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2022年5月18日(水)夜の9時、三協フロンテア柏スタジアムでのサッカーの試合が終わり、来た道を戻って柏駅に戻る。JR柏駅は前述のように1896年(明治29年)日本鉄道の田端・土浦間開業に伴い柏駅として開業。1906年(明治39年)に国有化される。1909年(明治42年)の線路名称制定により常磐線の駅となる。<br /><br />JRの駅は島式ホーム2面4線。1971年に複々線化され、翌年快速線3・4番線ホームが設置された。東側の1・2番線が緩行線となっている。複々線化工事前は、2面2線に、貨物列車用の中線1線のみ存在するシンプルな構造の駅だった。<br /><br />柏21時21分発の品川行の快速に乗車する(下の写真1)。3分ほど遅れていた。常磐線は東京都の日暮里から太平洋沿岸部を経由して宮城県の岩沼までを結ぶJR東日本の鉄道路線。列車運行上は上野・仙台間となっており、上野東京ラインの運転開始で品川までの区間も含まれることがある。<br /><br />常磐は茨城県の旧国名(令制国名)の常陸と福島県の旧国名(明治令制国)である磐城の頭文字を合わせたもの。実際には武蔵、下総、陸前も通っている。<br /><br />起終点と臨時駅含む80駅を結び、全長351kmは「本線」および「新幹線」を名乗らないJR線の中では、最も長い。複線化率は約70%。全線電化だが、取手・藤代間の交直流切替セクションを境として、以北が交流、以南が直流。昔よく出張で乗ってた路線で、取手・藤代間で電気がいったん切れてたのをよく覚えてる。それに限らず何度も利用した路線で、全線乗ったことがある。<br /><br />元々はそれまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的として建設された。最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部・水戸間。1896年(明治29年)に日本鉄道により田端・水戸間が開通、2年後に岩沼まで延伸される。1905年(明治38年)に最後の三河島・日暮里間が開通し、現在のルートが完成した。<br /><br />2011年の東日本大震災により一部区間で壊滅的被害が発生。5月14日までに上野・日暮里・久ノ浜間、亘理・岩沼・仙台間で運行を再開し、その他の区間も順次復旧が進められ、2020年に最後まで不通だった富岡・浪江間が復旧し、全線で運転が再開された。<br /><br />優等列車としては現在(2024年2月)、品川・いわき/仙台間の特急「ひたち」と品川/上野・土浦/勝田/高萩間の特急「ときわ」が運行されている。前述のように昔はよく出張で茨城に行ってたので、「ひたち」にはよく乗ったわ。また、かつては上野・青森間の特急「みちのく」や寝台特急「ゆうづる」も常磐線経由で運行されていた。<br /><br />21時54分、3分遅れて上野駅に到着(下の写真2)。東京から関東北部、東北、上信越へ向かうターミナル駅。古くから東京の北の玄関口として機能してきた。<br /><br />1883年(明治16年)に日本鉄道の上野・熊谷間開業に伴い開設。1885年(明治18年)に上野・秋葉原間が貨物線として開通するが、旅客線の開通は1925年(大正14年)で、それまでは旅客的には東北本線と1909年(明治42年)に烏森(現新橋)・新宿・上野間で運転を開始した山手線の終端駅だった。<br /><br />1906年(明治39年)に国有化され、1909年(明治42年)の線路名称制定により東北本線の駅となる。1925年に上述のように上野・東京間の東北本線電車線、高架旅客線が開業し、山手線が環状運転となり、京浜線(現京浜東北線)も田端まで延伸される。<br /><br />戦後になり、1949年(昭和24年)に国鉄が発足。1973年に東北新幹線の工事開始に伴い東京・上野間の東北本線列車線が廃止され、2015年までは東北本線、高崎線、常磐線の実質的な起点だった。<br /><br />1985年に東北新幹線が開通、始発駅となる。東京駅までの延伸は1991年。この間の1987年の国鉄分割民営化に伴いJR東の駅となる。2015年に上野東京ライン(東北縦貫線)が完成し、従来上野発着だった宇都宮線・高崎線・常磐線(快速)の一部列車が東京およびその先の東海道本線へ乗り入れを開始する。<br /><br />また、この2015年には寝台特急「北斗星」が運行を終了し、日本のブルートレインと呼ばれた寝台特急列車は全て消滅した。さらに翌年には寝台特急「カシオペア」が運行を終了し、上野発着の寝台特急列車及び夜行列車は全てなくなった(その後クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」が運行開始されている)。<br /><br />地下に東京メトロ銀座線と日比谷線の上野駅があり、西側の不忍口側で京成電鉄の京成上野駅と隣接している。<br /><br />JR上野駅は一部高架の島式ホーム4面8線、切欠きホームと櫛形ホームが一体化した2面4線、合わせて6面12線(1-12番線)の高架ホームと、4面5線(13-17番線)の頭端式ホームの地平ホームと、新幹線の地下5階にある2面4線(19-22番線)の新幹線地下ホームで構成されている。<br /><br />改札は中央改札(1階)、不忍改札(中2階)、公園改札(3階大連絡橋通路西端)、入谷改札(3階旧公園口通路東端)の計4ヶ所。駅南東の1階の中央改札を出たところにある駅舎は1932年(昭和7年)に完成したもの。<br /><br />駅東側の入谷口に繋がる入谷通路に出る入谷改札を出て(表紙の写真)、入谷口と反対側の南に歩き、1階に下りて浅草口から入谷口通りに出る。入谷は「恐れ入谷の鬼子母神」と謳われた入谷鬼子母神があった東京メトロ入谷駅(日比谷線で上野の一つ北)周辺の旧町名。名前の由来は明確ではないが、土地が低く、入り組んで谷のようだったことから来ているのではないかと云われる。<br /><br />上野駅は当然の話だが、上野と呼ばれる地域の中心。日本最初の公園である上野恩賜公園(上野公園)や、デパートや飲食店などが集まる繁華街などがあり、山手線の繁華街の中でも下町的な雰囲気を残している。南側の御徒町駅方面のJRの高架に沿って広がるアメヤ横丁(アメ横)も有名。<br /><br />北区の方面から伸びる武蔵野台地の分脈である上野台地の先端になる標高20mほどの上野山の東と南に開けた町。江戸初期、家光の時代の1625年(寛永2年)に年号を寺名にした寛永寺が建立され、門前町が開けた。<br /><br />後には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展した。上野の名の由来は元々この地にあった外様大名・藤堂家の所領である伊賀上野に地形が似ていたためと云われている(他の説もいくつかあるが省略)。伊賀上野、何度か行ってるがピンとは来ない。<br /><br />明治維新後の新政府軍と彰義隊による上野戦争の舞台としても有名。寛永寺に彰義隊が立て籠もったが新政府軍の砲撃を受け、根本中堂をはじめ主要な堂宇は焼失した。その跡地が上野公園となっている。<br /><br />上野は台東区の下谷地域の南部に位置し、千代田区(外神田)、文京区(湯島)との区境になっている。台東区は1947年に下谷区と浅草区が合併して誕生した区で、千代田区や中央区などとともに江戸時代を通じて東京で最も古い市街地のひとつ。江戸時代は元禄文化が息づいた下町エリアだった。また、1657年の明暦の大火で日本橋の元吉原が焼失した後、浅草の北の外れに新吉原が移され、戦後の赤線廃止まで続いた。<br /><br />区名は合併時に紛糾したが、上野の高台の「台」と、上野の東側にある下谷と浅草の下町を連想する「東」を組合わせた言葉として台東が採用された。「たいとう」が正式な読み方が、高齢者の一部には「だいとう」と呼ぶ方もおられるそうだ。<br /><br />人口は約22万人で、都内の62区市町村の中で26番目。区としては千代田区、中央区に次いで少ないが、この2つの区は昼間人口は多いので、実質一番少ない?ただし、台東区も昼間人口は居住者の倍近くになるので、そうとも云えないかも。<br /><br />面積は約10平方kmで23区中で最も小さく、都内でも下から6番目の57位。ちなみに台東区より小さいのは羽村市、国立市、狛江市、青ヶ島村と利島村。<br /><br />前身となる下谷(したや)区は1878年(明治11年)に設置された。現在の台東区の西部。下谷という地名は上野や湯島といった高台、または上野台地が忍ヶ岡と称されていたことから、その谷間の下であることが由来で、江戸時代以前から下谷村という地名だった。<br /><br />浅草区も下谷区と同時に設置された区。現在の台東区の東部。区の名前は浅草と云う地域名から来ているが、由来には諸説ある。草深い武蔵野で「草が浅く茂っていたから」と云う地形描写説とか、「海を越す」を意味する「アツアクサ」というアイヌ語説や、「聖者のいる場所」を意味する「アーシャ・クシャ」というチベット語説など。<br /><br />台東区には多くの名所・旧跡や観光スポットがあるが、私が初めて東京で行ったのは恩賜上野動物園だった。高2の時の修学旅行の最初の立ち寄り先だった。その後、東京に住んでる時に上野恩賜公園から寛永寺は結構ちゃんと行ったし、家族と一緒に浅草寺行って花やしきにも行った。その他、一人で隅田川花火大会も見に行った。あと、国立博物館も北斎展見に行った。<br /><br />台東区に関連する著名人としては、作家の池波正太郎(23年生れ)は根岸小学校に入学し、西町小学校(1998年に竹町(現平成)小学校へ統合し閉校)を卒業した。劇作家・演出家の唐十郎(40年生れ)は坂本小学校(1996年に大正小学校へ統合し閉校)卒業。<br /><br />俳優の柴俊夫(47年生れ)は鳥越出身で区内の白&#40407;高校を卒業。唐沢寿明(63年生れ)は下谷中学校から蔵前工業高校に進むが中退。坂井真紀(70年生れ)は忍岡中学校卒業。<br /><br />同じく俳優の天海祐希(67年生れ)は御徒町中学校、原田龍二(70年生れ)は足立区出身だが台東中学校で、安達祐実(81年生れ)も台東中学校をそれぞれ卒業。この2つの中学校は2002年に合併し、現在は御徒町台東中学校になっている。<br /><br />シンガーソングライターの小椋佳(44年生れ)は上野高校まで区内で育つ。歌手の太田裕美(55年生れ)は春日部市から私立の上野学園中学校・高校に通っていた。歌手の野口五郎(56年生れ)は岐阜から上京し原田龍二や安達祐実と同じ台東中学校を卒業。<br /><br />コメディアンの萩本欽一(41年生れ)は稲荷町に生まれ、御徒町中学校に在籍していた。落語家の初代林家三平(25年生れ)は根岸小学校を卒業して神田にあった旧制明治中学校(現在は調布にある明治大学付属明治中学校)に進んだ。息子の9代目林家正蔵(62年生れ)も同じ小学校で、こちらは区内の忍岡中学校卒業。<br /><br />太田裕美が出た上野学園高校は他にも俳優の光本幸子(43年生れ)や歌手のいしだあゆみ(48年生れで大阪池田出身)も卒業している。大学もあり、こちらはピアニストの辻井伸行(88年生れ)が卒業している。<br /><br />高校野球が強い岩倉高校もあり、作家の清水一行(31年生れ)が卒業生。上野高校は都立だが古くからの名門で、芸術系大学に強いという特徴があり、定時制もあるため多くの著名人を輩出している。前述の小椋佳の他、俳優の池部良(18年生れ)、山努(36年生れ)、ジャーナリストの立花隆(40年生れ)、料理愛好家の平野レミ(47年生れ)、女優の浅野温子(61年生れ)、鈴木杏樹(69年生れ)にタレントの矢口真里(83年生れ)など。<br /><br />また東京芸術大学に東京芸大音楽学部附属音楽高校もあり、音楽関係や美術関係を初めとして多くのアーティストを輩出している。ちょっと変わった分野ではソニー名誉会長の大賀典雄(30年生れ)や、狂言師の野村萬斎(66年生れ)、俳優の伊勢谷友介(76年生れ)、King Gnuの井口理(93年生れ)も東京芸大卒。<br /><br />10時過ぎ、上野駅の東側の入谷口通りを少し北に入ったところにあるホテル ニューウエノにチェックイン(下の写真3)。元々は1934年(昭和9年)開業の料亭旅館「上野亭」だったらしい。ホテルとしての開業は1954年で、本館建物は1990年改築。1984年新築の新館を併用している。上野亭は今もホテル内のレストランとして名前を残している。<br /><br />10時15分、ホテルのすぐ南隣にある上野産直飲食街へ食事に。「全国の産直食材を気軽に味わえる場」として都心の24時間マーケットに対応、年中無休、24時間営業で2017年に開業。全国の漁港直送「魚〇本店」・「炉端貝〇」、函館小澤牧場直送大沼牛「牛〇本店」、岩手久慈ファーム三元豚「東北むつ味」の専門4店舗が独立店舗として集結している。<br /><br />入ったのは魚〇本店。全国各地の漁師達が「今、コレを食べて欲しい」と云う自慢の魚や産直ならではの希少部位を漁師おススメの食べ方で提供している。上野の他にも新橋、日比谷、恵比寿にある。鰹わら焼タタキとしらすおろしを生ビールと白ワインで戴く。美味しかった。結構混み合ってて、コロナ禍の終息を感じた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.25078151525161535&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />11時、ファミマで翌朝の朝食など買ってホテルに戻る。<br /><br /><br />2日目終了、3日目に続く

柏から東京 上野へ(Kashiwa to Ueno,Tokyo,Japan)

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2022/05/18 - 2022/05/18

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月18日(水)夜の9時、三協フロンテア柏スタジアムでのサッカーの試合が終わり、来た道を戻って柏駅に戻る。JR柏駅は前述のように1896年(明治29年)日本鉄道の田端・土浦間開業に伴い柏駅として開業。1906年(明治39年)に国有化される。1909年(明治42年)の線路名称制定により常磐線の駅となる。

JRの駅は島式ホーム2面4線。1971年に複々線化され、翌年快速線3・4番線ホームが設置された。東側の1・2番線が緩行線となっている。複々線化工事前は、2面2線に、貨物列車用の中線1線のみ存在するシンプルな構造の駅だった。

柏21時21分発の品川行の快速に乗車する(下の写真1)。3分ほど遅れていた。常磐線は東京都の日暮里から太平洋沿岸部を経由して宮城県の岩沼までを結ぶJR東日本の鉄道路線。列車運行上は上野・仙台間となっており、上野東京ラインの運転開始で品川までの区間も含まれることがある。

常磐は茨城県の旧国名(令制国名)の常陸と福島県の旧国名(明治令制国)である磐城の頭文字を合わせたもの。実際には武蔵、下総、陸前も通っている。

起終点と臨時駅含む80駅を結び、全長351kmは「本線」および「新幹線」を名乗らないJR線の中では、最も長い。複線化率は約70%。全線電化だが、取手・藤代間の交直流切替セクションを境として、以北が交流、以南が直流。昔よく出張で乗ってた路線で、取手・藤代間で電気がいったん切れてたのをよく覚えてる。それに限らず何度も利用した路線で、全線乗ったことがある。

元々はそれまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的として建設された。最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部・水戸間。1896年(明治29年)に日本鉄道により田端・水戸間が開通、2年後に岩沼まで延伸される。1905年(明治38年)に最後の三河島・日暮里間が開通し、現在のルートが完成した。

2011年の東日本大震災により一部区間で壊滅的被害が発生。5月14日までに上野・日暮里・久ノ浜間、亘理・岩沼・仙台間で運行を再開し、その他の区間も順次復旧が進められ、2020年に最後まで不通だった富岡・浪江間が復旧し、全線で運転が再開された。

優等列車としては現在(2024年2月)、品川・いわき/仙台間の特急「ひたち」と品川/上野・土浦/勝田/高萩間の特急「ときわ」が運行されている。前述のように昔はよく出張で茨城に行ってたので、「ひたち」にはよく乗ったわ。また、かつては上野・青森間の特急「みちのく」や寝台特急「ゆうづる」も常磐線経由で運行されていた。

21時54分、3分遅れて上野駅に到着(下の写真2)。東京から関東北部、東北、上信越へ向かうターミナル駅。古くから東京の北の玄関口として機能してきた。

1883年(明治16年)に日本鉄道の上野・熊谷間開業に伴い開設。1885年(明治18年)に上野・秋葉原間が貨物線として開通するが、旅客線の開通は1925年(大正14年)で、それまでは旅客的には東北本線と1909年(明治42年)に烏森(現新橋)・新宿・上野間で運転を開始した山手線の終端駅だった。

1906年(明治39年)に国有化され、1909年(明治42年)の線路名称制定により東北本線の駅となる。1925年に上述のように上野・東京間の東北本線電車線、高架旅客線が開業し、山手線が環状運転となり、京浜線(現京浜東北線)も田端まで延伸される。

戦後になり、1949年(昭和24年)に国鉄が発足。1973年に東北新幹線の工事開始に伴い東京・上野間の東北本線列車線が廃止され、2015年までは東北本線、高崎線、常磐線の実質的な起点だった。

1985年に東北新幹線が開通、始発駅となる。東京駅までの延伸は1991年。この間の1987年の国鉄分割民営化に伴いJR東の駅となる。2015年に上野東京ライン(東北縦貫線)が完成し、従来上野発着だった宇都宮線・高崎線・常磐線(快速)の一部列車が東京およびその先の東海道本線へ乗り入れを開始する。

また、この2015年には寝台特急「北斗星」が運行を終了し、日本のブルートレインと呼ばれた寝台特急列車は全て消滅した。さらに翌年には寝台特急「カシオペア」が運行を終了し、上野発着の寝台特急列車及び夜行列車は全てなくなった(その後クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」が運行開始されている)。

地下に東京メトロ銀座線と日比谷線の上野駅があり、西側の不忍口側で京成電鉄の京成上野駅と隣接している。

JR上野駅は一部高架の島式ホーム4面8線、切欠きホームと櫛形ホームが一体化した2面4線、合わせて6面12線(1-12番線)の高架ホームと、4面5線(13-17番線)の頭端式ホームの地平ホームと、新幹線の地下5階にある2面4線(19-22番線)の新幹線地下ホームで構成されている。

改札は中央改札(1階)、不忍改札(中2階)、公園改札(3階大連絡橋通路西端)、入谷改札(3階旧公園口通路東端)の計4ヶ所。駅南東の1階の中央改札を出たところにある駅舎は1932年(昭和7年)に完成したもの。

駅東側の入谷口に繋がる入谷通路に出る入谷改札を出て(表紙の写真)、入谷口と反対側の南に歩き、1階に下りて浅草口から入谷口通りに出る。入谷は「恐れ入谷の鬼子母神」と謳われた入谷鬼子母神があった東京メトロ入谷駅(日比谷線で上野の一つ北)周辺の旧町名。名前の由来は明確ではないが、土地が低く、入り組んで谷のようだったことから来ているのではないかと云われる。

上野駅は当然の話だが、上野と呼ばれる地域の中心。日本最初の公園である上野恩賜公園(上野公園)や、デパートや飲食店などが集まる繁華街などがあり、山手線の繁華街の中でも下町的な雰囲気を残している。南側の御徒町駅方面のJRの高架に沿って広がるアメヤ横丁(アメ横)も有名。

北区の方面から伸びる武蔵野台地の分脈である上野台地の先端になる標高20mほどの上野山の東と南に開けた町。江戸初期、家光の時代の1625年(寛永2年)に年号を寺名にした寛永寺が建立され、門前町が開けた。

後には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展した。上野の名の由来は元々この地にあった外様大名・藤堂家の所領である伊賀上野に地形が似ていたためと云われている(他の説もいくつかあるが省略)。伊賀上野、何度か行ってるがピンとは来ない。

明治維新後の新政府軍と彰義隊による上野戦争の舞台としても有名。寛永寺に彰義隊が立て籠もったが新政府軍の砲撃を受け、根本中堂をはじめ主要な堂宇は焼失した。その跡地が上野公園となっている。

上野は台東区の下谷地域の南部に位置し、千代田区(外神田)、文京区(湯島)との区境になっている。台東区は1947年に下谷区と浅草区が合併して誕生した区で、千代田区や中央区などとともに江戸時代を通じて東京で最も古い市街地のひとつ。江戸時代は元禄文化が息づいた下町エリアだった。また、1657年の明暦の大火で日本橋の元吉原が焼失した後、浅草の北の外れに新吉原が移され、戦後の赤線廃止まで続いた。

区名は合併時に紛糾したが、上野の高台の「台」と、上野の東側にある下谷と浅草の下町を連想する「東」を組合わせた言葉として台東が採用された。「たいとう」が正式な読み方が、高齢者の一部には「だいとう」と呼ぶ方もおられるそうだ。

人口は約22万人で、都内の62区市町村の中で26番目。区としては千代田区、中央区に次いで少ないが、この2つの区は昼間人口は多いので、実質一番少ない?ただし、台東区も昼間人口は居住者の倍近くになるので、そうとも云えないかも。

面積は約10平方kmで23区中で最も小さく、都内でも下から6番目の57位。ちなみに台東区より小さいのは羽村市、国立市、狛江市、青ヶ島村と利島村。

前身となる下谷(したや)区は1878年(明治11年)に設置された。現在の台東区の西部。下谷という地名は上野や湯島といった高台、または上野台地が忍ヶ岡と称されていたことから、その谷間の下であることが由来で、江戸時代以前から下谷村という地名だった。

浅草区も下谷区と同時に設置された区。現在の台東区の東部。区の名前は浅草と云う地域名から来ているが、由来には諸説ある。草深い武蔵野で「草が浅く茂っていたから」と云う地形描写説とか、「海を越す」を意味する「アツアクサ」というアイヌ語説や、「聖者のいる場所」を意味する「アーシャ・クシャ」というチベット語説など。

台東区には多くの名所・旧跡や観光スポットがあるが、私が初めて東京で行ったのは恩賜上野動物園だった。高2の時の修学旅行の最初の立ち寄り先だった。その後、東京に住んでる時に上野恩賜公園から寛永寺は結構ちゃんと行ったし、家族と一緒に浅草寺行って花やしきにも行った。その他、一人で隅田川花火大会も見に行った。あと、国立博物館も北斎展見に行った。

台東区に関連する著名人としては、作家の池波正太郎(23年生れ)は根岸小学校に入学し、西町小学校(1998年に竹町(現平成)小学校へ統合し閉校)を卒業した。劇作家・演出家の唐十郎(40年生れ)は坂本小学校(1996年に大正小学校へ統合し閉校)卒業。

俳優の柴俊夫(47年生れ)は鳥越出身で区内の白鷗高校を卒業。唐沢寿明(63年生れ)は下谷中学校から蔵前工業高校に進むが中退。坂井真紀(70年生れ)は忍岡中学校卒業。

同じく俳優の天海祐希(67年生れ)は御徒町中学校、原田龍二(70年生れ)は足立区出身だが台東中学校で、安達祐実(81年生れ)も台東中学校をそれぞれ卒業。この2つの中学校は2002年に合併し、現在は御徒町台東中学校になっている。

シンガーソングライターの小椋佳(44年生れ)は上野高校まで区内で育つ。歌手の太田裕美(55年生れ)は春日部市から私立の上野学園中学校・高校に通っていた。歌手の野口五郎(56年生れ)は岐阜から上京し原田龍二や安達祐実と同じ台東中学校を卒業。

コメディアンの萩本欽一(41年生れ)は稲荷町に生まれ、御徒町中学校に在籍していた。落語家の初代林家三平(25年生れ)は根岸小学校を卒業して神田にあった旧制明治中学校(現在は調布にある明治大学付属明治中学校)に進んだ。息子の9代目林家正蔵(62年生れ)も同じ小学校で、こちらは区内の忍岡中学校卒業。

太田裕美が出た上野学園高校は他にも俳優の光本幸子(43年生れ)や歌手のいしだあゆみ(48年生れで大阪池田出身)も卒業している。大学もあり、こちらはピアニストの辻井伸行(88年生れ)が卒業している。

高校野球が強い岩倉高校もあり、作家の清水一行(31年生れ)が卒業生。上野高校は都立だが古くからの名門で、芸術系大学に強いという特徴があり、定時制もあるため多くの著名人を輩出している。前述の小椋佳の他、俳優の池部良(18年生れ)、山努(36年生れ)、ジャーナリストの立花隆(40年生れ)、料理愛好家の平野レミ(47年生れ)、女優の浅野温子(61年生れ)、鈴木杏樹(69年生れ)にタレントの矢口真里(83年生れ)など。

また東京芸術大学に東京芸大音楽学部附属音楽高校もあり、音楽関係や美術関係を初めとして多くのアーティストを輩出している。ちょっと変わった分野ではソニー名誉会長の大賀典雄(30年生れ)や、狂言師の野村萬斎(66年生れ)、俳優の伊勢谷友介(76年生れ)、King Gnuの井口理(93年生れ)も東京芸大卒。

10時過ぎ、上野駅の東側の入谷口通りを少し北に入ったところにあるホテル ニューウエノにチェックイン(下の写真3)。元々は1934年(昭和9年)開業の料亭旅館「上野亭」だったらしい。ホテルとしての開業は1954年で、本館建物は1990年改築。1984年新築の新館を併用している。上野亭は今もホテル内のレストランとして名前を残している。

10時15分、ホテルのすぐ南隣にある上野産直飲食街へ食事に。「全国の産直食材を気軽に味わえる場」として都心の24時間マーケットに対応、年中無休、24時間営業で2017年に開業。全国の漁港直送「魚〇本店」・「炉端貝〇」、函館小澤牧場直送大沼牛「牛〇本店」、岩手久慈ファーム三元豚「東北むつ味」の専門4店舗が独立店舗として集結している。

入ったのは魚〇本店。全国各地の漁師達が「今、コレを食べて欲しい」と云う自慢の魚や産直ならではの希少部位を漁師おススメの食べ方で提供している。上野の他にも新橋、日比谷、恵比寿にある。鰹わら焼タタキとしらすおろしを生ビールと白ワインで戴く。美味しかった。結構混み合ってて、コロナ禍の終息を感じた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.25078151525161535&type=1&l=223fe1adec

11時、ファミマで翌朝の朝食など買ってホテルに戻る。


2日目終了、3日目に続く

  • 写真1 柏駅に入線する品川行快速

    写真1 柏駅に入線する品川行快速

  • 写真2 上野駅に到着した常磐線快速

    写真2 上野駅に到着した常磐線快速

  • 写真3 ホテル ニューウエノ

    写真3 ホテル ニューウエノ

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