2019/01/28 - 2019/02/06
174位(同エリア597件中)
白い雲さん
日本からは、飛行機に20時間も乗らないと行けない。ずいぶん遠い国だけに生活様式、人々の考え方、さらに風景も違って旅行の楽しみである非日常が味わえます。
今回の旅は、よく知られた町を巡りました。町から町へと訪ねて行くと、メディナ(旧市街地)での人々の生活が、効率化された日本と異なるのを肌で感じました。さらにモロッコの中央部を走るアトラス山脈の北西部と南東部の自然の違いが明瞭で、驚きでした。
社会生活でも、服装や食事にモロッコの特徴を感じました。
最も認識を新たにしたのが、社会の安定と安全でした。
そんなことを写真の説明として付け加えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
モロッコは、遠い!
往きは、20時間を超えて飛行機に乗りました。
利用した航空会社は、エミレーツ航空でした。
飛行機は、A380-800でした。 -
機内は、完全2階になっていて
1階は、操縦席に近い部分がファーストクラス
残りの大部分がエコノミークラス席でした。
2階は、前部と後部に階段があって上がるのですが、見ていません。
何でも、ファーストクラスやビジネスクラスの席があるようです。
関西国際空港からドバイ国際空港まで焼く11時間余りかかります。
ドバイ国際空港からカサブランカのムハンマド5世国際空港まで9時間50分ほどかかります。
ちなみに帰路は、飛行時間が5時間あまり短いのです。 -
モロッコの通貨は、モロッコ・ディルハム(Moroccan dirham)です
DHやDhsといった略式表記を使います。
紙幣は、10、20、50、100、200ディルハム
硬貨は、1、5、10、20サンチーム
1/2、1、2、5、10ディルハム
補助単位は100分の1のサンチーム(santim )
為替レートは、1DH=12円くらいでした -
カサブランカから首都ラバトへの高速道路からの風景です。
モロッコの国土の大西洋側は、1月なのに、こんなに緑が豊かです。
走っているのは高速道路で、通行量が少ないので非常に快適です。 -
カサブランカのモハメド5世広場です。
サッカーコートが10面もとれそうな広場です。
中央に噴水がある以外、あまり見るものはありませんでした。
広場の周囲には、市庁舎、郵便局、裁判所、映画館、ショッピングセンターなどが立ち並んでいます。
たくさんの鳩がいました。 -
トラムです。
2012年12月11日に開業したモダンな車体が粋に走っていました。
フランス・アルストム製です。
券売機で磁気カード(2DH)を買うとチャージして使います。
1回の乗車は、均一料金で7DHです。 -
巨大な未完成のモスクの遺跡です。
ラバトにあります。
1195年、ムワッヒド朝のヤクークブ・エル・マンスールの命で建設が始まりましたが、彼の死で建設は中断されました。
その後大地震で倒壊し、355本の柱の内200本が残っています。 -
同じ敷地にあるハッサンの塔です。
ハッサンの塔は、高さ88mの予定が44mで未完のミナレットです。 -
ムハンマド5世の霊廟です。
ムハンマド5世は、フランスからの独立を勝ち取った二代前の国王です。
霊廟には、前国王ハッサン2世、その弟アブドゥラー王子の石棺も安置されています。
白と赤の衣装を身に着けた衛兵が守っています。 -
ムハンマド5世廟の付属の建物です。
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城壁です。
メディナ(旧市街地)を取り囲んでいます。 -
オリーブ畑です。
アトラス山脈の西側の斜面には、この風景が広がります。 -
ヴォルビリスです。
古代ローマ時代に属州マウレタニア西部の首都として栄えた都市です。
写真のバシリカは、公的な会議が行われ、裁判所や取引所・市場としても使われました。 -
キャピトルは、ローマ神ゼウスを祀る神殿です。
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モザイク画です。
丸い枠の中に春夏秋冬の四季の擬人像があります。 -
公衆浴場の跡です。
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オリーブの産地でしたので、その搾油施設も作られていました。
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カラカラ帝の凱旋門です。
217年にはアントニヌス勅令を発してくれたカラカラ帝への感謝を捧げ、凱旋門が建造されました。 -
カラカラ帝の凱旋門からの大通には、富裕層の豪邸が立ち並んでいました。
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シャウエンの遠望です。
シャウエンは、 リーフ山脈の山中にあります。
1471年に 、ムーレイ アリ ベン ラチェッド が、小さな要塞を造りました。
ゴマラ族の住むところへ、レコンキスタによって、スペインに住んでいたイスラム教徒やユダヤ人が移り住みました。 -
シャウエンのメディナ(旧市街地)を囲む城壁です。
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城壁の入り口の説明です。
次のように書いてありました。
One of the gates of city from the facade,it was built during 16th century. -
シャウエンのメディナの街並みです。
建物が青く塗られたのは、ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあります。 -
街並みは、くねくねと曲がっていたり袋小路があります。
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シャウエンが近年観光地として脚光を浴びているのは、SNSへの投稿によるそうです。
インスタ映えする場所として「バケツの階段」などがあります。
有料スポット(5DH)もあるという話です。 -
小物を売る店です。
現地住民だけでなく、観光客も相手にしようとする小さな店がありました。 -
インスタ映えのする場所は、観光客で混雑します。
よい写真は早朝が良いそうです。 -
パン焼き窯です。
この街の住人が、捏ねたパン生地を持ってきて、賃焼きしてもらうのです。
ここも青く塗られていました。 -
外見は普通の民家なのです。
改造して、絨毯を織っていました。 -
シャウエンの少年です。
スマホを持っていました。 -
ドアノッカーです。
青色に塗られた扉に、磨き上げられた真鍮の左手が取り付けられていました。 -
ハマム広場です。
通常のシャウエンの見学コースは、ここから始まるそうです。
こじんまりとした広場を、カスバやモスクそしてカフェ、レストランが取り囲んでいます。 -
ハマム広場のモスクから、シャウエンの街並みを見ています。
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ジュラバを着たベルベル人の男性です。
ジュラバは、必ずフードがついています。
上からスポンと被るように着ます。
男性用も女性用も、そして夏用も冬用もあるそうです。 -
街路樹の蜜柑です。
こんな風景を何度も見ました。
「誰も採らないのか?」と質問すると、
「苦いから、採らない」とのことでした。 -
「迷宮都市」フェズの道です。
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道の細いところは、一人がやっと通れる程度です。
両側の壁が、夏の直射日光を遮って、暑さが凌げるそうです。 -
道が天井で覆われている通路さえありました。
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シャウエンでの昼食は、レストラン ”パレ・ネッピレ” でした。
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レストラン ”パレ・ネッピレ” 中央部です。
元防衛大臣の邸宅を利用したレストランです。
贅沢な造りです。
4本の円柱に支えられた天井は高く、ホールのようです。 -
”パレ・ネッピレ” の小部屋です。
中央部とは、遮る扉などはありません。 -
”パレ・ネッピレ” の壁の装飾です。
細かいモザイク画が、壁一面を飾っています。
フェズは、タイルの生産が盛んな町です。 -
皮なめし場(フェズ)です。
右側の建物で、なめした皮を乾燥させていました。 -
皮なめし場です。
皮をなめしたり色づけする場所で、職人たちが数人作業をしていました。
見学のため屋上に上がる階段では、悪臭を紛らわすため、ミントの1枝が渡されました。
使われている皮は、山羊、羊、牛、ラクダなどだそうです。 -
皮なめし場の売店です。
大量の革製品を販売していました。
革ジャン、バッグ、革製のスリッパ、スツール等々です。 -
カラウィンモスクです。
857年に、ファーティマ・フェヘーリヤによって建てられました。
10世紀初頭、ムーレイ・ベン・ユーセフが改修して、壮大、華麗なモスクになりました。
古都・フェズ最古の建物です。 -
カラウィンモスクの内部です。
ムスリムでない観光客は、中には入れませんでした。 -
カラウィンモスクです。
メディナの道から見ています。 -
ブー・ジョルード門です。
フェズのメディア(旧市街地)へ入る門の一つです。
正面は、フェズ産の青色タイルでデザインされていました。 -
ブー・ジョルード門です。
門を潜って、振り返ると緑のタイルでデザインされていました。 -
ブー・イナニア神学校の入り口です。
中庭から見ています。 -
ブー・イナニア神学校です。
学生たちは、お祈りの前、授業を受ける前に右手前の泉水で、身を清めます。 -
ブー・イナニア神学校です。
アトラスシーダ(アトラス山脈に生える杉の一種)を使った細密な透かし彫りです。 -
彫金の作業です。
彼は、王宮の扉作りにも加わった職人です。 -
フェズのメディア前の広場で商品を並べる人たちです。
地べたに直接商品を並べていました。
靴類、ベルト、帽子などが多かったように見えました。 -
イフレンのカフェ(La Chamonx)です。
イフレンは、モワヤンアトラス山脈の麓にあります。
避暑地で、富裕層の別荘が並ぶ落ち着いた場所です。 -
石のライオン像です。(イフレン)
アトラス山脈には、かってライオンが生息してましたが、1922年最後の1頭が狩猟の標的にされてしまいました。 -
モワヤンアトラス山脈を通る道の周囲には、森林があります。
アトラスシーダ、松、樫などの木々が生えています。 -
モワヤンアトラス山脈の雪景色です。
スキー場さえあります。 -
モワヤンアトラス山脈とオートアトラス山脈の間は平坦な土地が広がっています。
ベルベル人が牧羊生活を行っています。 -
ズィズ川のオアシスです。
ズィズ川は、オートアトラス山脈から流れ出て、サハラ砂漠へ消えてゆきます。
その間、60kmほどがオアシスになっています。
ナツメヤシ(デーズ)が最も多いのですが、オリーブなども植えられています。
ナツメヤシは、自治体が管理をするそうで、畑の本数を数えるそうです。 -
ナツメヤシの果実は、アラビア語で熟度に応じた呼び名があります。
緑色のものはキムリ(kimri、未熟な)
赤みを帯びた黄色のものはハラール(khal?・l、カリカリした)
熟したものはルターブ(rut?・b、成熟してやわらかい)
完熟したものはタムル(tamr、天日で乾燥した) -
ズィズ川のオアシスでデーツを売っていたベルベル人です。
1箱、6$だが5箱買うとおまけを1箱つけると言いました。
5箱買うと、ちゃんと6箱包装したものを渡してくれました。
そんな商売の仕方をこれから後、何度か味わいました。 -
エルフードです。
街を抜けて、バスから四輪駆動車へ乗り換えました。
ここからは、砂漠を走って、メルズーガのホテルへ向かうのです。 -
チェビ砂漠の夜明けです。
メルズーガのホテルから、この砂丘までラクダで40分余りかかりました。
ラクダの運賃は、400DHでした。
ラクダ使い兼ガイドに、チップが20DH必要です。 -
サハラ砂漠からの日の出です。
8時10分でした。 -
ラクダ使い兼ガイドのベルベル人です。
-
砂丘の下で、待機するラクダです。
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ラクダは、人慣れしていて、危害を加えるようなことはありません。
常に口が動いて、反芻しています。
乗り降りでは、ラクダが立ち上がるとき、前後に大きく傾くので危険です。 -
キャラバンのようでしょう。
-
4頭のラクダを、1人のラクダ使い兼ガイドが引いて行きます。
彼らは、サービスのメニューがあるようで、写真も撮影してくれます。 -
エルフード郊外にある化石工房です。
化石の含まれた岩を加工して、調度品などを作っています。 -
化石を浮き彫りにした、テーブルです。
ガラスで覆って使うようにしてありました。
別の製品ですが、長さが80cm、幅が50cm位のテーブルが、日本までの送料込みで35万円と言っていました。 -
三葉虫(古生代)の化石です。
700DHでした。
アンモナイト(中生代)などは、10DH位からありました。 -
カナートの縦穴です。
今は使われていないようでした。
モロッコでは、ダムが建設され、水の供給がそちらからできるようになったのが理由のようです。 -
満開のアーモンド畑です。
カスバ街道で撮影しました。 -
アーモンドの大木です。
幹周りは、大人が3抱えほどありました。
アーモンドは、バラ科サクラ属の落葉高木です。
木の高さは5mにもなるようです。 -
アーモンドの花です。
桜の花にそっくりですが、花柄が短いところが違っています。 -
アーモンドの花を撮影していると寄ってきた子供たちです。
彼らは、学校へ通えないのだそうです。
「ペン、ペン」といってせがみました。
かわいそうですが、全員に与えられるペンは持っていませんでした。 -
カスバです。
カスバは、城塞に囲まれた居住区を指します。
この地方のカスバの特徴は、四隅の棟の角が突き出ているところです。 -
刺繍工房で働く女性たちです。
ワルサザードの郊外にありました。
モロッコでは、男子の意志で離婚が成立するそうです。
離婚された女性は、自立の手段が少なく、この刺繍工房もそのために作られたようです。 -
映画の撮影所です。
日本人が鑑賞したような映画の撮影にも関わっていたようです。
今も使用されています。 -
カスバ街道を走るトラックです。
積み荷は、藁です。
家畜の飼料にするので、麦が栽培されている地方から、冬のアトラス山脈で牧畜をする人たちのところへ運ぶようです。 -
ティネリール付近のオアシスです。
トドラ峡谷を流れる川がこのオアシスの水源になっているようです。 -
トドラ峡谷です。
ティネリールでカスバ街道を離れ、オートアトラス山脈に入るとあります。
崖の高さは、300mもあるところがありました。 -
アイト・ベン・ハッドウです。
規模の大きなカスバです。
今も数家族が住んでいます。
ワルサザードとマラケシュを結ぶ道路沿いにあります。
敵からの攻撃を防ぐため、入り口は1カ所、1階には窓がありません。
最も高いところが食料貯蔵庫で、籠城の構えができています。
今は、攻撃の危険がないので、映画撮影の場所としてよく使われるそうです。 -
アイト・ベン・ハッドウの城塞の内側です。
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頂上の食料庫です。
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アルガンオイルを搾る女性たちです。
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アルガンオイルは、常緑広葉樹のアカテツ科アルガンノキ属のアルガンノキの実から採取されます。アルガンノキはモロッコ西部にしか育ちません。
果肉を取り除きます。
堅い殻を割り中の実を取り出します。 -
取り出した実を石臼で擂り潰します。
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アルガンオイルの製品です。
アルガンオイルは、ベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、またスキンケアなどの薬用、化粧用のオイルとして利用されてきました。
現在、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が着目され、化粧品用のベースオイルとして使われる一方、直接利用するようになっています。
ここでも、10本買うと1本おまけという販売方法でした。
ちなみに、50ml入りの瓶が10本(実質11本)で18,750円でした。 -
ジャマ・エル・フナ広場です。
マラケシュの中央にある大きな広場です。
露天がたくさん出ていたり、大道芸人や水売りがいて、買い物客や観光客で賑わっていました。 -
ジャマ・エル・フナ広場からは枝が伸びるように、スーク(商業地区)があります。
商品は、多種多様です。
いれ歯を売っていたのには、驚きました。 -
スークで見つけたサボテンの実です。
売り人が、皮をうまくむいてくれます。
甘い! -
モロッコ女性のフォーマルウエアです。
イスラム教という観点からモロッコ女性の肌の露出を抑えた伝統衣装であり、高いファッション性を持った服装です。 -
クトゥビアの塔です。
マラケシュの中心部・ジャマ・エル・フナ広場と反対側にあります。
12世紀の建築です。
高さ69m、幅12.8mの四面には異なる装飾が施されていました。
塔の先端には銅製の4つの球が取り付けられています。 -
バヒア宮殿です。
19世紀末、宰相アリ=バハメットの邸宅で、モロッコのアルハンブラ宮殿ともいわれます。
鮮やかなタイルの床や壁、アトラスシーダの細密な彫刻を施した天井などイスラム芸術の粋を集めたものです。 -
中央の水盤を配した中庭を囲む広大な屋敷に、4人の妃と24人の側室を住まわせていたのだそうです。
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妃の部屋の天井です。
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側室の部屋です。
複数の側室が同居していたそうです。
右の扉は、側室の押し入れです。 -
マジョレル庭園の竹林です。
この庭園は、1920年にフランスの画家ジャック・マジョレルが世界各地から植物を取り寄せ、異国情緒あふれる空間を造り上げました。
1980年にイブ・サンローランが買い取って、改修し晩年を過ごしました。 -
マジョレル庭園の泉水です。
この手前には、錦鯉が泳いでいました。 -
マジョレル庭園の邸宅前の庭です。
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マジョレル庭園の様子です。
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マジョレル庭園のサボテンを植えてある庭です。
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イブ・サンローランのメモリーです。
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夜の・ジャマ・エル・フナ広場です。
夜になると、露天は食べ物を扱う店が多くなります。
リズム中心の演奏家たちが、途切れることなく演奏して騒がしいほどです。
オレンジを搾ったジュースは名物だそうです。 -
タジン鍋の料理です。
何度もこの料理を食べました。
このメインディッシュの前には、前菜のハリラ・スープやモロッコ風サラダが出されました。デザートは、ミカンやリンゴの果物が出されたこともありました。 -
タジン鍋の料理です。
この料理では、鍋にクスクスを敷き、その上に牛肉を乗せ、それをジャガイモや人参、ひよこ豆で覆って円錐状の蓋をして熱したものです。
料理の食材は、特に決まってはいないようです。
いろいろな食材の料理が出てきました。
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