貼られた螺鈿はこのままでも輝いていますが、水を貼ったらさぞ美しいのではないかと感じます。民芸運動に参加していた棟方志功が「耀貝(ようがい)」と名付けたメキシコアワビの貝片は日本のものとは違った輝きがあります。

    外側の八面は捻じりながら削ぎを入れた時期に用いられるようなデザインです。内側に貼られた螺鈿はこのままでも輝いていますが、水を貼ったらさぞ美しいのではないかと感じます。民芸運動に参加していた棟方志功が「耀貝(ようがい)」と名付けたメキシコアワビの貝片は日本のものとは違った輝きがあります。

  • 「拭漆縞柿炉縁」<br />見事な黒柿の炉縁です。今年の2月に秋田県の横手市にかまくらと梵天の祭りを観に行った際に立ち寄った増田町には豪商の家で見事な黒柿を幾つも見ました。

    「拭漆縞柿炉縁」
    見事な黒柿の炉縁です。今年の2月に秋田県の横手市にかまくらと梵天の祭りを観に行った際に立ち寄った増田町には豪商の家で見事な黒柿を幾つも見ました。

  • 「喜者開扉(きしゃかいび)」<br />江戸時代から続く「鍵善」の歴史の中でも昭和17年の1942年から昭和31年の1956年まで休業しています。この寄せ書きは再開店を祝したものです。「喜者開扉」は河井寛次郎が書いています。

    「喜者開扉(きしゃかいび)」
    江戸時代から続く「鍵善」の歴史の中でも昭和17年の1942年から昭和31年の1956年まで休業しています。この寄せ書きは再開店を祝したものです。「喜者開扉」は河井寛次郎が書いています。

  • 連なる名前のうちで知っているのは河井寛次郎、濱田庄司、柳宗悦の甥の悦孝と河井寛次郎の甥の河合武一です。この旅の少し前に濱田庄司の茶器揃えをヤフオクで信じられない安さで買うことが出来ました。以前に百貨店で買ったものとはこのサイズや造りまで同じなので間違いなくものです。

    連なる名前のうちで知っているのは河井寛次郎、濱田庄司、柳宗悦の甥の悦孝と河井寛次郎の甥の河合武一です。この旅の少し前に濱田庄司の茶器揃えをヤフオクで信じられない安さで買うことが出来ました。以前に百貨店で買ったものとはこのサイズや造りまで同じなので間違いなくものです。

  • 「拭漆欅座卓」<br />たった今造られたばかりのように美しい座卓です。卓上に置かれた六角偏壺は河井武一の作品だとすぐに分かります。翌日のお昼に「丸太町十二段屋」に行きましたが、ここにも河井寛次郎や河井武一の作品がたくさん並んでいました。<br />

    「拭漆欅座卓」
    たった今造られたばかりのように美しい座卓です。卓上に置かれた六角偏壺は河井武一の作品だとすぐに分かります。翌日のお昼に「丸太町十二段屋」に行きましたが、ここにも河井寛次郎や河井武一の作品がたくさん並んでいました。

  • 先ほど「鍵善」のショーウインドウを見て感じた違和感が何だったのかが分かりました。ウインドウの奥の壁に並んでいた「赤漆宝結文飾板」がここに来ていました。

    先ほど「鍵善」のショーウインドウを見て感じた違和感が何だったのかが分かりました。ウインドウの奥の壁に並んでいた「赤漆宝結文飾板」がここに来ていました。

  • 「赤漆宝結文飾板」<br />「鍵善」のショーウインドウのサイズに合わせた4枚組の作品です。ウインドウの入れ替え作業もあるので分割にする必要もあったのだと思います。現在は複製画置かれているそうですが、この時は置かれてなかったような気がします。<br />

    「赤漆宝結文飾板」
    「鍵善」のショーウインドウのサイズに合わせた4枚組の作品です。ウインドウの入れ替え作業もあるので分割にする必要もあったのだと思います。現在は複製画置かれているそうですが、この時は置かれてなかったような気がします。

  • 赤漆で仕上げられた中央は宝結び文が透かし彫りにされています。長年ウインドウに飾られていたにもかかわらず色落ちも傷も無いのが驚きです。

    赤漆で仕上げられた中央は宝結び文が透かし彫りにされています。長年ウインドウに飾られていたにもかかわらず色落ちも傷も無いのが驚きです。

  • 「螺鈿くずきり用器」<br />十二代の当主が信玄弁当の器を模して、黒田辰秋に依頼したものです。昭和初期には店舗に喫茶室は無く、1つづつ岡持ちに入れて注文のあった寺社や料理店に届けたそうです。<br />

    「螺鈿くずきり用器」
    十二代の当主が信玄弁当の器を模して、黒田辰秋に依頼したものです。昭和初期には店舗に喫茶室は無く、1つづつ岡持ちに入れて注文のあった寺社や料理店に届けたそうです。

  • 昭和40年代に現在の店舗の2階部分に喫茶室が出来上がり、初めて「鍵善」でくずきり」を食べたのは昭和50年代の初めでした。現在は1階の奥に喫茶室が出来ていますが、昔の2階の方が風情委はありました。そして「くずきり」の器も信玄弁当の形はそのままにデザインは簡素なものに変わっています。

    昭和40年代に現在の店舗の2階部分に喫茶室が出来上がり、初めて「鍵善」でくずきり」を食べたのは昭和50年代の初めでした。現在は1階の奥に喫茶室が出来ていますが、昔の2階の方が風情委はありました。そして「くずきり」の器も信玄弁当の形はそのままにデザインは簡素なものに変わっています。

  • 「螺鈿くずきり用器(鍵)」

    「螺鈿くずきり用器(鍵)」

  • 「螺鈿くずきり用器(善)」

    「螺鈿くずきり用器(善)」

  • 「螺鈿くずきり用器(良)」

    「螺鈿くずきり用器(良)」

  • 「螺鈿くずきり用器(房)」

    「螺鈿くずきり用器(房)」

  • 「螺鈿卍文蓋物」44

    「螺鈿卍文蓋物」44

  • 「螺鈿菓子重箱」<br />平面で構成されているせいか比較的大きな貝片で総貼りされた菓子の重箱です。上蓋には大きく朱漆で囲まれた前「善」の文字がデザインされています。改めて「善」の文字が左右対称で美しい形だと感じさせられます。それぞれの段には2×3と2×4と3×5と違うサイズの菓子が納められるようになっているそうです。

    「螺鈿菓子重箱」
    平面で構成されているせいか比較的大きな貝片で総貼りされた菓子の重箱です。上蓋には大きく朱漆で囲まれた前「善」の文字がデザインされています。改めて「善」の文字が左右対称で美しい形だと感じさせられます。それぞれの段には2×3と2×4と3×5と違うサイズの菓子が納められるようになっているそうです。

  • 「朱漆六角茶筒」<br />手に納まりやすいサイズと均整の取れた美しさを感じますが、お昼に食べてきた「いもぼう」に見えて仕方ありません。

    「朱漆六角茶筒」
    手に納まりやすいサイズと均整の取れた美しさを感じますが、お昼に食べてきた「いもぼう」に見えて仕方ありません。

  • 「朱漆振出」<br />振出として使うには口がとても小さいと思います。八角形の胴から上部は円形に変わり、上に伸びた口が非常に美しいです。河井寛次郎の作品を思わせる栓が印象に残ります。

    「朱漆振出」
    振出として使うには口がとても小さいと思います。八角形の胴から上部は円形に変わり、上に伸びた口が非常に美しいです。河井寛次郎の作品を思わせる栓が印象に残ります。

  • 「溜塗欅大平椀」<br />溜息が出るような蓋付きの欅の大平椀です。<br /><br /><br />

    「溜塗欅大平椀」
    溜息が出るような蓋付きの欅の大平椀です。


  • 「箸」<br />辰の文字の入った箸は親しい友人に挨拶代わりに渡したと伝えられているそうです。

    「箸」
    辰の文字の入った箸は親しい友人に挨拶代わりに渡したと伝えられているそうです。

  • 久し振りに良いものを見させていただきました。京都で民藝について知るにはこの美術館と「河井寛次郎記念館」は必須だと思いました。<br />河井寛次郎:https://4travel.jp/travelogue/11724024

    久し振りに良いものを見させていただきました。京都で民藝について知るにはこの美術館と「河井寛次郎記念館」は必須だと思いました。
    河井寛次郎:https://4travel.jp/travelogue/11724024

  • 興奮覚めないままに「Zpulus」でというミュージアムショップで図録「黒田辰秋と鍵善良房-結ばれた美への約束」という本を購入しました。

    興奮覚めないままに「Zpulus」でというミュージアムショップで図録「黒田辰秋と鍵善良房-結ばれた美への約束」という本を購入しました。

  • 「ZRNBI 鍵善良房」の見学を終えた後は四条通から縄手通に向かいます。

    「ZRNBI 鍵善良房」の見学を終えた後は四条通から縄手通に向かいます。

  • 白川の流れが涼しそうです。最近はこの辺りからずいぶん足が遠のいています。

    白川の流れが涼しそうです。最近はこの辺りからずいぶん足が遠のいています。

  • 祖父の友人だった小森さんのお茶屋さんには何度か行ったことがありましたが、かなり前に「甘味どころ ぎをん 小森」という甘味喫茶に変わってしまいました。20年くらい前に行ったことがありますが、陶器はお茶屋さんの時代のいいものをそのまま使っていてびっくりしたことがあります。多分知らずに使っていたのだと思いますが、親戚の澤村陶哉の古い物でした。

    祖父の友人だった小森さんのお茶屋さんには何度か行ったことがありましたが、かなり前に「甘味どころ ぎをん 小森」という甘味喫茶に変わってしまいました。20年くらい前に行ったことがありますが、陶器はお茶屋さんの時代のいいものをそのまま使っていてびっくりしたことがあります。多分知らずに使っていたのだと思いますが、親戚の澤村陶哉の古い物でした。

  • 40年ほど前は新門前や古門前の骨董屋さんを訪ね歩いていましたが、最近はこの辺りも歩くことは無くなりました。ヤフオクでは祖父の造った「陣屋」の陶器や大叔父たちの「東哉」や「陶哉」の陶器がずいぶん手頃な値段で買えました。人気のなかったころに100点ほど集めた清風与平という作家の陶器はこの5年ほどで10倍くらいの値段で落札されていてびっくりです。

    40年ほど前は新門前や古門前の骨董屋さんを訪ね歩いていましたが、最近はこの辺りも歩くことは無くなりました。ヤフオクでは祖父の造った「陣屋」の陶器や大叔父たちの「東哉」や「陶哉」の陶器がずいぶん手頃な値段で買えました。人気のなかったころに100点ほど集めた清風与平という作家の陶器はこの5年ほどで10倍くらいの値段で落札されていてびっくりです。

  • 地番の琺瑯看板のほとんどが「仁丹」の広告入りですが、新門前だったか古門前に「貸し物ゼニヤ」というものがありました。現在はジーク(ZYCC)と社名を変えているゼニヤという内装会社の前身の広告でしたが、30年近く前の京都支店の支店長と祇園で飲んでいて看板の話になり探しに行ったことがありました。

    地番の琺瑯看板のほとんどが「仁丹」の広告入りですが、新門前だったか古門前に「貸し物ゼニヤ」というものがありました。現在はジーク(ZYCC)と社名を変えているゼニヤという内装会社の前身の広告でしたが、30年近く前の京都支店の支店長と祇園で飲んでいて看板の話になり探しに行ったことがありました。

  • 三条京阪から鴨川脇の川端通りに出ました。鴨川では「納涼床(のうりょうゆか)」「川床(かわゆか)」と呼ばれ、川の上に高床式に組み立てられた桟敷に席が設けられますが、5月1日から9月末までの5か月間だけの風物詩です。

    三条京阪から鴨川脇の川端通りに出ました。鴨川では「納涼床(のうりょうゆか)」「川床(かわゆか)」と呼ばれ、川の上に高床式に組み立てられた桟敷に席が設けられますが、5月1日から9月末までの5か月間だけの風物詩です。

  • 「先斗町歌舞練場」は1925年の大正14年に着工し、2年後の昭和2年に完成しました。 設計は「大阪松竹座」や「東京劇場」などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師の木村得三郎です。 鉄筋コンクリート造りで地上4階、地下1階で、当時は「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されました。

    「先斗町歌舞練場」は1925年の大正14年に着工し、2年後の昭和2年に完成しました。 設計は「大阪松竹座」や「東京劇場」などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師の木村得三郎です。 鉄筋コンクリート造りで地上4階、地下1階で、当時は「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されました。

  • 鴨川遊歩道には修学旅行中の中学生の姿も見えます。きれいに男女が分かれているのが微笑ましいです。

    鴨川遊歩道には修学旅行中の中学生の姿も見えます。きれいに男女が分かれているのが微笑ましいです。

  • 「三条大橋」を渡って高瀬川沿いにある安藤忠雄設計の「Time’s」というコンクリート打放ち美しい商業施設の店が全て空き店舗になっていてびっくりしました。隣にある「小刀屋忠兵衛」で祇園祭の粽の形の土鈴を買い求めました。母がここで買い求めたミニチュアの長刀鉾と船鉾は妻が引き継いで毎年飾ってくれます。<br />

    「三条大橋」を渡って高瀬川沿いにある安藤忠雄設計の「Time’s」というコンクリート打放ち美しい商業施設の店が全て空き店舗になっていてびっくりしました。隣にある「小刀屋忠兵衛」で祇園祭の粽の形の土鈴を買い求めました。母がここで買い求めたミニチュアの長刀鉾と船鉾は妻が引き継いで毎年飾ってくれます。

    三条大橋 名所・史跡

  • 三条河原町から一度タクシーでホテルに戻り、部屋で少し休んでから、再びタクシ0で「一平茶屋」に向かいます。

    三条河原町から一度タクシーでホテルに戻り、部屋で少し休んでから、再びタクシ0で「一平茶屋」に向かいます。

    一平茶屋 グルメ・レストラン

  • この店は妻が大好きな店で、蕪蒸しと最後に出てくる小さなちりめん山椒の乗ったご飯が好物なのだそうです。もちろん事前に予約してありました。

    この店は妻が大好きな店で、蕪蒸しと最後に出てくる小さなちりめん山椒の乗ったご飯が好物なのだそうです。もちろん事前に予約してありました。

  • 1926年の大正15年に仕出し業に始まり、1928年に祇園の南北を走る短い切り通しの界隈から現在地に移転した店です。

    1926年の大正15年に仕出し業に始まり、1928年に祇園の南北を走る短い切り通しの界隈から現在地に移転した店です。

  • 久し振りに来ることが出来たのでご機嫌です。

    久し振りに来ることが出来たのでご機嫌です。

  • 今回は少し奮発して上かぶら蒸し定食にしました。この店は夜でも4,000円からとお手頃なのが嬉しいです。上かぶら蒸し定食でも6,000円です。

    今回は少し奮発して上かぶら蒸し定食にしました。この店は夜でも4,000円からとお手頃なのが嬉しいです。上かぶら蒸し定食でも6,000円です。

  • 京都「ゑびす神社」の十日戎の笹が飾られています。この店と「建仁寺」の間に神社があります。京都の「ゑびす神社」は西宮と大阪の「今宮神社」と並んで日本三大ゑびすとされ、「えべっさん」の名で親しまれています。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌や商売繁盛の象徴とされます。

    京都「ゑびす神社」の十日戎の笹が飾られています。この店と「建仁寺」の間に神社があります。京都の「ゑびす神社」は西宮と大阪の「今宮神社」と並んで日本三大ゑびすとされ、「えべっさん」の名で親しまれています。笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌や商売繁盛の象徴とされます。

  • 木版の反なので文字が逆さまになっていますが、じっくり読むと「お酒のまうか 銭ためませるか ままよ酒飲んで死んちまへ 良燗」とあります。良燗と良寛和尚とかけています。

    木版の反なので文字が逆さまになっていますが、じっくり読むと「お酒のまうか 銭ためませるか ままよ酒飲んで死んちまへ 良燗」とあります。良燗と良寛和尚とかけています。

  • 入口の脇には三宝荒神を祀る飾り竈が据えられています。「河井寛次郎記念館」を思い出させるような設えです。

    入口の脇には三宝荒神を祀る飾り竈が据えられています。「河井寛次郎記念館」を思い出させるような設えです。

  • 右の席の壁にかかる2枚の板には「即身成仏」ならぬ「酔心成仏」と「極楽浄土」ならぬ「酒即浄土」と書かれています。重い木製の椅子ですが、羽後会社水曜に伽kスターが付いています。真っ白な椅子カバーも時代を感じさせます。

    右の席の壁にかかる2枚の板には「即身成仏」ならぬ「酔心成仏」と「極楽浄土」ならぬ「酒即浄土」と書かれています。重い木製の椅子ですが、羽後会社水曜に伽kスターが付いています。真っ白な椅子カバーも時代を感じさせます。

  • ビールとレモンサワーで乾杯です。今日も1日良く歩いてくれました。

    ビールとレモンサワーで乾杯です。今日も1日良く歩いてくれました。

  • 最初の1品は6月の料理で水無月豆腐です。京都では6月30日は水無月を食べる日で、1年のちょうど折り返しにあたるこの日に半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。この「夏越祓」に用いられるのが6月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。水無月は白の外郎(ういろう)生地に小豆をのせて三角形に切られた菓子ですが、それぞれに意味がこめられています。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。ここでは三角形の胡麻豆腐の上に枝豆とウニが乗っています。白ずいきと魚そうめんも添えられています。

    最初の1品は6月の料理で水無月豆腐です。京都では6月30日は水無月を食べる日で、1年のちょうど折り返しにあたるこの日に半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。この「夏越祓」に用いられるのが6月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。水無月は白の外郎(ういろう)生地に小豆をのせて三角形に切られた菓子ですが、それぞれに意味がこめられています。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。ここでは三角形の胡麻豆腐の上に枝豆とウニが乗っています。白ずいきと魚そうめんも添えられています。

  • 八寸はバイガイを煮たものにうなぎの肝、キュウリにもろみ、鱧寿司、豆腐とクリームチーズ、オクラとナスの上に知らすとイクラを散らした小鉢。

    八寸はバイガイを煮たものにうなぎの肝、キュウリにもろみ、鱧寿司、豆腐とクリームチーズ、オクラとナスの上に知らすとイクラを散らした小鉢。

  • 「金瓢」は文化7年に祇園白川のほとりにある秋山酒造にて誕生し、その名は豊臣秀吉が愛した千成瓢箪に因みます。現在は1726年の享保11年創業の松井酒造で醸造されています。<br />

    「金瓢」は文化7年に祇園白川のほとりにある秋山酒造にて誕生し、その名は豊臣秀吉が愛した千成瓢箪に因みます。現在は1726年の享保11年創業の松井酒造で醸造されています。

  • お造りは鱧の落しと鯛とマグロの3点盛です。

    お造りは鱧の落しと鯛とマグロの3点盛です。

  • そしてお待ちかねのかぶら蒸しが出てきます。

    そしてお待ちかねのかぶら蒸しが出てきます。

  • 一般的なかぶら蒸しはつなぎとして片栗粉や卵白を使いますが、「一平茶屋」では道明寺粉を使っているのが特徴です。11月から3月末頃までは京野菜の聖護院かぶらを使い、それ以外の時期は小蕪を使用しているということです。

    一般的なかぶら蒸しはつなぎとして片栗粉や卵白を使いますが、「一平茶屋」では道明寺粉を使っているのが特徴です。11月から3月末頃までは京野菜の聖護院かぶらを使い、それ以外の時期は小蕪を使用しているということです。

  • 蕪蒸しの中にはシイタケやゆり根など具沢山なのも嬉しいです。

    蕪蒸しの中にはシイタケやゆり根など具沢山なのも嬉しいです。

  • 焼き鱧とウリの酢味噌和え。

    焼き鱧とウリの酢味噌和え。

  • 炊き合わせは里芋とオクラとアワビとウリと肉そぼろの入った煮凝りが掛かっています。

    炊き合わせは里芋とオクラとアワビとウリと肉そぼろの入った煮凝りが掛かっています。

  • 焼き物は赤パプリカとトウモロコシの素揚げ。熱々で火が通った野菜はとても甘いです。

    焼き物は赤パプリカとトウモロコシの素揚げ。熱々で火が通った野菜はとても甘いです。

  • 最後に炊き立てのご飯に小さなチリメン山椒、そして漬物が出てきます。いつ来ても大満足の料理がいただけます。よそで修業していた息子さんが帰ってきたようで、親子3代で気持ち良いサービスが味わえます。

    最後に炊き立てのご飯に小さなチリメン山椒、そして漬物が出てきます。いつ来ても大満足の料理がいただけます。よそで修業していた息子さんが帰ってきたようで、親子3代で気持ち良いサービスが味わえます。

  • 「団栗橋」の上を歩いていると南の方で花火が上がりました。京都競馬場で上げられているようです。かなり遠いので望遠レンズで800ミリにしてもこれくらいです。

    「団栗橋」の上を歩いていると南の方で花火が上がりました。京都競馬場で上げられているようです。かなり遠いので望遠レンズで800ミリにしてもこれくらいです。

  • しばらく橋の上から花火を眺めていました。そこで思い出したのが、祖母から聞いた天明の大火の話でした。1788年の天明8年正月30日におきた京都の歴史上最大の火災です。この団栗橋付近から出火した火事の火は東からの強い風に吹かれて鴨川を超えて西へひろがり、それからさらに北と南へも拡大し、2昼夜が過ぎた2月2日朝にようやく鎮火しました。

    しばらく橋の上から花火を眺めていました。そこで思い出したのが、祖母から聞いた天明の大火の話でした。1788年の天明8年正月30日におきた京都の歴史上最大の火災です。この団栗橋付近から出火した火事の火は東からの強い風に吹かれて鴨川を超えて西へひろがり、それからさらに北と南へも拡大し、2昼夜が過ぎた2月2日朝にようやく鎮火しました。

  • 当時の京都の市街ほぼ全域が焼け野原になってしまい、この火災で3万7000軒の家が焼け,6万5000世帯が住む所を失いました。御所や二条城や東西の本願寺も焼けてしまいました。祖父の生まれた「二条陣屋」は1600年初頭から50年ほどかけて建築されていますが、この火事では焼失を免れています。

    当時の京都の市街ほぼ全域が焼け野原になってしまい、この火災で3万7000軒の家が焼け,6万5000世帯が住む所を失いました。御所や二条城や東西の本願寺も焼けてしまいました。祖父の生まれた「二条陣屋」は1600年初頭から50年ほどかけて建築されていますが、この火事では焼失を免れています。

  • 木屋町通りから西木屋町通りに入って通りの風情を楽しみます。友人が暮れになると「下阪老舗」の千枚漬けを用意してくれるのですが今年もいただけるかなぁ。

    木屋町通りから西木屋町通りに入って通りの風情を楽しみます。友人が暮れになると「下阪老舗」の千枚漬けを用意してくれるのですが今年もいただけるかなぁ。

    村上重本店 グルメ・レストラン

  • いつか食事したいと思いつつ、まだアクションも起こしていない「食堂 みやざき」の前を通過します。

    いつか食事したいと思いつつ、まだアクションも起こしていない「食堂 みやざき」の前を通過します。

  • 「フランソア喫茶室」は両親が結婚する前にデートしていた喫茶店です。もう65年も前ですが、見張り役で母の妹である叔母も一緒だったようです。まだ開いている時間で推定層だったので妻を誘ってきましたが、軽く断られました。

    「フランソア喫茶室」は両親が結婚する前にデートしていた喫茶店です。もう65年も前ですが、見張り役で母の妹である叔母も一緒だったようです。まだ開いている時間で推定層だったので妻を誘ってきましたが、軽く断られました。

    フランソア喫茶室 グルメ・レストラン

  • 四条通まで戻ってきまいs田。鴨川の向こうには「南座」が見えます。

    四条通まで戻ってきまいs田。鴨川の向こうには「南座」が見えます。

    京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡

  • 今回は来ないかなと思っていた「東華菜館」です。この店は祖父も通ったことがあると聞きました。祖母と叔母を連れて料理屋さんへは何度も行きましたが、一度も祖父を連れて行かなかったのを申し訳なく思います。

    今回は来ないかなと思っていた「東華菜館」です。この店は祖父も通ったことがあると聞きました。祖母と叔母を連れて料理屋さんへは何度も行きましたが、一度も祖父を連れて行かなかったのを申し訳なく思います。

    東華菜館 本店 グルメ・レストラン

  • 「先斗町」は拍子抜けするほど人が歩いていません。

    「先斗町」は拍子抜けするほど人が歩いていません。

    先斗町 名所・史跡

  • 京都五花街の1つに数えられる先斗町は三条通の一筋南から四条通まで、鴨川に沿った南北の細長い通りを指しています。

    京都五花街の1つに数えられる先斗町は三条通の一筋南から四条通まで、鴨川に沿った南北の細長い通りを指しています。

  • 名前の由来はポルトガル語のPonta(先)やPonte(橋)、Ponto(点)や、鴨川と高瀬川の川(皮)にはさまれた鼓にたとえてポンと音がするのをもじったなど、諸説が伝わっているようです。

    名前の由来はポルトガル語のPonta(先)やPonte(橋)、Ponto(点)や、鴨川と高瀬川の川(皮)にはさまれた鼓にたとえてポンと音がするのをもじったなど、諸説が伝わっているようです。

  • もうどの路地だか忘れましたが、扉が1枚だけあって、インターホンで人数を言うと鍵が開くという2階にあったBarはまだあるのでしょうか。

    もうどの路地だか忘れましたが、扉が1枚だけあって、インターホンで人数を言うと鍵が開くという2階にあったBarはまだあるのでしょうか。

  • 昔はよく通った2階の「セント・ジェームス・クラブ」はまだ健在でしたし、「東哉」の叔母たち姉妹が行きつけの「我瑠慕」もまだまだ賑わっています。

    昔はよく通った2階の「セント・ジェームス・クラブ」はまだ健在でしたし、「東哉」の叔母たち姉妹が行きつけの「我瑠慕」もまだまだ賑わっています。

  • 結局「先斗町歌舞練場」まで歩いてしまいました。もう何十年も鴨川をどりも観ていませんが、久し振りに来てみようかと思いました。

    結局「先斗町歌舞練場」まで歩いてしまいました。もう何十年も鴨川をどりも観ていませんが、久し振りに来てみようかと思いました。

    先斗町歌舞練場 名所・史跡

  • 三条大橋のたもとにある「弥次喜多像」です。「膝栗毛」とは自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意味で、まるで我々夫婦の旅にも通じます。今日はここまでで、タクシーに乗って五条通りのホテルまで戻ります。

    三条大橋のたもとにある「弥次喜多像」です。「膝栗毛」とは自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意味で、まるで我々夫婦の旅にも通じます。今日はここまでで、タクシーに乗って五条通りのホテルまで戻ります。

    弥次喜多像 (三条大橋) 名所・史跡

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