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2022年5月18日(水)朝の7時半前、宇都宮駅へ(下の写真1)。今回の関東旅行の2日目がスタート。JRの日光線から東武鬼怒川線へ乗り換えて鬼怒川温泉へ向かう。日光線は宇都宮と国際観光都市の日光を結ぶ近郊路線。<br /><br />1890年(明治23年)6月に日本鉄道が宇都宮・今市間を開業させ、2ヶ月後に日光までの全線が開通する。1906年(明治39年)に日本鉄道は国に買収され国有化、官有鉄道となり、1909年(明治42年)に日光線と名付けられる。1987年の国鉄分割民営化によりJR東日本が継承する。<br /><br />起終点駅含む7駅、40.5km。全線単線で電化されている。1時間あたり1、2本程度の普通列車のほか、朝夕の通勤・通学時間帯には宇都宮・鹿沼間の区間列車もある。早朝には宇都宮線小金井発の直通列車もあるが、宇都宮駅でスイッチバックとなる。<br /><br />7時38分の折り返しの日光行に乗車(下の写真2)。2003年、東京に住んでた時代に東照宮に行くのに乗って以来の乗車。25分ほどで今市に到着する。今市駅は1890年(明治23年)に日本鉄道の駅として開業、上述の通り国鉄を経て、現在はJR東の駅。島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は2014年に建て替えられたもの(下の写真3)。<br /><br />駅のすぐ南に男女ホッケーの強豪校、今市高校があり、通学時間なので高校生が多かった。細川たかしのレコード大賞受賞作「矢切の渡し」などの作曲で知られる船村徹(1932年生れ)は出身は現塩谷町だが、今市高校の前身の旧制今市中学校を卒業している。<br /><br />この辺りは現在は日光市になっているが、2006年までは今市市だった。江戸時代から日光街道や会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄した。古くは今村と呼ばれていたのが今市と改められたと伝えられるが、東照宮鎮座以前に近在の6ヵ村が持回りで行なっていた六斎市が日光街道成立に伴って定着したことにより、新たにできた市場の意味から今市と称するようになったとも云う。<br /><br />1889年(明治22年)に9村が合併して今市町が発足。1954年(昭和29年)に近隣の2村を編入し市制を施行、今市市となる。その後さらに2村の一部を編入するが、2006年に(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村と合併し、現在の日光市となる。現在の日光市役所は旧今市市役所を本庁舎としている。<br /><br />プロ野球のオリオンズで活躍した完全試合達成投手の八木沢荘六(1944年生れ)は宇都宮市の時にも書いたが、旧今市市出身で作新学院に進んだ。<br /><br />2006年に誕生した現在の日光市は栃木県の北西部に位置し、旧日光の社寺や、日光連山、中禅寺湖、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖や日光湯元温泉、鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡、足尾銅山などがある観光都市。面積約1450平方kmは栃木県の25市町で断トツのトップ。人口は約7万3千人で、25市町中9番目。<br /><br />古くから日光は日光三山の門前町、修験道の道場であり山岳信仰の聖地だった。奈良時代に勝道上人が現在の輪王寺や中禅寺を創建している。江戸時代、家康の側近の慈眼大師天海が日光山貫主となり、家康の死後に天海の進言により家康の廟所として日光東照宮が創建された。以後、日光は参詣客で賑わうようになり、日光街道などの参拝路が整備された。<br /><br />日光の名は平安時代の9世紀前半、弘法大師がこの地を訪れた際に、二荒山の「二荒」を「にこう」と音読みしたことに由来し、後にこの字が当てられた。二荒山は中禅寺湖の北にある男体山の別名で、二荒山神社の奥院がある。観音菩薩が住むとされる補陀洛山が訛って二荒山になったと云われる。<br /><br />1889年(明治22年)の町制施行により日光町の他8村が合併し日光町が発足、1954年(昭和29年)に小来川村と合併して市制を施行し、(旧)日光市となり、2006年に現在の日光市が誕生した。<br /><br />ソニー創業者の一人である井深大(1908年生れ)は旧日光町で生まれたが、2歳で安城市に移り、以後戻ることはなかった。<br /><br />10分ほど歩いて東武の下今市駅に移動する。東武(鉄道)は現在(2024年4月)16社ある大手私鉄の一つで、約80社からなる東武グループ(前身は私鉄王・鉄道王と呼ばれた初代根津嘉一郎が一代で築いた根津財閥)の中核企業。同じく関東の大手私鉄の京急電鉄と共に芙蓉(F)グループ(融資系列ではみずほグループ)を構成する企業の一つでもある。<br /><br />1897年(明治30年)に創立され、日本の大手私鉄の中では最も古い。1899年(明治32年)に現在の伊勢崎線となる北千住・久喜間が開業。その後現在の東上本線を運営していた東上鉄道などを買収し、現在は関東地方1都4県で12の鉄道路線を運営しており、その総営業キロ数(463.3km)はJRを除く日本の鉄道では関東地方で最長、全国では近鉄に次ぐ2位。名称は武蔵国の東部に由来している。<br /><br />下今市駅は東武日光線の駅で、鬼怒川線の起点でもある。1929年(昭和4年)、日光線の新鹿沼から下今市までの延伸に伴って開業。3ヶ月後には日光線は東武日光までの全線が開通し途中駅となる。また、その直後には既に1920年(大正9年)に新今市・藤原(現在の新藤原)間の全線が開通していた下野軌道(現鬼怒川線)の新今市駅を廃止し、下今市を起点とした。<br /><br />下今市の駅名の由来は今市町時代には上町・中町・下町の3つの字が存在し、この駅は下町に設置されたことによるもの。日光方面の1駅隣に上今市駅がある。<br /><br />島式ホーム2面4線を有する地上駅。駅舎は線路の南側にあり、ホームとは跨線橋により連絡している。2017年に昭和レトロ調の駅舎に改修された。駅舎入口に設置された駅名標は「驛市今下」と右書きかつ旧字体で表記され、外観のみならず内装もレトロ調で統一し、改札口に隣接する待合室スペースには戦前・戦後のレトロなポスターを多数展示している(下の写真4)。<br /><br />8時27分発の下今市始発の鬼怒川線、新藤原行の各停に乗車する(下の写真5)。鬼怒川線は下今市から新藤原までの9駅、16.2kmを結ぶ線。鬼怒立岩信号場・鬼怒川温泉駅間を除くと単線で、全線電化。栃木県の代表的な温泉街の一つである鬼怒川温泉へのアクセス路線で、浅草やJR相互乗り入れで新宿からの特急が運行されている。<br /><br />また、新藤原駅からは野岩鉄道・会津鉄道・JR只見線と直通運転が行われており、浅草・会津鉄道の会津田島間の特急や鬼怒川温泉・JR只見線の会津若松(一部期間は喜多方)間の快速も運行されている。<br /><br />1913年(大正2年)に運転を開始した鬼怒川水力電気下滝発電所(現・東京電力鬼怒川発電所)建設のための資材運搬軌道が前身で、1917年(大正6年)に下野軌道として大谷向今市(現大谷向)・中岩(後に廃止)間、6.0kmの営業を開始。新今市・藤原(現新藤原)間全線開通は1919年(大正8年)12月。<br /><br />1921年(大正10年)に下野電気鉄道に改称、1929年(昭和4年)に新今市駅を廃止し、下今市駅に乗り入れ、現在の路線となる。1943年(昭和18年)に東武鉄道が下野電気鉄道を買収し、鬼怒川線となった。1986年に野岩鉄道が開業し直通運転を開始した。<br /><br /><br />鬼怒川温泉に到着するが、続く

栃木 日光 鬼怒川温泉へ(To Kinugawa Onsen Hot Spring,Nikko,Tochigi,Japan)

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2022/05/18 - 2022/05/18

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月18日(水)朝の7時半前、宇都宮駅へ(下の写真1)。今回の関東旅行の2日目がスタート。JRの日光線から東武鬼怒川線へ乗り換えて鬼怒川温泉へ向かう。日光線は宇都宮と国際観光都市の日光を結ぶ近郊路線。

1890年(明治23年)6月に日本鉄道が宇都宮・今市間を開業させ、2ヶ月後に日光までの全線が開通する。1906年(明治39年)に日本鉄道は国に買収され国有化、官有鉄道となり、1909年(明治42年)に日光線と名付けられる。1987年の国鉄分割民営化によりJR東日本が継承する。

起終点駅含む7駅、40.5km。全線単線で電化されている。1時間あたり1、2本程度の普通列車のほか、朝夕の通勤・通学時間帯には宇都宮・鹿沼間の区間列車もある。早朝には宇都宮線小金井発の直通列車もあるが、宇都宮駅でスイッチバックとなる。

7時38分の折り返しの日光行に乗車(下の写真2)。2003年、東京に住んでた時代に東照宮に行くのに乗って以来の乗車。25分ほどで今市に到着する。今市駅は1890年(明治23年)に日本鉄道の駅として開業、上述の通り国鉄を経て、現在はJR東の駅。島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は2014年に建て替えられたもの(下の写真3)。

駅のすぐ南に男女ホッケーの強豪校、今市高校があり、通学時間なので高校生が多かった。細川たかしのレコード大賞受賞作「矢切の渡し」などの作曲で知られる船村徹(1932年生れ)は出身は現塩谷町だが、今市高校の前身の旧制今市中学校を卒業している。

この辺りは現在は日光市になっているが、2006年までは今市市だった。江戸時代から日光街道や会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄した。古くは今村と呼ばれていたのが今市と改められたと伝えられるが、東照宮鎮座以前に近在の6ヵ村が持回りで行なっていた六斎市が日光街道成立に伴って定着したことにより、新たにできた市場の意味から今市と称するようになったとも云う。

1889年(明治22年)に9村が合併して今市町が発足。1954年(昭和29年)に近隣の2村を編入し市制を施行、今市市となる。その後さらに2村の一部を編入するが、2006年に(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村と合併し、現在の日光市となる。現在の日光市役所は旧今市市役所を本庁舎としている。

プロ野球のオリオンズで活躍した完全試合達成投手の八木沢荘六(1944年生れ)は宇都宮市の時にも書いたが、旧今市市出身で作新学院に進んだ。

2006年に誕生した現在の日光市は栃木県の北西部に位置し、旧日光の社寺や、日光連山、中禅寺湖、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖や日光湯元温泉、鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡、足尾銅山などがある観光都市。面積約1450平方kmは栃木県の25市町で断トツのトップ。人口は約7万3千人で、25市町中9番目。

古くから日光は日光三山の門前町、修験道の道場であり山岳信仰の聖地だった。奈良時代に勝道上人が現在の輪王寺や中禅寺を創建している。江戸時代、家康の側近の慈眼大師天海が日光山貫主となり、家康の死後に天海の進言により家康の廟所として日光東照宮が創建された。以後、日光は参詣客で賑わうようになり、日光街道などの参拝路が整備された。

日光の名は平安時代の9世紀前半、弘法大師がこの地を訪れた際に、二荒山の「二荒」を「にこう」と音読みしたことに由来し、後にこの字が当てられた。二荒山は中禅寺湖の北にある男体山の別名で、二荒山神社の奥院がある。観音菩薩が住むとされる補陀洛山が訛って二荒山になったと云われる。

1889年(明治22年)の町制施行により日光町の他8村が合併し日光町が発足、1954年(昭和29年)に小来川村と合併して市制を施行し、(旧)日光市となり、2006年に現在の日光市が誕生した。

ソニー創業者の一人である井深大(1908年生れ)は旧日光町で生まれたが、2歳で安城市に移り、以後戻ることはなかった。

10分ほど歩いて東武の下今市駅に移動する。東武(鉄道)は現在(2024年4月)16社ある大手私鉄の一つで、約80社からなる東武グループ(前身は私鉄王・鉄道王と呼ばれた初代根津嘉一郎が一代で築いた根津財閥)の中核企業。同じく関東の大手私鉄の京急電鉄と共に芙蓉(F)グループ(融資系列ではみずほグループ)を構成する企業の一つでもある。

1897年(明治30年)に創立され、日本の大手私鉄の中では最も古い。1899年(明治32年)に現在の伊勢崎線となる北千住・久喜間が開業。その後現在の東上本線を運営していた東上鉄道などを買収し、現在は関東地方1都4県で12の鉄道路線を運営しており、その総営業キロ数(463.3km)はJRを除く日本の鉄道では関東地方で最長、全国では近鉄に次ぐ2位。名称は武蔵国の東部に由来している。

下今市駅は東武日光線の駅で、鬼怒川線の起点でもある。1929年(昭和4年)、日光線の新鹿沼から下今市までの延伸に伴って開業。3ヶ月後には日光線は東武日光までの全線が開通し途中駅となる。また、その直後には既に1920年(大正9年)に新今市・藤原(現在の新藤原)間の全線が開通していた下野軌道(現鬼怒川線)の新今市駅を廃止し、下今市を起点とした。

下今市の駅名の由来は今市町時代には上町・中町・下町の3つの字が存在し、この駅は下町に設置されたことによるもの。日光方面の1駅隣に上今市駅がある。

島式ホーム2面4線を有する地上駅。駅舎は線路の南側にあり、ホームとは跨線橋により連絡している。2017年に昭和レトロ調の駅舎に改修された。駅舎入口に設置された駅名標は「驛市今下」と右書きかつ旧字体で表記され、外観のみならず内装もレトロ調で統一し、改札口に隣接する待合室スペースには戦前・戦後のレトロなポスターを多数展示している(下の写真4)。

8時27分発の下今市始発の鬼怒川線、新藤原行の各停に乗車する(下の写真5)。鬼怒川線は下今市から新藤原までの9駅、16.2kmを結ぶ線。鬼怒立岩信号場・鬼怒川温泉駅間を除くと単線で、全線電化。栃木県の代表的な温泉街の一つである鬼怒川温泉へのアクセス路線で、浅草やJR相互乗り入れで新宿からの特急が運行されている。

また、新藤原駅からは野岩鉄道・会津鉄道・JR只見線と直通運転が行われており、浅草・会津鉄道の会津田島間の特急や鬼怒川温泉・JR只見線の会津若松(一部期間は喜多方)間の快速も運行されている。

1913年(大正2年)に運転を開始した鬼怒川水力電気下滝発電所(現・東京電力鬼怒川発電所)建設のための資材運搬軌道が前身で、1917年(大正6年)に下野軌道として大谷向今市(現大谷向)・中岩(後に廃止)間、6.0kmの営業を開始。新今市・藤原(現新藤原)間全線開通は1919年(大正8年)12月。

1921年(大正10年)に下野電気鉄道に改称、1929年(昭和4年)に新今市駅を廃止し、下今市駅に乗り入れ、現在の路線となる。1943年(昭和18年)に東武鉄道が下野電気鉄道を買収し、鬼怒川線となった。1986年に野岩鉄道が開業し直通運転を開始した。


鬼怒川温泉に到着するが、続く

  • 写真1 JR宇都宮駅日光線ホーム降り口

    写真1 JR宇都宮駅日光線ホーム降り口

  • 写真3 今市駅

    写真3 今市駅

  • 写真4 下今市駅

    写真4 下今市駅

  • 写真5 下今市発新藤原行

    写真5 下今市発新藤原行

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