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2022年5月19日(木)9時45分過ぎ、国会議事堂参議院の見学コースを終えて、議事堂東側の正面出入口を出て、周辺の散策に進む。まずは議事堂の北側へ。<br /><br />議事堂北門から真っ直ぐ北に延びる梨木坂を進むと左手に国立国会図書館がある。梨木坂は江戸時代にはこの場所は彦根藩井伊家上屋敷の裏門にあたり、梨の木が生えていたことから名付けられた。<br /><br />国立国会図書館は、1872年(明治5年)に設立された文部省に属した帝国図書館(創立時は書籍館)と1890年(明治23年)に開設された帝国議会に属した貴族院・衆議院図書館を前身として、1948年(昭和23年)に赤坂離宮(現迎賓館)を仮庁舎として開館した設備。1961年に現在地に移転した。1945年の東京大空襲で焼失するまではドイツ大使館があった場所。<br /><br />前を通っただけだが、京都のけいはんな学研都市にある関西館には入ったことがある。なお、他にも国会分館や最高裁判所図書館、上野公園の国際子ども図書館などもある。<br /><br />梨木坂を北に降りていくと右手に憲政記念館。日本の議会政治に関する展示施設だが、現在の建物は建替工事に伴う代替施設。元々は東の三宅坂の反対側、国会前庭北庭に1972年にオープンした施設だが、北の丸公園にある国立公文書館と一体で建て替えられることになり、2022年にこの地に仮移転した。新館は2028年度に開館予定。<br /><br />三宅坂は半蔵門外から桜田門の警視庁の辺りまで下る坂。三河田原藩主三宅家の上屋敷があったことから三宅坂と呼ばれた。皀莢(さいかち)坂、あるいは橿木(かしのき)坂とも呼ばれ、桜田堀端にサイカチや樫が多く茂っていたことから呼ばれていた。<br /><br />三宅坂は桜田濠に沿っているが、桜田濠は元々江戸城を取り囲む内堀の南東側、半蔵門から桜田門までの部分。現在は皇居を囲む濠だが、広いところの幅が115m、上端は215mある江戸城最大の濠。<br /><br />自然地形の谷地を活かして築かれているため石垣ではなく土居になっており、風光明媚な光景を生み出している。名前は桜田門から。江戸時代には弁慶堀と呼ばれていた。江戸城の築城に携わった京の大工の弁慶小左衛門がこの堀の縄張りをしたことに由来する。<br /><br />神奈川県県央地域を経由して沼津市に至る国道246号線(この部分は通称青山通り)の起点となる三宅坂交差点の北東角にあるのが三宅坂小公園。道路から一段高いところにあり、面積はわずか約800平方mの小さい公園。<br /><br />園内には1950年に日本電報通信社(現電通)によって広告記念像として建立された菊池一雄作の「平和の群像」が建ち、江戸末期の蘭学者渡辺崋山誕生の地を示す案内板がある。渡辺崋山は三河田原藩の家老を務めたが、この場所あった三河田原藩上屋敷で1793年に生まれ、以後1839年の蛮社の獄で田原で蟄居させられるまでこの地で過ごした。<br /><br />この交差点の北東部は永田町でなく隼町。最高裁判所が所在し、隣接する永田町・霞が関とともに日本の首都機能を担っている場所。元々は現在の隼町の北隣に当たる麹町一丁目南側の地域が隼町と呼ばれ、現在の隼町町域は三河田原藩上屋敷などの武家地だった。隼町の名は家康の江戸入府当初、鷹匠屋敷があったことによる。<br /><br />1872年(明治5年)に隼町は麹町山元町一丁目と改称し、南隣の武家地が麹町隼町と呼ばれるようになった。戦前は三宅坂一帯が陸軍の拠点となっており、隼町にも東京第一衛戍病院(現国立国際医療研究センター)、教育総監部、陸軍航空本部などが置かれていた。1973年に住居表示を実施して現町名となった。<br /><br />隼町の南側一帯を占めるのが日本における司法府の最高機関である最高裁判所。日本国憲法が施行された1947年に設置された。戦前の大審院を引き継ぐもので、現在東京高等裁判所・東京地方裁判所がある大審院庁舎に置かれた。<br /><br />現在地に移転したのは1974年。設計競技(コンペティション)により選ばれた「岡田新一他16名」により設計されたもので、地上5階 地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造で、石材には花崗岩が使用され、総工費は約126億円。建物は日本建築学会賞を受賞している。<br /><br />上述したが、江戸時代には三河田原藩上屋敷だったところで、明治に入り陸軍航空本部が置かれたが、戦後米国駐留軍のパレス・ハイツ宿舎が建てられていた。<br /><br />その北側、隼町の真ん中部分を占めるのが国立劇場。歌舞伎、文楽、日本舞踊、邦楽、雅楽などの主催公演と、これらの伝統芸能のための施設の貸付を行っている。縁がなかったなあ~<br /><br />現在の建物は1966年に竣工したもの。江戸時代には播磨明石藩松平家の屋敷があり、明治時代に陸軍施設となり東京第一衛戍病院、陸軍教育総監部、陸軍航空本部などが置かれた。戦後は最高裁判所地同様にパレス・ハイツ宿舎となっていた。<br /><br />建物は1968年に第9回BCS賞を受賞。1998年には公共建築百選に。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。現在建て替えを計画しており、2029年秋に完成予定。<br /><br />前庭にはスルガザクラ、スルガコマチ、コマツオトメ、ジンダイアケボノ、ヤエベニシダレ、センダイヤ、スルガザクラの実生、カンザン、ワカキノサクラ、クマガイザクラの10種類のサクラが植栽されている。近隣の千鳥ヶ淵とともに桜の名所として広く知られている(下の写真1~3)。。<br /><br />国立劇場で折り返して国会議事堂前に戻る。国会議事堂前には国会前庭(ぜんてい)の北庭と南庭がある。約5万平方mある敷地は桜やハナミズキをはじめとする1500本以上の樹木や草花に覆われ、記念植樹など様々な行事が行われている。1945年の東京大空襲で焼け野原となった場所で、戦後に庭園に整備され、一般公開されている。国有地で、衆議院が管理している。テレビ朝日系で長いことやってるドラマ「相棒」のシーンによく登場している。<br /><br />北庭は江戸時代の初期には熊本藩主の加藤清正の屋敷があったところで、その後は彦根藩井伊氏上屋敷があった。幕末の大老井伊直弼はここから桜田濠沿いの道を桜田門に向かう途中の路上で桜田門外の変に遭った。明治維新後は最初は監察機関である弾正台が置かれ、後に参謀本部・陸軍省が置かれた。<br /><br />北庭は現在は洋式庭園として整備されており、中心部には三権分立の時計塔が建つ。東側の噴水池や周りの花壇と共に1960年に完成したもので、三面塔星型は権力分立を象徴している。塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む(努力の上にさらに努力して向上する)」と云うことわざから、百尺(30.3m)よりも高くした31.5mに設定された。<br /><br />時計は時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた物だったが、現在は国産の物に改修されている。「椰子の実」のなどの作品で知られる作曲家・大中寅二によるチャイムが一日4回、衆議院、参議院の本会議開会時刻と退庁、就寝時に併せて10時・13時・17時・22時に鳴動する。<br /><br />時計塔の北側では前述したように憲政記念館が建て替え中だが、元々は1960年に市民の浄財によって建てられた「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄を記念する尾崎記念会館だった。時計塔の北側に尾崎行雄記念碑が建てられている(下の写真4)。<br /><br />噴水池の西側には日本水準原点標庫があり、電子基準点「東京千代田」もある。日本水準原点標庫は日本の水準測量の基準点である日本水準原点を保護するための建物。原点は日本水準原点標庫の内部正面にある菊花紋章をあしらった黒い蓋を外したところにある。<br /><br />1891年にかつて参謀本部陸地測量部が存在したこの地に竣工設置された。明治時代に活躍した建築家、佐立七次郎の最初期の作品で、石造で平家建。ローマ風神殿建築にならい、ドーリア式の配列形式をもつ本格的な様式建築で明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重なもの。<br /><br />電子基準点「東京千代田」は2018年に設置されたもので、日本水準原点標庫の右手にある。電子基準点とは衛星測位システム(GNSS)からの測位信号を受信し、位置を精密に決定する観測点で、全国約1300か所に設置されているが、都心部には設置されてなかった。<br /><br />高さ7mで、最上部にアンテナを、その下にはソーラーパネルを搭載しており、内部にGNSS受信機、ルーター、バッテリー、電源監視装置、通信装置、UPS、傾斜計、ヒーターなどを備えている。外装にはステンレス素材を採用し、熱で変形しないよう二重になっている。<br /><br />北庭の東南角に近いところには「江戸の名水 櫻の井」の説明板がある井戸がある。縦約1.8m、横約3mの石垣で組んだ三連式釣瓶井戸で、一度に桶3杯の水が汲め、江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供していた名水井戸。<br /><br />彦根藩井伊氏上屋敷の表門外西側にあったが、加藤清正邸時代に清正が掘ったと伝えられる。ただし、1968年に道路工事のため交差点内から原形のまま10m移設され、さらに2016年に現在地に移された。井戸の石枠だけが移されたので、中に井戸はない。<br /><br />北庭から南庭に移るが、間を国会議事堂正門前からまっすぐ走る道の両サイドに植えられてるのはイチョウの木で、この時は緑が濃かったが、秋の紅葉が素晴らしく、ドラマや映画の舞台として使われる。最近では共にフジテレビ系で2023年の1月から放送されてた草彅剛主演の「罠の戦争」や菜々緒主演の「忍者に結婚は難しい」とか。<br /><br />南庭は江戸時代は黒田氏や浅野氏の屋敷があったところで、幕末には摂津国の三田藩九鬼氏上屋敷だった。明治に入り第4代の内務大臣を務めた副島種臣が住んでいたが、1873年(明治8年)に京都から移って来ていた有栖川宮が買い上げて入居、新たに洋館を建て、1896年(明治29年)からは宮内省の霞ヶ関離宮となった。<br /><br />霞ヶ関離宮は関東大震災でも残っていたが、前述のように東京大空襲で被弾炎上し、終戦後に撤去された。現在では和風を基調とした回遊式庭園になっている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.25227078176935535&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />永田町観光を終了し、霞が関に向かうが、続く

東京 永田町 国会議事堂周辺(Around National Diet,Nagatacho,Chiyoda,Tokyo,Japan)

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2022/05/19 - 2022/05/19

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月19日(木)9時45分過ぎ、国会議事堂参議院の見学コースを終えて、議事堂東側の正面出入口を出て、周辺の散策に進む。まずは議事堂の北側へ。

議事堂北門から真っ直ぐ北に延びる梨木坂を進むと左手に国立国会図書館がある。梨木坂は江戸時代にはこの場所は彦根藩井伊家上屋敷の裏門にあたり、梨の木が生えていたことから名付けられた。

国立国会図書館は、1872年(明治5年)に設立された文部省に属した帝国図書館(創立時は書籍館)と1890年(明治23年)に開設された帝国議会に属した貴族院・衆議院図書館を前身として、1948年(昭和23年)に赤坂離宮(現迎賓館)を仮庁舎として開館した設備。1961年に現在地に移転した。1945年の東京大空襲で焼失するまではドイツ大使館があった場所。

前を通っただけだが、京都のけいはんな学研都市にある関西館には入ったことがある。なお、他にも国会分館や最高裁判所図書館、上野公園の国際子ども図書館などもある。

梨木坂を北に降りていくと右手に憲政記念館。日本の議会政治に関する展示施設だが、現在の建物は建替工事に伴う代替施設。元々は東の三宅坂の反対側、国会前庭北庭に1972年にオープンした施設だが、北の丸公園にある国立公文書館と一体で建て替えられることになり、2022年にこの地に仮移転した。新館は2028年度に開館予定。

三宅坂は半蔵門外から桜田門の警視庁の辺りまで下る坂。三河田原藩主三宅家の上屋敷があったことから三宅坂と呼ばれた。皀莢(さいかち)坂、あるいは橿木(かしのき)坂とも呼ばれ、桜田堀端にサイカチや樫が多く茂っていたことから呼ばれていた。

三宅坂は桜田濠に沿っているが、桜田濠は元々江戸城を取り囲む内堀の南東側、半蔵門から桜田門までの部分。現在は皇居を囲む濠だが、広いところの幅が115m、上端は215mある江戸城最大の濠。

自然地形の谷地を活かして築かれているため石垣ではなく土居になっており、風光明媚な光景を生み出している。名前は桜田門から。江戸時代には弁慶堀と呼ばれていた。江戸城の築城に携わった京の大工の弁慶小左衛門がこの堀の縄張りをしたことに由来する。

神奈川県県央地域を経由して沼津市に至る国道246号線(この部分は通称青山通り)の起点となる三宅坂交差点の北東角にあるのが三宅坂小公園。道路から一段高いところにあり、面積はわずか約800平方mの小さい公園。

園内には1950年に日本電報通信社(現電通)によって広告記念像として建立された菊池一雄作の「平和の群像」が建ち、江戸末期の蘭学者渡辺崋山誕生の地を示す案内板がある。渡辺崋山は三河田原藩の家老を務めたが、この場所あった三河田原藩上屋敷で1793年に生まれ、以後1839年の蛮社の獄で田原で蟄居させられるまでこの地で過ごした。

この交差点の北東部は永田町でなく隼町。最高裁判所が所在し、隣接する永田町・霞が関とともに日本の首都機能を担っている場所。元々は現在の隼町の北隣に当たる麹町一丁目南側の地域が隼町と呼ばれ、現在の隼町町域は三河田原藩上屋敷などの武家地だった。隼町の名は家康の江戸入府当初、鷹匠屋敷があったことによる。

1872年(明治5年)に隼町は麹町山元町一丁目と改称し、南隣の武家地が麹町隼町と呼ばれるようになった。戦前は三宅坂一帯が陸軍の拠点となっており、隼町にも東京第一衛戍病院(現国立国際医療研究センター)、教育総監部、陸軍航空本部などが置かれていた。1973年に住居表示を実施して現町名となった。

隼町の南側一帯を占めるのが日本における司法府の最高機関である最高裁判所。日本国憲法が施行された1947年に設置された。戦前の大審院を引き継ぐもので、現在東京高等裁判所・東京地方裁判所がある大審院庁舎に置かれた。

現在地に移転したのは1974年。設計競技(コンペティション)により選ばれた「岡田新一他16名」により設計されたもので、地上5階 地下2階の鉄骨鉄筋コンクリート造で、石材には花崗岩が使用され、総工費は約126億円。建物は日本建築学会賞を受賞している。

上述したが、江戸時代には三河田原藩上屋敷だったところで、明治に入り陸軍航空本部が置かれたが、戦後米国駐留軍のパレス・ハイツ宿舎が建てられていた。

その北側、隼町の真ん中部分を占めるのが国立劇場。歌舞伎、文楽、日本舞踊、邦楽、雅楽などの主催公演と、これらの伝統芸能のための施設の貸付を行っている。縁がなかったなあ~

現在の建物は1966年に竣工したもの。江戸時代には播磨明石藩松平家の屋敷があり、明治時代に陸軍施設となり東京第一衛戍病院、陸軍教育総監部、陸軍航空本部などが置かれた。戦後は最高裁判所地同様にパレス・ハイツ宿舎となっていた。

建物は1968年に第9回BCS賞を受賞。1998年には公共建築百選に。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。現在建て替えを計画しており、2029年秋に完成予定。

前庭にはスルガザクラ、スルガコマチ、コマツオトメ、ジンダイアケボノ、ヤエベニシダレ、センダイヤ、スルガザクラの実生、カンザン、ワカキノサクラ、クマガイザクラの10種類のサクラが植栽されている。近隣の千鳥ヶ淵とともに桜の名所として広く知られている(下の写真1~3)。。

国立劇場で折り返して国会議事堂前に戻る。国会議事堂前には国会前庭(ぜんてい)の北庭と南庭がある。約5万平方mある敷地は桜やハナミズキをはじめとする1500本以上の樹木や草花に覆われ、記念植樹など様々な行事が行われている。1945年の東京大空襲で焼け野原となった場所で、戦後に庭園に整備され、一般公開されている。国有地で、衆議院が管理している。テレビ朝日系で長いことやってるドラマ「相棒」のシーンによく登場している。

北庭は江戸時代の初期には熊本藩主の加藤清正の屋敷があったところで、その後は彦根藩井伊氏上屋敷があった。幕末の大老井伊直弼はここから桜田濠沿いの道を桜田門に向かう途中の路上で桜田門外の変に遭った。明治維新後は最初は監察機関である弾正台が置かれ、後に参謀本部・陸軍省が置かれた。

北庭は現在は洋式庭園として整備されており、中心部には三権分立の時計塔が建つ。東側の噴水池や周りの花壇と共に1960年に完成したもので、三面塔星型は権力分立を象徴している。塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む(努力の上にさらに努力して向上する)」と云うことわざから、百尺(30.3m)よりも高くした31.5mに設定された。

時計は時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた物だったが、現在は国産の物に改修されている。「椰子の実」のなどの作品で知られる作曲家・大中寅二によるチャイムが一日4回、衆議院、参議院の本会議開会時刻と退庁、就寝時に併せて10時・13時・17時・22時に鳴動する。

時計塔の北側では前述したように憲政記念館が建て替え中だが、元々は1960年に市民の浄財によって建てられた「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄を記念する尾崎記念会館だった。時計塔の北側に尾崎行雄記念碑が建てられている(下の写真4)。

噴水池の西側には日本水準原点標庫があり、電子基準点「東京千代田」もある。日本水準原点標庫は日本の水準測量の基準点である日本水準原点を保護するための建物。原点は日本水準原点標庫の内部正面にある菊花紋章をあしらった黒い蓋を外したところにある。

1891年にかつて参謀本部陸地測量部が存在したこの地に竣工設置された。明治時代に活躍した建築家、佐立七次郎の最初期の作品で、石造で平家建。ローマ風神殿建築にならい、ドーリア式の配列形式をもつ本格的な様式建築で明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重なもの。

電子基準点「東京千代田」は2018年に設置されたもので、日本水準原点標庫の右手にある。電子基準点とは衛星測位システム(GNSS)からの測位信号を受信し、位置を精密に決定する観測点で、全国約1300か所に設置されているが、都心部には設置されてなかった。

高さ7mで、最上部にアンテナを、その下にはソーラーパネルを搭載しており、内部にGNSS受信機、ルーター、バッテリー、電源監視装置、通信装置、UPS、傾斜計、ヒーターなどを備えている。外装にはステンレス素材を採用し、熱で変形しないよう二重になっている。

北庭の東南角に近いところには「江戸の名水 櫻の井」の説明板がある井戸がある。縦約1.8m、横約3mの石垣で組んだ三連式釣瓶井戸で、一度に桶3杯の水が汲め、江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供していた名水井戸。

彦根藩井伊氏上屋敷の表門外西側にあったが、加藤清正邸時代に清正が掘ったと伝えられる。ただし、1968年に道路工事のため交差点内から原形のまま10m移設され、さらに2016年に現在地に移された。井戸の石枠だけが移されたので、中に井戸はない。

北庭から南庭に移るが、間を国会議事堂正門前からまっすぐ走る道の両サイドに植えられてるのはイチョウの木で、この時は緑が濃かったが、秋の紅葉が素晴らしく、ドラマや映画の舞台として使われる。最近では共にフジテレビ系で2023年の1月から放送されてた草彅剛主演の「罠の戦争」や菜々緒主演の「忍者に結婚は難しい」とか。

南庭は江戸時代は黒田氏や浅野氏の屋敷があったところで、幕末には摂津国の三田藩九鬼氏上屋敷だった。明治に入り第4代の内務大臣を務めた副島種臣が住んでいたが、1873年(明治8年)に京都から移って来ていた有栖川宮が買い上げて入居、新たに洋館を建て、1896年(明治29年)からは宮内省の霞ヶ関離宮となった。

霞ヶ関離宮は関東大震災でも残っていたが、前述のように東京大空襲で被弾炎上し、終戦後に撤去された。現在では和風を基調とした回遊式庭園になっている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.25227078176935535&type=1&l=223fe1adec


永田町観光を終了し、霞が関に向かうが、続く

  • 写真1 国立劇場前庭 熊谷桜

    写真1 国立劇場前庭 熊谷桜

  • 写真2 国立劇場前庭 駿河小町

    写真2 国立劇場前庭 駿河小町

  • 写真3 国立劇場前庭 駿河桜

    写真3 国立劇場前庭 駿河桜

  • 写真4 国会前庭 北庭 尾崎行雄記念碑

    写真4 国会前庭 北庭 尾崎行雄記念碑

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