2022/05/19 - 2022/05/19
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ちふゆさん
2022年5月19日(木)昼過ぎ、霞が関から桜田門を抜けて皇居前広場に向かう。桜田通りから真っ直ぐ濠を横切る。左手(西側)の濠は三宅坂の時に書いた桜田濠。
反対側の右手は凱旋濠。皇居前広場の南側に位置する濠で、元々は祝田橋の東に続く日比谷濠の一部だったが、1906年(明治39年)に日露戦争を記念して皇居前広場を南北に縦断する凱旋道路(現内堀通り)が開通し、土橋の祝田橋で濠が分断されて誕生した。
奥(北)に進むと桜田門の高麗門。桝形門の外側の門で、この門を抜けて右手に渡櫓門が続く。外桝形と云う防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られた。正式には外桜田門で、後ほど前を通るが、蛤濠と桔梗濠の間に内桜田門があり、こちらは通称桔梗門と呼ばれる。
桜田はこの辺りの古名で、文字通り田のあぜ道に沢山の桜が植わっていたことに由来すると云うが、谷間に水田があり「狭倉田」と呼ばれたことから来ていると云う説もある。
桜田門は最初、江戸初期の寛永年間(1624~44)に建築されたが、1663年に再建された。現在の門は1923年(大正12年)の関東大震災で破損した後、1663年版を元に復元されたもので、国の重文に指定されている。
桝形の桜田門を抜けて桜田濠沿いに再び北に曲がると皇居前広場。桜田門と桔梗門との間、現在の皇居の東南部に広がる砂利と黒松が植わった芝生部分で構成される開放的な広場で、丸の内の高層ビルを背景にしている。皇居北の北の丸公園や皇居の周りの内濠に沿った緑地と共に皇居外苑を形成している。
江戸時代には西の丸下と呼ばれ、親藩や譜代大名、そして老中、若年寄などを務める大名の屋敷が集中していた。江戸末期には当時老中を務めていた信濃上田藩の松平忠優、下野宇都宮藩の戸田忠温、越後長岡藩の牧野忠雅などの屋敷が並んでいた。
明治に入るとこれらの屋敷は1969年(明治2年)の版籍奉還により上収され、元老院や近衛騎兵営、陸軍調旨局など明治政府の官衙、兵営として使われていたが、1888年(明治21年)の当時の首相の伊藤博文の指示で大広場として整備された。
1906年(明治39年)に上述の凱旋道路と丸の内から二重橋へ続く東西の馬場先大通りが造られ、さらに1923年(大正12年)に震災復興事業の一環として東京駅から西に延びる行幸通りが開かれた。
現在の姿になったのは1939年(昭和14年)から43年(昭和18年)に掛けて行われた皇紀2600年記念宮城外苑整備事業による。戦後国に物納されたが、1949年(昭和24年)から厚生省所管の国民公園として開放され、1971年の環境庁の発足に伴い厚生省から所管が移された。
桜田濠が逆コの字型に西に曲がった先に架かるのが現在の皇居の入口である正門石橋。江戸時代には西丸大手橋があったところに1887年(明治20年)に架けられた橋。二連アーチ構造であることから眼鏡橋とも呼ばれる。新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され渡ることができる。
この橋が二重橋と呼ばれることが多いが、厳密には正門石橋を渡って正門を抜け、東に進んだ先の二重橋濠(湟池)に架かる正門鉄橋の呼称が二重橋で、この石橋のことではない。ただし、現在の鉄橋は江戸時代にその位置に架かっていた木造の下乗橋の橋桁が二重になっていたのと違って二重構造でないため、ピンと来ず、石橋と鉄橋の2つを併せて二重橋と称されることが多い。
いわゆる二重橋前から二重橋濠と呼び方の変わった濠沿いを北に進む。二重橋濠は当然二重橋から来ているが、湟池(こうち)とも呼ばれる。「湟」は「ほり」とも読み、堀と同じ意味だが、なぜこう呼ばれるのかは調べたが分からなかった。
二重橋濠の北の端に土橋を渡ると坂下門。西の丸の北側入口にあたる門。西の丸の坂下にあったので、この名が付いた。幕末の1862年に老中・安藤信正が水戸浪士によって襲撃され負傷した「坂下門外の変」の現場。
元々は高麗門とその左の渡櫓門からなる枡形形式の門だったが、1885年(明治18年)に高麗門が撤去され、1887年に渡櫓門のみが角度を90度変えて建て直された。宮内庁の通用門として利用されており、警備が厳重。
坂下門を過ぎると蛤濠とまた名前が変わる。名前の由来は不明だが、江戸時代からの呼び名のようだ。蛤濠沿いを北に進むと皇居前広場の北の端になる内桜田門。江戸城の内郭門の一つで、西の丸下から三の丸に至る間にある門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登下城門だった。
門は江戸初期の1614年に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣も1620年に造築されている。手前の高麗門と右手に続く渡櫓門からなる枡形門。門の鬼瓦に桔梗紋が施されており、江戸時代から桔梗門と呼ばれていた。この紋は、最初に江戸城を築いた太田道灌の家紋の桔梗紋から付けられた(他の説もある)。
桔梗門の先の濠は上述のように桔梗濠とまた名前が変わる。濠の名は桔梗門から来たものであろう。この桔梗濠の内側の東南角にあるのが巽櫓。本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることからこう呼ばれる。関東大震災で損壊したのちに解体して復元されたもの。桜田二重櫓とも呼ばれる、狭間や石落としが備わっている実戦的な櫓。
桔梗濠をさらに北に進むと大手門があり、江戸城の本丸跡に入れ、2002年の夏に行ったことがあるが、今回は北に向かわず、内堀通りを渡って東に向かう。道を渡った北側に広がるのが和田倉噴水公園。皇居前広場や北の丸公園などと同じく、皇居外苑の一部。
この辺りは江戸時代以前には漁業が盛んな東京湾の入江に面していたが、江戸時代に入ってすぐに埋め立てられ、江戸城へ生活物資を運ぶための荷揚場や倉庫が置かれたが、内濠に和田倉橋が架かり、和田倉門が設けられ、御用屋敷や厩などの幕府御用地となった。
その後、江戸時代を通して大名屋敷や厩、御用屋敷などが数十年間隔で置かれ、幕末には会津藩松平家中屋敷があった。1968年(明治元年)の10月、明治天皇は呉服橋から和田倉橋を通って東京城(江戸城)に入城した。
1883年(明治16年)には内務省図書館が置かれ、以後東京衛成守衛や陸軍調馬局などが置かれていた。現在の公園は1993年の今上天皇の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに整備され、1995年に完成したもの。1961年に上皇陛下の御結婚を記念して作られた大噴水が真ん中に配置されている。
公園の南側を先に進むと江戸時代の高札のように設置された江戸城跡の解説がある(下の写真)。その先、石垣の先に広がるのが和田倉濠。内濠の一部で、和田倉噴水公園の東側から北側に続く。濠の先(北側)には和田倉門につづく和田倉橋が見える。
和田倉門は門跡として桝形の石垣のみしか残っていないが、江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つで蔵の御門と呼ばれていた。一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていた。
和田倉橋はその門に通じる橋で、江戸時代に入る前の1590年頃に架けられた。現在の橋は1955年の架橋。鉄筋コンクリートを土台とした凝宝珠付高欄の橋で、昔の木の橋の雰囲気を残している。
和田倉の名は江戸初期の1607年(慶長12年)頃からで、当時は日比谷入江がこの辺りまで伸びており、海を意味する古語である「わた(わたつみ(海の神)のわた)」と倉が並んでいたことから名付けられた。
行幸通りの両サイド、和田倉濠側と南に続く馬場先濠側の両方に元宮城和田倉門守衛所がある。馬場先濠の名は丸の内と二重橋を結ぶ馬場先大通りにあった馬場先門から来ているが、三代将軍家光が門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、門の名となった。
守衛所は、行幸通りが造られた頃、ここは皇居の出入口に当たるため、行幸啓(天皇・皇后両陛下がご一緒に外出されること)の折に、歩哨が立った所と考えられている。四阿は安山岩造りで銅板葺屋根に夜間照明も付けられている。
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丸の内に進むが、続く
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