ゲーテの住居 Goethes Wohnhaus
建造物
3.34
施設情報
クチコミ(17件)
1~17件(全17件中)
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事前に予習を
- 2.5
- 旅行時期:2023/10(約2年前)
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ゲーテの博物館
- 3.0
- 旅行時期:2023/08(約2年前)
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ゲーテが50年間住んだ家
- 4.5
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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旧市街地の中心的なエリアで南寄りにあります。
- 3.0
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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博物館もあります
- 4.0
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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ワイマールのゲーテ
- 3.5
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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ゲーテの家と博物館
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 1
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文豪といわれるゲーテの住んだ家
- 5.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
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ゲーテが身近になる
- 5.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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ゲートの家
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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ゲーテの家: 文豪が50年近く住んだ、ゲーテの旧邸宅がほぼ原型のままで保存されている
- 5.0
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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ドイツの文化を語る上でゲーテの存在は際立っている。作家としてはもちろん、政治家、科学者、哲学者としても万能の才能を発揮した... 続きを読む。国民劇場から300mほどの場所にあるフラウエンプラン広場に面する場所には、文豪が50年近く住んだ、ゲーテの旧邸宅がほぼ原型のままで保存されており、まるで美術館のようなゲーテ晩年の頃の姿に留められた住居を見学できる。また、“ゲーテの家” の斜向かいにあるホテル兼レストラン “ツム・ヴァイセン・シュヴァン (白鳥亭) ” では、よく文豪がワイングラスを傾けていたという。 「若きヴェルテルの悩み」はともかく、学生の頃にはさっぱり理解できなかった「ファウスト」に多いに共感を覚えるようになってしまったのは年齢のせいだろうか?なお、ゲーテの神格化された最期の言葉「もっと光を (Mehr Licht)」を発して亡くなった寝室もここにあり、撮影もできる。もっとも、この言葉には続きがあり、「もっと光を、格子戸を開けてくれ」であり、決して「全人類にもっと文化の光を」と呟いたものではないようである。 閉じる
投稿日:2013/12/21
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仕事部屋や寝室など、見ごたえあります
- 5.0
- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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ゲーテの家は外からだけ、趣のある街の散策
- 3.5
- 旅行時期:2010/06(約16年前)
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音声ガイドを借りたほうがいいかも
- 3.0
- 旅行時期:2010/02(約16年前)
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ゲーテが息を引き取ったベッドもあり
- 4.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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館です。
- 5.0
- 旅行時期:2009/07(約16年前)
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ワイマールには文豪ゲーテとシラー、二人の家が仲良く残っている。
- 4.5
- 旅行時期:2001/05(約25年前)
- 4
【ワイマールには文豪ゲーテとシラー、二人の家が仲良く残っている】
*ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る... 続きを読む*
( 2001年5月3日~5月14日:12日間 )
この旅で私共の『ドイツ感傷旅行の第一回』がスタートする事となった。
<2001年5月6日(日) 雨 101km>
12:35、Erfurtエアフルトから一路Weimarワイマールを目指して、B7の道を33km走る。ワイマール(世界遺産・1998年登録)に13:00の到着だ。
早速、人口6万人の小都市の市内観光をスタートする。
(13:00~17:00)
市内観光は旧市街の市庁舎、クラナハハウス、Stadtschlossシュタットシュロス城(クラナハなどの美術館)と外観のみを見て、イルム公園の奥まった所に白い壁の小さな、木組みの二階建てであるゲーテ山荘、シュヴァイツアー博士記念碑、シラーハウス、国民劇場と文豪ゲーテ・シラー像、ゲーテハウスなどを順に見て回った。
かつてのワイマール公国の古都Weimarワイマールには文豪ゲーテ・シラーの足跡が残る。
ゲーテと共にシラーはドイツで起こった文学運動の“Sturm und Drangシュトルム・ウント・ドランク;疾風怒涛”(世俗的道徳や因習を否定し、個性と意欲と自然を尊重した文学運動=古典主義文学運動とも呼ばれる)の代表的文人・作家である。
ゲーテの“若きウエルテルの悩み” 1774年作、“ファウスト” 1808年作、シラーの“群盗” 1781年作、“ウイリアム・テル”1804年作などが代表作である。
古都にはゲーテ、シラー、リスト、バッハ、クラナハ、ニーチェ、ヘルダー、フィヒテなどのドイツの文人・芸術家が住み、活躍した事跡がそこかしこに残っている。
ゲーテが時の領主カール・アウグスト公に招かれて、この地に来たのは1775年であり、26歳の青年期から、82歳で亡くなるまで、文人・政治家として、その生涯の大半をここで過ごしたわけだ。
<ゲーテハウス>
ゲーテハウスは1782年から1832年、50年の間、文豪ゲーテ(同時に公国の政治家でもあった)が住んだ家である。
二階は17室もあるという、黄色い壁の家は中に入ると陰鬱な感じであった。
ファウストを執筆した書斎、質素な寝室、蔵書に囲まれた図書室、そして意外な鉱物のコレクション(ゲーテは鉱山監督も職務の一つであった)、馬車などを見ることができた。(入場料DM20)
<シラーハウス>
シラーハウスは文豪シラーの居住した家である。
シラーは10歳年上のゲーテの招きに応じて、Jenaイエナ大学(現シラー大学)で教鞭をとった。
その後、ワイマールに移り、この家には1802年から1805年に亡くなるまで住んでいた。
傑作“ウイリアム・テル”もここで著したと云う。(入場料DM12)
・・・・・ 閉じる投稿日:2024/02/14
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