2001/05/05 - 2001/05/06
8位(同エリア105件中)
jijidarumaさん
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≪ドイツ16年ぶりの再訪:②ドイツ文化の源流と云われるアイゼナハをじっくり観光し、翌日宗教都市である州都エアフルトを訪れた≫
<2001年5月5日(土) 曇り後雨、肌寒し、59km>
Friedewaldフリーデヴァルト 8:55出発。=>A4・B7 33km Eisenachアイゼナハ:市内観光 ;Wartburgヴァルトブルク城、ニコライの塔、マルクト広場、バッハハウス、ルターハウス、ゲオルゲ教会 =>Hotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリード 17:30着。
*雨模様の肌寒い朝である。古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子での朝食はパビリオン風の建物にあるレストランSchlossgartenシュロスガルテンで頂く。大好きなドイツの新鮮、かつ豊富な朝食に感激しながら・・・。朝が早いのか?私どもだけのレストランは贅沢なものだ。日本への葉書をお願いして、チェックアウトする。
ヘッセンの王子を8時55分出発し、Eisenachアイゼナハに向かう。
今日も見る所が多い一日になりそうだ。A4・B7をほんの少し(33km)行くと、Eisenachアイゼナハの町(人口4万5千人)に至る。
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・Wartburgヴァルトブルク城・・・右上から時計回りで、ヴァルトブルク城の絵葉書、レンタカー ボルボ、ヴァルトブルク城の遠望、俯瞰
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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<使用レンタカーはVolvo S80 2400CC Diesel Automatic>
フランクフルト国際空港で初めて乗ることになったボルボ車は大きく、がっちりとした車である。
ハーツのフルサイズ・クラス(メルセデス・ベンツのC-180クラス)オートマチックを希望したが、空港等でめぐり合う車は様々で、この日、幸いなことに希望車よりも格上の車を提供された。
このドイツ文化の源流とも言われるアイゼナハの観光はまずWartburgヴァルトブルク城である。
旧市街にも近い宿泊先のHotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリードには後でチェックインするとして、ホテル傍の道をヴァルトブルク城に向かう。
山上の城まで容量の大きなボルボは軽快に上がる。狭い山道は山間をぐるぐる回るような感じで上がって行く。
城の真下に設けられた駐車場に導かれて停める。
(1日の料金はDM5(x@57円=285円)。
写真はFriedewaldフリーデヴァルト・古城ホテルPrinz von Hessenヘッゼンの王子からアイゼナハ、エアフルトへのMapGöbels Schlosshotel "Prinz von Hessen" ホテル
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イチオシ
【Wartburgヴァルトブルク城(世界遺産・1999年登録)】
http://www.wartburg-eisenach.de
テューリンゲンの森の北西部にあたる、緑濃い山間によくぞ建てたものといった印象の城である。
山上の細長い城郭はその中世以来の姿を良く残していて、聖女エリザベートや吟遊詩人たちの歌合戦の話、ルターが隠れ住んだという城内見学が楽しみである。
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・ヴァルトブルク城・・・右上から時計回りで、ヴァルトブルク城の絵葉書、レンタカー ボルボ、ヴァルトブルク城の遠望、俯瞰 -
1067年にテューリンゲンのLudwig der Springerルードヴィヒ・デア・シュプリンガー伯爵がこの城を築いたと云われる。
(言い伝えには伯爵がこの山頂を望んで、『Wart待っておれ!この岩山は何時か、我がBurg城になるであろう』と云ったそうで、それが後にWartburgヴァルトブルク城の名になった)
現在も残る主要部分は1170年、後期ロマネスク様式のもので、800年以上の歴史ある城郭である。木組みの白壁が好ましく、特徴的である。
1200年頃にはテューリンゲンLandgraf方伯の力は強大になり、テューリンゲンやヘッセンの領域に及ぶもので、神聖ローマ帝国内でも有数のものとなったと云われている。
時代が経るに従い、この城も各地の中世の城と同じように、次第に崩壊し、消滅の危機に面しました。
1800年になって、ドイツの歴史・文化を良く体現しているこのヴァルトブルグ城をドイツ民族の文化と精神活動の記念碑とするべく、再建された。
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・ヴァルトブルク城・・・右上から時計回りで、入場券、テューリンゲンの森をバックに、ヴァルトブルク城の俯瞰、駐車場の券ヴァルトブルク城 城・宮殿
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城門の前で記念写真を撮ってから、昔は吊橋であったと思われる短い橋を渡り、Burgfriedブルクフリード(天守閣)を中心とした城内に入る。
(ガイド1時間付の入場料はDM22+チップDM2=24(x@57円=1,368円)。
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・ヴァルトブルク城・・・右上から時計回りで、城に向かう道、城門入口、城壁、古城ホテルに向かう道 -
イチオシ
ヴァルトブルク城内に入ると1階にRittersaalリッターザール(騎士の間)がある。十字に木組みされた丸天井、石造りの部屋は12世紀以来の中世の雰囲気で、質素な空間だ。
次はSpeisesaalシュパイゼザール(食事の間)が続き、領主と領主婦人が日常使用したもの。漆黒の樫の木の太い梁が目立つ天井、中央には古びた暖炉がある。石造りの回廊を通り、次の間に。
そこは元来、騎士の間と対に作られたものという。
Elisabeth-Kemenate聖女エリザベートの間は必見である。
天井や壁がモザイク(ガラス製1902-6)で彩られ、見事な美しさを今に残している。部屋の壁面をぐるりと飾るモザイクは、聖女の一生を描いていると云う。
(尚、聖女エリザベートの奇跡は後記した。)
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・ヴァルトブルク城内見学・・・右上から時計回りで、アイゼナハの絵葉書、Elisabeth-Kemenate聖女エリザ―ベートの間 -
2階への階段を上がると、そこには城の礼拝堂があった。13世紀の壁画(キリストの6人の使者像)がかろうじて残っている。
この階には「Elisabeth-Galerie聖女エリザベートの回廊(ギャラリー)」がある。
6つの大きなフラスコ画が回廊(ギャラリー)を埋めていて、その一代記を表現している。
①4歳の時にヴァルトブルク城に到着した場面、
②バラの奇跡、
③十字軍遠征に参加する夫との別れ、
④夫の戦死後、城を追われるエリザベート、
⑤Marburgマールブルクで死の床に伏す、
⑥死後4年で聖女に列せられたエリザベートを顕彰し、聖体を担ぐセレモニー・列聖式のシーン。
(1236年以後Marburgマールブルクに壮大な聖エリザベート教会が建設される)
参考写真:ヴァルトブルク城・・・「聖女エリザベート一代記」ギャラリー聖女エリザベートの一生 -
【聖エリザベートのバラの奇蹟】
ドイツではじめて福祉事業を行ったとされる、聖女エリザベート信仰には、次のような伝説がある。
『ライ病患者をいたわったエリザベートが患者を自分の婚姻の寝床に寝かせたが、戻ってきた夫ルートヴィヒ四世がこれを邪推して探したところ、寝床には磔にされたキリスト像を見出した。』と云う。
また、『13世紀初頭、テューリンゲン州のヴァルトブルク地方は大飢饉が襲い、村人は大変な食糧不足に陥りました。村人のそんな状況を心配したエリザベートは城で作ったパンや肉をこっそり、村人達に分け与えました。夫のルートヴィヒ四世がこれをたしなめましたが、彼女はパンを与えるのをやめません。
ある時、パンを入れた籠を持った小間使いと一緒に出かけようとして、ルートヴィヒ四世に見つかり、籠の中身を確かめられました。籠の覆いを取ると、そこにはたくさんのバラの花が入っていたのです。』と。
このバラの奇蹟の伝説をモチーフにした聖女エリザベート一代記が、アイゼナハのヴァルトブルク城、マールブルグの聖エリザベート教会、リューベックの聖霊養老院など、各地で見ることができます。
参考写真:ヴァルトブルク城・聖女エリザベートの一代記ギャラリー②バラの伝説 -
参考写真:ヴァルトブルク城・聖女エリザベートの一代記ギャラリー③十字軍に参加する夫(方伯)との別れ
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参考写真:ヴァルトブルク城・聖女エリザベートの一代記ギャラリー④夫の戦死後、ヴァルトブルク城を追われるエリザベートと3人の子供たち
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参考写真:ヴァルトブルク城・聖女エリザベートの一代記ギャラリー⑥聖女の遺骸を担いで
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<ドイツ北部のリューベックにある聖霊養老院>
2005.04.21.北ドイツ周遊で訪れたリューベックに、5本の塔と切妻が美しいHeiligen-Geist-Hospital聖霊養老院があり、偶然、内部に聖女エリザベートの一代記の絵が飾られているのを見た。
マールブルグの聖エリザベート教会は1285年頃に完成されているが、聖エリザベート信仰が北ドイツにも及んでいたという事だろう。
聖霊養老院はハンザ商人が資金を出し合い、1280年に建設された福祉施設で、救貧院兼病院であった。現在も老人ホームに使用されている。狭いが立派な個室が並ぶ施設だった。
ハンザ都市リューベックの経済力の背景も有ったのであろうが、この時代に福祉施設を持っていたとは、恐れ入った話だ。
参考写真:ヴァルトブルク城聖女エリザベートの一代記・・・2005.04.21.北ドイツ周遊で訪れたリューベックの名物ジャガイモ料理店(左上)、聖霊養老院(右上、下の左右)聖霊養老院 建造物
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<ドイツ中部にあるマールブルグの聖エリザベート教会>
聖女エリザベートはハンガリーの王女に生まれ、4歳の時にヴァルトブルク城の城主、テューリンゲン方伯のヘルマンの息子だった、当時11歳のルートヴィヒ四世の婚約者として、城にやって来て、14歳で結婚しました。
夫が1227年に十字軍遠征で戦死した為、3人の子供と共に城を追放されてしまいます(1228年)。この為、マールブルグにやってきた、聖女エリザベートはそこで信心深い一生をおくり、貧者救済の為に献身しました。
余りに献身が過ぎた為、24歳で亡くなります。死後、エリザベート信仰が起こり、その墓地への巡礼が始まり、ドイツ各地からの巡礼が行われるようになりました。
4年後の1235年、彼女は“聖女”の称号を受け、Marburgマールブルグに聖エリザベート教会の建設が始まります。
2005.5.03.マールブルグの麓、右手にあるElisabethkirche聖エリザベート教会を最初に訪ねた。(Euro4)
この教会は24歳で亡くなった聖女エリザベートの墓の敷地に1235年から50年をかけて建立された。二つの見事な鐘楼をもつ、初期純粋ゴシック様式の教会で、十字架の形を基本として建てられている。正面入口に“天国への入口“と呼ばれる浮き彫りがあり、聖母マリアとキリストを描いている。
内部に入ると左隅にドイツ最後の将軍ヒンデンブルグ元帥の墓所があり、正面に”バルラッハの十字架のキリスト像“(1918年)、
左手に聖女エリザベートの立像(1470年頃)が、茶色のドレス、ブルーのマント、王冠のしたは白いスカーフで覆われた、大変優美な服装で立っている。素晴らしく美しい。
内陣には聖女エリザベートの黄金の聖遺骨箱(1240年頃) 、これも見事な細工である。13、4世紀頃のステンドグラスには聖女エリザベートの善行と生涯が描かれていて、文字通り、聖女エリザベート信仰のあふれた教会であった。
参考写真:ヴァルトブルク城聖女エリザベートの一代記・・・・2005.5.03.マールブルグの聖エリザベート教会にある立像(1470年頃)エリーザベト教会 寺院・教会
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特にじっくり見たのは聖女エリザベートの墓所(霊廊)で、上部にキリストがエリザベートに王冠を授ける光景、下部にはエリザベートの死の状景、棺の周囲に聖人たち、乞食、いざり、精神病者などがエリザベートの冥福を祈る図が彫られたもので、大変印象深い。
参考写真:ヴァルトブルク城・聖女エリザベートの一代記・・・2005.5.03.マールブルグの聖エリザベート教会内にある聖エリザベートの柩(ひつぎ) -
ヴァルトブルク城はリヒャルト・ワーグナーの歌劇 “タンホイザー” の舞台として有名である。
その昔、有名な詩人、歌人などがヨーロッパ各地より参集し、文化の中心ともなったという。吟遊詩人(Minnesaengerミンネジンガーと言った。12世紀の頃、最盛となった。主に宮廷をめぐり、中世の騎士的恋愛が主題の詩を吟じた。宮廷恋愛歌人とも訳す)達が美しい歌声で、テューリンゲン伯の前で、死を賭して歌合戦を繰り広げた大広間はSaengersaalジンガーザール(歌手の間)と呼ばれている。(1206年)
壁面には“タンホイザー”の歌合戦のシーンがフレスコ画で描かれている。
次は「Landgrafenzimmer方伯の間」で、領主が政務を行った場所。
その権力を誇示するライオン(方伯の紋章になった)などの強い動物が壁に描かれている。また、方伯の伝説から、築城の伝説など7つの欄間壁画が見られる。
3階への階段を上ると大きな広間に出た。
「Festsaalフェストザール(祝典の間)」がそれである。長方形の大広間にはシャンデリアがさがり、木彫りの装飾も美しく飾られ、正面には鷲の紋章が威厳を示している。
大広間は近年、コンサート等に利用しているようで、何百の椅子が整然と並んでいた。
写真はゲーテ街道:アイゼナハ・ヴァルトブルク城・・・右上から時計回りで、古城の趣むきたっぷりな木造の渡り廊下、祝典大広間と歌合戦 -
ここには二つの話がある。一つは“メルヘン王” ルードヴィヒⅡ世バイエルン王がここを真似た広間を新白鳥城に作ったと云う。
参考写真:ヴァルトブルク城・歌合戦の場面画 -
二つには1817年10月18日、ドイツ学生同盟(1815年)の学生たち凡そ500名が参集し、ヴァルトブルク集会を催したこと。
テーマは1813年*「ライプツィヒの戦い」に勝利したことの祝いであり、ルター宗教改革300年を記念したものであった。
この集会で宣言されたのはドイツ連邦成立への民族統一、民主主義の基本権の確立であり、当時のドイツ地域での市民階級(中間層)が始めて大衆行動を起こしたという歴史的なものだった。
その際に使用された学生同盟旗は後年、≪ドイツの国旗の“黒・赤・黄”の三色旗の基≫となったそうだ。
(*ライプツィヒの戦い:
諸国民戦争とも言い、1813年10月プロイセン、オーストリア、ロシアの同盟軍がこの地で、ナポレオン軍に大勝し、ナポレオンの退位の契機になった)
参考写真:ヴァルトブルク城・歌合戦の祝典大広間 -
写真はゲーテ街道:左上から時計回りで、ヴァルトブルク城の遠望、城壁、レンタカー、聖女エリザ―ベートの間、祝典大広間と歌合戦
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ここでガイドは終了し、階段を下りて、ゲーテが提唱して作られた博物館に。
聖物、デューラーの書棚、クラナハの作品などの展示あり。博物館横のお土産ショップで、すみれ色の小皿、絵葉書を購入。その後、梁がむき出しになった、狭く、頭がぶつかりそうな通路をルターの小部屋に向かう。真に古城の趣むきたっぷりな木造の渡り廊下である。
Lutherstubeルターシュトゥーベ(ルターの小部屋)は質素な、木張りの部屋であった。帝国追放例を受けていたルターがザクセン侯の守護の下で、この部屋で誰にも分かるように易しい言葉で、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した。
(1521~22年の凡そ10ヶ月の短い間に翻訳した。尚、旧約聖書はこの後、Coburgコーブルク城でドイツ語訳を完成)
宗教改革者ルターは聖書を万人のものとした。つまり、歴史的なことを成し遂げたわけだ。
ゲーテもワイマールの大臣となって、アイゼナハには20回近く訪れたという。
城の補修・保存を命じたというが、これもルターの弟子を自任していたゲーテだからだと。
参考写真はヴァルトブルク城:Lutherstubeルターシュトゥーベ(ルターの小部屋) -
外に出てみると相変わらず陰鬱な雨模様だ。中庭には城の命綱であった大きな井戸があり、中をのぞくと、澱んだ水が見えただけだった。それからBurgfriedブルクフリード(天守閣)に登ってみる。
周辺が緑の山々に囲まれているのが良く見渡せた。
さて昼時になっていたので、ヴァルトブルク城の大井戸近くのBurgschenkeブルクシェンケ ”Gademガデム”に入る。
<お茶:Hotel auf der Wartburg古城ホテル アウフ・デア・ヴァルトブルクの Burgschenke ”Gadem” ブルクシェンケ ガデム>
D-99817 Eisenach 、Auf der Wartburg
TEL:49(0)3691-7970
12:00~13:00、DM26 (x@57円=1,482円)・現金払い。
城に隣接する居酒屋風のレストランでは、軽食を出す。
久しぶりにGulaschsuppeグーラシュズッペ(パブリカ風味の肉入りシチュー)とパンを食べ、地ビールを頂く。
安くて、美味しくて、旅の寒い時にはこれが一番の料理だ。
写真はゲーテ街道:ヴァルトブルク城・・・左上から時計回りで、天守閣、テューリンゲンの森 、ブルクシェンケ ガデム、大井戸 -
さて、山を降りる。今夜宿泊するホテルを横に見て、旧市街に。
写真はゲーテ街道:左上から時計回りで、ヴァルトブルク城内部と古城ホテル、Hotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリード傍からヴィラとヴァルトブルク城の遠望 -
新緑の菩提樹の下にバッハの立派な銅像が立っていた。スミレの花壇に囲まれ、この町に生まれた、バロック時代を代表するバッハは大事にされている。
バッハハウスはその直ぐ横に建っている。壁を黄色に塗ったバッハ記念館である。当時の生活様式を再現した部屋、バッハゆかり?の古楽器が置かれ、観光客へのサービスでオルガンや小さなパイプオルガンを演奏してくれた。
(入館料はDM10(x@57円=570円)
写真はゲーテ街道:アイゼナハの市内見物・・・左上から時計回りで、バッハハウス、バッハの銅像、バッハハウスでの演奏バッハの家 建造物
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ルターが説教をしたゲオルク教会、その先に中世の木組みの建築の姿でルターハウスがある。少年の日に3年ほどここに下宿し、ラテン語の勉強に通ったそうだ。
(ルターハウスの入館料もDM10(x@57円=570円)
マルクト広場を中心に市庁舎、教会、ルターの家、ニコライの塔などがあって、旧市街は分かりやすい。
Hotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリードには17:30に到着する。ホテルの駐車場が狭くて、他の車にぶっつけないように駐車には苦労した。
写真はゲーテ街道:アイゼナハの市内見物・・・左上から時計回りで、ルターハウス、ゲオルク教会、美しい木組みの家並み、ゲオルク教会などの建物が立つ旧市街のマルクト広場ルターの家 建造物
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イチオシ
ホテルには夕食用のレストランが無いので、タクシーで又ヴァルトブルグ城に登る。ホテル・ヴァルトブルク城への狭い、急坂は慣れていないと難しそうだ。
夕食時に飲むこともあって、タクシーを利用したが正解であった。
(タクシー代;13+11=DM24(x@57円=1,368円)
ホテルのレストランは、昼に予約してあったので私共の席は窓際に設けてあった。窓の外には“ドイツの緑の心臓”と呼ばれる、深い森が広がっている。
写真は古城ホテル ヴァルトブルク城のレストラン「方伯の間」で夕食ロマンティック ホテル アウフ デア ヴァルトブルク ホテル
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<夕食:Hotel auf der Wartburg の古城ホテル ヴァルトブルク城のRestaurant ”Landgrafenstubeラントグラーフェンシュトゥーベ(方伯の間)”>
(*方伯(ほうはく):宮廷伯爵に対し、地方に封土された地方伯爵の意)
19:30~21:50 DM185 (x@57円=10,545円)・現金
広いレストラン内にはお客も少なめで、この為、大変サービスが良い。
今夜の料理は郷土料理を注文する。その名もThueringer Menueテューリンゲン・メニュー(DM58X2)です。
①テューリンゲン風スープ:ジャガイモのクリームスープに血ソーセージの小さな団子入り。
②メイン:ジャガイモ、ベーコン、カブラが添えられた豚肉料理。
③デザート:クアークの渦巻状の菓子にチョコレートのシャーベットが出てきました。
酒はドライ・シェリー(DM14)、
ワインはライン川右岸に広がるドイツワインの代表的生産地・Rheingauラインガウの白辛口1999年、Johannisberg Klaus 、Prinz von Hessenヘッセンの王子ワイン醸造所 (確か、フランクフルト近郊のSchlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城の関係先で、ヨハニスベルク丘陵の南東に位置する“ヘッセンの王子”ワイン醸造所は1957年にヘッセン家財団により買収された)、エレガントでフルーティーなリースリングの白でした。(DM49)
写真は古城ホテル ヴァルトブルク城のレストラン「方伯の間」で夕食 -
・・・食後、ホテルの内を拝見する。
暖かな火が燃えた暖炉があり、生き生きした花々が飾られた空間はなかなかすばらしいものでした。このホテルは35室と少ないが5星のホテルである。
日本人ツアーの宿泊客も来るそうだが、ここに宿泊するのも良さそうだ。
写真は古城ホテル ヴァルトブルク城のレストラン「方伯の間」で夕食後に内部見学 -
ホテル ガルニ ブルクフリード傍に100年以上の歴史ある、詩人ロイターVillaヴィラがあり、今はロイター・ワーグナー博物館である。
一階に作曲家リヒャルト・ワーグナーの資料室が置かれ、ヴァルトブルク城も舞台となった“タンホイザー”の楽譜などが所蔵されている。二階はロイターの住居が保存されている。
参考写真はゲーテ街道:ホテル ガルニ ブルクフリード傍にあるロイター・ヴァグナー博物館ロイター ヴィラ ワーグナー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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<(1泊)Hotel Garni Burgfried ホテル ブルグフリード>
D-99817 Eisenach 、Marienstr. 60
TEL:49(0)3691-732619
全?室・3星 、18号室=DM 155.2 (x@57円=8,846円)
Wartburgヴァルトブルク山頂への入り口に位置する小さなホテル。
旧市街の中心地まで歩5分。
近くに100年以上の歴史ある、詩人ロイターVillaヴィラがあり、今はロイター・ワーグナー博物館である。
(2024年の段階で調べてみると、Haus Burgfriedハウス ブルクフリードとなっており、ホテルは廃業した様子だ)
写真はアイゼナハ・宿泊先のHotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリードの寝室 -
<2001年5月6日(日) 雨 101km>
アイゼナハ・ホテル ガルニ ブルクフリードを9:00に出発。A4・B7 68km => Erfurt 10:00~12:35 市内観光:旧市街・フィッシュマルクト広場、市庁舎、ギルドハウス、クレーマー橋、Kaisersaalカイザーザール 、Domドーム広場と大聖堂 =>B7 33km Weimarワイマール13:00 市内観光:マルクト広場、市庁舎、クラナッハハウス、Stadtschloss城、Ilm川、イルム公園内・ゲーテ山荘、シュヴァイツアー博士記念碑、ゲーテハウス、シラーハウス、国民劇場、ゲーテ・シラー像 =>Hotel Elephantホテル エレファントに17:00着。
*春の天気は気難しい。本日も雨の中、アイゼナハを9:00に出発する。駅近くのニコライの塔を写して、次の町に向かって、A4・B7を走っていくと、68km、凡そ一時間の距離のテューリンゲン州の州都Erfurtエアフルトに到着した。
<市内観光(10:00~12:35)>は徒歩。
人口20万人を越えるが旧市街は狭い。西暦805年にフランク王国カール大帝によって造られた町で、1200年の歴史を誇る。町は交通の要路に位置し、商業都市として発展した。
傘を差しつつ、まずフィッシュマルクト(魚市場広場)に行く。守護神ローラント像が中心に立ち、春を祝った五月柱を見ることができた。
この広場の周りには独特の色合いで飾った建物が囲んでいる。ルネッサンス風のギルドハウスやネオ・ゴシック様式の市庁舎は目立って美しい。
写真はEisenachアイゼナハ・・・左上から時計回りで、ヴァルトブルク城の遠望、Hotel Garni Burgfried ホテル ガルニ ブルクフリード、ホテル ガルニ ブルクフリード傍にあるロイター・ヴァグナー博物館 =>Erfurtエアフルトの旧市街 -
庁舎の裏手にKraemerbrueckeクレーマー(商人の意)橋(1117年)がある。Geraゲラ川(全長85kmと短く、Arnstadt、Erfurtの町を流れる)の上にかかる橋で、全長120m、幅が18mだという。その橋上には32軒もの4階建ての店舗が両側にあり、商店街を作っている。
イタリアのフィレンツェにあるポンテ・ヴェッキオ橋にも行った事があるが、こちらの方がやや小ぶりなもので、民族性もあってか、ずっと整然としている。
日曜日でどの店も開いていないのが寂しいが、木組み建築の店舗の裏手に回って、細いゲラ川から見る、クレーマー橋の景観は結構良いものだった。
写真はゲーテ街道:Erfurtエアフルト・・・右上から時計回りで、ニコライ教会の尖塔が見え、旧市街のギルドハウス、Domドームとドーム広場、Kraemerクレーマー(商人)橋・ゲラ川クレーマー橋 建造物
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この橋の近くにKaisersaalカイザーザールがあり、1808年ここでナポレオン皇帝によって、ヨーロッパ諸国会議が開かれた場所である。
この時、州長官官邸でナポレオン皇帝がゲーテを謁見したという。ナポレオンはゲーテに向かって、ゲーテの出世作『若きウエルテルの悩み』を愛読し、7回も読んだものだ・・・と、語ったと伝えられている。
ゲラ川に囲まれた、盆地の上に発展した町であるが、宗教都市の面も見せている。小高い丘の上にDomドーム(大聖堂)と三本の尖塔を持つSeverikircheセヴェリ教会が見える。ドーム広場から見る二つの建築姿は荘厳なものだ。
ドーム(大聖堂)は742年創建という。ロマネスク、ゴシックの建築様式が見られる、現在の建物は1465年頃のもので、内陣のステンドグラスがその美しさで知られている。ドーム広場から階段を上ると大聖堂の入り口に至る。大勢の観光客らが雨の中、熱心に参拝している。
<昼食:Dom Cafeドーム カフェ>
ドームの階段横にカフェがあり、軽食が食べられるようだ。
雨の降る寒い日にはこれが一番と、Gulaschsuppeグーラシュズッペ(パブリカ風味の肉入りシチュー)とパンを食べる。ほんとに安い、二人でDM6(342円)の昼食である。現金払いは当然か!
大聖堂近くのドーム広場には雑貨、食料品、花などのお店が雨の中で営業中だ。のぞいて見て、テーブルクロスに気に入ったものがあったので購入する。
(DM29.9(1,710円)
<お茶:Rathaus Cafeラートハウス カフェ>
急に小用に行きたくなる。これも寒い所為か?!ともあれ、市庁舎にあるカフェに飛び込んだ。やむなくコーヒータイムを取った。
値段はDM7(400円)で昼食代と同じだった!
12:35、エアフルトから一路ワイマールを目指して、B7の道を33km走る。
写真はゲーテ街道:Erfurtエアフルト・・・右上から時計回りで、クレーマー(商人)橋の左右に並ぶ住居・店舗、カフェテラス、カイザーザール、ドームとドーム広場
(2024年2月10日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
・・・・・・・・・・・・大聖堂 (エアフルト) 寺院・教会
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旅行記グループ
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ドイツ16年ぶりの再訪:③文豪ゲーテ・シラーの町、ワイマール一番のホテル エレファント(象)に泊まる。
2001/05/06~
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑥ドレスデンの守り・ケーニッヒシュタイン大要塞とザクセン王国の首都ドレスデンを巡った...
2001/05/08~
ドレスデン
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑦バイロイトの古城ホテル ティーアガルテンの“皇帝の間”に泊まる。
2001/05/09~
バイロイト
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑧フランケンの王冠と呼ばれたコーブルク大城塞は美しい姿で高台に立っている。≫
2001/05/10~
古城街道周辺
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑨快晴が続くネッカー沿いの古城街道を行く。今日の目玉は鷹匠のショーだ。
2001/05/11~
古城街道周辺
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑩5月は“麗わしの春”の季節、今日も古城街道の城巡りです。
2001/05/12~
古城街道周辺
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ドイツ16年ぶりの再訪:⑪この旅はゲーテ街道の出発点であるフランクフルトに戻って終わる。
2001/05/13~
古城街道周辺
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旅行記グループ 2001年ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る
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