2001年5月、ドイツの観光街道であるゲーテ街道の中心、ドイツ文化の源流と云われるEisenachアイゼナハを訪れた。
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続きを読むこの町にはWartburgヴァルトブルク城(世界遺産・1999年登録)が山上にたっていて、かつてのヴァルトブルク城の城主テューリンゲン方伯の妃であった「聖女エリザベートの一代記」などの展示を見る事が出来た。
この事があって、口コミとした。
<2001年5月5日(土) 曇り後雨、肌寒し 59km>
【Wartburgヴァルトブルク城(世界遺産・1999年登録)を訪ねた】
http://www.wartburg-eisenach.de
テューリンゲンの森の北西部にあたる、緑濃い山間によくぞ建てたものといった印象の城である。
山上の細長い城郭はその中世以来の姿を良く残していて、聖女エリザベートや吟遊詩人たちの歌合戦の話、ルターが隠れ住んだという城内見学が楽しみである。
Elisabeth-Kemenate聖女エリザベートの間は必見である。
天井や壁がモザイク(ガラス製1902-6)で彩られ、見事な美しさを今に残している。部屋の壁面をぐるりと飾るモザイクは、聖女の一生を描いていると云う。
この階には「Elisabeth-Galerie聖女エリザベートの回廊(ギャラリー)」がある。
6つの大きなフラスコ画が回廊(ギャラリー)を埋めていて、その一代記を表現している。
①4歳の時にヴァルトブルク城に到着した場面、
②バラの奇跡、
③十字軍遠征に参加する夫との別れ、
④夫の戦死後、城を追われるエリザベート、
⑤Marburgマールブルクで死の床に伏す、
⑥死後4年で聖女に列せられたエリザベートを顕彰し、聖体を担ぐセレモニー・列聖式のシーン。
(1236年以後Marburgマールブルクに壮大な聖エリザベート教会が建設される)
【聖エリザベートのバラの奇蹟】
ドイツではじめて福祉事業を行ったとされる、聖女エリザベート信仰には、次のような伝説がある。
『ライ病患者をいたわったエリザベートが患者を自分の婚姻の寝床に寝かせたが、戻ってきた夫ルートヴィヒ四世がこれを邪推して探したところ、寝床には磔にされたキリスト像を見出した。』と云う。
また、『13世紀初頭、テューリンゲン州のヴァルトブルク地方は大飢饉が襲い、村人は大変な食糧不足に陥りました。村人のそんな状況を心配したエリザベートは城で作ったパンや肉をこっそり、村人達に分け与えました。夫のルートヴィヒ四世がこれをたしなめましたが、彼女はパンを与えるのをやめません。
ある時、パンを入れた籠を持った小間使いと一緒に出かけようとして、ルートヴィヒ四世に見つかり、籠の中身を確かめられました。籠の覆いを取ると、そこにはたくさんのバラの花が入っていたのです。』と。
このバラの奇蹟の伝説をモチーフにした聖女エリザベート一代記が、アイゼナハのヴァルトブルク城、マールブルグの聖エリザベート教会、リューベックの聖霊養老院など、各地で見ることができます。
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<2005年5月3日(火) 晴れ 14℃ 191km>
2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
【ドイツ中部にあるマールブルグの聖エリザベート教会を訪ねた】
聖女エリザベートはハンガリーの王女に生まれ、4歳の時にヴァルトブルク城の城主、テューリンゲン方伯のヘルマンの息子だった、当時11歳のルートヴィヒ四世の婚約者として、城にやって来て、14歳で結婚しました。
夫が1227年に十字軍遠征で戦死した為、3人の子供と共に城を追放されてしまいます(1228年)。この為、マールブルグにやってきた、聖女エリザベートはそこで信心深い一生をおくり、貧者救済の為に献身しました。
余りに献身が過ぎた為、24歳で亡くなります。死後、エリザベート信仰が起こり、その墓地への巡礼が始まり、ドイツ各地からの巡礼が行われるようになりました。
4年後の1235年、彼女は“聖女”の称号を受け、マールブルグに聖エリザベート教会の建設が始まります。
2005.5.03.Marburgマールブルグの麓、右手にあるElisabethkirche聖エリザベート教会を最初に訪ねた。(Euro4)
この教会は24歳で亡くなった聖女エリザベートの墓の敷地に1235年から50年をかけて建立された。二つの見事な鐘楼をもつ、初期純粋ゴシック様式の教会で、十字架の形を基本として建てられている。正面入口に“天国への入口“と呼ばれる浮き彫りがあり、聖母マリアとキリストを描いている。
内部に入ると左隅にドイツ最後の将軍ヒンデンブルグ元帥の墓所があり、正面に”バルラッハの十字架のキリスト像“(1918年)、左手に聖女エリザベートの立像(1470年頃)が、茶色のドレス、ブルーのマント、王冠の下は白いスカーフで覆われた、大変優美な服装で立っている。素晴らしく美しい。
内陣には聖女エリザベートの黄金の聖遺骨箱(1240年頃) 、これも見事な細工である。13、4世紀頃のステンドグラスには聖女エリザベートの善行と生涯が描かれていて、文字通り、聖女エリザベート信仰のあふれた教会であった。
特にじっくり見たのは聖女エリザベートの墓所(霊廊)で、上部にキリストがエリザベートに王冠を授ける光景、下部にはエリザベートの死の状景、棺の周囲に聖人たち、乞食、いざり、精神病者などがエリザベートの冥福を祈る図が彫られたもので、大変印象深い。
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投稿日:2024/02/22