2002/10/13 - 2002/11/08
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kojikojiさん
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メルスィンから1泊の小旅行でアンタクヤ(ハタイ)へも行きました。アダナを経由して4時間ほどのバスの旅です。アンタクヤの到着する前に海岸沿いのイスケンダルという町を通過しました。思わず宇宙戦艦ヤマトを口ずさんでしまいました。♪銀河を越えてイスカンダルへ?。♪ここはアレクサンダー大王と関係ある地名なのでしょうか?イスケンダルケバブは美味しいよな?とか考えているうちにアンタクヤに着きました。オトガルを出た瞬間にやたら軍人が多いと思いました。それもまだ若い青年ばかりです。そして町中の公衆電話には必ず3人から4人が列をなして交替で電話しています。ここからバスに乗って南に向かえばシリアとの国境もすぐなのです。サライというホテルにチェックインして、お腹が空いたのでイスケンダルケバブを食べました。隣はハマムで部屋からドーム屋根が見えました。この町の見所はトルコで最大のモ考古学博物館があることです。ここのモザイクを見るために来たようなものです。そして聖ペトロ教会です。彼の出身はメルスィンの近くのタルススで生まれています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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オトガルから川沿いの町の中心地に向かう通りです。軍人とシリアを行き来する商人相手の店がたくさんあります。
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安くて美味しそうな店がたくさん並んでいます。こんな所を素通り出来る訳がありません。
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公衆電話には休みの軍人が必ずいて、故郷へ電話しています。おかあさんか恋人かのどちらでしょう。この当時は携帯電話なんて復旧していなかったので、こんな風景を見る事が出来ましたが、現在はスマホ屋さんに変わってしまっているのでしょうね。
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川沿いのサライというホテルにチェックイン出来ました。隣はハマムだそうです。山のふもとには聖ペトロ教会があるはずです。
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川沿いの公園は電話する若い軍人と井戸端会議のおばあちゃんだらけでした。
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モザイク美術館の入口の辺りもこんな感じです。遊びに行く所も無いので、休日の若い兵隊たちも時間を持て余しているのでしょう。
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一瞬エッと思うほどの建物が美術館でした。が、中に入ってみると別世界が広がっています。地中海世界のいろいろな都市でモザイクを見て来ましたが、これだけの規模のもので且つ保存状態の良い物は初めてでした。
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この旅の翌年にナポリの考古学博物館に行く事が出来たので、残るはチュニスのバルドー美術館に行きたいと思っています。
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絵画的なモザイクも素晴らしいのですが、幾何学模様のモザイクも素晴らしいです。
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アンタキア(聖書に登場する町アンティオキア)は、アスィ川(オロンテス)に沿った町で、かつてはセレウコス王朝の首都であり、富と贅沢を極めたことで有名でした。その繁栄は商業と文化によりローマ時代まで続き、初期キリスト教の時代にはその中心地となり、「クリスチャン」という呼称もこの場所で生まれています。
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天使が漁をする姿を描いたモザイクはヴェネツィアの北にあるアクイレイアの大聖堂の床を覆うモザイクを思い出させます。ここまでかなり離れた場所ですが、同じモチーフが残されることに驚きを感じました。
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容姿からするとポセイドンの姿のようですが三叉の矛も描かれていないので確信は持てません。
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よく見ると頭からカニの爪のようなものが生えています。
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この博物館のモザイクはギリシャ神話のディオニソスについて描かれたものが多かったです。
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ディオニソスは本来集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していました。この信仰はその熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていましたが、民衆からは徐々に受け入れられ、最終的にはギリシアの神々の列に加える事となります。
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かなり大きな博物館ですが、私以外には姉弟を連れた夫婦しか見学に来ていませんでした。
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ディオニソスとアリアドネのモザイクの前に立つのが弟です。アリアドネはギリシャ神話に出てくるミノタウロス退治のテセウスを手助けしたクレタ島の王妃です。クレタ島の王子でパンアテナイア祭の勝者アンドロゲオスがアテナで殺害されたため、怒ったクレタ王はアテナを攻め、ミノタウロスへの生贄として各7人づつの少年少女を要求します。この中の一人がテセウスで、アリアドネは彼を見て恋をし自分を妻にすることを条件にミノタウロス退治の援助をします。
ミノタウロスは迷宮ラビリンスの奥に住んでいるため、アリアドネは迷宮を創ったダイダロスの助言をテセウスに教えました。それは毛糸の玉の端を迷宮の入り口に結んでおき、これを手繰って戻ってくるというものでした。
この助言のおかげで、テセウスはミノタウロスを倒した後も迷宮から帰還することができ、二人でクレタ島を脱出します。その後は諸説あってアテナへの途上でその美しさを見初められ、ディオニソスの妃になったというものがあります。 -
こちらもディオニソスの姿です。狩の帰り道でしょうか、右手には獲物を下げていますが、左側から抱えられているようにも見えます。
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眠っているクピド(エロス)が木の枝にかけた矢筒に手を掛けるのは母親のウェヌス(アフロディテ)でしょうか。クピドはこの矢で人や神々を撃って遊んでいた。ある時アポロンにそれを嘲られ、復讐としてアポロンを金の矢で射って、アポロンの前に居たダプネを鉛の矢で射ります。アポロンはダプネへの恋慕のため、彼女を追い回すようになりますが、ダプネはこれを嫌って逃れようとします。いよいよアポロンに追いつめられて逃げ場がなくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹に変えてしまいます。
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また、ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシュケの美しさは美の女神、ウェヌス(アフロディテ)へ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどでした。人間の女に負けることなど思いもよらなかったウェヌスは、息子クピド(エロス)にその愛の弓矢を使ってプシュケに卑しい男と恋をさせるよう命じます。
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悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従いますが、誤って自分をも傷つけプシュケへの愛の虜となってしまいます。このエロスとプシュケの物語はたくさんの絵画の題材になっています。
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オルフェウスの竪琴の技はアポロンより伝授されたと言われます。その技は非常に巧みで、彼が竪琴を弾くと森の動物たちばかりでなく木々や岩までもが彼の周りに集まって耳を傾けたと言われます。
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オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇にかまれて死んだとき、オルフェウスは妻を取り戻すために冥府に入ります。彼の弾く竪琴の哀切な音色の前に、ステュクスの渡し守カロンも冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入ります。ついにオルフェウスは冥界の王ハデスとその妃ペルセポネの王座の前に立ち、竪琴を奏でてエウリュディケの返還を求めます。
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オルフェウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネに説得され、ハデスは、「冥界から抜け出すまで決して後ろを振り返ってはならない。」という条件を付け、エウリュディケをオルフェウスの後ろに従わせて見送ります。目の前に光が見えて冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られたオルフェウスは後ろを振り向き、妻の姿を見ましたがそれが最後の別れとなってしまいます。
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当時の髪形や衣装や装飾品がその当時のままの色彩で残されています。
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見事なモザイクの数々を堪能しました。
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この博物館ではモザイク以外にも貴重な展示物がたくさんありました。古くはヒッタイトやミタンニ王国、またアッシリア時代の出土物からビザンティン帝国時代のものまで幅広く展示されています。
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アンティオキア様式の石棺は3世紀のもので、ライオンと戦う騎乗の戦士はアレキサンドロス大王のように見えました。この旅でもアンタルヤの博物館やイスタンブールの博物館で同じような題材の石棺を見る事が出来ました。
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博物館を堪能した後は町外れの聖ペトロ教会まで散歩がてらに歩きました。
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聖書の時代とほとんど変わっていない町の古い界隈を散歩していると、聖パウロや聖ペテロ、聖バルナバや他の人々もこの辺りを歩いたことを思い起こさずにはいられないです。
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聖ペテロ教会に到着しました。聖ペテロがここにいたと思うと感慨深いものがあります。聖ペテロは布教の旅をしているのでいろいろな所で足跡を見かけます。マルタ島では遭難して流れ着いた小島とか、隠れていた洞窟などもありました。キリスト教の信仰はありませんが、信者の方であればもっと感激するのではと思いました。
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教会の上には聖ペテロの洞窟があります。この教会は1963年にバチカンにより聖地として認定されています。教会の入口で係りのおじさんが、「上の洞窟に行くのなら娘に案内させるよ。」と言われましたが、女の子に案内してもらうのもカッコ悪いと思い断りました。実際は真っ暗で一人では勝手がわからず先に進めませんでした。
表で遊んでいたのが娘さんでしたが、目が合うとドキッとするほどの美人でした。
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