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2022年5月19日(木)朝の7時半前、上野駅前のホテルを出発、上野駅地下の地下鉄銀座線に乗る(下の写真1)。この日は都内観光。この前の年の12月に芝離宮や浜離宮に行って以来。東京都についてはその時の旅行記に書いた。<br />https://4travel.jp/travelogue/11796019<br /><br />上野駅地下には東京メトロ銀座線と日比谷線の上野駅がある。両線の改札口は各々独立しており、改札内で連絡してない。銀座線の駅は1927年(昭和2年)、日比谷線の駅は1961年に開業。銀座線の駅は当初は浅草と間の始終発駅だったが、1930年(昭和5年)に万世橋駅(現在は廃止)まで延伸され中間駅となった。<br /><br />銀座線上野駅は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。銀座線は東洋初の地下鉄なので、銀座線上野駅も東洋で最初の地下鉄駅となる。2017年に行われたリニューアルで改札口付近に90年前の開業時に使用されていたという木製ターンスタイル改札のレプリカが設置された。<br /><br />地下鉄銀座線は浅草・渋谷間の19駅、14.2kmを結ぶ路線。路線名は経由地である繁華街の銀座に由来する。ラインカラーはオレンジで、路線記号はG。上述のように1927年(昭和2年)に浅草・上野間で営業を開始した東洋初の地下鉄路線。1939年(昭和14年)に全線開通した。東京の地下鉄では東京に住んでた間も含めて一番乗ってる路線のような気がする。全線乗ってる。<br /><br />開削工法で建設されたため、他路線に比べて乗り場が浅い。また、建設費削減のためにトンネル断面を小さくしたので、車体の規格が東京地下鉄で最も小さい。標準軌で、第三軌条方式を採用しているため周辺他社路線との直通運転は困難。以前は二子玉川と三ノ輪まで延伸も計画されていたが、現在はない。<br /><br />現在は東京メトロ(正式には東京地下鉄株式会社)が運営しているが、元々は浅草・新橋間は東京地下鉄道が、新橋・渋谷間は東京高速鉄道が開通させた。この2社が1941年(昭和16年)に半官半民の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)へ統合され、2004年に民営化により東京メトロとなった。現在の東京メトロは9路線11系統、総計195.0kmを運営している。<br /><br />20分足らずで溜池山王駅に到着。1997年に銀座線の駅としては最も新しい駅として開業した。島式ホーム1面2線を有する地下駅。南北線の四ツ谷からこの駅までの延伸に併せて新たに造られた。丸ノ内線・千代田線が乗り入れる国会議事堂前駅と改札内で接続しており、運賃計算上同一の駅として扱われる。<br /><br />仮称駅名は溜池だったが、駅の位置が港区と千代田区の境界にあり、港区側が溜池を、千代田区側が山王下を希望し対立し、駅名の決定が難航した。結局、両区の意見を取り入れ、地名を合成することで決着した。溜池は、かつてこの一帯にあった池の名前に由来する。元々は湧水であり、堤を作って水を溜めるようにしたためこの名となった。山王は山王日枝神社に由来している。<br /><br />国会議事堂前駅への連絡路を通って、丸ノ内線の国会議事堂方面改札口から外に出る(下の写真2)。こちらは千代田区側になる。<br /><br />千代田区は東京23区の中央部に位置し、中央区・港区とともに東京都心、都心3区とされる特別区。皇居を中心とし、永田町や霞が関を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の政治・行政・司法の中心地。また、丸の内や大手町は大企業や金融機関が集積する日本最大のビジネス街で、日本経済の中心を担っている。<br /><br />人口7万弱は23区で一番少ないが、これは夜間人口の話で、区外からの通勤者と通学生がなだれ込む昼間人口は20倍以上に膨れ上がり、80万人を越え、港区に次ぐ。面積約12平方kmは東京の62自治体中48番目で、区でも台東区、荒川区、中央区、文京区に次いで小さい。<br /><br />平安時代に江戸氏が現在の皇居辺りに館を築くが、14世紀後半からの戦乱の中で没落する。戦国時代に関東管領扇谷上杉氏の家宰であった太田道灌が江戸城を築き、徳川家康が関東に国替えの後、江戸城を中心とした江戸の街づくりが始まった。江戸時代初めには丸の内辺りは日比谷入江と呼ばれる入江が広がっており、浅い海だった。<br /><br />江戸城の背後の麹町台地には将軍直属の旗本屋敷が置かれ、その周囲に大名の藩邸が配置された。また、埋め立てられた丸の内界隈にも多くの大名屋敷があったが、多くは1855年の安政江戸地震で焼失した。<br /><br />明治維新後に荒れ地となっていた丸の内界隈を近代的なオフィス街に変えたのは、その土地を購入した三菱財閥の岩崎弥之助(弥太郎の弟)。これにより、丸の内はロンドンを模した赤レンガ造りのオフィス街に変貌した。その後、関東大震災と東京大空襲で大きな被害を受けるが復興を遂げ、今も日本経済の中心となっている。<br /><br />戦後の1947年に旧麹町区と旧神田区の合併により千代田区が誕生。区名は江戸城の別名である千代田城に由来している。千代田は千代にわたって稲の実りを与えてくれる豊かな田圃という意味で、太田道灌が江戸城を築いた時に付近の村名から付けたと云う。<br /><br />旧麹町区は1878年(明治11年)に設置。現在の千代田区の北東の一角を除く地域で、宮城(現在の皇居)と丸ノ内、大手町、有楽町、霞ヶ関、永田町、麹町、番町、九段などのその周辺地域で構成されていた。区名は区内の地域名から来ているが、その麹町と云う名前は元々は甲州街道の起点部の地名で国府方(こうかた)と呼ばれていたのが国府路(こうじ)に変じ、麴の字が当てられた。<br /><br />旧神田区も同じ時に設置された区で、現在の神田や神保町、岩本町、淡路町、小川町などの地域。こちらの区名も地域名の神田から来ている。その名は神田明神がこの地に祀られていることから来ており、伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地に神田の鎮めのために創建されたからと云う。ただし、創建当時は現在の大手町にあったそうで、神田駿河台を経て現在地には1616年に遷座された。<br /><br />千代田区には東京駅があり、皇居や神田に有楽町も含まれ、さらに日本武道館や東京国際フォーラムなどもあるので、何度も来たことのある区だが、これまで永田町や霞が関にはほとんど縁がなかった。昔の霞が関ビルには仕事で行ったことあるけど。<br /><br />千代田区に関連する著名人としては、あの夏目漱石(1867年生れ)は1993年に3校が統合した誕生したお茶の水小学校の前身のひとつの1期生。<br /><br />俳優の浅丘ルリ子(40年生れ)、星由里子(43年生れ)、古舘伊知郎(54年生れ)は今川中学校(2005年に神田一橋中学校に統合)卒業、加賀まりこ(43年生れ)、三宅裕司(51年生れ)、富永美樹(70年生れ)は錬成中学校(これも神田一橋中学校に統合)卒業、アナウンサーの富永美樹(70年生れ)は一橋中学校(これも神田一橋中学校に統合)卒業。<br /><br />俳優の角野卓造(48年生れ)、現在の首相の岸田文雄(57年生れ)、俳優の貫地谷しほり(85年生れ)は麹町中学校卒業。ニュースキャスターの安藤優子(58年生れ)、俳優の佐藤浩市(60年生れ)、声優の日髙のり子(62年生れ)は九段中学校卒業。<br /><br />元テニス選手の佐藤直子(55年生れ)は麹町小学校卒業、作家の吉行淳之介(24年生れ)と女優の吉行和子(35年生れ)ら兄妹は番町小学校卒業。<br /><br />区内にある私立の暁星小学校は「宇宙戦艦ヤマト」のささきいさお(42年生れ)や元東大王の伊沢拓司(94年生れ)の出身校。白百合学園には俳優の松たか子(77年生れ)が高校途中で堀越高校に転校するまで在籍した。雙葉学園にはお笑いのいとうあさこ(70年生れ)や高橋英樹の娘のアナウンサー、高橋真麻(81年生れ)が小中高と在籍した。<br /><br />また、区内には多くの大学や高校があり、著名人も多く卒業しているが、多過ぎるので省略。関係ないが、出身ではないが、俳優の役所広司(56年生れ)は千代田区役所に勤務していたことから芸名となった(本名は橋本広司)。<br /><br />地下鉄国会議事堂前駅から地上に出ると永田町になる。これから行く国会議事堂や首相官邸や内閣府、各政党の本部などがある日本の政治の中心地。町名の由来は江戸初期にこの地域に永田姓を名乗る家の屋敷が多くあったことによると云う。<br /><br />江戸時代、江戸城に近いことから多くの大名屋敷が置かれていた。明治に入るとこの辺りには陸軍中枢が置かれ、永田町の「三宅坂」といえば主に参謀本部を指す言葉だった。明治半ばには東京女学館や華族女学校(現学習院幼稚園、女子中・高等科)もこの地域に置かれた。さらに現在もある日比谷高校(旧東京府立第一中學校)も移転してくる。<br /><br />大きく変わったのは1936年(昭和11年)に国会議事堂が完成して以降。一挙に政治中枢が集中し、永田町は政界の代名詞になっていった。同年の二・二六事件では、永田町、霞が関、山王下周辺一帯を反乱軍が占拠した。<br /><br />まず最初にあったのが上記にも上げた首相官邸。正式には内閣総理大臣官邸で、総理官邸とも略される。現在の官邸は2002年に完成したもので、地上5階、地下1階建ての鉄骨鉄筋コンクリート構造で、震度7にも耐えられる設計となっている。<br /><br />最上階となる5階には内閣総理大臣、副総理、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室、4階には閣議室、内閣執務室、首脳会議室、特別応接室が置かれ、この2層に執務機能が集中している。3階は事務室と玄関ホール、2階にはレセプションホールと貴賓室が設けられて、1階は記者会見室や記者クラブなど広報関係の施設がある。地下には危機管理センターが設けられている。<br /><br />傾斜地に作られているため、西側の入口は1階だが、東側にある正面の出入り口は3階となっている。組閣後の閣僚記念撮影が行われる「大階段」は3階から2階に降りる階段。<br /><br />官邸では閣議や国家安全保障会議など、国政上重要な会議が開催される。この他にも外国元首など首脳との会談や功労者に対する表彰の場として使用される。敷地内には総理大臣公邸、官房長官公邸、内閣宿舎、危機管理用臨時宿泊施設などがあり、官邸と公邸は庇でつながっている。<br /><br />公邸は総理大臣の住居で、1929年(昭和4年)に竣工した旧首相官邸を移動して改装した建築物で、2005年から利用されている。地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート構造。完成当時の首相であった小泉純一郎以降に使われているが、2012年から2度目の政権に付いた安倍晋三と2020年に安倍政権を引き継いだ菅義偉は入居しなかった。現在の岸田首相は入居している。写真では左手の木々に遮られて公邸は見えてない。<br /><br />江戸時代、この敷地の南側は越後村上藩内藤家中屋敷で、北側は旗本屋敷から信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷へと移り変わった。明治維新後は、一時一橋徳川家が使用したのち、1870年(明治3年)に鍋島家の所有となった。<br /><br />1923年(大正12年)の関東大震災により鍋島邸は大きな被害を受け、復興局へ売却される。その後上述のように1929年に震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として総理大臣官邸が新設された。<br /><br />官邸前から国道246号線永田町バイパスを北に進むと左手に衆議院第一議員会館と衆議院第二議員会館が並ぶ。衆議院議員の執務室。共に地上12階建てで、第一議員会館は地下5階、第二議員会館は地下4階。2010年竣工。永田町バイパスの地下の通路により2つの会館は参議院議員会館、国会議事堂や地下鉄の国会議事堂前駅、永田町駅と繋がっている。<br /><br />江戸時代には二本松藩丹羽家上屋敷と富江藩五島家上屋敷があったところで、1929年(昭和4年)までは第二議員会館辺りに首相官邸が置かれていた。<br /><br /><br /><br />国会議事堂見学までまだ時間があるので、先に日枝神社にお参りするが、続く

東京 千代田区 永田町(Nagatacho,Chiyoda,Tokyo,Japan)

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2022/05/19 - 2022/05/19

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月19日(木)朝の7時半前、上野駅前のホテルを出発、上野駅地下の地下鉄銀座線に乗る(下の写真1)。この日は都内観光。この前の年の12月に芝離宮や浜離宮に行って以来。東京都についてはその時の旅行記に書いた。
https://4travel.jp/travelogue/11796019

上野駅地下には東京メトロ銀座線と日比谷線の上野駅がある。両線の改札口は各々独立しており、改札内で連絡してない。銀座線の駅は1927年(昭和2年)、日比谷線の駅は1961年に開業。銀座線の駅は当初は浅草と間の始終発駅だったが、1930年(昭和5年)に万世橋駅(現在は廃止)まで延伸され中間駅となった。

銀座線上野駅は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。銀座線は東洋初の地下鉄なので、銀座線上野駅も東洋で最初の地下鉄駅となる。2017年に行われたリニューアルで改札口付近に90年前の開業時に使用されていたという木製ターンスタイル改札のレプリカが設置された。

地下鉄銀座線は浅草・渋谷間の19駅、14.2kmを結ぶ路線。路線名は経由地である繁華街の銀座に由来する。ラインカラーはオレンジで、路線記号はG。上述のように1927年(昭和2年)に浅草・上野間で営業を開始した東洋初の地下鉄路線。1939年(昭和14年)に全線開通した。東京の地下鉄では東京に住んでた間も含めて一番乗ってる路線のような気がする。全線乗ってる。

開削工法で建設されたため、他路線に比べて乗り場が浅い。また、建設費削減のためにトンネル断面を小さくしたので、車体の規格が東京地下鉄で最も小さい。標準軌で、第三軌条方式を採用しているため周辺他社路線との直通運転は困難。以前は二子玉川と三ノ輪まで延伸も計画されていたが、現在はない。

現在は東京メトロ(正式には東京地下鉄株式会社)が運営しているが、元々は浅草・新橋間は東京地下鉄道が、新橋・渋谷間は東京高速鉄道が開通させた。この2社が1941年(昭和16年)に半官半民の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)へ統合され、2004年に民営化により東京メトロとなった。現在の東京メトロは9路線11系統、総計195.0kmを運営している。

20分足らずで溜池山王駅に到着。1997年に銀座線の駅としては最も新しい駅として開業した。島式ホーム1面2線を有する地下駅。南北線の四ツ谷からこの駅までの延伸に併せて新たに造られた。丸ノ内線・千代田線が乗り入れる国会議事堂前駅と改札内で接続しており、運賃計算上同一の駅として扱われる。

仮称駅名は溜池だったが、駅の位置が港区と千代田区の境界にあり、港区側が溜池を、千代田区側が山王下を希望し対立し、駅名の決定が難航した。結局、両区の意見を取り入れ、地名を合成することで決着した。溜池は、かつてこの一帯にあった池の名前に由来する。元々は湧水であり、堤を作って水を溜めるようにしたためこの名となった。山王は山王日枝神社に由来している。

国会議事堂前駅への連絡路を通って、丸ノ内線の国会議事堂方面改札口から外に出る(下の写真2)。こちらは千代田区側になる。

千代田区は東京23区の中央部に位置し、中央区・港区とともに東京都心、都心3区とされる特別区。皇居を中心とし、永田町や霞が関を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の政治・行政・司法の中心地。また、丸の内や大手町は大企業や金融機関が集積する日本最大のビジネス街で、日本経済の中心を担っている。

人口7万弱は23区で一番少ないが、これは夜間人口の話で、区外からの通勤者と通学生がなだれ込む昼間人口は20倍以上に膨れ上がり、80万人を越え、港区に次ぐ。面積約12平方kmは東京の62自治体中48番目で、区でも台東区、荒川区、中央区、文京区に次いで小さい。

平安時代に江戸氏が現在の皇居辺りに館を築くが、14世紀後半からの戦乱の中で没落する。戦国時代に関東管領扇谷上杉氏の家宰であった太田道灌が江戸城を築き、徳川家康が関東に国替えの後、江戸城を中心とした江戸の街づくりが始まった。江戸時代初めには丸の内辺りは日比谷入江と呼ばれる入江が広がっており、浅い海だった。

江戸城の背後の麹町台地には将軍直属の旗本屋敷が置かれ、その周囲に大名の藩邸が配置された。また、埋め立てられた丸の内界隈にも多くの大名屋敷があったが、多くは1855年の安政江戸地震で焼失した。

明治維新後に荒れ地となっていた丸の内界隈を近代的なオフィス街に変えたのは、その土地を購入した三菱財閥の岩崎弥之助(弥太郎の弟)。これにより、丸の内はロンドンを模した赤レンガ造りのオフィス街に変貌した。その後、関東大震災と東京大空襲で大きな被害を受けるが復興を遂げ、今も日本経済の中心となっている。

戦後の1947年に旧麹町区と旧神田区の合併により千代田区が誕生。区名は江戸城の別名である千代田城に由来している。千代田は千代にわたって稲の実りを与えてくれる豊かな田圃という意味で、太田道灌が江戸城を築いた時に付近の村名から付けたと云う。

旧麹町区は1878年(明治11年)に設置。現在の千代田区の北東の一角を除く地域で、宮城(現在の皇居)と丸ノ内、大手町、有楽町、霞ヶ関、永田町、麹町、番町、九段などのその周辺地域で構成されていた。区名は区内の地域名から来ているが、その麹町と云う名前は元々は甲州街道の起点部の地名で国府方(こうかた)と呼ばれていたのが国府路(こうじ)に変じ、麴の字が当てられた。

旧神田区も同じ時に設置された区で、現在の神田や神保町、岩本町、淡路町、小川町などの地域。こちらの区名も地域名の神田から来ている。その名は神田明神がこの地に祀られていることから来ており、伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地に神田の鎮めのために創建されたからと云う。ただし、創建当時は現在の大手町にあったそうで、神田駿河台を経て現在地には1616年に遷座された。

千代田区には東京駅があり、皇居や神田に有楽町も含まれ、さらに日本武道館や東京国際フォーラムなどもあるので、何度も来たことのある区だが、これまで永田町や霞が関にはほとんど縁がなかった。昔の霞が関ビルには仕事で行ったことあるけど。

千代田区に関連する著名人としては、あの夏目漱石(1867年生れ)は1993年に3校が統合した誕生したお茶の水小学校の前身のひとつの1期生。

俳優の浅丘ルリ子(40年生れ)、星由里子(43年生れ)、古舘伊知郎(54年生れ)は今川中学校(2005年に神田一橋中学校に統合)卒業、加賀まりこ(43年生れ)、三宅裕司(51年生れ)、富永美樹(70年生れ)は錬成中学校(これも神田一橋中学校に統合)卒業、アナウンサーの富永美樹(70年生れ)は一橋中学校(これも神田一橋中学校に統合)卒業。

俳優の角野卓造(48年生れ)、現在の首相の岸田文雄(57年生れ)、俳優の貫地谷しほり(85年生れ)は麹町中学校卒業。ニュースキャスターの安藤優子(58年生れ)、俳優の佐藤浩市(60年生れ)、声優の日髙のり子(62年生れ)は九段中学校卒業。

元テニス選手の佐藤直子(55年生れ)は麹町小学校卒業、作家の吉行淳之介(24年生れ)と女優の吉行和子(35年生れ)ら兄妹は番町小学校卒業。

区内にある私立の暁星小学校は「宇宙戦艦ヤマト」のささきいさお(42年生れ)や元東大王の伊沢拓司(94年生れ)の出身校。白百合学園には俳優の松たか子(77年生れ)が高校途中で堀越高校に転校するまで在籍した。雙葉学園にはお笑いのいとうあさこ(70年生れ)や高橋英樹の娘のアナウンサー、高橋真麻(81年生れ)が小中高と在籍した。

また、区内には多くの大学や高校があり、著名人も多く卒業しているが、多過ぎるので省略。関係ないが、出身ではないが、俳優の役所広司(56年生れ)は千代田区役所に勤務していたことから芸名となった(本名は橋本広司)。

地下鉄国会議事堂前駅から地上に出ると永田町になる。これから行く国会議事堂や首相官邸や内閣府、各政党の本部などがある日本の政治の中心地。町名の由来は江戸初期にこの地域に永田姓を名乗る家の屋敷が多くあったことによると云う。

江戸時代、江戸城に近いことから多くの大名屋敷が置かれていた。明治に入るとこの辺りには陸軍中枢が置かれ、永田町の「三宅坂」といえば主に参謀本部を指す言葉だった。明治半ばには東京女学館や華族女学校(現学習院幼稚園、女子中・高等科)もこの地域に置かれた。さらに現在もある日比谷高校(旧東京府立第一中學校)も移転してくる。

大きく変わったのは1936年(昭和11年)に国会議事堂が完成して以降。一挙に政治中枢が集中し、永田町は政界の代名詞になっていった。同年の二・二六事件では、永田町、霞が関、山王下周辺一帯を反乱軍が占拠した。

まず最初にあったのが上記にも上げた首相官邸。正式には内閣総理大臣官邸で、総理官邸とも略される。現在の官邸は2002年に完成したもので、地上5階、地下1階建ての鉄骨鉄筋コンクリート構造で、震度7にも耐えられる設計となっている。

最上階となる5階には内閣総理大臣、副総理、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室、4階には閣議室、内閣執務室、首脳会議室、特別応接室が置かれ、この2層に執務機能が集中している。3階は事務室と玄関ホール、2階にはレセプションホールと貴賓室が設けられて、1階は記者会見室や記者クラブなど広報関係の施設がある。地下には危機管理センターが設けられている。

傾斜地に作られているため、西側の入口は1階だが、東側にある正面の出入り口は3階となっている。組閣後の閣僚記念撮影が行われる「大階段」は3階から2階に降りる階段。

官邸では閣議や国家安全保障会議など、国政上重要な会議が開催される。この他にも外国元首など首脳との会談や功労者に対する表彰の場として使用される。敷地内には総理大臣公邸、官房長官公邸、内閣宿舎、危機管理用臨時宿泊施設などがあり、官邸と公邸は庇でつながっている。

公邸は総理大臣の住居で、1929年(昭和4年)に竣工した旧首相官邸を移動して改装した建築物で、2005年から利用されている。地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート構造。完成当時の首相であった小泉純一郎以降に使われているが、2012年から2度目の政権に付いた安倍晋三と2020年に安倍政権を引き継いだ菅義偉は入居しなかった。現在の岸田首相は入居している。写真では左手の木々に遮られて公邸は見えてない。

江戸時代、この敷地の南側は越後村上藩内藤家中屋敷で、北側は旗本屋敷から信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷へと移り変わった。明治維新後は、一時一橋徳川家が使用したのち、1870年(明治3年)に鍋島家の所有となった。

1923年(大正12年)の関東大震災により鍋島邸は大きな被害を受け、復興局へ売却される。その後上述のように1929年に震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として総理大臣官邸が新設された。

官邸前から国道246号線永田町バイパスを北に進むと左手に衆議院第一議員会館と衆議院第二議員会館が並ぶ。衆議院議員の執務室。共に地上12階建てで、第一議員会館は地下5階、第二議員会館は地下4階。2010年竣工。永田町バイパスの地下の通路により2つの会館は参議院議員会館、国会議事堂や地下鉄の国会議事堂前駅、永田町駅と繋がっている。

江戸時代には二本松藩丹羽家上屋敷と富江藩五島家上屋敷があったところで、1929年(昭和4年)までは第二議員会館辺りに首相官邸が置かれていた。



国会議事堂見学までまだ時間があるので、先に日枝神社にお参りするが、続く

  • 写真1 地下鉄銀座線上野駅改札

    写真1 地下鉄銀座線上野駅改札

  • 写真2 地下鉄丸ノ内線国会議事堂前改札

    写真2 地下鉄丸ノ内線国会議事堂前改札

  • 写真3 首相官邸

    写真3 首相官邸

  • 写真4 衆議院第一議員会館

    写真4 衆議院第一議員会館

  • 写真5 衆議院第二議員会館

    写真5 衆議院第二議員会館

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