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赤穂大石神社で義士資料館と義士木像奉安殿をじっくり拝見した後、大石家のあった場所へ。<br />母屋は火事で焼けてしまいましたが長屋門は火災に遭わず。<br />その後建て替えられてはいますが、江戸時代の建築物です。<br />それとお庭が残ってます。<br />そして、そのあと訪れた赤穂市立歴史博物館は見所満載。<br />主なテーマは赤穂の塩と赤穂浪士です。<br />それ以外でも江戸初期にできていた赤穂の水道技術にも驚き!<br />予定時間を大幅にオーバーしてこの歴史博物館を見学しました。<br />そして大手門の前で討ち入り蕎麦のランチを戴いて、赤穂の街をあとにしました。

兵庫県の南側を巡ってみました。20赤穂市内を散策。城内を巡って赤穂市立歴史博物館~討入り蕎麦のランチ。

39いいね!

2023/04/28 - 2023/05/07

52位(同エリア371件中)

nichi

nichiさん

赤穂大石神社で義士資料館と義士木像奉安殿をじっくり拝見した後、大石家のあった場所へ。
母屋は火事で焼けてしまいましたが長屋門は火災に遭わず。
その後建て替えられてはいますが、江戸時代の建築物です。
それとお庭が残ってます。
そして、そのあと訪れた赤穂市立歴史博物館は見所満載。
主なテーマは赤穂の塩と赤穂浪士です。
それ以外でも江戸初期にできていた赤穂の水道技術にも驚き!
予定時間を大幅にオーバーしてこの歴史博物館を見学しました。
そして大手門の前で討ち入り蕎麦のランチを戴いて、赤穂の街をあとにしました。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 大石邸のお庭へ。

    大石邸のお庭へ。

  • 綺麗に手入れされた大石家のお庭です。

    綺麗に手入れされた大石家のお庭です。

  • 浅野家の家老であった大石家3代が住んだ家のお庭だけあって、武家屋敷のお庭ですね。

    浅野家の家老であった大石家3代が住んだ家のお庭だけあって、武家屋敷のお庭ですね。

  • 江戸初期から水道が整備されていた赤穂の街。<br />そのころの遺構も残ってます。

    江戸初期から水道が整備されていた赤穂の街。
    そのころの遺構も残ってます。

  • 大石内蔵助の妻のりくと子供達。

    大石内蔵助の妻のりくと子供達。

  • これ、、、<br /><br />早水藤左衛門(右)と萱野三平(左)の2人が、江戸城松之廊下事件を知らせに江戸から赤穂に走って知らせに来て、大石内蔵助に報告している所ですね。<br />当時、江戸から赤穂まで飛脚で8日かかるところを僅か4日で走破しています。<br /><br />凄い場面だ~!

    これ、、、

    早水藤左衛門(右)と萱野三平(左)の2人が、江戸城松之廊下事件を知らせに江戸から赤穂に走って知らせに来て、大石内蔵助に報告している所ですね。
    当時、江戸から赤穂まで飛脚で8日かかるところを僅か4日で走破しています。

    凄い場面だ~!

  • 浅野家家老の大石内蔵助と共に報告を聴いているのは、長男の大石主税。<br />まだ元服前です。

    浅野家家老の大石内蔵助と共に報告を聴いているのは、長男の大石主税。
    まだ元服前です。

  • 浅野長直の赤穂藩入封以来、家老職を務めた大石家3代の長屋門です。<br />間口は約50m、奥行は約83mという大邸宅でした。<br />1729(享保14)年の火災で建物を消失し、この長屋門だけ残りました。

    浅野長直の赤穂藩入封以来、家老職を務めた大石家3代の長屋門です。
    間口は約50m、奥行は約83mという大邸宅でした。
    1729(享保14)年の火災で建物を消失し、この長屋門だけ残りました。

  • 先ほど表側から見た大石家の長屋門を内側から。

    先ほど表側から見た大石家の長屋門を内側から。

  • 引き続きお庭を散策。

    引き続きお庭を散策。

  • 綺麗ですね~

    綺麗ですね~

  • 池越しに先ほどの長屋門が見えます。

    池越しに先ほどの長屋門が見えます。

  • この松も手入れが大変なんだろうな~

    この松も手入れが大変なんだろうな~

  • 池の周りをぐるっと廻ってみました。

    池の周りをぐるっと廻ってみました。

  • 大石邸から外に出て、武家屋敷公園へ。

    大石邸から外に出て、武家屋敷公園へ。

  • ココが武家屋敷公園の入り口です。

    ココが武家屋敷公園の入り口です。

  • 赤穂藩の家老格の重鎮の屋敷は、お城の重要な門の近くに配置されていました。

    赤穂藩の家老格の重鎮の屋敷は、お城の重要な門の近くに配置されていました。

  • これが武家屋敷公園。<br />ここには、坂田式右衛門(準家老格)の屋敷があったそうです。

    これが武家屋敷公園。
    ここには、坂田式右衛門(準家老格)の屋敷があったそうです。

  • 屋敷の配置まではわかりませんが、大きなお屋敷だったのでしょうね~

    屋敷の配置まではわかりませんが、大きなお屋敷だったのでしょうね~

  • ここは桜の名所でもあり、春は地元の方で賑わうそうです。

    ここは桜の名所でもあり、春は地元の方で賑わうそうです。

  • 綺麗に手入れされていますね~

    綺麗に手入れされていますね~

  • 武家屋敷公園から外に出て、

    武家屋敷公園から外に出て、

  • 清水門方面に向かいます。

    清水門方面に向かいます。

  • ココは、奥野将監定良と言う、大石内蔵助の親戚でもあった浅野家の家来の屋敷があった場所です。<br />大石内蔵助と補佐してかたき討ちの中心人物の一人になりますが、主眼はかたき討ちより浅野家再興にあり、仇討ちには参加しませんでした。

    ココは、奥野将監定良と言う、大石内蔵助の親戚でもあった浅野家の家来の屋敷があった場所です。
    大石内蔵助と補佐してかたき討ちの中心人物の一人になりますが、主眼はかたき討ちより浅野家再興にあり、仇討ちには参加しませんでした。

  • その、奥野将監定良がココにありました。

    その、奥野将監定良がココにありました。

  • 改めて、赤穂城跡の地図をじっくり拝見。<br />この時は、赤穂市立歴史博物館を拝見してから本丸、二の丸と廻ってランチに向かう予定でした。

    改めて、赤穂城跡の地図をじっくり拝見。
    この時は、赤穂市立歴史博物館を拝見してから本丸、二の丸と廻ってランチに向かう予定でした。

  • お堀が見えました。

    お堀が見えました。

  • ここに、清水門がありました。

    ここに、清水門がありました。

  • この清水門は、元禄14年(1701年)4月19日、幕府に城を明け渡した後、大石内蔵助が名残を惜しみつつ退去した門なんですね。。。。。

    この清水門は、元禄14年(1701年)4月19日、幕府に城を明け渡した後、大石内蔵助が名残を惜しみつつ退去した門なんですね。。。。。

  • これは、当時この辺りにたくさんあった米蔵を模して造られた赤穂市立歴史博物館です。

    これは、当時この辺りにたくさんあった米蔵を模して造られた赤穂市立歴史博物館です。

  • お堀を渡ります。<br />ココは清水門の下にあったお堀で、瀬戸内海につながっていました。<br />この赤穂城は海城ですからね・・・

    お堀を渡ります。
    ココは清水門の下にあったお堀で、瀬戸内海につながっていました。
    この赤穂城は海城ですからね・・・

  • 大きなお堀ですね~

    大きなお堀ですね~

  • 三の丸方面を望みます。

    三の丸方面を望みます。

  • 赤穂市立歴史博物館にやって来ました。

    赤穂市立歴史博物館にやって来ました。

  • 入場料は200円がJAF割で160円×2名<br /><br />中は撮影禁止。

    入場料は200円がJAF割で160円×2名

    中は撮影禁止。

  • 古くから塩の産地として栄えた赤穂。<br />赤穂流の塩田の技術は瀬戸内海の各地に広がっていきました。<br /><br />※写真はパンフより。

    古くから塩の産地として栄えた赤穂。
    赤穂流の塩田の技術は瀬戸内海の各地に広がっていきました。

    ※写真はパンフより。

  • そんな赤穂の塩は、塩廻船で全国に流通していきます。<br /><br />※写真はパンフより。

    そんな赤穂の塩は、塩廻船で全国に流通していきます。

    ※写真はパンフより。

  • 赤穂の政治経済の中心であった赤穂城。<br />このような模型と絵図で表現していました。<br /><br />※写真はパンフより。

    赤穂の政治経済の中心であった赤穂城。
    このような模型と絵図で表現していました。

    ※写真はパンフより。

  • 赤穂浪士の討ち入りの様子。<br /><br />※写真はパンフより。

    赤穂浪士の討ち入りの様子。

    ※写真はパンフより。

  • 井戸を掘っても海が近いために海水が出て来てしまう赤穂。<br />よって江戸初期から上水道がきちんと整備されていました。<br />千種川(旧能見川)の水を城内だけでなく、城下の町家の各戸に供給して人々の暮らしを支えていました。<br />このころからきちんとインフラが整備されていたのですね。<br /><br />発掘されたそのころの配水管が展示されていました。<br /><br />また、赤穂義士シアターと言うミニ映画館があり、松之廊下事件から討ち入りまでの物語をじっくり拝見しました。<br /><br />※写真はパンフより。

    井戸を掘っても海が近いために海水が出て来てしまう赤穂。
    よって江戸初期から上水道がきちんと整備されていました。
    千種川(旧能見川)の水を城内だけでなく、城下の町家の各戸に供給して人々の暮らしを支えていました。
    このころからきちんとインフラが整備されていたのですね。

    発掘されたそのころの配水管が展示されていました。

    また、赤穂義士シアターと言うミニ映画館があり、松之廊下事件から討ち入りまでの物語をじっくり拝見しました。

    ※写真はパンフより。

  • 面白かった赤穂市立歴史博物館を出ました。<br />もう面白過ぎて興味深くて予定の時間を大幅にオーバーしてました。

    面白かった赤穂市立歴史博物館を出ました。
    もう面白過ぎて興味深くて予定の時間を大幅にオーバーしてました。

  • よって、本丸と二の丸に行くのをパスしてランチへ。

    よって、本丸と二の丸に行くのをパスしてランチへ。

  • 大手門の目の前にある巴屋というお店でランチを戴くことにしました。<br /><br />討ち入り蕎麦??

    大手門の目の前にある巴屋というお店でランチを戴くことにしました。

    討ち入り蕎麦??

  • 入口でシニア夫婦は冷やし討ち入り蕎麦を2つオーダー。<br /><br />食券はこの木の札。<br />いいでしょう~~~?

    入口でシニア夫婦は冷やし討ち入り蕎麦を2つオーダー。

    食券はこの木の札。
    いいでしょう~~~?

  • 店内に案内されました。

    店内に案内されました。

  • こんな景色が見える窓際の席に案内されました。<br />お堀と石垣が目の前です。

    こんな景色が見える窓際の席に案内されました。
    お堀と石垣が目の前です。

  • お城も見えますね。

    お城も見えますね。

  • 私は冷やし討ち入り蕎麦<br />辛味大根

    私は冷やし討ち入り蕎麦
    辛味大根

  • 家内は冷やし討ち入り蕎麦<br />とろろ

    家内は冷やし討ち入り蕎麦
    とろろ

  • 和菓子も付いてますね。

    和菓子も付いてますね。

  • いただきま~す。<br />甘さ控えめの塩味饅頭でした。

    いただきま~す。
    甘さ控えめの塩味饅頭でした。

  • お蕎麦はのど越しがよく、和菓子も美味しかったです。<br /><br />ご馳走様でした。

    お蕎麦はのど越しがよく、和菓子も美味しかったです。

    ご馳走様でした。

  • お店の前でお店の方と記念撮影もしました。

    お店の前でお店の方と記念撮影もしました。

  • 赤穂城 三之丸大手隅櫓です。<br />綺麗ですね~<br /><br />二の丸や本丸にも行きたかったけど、列車の時間もあるのでそろそろ行きましょう。

    赤穂城 三之丸大手隅櫓です。
    綺麗ですね~

    二の丸や本丸にも行きたかったけど、列車の時間もあるのでそろそろ行きましょう。

  • 街中で見つけたコの案内。<br />赤穂の上水道について。<br />上水道の配水は、「サイフォンの原理」を用いて外堀の下をくぐらせて、水圧によって城内へ吹き上げさせていました。<br />この水は生活用だけでなく、城内の池泉庭園も潤していました。<br /><br />それにしても、高い位置にある出発地点と低い位置にある目的地点を管でつないで流す際、管内が液体で満たされていれば、管の途中に出発地点より高い地点があってもポンプでくみ上げることなく流れ続けるというサイフォン現象。<br />江戸初期にこの赤穂で上水道のために導入されていたのは驚きですね。<br />サイフォン現象と言わず、何と呼ばれていたのでしょう?

    街中で見つけたコの案内。
    赤穂の上水道について。
    上水道の配水は、「サイフォンの原理」を用いて外堀の下をくぐらせて、水圧によって城内へ吹き上げさせていました。
    この水は生活用だけでなく、城内の池泉庭園も潤していました。

    それにしても、高い位置にある出発地点と低い位置にある目的地点を管でつないで流す際、管内が液体で満たされていれば、管の途中に出発地点より高い地点があってもポンプでくみ上げることなく流れ続けるというサイフォン現象。
    江戸初期にこの赤穂で上水道のために導入されていたのは驚きですね。
    サイフォン現象と言わず、何と呼ばれていたのでしょう?

  • 駅に向かって歩いていたら、今度はこのような場所が。。

    駅に向かって歩いていたら、今度はこのような場所が。。

  • 案内板を読んでみました。<br /><br />千種川(昔は熊見川)の7㎞上流で取水された水が、どうやって城内や町家の各家まで届けられたか?<br />きめ細やかに町の中を巡っていますね。<br /><br />配水路には石垣や瓦、配水管には瓦管や竹管、土管が使われていたようです。<br />これが江戸初期???<br /><br />赤穂のインフラ、すげぇ~~

    案内板を読んでみました。

    千種川(昔は熊見川)の7㎞上流で取水された水が、どうやって城内や町家の各家まで届けられたか?
    きめ細やかに町の中を巡っていますね。

    配水路には石垣や瓦、配水管には瓦管や竹管、土管が使われていたようです。
    これが江戸初期???

    赤穂のインフラ、すげぇ~~

  • ここにも上水道がつながっていたのですね。<br />水琴窟がありました。

    ここにも上水道がつながっていたのですね。
    水琴窟がありました。

  • 朝はあいていなかった「かん川本舗」へ。

    朝はあいていなかった「かん川本舗」へ。

  • 塩味饅頭を購入!<br /><br />楽しかった赤穂の街をあとにします。<br /><br />つづく

    塩味饅頭を購入!

    楽しかった赤穂の街をあとにします。

    つづく

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