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2022年5月17日(火)4時半前、宇都宮城址公園から宇都宮駅へ戻る。歩いて20分ほど。来た時には気付かなかったが西口のペデストリアンデッキの駅舎に面して森山欽司先生と云う胸像がある(下の写真1)。全然知らんけど、旧栃木1区選出の衆議院議員で第1次大平内閣で運輸大臣(1978年12月~79年11月)とかされた方なのね。<br /><br />その栃木1区がある栃木県だが、北関東に位置し、海のない内陸県。福島県、茨城県、群馬県、埼玉県に囲まれている。県北部に日光国立公園があり、観光地・保養地の日光や那須が知られる。県庁所在地は宇都宮市。<br /><br />面積は約6400平方mで関東地方最大だが、全国では20番目。北部から北西部にかけて奥羽山脈、日光連山、足尾山地が連なり、標高1500mから2500m程の急峻な山岳が連なっている。これらの山々から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川など諸河川が関東平野の北端を形成し、更に北に進むと那須野が原に至り、県北の町並みが広がる。南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。<br /><br />人口は約190万人で、こちらも全国19位で、面積の順位と近い。北関東3県では一番少ない。県土のほぼ中央に宇都宮市が立地し、県全体の4分の1に当たる約50万人が集中している。人口10万人以上の市としては、県南の小山・栃木・足利・佐野の各市、県北の那須塩原市があり、宇都宮線・両毛線の沿線に人口の多い市が連なっている。そのほか、地域の行政中心地として、鹿沼・真岡・大田原・矢板の各市がある。<br /><br />古墳時代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川)流域一帯に毛野国が成立し、さらにこれを上下に分かって上毛野国(かみつけのくに)と下毛野国(しもつけのくに)が成立する。その後、国名は上野国と下野国に改名され、「毛」の字は消えたものの「しもつけのくに」として、読みにその名残をとどめている。現在でも下野(しもつけ)の呼称は広く使われている。唐名では野州(やしゅう)と称する。<br /><br />同じく古墳時代に成立した現在の大田原市を中心とする那須国と下毛野国が7世紀後半に統一されて下野国となり、現在の栃木県の県域が形作られた。平安時代に宇都宮氏が二荒山神社座主となり、以後22代約250年に亘って鬼怒川流域一帯を統治する。<br /><br />鎌倉幕府には足利・小山・那須などの下野諸氏も台頭し、鎌倉御家人となり活躍する。室町時代には宇都宮氏が下野・上野・越後3国の守護を務め、絶頂期を迎える。戦国時代には那須氏や北条氏の侵攻を許し衰退するが、豊臣秀吉の1590年の宇都宮仕置でもその旧封である18万7千余石を全うする。しかし、その後の1597年に秀吉の命により改易された(明確な理由は不明)。<br /><br />江戸時代に入ると幕藩体制において、宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立する。下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、街道の整備に伴って宿駅も発展した。また、河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。<br /><br />日光は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、幕府の寺社奉行の監督支配を受ける寺社領である日光領として特別に保護・崇敬された。<br /><br />明治に入り1869年(明治2年)に日光領が日光県となり、翌年には移封となった高徳藩、廃藩となった喜連川藩の領地も編入する。1871年(明治4年)の廃藩置県で各藩も県となるがすぐに再編され、日光県に壬生県、佐野県、足利県、吹上県が統合されて新たに栃木県が発足する。これが栃木県の始まり。<br /><br />残る宇都宮県、烏山県、黒羽県、大田原県は茂木県(茨城の谷田部藩の飛び地)と共に統合され改めて宇都宮県が発足するが、2年後の1873年に栃木県に合併される。この時点では県庁は栃木町に置かれた。<br /><br />1876年(明治9年)には旧上野国地域(旧山田郡、新田郡、邑楽郡)が群馬県に移され、ほぼ現在と同じ県域となる。その後、1884年(明治17年)に栃木県という呼称のまま県庁を宇都宮町に移し、現在と同じになった。<br /><br />栃木と云う名は栃木町(現栃木市)から来ているが、その語源には諸説ある。町内の神明宮の屋根の2本の千木(ちぎ;屋根の両端で交叉させた部材)と8本の鰹木(かつおぎ;屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材)が遠くからは10本の千木に見えたことから「十千木」と呼ぶようになったという説、多く生えていたトチノキから来た説、市内を流れる巴波川が度々氾濫を起こしたことから、崩壊地を表す「チギる」に接頭語「ト」が付いたという崩壊地名説など。明治時代には櫔木や橡木、杤木などとも表記された。<br /><br />とちおとめが有名な苺やかんぴょうなどの生産量は日本一。また、国内有数の米産地でもあり、酪農も盛んで、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。結城紬や益子焼、日光彫、鹿沼家具なども有名。日光や那須高原を初めとする観光産業も盛ん。前述したサッカーの栃木SCやバスケットの宇都宮ブレックス(Brex)などが本拠地を置いている。<br /><br />既に上げた宇都宮市とこの翌日に行く日光市以外の栃木県関係者を一部だが上げる。詩人の相田みつを(1924年生れ)は足利中学卒業、作家の柳田邦男(1936年生れ)は鹿沼高校卒業、漫画家のジョージ秋山(1943年生れ)は東京の日暮里生れだが、疎開して中学まで足利市で育つ。同じく漫画家の大島弓子(1947年生れ)は大田原女子高校卒業。<br /><br />中森明菜の「少女A」やチェッカーズの「涙のリクエスト」などを書いた作詞家の売野雅勇(1951年生れ)は足利高校卒業。河口恭吾(1974年生れ)は足利南高校卒業、川崎鷹也(1995年生れ)は黒磯南高校卒業。<br /><br />俳優の山口智子(1964年生れ)は栃木女子高校卒業、村上新悟(1974年生れ)は小山工業高専卒業、酒井若菜(1980年生れ)は野木町出身で小山南高校卒業、平山あや(1984年生れ)は黒磯中学校卒業、AKB48の大島優子(1988年生れ)は壬生高校卒業、石黒英雄(1989年生れ)は小山市出身で白鴎大学足利高校から東京の堀越高校に転校。元<br /><br />お笑いのつぶやきシロー(1971年生れ)は野木町育ちで小山南高校卒業、U字工事の2人(1978年生れ)は大田原高校の同級生だった。森三中の大島美幸(1980年生れ)は黒羽高校卒業、ザ・たっちの2人(1982年生れ)は下野市出身で、たくやは栃木工業高校、かずやは作新学院高校を卒業。<br /><br />サッカーの元日本代表の原博実(1958年生れ)は矢板東高校時代に栃木県選抜として国体でベスト4入り。上野優作(1973年生れ)は真岡高校卒業、ボクシングのガッツ石松(1949年生れ)は粟野町立第二清洲中学校卒業。プロ野球選手の澤村拓一(1988年生れ)は佐野日大高校卒業、元プロ野球選手の石井琢朗(1970年生れ)は足利工業高校卒業。<br /><br />ゴルファーの羽川豊(1957年生れ)は足利工大付属高校卒業、マラソンの渋井陽子(1979年生れ)は那須拓陽高校卒業、卓球の平野早矢香(1985年生れ)は鹿沼市のみなみ小学校を卒業し、仙台育英に進学した。水泳の萩野公介(1994年生れ)は小山市出身で作新学院高校卒業。<br /><br />さて、話を元に戻す。これからカープの試合の観戦に向かうのだが、現地での虫養い用に、宇都宮駅の駅ビル「パセオ」の2階にある元祖 宇味家(うまいや)の店頭で売ってた餃子を購入(下の写真3)。買ったのは6個入りで388円(下の写真3)。<br /><br />宇味家は(株)三樹が運営する店で1981年創業。国産にこだわった厳選素材と、モチモチとした食感の特製の皮を使っており、豚肉は那須のブランド豚「那須郡司豚」を100%使用している。市街地の北側、山本に総本店・工場があり、JR小山駅構内にも支店がある。宇都宮駅前店もあったが、西口再開発の為、2023年1月に一時閉店している。<br /><br />宇都宮餃子は今でこそ有名だが、1993年に市内餃子専門店など38店舗により宇都宮餃子会が発足し、テレビに取り上げられるまで全国的に知られてはなかった。確かに。私には宇都宮に今も住んでいる学生時代の友人がいるが、聞いたことなかったわ。<br /><br />ただし、もちろん下地はあった。諸説あるが、元々は戦後になって満州から引き上げてきた人達が、現地で作り方を覚えた餃子で商売するようになり、その餃子をかつて宇都宮にあった第十四師団の兵士たちが食べ、一般市民にも広まったという説が有力。平成に入ってから宇都宮市の職員が研修活動の中で「餃子で宇都宮を有名にしよう」をテーマに選んで、宇都宮餃子会に繋がった。現在は約90店舗が加盟しているそうだ。<br /><br />宇都宮餃子に明確な定義はないが、他の地域の餃子と比べると白菜やキャベツといった野菜が多めに使われているのが特徴となっている。またニンニクもあまり使用しておらず、野菜が多めで油っこさがなく、たくさん食べても胃もたれせずヘルシーと云われる。タレは酢が多め、または酢だけで食べるのが一般的。<br /><br />5時前、宇都宮東口から出ているシャトルバスに乗車し、宇都宮清原球場へ向かう。今日の試合はジャイアンツの主催試合ってことで無料なのは、さすがに太っ腹だね。20分ほどで宇都宮清原球場に到着。<br /><br />宇都宮清原球場は宇都宮市東部の宇都宮清原工業団地・清原中央公園内にある宇都宮市所有の野球場。1988年5月竣工。今回はシャトルバスで往復したが、その後2023年8月に宇都宮ライトレールが開業し、この球場の近くに清原地区市民センター前停留場が設置されたので、便利になっている。<br /><br />清原は1954年(昭和29年)に宇都宮市へ編入され消滅した清原村から来ており、その村名は鬼怒川東岸に飛山城を築いた鎌倉時代の豪族、芳賀高俊が先祖の姓である「清原氏」を名乗ったことに由来している。<br /><br />なお、清原工業団地にはこの球場の他にも軟式野球・ソフトボール用の清原南球場や清原体育館、清原テニスコート、 グリーンスタジアムがある。グリーンスタジアムはJリーグの栃木SCの本拠地。<br /><br />夏の高校野球の栃木大会の決勝戦はこの球場で開催されている。また、2011年公開の映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の撮影にも使われた。見たわ、この映画。前田の敦ちゃんがやってたやつね。<br /><br />両翼が97.6m、中堅が122m。フィールドはアンツーカーを除き全面透水性人工芝で、横浜スタジアムと古代ローマのコロッセオをモデルに設計されている。収容人員3万人だが、外野は芝生席。スコアボードは2006年からLED式になり、2022年にフルカラーLED化され、文字や数字に加えアニメーション画像を新たに表示できる。照明設備は6基。<br /><br />2008年以降、不定期にジャイアンツの公式戦が開催されている。この日のカープ戦は2014年に次いで2度目らしい。夕方6時、試合開始。天気予報では雨の可能性も出てたのだが、日没時には夕焼けも見られて、いい天気で快適だった。試合内容についてはパス。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690919324311358&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br />カープ打撃陣<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690929710976986&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br />カープ守備陣<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690947344308556&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />進行の早い試合で、8時半過ぎには試合終了し、9時過ぎには無料シャトルバスで宇都宮駅東口に戻る(下の写真4)。<br /><br />球場では餃子とビールだけだったのでちょっと物足りない。東口駅前で見つけたオリオン餃子 宇都宮駅東店へ。(株)ダイニングファクトリーが展開するチェーン店で、宇都宮二荒山神社の表参道に続くバンバ通りと御橋通りの切れ目となっていたオリオン通りに本店がある。2011年開業。店名は通りの名前から来ている。宇都宮市内に7店舗の他、水戸、高崎、長岡、長野にも支店がある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24956048234038532&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />30分ほどで食べ終わり、ファミマに寄って朝食など買い出し、10時前にはホテルに戻った。<br /><br /><br />1日目終了し、2日目に続く

栃木 宇都宮清原球場(Kiyohara Baseball Stadium,Utsunomiya,Tochigi,Japan)

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2022/05/17 - 2022/05/17

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月17日(火)4時半前、宇都宮城址公園から宇都宮駅へ戻る。歩いて20分ほど。来た時には気付かなかったが西口のペデストリアンデッキの駅舎に面して森山欽司先生と云う胸像がある(下の写真1)。全然知らんけど、旧栃木1区選出の衆議院議員で第1次大平内閣で運輸大臣(1978年12月~79年11月)とかされた方なのね。

その栃木1区がある栃木県だが、北関東に位置し、海のない内陸県。福島県、茨城県、群馬県、埼玉県に囲まれている。県北部に日光国立公園があり、観光地・保養地の日光や那須が知られる。県庁所在地は宇都宮市。

面積は約6400平方mで関東地方最大だが、全国では20番目。北部から北西部にかけて奥羽山脈、日光連山、足尾山地が連なり、標高1500mから2500m程の急峻な山岳が連なっている。これらの山々から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川など諸河川が関東平野の北端を形成し、更に北に進むと那須野が原に至り、県北の町並みが広がる。南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。

人口は約190万人で、こちらも全国19位で、面積の順位と近い。北関東3県では一番少ない。県土のほぼ中央に宇都宮市が立地し、県全体の4分の1に当たる約50万人が集中している。人口10万人以上の市としては、県南の小山・栃木・足利・佐野の各市、県北の那須塩原市があり、宇都宮線・両毛線の沿線に人口の多い市が連なっている。そのほか、地域の行政中心地として、鹿沼・真岡・大田原・矢板の各市がある。

古墳時代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川)流域一帯に毛野国が成立し、さらにこれを上下に分かって上毛野国(かみつけのくに)と下毛野国(しもつけのくに)が成立する。その後、国名は上野国と下野国に改名され、「毛」の字は消えたものの「しもつけのくに」として、読みにその名残をとどめている。現在でも下野(しもつけ)の呼称は広く使われている。唐名では野州(やしゅう)と称する。

同じく古墳時代に成立した現在の大田原市を中心とする那須国と下毛野国が7世紀後半に統一されて下野国となり、現在の栃木県の県域が形作られた。平安時代に宇都宮氏が二荒山神社座主となり、以後22代約250年に亘って鬼怒川流域一帯を統治する。

鎌倉幕府には足利・小山・那須などの下野諸氏も台頭し、鎌倉御家人となり活躍する。室町時代には宇都宮氏が下野・上野・越後3国の守護を務め、絶頂期を迎える。戦国時代には那須氏や北条氏の侵攻を許し衰退するが、豊臣秀吉の1590年の宇都宮仕置でもその旧封である18万7千余石を全うする。しかし、その後の1597年に秀吉の命により改易された(明確な理由は不明)。

江戸時代に入ると幕藩体制において、宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立する。下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、街道の整備に伴って宿駅も発展した。また、河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。

日光は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、幕府の寺社奉行の監督支配を受ける寺社領である日光領として特別に保護・崇敬された。

明治に入り1869年(明治2年)に日光領が日光県となり、翌年には移封となった高徳藩、廃藩となった喜連川藩の領地も編入する。1871年(明治4年)の廃藩置県で各藩も県となるがすぐに再編され、日光県に壬生県、佐野県、足利県、吹上県が統合されて新たに栃木県が発足する。これが栃木県の始まり。

残る宇都宮県、烏山県、黒羽県、大田原県は茂木県(茨城の谷田部藩の飛び地)と共に統合され改めて宇都宮県が発足するが、2年後の1873年に栃木県に合併される。この時点では県庁は栃木町に置かれた。

1876年(明治9年)には旧上野国地域(旧山田郡、新田郡、邑楽郡)が群馬県に移され、ほぼ現在と同じ県域となる。その後、1884年(明治17年)に栃木県という呼称のまま県庁を宇都宮町に移し、現在と同じになった。

栃木と云う名は栃木町(現栃木市)から来ているが、その語源には諸説ある。町内の神明宮の屋根の2本の千木(ちぎ;屋根の両端で交叉させた部材)と8本の鰹木(かつおぎ;屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材)が遠くからは10本の千木に見えたことから「十千木」と呼ぶようになったという説、多く生えていたトチノキから来た説、市内を流れる巴波川が度々氾濫を起こしたことから、崩壊地を表す「チギる」に接頭語「ト」が付いたという崩壊地名説など。明治時代には櫔木や橡木、杤木などとも表記された。

とちおとめが有名な苺やかんぴょうなどの生産量は日本一。また、国内有数の米産地でもあり、酪農も盛んで、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。結城紬や益子焼、日光彫、鹿沼家具なども有名。日光や那須高原を初めとする観光産業も盛ん。前述したサッカーの栃木SCやバスケットの宇都宮ブレックス(Brex)などが本拠地を置いている。

既に上げた宇都宮市とこの翌日に行く日光市以外の栃木県関係者を一部だが上げる。詩人の相田みつを(1924年生れ)は足利中学卒業、作家の柳田邦男(1936年生れ)は鹿沼高校卒業、漫画家のジョージ秋山(1943年生れ)は東京の日暮里生れだが、疎開して中学まで足利市で育つ。同じく漫画家の大島弓子(1947年生れ)は大田原女子高校卒業。

中森明菜の「少女A」やチェッカーズの「涙のリクエスト」などを書いた作詞家の売野雅勇(1951年生れ)は足利高校卒業。河口恭吾(1974年生れ)は足利南高校卒業、川崎鷹也(1995年生れ)は黒磯南高校卒業。

俳優の山口智子(1964年生れ)は栃木女子高校卒業、村上新悟(1974年生れ)は小山工業高専卒業、酒井若菜(1980年生れ)は野木町出身で小山南高校卒業、平山あや(1984年生れ)は黒磯中学校卒業、AKB48の大島優子(1988年生れ)は壬生高校卒業、石黒英雄(1989年生れ)は小山市出身で白鴎大学足利高校から東京の堀越高校に転校。元

お笑いのつぶやきシロー(1971年生れ)は野木町育ちで小山南高校卒業、U字工事の2人(1978年生れ)は大田原高校の同級生だった。森三中の大島美幸(1980年生れ)は黒羽高校卒業、ザ・たっちの2人(1982年生れ)は下野市出身で、たくやは栃木工業高校、かずやは作新学院高校を卒業。

サッカーの元日本代表の原博実(1958年生れ)は矢板東高校時代に栃木県選抜として国体でベスト4入り。上野優作(1973年生れ)は真岡高校卒業、ボクシングのガッツ石松(1949年生れ)は粟野町立第二清洲中学校卒業。プロ野球選手の澤村拓一(1988年生れ)は佐野日大高校卒業、元プロ野球選手の石井琢朗(1970年生れ)は足利工業高校卒業。

ゴルファーの羽川豊(1957年生れ)は足利工大付属高校卒業、マラソンの渋井陽子(1979年生れ)は那須拓陽高校卒業、卓球の平野早矢香(1985年生れ)は鹿沼市のみなみ小学校を卒業し、仙台育英に進学した。水泳の萩野公介(1994年生れ)は小山市出身で作新学院高校卒業。

さて、話を元に戻す。これからカープの試合の観戦に向かうのだが、現地での虫養い用に、宇都宮駅の駅ビル「パセオ」の2階にある元祖 宇味家(うまいや)の店頭で売ってた餃子を購入(下の写真3)。買ったのは6個入りで388円(下の写真3)。

宇味家は(株)三樹が運営する店で1981年創業。国産にこだわった厳選素材と、モチモチとした食感の特製の皮を使っており、豚肉は那須のブランド豚「那須郡司豚」を100%使用している。市街地の北側、山本に総本店・工場があり、JR小山駅構内にも支店がある。宇都宮駅前店もあったが、西口再開発の為、2023年1月に一時閉店している。

宇都宮餃子は今でこそ有名だが、1993年に市内餃子専門店など38店舗により宇都宮餃子会が発足し、テレビに取り上げられるまで全国的に知られてはなかった。確かに。私には宇都宮に今も住んでいる学生時代の友人がいるが、聞いたことなかったわ。

ただし、もちろん下地はあった。諸説あるが、元々は戦後になって満州から引き上げてきた人達が、現地で作り方を覚えた餃子で商売するようになり、その餃子をかつて宇都宮にあった第十四師団の兵士たちが食べ、一般市民にも広まったという説が有力。平成に入ってから宇都宮市の職員が研修活動の中で「餃子で宇都宮を有名にしよう」をテーマに選んで、宇都宮餃子会に繋がった。現在は約90店舗が加盟しているそうだ。

宇都宮餃子に明確な定義はないが、他の地域の餃子と比べると白菜やキャベツといった野菜が多めに使われているのが特徴となっている。またニンニクもあまり使用しておらず、野菜が多めで油っこさがなく、たくさん食べても胃もたれせずヘルシーと云われる。タレは酢が多め、または酢だけで食べるのが一般的。

5時前、宇都宮東口から出ているシャトルバスに乗車し、宇都宮清原球場へ向かう。今日の試合はジャイアンツの主催試合ってことで無料なのは、さすがに太っ腹だね。20分ほどで宇都宮清原球場に到着。

宇都宮清原球場は宇都宮市東部の宇都宮清原工業団地・清原中央公園内にある宇都宮市所有の野球場。1988年5月竣工。今回はシャトルバスで往復したが、その後2023年8月に宇都宮ライトレールが開業し、この球場の近くに清原地区市民センター前停留場が設置されたので、便利になっている。

清原は1954年(昭和29年)に宇都宮市へ編入され消滅した清原村から来ており、その村名は鬼怒川東岸に飛山城を築いた鎌倉時代の豪族、芳賀高俊が先祖の姓である「清原氏」を名乗ったことに由来している。

なお、清原工業団地にはこの球場の他にも軟式野球・ソフトボール用の清原南球場や清原体育館、清原テニスコート、 グリーンスタジアムがある。グリーンスタジアムはJリーグの栃木SCの本拠地。

夏の高校野球の栃木大会の決勝戦はこの球場で開催されている。また、2011年公開の映画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の撮影にも使われた。見たわ、この映画。前田の敦ちゃんがやってたやつね。

両翼が97.6m、中堅が122m。フィールドはアンツーカーを除き全面透水性人工芝で、横浜スタジアムと古代ローマのコロッセオをモデルに設計されている。収容人員3万人だが、外野は芝生席。スコアボードは2006年からLED式になり、2022年にフルカラーLED化され、文字や数字に加えアニメーション画像を新たに表示できる。照明設備は6基。

2008年以降、不定期にジャイアンツの公式戦が開催されている。この日のカープ戦は2014年に次いで2度目らしい。夕方6時、試合開始。天気予報では雨の可能性も出てたのだが、日没時には夕焼けも見られて、いい天気で快適だった。試合内容についてはパス。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690919324311358&type=1&l=223fe1adec
カープ打撃陣
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690929710976986&type=1&l=223fe1adec
カープ守備陣
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7690947344308556&type=1&l=223fe1adec

進行の早い試合で、8時半過ぎには試合終了し、9時過ぎには無料シャトルバスで宇都宮駅東口に戻る(下の写真4)。

球場では餃子とビールだけだったのでちょっと物足りない。東口駅前で見つけたオリオン餃子 宇都宮駅東店へ。(株)ダイニングファクトリーが展開するチェーン店で、宇都宮二荒山神社の表参道に続くバンバ通りと御橋通りの切れ目となっていたオリオン通りに本店がある。2011年開業。店名は通りの名前から来ている。宇都宮市内に7店舗の他、水戸、高崎、長岡、長野にも支店がある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24956048234038532&type=1&l=223fe1adec

30分ほどで食べ終わり、ファミマに寄って朝食など買い出し、10時前にはホテルに戻った。


1日目終了し、2日目に続く

  • 写真1 森山欽司先生胸像

    写真1 森山欽司先生胸像

  • 写真2 宇味家 JR宇都宮駅構内店

    写真2 宇味家 JR宇都宮駅構内店

  • 写真3 宇味家餃子

    写真3 宇味家餃子

  • 写真4 宇都宮駅東口に到着した球場からの無料シャトルバス

    写真4 宇都宮駅東口に到着した球場からの無料シャトルバス

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