2024/06/25 - 2024/06/25
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kojikojiさん
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今回のフリーツアーの宿泊先が五条通りに面した「エスペリアホテル京都
」ということもあり行きたい場所がありました。ホテルから南側に歩いて10分ほどの「角屋もてなしの文化美術館」です。美術館と言っても島原にある「角屋」の建物の見学です。その理由は家に残っていた父のアルバムの中に昭和35年にここへ行った写真が残っていたからです。同行していた人が外国人の方だったので、勤めていた共同通信社の関係で提携している海外の通信会社の人を連れて京都を案内していたようで、外祖父の生家である「二条陣屋」も案内したようです。その当時の太夫や禿(かむろ)の写真もたくさんありました。外祖父の所には角屋保存会からよく手紙が来ていたので何か関係があったのかもしれませんが、それを知っている人はもうこの世にいません。京都には60年に渡り通っていながら「角屋」には行ったことが無かったので今回がいい機会だと思い、事前に予約をしてありました。ホテルから山陰本線沿いの旧千本通を通り、「島原住吉神社」の御神木の大イチョウを見てから「角屋」に向かいます。門口(かどぐち)と呼ばれる正面の入り口ではなく左脇の入り口から入るのがちょっと残念な感じもします。手続きをして時間を待つ間に奥にある小さな美術館を見せてもらいますが、なかなか良い煎茶道具などが並んでいました。ここは撮影禁止になっています。見学には2つのコースがあり、1階だけのものと2階も含んだものがあったので、迷わず両方見学できるコースにしました。ここでも2階は写真撮影がダメということでちょっと残念です。まずは2階の見学で、「翠簾(みす)の間」「扇の間」「馬の間」「孔雀の間」「青貝の間」を説明付きで見せていただきます。続いて1階の見学は案内人の方が変わっての説明になります。まずは一番奥の「松の間」から臥龍松を見ます。主庭の奥にある「曲木亭」と「清隠斎茶席」は縁側から眺めるだけになります。「桧垣の間」から坪庭を経て「緞子の間」と「網代の間」そして最後に「台所」を見て見学は終わりです。見学は両方ともに我々2人だけで見学できたのも良かったです。現在は営業していませんが、往時に一度来ておけばよかったと思いました。「角屋」を出た後は「島原大門」や現在も営業されている「輪違屋(わちがいや」の前を通って一度ホテルに戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー スカイマーク JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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宿泊した「エスペリアホテル京都」は中堂寺壬生川町という五条通り北側にあり、JR山陰線の丹波口駅にも近い場所にありました。その立地から行きやすいところを選んで今回は5日間の京都旅です。一番近いのが島原の「角屋もてなしの文化美術館」なので南に向かて歩きます。途中には「島原大銀杏弁財天社」があったので表から参拝しておきます。
島原住吉神社 寺・神社・教会
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「京だんらん 嶋原」と玄関のカバー付き蛍光灯に書かれてあります。元々はお茶屋さんで、以前は鳥料理の料亭として利用されていて、現在はリノベートしてシェアハウスになっているようです。玄関の軒上に乗せられた鍾馗は20センチくらいの高さの瓦でつくられた人形です。いかつい表情で太刀を持ち、藍袍(くるちょう)を着て、両目を?いて正面を睨んだ姿で表現されています。
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鍾馗の由来は中国の唐の時代に遡り実在の人物だといわれます。鍾馗は病の床に伏す玄宗皇帝の夢に現れ、楊貴妃の宝を盗もうとした鬼を退治しました。その故事から鍾馗は疫病や魔を払ってくれると信じられるようになりました。日本では疫病や魔を払うだけでなく、火災除けとしての役割も担っているといわれます。
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三条にあった薬屋が屋根の上に大きな鬼瓦を取り付けたところ、向かいの家の女房がそれを見て寝込んでしまったことから、取り外してくれと頼んだが断られ、対抗策として鬼に勝つ鍾馗を瓦屋に作らせて屋根に乗せたところ病気が全快したそうです。昔は京都市内でも数多く見ることが出来ましたが、ずいぶん数が減ったと感じます。
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すぐに「角屋」の角にたどり着きました。外塀の雰囲気が祖父の生まれた「二条陣屋」に似ているので何となく親近感がわきます。
二条陣屋:https://4travel.jp/travelogue/11724026 -
「長州藩士久坂玄瑞の密議の角屋」という石標が立っています。長州藩士の久坂玄瑞は江戸遊学を終えて上洛すると尊皇攘夷の急進派として朝廷工作など様々な運動を行なっています。この石標は玄瑞が尊皇攘夷運動の密議を角屋で重ねたことを示すもののようです。
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京都は母が生まれた土地ということもあって60年通っていますが、島原の辺りに来るのはこれが初めてです。「角屋」は1985年の昭和60年まで営業していたようですが、一見さんは予約することは出来なかったようです。80年代には上七軒のお茶屋さんでは遊んでいたことはあるので、誰か連れて行ってくれなかったのかと思うと残念です。
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今回ここへ来るにあたってネットでいろいろ調べてありました。1階は1日に6回の時間指定の見学が出来て、2階の見学は事前に予約して1日4回の時間指定ということでした。もちろん全部見学したいので事前に予約をしてありますので、午前10時の開館に合わせています。
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「門口」の扉は閉ざされていて、門柱には「角屋保存会」の表札が掛かっています。そういえば祖父の所に「角屋保存会」からの郵便物がよく来ていたことを思い出しました。
角屋もてなしの文化美術館 名所・史跡
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揚屋町西側に面した間口は十六軒(31メートル)荷もおよび、一番南側を除いて総2階造りになっています。1階と2階とも格子造りとしますが、これは廓に限らず江戸初期には京都市中の町屋ではよく使われていたようです。
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角屋は島原開設当初からの建物と家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴やもてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、1952年の昭和27年に国の重要文化財に指定されました。祖父の家は1944年の昭和19年に国の重要文化財(旧国宝)に指定されているので、同じ時代の建物を見学する際の目安として考えてしまいます。
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今回ここへ来たいと思った理由は別にあり、両親が亡くなって古いアルバムなどをデジタル化する中で昭和35年に父がここへ来た写真が残っていたからです。
エスペリアホテル京都 宿・ホテル
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外国人の方を連れてきていたので、UPI通信社かタス通信の人を案内していたのではないかと思います。父は共同通信社に勤めていたので、外国人の方との接点はそれしか考えられません。
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1960年の昭和35年の角屋の1階の奥座敷ですが、今回見学することで「松の間」だということが分かりました。
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見学するまでは白黒の写真でしたが、青海波に波が銀で摺られている唐紙だということが分かりました。
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揚屋(あげや) は江戸時代にお客が置屋から太夫、天神、花魁などの高級遊女を呼んで遊んだ店のことを指します。太夫は官許の遊女の最上位で天神はその次位で、揚げ代が25匁だったことから北野天満宮の縁日の25日にかけて天神と呼ばれたそうです。建物の造りを見てもお茶屋より格上だったことが分かります。
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太夫が置屋から客に招かれて揚屋に移動する際のその光景は、あたかも大名の行列が練り歩くが如くであったため、これを太夫の道中といったそうです。かつて太夫がその置屋から揚屋入りするにはかならず引舟と呼ばれる後の新艘なるものを1人ないし2人、禿を1人もしくは3人、および下男を1人を召しつれたそうです。
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昭和30年代も同じようだったかは知る由もありませんが、父がポケットマネーで行ったとも思えないので生前に聞いておけばよかったと思います。太夫の帯は前に「心」と結ぶのに対して花魁の帯は前にだらりと垂らして結ぶ違いがあります。
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「禿(かむろ)」は遊女見習いの幼女をさす呼び名で、本来はおかっぱの髪型からつけられた名です。髪を結うようになってからも遊郭に住み込む幼女のことを「禿」と呼びました。最上級の太夫の身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学びました。「禿」の年齢を過ぎると「新造」となって、遊女見習いの後期段階に入っていきます。島原では芸妓に付き添う幼女も禿と呼ばれました。
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父の遺した写真やネガフィルムやポジフィルムは膨大な量で、10年以上かけて全てを自分でデジタル化し終わりました。その一部は4トラベルで紹介することもあり、その一部はテレビ局で使われたり、日本郵政で出版する切手の本に掲載されています。
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花名刺も残っていて小車太夫という名前も分かりました。「ちとせ」は置屋さんの名前でしょうか。
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さて、現実に戻って「角屋」の見学がスタートします。入り口の脇には地下の「氷室」が残されています。実際に氷が夏まで保存できたとは思えませんが、地下の冷水で食品の保存は多少できたのではないでしょうか。
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その脇には駕籠が置かれてあります。門口から玄関まで駕籠で入って来ることが出来たということです。角屋には泊まることが出来なかったので、お客はどれだけ酔っても籠に乗せられて帰されたそうです。
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「中庭」には大きな鞍馬石が置かれてあります。鞍馬石は鉄錆を帯びた花崗岩(グラナイト)の一種で、京都市北部の鞍馬で産出される極めて採石量が少ない石です。白っぽい地色のなかに黒や灰色の点模様がみられ、石に含まれている「磁流鉄鋼」が時間の経過とともに酸化し、茶色い色味がでてくることが特徴です。鞍馬石は茶室の庭の石灯籠・飛石・沓脱石・つくばい(茶室に入る前にを手や口を清めるための手水鉢)などに多く使用されており、茶道の世界で愛好されている石です。
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軒に吊られたのは春日燈籠のようです。春日大社の回廊に吊られた姿を想像すると少し寂しい感じもします。
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中庭に置かれた燈籠も春日燈籠なのでこの庭は奈良を表しているのではないだろうかと思いました。祖父の家にも「春日の間」というものがあることからそう思えたのかもしれません。
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飾り井戸の滑車は織部焼の陶器で造られていることが分かります。
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奥へ進むと角屋で最も広い大座敷「松の間」があります。43畳もの広さがある松の間からは京都市指定名勝にもなっている「主庭」を眺めることができます。木造平屋建の離れは大正時代のボヤにより再建されているため、重要文化財の指定から外されています。
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「主庭」で一際目を引くのが「臥龍松」で、屈曲蛇行した見事な枝振りが白砂に張り出し、美しいコントラストを生み出しています。名前の通り臥せた龍のような姿です。
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主庭は江戸でも京名所として知られ、都林泉名勝図絵に紹介されたり、国貞や広重などの浮世絵にも描かれたりしていました。残念ながらその時代の松は枯れてしまっていて、現在は3本の松でその姿を再現しています。
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龍の下の白砂の砂紋は一文字になっています。沓脱石(くぬぎいし)から庭先へ下りられるようですが、実際に降りる人はいないでしょう。平らに見える沓脱石も多分水捌けをよくするために中央が少し盛り上がっているのだと思います。
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桂離宮の御輿寄(おこしよせ)御殿に入るときにそんなことを教わったのを思い出しました。
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「主庭」の奥には3つの茶室があり、「曲木亭」とその奥に「清隠斎茶席」、臥龍松の左手には「囲の間」があるそうです。「清隠斎茶席」はカラスに屋根の材を持っていかれて無残な姿になっていました。「曲木亭(きょくぼくてい)」は表千家好みの茶室で、柱に曲がった自然木を使っているためこの名前がついているそうです。
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「松の間」は新選組初代筆頭局長の芹沢鴨が暗殺される日の夜に宴会を行っていた場所で、酒に酔って八木邸に帰宅して寝ていたところを暗殺されたと言われています。
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父の遺した写真がこの座敷で撮られたものだということが分かりました。それまで白黒の写真のイメージだけだった世界が総天然色に変わった気がします。太夫や禿の衣装が想像できないのが残念です。以前はここで花魁ショーを観るというバスツアーがありましたが、現在は無くなっています。
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掛軸は月岡雪鼎の「鯉図」です。この座敷はボヤにあっているので火伏で鯉の絵でも飾ったのかなとも考えてしまいます。雪鼎は美人画を得意とした画家で、春画も得意だったそうです。ある屋敷が全焼した際に焼け残った蔵があり、その中に雪鼎の春画があったということで火伏として人気が出て値が十倍にもなったという逸話があります。
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その右には床脇があり、天袋の手斧の跡と小襖のツタ唐草の絵が美しいです。天袋と地袋の引手もツタのデザインになっています。
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角屋で一番広い43畳の「松の間」の座敷は23畳の大広間と12畳と8畳の次の間で構成されています。
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室内の釘隠しや引手などのデザインが蔦(ツタ)で統一されている「松の間」の欄間です。
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朱塗雲龍文螺鈿衝立は岸良(がんりょう)筆「布袋図」ですが、かなり薄くなってしまっています。若くして岸駒(がんく)に学び、お家芸の虎図だけでなく、南蘋派風の濃彩な写実画も良く、御所や高野山西門院の仕事もこなし、岸岱(がんたい)と共に岸駒亡き後の岸派を支えた人物です。
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「次の間」の襖絵は岸連山の筆「金地桐に鳳凰の図」です。岸連山(きしれんざん)は岸駒(がんく)の養子となり、第三代岸派を継承しました。幕末画壇の「平安四名家」と評され、初期は装飾的な画風を特徴としましたが、晩年は四条派の影響を受け、身近な花鳥や鳥獣を淡彩を生かしつつ墨を駆使して描く温和な画風に変化していきます。
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満開の梧桐の花の上に「鳳」と「凰」が連れ立っています。「鳳凰」は中国神話に登場している伝説の霊鳥で、中華文化における最も縁起の良い鳥類とされています。
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霊泉の甘い泉の水だけを飲み、60年から120年に一度だけ実を結ぶという竹の実のみを食物とし、梧桐(あおぎり)の木にしか止まらないといわれます。詩経に「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に」とあり「鳳凰は梧桐にあらざれば栖まず、竹実にあらざれば食わず」といいます。
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扁額は薩摩藩士の筆で「蓬壺生春酒(ほうこしゅんしゅをしょうず)」と書かれています。蓬壺(ほうこ)とは仙人のすむという蓬莱山(ほうらいさん)の別称で、日本を表す比喩でもあります。生春酒は春にできた生酒という意味のようです。
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襖の唐紙も父の写真でははっきりしませんでしたが、間近に見ると青海波の上にさらに波涛が描かれていると分かりました。
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こちらも地袋の小襖は白地に銀で青海波と波涛が摺られています。
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中庭と奥座敷を結ぶ廊下は「大津磨壁」になっていまになっています。「大津壁」とは土に苆すさなどの繊維状材料と少しの石灰を混ぜた材料を壁に塗りつけた後にコテで何度も押さえたきめ細やかな肌質に仕上げる漆喰壁のことです。大津壁には「泥大津」「並大津」「大津磨き」の3種があり、「大津磨き」が最高級の仕上げになります。
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今年の2月に横手へ鎌倉と梵天を観に行った旅で立ち寄った増田町で見た蔵の壁も同じような仕上げでした。
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表通りに面した「網代の間」は28畳で床の間と棚と付書院つきの座敷です。室内の天井や引手などのデザインが「網代」で統一されています。煤で黒くなった天井の網代がかなり圧迫感を感じさせます。
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火灯窓(かとうまど)の付いた立派な書院が格式の高さを感じさせます。上枠を火炎形(火灯曲線)または花形(花頭曲線)に造った特殊な窓で、中国から伝来した禅宗寺院の窓として使われることが多いです。窓の上の欄間には網のデザインの障子が嵌め込まれています。
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今年の2月に横手へかまくらと梵天を観に行った旅で立ち寄った増田町で見た蔵の壁も同じような仕上げでした。
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「西園雅集図」は岸駒(がんく)の作品です。これは中国の西園に文人墨客16人が集い、文雅の宴を催したという伝説に因んだ作品です。江戸後期の文人趣味の盛行に伴って人気の画題となり、多くの画家が描いています。
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部屋の隅を三角に切り取った天袋は奥行きから行っても意匠的な意味合いが強いようです。床板は4メートルの松の大節木で、床柱は大木皮付きが使われています。床の奥行きは1メートル以上あるので、この材を取るのにどれだけの大木が必要なのかを感じます。床柱は取り外しが出来るということでした。
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「網代の間」の天井は大長枌へぎ網代組というもので、木を薄くそいだ「枌」という板は通常より長い材を縦横に編んでいます。棹縁(さおぶち)は座敷の奥行きの8メートルの北山杉が使われています。
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座敷の中には柱は無いので、この8メートルの北山杉の材でこの上の2階を支えています。
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襖絵は長谷川等雲の筆による「唐子の図」です。子孫繁栄の意味のあるおめでたい絵柄です。こちらの襖絵も当時のものなのでロウソクの煤で天井と同じくかなり黒くなっています。置いてある行燈は現在は電気ですが、これにロウソクを燈しただけだったのでかなり暗かったのだと思います。
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玄関には「刀掛け」が置かれてありました。これはいったんここでお預かりするだけのもので、預かった刀は後に出てくる「刀箪笥」で保管されました。上の方にあずかられるのはいいですが、一番下に掛けられたら気分悪そうです。
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玄関の表はまだ観ていませんが、先に中から表を見てしまいました。ここから右手にあるバックヤードの見学に移ります。玄関から見える2本の木は「槐(えんじゅ)」です。槐の木は「延寿」と呼ばれる縁起の良いとされ、魔除けとしても使われます。
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先ほど「刀掛け」で預かった刀はこの「刀箪笥」で保管されました。素手で刀を持つことは無かったと思うので、いちいち面倒だったのではないでしょうか。
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遊郭の営業形態には2種類のタイプがあって、それぞれ「居稼ぎ制」と「送り込み制」と呼ばれていたようです。「居稼ぎ制」は遊女の寝泊まりする建物と、客を取る建物が同じタイプのいわゆる住み込みで、「送り込み制」は遊女が寝泊まりする建物と、座敷遊びをしたり客を取る建物が別のタイプです。
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現在の祇園などもそうですが「送り込み制」のタイプの街では芸妓や遊女が所属し寝泊まりする建物を「置屋(おきや)」と言い、送り込まれる先の宴などが催されたり客が泊まったりする座敷のある建物を「揚屋(あげや)」と呼んでいました。また、揚屋にはこのような台所があり自家で料理を提供していましたが、お茶屋では基本的に料理は仕出しになります。
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現在は重要文化財に指定されている角屋は太平洋戦争時に取り壊されそうになったことがあるそうです。空襲による延焼を防ぐため、家屋を取り壊す「建物強制疎開」の対象になったためです。角屋を調査に来た役人が西郷隆盛など名だたる人物が訪れた場所だと知り、取り壊しを保留にしてそのまま終戦を迎えたことで現存しています。
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京都市内の中でも御池通、五条通、堀川通の道幅が広いのは戦時中の「建物強制疎開」によるもので、五条通と堀川通と御池通沿いなどで計2万戸が取り壊されました。祖父から聞いた話では御池通は飛行機が着陸できることまで考えられたそうです。
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本当かどうか分かりませんが、祖父が生家である「二条陣屋」を残すために国宝に認定させるために役所に何度も通い、昭和19年に認定されたために御池通は堀川通まで拡張して、その先の山陰線の二条駅(現在は移動)までは細いまま残ったと行っていました。ただ、拡張した時被害を受けるのは「神泉苑」と昔は「二条陣屋」の敷地でもあった教業小学校(廃校)なので本当かどうか。
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「帳場」も囲いと共に残されています。帳場では部屋に合わせた器を出し、毎回帳簿で部屋に何を飾ったか、食事は何を提供したかなどを事細やかに書き残していたそうです。次に同じお客が来た時には前回とは違う書画や花や器でおもてなしをしたそうです。
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西郷隆盛が使用した盥(たらい)が展示してあります。これが取り壊しを防ぐきっかけを作ったということです。
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この風景はとても懐かしく思えます。60年近く前の祖父の家の台所も幅はもっと狭かったのですが、明るさや竈の感じが似ています。子供のころは祖父の家に泊まるのが嫌で仕方ありませんでした。寝ている2階の「赤壁の間」から長い廊下を通って奥の階段でトイレに行くとガラス窓にヤモリがいて怖かったことを覚えています。
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台所には同じように恵比寿と大黒の木像が明り取りの前に置かれてあったのですが、祖母が後ろから声を掛けたので振り返るとちょうど入れ歯を外したところでした。たとえると映画エイリアンで口の中からさらに口が飛び出すあの感じです。ここにきてそんなことを思い出すとは思いませんでした。
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台所は土間も合わせると100畳の広さがあるという説明でした。畳が50畳なので板間と土間で50畳になります。50人から100人分の料理の準備ができる台所では料理の準備をするために常時20人から30人が働いていたそうです。
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台所には木地のまま周りとは色の違った柱が2本立っていますが、これは後年になって補強のために追加されたものだそうです。黒い板の間の部分には酒樽などが扱われたようです。畳の上で濡れてしまうと痛みますから。和紙を張った傘のようなものは「吊行燈」というものだそうです。台所にスタンド式の行燈だと倒れて火事になる恐れがあったための工夫だそうです。
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文久3年に水口藩公用方が会津藩邸で会津藩の公用方に新選組の所業の悪さを訴えるとそれを聞きつけた芹沢が詫び証文を書かせます。無断で詫び証文を書いたことが水口藩主の耳に入りと断罪になる恐れがあるために後日返還を求めます。新選組側より会議の場所を提供すればそこで返却するとの回答があり、選ばれたのがこの角屋でした。
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宴席上で証文は問題なく返却されましたが、酒乱の芹沢が店の対応に腹を立てて暴れ始めます。愛用の鉄扇を振り回して席上に出ていた膳はもとより、食器や什器を悉く叩き割り、酒樽に叩きつけて帳場を酒浸しにしてしまいます。店主の角屋徳右衛門に7日間の営業停止を一方的に申し渡して意気揚々と引き上げますが、同年の9月には会津藩の催した角屋での宴会で泥酔して屯所に帰宅した寝込みを近藤勇一派に襲われて絶命します。
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屋根まで吹き抜けになった台所に天井には大きな換気窓が設けてありました。これは古い京都の町屋にはよくあるものです。夏はいいですが今日町屋の冬の寒さは体験したことがない人にはわからないと思いますが、子供には深々と下から伝わる寒さはつらかったです。
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台所の神様である三宝荒神を祀る飾り竈です。この竈の白い部分は漆喰で仕上げるもので、先ほどの「大津壁」のようにピカピカに輝いています。
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台所から表に出て玄関の見学に移ります。ここにもツタのデザインが組み込まれています。
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新選組は市内見回りということで刀を預けなかったようで、刀傷が残されています。その理由はこの辺りは新撰組が拠点としていた壬生寺があるということと、新選組掛売禁止の古文書が残っている通り、お金を払わないことが多かったので暴れたのでしょうね。
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先ほど内側から眺めた玄関の表に来ました。左手には切られてしまった「槐」の木が残っています。弁柄(べんがら)は紅殻とも書き、日本では江戸時代にインドのベンガル地方産を輸入したために名づけられました。祇園の「万亭(一力茶屋)」のベンガラもきれいですが、ここも3方を囲まれてとてもきれいです。
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営業されていた昭和60年までに来てみたかったと思います。せめてバスツアーに花魁ショーがあったころにでも戻りたいです。
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防火水槽にも家紋の「蔓三つ蔦」が彫られています。このタイプの防火用水も以前は京都の街中でもよく見掛けましたが、いつの間にかその数は減っているようです。
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角屋の家紋「蔓三つ蔦」の暖簾です。最初に表から見た客用の出入口「門口」の内側です。
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奈良晒(ならさらし)は良質の高級麻織物で、町時代後期には既に苧麻を用いた麻織が生産されていたことがわかっていますが、商品生産としての奈良晒業が成立したのは江戸時代になってからのようです。徳川幕府の御用達品として認められたことが奈良晒の名声を高めました。これは2008年に新調したものだそうです。
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暖簾は元々はここに掛かっていたようです。あっという間でしたがここ何年か気になっていた「角屋」の見学をすることが出来ました。同じ時代に建てられた祖父の家とも比較して楽しい時間が過ごせました。
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せっかくここまで来たので町内をもう少し歩いてみることにします。
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豊臣秀吉が京都を再興するに当たり、二条柳馬場に柳町の花街を公許しましたが、これが後に六条坊門(現在の東本願寺の北側)に移され、六条三筋町として栄えました。その後の京の町の発展に伴い、1641年の寛永18年に市街地の西に当たる当時の朱雀野に移ります。正式名称は西新屋敷と呼びましたが、その急な移転騒動が九州島原の乱の直後であったため、それになぞらえて島原と称されるようになりました。
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この町には古いままの町屋や置屋の建物が残されているようで、軒上の鍾馗の姿も数多く見ることが出来ます。京都中心になぜ鍾馗瓦が広がったのかというと、向かいの家が鍾馗を軒上に上げると、文句は言わず黙って同じように自分の家にも鍾馗さんを上げるという京都人の性格もあったようです。
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昔の島原はこの「島原大門」を含めて塀や堀で外界から隔てられていたようですが、遊女たちの出入りは比較的自由で江戸の吉原ほど閉鎖的ではなかったようです。
島原大門 名所・史跡
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一間幅の本瓦葺きの切妻の高麗門です。門内は通りの左右に格子造りの古い揚屋や置屋が整然と並んでいたのでしょうね。門前に通称「出口の柳」「さらば垣」、門前の道筋には「思案橋」と粋に名づけられた橋もあったようです。。
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花街としての登録も1976年に終えていて、現在は一軒だけ「輪違屋」という置屋が残っているようです。創業は1688年の元禄元年で置屋として始まり、創業当時の名は「養花楼」といったようです。
輪違屋 名所・史跡
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お茶屋兼業は1872年の明治5年からで、現在の建物は1857年の安政4年に再建され、1871年の明治4年にほぼ現在の姿となりました。表の造りは今日の伝統的な町屋の造りで、見学してきた「角屋」に似ています。
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浅田次郎の小説とテレビドラマにもなった「輪違屋糸里」で有名になりました。この旅行前にもう一度読み直してこようと思いながら、チュニジアで頭がいっぱいでした。
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新選組由来の血をテーマにまた京都を周ってもいいかなと考えながらホテルに戻ることにします。一休みして時間調整してからお昼に出掛けます。
エスペリアホテル京都 宿・ホテル
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