アイゼナハでルターもラテン語を学び、ヴァルトブルク城内でギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した。
- 4.0
- 旅行時期:2001/05(約25年前)
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by jijidarumaさん(男性)
アイゼナッハ クチコミ:5件
【アイゼナハではルターもラテン語を学び、ヴァルトブルク城内でギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した】
<2001年5月5日(土) 曇り後雨、肌寒し 59km>
Friedewaldフリーデヴァルト 8:55出発。=>A4・B7 33km Eisenachアイゼナハ:市内観光 ;Wartburgヴァルトブルク城、ニコライの塔、マルクト広場、バッハハウス、ルターハウス、ゲオルク教会 =>Hotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリード 17:30着。
テューリンゲンの森の北西部にあたる、緑濃い山間によくぞ建てたものといった印象のWartburgヴァルトブルク城(世界遺産・1999年登録)がある。
1800年になって、ドイツの歴史・文化を良く体現しているこのヴァルトブルグ城をドイツ民族の文化と精神活動の記念碑とするべく、再建された。
それはドイツの宗教改革者、神学者、教授、聖職者、作曲家であったMartin Lutherマルティン・ルター(1483年~1546年)がヴァルトブルグ城のLutherstubeルターシュトゥーベ(ルターの小部屋)でギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した歴史的功績によると云える。
ルターの生地・没地であるLutherstadt Eislebenアイスレーベンや、彼が長年神学教授を務め、「95ヶ条の論題」を発表して宗教改革の口火を切ったLutherstadt Wittenberg ヴィッテンベルクの町には、いまでもルターの遺構が数多く存在し、アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群として、1996年に世界遺産に、2015年には著述作品などが記憶遺産に登録されている。
ヴァルトブルグ城のルターシュトゥーベ(ルターの小部屋)は質素な、木張りの部屋であった。帝国追放例を受けていたルターがザクセン侯の守護の下で、この部屋で誰にも分かるように易しい言葉で、ギリシャ語の新約聖書をドイツ語に翻訳した。1521~22年の凡そ10ヶ月の短い間に翻訳したそうだ。
尚、旧約聖書はこの後、Coburgコーブルク城(要塞)でドイツ語訳を完成した。
宗教改革者ルターは聖書を万人のものとした。
つまり、歴史的なことを成し遂げたわけだ。
アイゼナハはマルクト広場を中心に市庁舎、ゲオルク教会、ルターの家、ニコライの塔などがある。
ルターが説教をしたゲオルク教会、その先に中世の木組みの建築の姿でルターハウスがある。少年の日に3年ほどここに下宿し、ラテン語の勉強に通ったそうだ。
(ルターハウスの入館料もDM10(x@57円=570円)
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- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.5
クチコミ投稿日:2024/02/26
いいね!:4票
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