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≪ドイツ16年ぶりの再訪:⑥ドレスデンの守り・ケーニッヒシュタイン大要塞とザクセン王国の首都ドレスデンを巡った。≫ <br />  <br /><5月8日(火) 曇り 134km : 累計913km><br />メルキュール・パークホテル・マイセンを9:15に出発する。DresdenとKönigsteinの見学へ。B6・172 60km =>”ザクセンのスイス” Königstein:Festung Königstein大要塞見学10:30~13:25 B172 40km =>Dresden 14:20~16:30 市内観光:Elbe川畔、Semperoperオペラ劇場、Zwinger宮殿・古典絵画巨匠展 、Residenzschloss、君主の行列、聖十字架教会。 L? 15km =>Jagtschloss Moritzburg :城内庭園・Café 17:10~18:10 。L? 19km =>Meißen・Mercure Parkhotel Meißen に18:40到着。夕食は市内の中華料理店”中華園”19:00~20:30 、食後にFrauenkirch聖母教会、ワインケラー・Vinzenz Richter、マルクト広場・市庁舎を見て回る。<br /><br />写真はザクセンのスイスにあるドレスデン防衛のためのケーニッヒシュタイン大要塞

ドイツ16年ぶりの再訪:⑥ドレスデンの守り・ケーニッヒシュタイン大要塞とザクセン王国の首都ドレスデンを巡った。

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2001/05/08 - 2001/05/08

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jijidaruma

jijidarumaさん

≪ドイツ16年ぶりの再訪:⑥ドレスデンの守り・ケーニッヒシュタイン大要塞とザクセン王国の首都ドレスデンを巡った。≫ 

<5月8日(火) 曇り 134km : 累計913km>
メルキュール・パークホテル・マイセンを9:15に出発する。DresdenとKönigsteinの見学へ。B6・172 60km =>”ザクセンのスイス” Königstein:Festung Königstein大要塞見学10:30~13:25 B172 40km =>Dresden 14:20~16:30 市内観光:Elbe川畔、Semperoperオペラ劇場、Zwinger宮殿・古典絵画巨匠展 、Residenzschloss、君主の行列、聖十字架教会。 L? 15km =>Jagtschloss Moritzburg :城内庭園・Café 17:10~18:10 。L? 19km =>Meißen・Mercure Parkhotel Meißen に18:40到着。夕食は市内の中華料理店”中華園”19:00~20:30 、食後にFrauenkirch聖母教会、ワインケラー・Vinzenz Richter、マルクト広場・市庁舎を見て回る。

写真はザクセンのスイスにあるドレスデン防衛のためのケーニッヒシュタイン大要塞

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • *朝食時には空に明るさが出てきたので、食後はホテルの庭に出てみた。<br />ホテルのテラスからエルベ川に向かって緩やかなスロープになっていて、川べりに小さな小屋があった。 <br />そこから見るAlbrechtsburgアルブレヒト城の雄姿は見事だ。<br />エルベ川は広い川幅をもっているので、観光船はゆったりと、運搬船は忙しげに往来していた。 <br /><br />写真はマイセンに2泊した古城ホテルMercure Parkhotel Meißenメルキュール・パークホテル・マイセンの朝

    *朝食時には空に明るさが出てきたので、食後はホテルの庭に出てみた。
    ホテルのテラスからエルベ川に向かって緩やかなスロープになっていて、川べりに小さな小屋があった。
    そこから見るAlbrechtsburgアルブレヒト城の雄姿は見事だ。
    エルベ川は広い川幅をもっているので、観光船はゆったりと、運搬船は忙しげに往来していた。 

    写真はマイセンに2泊した古城ホテルMercure Parkhotel Meißenメルキュール・パークホテル・マイセンの朝

    Dorint Parkhotel Meißen ホテル

  • *今日はまず遠い方のケーニッヒシュタイン大要塞を見物し、それからドレスデン市内を観光する事にして、マイセンを9:15に出発。夕食を兼ねて、マイセン市内見物を後にしたのだ。<br /><br />B6・172を60kmの距離にあるザクセンのスイスにあるドレスデン防衛のためのケーニッヒシュタイン大要塞に向かう。<br /><br />写真はDie Elbe エルベ川流域図A(マイセンからケーニッヒ大要塞)

    *今日はまず遠い方のケーニッヒシュタイン大要塞を見物し、それからドレスデン市内を観光する事にして、マイセンを9:15に出発。夕食を兼ねて、マイセン市内見物を後にしたのだ。

    B6・172を60kmの距離にあるザクセンのスイスにあるドレスデン防衛のためのケーニッヒシュタイン大要塞に向かう。

    写真はDie Elbe エルベ川流域図A(マイセンからケーニッヒ大要塞)

  • 【ドレスデンの守り・Festung Königstein フェストゥンク・ケーニッヒシュタイン大要塞】<br /><br />ドイツの古城巡りでは、<br />主にBurgブルク(城砦と和訳し、軍事的機能を持ったHohenburgホーエンブルク=山城、Wasserburgヴァッサーブルク=水城の部類)、<br />そしてSchlossシュロス(城館とか宮殿と和訳し、軍事的機能よりも快適な居住空間を求め、領地の拡大に伴う行政機能を強化した城として平場に作られ、水城の如く堀割を周囲に多く巡らせた城郭である)を訪れることが多い。<br /><br />時に国境沿いによく見られる*Festungフェストゥンクもある。対抗する相手の攻撃力、その危険度に応じて、要塞の規模も大小様々なものになっている。<br /><br />*Festungフェストゥンクは要塞と訳し、先のブルクやシュロスのような城は近世になって大いに発達した大砲には対抗できないため、これに対処した防御機能の高い軍事施設を考え出した。それがフェストゥンクである。<br /><br />ざっと、訪れた事のある要塞群を思い出しつつ、以下に書き出してみると、ドイツの各地にありました。<br /><br />ザクセンのスイスのFestung Königsteinケーニッヒシュタイン大要塞<br />コブレンツのFestung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞、<br />ヴュルツブルクのFestung Marienbergマリエンベルク要塞、<br />クルムバッハのFestung Plassenburgプラッセンブルク要塞、<br />クロナハのFestung Rosenbergローゼンベルク要塞<br />アスペルクのFestung Hohenaspergホーエンアスペルグ要塞、<br />シュナイタッハ(フランケン)のFestung Rothenbergローテンベルク要塞、<br />ラシュタットのFestung Rastattラシュタット要塞、<br />デーミッツ(エルベ)のFestung Dömitzデーミッツ要塞、<br />コーブルクの Die Veste Coburgコーブルク要塞、<br />パッサウのVeste Oberhausオーバーハウス要塞、<br />バート・ベントハイム(オランダ国境)のFestung Bentheimベントハイム要塞、リヒテナウのFestung Lichtenauリヒテナウ要塞、<br />ヴァイセンブルクのFestung Wülzburgヴュルツブルク要塞<br />シュトルペンのFestung Stolpenシュトルペン要塞、<br />ピルナのFestung Sonnensteinゾンネンシュタイン要塞、<br />(バート・コルベルクのVeste Heldburg ヘルドブルク要塞=未訪問)、<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />(2024年2月25日編集纏め)<br /><br />写真はDie Elbe エルベ川流域図3(マイセンからドレスデン経由&lt;ザクセンのスイス・ケーニッヒ大要塞&gt;)・・・大要塞は左下参考

    【ドレスデンの守り・Festung Königstein フェストゥンク・ケーニッヒシュタイン大要塞】

    ドイツの古城巡りでは、
    主にBurgブルク(城砦と和訳し、軍事的機能を持ったHohenburgホーエンブルク=山城、Wasserburgヴァッサーブルク=水城の部類)、
    そしてSchlossシュロス(城館とか宮殿と和訳し、軍事的機能よりも快適な居住空間を求め、領地の拡大に伴う行政機能を強化した城として平場に作られ、水城の如く堀割を周囲に多く巡らせた城郭である)を訪れることが多い。

    時に国境沿いによく見られる*Festungフェストゥンクもある。対抗する相手の攻撃力、その危険度に応じて、要塞の規模も大小様々なものになっている。

    *Festungフェストゥンクは要塞と訳し、先のブルクやシュロスのような城は近世になって大いに発達した大砲には対抗できないため、これに対処した防御機能の高い軍事施設を考え出した。それがフェストゥンクである。

    ざっと、訪れた事のある要塞群を思い出しつつ、以下に書き出してみると、ドイツの各地にありました。

    ザクセンのスイスのFestung Königsteinケーニッヒシュタイン大要塞
    コブレンツのFestung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞、
    ヴュルツブルクのFestung Marienbergマリエンベルク要塞、
    クルムバッハのFestung Plassenburgプラッセンブルク要塞、
    クロナハのFestung Rosenbergローゼンベルク要塞
    アスペルクのFestung Hohenaspergホーエンアスペルグ要塞、
    シュナイタッハ(フランケン)のFestung Rothenbergローテンベルク要塞、
    ラシュタットのFestung Rastattラシュタット要塞、
    デーミッツ(エルベ)のFestung Dömitzデーミッツ要塞、
    コーブルクの Die Veste Coburgコーブルク要塞、
    パッサウのVeste Oberhausオーバーハウス要塞、
    バート・ベントハイム(オランダ国境)のFestung Bentheimベントハイム要塞、リヒテナウのFestung Lichtenauリヒテナウ要塞、
    ヴァイセンブルクのFestung Wülzburgヴュルツブルク要塞
    シュトルペンのFestung Stolpenシュトルペン要塞、
    ピルナのFestung Sonnensteinゾンネンシュタイン要塞、
    (バート・コルベルクのVeste Heldburg ヘルドブルク要塞=未訪問)、

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2024年2月25日編集纏め)

    写真はDie Elbe エルベ川流域図3(マイセンからドレスデン経由<ザクセンのスイス・ケーニッヒ大要塞>)・・・大要塞は左下参考

  • さて、本日の目玉はドレスデンの町の防御のために作られた、規模もドイツ最大級と云われる台上(海抜361m)のケーニッヒシュタイン大要塞を訪れる。<br /><br />ケーニッヒシュタイン大要塞からはるかに遠い駐車場に車を停めて、岩上の要塞に向かって歩く。タクシーや観光用の小さな列車(遊園地に見られる)もあったが、待つ時間も惜しんで、ともかく歩き出す。<br /><br />ドレスデンからチェコ国境に至るエルベ川流域は” Sächsische Schweiz ザクセンのスイス”と呼ばれる景勝の地である。<br />このあたりはElbsandsteinエルベ砂岩の山塊が続き、川による侵食で所々に台地が残り、独特の美しい景観を造っている。<br /><br />そのエルベ川が湾曲するあたりに巨大な台地、ケーニッヒシュタインつまり“王の岩”とも称されるものがあり、海抜361mの台上は広さ9.5haもある。<br /><br />最大級の要塞として、750年間の歴史を示す建物が30棟も建っている。それらは後期ゴシック、ルネサンス、バロック、19世紀の様々な時代の集合である。<br /><br />古くはゲルマンの一部族が台上に拠点(砦)を設けていたと云われ、最も古い歴史文書には1233年Gerhard von Steinゲルハルト・フォン・シュタインにより城郭が築かれたとあるそうだ。中世当時はチェコのボヘミア王の支配下だったが、15世紀の初めより、ザクセンの領主の所有となっている。<br />1516年、台上に”奇跡のマリアを称賛する”僧院がGeorg der Bärtigeゲオルク髭公(1471 年~1539 年、Herzog des albertinischen Sachsensアルベルティン系のザクセン公)によって設けられた。<br />1589年にはザクセン選帝侯Christian1クリスチャン1世 が大要塞を完成させる。このザクセン王国の時代には首都ドレスデンの防御として、重要な拠点となり、ヨーロッパ内でも最強の要塞と謳われたと云う。<br /><br />写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞の様子、マイセンのAlbrechtsburgアルブレヒト城の雄姿(右下)

    イチオシ

    地図を見る

    さて、本日の目玉はドレスデンの町の防御のために作られた、規模もドイツ最大級と云われる台上(海抜361m)のケーニッヒシュタイン大要塞を訪れる。

    ケーニッヒシュタイン大要塞からはるかに遠い駐車場に車を停めて、岩上の要塞に向かって歩く。タクシーや観光用の小さな列車(遊園地に見られる)もあったが、待つ時間も惜しんで、ともかく歩き出す。

    ドレスデンからチェコ国境に至るエルベ川流域は” Sächsische Schweiz ザクセンのスイス”と呼ばれる景勝の地である。
    このあたりはElbsandsteinエルベ砂岩の山塊が続き、川による侵食で所々に台地が残り、独特の美しい景観を造っている。

    そのエルベ川が湾曲するあたりに巨大な台地、ケーニッヒシュタインつまり“王の岩”とも称されるものがあり、海抜361mの台上は広さ9.5haもある。

    最大級の要塞として、750年間の歴史を示す建物が30棟も建っている。それらは後期ゴシック、ルネサンス、バロック、19世紀の様々な時代の集合である。

    古くはゲルマンの一部族が台上に拠点(砦)を設けていたと云われ、最も古い歴史文書には1233年Gerhard von Steinゲルハルト・フォン・シュタインにより城郭が築かれたとあるそうだ。中世当時はチェコのボヘミア王の支配下だったが、15世紀の初めより、ザクセンの領主の所有となっている。
    1516年、台上に”奇跡のマリアを称賛する”僧院がGeorg der Bärtigeゲオルク髭公(1471 年~1539 年、Herzog des albertinischen Sachsensアルベルティン系のザクセン公)によって設けられた。
    1589年にはザクセン選帝侯Christian1クリスチャン1世 が大要塞を完成させる。このザクセン王国の時代には首都ドレスデンの防御として、重要な拠点となり、ヨーロッパ内でも最強の要塞と謳われたと云う。

    写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞の様子、マイセンのAlbrechtsburgアルブレヒト城の雄姿(右下)

    ケーニヒシュタイン城塞 城・宮殿

    ドレスデンの守り・Festung K&#246;nigstein フェストゥンク・ケーニッヒシュタイン大要塞 by jijidarumaさん
  • 16世紀の終わり頃から20世紀(第一次・第二次世界大戦)に至るまで、しばしばここは戦時捕虜の収用所や政治犯の牢獄として使われることになる。<br />1806年ナポレオンの台頭によって、ザクセン王国は彼の支配下になり、1813年にはナポレオン自らが要塞の視察を行った。要塞は*Rheinbundライン同盟のものとなる。<br />(尚、*Rheinbundラインラントブント(ライン同盟)は連邦とも言い、ナポレオンを盟主とした南ドイツ諸邦の連合体で、プロイセン・オーストリア連合に対抗したもの) <br /><br />1955年には軍事博物館が開設され、1989年のベルリンの壁崩壊後はザクセン州の所有となり、2000年には民間所有と変わっている。<br /><br />この長い歴史の中で、不思議なことにドレスデンの防御という築城した思惑とは異なり、HPを読む限りはこの要塞が大きな攻防戦を戦ったという記述が無い。<br />それらしき戦いは後述の「Belagerung bei Pirnaピルナ包囲戦(ピルナ攻城戦)」があるが、その際にケーニッヒシュタイン大要塞がどんな役割をしたのか?よく分からない。<br /><br />写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞の台上に上るのには2通りのコースがある。1つはチケット販売所傍にあるエレベーターに乗る。もう1つは帰りに利用したが、トンネルがあり徒歩で上から下に通れるようになっていた。

    16世紀の終わり頃から20世紀(第一次・第二次世界大戦)に至るまで、しばしばここは戦時捕虜の収用所や政治犯の牢獄として使われることになる。
    1806年ナポレオンの台頭によって、ザクセン王国は彼の支配下になり、1813年にはナポレオン自らが要塞の視察を行った。要塞は*Rheinbundライン同盟のものとなる。
    (尚、*Rheinbundラインラントブント(ライン同盟)は連邦とも言い、ナポレオンを盟主とした南ドイツ諸邦の連合体で、プロイセン・オーストリア連合に対抗したもの) 

    1955年には軍事博物館が開設され、1989年のベルリンの壁崩壊後はザクセン州の所有となり、2000年には民間所有と変わっている。

    この長い歴史の中で、不思議なことにドレスデンの防御という築城した思惑とは異なり、HPを読む限りはこの要塞が大きな攻防戦を戦ったという記述が無い。
    それらしき戦いは後述の「Belagerung bei Pirnaピルナ包囲戦(ピルナ攻城戦)」があるが、その際にケーニッヒシュタイン大要塞がどんな役割をしたのか?よく分からない。

    写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞の台上に上るのには2通りのコースがある。1つはチケット販売所傍にあるエレベーターに乗る。もう1つは帰りに利用したが、トンネルがあり徒歩で上から下に通れるようになっていた。

  • 【ケーニッヒシュタイン大要塞の見学】<br />10:30~13:25 、DM 16(900円) <br /><br />Zum Rundgangツム ルンドガンク(城内めぐり)見物には66のポイントがあり、最短2時間は必要らしいが、私共は凡そ3時間かかった。<br />城内には橋を渡って、城門をくぐって行く道とチケット販売所傍に岩壁をくりぬいたエレベーター(1970年完工)があり、昇りは楽なこれにした。台上に上がると一気に展望が開けた。城内めぐりで選択して見たのは次のような場所だ。<br /><br />地図をご参照。地図上にそれぞれのポイントNo.が記載されている。<br /><br />○25○43見張りの塔(1601、1600年)、○26○28○32兵営、<br />○29エレベーター、○27○36突出した岩壁角、○30クラニッヒ台地、<br />○31 18世紀から使用されたパン工房、○34旧武器庫(1594年)、<br />○48 Königsnase“王の鼻”と呼ばれる東に突き出た岩壁角、<br />○51雷痕の高台(300年もの歳古びた樫の木にしばしば雷が落ちたという)、<br /><br />写真はケーニッヒシュタイン大要塞の軍事施設地図

    【ケーニッヒシュタイン大要塞の見学】
    10:30~13:25 、DM 16(900円) 

    Zum Rundgangツム ルンドガンク(城内めぐり)見物には66のポイントがあり、最短2時間は必要らしいが、私共は凡そ3時間かかった。
    城内には橋を渡って、城門をくぐって行く道とチケット販売所傍に岩壁をくりぬいたエレベーター(1970年完工)があり、昇りは楽なこれにした。台上に上がると一気に展望が開けた。城内めぐりで選択して見たのは次のような場所だ。

    地図をご参照。地図上にそれぞれのポイントNo.が記載されている。

    ○25○43見張りの塔(1601、1600年)、○26○28○32兵営、
    ○29エレベーター、○27○36突出した岩壁角、○30クラニッヒ台地、
    ○31 18世紀から使用されたパン工房、○34旧武器庫(1594年)、
    ○48 Königsnase“王の鼻”と呼ばれる東に突き出た岩壁角、
    ○51雷痕の高台(300年もの歳古びた樫の木にしばしば雷が落ちたという)、

    写真はケーニッヒシュタイン大要塞の軍事施設地図

  • ○52Friedrichsburgフリードリヒスブルク(見張りの塔として、1589年に建設。1731年にバロックの円形建物に改築され、現在は事務所に利用されている。ここからの景色は絶景で、エルベの向こうには砂岩の台地“Lilienstein百合の岩”が見えて、雄大な美しさを日の光の下で見てみたかった)、<br />○58Hungerturm(飢えた塔・見張りの塔であったと云う)。<br /><br />これで2.2kmの城壁を巡る散策が一巡する。<br />この散策はたいへん魅力的で、台上の森や庭園、そしてElbtalエルベ渓谷を眼下に見ることができた。<br /><br />写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、大要塞の俯瞰の絵葉書、城壁をぐるりと回遊した。

    ○52Friedrichsburgフリードリヒスブルク(見張りの塔として、1589年に建設。1731年にバロックの円形建物に改築され、現在は事務所に利用されている。ここからの景色は絶景で、エルベの向こうには砂岩の台地“Lilienstein百合の岩”が見えて、雄大な美しさを日の光の下で見てみたかった)、
    ○58Hungerturm(飢えた塔・見張りの塔であったと云う)。

    これで2.2kmの城壁を巡る散策が一巡する。
    この散策はたいへん魅力的で、台上の森や庭園、そしてElbtalエルベ渓谷を眼下に見ることができた。

    写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、大要塞の俯瞰の絵葉書、城壁をぐるりと回遊した。

  • 要塞の中央には○15Magdalenenburgマグダレネンブルク(1621年ルネッサンス様式の小城。アウグスト強王の命により、1725年に238,000Lが入る巨大なワイン樽が造られ、地下貯蔵庫に置かれたという。1818年防弾対策された食糧倉庫に建替えられた)、<br />○14Brunnenhaus井戸の小屋(1563年要塞にとって最重要の水を確保するために、152.5mもの深い井戸が掘られた。最初は巻き上げ機によったが、1912年になって電気仕掛けになった。1998年以来、“水汲みショー”が行われている。この日も大勢の観光客が詰め掛けていて、残念ながら私共は断念した)、<br />○18Schatzhaus宝物館(ザクセン王国の宝物の貯蔵庫。金貨を入れた樽が展示されていた)、 <br /><br />写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、ザクセンのスイスの景観(エルベ川の左手に415mの高さのLilienstein百合の岩と称された台地が見える)、小さく見える駐車場辺り、要塞の大砲、要塞からの帰りに利用したトンネルの出口。

    イチオシ

    要塞の中央には○15Magdalenenburgマグダレネンブルク(1621年ルネッサンス様式の小城。アウグスト強王の命により、1725年に238,000Lが入る巨大なワイン樽が造られ、地下貯蔵庫に置かれたという。1818年防弾対策された食糧倉庫に建替えられた)、
    ○14Brunnenhaus井戸の小屋(1563年要塞にとって最重要の水を確保するために、152.5mもの深い井戸が掘られた。最初は巻き上げ機によったが、1912年になって電気仕掛けになった。1998年以来、“水汲みショー”が行われている。この日も大勢の観光客が詰め掛けていて、残念ながら私共は断念した)、
    ○18Schatzhaus宝物館(ザクセン王国の宝物の貯蔵庫。金貨を入れた樽が展示されていた)、 

    写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、ザクセンのスイスの景観(エルベ川の左手に415mの高さのLilienstein百合の岩と称された台地が見える)、小さく見える駐車場辺り、要塞の大砲、要塞からの帰りに利用したトンネルの出口。

  • ○12新武器庫(1631年、ザクセンの記念物を飾る催し場として建設。今は1806~1945年の要塞建設や軍事史の展示や、Bundeswehrドイツ軍の軍事博物館として大砲などの武器の陳列場となっていて、興味深い)、<br />○8司令官の家(司令官家族の私室には19世紀の家具。)、 <br />○10Georgenburgゲオルゲンブルク(中世当時の城郭。1619年に改築し、最初は狩猟の館に、後に国家の政治犯の収容に使用された)、<br />○7Torhausトアーハウス(1589年、東の昇り口にあたる台上に建てられた。要塞の中心になる建物。この建物下に暗い通路があって、城門に至る)、<br />○4Torravelin城門(1590年)、<br />○1Rothe Bruecke赤い橋(入口に架かる橋。レンガの色からこの名がついた)<br />などを見て回ったが、とても2時間どころではなく、昼食もせずに歩いたが、3時間もかかってしまった。<br /><br />近くの保養地にでも宿泊して、ここもさることながら、ザクセンのスイスといわれる渓谷美を堪能して見たかった。<br />ともあれ、先のドレスデンに急がねばならない。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、ザクセンの古城群、要塞の回遊、要塞からの帰りに利用したトンネルの入口から出口。

    ○12新武器庫(1631年、ザクセンの記念物を飾る催し場として建設。今は1806~1945年の要塞建設や軍事史の展示や、Bundeswehrドイツ軍の軍事博物館として大砲などの武器の陳列場となっていて、興味深い)、
    ○8司令官の家(司令官家族の私室には19世紀の家具。)、 
    ○10Georgenburgゲオルゲンブルク(中世当時の城郭。1619年に改築し、最初は狩猟の館に、後に国家の政治犯の収容に使用された)、
    ○7Torhausトアーハウス(1589年、東の昇り口にあたる台上に建てられた。要塞の中心になる建物。この建物下に暗い通路があって、城門に至る)、
    ○4Torravelin城門(1590年)、
    ○1Rothe Bruecke赤い橋(入口に架かる橋。レンガの色からこの名がついた)
    などを見て回ったが、とても2時間どころではなく、昼食もせずに歩いたが、3時間もかかってしまった。

    近くの保養地にでも宿泊して、ここもさることながら、ザクセンのスイスといわれる渓谷美を堪能して見たかった。
    ともあれ、先のドレスデンに急がねばならない。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    写真はザクセンのスイス:ケーニッヒシュタイン大要塞・・・右上から時計回りで、ザクセンの古城群、要塞の回遊、要塞からの帰りに利用したトンネルの入口から出口。

  • B172 をドレスデンに向かう。40kmで市内のエルベ川沿いの駐車場に14時20分に着く。 <br /><br />“エルベ川のフィレンツェと呼ばれ、あるいは百塔の都と世に称されるドレスデン”はまた“バロックの都”とも呼ばれる。中世以来、エルベ川を利用した交易、銀の採掘で財をなしたドレスデンは商業都市として発展し、16世紀になるとザクセン人のザクセン王国の首都として繁栄する。<br /><br />写真はDie Elbe エルベ川流域図2(マイセンから&lt;ドレスデン&gt;経由ザクセンのスイス・ケーニッヒ大要塞)<br /><br />

    B172 をドレスデンに向かう。40kmで市内のエルベ川沿いの駐車場に14時20分に着く。 

    “エルベ川のフィレンツェと呼ばれ、あるいは百塔の都と世に称されるドレスデン”はまた“バロックの都”とも呼ばれる。中世以来、エルベ川を利用した交易、銀の採掘で財をなしたドレスデンは商業都市として発展し、16世紀になるとザクセン人のザクセン王国の首都として繁栄する。

    写真はDie Elbe エルベ川流域図2(マイセンから<ドレスデン>経由ザクセンのスイス・ケーニッヒ大要塞)

  • 東はポーランドやチェコに隣接し、今はザクセン州の州都となり、芸術・文化の都として、見事な復興を成し遂げている。人口は47万人。<br /><br />写真はDresdenも要塞の時期もあった:1750年ごろの新旧市街を防御している要塞の図

    東はポーランドやチェコに隣接し、今はザクセン州の州都となり、芸術・文化の都として、見事な復興を成し遂げている。人口は47万人。

    写真はDresdenも要塞の時期もあった:1750年ごろの新旧市街を防御している要塞の図

  • 写真は地球の歩き方・ドイツ:ドレスデンMap 

    写真は地球の歩き方・ドイツ:ドレスデンMap 

  • 【Dresdenドレスデン市内観光】<br />14:20~16:30<br /> <br />ドレスデンで弧を描いて流れるエルベ川畔もまた美しい。<br />第二次大戦の末期に米英軍の爆撃を受けて見る影も無いほどに被災したこの町は戦後の復興の中で営々と建物の再建・修復に尽力してきたという。<br />とりわけFrauenkirche聖母教会は瓦礫の山から以前の姿に戻すという修復を続けている。驚くべきザクセン人魂である。<br /><br />見るところも多いので、残念ながら場所を選ばねばなら無い。まず、戦災を免れた“Der Fürstenzug 君主の行列”の壁画を最初に訪れたい。<br />Residenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城)の中庭に欧州最古の武芸競技場Stallhofシュタールホフがあり、その外壁にマイセン磁器のタイルで描かれた、101mの壮大な壁画が君主の行列である。1123~1904年の長期に渡り、Augustアウグスト1世の騎馬像や時代を彩った芸術家たち93名が描かれたもの。マイセン磁器のタイルで描かれたというのがこの町らしい。<br />戦災を免れたのは奇跡であろうか!!<br /><br />壮麗なバロック建築が並ぶドレスデンだが、Semperoperゼンパーオペラ劇場(ザクセン州立歌劇場)はひときわ目立つ。建設者の名をとったオペラ劇場はウエバー(魔弾の射手の作曲者)が初代、ワーグナーが二代目の音楽監督として指揮を執った。ワーグナー作曲の“さまよえるオランダ人”“タンホイザー”はこの劇場で初演されている。時間があれば、オペラを見てみたいものだが、残念ながらこの旅は外から写真を撮っただけです。<br /><br />劇場前には騎馬像が立っています。劇場建設を命じたザクセン王ヨハンの像だそうだ。<br /><br />写真はドレスデン旧市街:左上から時計回りで、君主の行列画、ブリュールのテラス、ゼンパ―オペラとザクセン王ヨハンの像、アルトマルクト広場と聖十字架教会

    【Dresdenドレスデン市内観光】
    14:20~16:30

    ドレスデンで弧を描いて流れるエルベ川畔もまた美しい。
    第二次大戦の末期に米英軍の爆撃を受けて見る影も無いほどに被災したこの町は戦後の復興の中で営々と建物の再建・修復に尽力してきたという。
    とりわけFrauenkirche聖母教会は瓦礫の山から以前の姿に戻すという修復を続けている。驚くべきザクセン人魂である。

    見るところも多いので、残念ながら場所を選ばねばなら無い。まず、戦災を免れた“Der Fürstenzug 君主の行列”の壁画を最初に訪れたい。
    Residenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城)の中庭に欧州最古の武芸競技場Stallhofシュタールホフがあり、その外壁にマイセン磁器のタイルで描かれた、101mの壮大な壁画が君主の行列である。1123~1904年の長期に渡り、Augustアウグスト1世の騎馬像や時代を彩った芸術家たち93名が描かれたもの。マイセン磁器のタイルで描かれたというのがこの町らしい。
    戦災を免れたのは奇跡であろうか!!

    壮麗なバロック建築が並ぶドレスデンだが、Semperoperゼンパーオペラ劇場(ザクセン州立歌劇場)はひときわ目立つ。建設者の名をとったオペラ劇場はウエバー(魔弾の射手の作曲者)が初代、ワーグナーが二代目の音楽監督として指揮を執った。ワーグナー作曲の“さまよえるオランダ人”“タンホイザー”はこの劇場で初演されている。時間があれば、オペラを見てみたいものだが、残念ながらこの旅は外から写真を撮っただけです。

    劇場前には騎馬像が立っています。劇場建設を命じたザクセン王ヨハンの像だそうだ。

    写真はドレスデン旧市街:左上から時計回りで、君主の行列画、ブリュールのテラス、ゼンパ―オペラとザクセン王ヨハンの像、アルトマルクト広場と聖十字架教会

    君主の行列 文化・芸術・歴史

    アウグスト強王を中心とした君主の行列は、2万5千枚のマイセン磁器タイルで描かれたもので最初に見る価値がある。 by jijidarumaさん
  • 写真はドレスデン:左上から時計回りで、ドレスデンと近郊の城、宮殿、要塞の絵葉書、旧宮廷教会、旧市街方向をバックに撮る。 

    写真はドレスデン:左上から時計回りで、ドレスデンと近郊の城、宮殿、要塞の絵葉書、旧宮廷教会、旧市街方向をバックに撮る。 

  • <Zwingerツヴィンガー宮殿><br />14:50~16:30  DM14 (784円)<br /><br />1709年~32年、ザクセン王国の隆盛を体現した選帝侯Friedrich Augustフリードリヒ・アウグスト1世(子供200~360人?を生ませた事から“Der Starkeデアー・シュタルケ(強王)”と呼ばれ、ドイツ人に大変人気の高い王)によって建設された宮殿である。<br /><br />この後期バロック様式の離宮に名前の由来となった、高い楼閣・Zwingerツヴィンガーの塔が立ち、広い中庭、四方に噴水、内部には陶磁器コレクション、ギャラリー、武器博物館などがある。とても全部は無理で、ギャラリーに絞る。<br />  <br />宮殿北にある噴水にも寄ってみた。“妖精の泉”といい、たいへん美しい。<br /><br />写真はドレスデン:左上から時計回りで、“妖精の泉”、ツヴィンガー宮殿、アルテマイスター、ライラックが満開だ。 

    イチオシ

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    <Zwingerツヴィンガー宮殿>
    14:50~16:30  DM14 (784円)

    1709年~32年、ザクセン王国の隆盛を体現した選帝侯Friedrich Augustフリードリヒ・アウグスト1世(子供200~360人?を生ませた事から“Der Starkeデアー・シュタルケ(強王)”と呼ばれ、ドイツ人に大変人気の高い王)によって建設された宮殿である。

    この後期バロック様式の離宮に名前の由来となった、高い楼閣・Zwingerツヴィンガーの塔が立ち、広い中庭、四方に噴水、内部には陶磁器コレクション、ギャラリー、武器博物館などがある。とても全部は無理で、ギャラリーに絞る。
      
    宮殿北にある噴水にも寄ってみた。“妖精の泉”といい、たいへん美しい。

    写真はドレスデン:左上から時計回りで、“妖精の泉”、ツヴィンガー宮殿、アルテマイスター、ライラックが満開だ。 

    ツヴィンガー宮殿 城・宮殿

    ドレスデン:ツヴィンガー宮殿見学はアルテ・マイスターというギャラリーに絞った。 by jijidarumaさん
  • Alte Meisterアルテ・マイスターというギャラリーには15~19世紀の名だたる古典絵画巨匠の作品があり、今日はその展示を見に入った。<br /><br />ラファエロの“システィーナのマドンナ”は見事な傑作。ジョルジョーネの“眠れるヴィーナス”、フェルメールの“遣り手婆”や“手紙を読む少女”もある。そのほかルーベンス、レンブラント、ヴェラスケス、デューラー、アイク、グレコなどの世界有数の名画が見られた。<br /><br />写真はツヴィンガー宮殿と“妖精の泉”、アルテマイスターの作品の絵葉書

    Alte Meisterアルテ・マイスターというギャラリーには15~19世紀の名だたる古典絵画巨匠の作品があり、今日はその展示を見に入った。

    ラファエロの“システィーナのマドンナ”は見事な傑作。ジョルジョーネの“眠れるヴィーナス”、フェルメールの“遣り手婆”や“手紙を読む少女”もある。そのほかルーベンス、レンブラント、ヴェラスケス、デューラー、アイク、グレコなどの世界有数の名画が見られた。

    写真はツヴィンガー宮殿と“妖精の泉”、アルテマイスターの作品の絵葉書

  • 参考写真はツヴィンガー宮殿・アルテマイスター絵画館:ラッファエル・システィーナのマドンナ

    参考写真はツヴィンガー宮殿・アルテマイスター絵画館:ラッファエル・システィーナのマドンナ

  • 参考写真はツヴィンガー宮殿・アルテマイスター絵画館:フェルメール・手紙を読む少女

    参考写真はツヴィンガー宮殿・アルテマイスター絵画館:フェルメール・手紙を読む少女

  • 参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />今回は旧市街の限られた空間しか訪れることができなかった。<br /><br />次回の旅にはベルリンから、この地を再訪して、Albertinumアルベルティーヌム(ザクセン王家の宝物館、ノイエ・マイスターギャラリー)、Zwingerツヴィンガー宮殿の武器博物館、磁器博物館、Residenzschlossレジデンツ城などを見てみたいものだ。

    参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    今回は旧市街の限られた空間しか訪れることができなかった。

    次回の旅にはベルリンから、この地を再訪して、Albertinumアルベルティーヌム(ザクセン王家の宝物館、ノイエ・マイスターギャラリー)、Zwingerツヴィンガー宮殿の武器博物館、磁器博物館、Residenzschlossレジデンツ城などを見てみたいものだ。

  • 参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井

    参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井

  • 参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井で見られたデリーの宮殿<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />ドレスデンを出ようとして、車を見ると窓に駐車違反の赤紙が貼ってあるではないか?!しまったと思い、通知を読んで見ると警察に出頭して罰金を支払えとある。<br /><br />近くの警察まで車で行って、たむろしていた若い警官に聞いてみると、対応がさっぱりだ。こちらもむかっ腹を立てて、払うものかと、そのままにしてしまう。<br />(旧東独の悪い点を見た思いだったが、事務処理もいまいちだったのだろう。日本に帰国した後も、少額の罰金だったこともあり、何も無かった!)<br />

    参考写真はResidenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城):新緑の丸天井で見られたデリーの宮殿

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ドレスデンを出ようとして、車を見ると窓に駐車違反の赤紙が貼ってあるではないか?!しまったと思い、通知を読んで見ると警察に出頭して罰金を支払えとある。

    近くの警察まで車で行って、たむろしていた若い警官に聞いてみると、対応がさっぱりだ。こちらもむかっ腹を立てて、払うものかと、そのままにしてしまう。
    (旧東独の悪い点を見た思いだったが、事務処理もいまいちだったのだろう。日本に帰国した後も、少額の罰金だったこともあり、何も無かった!)

  • L?を15kmほどドレスデンの北西に走ると、ザクセン侯のバロック建築のJagtschlossヤークトシュロス(狩猟館)であった Moritzburgモーリッツ城が自然保護区の中にある。<br /><br />16世紀中頃に最初の城が築かれ、1723年アウグスト強王によって、現在の姿に改築された。赤いドームが四方にあり、城の周辺は池になっている。<br />湖面に映える水城はもう夕暮も間近い。<br /><br />バロック博物館(1947年より開館。ザクセン・仏製の家具、日本・中国・マイセンの磁器、仏・伊・独の絵画などの展示)のある城内は既に時間が遅く、ガイドツアー見学は無理だったので、広い城内庭園を散策した。<br />大きなライラックの木が甘酸っぱい香りを漂わせ、満開であった。 <br />     <br /><お茶: モーリッツ城のCafé;Lederzimmerレダーの間>  <br />17:10~30  DM20(1,120円)現金。<br />お茶の時間には遅すぎたが、昼食なしで来てしまったので、給仕さんに聞いてみるとOKだという。 <br />美味しい林檎のトルテに紅茶・コーヒーを頂く。<br /><br />写真はSchloss Moritzburgモーリッツ城回遊<br /><br />これからマイセンに戻り、旧市街観光をする。<br />夕食も旧市街で済ませる予定だ。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />(2024年2月25日Wiki・HP参考、訳・編集追記)

    L?を15kmほどドレスデンの北西に走ると、ザクセン侯のバロック建築のJagtschlossヤークトシュロス(狩猟館)であった Moritzburgモーリッツ城が自然保護区の中にある。

    16世紀中頃に最初の城が築かれ、1723年アウグスト強王によって、現在の姿に改築された。赤いドームが四方にあり、城の周辺は池になっている。
    湖面に映える水城はもう夕暮も間近い。

    バロック博物館(1947年より開館。ザクセン・仏製の家具、日本・中国・マイセンの磁器、仏・伊・独の絵画などの展示)のある城内は既に時間が遅く、ガイドツアー見学は無理だったので、広い城内庭園を散策した。
    大きなライラックの木が甘酸っぱい香りを漂わせ、満開であった。 
         
    <お茶: モーリッツ城のCafé;Lederzimmerレダーの間>  
    17:10~30  DM20(1,120円)現金。
    お茶の時間には遅すぎたが、昼食なしで来てしまったので、給仕さんに聞いてみるとOKだという。
    美味しい林檎のトルテに紅茶・コーヒーを頂く。

    写真はSchloss Moritzburgモーリッツ城回遊

    これからマイセンに戻り、旧市街観光をする。
    夕食も旧市街で済ませる予定だ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    (2024年2月25日Wiki・HP参考、訳・編集追記)

    モーリッツブルク城 (モーリッツブルク) 城・宮殿

    ドレスデンの郊外に、狩猟館モーリッツ城が美しい姿をみせている。 by jijidarumaさん
  • 2001年の旅は旧市街の限られた空間しか訪れることができなかった。<br /><br />それで2011年の旅も参考!!!に載せてみた。<br /><br />【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る】<br />期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間<br /><br />ドイツの春の旅はちょうど10回目を数える事になる。<br />春が8回、冬(クリスマス)、秋がそれぞれ1回になる。<br /><br />16年ぶりに2001年の5月に訪れたドレスデンで、当時その再訪を望んだが、10年が早々と経ってしまった。<br /><br />今回の行程であるベルリン、ドレスデン、ライプツィヒ、マグデブルクなどドイツの北東(旧東ドイツ地域)を巡ると、ドイツの主要観光地をほぼカバーすることになるのだ。<br /><br />5月21日(土);快晴、21℃、 127km<br />起床7:00、朝食8:00~8:30、Burghotel Gnandstein 9:00スタート ->L?・B95・B7 29km(Rochlitz)->B175  25km (Döbeln)->B175・A4 58km Dresden・Altstadt 10:40着;市内観光~16:15 ->B6 15km 16:45ホテル着。夕食;Hotel  Schloss  Eckberg 19:00~21:20 、 ⑨⑩Dresdenドレスデンに<2泊>。<br /><br />*9日目も起床7:00と順調。朝食は昨日と同じRestaurant Wintergarten冬の園(温室)で8:00~8:30、朝からゼクト(シャンパン)の小瓶が出てきた。飲むわけにもいかずに、お土産に頂く。<br />又、再訪したいものだと思いながら、大変気に入った古城ホテル グナンドシュタイン城を9:00にスタートした。今日も快晴だ。<br />昨日と同じルートを走り、Rochlitz、Döbelnを経由し、アウトバーンのA4にのった。ドレスデンの少し手前Dresden Tor Sued(ドレスデンの南門)の休憩所で二度目の給油(34.63L=Euro50.01 )をした。<br /><br />気分も上々で、今日の行程112kmを走って、ドレスデンの旧市街に入った。<br />さすがに観光客でいっぱいの町、駐車もままならぬかと危惧したが、旧市街の聖母教会近く、警察傍の駐車場にうまく駐車(10:40)できた。<br /><br />写真はDresden:1900年頃の絵・・・手前が新市街、向こう岸が旧市街

    2001年の旅は旧市街の限られた空間しか訪れることができなかった。

    それで2011年の旅も参考!!!に載せてみた。

    【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る】
    期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間

    ドイツの春の旅はちょうど10回目を数える事になる。
    春が8回、冬(クリスマス)、秋がそれぞれ1回になる。

    16年ぶりに2001年の5月に訪れたドレスデンで、当時その再訪を望んだが、10年が早々と経ってしまった。

    今回の行程であるベルリン、ドレスデン、ライプツィヒ、マグデブルクなどドイツの北東(旧東ドイツ地域)を巡ると、ドイツの主要観光地をほぼカバーすることになるのだ。

    5月21日(土);快晴、21℃、 127km
    起床7:00、朝食8:00~8:30、Burghotel Gnandstein 9:00スタート ->L?・B95・B7 29km(Rochlitz)->B175 25km (Döbeln)->B175・A4 58km Dresden・Altstadt 10:40着;市内観光~16:15 ->B6 15km 16:45ホテル着。夕食;Hotel Schloss Eckberg 19:00~21:20 、 ⑨⑩Dresdenドレスデンに<2泊>。

    *9日目も起床7:00と順調。朝食は昨日と同じRestaurant Wintergarten冬の園(温室)で8:00~8:30、朝からゼクト(シャンパン)の小瓶が出てきた。飲むわけにもいかずに、お土産に頂く。
    又、再訪したいものだと思いながら、大変気に入った古城ホテル グナンドシュタイン城を9:00にスタートした。今日も快晴だ。
    昨日と同じルートを走り、Rochlitz、Döbelnを経由し、アウトバーンのA4にのった。ドレスデンの少し手前Dresden Tor Sued(ドレスデンの南門)の休憩所で二度目の給油(34.63L=Euro50.01 )をした。

    気分も上々で、今日の行程112kmを走って、ドレスデンの旧市街に入った。
    さすがに観光客でいっぱいの町、駐車もままならぬかと危惧したが、旧市街の聖母教会近く、警察傍の駐車場にうまく駐車(10:40)できた。

    写真はDresden:1900年頃の絵・・・手前が新市街、向こう岸が旧市街

  • 私共にとって、ベルリンは二十数年前に、ここドレスデンも2001年に行っただけで、どちらの町も新しい観光に出かけるようなものである。<br /><br />私はどちらかと言うと大都市が苦手だが、ドレスデン、ライプツィヒはコンパクトな町作りが良い。特にドレスデンはエルベ川を中心に左右岸の新旧市街が大変魅力的で、この町を好まれる方が多いのもうなずけるものがある。<br /><br />ドレスデンではエルベを数キロさかのぼった所に見つけた古城ホテルHotel  Schloss  Eckbergエックベルクに今日から2泊する。<br />明日はここから市内まで出かけることにしている。また、その後はBasteiバスタイ近くのPirnaピルナと言う町に1泊し、“ザクセンのスイス”も見る予定にしている。<br />ともかくにもドレスデンは見るものも多く、エルベ川とドレスデンの景観をゆったりと楽しむ事が出来るのか・・・本当はもう一日欲しいような気持ちなのだ。<br /><br />写真は再建されたFrauenkirche聖母教会<br /><br />【Dresden ・Altstadtドレスデン・アルトシュタット旧市街観光①】<br />(世界遺産:ドレスデン・エルベ渓谷 ・・・2004年~2009年)<br />10:40~16:15<br />初日はホテルにチェックインする前に、まず旧市街に出かけた。<br /><br /><Frauenkircheフラウエン教会(聖母教会)><br />第二次大戦の末期に米英軍の爆撃を受けて見る影も無いほどに被災したドレスデンの町は戦後の復興の中で営々と建物の再建・修復に尽力してきたという。<br />その再建の代表とも言うべき聖母教会は瓦礫の山から以前の姿に戻すという修復が続けられたもので、ドイツの人の忍耐強さには定評があるが、驚くべきはザクセン人魂である。<br /><br />ザクセンのプロテスタント教会である聖母教会は“石の釣り鐘”と称する直径25mの大ドームが特徴的だが、1945年2月連合軍の空襲で破壊されてしまった。戦後、この廃墟は戦争と破壊のモニュメントとなっていたが、瓦礫から掘り出したオリジナルの部材を、コンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業を行い、「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」とも言われた教会再建は、2005年10月に60年ぶりに漸く完了した。<br /><br />大勢の信者・観光客に交じって、中に入った。プロテスタント教会にしては、豪華な大祭壇があり、その後背にパイプオルガンが位置し、丸天井も、周囲の壁も綺麗に装飾されていた。ひょっとして今はカトリックなのか?全体に印象は宗教施設と言うよりコンサートホールのように思えた。<br />

    私共にとって、ベルリンは二十数年前に、ここドレスデンも2001年に行っただけで、どちらの町も新しい観光に出かけるようなものである。

    私はどちらかと言うと大都市が苦手だが、ドレスデン、ライプツィヒはコンパクトな町作りが良い。特にドレスデンはエルベ川を中心に左右岸の新旧市街が大変魅力的で、この町を好まれる方が多いのもうなずけるものがある。

    ドレスデンではエルベを数キロさかのぼった所に見つけた古城ホテルHotel Schloss Eckbergエックベルクに今日から2泊する。
    明日はここから市内まで出かけることにしている。また、その後はBasteiバスタイ近くのPirnaピルナと言う町に1泊し、“ザクセンのスイス”も見る予定にしている。
    ともかくにもドレスデンは見るものも多く、エルベ川とドレスデンの景観をゆったりと楽しむ事が出来るのか・・・本当はもう一日欲しいような気持ちなのだ。

    写真は再建されたFrauenkirche聖母教会

    【Dresden ・Altstadtドレスデン・アルトシュタット旧市街観光①】
    (世界遺産:ドレスデン・エルベ渓谷 ・・・2004年~2009年)
    10:40~16:15
    初日はホテルにチェックインする前に、まず旧市街に出かけた。

    <Frauenkircheフラウエン教会(聖母教会)>
    第二次大戦の末期に米英軍の爆撃を受けて見る影も無いほどに被災したドレスデンの町は戦後の復興の中で営々と建物の再建・修復に尽力してきたという。
    その再建の代表とも言うべき聖母教会は瓦礫の山から以前の姿に戻すという修復が続けられたもので、ドイツの人の忍耐強さには定評があるが、驚くべきはザクセン人魂である。

    ザクセンのプロテスタント教会である聖母教会は“石の釣り鐘”と称する直径25mの大ドームが特徴的だが、1945年2月連合軍の空襲で破壊されてしまった。戦後、この廃墟は戦争と破壊のモニュメントとなっていたが、瓦礫から掘り出したオリジナルの部材を、コンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業を行い、「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」とも言われた教会再建は、2005年10月に60年ぶりに漸く完了した。

    大勢の信者・観光客に交じって、中に入った。プロテスタント教会にしては、豪華な大祭壇があり、その後背にパイプオルガンが位置し、丸天井も、周囲の壁も綺麗に装飾されていた。ひょっとして今はカトリックなのか?全体に印象は宗教施設と言うよりコンサートホールのように思えた。

    フラウエン教会 (聖母教会) 寺院・教会

  • その行程は以下の通り。<br /><br />Frauenkircheフラウエン教会(聖母教会)=>Der  Fürstenzug君主の行列の壁画=>Schlossplatz王宮広場=>カトリック旧宮廷教会=>Brühl&#39;s Terrasseブリュールのテラス(エルベ川畔の景観)=>Albertinumアルベルティーヌム;Galerie Neue Meisterノイエ・マイスターギャラリー・Skulpturensammlung彫刻コレクション=>Albertiumアルベルティーヌム Cafeで軽食 12:30~50=>Residenzschlossレジデンツシュロス王宮;Historisches&Neues Grünes Gewoelbe新旧・緑の丸天井、 Rüstkammer 武器博物館=>Kempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテル(かつてのTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿)=>Semperoperゼンパーオペラ劇場=>Altmarkt-Galerieショッピングセンター=>Altmarkt(青空市場)=>Kreuzkirche聖十字架教会。<br /><br />駐車場から一番に行ったのは新マルクト広場。ここにも大きなルター像が立っている、その後方にあるのが、近年、再建されて、話題も多い聖母教会だ。<br /><br />写真は再建された聖母教会前に大きなルターの銅像が立つ。

    その行程は以下の通り。

    Frauenkircheフラウエン教会(聖母教会)=>Der Fürstenzug君主の行列の壁画=>Schlossplatz王宮広場=>カトリック旧宮廷教会=>Brühl's Terrasseブリュールのテラス(エルベ川畔の景観)=>Albertinumアルベルティーヌム;Galerie Neue Meisterノイエ・マイスターギャラリー・Skulpturensammlung彫刻コレクション=>Albertiumアルベルティーヌム Cafeで軽食 12:30~50=>Residenzschlossレジデンツシュロス王宮;Historisches&Neues Grünes Gewoelbe新旧・緑の丸天井、 Rüstkammer 武器博物館=>Kempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテル(かつてのTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿)=>Semperoperゼンパーオペラ劇場=>Altmarkt-Galerieショッピングセンター=>Altmarkt(青空市場)=>Kreuzkirche聖十字架教会。

    駐車場から一番に行ったのは新マルクト広場。ここにも大きなルター像が立っている、その後方にあるのが、近年、再建されて、話題も多い聖母教会だ。

    写真は再建された聖母教会前に大きなルターの銅像が立つ。

    マルチンルター像 建造物

    ドレスデン:宗教改革者マルティン・ルターの大きな銅像が聖母教会前に立っている。 by jijidarumaさん
  • ドレスデンの旧・新市街を二つに割るように、弧を描いて流れるElbeエルベ川畔も、またたいへん美しい。ザクセン州の州都ドレスデンの人口は52万人を数える。<br />2001年当時が47万人と云っていたから1割増えている。<br /><br />見所はフラウエン教会、最も優れた後期バロック様式の建造物ツヴィンガー宮殿、壮麗なゼンパーオペラ、シュタールホーフ、君主の行列が描かれた城壁、そして是非見たい博物館があるレジデンツ。見るところも多いので、残念ながら場所を選ばねばならない。<br /><br />写真は君主の行列画の全景・・・行列の全体

    ドレスデンの旧・新市街を二つに割るように、弧を描いて流れるElbeエルベ川畔も、またたいへん美しい。ザクセン州の州都ドレスデンの人口は52万人を数える。
    2001年当時が47万人と云っていたから1割増えている。

    見所はフラウエン教会、最も優れた後期バロック様式の建造物ツヴィンガー宮殿、壮麗なゼンパーオペラ、シュタールホーフ、君主の行列が描かれた城壁、そして是非見たい博物館があるレジデンツ。見るところも多いので、残念ながら場所を選ばねばならない。

    写真は君主の行列画の全景・・・行列の全体

  • 聖母教会から左の道を入ると、ヒルトンホテルがあり、その先はアウグスト通りになる。この道も観光客がぞろぞろと歩き、写真を撮るチャンスが少ない。<br /><br /><Der  Fürstenzug君主の行列の壁画><br />Augustusstrasseアウグスト通りにある。<br /><br />Residenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城)の中庭に欧州最古の武芸競技場Stallhofシュタールホーフがあり、その外壁に描かれているキャンバスが2万5千枚のマイセン磁器タイル、101mの壮大な壁画が君主の行列である。<br /><br />1123~1904年の長期に渡り、Friedrich August Iアウグスト強王の騎馬像や時代を彩った93名が描かれたもの。マイセン磁器のタイルで描かれたというのがこの町らしい。戦災を免れたのは奇跡であろうか!! <br /><br />写真は君主の行列画・・・最初の神聖ローマ皇帝Lothar von Supplinburgズップリンブルク家のロタール1世(推定)

    聖母教会から左の道を入ると、ヒルトンホテルがあり、その先はアウグスト通りになる。この道も観光客がぞろぞろと歩き、写真を撮るチャンスが少ない。

    <Der Fürstenzug君主の行列の壁画>
    Augustusstrasseアウグスト通りにある。

    Residenzschlossレジデンツ城(14世紀・ザクセン王の居城)の中庭に欧州最古の武芸競技場Stallhofシュタールホーフがあり、その外壁に描かれているキャンバスが2万5千枚のマイセン磁器タイル、101mの壮大な壁画が君主の行列である。

    1123~1904年の長期に渡り、Friedrich August Iアウグスト強王の騎馬像や時代を彩った93名が描かれたもの。マイセン磁器のタイルで描かれたというのがこの町らしい。戦災を免れたのは奇跡であろうか!! 

    写真は君主の行列画・・・最初の神聖ローマ皇帝Lothar von Supplinburgズップリンブルク家のロタール1世(推定)

  • ともあれ、行列の全体、最初の神聖ローマ皇帝Lothar von Supplinburgズップリンブルク家のロタール1世(推定)と、真中のFriedrich August Iアウグスト強王を撮っておいた。35名のザクセンの辺境伯・選帝侯・王が描かれているらしいが、勿論数える気は無いが・・・。<br /><br />写真は君主の行列画・・・真中のFriedrich August Iアウグスト強王を撮っておいた。

    ともあれ、行列の全体、最初の神聖ローマ皇帝Lothar von Supplinburgズップリンブルク家のロタール1世(推定)と、真中のFriedrich August Iアウグスト強王を撮っておいた。35名のザクセンの辺境伯・選帝侯・王が描かれているらしいが、勿論数える気は無いが・・・。

    写真は君主の行列画・・・真中のFriedrich August Iアウグスト強王を撮っておいた。

  • Schlossplatz王宮広場のざわめきから逃れ、かつての要塞跡をブリュール伯爵が18世紀に庭園を作った名残であるBrühl&#39;s Terrasseブリュールのテラスの階段に上がり、カトリック旧宮廷教会、王宮、ツヴィンガー宮殿方面を眺める。<br /><br />ちょっと黒雲が空を覆いだし、ザーッと来そうな雰囲気になってきた。<br /><br />写真はBrühl&#39;s Terrasseブリュールのテラス(エルベ川畔の景観)

    Schlossplatz王宮広場のざわめきから逃れ、かつての要塞跡をブリュール伯爵が18世紀に庭園を作った名残であるBrühl's Terrasseブリュールのテラスの階段に上がり、カトリック旧宮廷教会、王宮、ツヴィンガー宮殿方面を眺める。

    ちょっと黒雲が空を覆いだし、ザーッと来そうな雰囲気になってきた。

    写真はBrühl's Terrasseブリュールのテラス(エルベ川畔の景観)

    ブリュールのテラス 散歩・街歩き

  • ドレスデン音楽祭は5月18日~6月6日の期間、ドレスデンの市内でいろいろと催しがあるようだ。今日もブリュールのテラスや、テラス小路でジャズ演奏が行われて、人だかりがすごい。<br /><br />こちらは折角の機会なので、テラスからエルベ川畔の景観をゆっくり楽しんだ。エルベの向こう岸は新市街、あちらの空は青空が出ている。<br /><br />写真はドレスデンの新旧市街を結ぶアウグスト橋・・・向こうが新市街

    ドレスデン音楽祭は5月18日~6月6日の期間、ドレスデンの市内でいろいろと催しがあるようだ。今日もブリュールのテラスや、テラス小路でジャズ演奏が行われて、人だかりがすごい。

    こちらは折角の機会なので、テラスからエルベ川畔の景観をゆっくり楽しんだ。エルベの向こう岸は新市街、あちらの空は青空が出ている。

    写真はドレスデンの新旧市街を結ぶアウグスト橋・・・向こうが新市街

  • エルベ川畔の美しい景観を楽しんだ後は、ブリュールのテラスの裏手にあるAlbertinumアルベルティーヌムに出かけた。<br />実はこちらに”緑の丸天井”の素晴しい宝物が見られる思っていたのだったが、ここではなくレジデンツ・シュロス王宮に移っていた。<br />ノイエ・マイスターギャラリー・彫刻コレクションがあったので、結局、見て回ることになった。<br /><br /><Albertinumアルベルティーヌム><br />11:30~12:30 入場料Euro16<br />1階のSkulpturensammlung彫刻コレクションにはギリシャ・ローマ時代からルネサンスなどの作品200体が展示され、2階、3階にGalerie Neue Meisterノイエ・マイスターギャラリーがあり、ロマン派から現代の作品が展示されていた。<br />中でも、興味を引くのは19世紀、ドイツロマン派の代表者であるCaspar David Friedrich カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年~1840年)の部屋だ。<br />この画家は悲劇的な風景画という印象を抱かせる新しい分野を描いた。これまでのドイツの中心であった宗教画を脱し、自然を基軸とした絵を描いたとされる。<br />・・・が、何ともいえぬ暗さに満ちた作品群である。<br />その他18、19世紀、ドレスデンのロマン派から印象派の絵画作品があった。<br /><br />アルベルティーヌムを出ると、1つの銅像に出会った。ゼンパーオペラ*の建設者Semperゼンパーの銅像が、劇場前は確かに注文主のザクセン王ヨハンの立派な騎馬像があるだけに、遠慮したのか?こんな所にあるとは思わなかった。<br /><br />写真はAlbertinumアルベルティーヌムとゼンパーオペラ*の建設者Semperゼンパーの銅像

    エルベ川畔の美しい景観を楽しんだ後は、ブリュールのテラスの裏手にあるAlbertinumアルベルティーヌムに出かけた。
    実はこちらに”緑の丸天井”の素晴しい宝物が見られる思っていたのだったが、ここではなくレジデンツ・シュロス王宮に移っていた。
    ノイエ・マイスターギャラリー・彫刻コレクションがあったので、結局、見て回ることになった。

    <Albertinumアルベルティーヌム>
    11:30~12:30 入場料Euro16
    1階のSkulpturensammlung彫刻コレクションにはギリシャ・ローマ時代からルネサンスなどの作品200体が展示され、2階、3階にGalerie Neue Meisterノイエ・マイスターギャラリーがあり、ロマン派から現代の作品が展示されていた。
    中でも、興味を引くのは19世紀、ドイツロマン派の代表者であるCaspar David Friedrich カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年~1840年)の部屋だ。
    この画家は悲劇的な風景画という印象を抱かせる新しい分野を描いた。これまでのドイツの中心であった宗教画を脱し、自然を基軸とした絵を描いたとされる。
    ・・・が、何ともいえぬ暗さに満ちた作品群である。
    その他18、19世紀、ドレスデンのロマン派から印象派の絵画作品があった。

    アルベルティーヌムを出ると、1つの銅像に出会った。ゼンパーオペラ*の建設者Semperゼンパーの銅像が、劇場前は確かに注文主のザクセン王ヨハンの立派な騎馬像があるだけに、遠慮したのか?こんな所にあるとは思わなかった。

    写真はAlbertinumアルベルティーヌムとゼンパーオペラ*の建設者Semperゼンパーの銅像

    ノイエ マイスター ギャラリー 博物館・美術館・ギャラリー

  • ドレスデンで最も期待の博物館は、レジデンツシュロス王宮の新旧・緑の丸天井と称する宝物館である。1時間に100人ずつの入場規制を行っているとか、入場チケットにはあらかじめ時間予約が必要などとHPに書かれていたので、駄目もとで来てみたのだが、なんていう事は無く入れた。大勢の観光客がいるとはいえ、まだまだ観光シーズンではないらしい。<br /><br /><Residenzschlossレジデンツシュロス王宮><br />13:15~14:40  入場料Euro20<br /><br />①Historisches &Neues Grünes Gewoelbe新旧・緑の丸天井<br /><br />”緑の丸天井”は選帝侯アウグストにより1560年頃に造られ、かつてヴェッティニッシュ・ザクセン選帝侯及び王の宝物室でした。約2000平方メートルの面積に宝石や金細工の傑作が展示してあり、好みもあるがAlte Meisterアルテ・マイスターの絵画と共に、観光客の注目度が高いようだ。<br />2006年にリニューアル・オープンしたので、前回の旅では見ていないので、この旅では大いに楽しみにしていた。<br />写真が撮れなかったのは残念だが、つい溜息が出る豪華な金銀、象牙、ダイヤ・ルビー・エメラルドなどの宝石類、インドデリーの王宮、ムアール人、金製のカフェーセットなど美術工芸品、その期待は十分に満たされた。<br /><br />②Rüstkammer武器博物館<br />Türkische Cammerトルコの武具展示室はオスマントルコのものすごい武具、天幕、武具などが展示されている。<br /><br />写真はカトリック旧宮廷教会、王宮、ツヴィンガー宮殿方面

    ドレスデンで最も期待の博物館は、レジデンツシュロス王宮の新旧・緑の丸天井と称する宝物館である。1時間に100人ずつの入場規制を行っているとか、入場チケットにはあらかじめ時間予約が必要などとHPに書かれていたので、駄目もとで来てみたのだが、なんていう事は無く入れた。大勢の観光客がいるとはいえ、まだまだ観光シーズンではないらしい。

    <Residenzschlossレジデンツシュロス王宮>
    13:15~14:40  入場料Euro20

    ①Historisches &Neues Grünes Gewoelbe新旧・緑の丸天井

    ”緑の丸天井”は選帝侯アウグストにより1560年頃に造られ、かつてヴェッティニッシュ・ザクセン選帝侯及び王の宝物室でした。約2000平方メートルの面積に宝石や金細工の傑作が展示してあり、好みもあるがAlte Meisterアルテ・マイスターの絵画と共に、観光客の注目度が高いようだ。
    2006年にリニューアル・オープンしたので、前回の旅では見ていないので、この旅では大いに楽しみにしていた。
    写真が撮れなかったのは残念だが、つい溜息が出る豪華な金銀、象牙、ダイヤ・ルビー・エメラルドなどの宝石類、インドデリーの王宮、ムアール人、金製のカフェーセットなど美術工芸品、その期待は十分に満たされた。

    ②Rüstkammer武器博物館
    Türkische Cammerトルコの武具展示室はオスマントルコのものすごい武具、天幕、武具などが展示されている。

    写真はカトリック旧宮廷教会、王宮、ツヴィンガー宮殿方面

    ドレスデン城 (レジデンツ宮殿) 城・宮殿

  • 博物館の外に出てみると、又青空が広がっている。<br />近くにツヴィンガー宮殿が見えた。Kempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテル(かつてのTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿)前で、写真を一枚。<br />そう言えば中に入って、この美しいホテルを見るのを忘れた。<br /><br /><Taschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿><br />D- 01067 Dresden 、Taschenberg 3 <br /><br />7年のもの間、アウグスト強王の寵愛を一人占めしたと云われている、コーゼル伯爵夫人の宮殿である。<br />1705 ~1708年にかけて、アウグスト強王は彼女の為に新たにTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿を建造し、これを与えた。王のレジデンツシュロス王宮と新宮殿は2階につけられた空中回廊によって結ばれていたと云う。<br />ドレスデン・バロック様式の宮殿であったが、1945年、大空襲を受けて罹災している。<br /><br />1995年3月、新たにバロック様式のホテルとして再建された。<br />現在、ツヴィンガー宮殿前にある、ドレスデンの最高級ホテルであり、総数215室(内32のスイート)の5星のホテルで知られるKempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテルである。<br /><br />写真はケンピンスキーホテル・Taschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿

    博物館の外に出てみると、又青空が広がっている。
    近くにツヴィンガー宮殿が見えた。Kempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテル(かつてのTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿)前で、写真を一枚。
    そう言えば中に入って、この美しいホテルを見るのを忘れた。

    <Taschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿>
    D- 01067 Dresden 、Taschenberg 3 

    7年のもの間、アウグスト強王の寵愛を一人占めしたと云われている、コーゼル伯爵夫人の宮殿である。
    1705 ~1708年にかけて、アウグスト強王は彼女の為に新たにTaschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿を建造し、これを与えた。王のレジデンツシュロス王宮と新宮殿は2階につけられた空中回廊によって結ばれていたと云う。
    ドレスデン・バロック様式の宮殿であったが、1945年、大空襲を受けて罹災している。

    1995年3月、新たにバロック様式のホテルとして再建された。
    現在、ツヴィンガー宮殿前にある、ドレスデンの最高級ホテルであり、総数215室(内32のスイート)の5星のホテルで知られるKempinski Hotel Taschenbergpalaisケンピンスキーホテルである。

    写真はケンピンスキーホテル・Taschenbergpalaisタッシェンベルク宮殿

    ホテル タッシェンベルクパレス ケンピンスキー ホテル

  • 写真は新市街から望むドレスデンの旧市街・・・中央に聖母教会

    イチオシ

    写真は新市街から望むドレスデンの旧市街・・・中央に聖母教会

  • <Semperoperゼンパーオペラ劇場(ザクセン州立歌劇場)><br />この建物は新古典主義建築の代表作として知られ、エルベ川に面してひときわ目立つ。建設者の名をとったオペラ劇場はウエバー(魔弾の射手の作曲者)が初代、ワーグナーが二代目の音楽監督として指揮を執った。<br />ワーグナー作曲の“さまよえるオランダ人”“タンホイザー”はこの劇場で初演されている。<br />劇場前には劇場建設を命じたザクセン王ヨハンの騎馬像が立っている。<br /><br />写真はゼンパ―オペラとザクセン王ヨハンの像

    <Semperoperゼンパーオペラ劇場(ザクセン州立歌劇場)>
    この建物は新古典主義建築の代表作として知られ、エルベ川に面してひときわ目立つ。建設者の名をとったオペラ劇場はウエバー(魔弾の射手の作曲者)が初代、ワーグナーが二代目の音楽監督として指揮を執った。
    ワーグナー作曲の“さまよえるオランダ人”“タンホイザー”はこの劇場で初演されている。
    劇場前には劇場建設を命じたザクセン王ヨハンの騎馬像が立っている。

    写真はゼンパ―オペラとザクセン王ヨハンの像

    ゼンパーオーパー (ザクセン州立歌劇場) 劇場・ホール・ショー

  • <ツヴィンガー宮殿><br />2001年の旅で見ている。<br />今回は5月22日にドレスデンの新市街を見てから、再訪した。<br />1709年~32年、ザクセン王国の隆盛を体現した選帝侯Friedrich August1世(子供200~360人?を生ませた事から“アウグスト強王Der Starke”と呼ばれ、ドイツ人に大変人気の高い王)によって建設された宮殿である。この後期バロック様式の離宮に名前の由来となった、高い楼閣・Zwingerの塔が立ち、広い中庭、四方に噴水、内部には陶磁器コレクション、ギャラリー、武器博物館などがある。<br /><br />写真はツヴィンガー宮殿

    <ツヴィンガー宮殿>
    2001年の旅で見ている。
    今回は5月22日にドレスデンの新市街を見てから、再訪した。
    1709年~32年、ザクセン王国の隆盛を体現した選帝侯Friedrich August1世(子供200~360人?を生ませた事から“アウグスト強王Der Starke”と呼ばれ、ドイツ人に大変人気の高い王)によって建設された宮殿である。この後期バロック様式の離宮に名前の由来となった、高い楼閣・Zwingerの塔が立ち、広い中庭、四方に噴水、内部には陶磁器コレクション、ギャラリー、武器博物館などがある。

    写真はツヴィンガー宮殿

  • 写真はツヴィンガー宮殿・・・Alte Meisterアルテ・マイスターというギャラリーには15~19世紀の名だたる古典絵画巨匠の作品がある。<br /><br />(以下省略)

    写真はツヴィンガー宮殿・・・Alte Meisterアルテ・マイスターというギャラリーには15~19世紀の名だたる古典絵画巨匠の作品がある。

    (以下省略)

    ツヴィンガー宮殿 城・宮殿

    ドレスデン:ツヴィンガー宮殿見学はアルテ・マイスターというギャラリーに絞った。 by jijidarumaさん
  • ケンピンスキーホテルの横をWilsdrufferヴィルストルーファー 通りに出て、左折し、Altmarkt-Galerieショッピングセンターに向かい、大きなアーケードの中をうろうろと、ウインドーショッピングをした。<br /><br />アーケードの先にAltmarkt(青空市場)がある。<br />Altmarktアルトマルクトは聖母教会前のNeumarktノイマルクトと対をなす広場で、こちらは青空市場や軽食・ビールの屋台や小さな子供用遊園地などがあって、大勢の人たちが飲んだり食べたりと楽しげだ。<br /><br />目に付くのはいつもながら手芸品だ。おばあさんが売っていたのだが、小袋を10袋X3.5、テーブルセンター(90x40cm)一枚Euro18合計Euro53を購入した。<br />いずれも好みの刺繍がされたもので、お土産品には手頃のもの。おばあさんはEuro50にまけてくれた。<br /><br />この後、Kreuzkirche聖十字架教会を見学して、今日の観光を終えた。<br /><br /><Kreuzkirche聖十字架教会><br />15:30~15:45<br />13世紀のニコライ教会が前身で、その後、後期バロック、初期古典主義が加味された様式で、現在のものは1764~1814年に建てられた。54mの展望テラスがあるがあるが、256段を登る元気は無い。聖十字架教会少年合唱団が知られている。<br /><br />駐車場に戻ると、ドイツ人中年夫婦の車が一台、空きを探していた。声をかけて「これから出る。」ついでに「駐車券を購入しているか?」と聞くと、「まだこれからだ。」と言う。「それなら私の駐車券をあげよう。」と伝えた。<br />余分に入れたコインの為に、まだ翌日の朝8時まで、彼らは駐車ができるので大喜びしていた。<br /><br />写真はアルトマルクト広場と聖十字架教会

    ケンピンスキーホテルの横をWilsdrufferヴィルストルーファー 通りに出て、左折し、Altmarkt-Galerieショッピングセンターに向かい、大きなアーケードの中をうろうろと、ウインドーショッピングをした。

    アーケードの先にAltmarkt(青空市場)がある。
    Altmarktアルトマルクトは聖母教会前のNeumarktノイマルクトと対をなす広場で、こちらは青空市場や軽食・ビールの屋台や小さな子供用遊園地などがあって、大勢の人たちが飲んだり食べたりと楽しげだ。

    目に付くのはいつもながら手芸品だ。おばあさんが売っていたのだが、小袋を10袋X3.5、テーブルセンター(90x40cm)一枚Euro18合計Euro53を購入した。
    いずれも好みの刺繍がされたもので、お土産品には手頃のもの。おばあさんはEuro50にまけてくれた。

    この後、Kreuzkirche聖十字架教会を見学して、今日の観光を終えた。

    <Kreuzkirche聖十字架教会>
    15:30~15:45
    13世紀のニコライ教会が前身で、その後、後期バロック、初期古典主義が加味された様式で、現在のものは1764~1814年に建てられた。54mの展望テラスがあるがあるが、256段を登る元気は無い。聖十字架教会少年合唱団が知られている。

    駐車場に戻ると、ドイツ人中年夫婦の車が一台、空きを探していた。声をかけて「これから出る。」ついでに「駐車券を購入しているか?」と聞くと、「まだこれからだ。」と言う。「それなら私の駐車券をあげよう。」と伝えた。
    余分に入れたコインの為に、まだ翌日の朝8時まで、彼らは駐車ができるので大喜びしていた。

    写真はアルトマルクト広場と聖十字架教会

    アルトマルクト広場 広場・公園

  • 5月23日(月);快晴、26℃、59km<br />起床7:00、朝食8:30~9:10、Schloss Eckberg  9:45スタート =>B6  24km Stolpenシュトルペン 10:15着 ;城内観光~11:45 =>L? (ザクセンワイン街道) 19km  “ザクセンのスイス”Basteiバスタイ12:30着 ;バスタイ観光・Berghotel のパノラマレストランで昼食(13:10~14:00)~14:30 =>L? 16km Pirna・Romantik Hotel Deutsches Haus 15:30着 ;休憩後、ホテル内・市内観光16:15~17:45。 <br />夕食;Deutsches Haus 19:15~21:15。 ⑪Pirnaピルナに<1泊>。<br /><br />*起床7:00。ドレスデンを9:45にスタートした。<br />今日は“ザクセンのスイス”を目指す。<br />B6はドイツの少数民族ソルブ人の町Bautzenバウツェンに向かう国道だが、Rossendorfロッセンドルフ辺りで道を外れ、L?を行く。 24kmの距離でStolpenシュトルペンに着いた(10:15)。<br /><br />この日は元々、ドレスデンからピルナというザクセンのスイスの入口に行く行程を考えていたのだが、その前に少し寄り道したのだ。<br />ドレスデンから真東に行くと、シュトルペンという町があり、ここにBurg Stolpenシュトルペン城という中世の雰囲気に満ちた古城(要塞)が立っている。<br /><br />この城には、ザクセンのアウグスト強王の愛妾コーゼル伯爵夫人がその死までの49年間、幽囚されていたことで知られている。(「Schiksalsjahre einer Mätresse愛妾の運命の年月」・・・この話は「ドイツあれこれ」で書いた)<br /><br />写真はFestung(Burg)Stolpenシュトルペン要塞の絵葉書

    5月23日(月);快晴、26℃、59km
    起床7:00、朝食8:30~9:10、Schloss Eckberg 9:45スタート =>B6 24km Stolpenシュトルペン 10:15着 ;城内観光~11:45 =>L? (ザクセンワイン街道) 19km “ザクセンのスイス”Basteiバスタイ12:30着 ;バスタイ観光・Berghotel のパノラマレストランで昼食(13:10~14:00)~14:30 =>L? 16km Pirna・Romantik Hotel Deutsches Haus 15:30着 ;休憩後、ホテル内・市内観光16:15~17:45。 
    夕食;Deutsches Haus 19:15~21:15。 ⑪Pirnaピルナに<1泊>。

    *起床7:00。ドレスデンを9:45にスタートした。
    今日は“ザクセンのスイス”を目指す。
    B6はドイツの少数民族ソルブ人の町Bautzenバウツェンに向かう国道だが、Rossendorfロッセンドルフ辺りで道を外れ、L?を行く。 24kmの距離でStolpenシュトルペンに着いた(10:15)。

    この日は元々、ドレスデンからピルナというザクセンのスイスの入口に行く行程を考えていたのだが、その前に少し寄り道したのだ。
    ドレスデンから真東に行くと、シュトルペンという町があり、ここにBurg Stolpenシュトルペン城という中世の雰囲気に満ちた古城(要塞)が立っている。

    この城には、ザクセンのアウグスト強王の愛妾コーゼル伯爵夫人がその死までの49年間、幽囚されていたことで知られている。(「Schiksalsjahre einer Mätresse愛妾の運命の年月」・・・この話は「ドイツあれこれ」で書いた)

    写真はFestung(Burg)Stolpenシュトルペン要塞の絵葉書

    シュトルペン城 城・宮殿

  • さて、ちょっと思い入れもあったシュトルペン城を菜の花畑の先に遠望してから、L?を下り、ザクセンワイン街道というか、“ザクセンのスイス”に向かう。途中の道から遠く見たバスタイは逆光の中、霞んで見える。<br />19kmでBasteiバスタイの駐車場に着いた(12:30・Euro3)。<br /><br />写真はDie Elbe エルベ川流域図B(Basteiバスタイ)

    さて、ちょっと思い入れもあったシュトルペン城を菜の花畑の先に遠望してから、L?を下り、ザクセンワイン街道というか、“ザクセンのスイス”に向かう。途中の道から遠く見たバスタイは逆光の中、霞んで見える。
    19kmでBasteiバスタイの駐車場に着いた(12:30・Euro3)。

    写真はDie Elbe エルベ川流域図B(Basteiバスタイ)

  • 【ザクセン・スイス地方観光】<br />(Nationalpark Sächsische Schweizザクセン・スイス国立公園)<br /><br />Elbsandstein-Gebirgeエルベ砂岩山地であるザクセン・スイス国立公園には息を呑むほどの奇妙な形の岩がそびえ立つ峡谷が続いている。<br />巨石群バスタイとバスタイ橋、Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)、Festung Koenigsteinケーニヒシュタイン大要塞などが代表的なものだ。<br />   <br /><Basteiバスタイ><br />12:30~~14:30<br /><br />駐車場から、御者の掛け声に誘われて、つい乗ってしまったのは乗合馬車(Euro3)、10人ほどの乗客がいっぱいに乗るまで待っていた御者は、大声でパノラマを連呼する。<br />森の道をBerghotelベルクホテルまでの短い距離を乗っただけで、バスタイのパノラマを見ながら走るわけではなかった。小父さんが幻想を売っていたのだ。<br /><br />写真はSächsische  Schweiz:Basteiバスタイ_1900年頃

    【ザクセン・スイス地方観光】
    (Nationalpark Sächsische Schweizザクセン・スイス国立公園)

    Elbsandstein-Gebirgeエルベ砂岩山地であるザクセン・スイス国立公園には息を呑むほどの奇妙な形の岩がそびえ立つ峡谷が続いている。
    巨石群バスタイとバスタイ橋、Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)、Festung Koenigsteinケーニヒシュタイン大要塞などが代表的なものだ。

    <Basteiバスタイ>
    12:30~~14:30

    駐車場から、御者の掛け声に誘われて、つい乗ってしまったのは乗合馬車(Euro3)、10人ほどの乗客がいっぱいに乗るまで待っていた御者は、大声でパノラマを連呼する。
    森の道をBerghotelベルクホテルまでの短い距離を乗っただけで、バスタイのパノラマを見ながら走るわけではなかった。小父さんが幻想を売っていたのだ。

    写真はSächsische Schweiz:Basteiバスタイ_1900年頃

  • とはいえ、巨石群バスタイの景観とエルベ川を下に臨む光景はやはり美しい。<br />ともかくにも私共にとっては写真で見たバスタイではなく、実感としてのバスタイがそこにあった。<br /><br />写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観

    とはいえ、巨石群バスタイの景観とエルベ川を下に臨む光景はやはり美しい。
    ともかくにも私共にとっては写真で見たバスタイではなく、実感としてのバスタイがそこにあった。

    写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観

    ザクセンのスイス 散歩・街歩き

  • バスタイ地方は19世紀以来、ハイカーや登山家に人気があった所で、奇妙な形の岩がそそり立つ景観を楽しんだそうである。<br /><br />写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

    バスタイ地方は19世紀以来、ハイカーや登山家に人気があった所で、奇妙な形の岩がそそり立つ景観を楽しんだそうである。

    写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

  • 現在、エルベ川の渓谷から見えるエルベ砂岩山地の眺めは世界的にも知られて、毎年の観光客も多い。<br /><br />写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観

    イチオシ

    現在、エルベ川の渓谷から見えるエルベ砂岩山地の眺めは世界的にも知られて、毎年の観光客も多い。

    写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観

  • 写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

    写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

  • エルベ川クルーズも、バスタイ橋も観光客に大変人気が高いが、突き出た展望台からバスタイの奇観を見たら、お尻がむずむずして、もう十分の気分になった。<br /><br />写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観を見る展望台

    エルベ川クルーズも、バスタイ橋も観光客に大変人気が高いが、突き出た展望台からバスタイの奇観を見たら、お尻がむずむずして、もう十分の気分になった。

    写真はバスタイ:巨石群バスタイの景観を見る展望台

  • 写真はバスタイ:バスタイの景観を見る展望台

    写真はバスタイ:バスタイの景観を見る展望台

  • 写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

    写真はバスタイ:エルベ川を下に臨む光景

  • Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)はFestung Königstein ケーニヒシュタイン大要塞の対岸にある。<br />Königstein ケーニヒシュタインは高い台地、崖上そびえる13世紀に造られた城砦であり、大要塞として知られている。大要塞からのザクセン・スイス地方とボヘミア中央山塊の眺めは一段と素晴しいものがある。<br /><br />写真はバスタイ:Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)の遠望

    Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)はFestung Königstein ケーニヒシュタイン大要塞の対岸にある。
    Königstein ケーニヒシュタインは高い台地、崖上そびえる13世紀に造られた城砦であり、大要塞として知られている。大要塞からのザクセン・スイス地方とボヘミア中央山塊の眺めは一段と素晴しいものがある。

    写真はバスタイ:Liliensteinリリエンシュタイン(百合の岩)の遠望

    ケーニヒシュタイン城塞 城・宮殿

    ドレスデンの守り・Festung K&#246;nigstein フェストゥンク・ケーニッヒシュタイン大要塞 by jijidarumaさん
  • バスタイから、16km先にあるPirnaピルナの町に向かった。今夜はここのRomantik Hotel Deutsches Hausロマンチックホテル ドイチェッスハウスに宿泊する。<br />この町の高台にもゾンネンシュタイン城(要塞)が堂々たる姿で立っていた。<br /><br />参考;Schloss Sonnensteinゾンネンシュタイン城(要塞)<br />D-01796 Pirna、 Schlosshof 2-4 <br />ピルナの旧市街の高台に築城されたゾンネンシュタイン城は現在も部分的に要塞の形を残す城である。<br />1269年、Stolpenシュトルペンからチェコのプラハの道、ケーニヒシュタイン大要塞からマイセンへの道の防御のために築城された。後に要塞に改造された。<br />現在は改装され、行政の事務所などに利用されている。<br />この町には「ピルナ包囲戦」で知られている。<br /><br /><Belagerung bei Pirnaピルナ包囲戦><br />Siebenjähriger Krieg七年戦争(1756~1763年)はプロイセン王国及びそれを支援するイギリスと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン・ザクセン選帝侯国との間で行われた戦争である。<br />オーストリア継承戦争の結果、ハプスブルク領であったシュレージエンはプロイセンへ帰属した。シュレージエンの奪回を意図したオーストリア女帝マリア・テレジアはフランスとの長年の対立関係を解消してフランス、ロシアのエカテリーナ女帝と結び、プロイセンへの復讐戦を画策した。<br /><br />フリードリヒ大王は農業生産力の高いザクセンの兵站基地化を狙い、1756年8月29日、開戦と同時に先制攻撃をかけた。9月9日にドレスデンは開城され、ザクセン選帝侯(兼ポーランド王)アウグスト3世の宮廷は亡命、ザクセン軍はピルナに後退しプロイセン軍の包囲を受けた。<br />当時のザクセン軍はせいぜい2万程度の兵力しかなく、3倍の兵力を持ったプロイセン軍の侵入を知ると、抵抗せずに全軍で要害の地であるピルナの陣地へ後退した。<br />オーストリア軍が救出を試みたが、プロイセン軍が勝利してザクセン軍は降伏した。これをピルナ攻囲戦と呼ぶ。<br /><br />写真はPirnaピルナ:Festung(Schloss) Sonnensteinゾンネンシュタイン要塞<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />以上、きりの良い写真50枚となった。<br /><br />

    バスタイから、16km先にあるPirnaピルナの町に向かった。今夜はここのRomantik Hotel Deutsches Hausロマンチックホテル ドイチェッスハウスに宿泊する。
    この町の高台にもゾンネンシュタイン城(要塞)が堂々たる姿で立っていた。

    参考;Schloss Sonnensteinゾンネンシュタイン城(要塞)
    D-01796 Pirna、 Schlosshof 2-4
    ピルナの旧市街の高台に築城されたゾンネンシュタイン城は現在も部分的に要塞の形を残す城である。
    1269年、Stolpenシュトルペンからチェコのプラハの道、ケーニヒシュタイン大要塞からマイセンへの道の防御のために築城された。後に要塞に改造された。
    現在は改装され、行政の事務所などに利用されている。
    この町には「ピルナ包囲戦」で知られている。

    <Belagerung bei Pirnaピルナ包囲戦>
    Siebenjähriger Krieg七年戦争(1756~1763年)はプロイセン王国及びそれを支援するイギリスと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン・ザクセン選帝侯国との間で行われた戦争である。
    オーストリア継承戦争の結果、ハプスブルク領であったシュレージエンはプロイセンへ帰属した。シュレージエンの奪回を意図したオーストリア女帝マリア・テレジアはフランスとの長年の対立関係を解消してフランス、ロシアのエカテリーナ女帝と結び、プロイセンへの復讐戦を画策した。

    フリードリヒ大王は農業生産力の高いザクセンの兵站基地化を狙い、1756年8月29日、開戦と同時に先制攻撃をかけた。9月9日にドレスデンは開城され、ザクセン選帝侯(兼ポーランド王)アウグスト3世の宮廷は亡命、ザクセン軍はピルナに後退しプロイセン軍の包囲を受けた。
    当時のザクセン軍はせいぜい2万程度の兵力しかなく、3倍の兵力を持ったプロイセン軍の侵入を知ると、抵抗せずに全軍で要害の地であるピルナの陣地へ後退した。
    オーストリア軍が救出を試みたが、プロイセン軍が勝利してザクセン軍は降伏した。これをピルナ攻囲戦と呼ぶ。

    写真はPirnaピルナ:Festung(Schloss) Sonnensteinゾンネンシュタイン要塞

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    以上、きりの良い写真50枚となった。

    観光案内所 (ピルナ) 散歩・街歩き

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