2001/05/06 - 2001/05/06
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jijidarumaさん
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【ドイツ16年ぶりの再訪】
*ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る*
(2001年5月3日~5月14日:12日間)
1989年ベルリンの壁が崩壊し、あっという間に東西ドイツの統一がなされたのが翌年のことである。
私共が駐在していた、1970、80年代のドイツは、冷戦下・東西が分裂していた為、旧東独地域への旅行は難しかった。その頃、“陸の孤島”であったベルリン(西・東のベルリンに分離統治されていた)に出張と家族旅行で2度旅行しただけであった。
しかも東ドイツの中に孤立していた西ベルリンに向うのも飛行機やアウトバーンは在ったものの、国境での警戒も厳しく、旅は気分の良いものではなかったので、東ベルリン以外に東側の町に旅したことがない。
二度目のドイツ駐在から帰国した1985年から、今年は16年になる。
今回の旅は当時、行ってみたかった“エルベ川のフィレンツェと呼ばれ、あるいは百塔の都と世に称されるドレスデン”や、ヨーロッパ、いや世界に冠たる“高級磁器の町・古都マイセン”を訪れるのが第一であり、
そして所謂、ゲーテ街道沿いの町々、中世の山城ヴァルトブルグ(世界遺産・1999年登録)のあるアイゼナハ、大聖堂のあるエアフルト、ドイツ古典文化の代表である“文豪ゲーテ・シラーの町・ワイマール(世界遺産・1998年登録)”を訪ねることである。
更には駐在時に家族で訪れたことのある、ネッカー川流域に点在する数々の城砦、宮殿、館を再び見て歩く、古城街道を巡る旅である。
Hessenヘッセン州・フランクフルトを東に向かってスタートし、Thueringenテューリンゲン州、Freistaat Sachsenザクセン州を通り、Freistaat Bayernバイエルン州に南下し、
そしてBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルグ州の先端を西に横切り、ヘッセン州・フランクフルトに戻る周遊であり、そして、Fuldaフルダ川、Ilmイルム川、Saaleザーレ川、Elbeエルベ川、Neckarネッカー川、Mainマイン川の河川に沿って走る旅でもある。
総走行距離予定: 1,800km
写真はワイマール:ホテル エレファントとレストランでの夕食、ライラックの花、国立劇場と文豪ゲーテとシラーの銅像
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
≪Goethestrasseゲーテ街道≫
ドイツには観光用にエリカ街道(シュターデ或いはプレーンより、リューベック経由ハノーファーまで)、ゲーテ街道(フランクフルト--->ライプツィヒ)、古城街道(マンハイム--->プラハ)、ロマンティック街道(ヴュルツブルグ--->ホーエンシュヴァンガウ)、ファンタスティック街道(メーアブルグ--->バーデンバーデン)、アルペン街道(リンダウ--->ベルヒステスガーデン)、メルヘン街道(ハーナウ--->ブレーメン)の7街道が有名である。
いずれも、田舎道を走り、名所・旧跡のある小さな町々をつなぐ素晴らしい街道で、ドイツらしい、楽しく、魅力的な旅が出来る。
これらの街道は“Deutsche Fachwerk Strasse:ドイツ木組み建築の家街道”とも、重なり合っていて、様々な木組みの家を楽しめる旅でもある。
明日からゲーテ街道を走る。“ドイツ人の心の故郷”と旅行会社の宣伝文句にある、この街道はFrankfurtフランクフルトから東に走り、Hanauハーナウ、宗教都市Fuldaフルダを通り、EisenachアイゼナハやErfurtエアフルトといった“ドイツの緑の心臓”と呼ばれる、深い森が続く森林地帯Thueringenテューリンゲン地方を過ぎ、かつてのワイマール公国の古都Weimarワイマールに至る。
更に東に足を伸ばすとJenaイエナ、その近郊にあるDornburgドルンブルクの古城群、そして最終地Leipzigライプチッヒまで400kmの街道である。
詩人であり、作家として高名であったJohann Wolfgang Von Goetheヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)はワイマール公国の外交・財政を管掌する大臣であり、自然科学者、画家でもある、多才な人間であった。文豪ゲーテはフランクフルトの裕福な家庭に育ち、18世紀の西欧における市民階級の興隆期にその才能を開花させた。自ら旅人と称し、彼が訪れた町々はドイツのみならず、フランス・アルザスのStrasbourgシュトラースブルグ、イタリアのナポリ・シチリア・ローマなどに及ぶが、特にこのゲーテ街道はゲーテの足跡が見られる町々が続く。これから私共が訪れる町々はそのゲーテ抜きには語ることができない。そしてルター、バッハ、メンデルスゾーン、リスト、シラーといった宗教改革者、音楽家、文人たちも同様にこの街道を行き来し、町々にその足跡を印した。
写真はGoethe-Strasseゲーテ街道のイメージ -
【ドイツ16年ぶりの再訪:文豪ゲーテ・シラーの町、ワイマール一番のホテル エレファント(象)に泊まる。】
使用レンタカーはVolvo S80 2400CC Diesel Automatic
初めて乗ることになったボルボ車は大きく、がっちりとした車である。
ハーツのフルサイズ・クラス(メルセデス・ベンツのC-180クラス)オートマチックを希望したが、空港等でめぐり合う車は様々で、この日、幸いなことに希望車よりも格上の車を提供された。
写真はGoethe-Strasseゲーテ街道のMap -
この旅で『ドイツ感傷旅行の第一回』がスタートする事となった。
古城ホテル等の予約は全て、FAXでやり取りし、時差も関係なく送ってくるFAXで真夜中に起こされるなど、結構出発までバタバタとした経緯があった。
飛行機に乗ってしまうと全てが旅行モードになり、久しぶりのドイツに心が弾む。さて、明日からはドイツ語をしゃべるぞ!?
参考写真は2001.5.06.地球の歩きからWeimarワイマール Map -
<2001年5月6日(日) 雨 101km>
Eisenachアイゼナハ 9:00出発。A4・B7 68km => Erfurtエアフルト 10:00~12:35 市内観光:旧市街・フィッシュマルクト広場、市庁舎、ギルドハウス、クレーマー橋、Kaisersaalカイザーザール 、Dom広場と大聖堂 =>B7 33km Weimarワイマール 13:00 市内観光:マルクト広場、市庁舎、クラナハハウス、Stadtschlossシュタットシュロス城、Ilmイルム川、イルム公園内・ゲーテ山荘、シュヴァイツアー博士記念碑、ゲーテハウス、シラーハウス、国民劇場、文豪ゲーテ・シラー像 =>Hotel Elephantホテル エレファント 17:00着。
写真はテューリンゲン州のワイマール:Stadtschlossシュタットシュロス城、Wittumspalaisヴィトゥムス宮殿などの俯瞰 -
12:35、Erfurtエアフルトから一路Weimarワイマールを目指して、B7の道を33km走る。
ワイマール(世界遺産・1998年登録)に13:00の到着だ。
早速、人口6万人の小都市の市内観光をスタートする(13:00~17:00)
<ワイマールの市内観光>
この町はワイマール公国の首都であり、ドイツ・クラシック文化が花開き、文化の発信地として、世界に冠たるものがある。
さらには1919年、ドイツ最初の共和国が設立され、“ワイマール憲法”という民主的な憲法が制定されたことでも、世界史上に特筆されている。
ここにはゲーテ、シラー、リスト、バッハ、クラナハ、ニーチェ、ヘルダー、フィヒテなどの文人・芸術家が住み、活躍した事跡がそこかしこに残っている。従い、見所も多い。
ゲーテが時の領主カール・アウグスト公に招かれて、この地に来たのは1775年であり、26歳の青年期から、82歳で亡くなるまで、文人・政治家として、その生涯の大半をここで過ごしたわけだ。
市内観光は旧市街の中心・マルクト広場傍の今夜のHotel Elephantホテル エレファント横にある駐車場に停めて、徒歩で回ることにした。
市庁舎、クラナハハウス、Stadtschlossシュタットシュロス城(クラナハなどの美術館)と外観のみを見て回り、
写真はテューリンゲン州のワイマールの市内観光:右上から時計回りにマルクト広場、市庁舎、Wittumspalaisヴィトゥムス宮殿、ホテル エレファントの駐車場入口とホテル正面市庁舎 (ワイマール) 建造物
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イチオシ
川幅10mほどの小さなイルムIlm川が公園の中を流れている。
緑濃いイルム公園内を散策する。(因みにワイマールのワイは清い;マルは水を意味するそうである)
イルム公園の奥まった所に白い壁の小さな、木組みの二階建てであるGoethes Gartenhausゲーテ山荘がある。ワイマール公から贈られたもので、ゲーテの恋のお相手との逢瀬を楽しんだ所だとか。
中は博物館にしてあり、思っていた以上にほんとに小さな、質素な部屋ばかりだった。(入場料DM10)
イルム川はテューリンゲンの森に源流を発し、テューリンゲン地方の中部地帯を流れ、エルベ川の支流Saaleザーレ川に合流していく川である。
全長128.7kmとやや長い。
こちらはIlmenauイルメナウ、Weimarワイマールの町を流れる。
写真はワイマール:左上から時計回りにStadtschlossシュタットシュロス城(ワーマール公の居城。現在はクラナハなどの美術館がある)、イルム公園内・ゲーテ山荘、Ilmイルム川の清流ゲーテのガーデンハウス 建造物
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イルム公園近く、シュヴァイツアー記念館の横に博士の記念碑が立っていた。ただ、この町との関係は分からずじまいだが、黒人の母子と一緒の像だ。
ゲーテハウスは1782年から1832年、50年の間ゲーテが住んだ家である。二階は17室もあるという、黄色い壁の家は中に入ると陰鬱な感じであった。
ファウストを執筆した書斎、質素な寝室、蔵書に囲まれた図書室、そして意外な鉱物のコレクション(ゲーテは鉱山監督も職務の一つであった)、馬車などを見ることができた。(入場料DM20)
<お茶:Ratskellerラーツケラーで>
Weimar Markt 10
15:00~15:30 DM17(現金払い)
市庁舎内のレストランでお茶を。
杏のケーキ、林檎のトルテ、二人とも紅茶を頼む。
Schillerhausシラーハウスは文豪シラーの居住した家である。
シラーは10歳年上のゲーテの招きに応じて、Jenaイエナ大学(現シラー大学)で教鞭をとった。
その後、ワイマールに移り、この家には1802年から1805年に亡くなるまで住んでいた。傑作“ウイリアム・テル”もここで著したと云う。(入場料DM12)
ゲーテと共にシラーはドイツで起こった文学運動の“Sturm und Drangシュトルム・ウント・ドランク;疾風怒涛”(世俗的道徳や因習を否定し、個性と意欲と自然を尊重した文学運動=古典主義文学運動とも呼ばれる)の代表的文人・作家である。
ゲーテの“若きウエルテルの悩み” 1774年作、“ファウスト” 1808年作、シラーの“群盗” 1781年作、“ウイリアム・テル”1804年作などが代表作である。
写真はワイマール:右上から時計回りにシュヴァイツアー博士記念碑、シラーハウス、国民劇場と文豪ゲーテ・シラー像、ゲーテハウスゲーテの住居 建造物
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Nationaltheater国民劇場は“ウイリアム・テル”、“ファウスト”、“ローエングリン”の初演が行われ、楽長としてリスト、リヒャルト・シュトラウスが活躍した劇場であり、記念すべき“ワイマール憲法”が1919年に採択された場所である。
その国民劇場前には文豪ゲーテとシラーの立派な銅像が仲良く立っている。
ドイツ古典主義文化が隆盛を誇り、文化の発信地として、世界に冠たるものがあった事跡がこの町にはある。
劇場前の通りには薄紫のライラックの花が満開である。
Hotel Elephantホテル エレファントに17時到着。
写真はワイマール:左上から時計回りにゲーテ街道図、国民劇場と文豪ゲーテ・シラー像、この旅のレンタカーVolvo S80 2400CC Diesel Automatic、ライラックの花が咲く季節国民劇場 劇場・ホール・ショー
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イチオシ
【夕食:ホテル エレファントのレストラン ・Anna Amaliaアンナ・アマーリア】
19:00~21:00
この旅一番のお値段となった夕食代はDM263.59 (15,000円)
”Anna Amalia”アンナ・アマーリアの名はゲーテの時代にワイマールの啓蒙的公妃であったアンナ・アマーリアに因んだものである。
シェフはイタリア人・Marcello Fabbriが勤める。
オーダーした飲物は食前酒にFino del Puerto Sherryシェリー酒を、ワインはザクセンの辛口の白Schloss Proschwitz・Kabinett(DM95・5400円)、食後にコーヒーを頼みました。
スープはシュパーゲル(白アスパラ)のスープ。
メインに私はFilet von Dorade”Royal”、
家内はKalbsfilet(子牛のフィレ肉)を。
これにアスパラのリソットを一皿、別につけたのですが、イタリア人シェフだけに気に入った味でした。
料理・ワインは美味しく、十分に私は堪能したのですが、家内が体調不良で、折角の夕食も半分も食べられずに終わってしまったのは残念なものでした。
写真はワイマール:左上から時計回りにホテル エレファント正面、レストラン アンナ・アマーリアでの夕食、ライラックの花、国立劇場と文豪ゲーテとシラーの銅像、ホテル エレファントのレストラン アンナ・アマーリア前で撮って頂いた。ホテル エレファント ワイマール オートグラフ コレクション ホテル
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尚、参考に2008年追記した。
ミシュラン1星を2005年以来、4年連続して獲得している。
このような事はテューリンゲン地方では唯一のレストランだとの事だと言う。
Gault Millauでは17点。
レストランランクは2008年全独66位、全60席、従業員15人、コース料理の値段はEuro39~91。
写真は旅行で楽しんだドイツレストラン格付け:2001~8年 Volkenborn Hitlisten スキャン・・・参考に2008年全独66位を入れた。 -
<(1泊)Hotel Elephantホテル エレファント(象)>
D-99423 Weimar 、Markt 19
TEL:49(0)3643-8020
5星・全99室。201号室=DM295 (Park代は別途 DM22)
町の中心であるマルクト広場に面して建つ4階建てのホテルは1542創業の町一番のホテルだと云う。Elephantエレファント(象)はその当時、その巨大な姿が珍しく、敬意の対象になっていたようで、こうした名がつけられたとか。
由緒あるホテルの歴史に彩りを与える顧客には、名だたる作家、音楽家たち、即ちゲーテ、シラー、バッハ、リスト、メンデルスゾーン、ワーグナー、トルストイ、トーマス・マンなどの名が残る。
1993年にホテルを大改装し、2000年にはStarwoodグループ入りした。
写真はワイマール:ホテル エレファントのロビー -
201号室の部屋に入ると、TV画面に私共を歓迎する旨のホテルのメッセージが出ていた。初めてのことで感激して、カメラに撮ったがいまひとつ写りが悪かった。
部屋の値段も高いだけに、さすがにアールデコ調のシックで落ち着いた、立派な部屋でした。
参考写真は古城ホテル&ロマンチックホテルの冊子:ワイマールのホテル エレファント(左上) -
参考写真はゲーテ街道を行く:右上下にワイマールのホテル エレファント、市庁舎、マルクト広場の銅像
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参考写真はゲーテ街道を行く(表紙):ワイマール・・・右上にゲーテ山荘
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参考写真はゲーテ街道を行く(裏表紙):ワイマール・・・中央に国民劇場と文豪ゲーテとシラーの銅像
(2024年1月27日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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