2001/05/03 - 2001/05/05
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【ドイツ16年ぶりの再訪】
*ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る*
(2001年5月3日~5月14日:12日間)
1989年ベルリンの壁が崩壊し、あっという間に東西ドイツの統一がなされたのが翌年のことである。
私共が駐在していた、1970、80年代のドイツは、冷戦下・東西が分裂していた為、旧東独地域への旅行は難しかった。その頃、“陸の孤島”であったベルリン(西・東のベルリンに分離統治されていた)に出張と家族旅行で2度旅行しただけであった。
しかも東ドイツの中に孤立していた西ベルリンに向うのも飛行機やアウトバーンは在ったものの、国境での警戒も厳しく、旅は気分の良いものではなかったので、東ベルリン以外に東側の町に旅したことがない。
二度目のドイツ駐在から帰国した1985年から、今年は16年になる。
今回の旅は当時、行ってみたかった“エルベ川のフィレンツェと呼ばれ、あるいは百塔の都と世に称されるドレスデン”や、ヨーロッパ、いや世界に冠たる“高級磁器の町・古都マイセン”を訪れるのが第一であり、
そして所謂、ゲーテ街道沿いの町々、中世の山城ヴァルトブルク(世界遺産・1999年登録)のあるアイゼナハ、大聖堂のあるエアフルト、ドイツ古典文化の代表である“文豪ゲーテ・シラーの町・ワイマール(世界遺産・1998年登録)”を訪ねることである。
更には駐在時に家族で訪れたことのある、ネッカー川流域に点在する数々の城砦、宮殿、館を再び見て歩く、古城街道を巡る旅である。
Hessenヘッセン州・フランクフルトを東に向かってスタートし、Thueringenテューリンゲン州、Freistaat Sachsenザクセン州を通り、Freistaat Bayernバイエルン州に南下し、
そしてBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州の先端を西に横切り、ヘッセン州・フランクフルトに戻る周遊であり、そして、Fuldaフルダ川、Ilmイルム川、Saaleザーレ川、Elbeエルベ川、Neckarネッカー川、Mainマイン川の河川に沿って走る旅でもある。
総走行距離予定: 1,800 km
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Schlosshotel古城ホテル "Prinz von Hessenプリンツ・フォン・ヘッセン(ヘッセンの王子) " のシュパーゲル(白アスパラ))料理を久しぶりに楽しむ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
≪Goethestrasseゲーテ街道≫
ドイツには観光用にエリカ街道(シュターデ或いはプレーンより、リューベック経由ハノーファーまで)、ゲーテ街道(フランクフルト--->ライプツィヒ)、古城街道(マンハイム--->プラハ)、ロマンチック街道(ヴュルツブルク--->ホーエンシュヴァンガウ)、ファンタスティック街道(メーアブルク--->バーデンバーデン)、アルペン街道(リンダウ--->ベルヒステスガーデン)、メルヘン街道(ハーナウ--->ブレーメン)の7街道が有名である。
写真は2001.05.03.Goethe-Strasseゲーテ街道・イメージ -
いずれも、田舎道を走り、名所・旧跡のある小さな町々をつなぐ素晴らしい街道で、ドイツらしい、楽しく、魅力的な旅が出来る。
これらの街道は“Deutsche Fachwerk Strasse:ドイツ木組み建築の家街道”とも、重なり合っていて、様々な木組みの家を楽しめる旅でもある。
明日からゲーテ街道を走る。“ドイツ人の心の故郷”と旅行会社の宣伝文句にある、この街道はFrankfurtフランクフルトから東に走り、Hanauハーナウ、宗教都市Fuldaフルダを通り、EisenachアイゼナハやErfurtエアフルトといった“ドイツの緑の心臓”と呼ばれる、深い森が続く森林地帯Thueringenテューリンゲン地方を過ぎ、かつてのワイマール公国の古都Weimarワイマールに至る。
更に東に足を伸ばすとJenaイエナ、その近郊にあるDornburgドルンブルクの古城群、そして最終地Leipzigライプツィヒまで400kmの街道である。
詩人であり、作家として高名であったJohann Wolfgang Von Goetheヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)はワイマール公国の外交・財政を管掌する大臣であり、自然科学者、画家でもある、多才な人間であった。文豪ゲーテはフランクフルトの裕福な家庭に育ち、18世紀の西欧における市民階級の興隆期にその才能を開花させた。自ら旅人と称し、彼が訪れた町々はドイツのみならず、フランス・アルザスのStrasbourgシュトラースブルク、イタリアのナポリ・シチリア・ローマなどに及ぶが、特にこのゲーテ街道はゲーテの足跡が見られる町々が続く。これから私共が訪れる町々はそのゲーテ抜きには語ることができない。そしてルター、バッハ、メンデルスゾーン、リスト、シラーといった宗教改革者、音楽家、文人たちも同様にこの街道を行き来し、町々にその足跡を印した。
写真はゲーテ街道Map -
使用レンタカーはVolvo S80 2400CC Diesel Automatic
初めて乗ることになったボルボ車は大きく、がっちりとした車である。
ハーツのフルサイズ・クラス(メルセデス・ベンツのC-180クラス)オートマチックを希望したが、空港等でめぐり合う車は様々で、この日、幸いなことに希望車よりも格上の車を提供された。
写真はゲーテ街道・古城街道:使用レンタカーはVolvo S80‐2400cc ・・・バイロイトの近郊にある古城ホテルHotel Jagtschloss Thiergarten狩猟の館ティアーガルテン 、ネッカー川にある古城ホテルSchloss Hirschhorn ヒルシュホルン城 -
<2001年5月3日(木)成田は雨・ドイツは晴れ、 0km>
成田 ANA・NH209 LV 13:30 50AB => Frankfurt Airport AR 18:30 =>空港前のHotel Sheratonに宿泊。
(注;ANA・早割りGET21 5/3~31 平日運賃利用)
*雨の中、重いトランクを持って、第二空港に向かう。
長女夫婦が見送りに来てくれて、お餞別まで頂く。恐縮である。
久しぶりのドイツ旅行は気分も高揚して、11時間半の飛行時間は気分的にはあっという間の感じである。機中で免税品の買い物を早々とする。
(エルメスのネクタイ、ジヴァンシーのベルト、スワロスキーのペンダントなど、22,770円)
16年ぶりのドイツはどう変わったのだろうか?!
午後便の出発は楽だが、現地に着くと夕方近いので、それから直ぐには動きづらい。昔の私共であれば、夜でも走ってしまうところだが、さすがに16年ぶりにドイツでレンタカーを使用して走るのには抵抗もあって、今晩は空港前のSheraton Frankfurt Airportシェラトン・フランクフルト空港に宿泊することにした。
シェラトンを除く、古城ホテル等の予約は全て、FAXでやり取りし、時差も関係なく送ってくるFAXで真夜中に起こされるなど、結構出発までバタバタとした経緯があった。
飛行機に乗ってしまうと全てが旅行モードになり、久しぶりのドイツに心が弾む。
この旅で『ドイツ感傷旅行の第一回』がスタートする事となった。
さて、明日からはドイツ語をしゃべるぞ!?
①(1泊)Sheraton Frankfurt Airportシェラトン・フランクフルト空港
D-60549 Frankfurt 、 Flughafen Terminal Mitte
TEL:49(0)69-69770 FAX:-72209
http://www.sheraton.com
5星・全1,080室。
空港に併設された米系ホテル。19,500円 (クーポン券あり)
午後便で成田を出発した為、現地に着いたのは夕方となった。それから直ぐには動きづらい。昔の私共であれば、夜でも走ってしまうところだが、さすがに16年ぶりにドイツでレンタカーを使用して走るのには抵抗もあって、空港前のホテルに宿泊した。
だから、あまり好きでもない米系ホテル、大きな、モダンな部屋もドイツ大好きな私共にはあまり感慨も無い。
写真は2001.05.03.Sheraton Frankfurt Airport①前景フランクフルト国際空港 (FRA) 空港
-
<2001年5月4日(金) 晴れ、 306km>
8:30チェックアウト。ハーツレンタカーにて手続き後(Volvo S80 2400CC Diesel)、フランクフルト 9:10スタート =>誤ってOffenbachオッフェンバッハに入り込む。以後 => A66・B40 102km Fuldaフルダ・人口6万2千人、市内観光:宗教都市の旧市街、大聖堂、聖ミカエル教会、バロックの城、城公園・オランジェリー、旧市庁舎。=>A7・4・B27・83・487 137km Schloss Spangenbergシュパンゲンベルク城 15:55 ;城内見学 =>B487・83・27・A4・B62 67km Friedewaldフリーデヴァルト ・Schlosshotel ”Prinz von Hessen”Schlosshotel古城ホテル プリンツ・フォン・ヘッセン(ヘッセンの王子) " に17:30到着。
*昨夜は旅の最初とあってか、結構疲れたようだ。無理もない、16年ぶりのヨーロッパであり、ドイツの地の再訪であるから。
あまり、時差ぼけも感じないで起床し、アメリカンスタイルの朝食をしてから、チェックアウトの長い列に並ぶ。
ビジネス客、アメリカ人を主体とするお客が並んでいる。ホテル宿泊クーポンを昨日、提示してあり、冷蔵庫の中の飲み物を消費していないので、現金の決済はないのだが、列に並ばざるをえない。
写真はゲーテ街道(後半は古城街道)Map -
ハーツレンタカーにて手続きすると、Volvo S80 2400CC Dieselの鍵を渡された。
空港9:10、初めて乗るボルボ車に緊張したためか?!フランクフルト空港からアウトバーンに入り込む道を誤って、フランクフルト市内方面に行ってしまう。
その先はオッフェンバッハ市内で、散歩中の老人に道を聞いて(そう久しぶりのドイツ語会話だった!)、何とかA66の道に入り込む。
北東のフルダまで100km、あっと言う感じで着いてしまう。
旧市街近くに駐車場を見つけることができて、ほっとして市内観光をスタートした。
【フルダ市内観光】
ヘッセン州の古都、Fuldaフルダはバロック建築が多く見られる宗教都市(司教領主の支配地)である。
“陸の水”と古代ドイツ語の意味を持つ*フルダ川が街に沿って北に流れ、Weserヴェーザー川に注ぎ込む。そのフルダ川のほとりに、744年聖ボニファティウス(英人・ドイツのキリスト教化に努めた事から「ドイツ人の使徒」と呼ばれる。754年オランダで反キリスト教徒により殺害された)がベネディクト派の修道院を建てたことから、この町は発展したという。
(*フルダ川はヘッセン州・レーン山地にあるヴァッサークッペ山に源流がある。メルヘン街道沿いにある、三つの川が合流する町と呼ばれるHann Muendenハン・ミュンデン(ニーダーザクセン州)までを流れる。
ここでフルダ川はWerraヴェラ川と合流し、Weserヴェーザー川となって北海に至る。全長218km。ヘッセン州で最も長い川でもある)
その修道院教会の上にDom大聖堂がバロック様式で建てられた(1704~8年)。
今日の観光の第一はこのバロックの壮大な大聖堂を見ることだ。
ドーム広場に二つの対称となる尖塔を持つどっしりとした、力にあふれた教会がある。
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Fuldaフルダ観光大聖堂 (フルダ) 寺院・教会
-
ドイツのキリスト教徒の心の故郷に相応しい、たたずまいである。
内部に入ると、意外に聖壇(この下に聖ボニファティウスの墓がある)などの造りは質素だ。
南ドイツの絢爛な教会内部と大きく違うのはルター以降のプロテスタントの影響が強い所為なのか?
Domの後方にある聖ミカエル教会(Michaelsbergミカエルベルク)を見て、カスターニアン(マロニエ)の見事な並木道を歩いて、司教領主の居城Stadtschlossシュタットシュロス(18世紀バロック様式の城)に至る。
現在は市政庁がある。
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Fuldaフルダ観光 -
イチオシ
長大な城の北側にはSchlossgartenシュロス公園があり、噴水の先にはオランジェリーが見えて、公園の花々が麗わしの5月を彩り、ドイツの春真っ盛りの景色を楽しむことができた。
城門の前にはこの町を象徴している、聖ボニファティウスの十字架を掲げた銅像が建つ。
旧市街には旧市庁舎をはじめ、様々な木組み建築の建物が見られ、楽しい街だ。
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Fuldaフルダ観光フルダ城 城・宮殿
-
フルダからA7・4・B27・83・487とフルダ川に沿って、北上する。
Stoelzingerシュトルジンガー山岳地方の新緑の山間を走ると、忽然とその城は目に飛び込んできた。
ヘッセン州地方はドイツの中部にあたるが、この地方には12、3世紀の中世を具現する古城が多い。なかでも名高いのは小高い丘の上にそびえるSchloss Spangenbergシュパンゲンベルク城である。
137kmを走って、漸く15:55に城門下の駐車場に車を停める。
写真は2001.05.04.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城のMap -
殆ど人の姿を見ない坂道を三百メートル行くと城門があり、更に進むと王冠をかぶった様な、赤レンガ色の屋根の城があった。
昔は跳ね橋であったろうが、今はしっかりと固定された橋を渡り、城内に入る。
城は十数メートルの深い空堀をめぐらし、城の正面入り口の上部にはいくつかの尖塔を持つ天守閣が築かれていて、重々しい趣むきがある。
周囲をレンガで築かれた城館が取り巻いている。丘の上だけに深さ120mの井戸が掘られたと云う。
写真は2001.05.04.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城 -
イチオシ
城の高台から見える周囲の町の風景は春まだ浅き感じだ。その新緑の中に、赤レンガ屋根の木組み建築の家並みが続いて、際立って美しい。
ドイツの古城の春を実感する。
フランクフルト空港より190kmの距離にあり、シューベルトの“菩提樹”のモチーフとなった菩提樹の残る町、バート・ゾーデン・アレンドルフも車で東に一時間と近い。
<お茶:Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク>
D-34286 Spangenberg 、Zum Schloss 1
TEL:49(0)5663-93980 FAX:5663-7567
http://www.schloss-spangenberg.de
15:55~16:30 DM28(現金)
ホテルは28室の規模だそうだ。
レストランは郷土料理が中心で、秋には鹿や猪などの鳥獣の得意料理を出す。
本日は昼食に予定していたが、遅め遅めの動きになり、お茶の時間になってしまった。昼食時を外れた所為か、殆どお客のいないレストランで、久しぶりのドイツのチーズケーキを頂く。実に美味しい!!
写真は2001.05.04.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城 -
この城の歴史は封建領主の居城として、築城された1214年に遡る。
後にフランクフルトやマインツからライプチッヒまでの交易路が通ることになってから、この城の重要性が増し、1350年にはヘッセン大公の所有となり、歴代大公の狩猟の館として、200年に渡り利用された。
その後、18世紀に城は仏軍に一時期占領され、普仏戦争、第二次大戦でも捕虜収容所に転用された。1945年4月に空爆による大きな被害を受けたが、1950年に再建され、1978年以降ヘッセン州所有のホテル・カフェ・レストランとなった。
写真は2001.05.04.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城 -
【参考:2019年ドイツのメルヘン街道と木組み建築街道の旅、グリム童話の町、古城ホテルのあるシュパンゲンベルクを20年ぶりに再訪した】
<9月30日(月)199km 、朝は晴れ、のち曇り時に小雨、11℃~13℃>
起床7:00、朝食8:30~9:00、Fritzlar/Zueschenフリッツラー・チュッシェンのガルフェンスブルク城を出発10:30=>K3214・111・112 昨日の迂回路を戻り(Merxhausen)13km =>B450 (Fritzlarフリッツラー)11km =>B450・B253・(Melsungen メルズンゲン)・L3227・3224・3425・K15 41 km Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城 12:05~12:40 =>K15 1 km Spangenbergシュパンゲンベルク・旧市街12:45~13:40 。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:空堀にはがっしりとした橋が架かっている。 -
2001年のその日は晴れて、気持ち良い古城の春でした。この日の事は良い印象も残り、20年近く過ぎて又訪ねてみたくなったのだ。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:橋を渡り、城内への通路を行く。城門の入口を振りかえってみた。 -
<Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城>
12:05~12:40
D-34286 Spangenberg 、Zum Schloss 1
4星・全29室、2017年に全面的に改装された。
ヘッセン州シュパンゲンベルクの町の象徴的建造物は1235年に建設されたシュパンゲンベルク城である。その旧武器貯蔵庫には現在、狩と城の博物館が入っている。
今は初秋、小雨で濡れた古城ですが、誰も姿が見えない古城周辺を歩いた。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:城内中庭から天守閣を見る。 -
2017年に全面的に改装された由で、全体がきれいにしっかりした感じを与える。もう来る事もないのだろうと思いながら、がっしりとした橋を渡り、城内に入った。そう広くもない中庭には1台の車が止まっていた。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:城内中庭の右手にホテルがあった。 -
2019年のこの日は月曜日で期待をしていなかったが、レストランは月から金が18時から21時までオープン、土・日は12時から21時が営業するとのことで、残念ながら昼食時に訪れながら、食事の機会は無い。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:古城ホテルの寝室23の様子。 -
中庭で城の様子を見ていたら、レストランのスタッフらしい男女が出てきたので、古城ホテルのパンフレットをお願いする。頂いたパンフレットで満足した。
朝出てきたガルフェンスブルク城のレストランと比べ、パンフレットのレストランは街中のレストランのようなもので、古城の趣むきがない。
周辺の深い空堀を周ると、裏手の堀にも橋が架かり、向かい側に通じている。但し進入は不可になっていた。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:十数メートルの深い堀に囲まれた城郭。 -
古城シュパンゲンベルク城から遠望する周辺はもう秋が深まっている。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:周辺の秋の景観 -
シュパンゲンベルク城 の駐車場を12:40に出て、1 km下のシュパンゲンベルクの旧市街に寄ってみた。
2001年には町を訪れなかったし、小腹が空いたこと、番外編で書いた「村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説」の銅像を見たかった所為もある。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:周辺の秋の景観 -
街に入って直ぐに無料駐車場を見つけた。旧市街もあまり人も通らず、やや寂しい感がある。
<Spangenbergシュパンゲンベルク>
12:45~13:40
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。
カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
写真参考:2019.09.30.Burg Spangenbergシュパンゲンベルク城:周辺の秋の景観 -
この町に残る「村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説」はグリム童話にも掲載されているが、その事からシュパンゲンベルクの町は2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
最近、このようにドイツの町が、歴史上の人物、例えばゲーテなどの名前を冠して、公称(ニックネーム)とする例が多くなった。
マルクト広場の一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。
参考・番外編:ヘッセン州シュパンゲンベルグの村に残るクノーとエルゼの相思相愛の伝説
https://4travel.jp/travelogue/11528725
写真参考:2019.09.30.伝説の残るSpangenbergシュパンゲンベルクの町:「村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説」の銅像 -
シュパンゲンベルクから来た道をたどり、=>B487・83・27、Bad Hersfeldバート・ヘルスフェルトでアウトバーンのA4にのる。12kmでFriedewald フリーデヴァルトのインターである。B62を1km走ると村内(人口2470人)に入る。
すぐに村の中心で、そこには今夜の宿・古城ホテル・Schlosshotel ”Prinz von Hessenヘッセンの王子”があった。ここまで67kmと近い。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:Friedewaldフリーデヴァルトへの道 -
城の駐車場には十台ほどの車が停っている。17:30に到着。
古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子のレセプションに入ると、思っていた以上にモダンな雰囲気の古城ホテルであった。
②(1泊)Schlosshotel "Prinz von Hessen "古城ホテル ヘッセンの王子
D-36289 Friedewald 、Schlossplatz 1
TEL:49(0)6674-92240 FAX:-9224250
http://www.goebels-schlosshotel.de
5星・ 全 90室 。230号室=DM355(2万円)
通された部屋(No.230・35㎡と広い)も新装間もないような明るい、きれいな部屋である。それだけに、値段もこの旅一番の高さだ。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:レセプション -
古城ホテル ヘッセンの王子は水城の一辺に対し、コの字型に建った建物の中心に、1997年初めに建設された。
ホテル・レストランがあり、左右の翼となる建物は左手が博物館で、右手は会議場などの施設に利用されているようだ。左手の建物裏には広い駐車場、乗馬用の厩舎などが見られる。
コの字型の中庭には1605年にできた噴水がいまだに残っている。
水城は四隅に円筒形の櫓・砦(Dicken-Turm太っちょの塔がホテル棟に面し、左手にGefaengnis-Turm牢獄塔、他の二つの塔はNO-Turmと言う、なんと訳すのか分からないが、塔ではないとでも言うのか?!半壊した姿のままだ)をもち、やや長方形の形をした水城は周囲を掘割に囲まれている。その周辺一帯を草原が更に囲んで、2万㎡の敷地はなんとも広大である。
この城の歴史もまた古い。
フリーデヴァルトはちょうど二つの古街道が十字に結ぶ場所であって、
①はFrankfurtフランクフルトとLeipzigライプツィヒを結んだヘッセン州を通過する街道である。
②は北海への窓口、Bremenブレーメンと北部バイエルンの中心地であるNuernbergニュルンベルクを結ぶ交易路である。
1983年、城跡の発掘の際、焼けた層から陶器の破片が出た。その鑑定によると11~12世紀の頃のものだと推測された。この地は10世紀には十数km離れた、Hersfeldヘルスフェルトの僧院の所有地となり、1306年にはヘッセン大公により、帝国封土とされた。1392年にヘッセン大公の狩猟館となった。1476年、水城に改築される。
17世紀の三十年戦争の頃になると所有者が変遷する。
18世紀の7年戦争(プロイセン・英連合 <->オーストリア・仏の連合軍間の戦い)では仏軍の攻撃を受けて、水城は破壊されてしまう。
その後は廃城のまま、中世の古城の姿を留めているだけである。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:城門正面、水城を巡る。Göbels Schlosshotel "Prinz von Hessen" ホテル
-
食事までの時間、古城ホテルの敷地を散策する。
掘割の周囲は緑の草原で、木瓜のような赤い花、白い山桜の花が咲き、紫色のツツジが見事です。
嬉しい事があった。近所の子供連れのご夫婦が私共の為に、水城を背景に写真を撮ってくれた。ドイツ人の親切に触れ、やはり、ドイツは良いと再認識した。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:水城を巡ると木瓜のような赤い花、白い山桜の花が目についた。 -
【夕食:Schlosshotel "Prinz von Hessen " プリンツ・フォン・ヘッセン
Restaurant ”Prinzenstube”(プリンスの間)にて】
19:00~21:00 DM151(8,550円)
念願の“Spargelシュパーゲル(白アスパラ)料理を旅の最初の夕食に選んだ。
太い見事な白いシュパーゲル(アスパラ)数本にオランダ風ソースが十分にかけてあり、大変美味しい。
取立ての新しいジャガイモもドイツならではの美味さだ。
春の旬、白アスパラ(シュパーゲル)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。日本では緑のアスパラが主体で、明治の北海道開拓と共に生産が始まったと云われている。4~6月下旬が食べごろです。Thueringenテューリンゲン州の州都Erfurtエアフルトの北方に大規模な生産地があるので、そこのものか、あるいは古城周辺の村の生産なのか?!
ともかく、16年ぶり、久しぶりのシュパーゲル料理を十分堪能した。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:レストランPrinzenstube(プリンスの間) -
イチオシ
この料理にはドライなシェリー酒が合う。それをアペリティーフに飲む。
ワインも辛口の白、Rauentaler Steinmaecラウエンタ―ラー・シュタインメック(Koblenzコブレンツの一地区。モーゼル川が大きな弧を描くあたりの南・モーゼルワイン)更に私はSommeracher Rosenbergゾンマーラッハ―・ローゼンベルク (Frankenフランケンワイン・Wuerzburgヴュルツブルクを中心としたマイン川流域一帯に生産される。ボックスボイテル;山羊の皮袋型という独特の偏平丸型瓶で知られる。シルヴァーナ種の特徴が良く表れた、酸味のしっかりした、男性的な辛口ワインの産地で有名なフランケンワインはかってドイツ最大の産地でしたが、今は6%のシェアーに留まっているそうだ) の辛口の白を。
新鮮な果実味、柔らかな芳香は好ましい。
いずれも0.2Lのグラスでお願いした。
食後はコーヒーとカプチーノを頂く。
写真は2001.05.04.ゲーテ街道:Schlosshotel古城ホテル "Prinz von Hessenプリンツ・フォン・ヘッセン(ヘッセンの王子) " のシュパーゲル(白アスパラ))料理を久しぶりに楽しむ。 -
<Spargelシュパーゲル料理のこと>
中世の時代にあって、塩は“白い黄金”と呼ばれ、大変貴重なものとして、交易の主要な品となった。ドイツ北部のハンザ自由都市に繋がるSalzstrasseザルツシュトラッセ(塩の道)という交易ルートが町々を結び、塩の生産地であったLueneburgリューネブルクなどは大変隆盛を誇ったと云う。
18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。
その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマと言った時代からの野菜である。中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮Schloss Schwetzingenシュヴェッィンゲン宮殿に於いて、ライン宮中伯兼バイエルン選帝侯だったKarl Theodorカール・テオドール (ハイデルベルグ城内のワインの大樽を作った人)がシュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。
一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。
写真は2001.05.04.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:夜景 -
<2001年5月5日(土)曇り後雨、肌寒し 59km>
Friedewaldフリーデヴァルト 8:55出発。=>A4・B7 33km Eisenachアイゼナハ:市内観光 ;Wartburgヴァルトブルク城、ニコライの塔、マルクト広場、バッハハウス、ルターハウス、ゲオルゲ教会 =>Hotel Garni Burgfriedホテル ガルニ ブルクフリード 17:30着。
*雨模様の肌寒い朝である。朝食はパビリオン風の建物にあるレストランSchlossgartenシュロスガルテンで頂く。
大好きなドイツの新鮮、かつ豊富な朝食に感激しながら・・・。
朝が早いのか?私どもだけのレストランは贅沢なものだ。
日本への葉書をお願いして、チェックアウトする。
8時55分、Eisenachアイゼナハに向かう。今日も見る所が多い一日になりそうだ。
写真は2001.05.05.古城ホテルPrinz von Hessenヘッセンの王子:朝食はレストランSchlossgartenシュロスガルテンで頂く。
ホテル前の紫色のツツジの花、古城ホテルの周辺の景色をベランダから。
(2024年2月3日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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