2008/11/03 - 2008/11/03
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さっくんさん
インドの旅三日目はタージマハルがおわすアグラーです。インドと言えばタージマハルを思い浮かべる人も多いかと思いますがヒンズー由来では無くイスラーム由来の建築です。この旅より十年前の旅ではデリーでの事件により泥酔して訳の解らない列車に乗ってしまった為バラナシから引き返すと言う面倒臭い事になってしまいましたが、今回は問題なく到着。アグラーはイスラーム由来の建築が多いせいか、ムスリムが多く、リトル・パキスタン等と揶揄する声がありました。またアグラーはタージマハルがある事からリキシャーのボッタクリも悪質で、旅人からアグラーの法則(言い値とラストプライスが天文学的に違う)と言う言葉が生まれました。
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アグラーに到着しました。タージ・マハルを筆頭にイスラームの霊廟が多い事からリトル・パキスタンとも呼ばれています。
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ホテルからジャマー・マスジッドまで散歩しました。ジャマー・マスジッドとは金曜モスクと訳せます。金曜日はイスラームの礼拝の日。金曜モスクと名付けられたモスクは、その街の中心的モスクを意味します。
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アグラー城の城壁を眺めつつ朝のお散歩です。
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インドの典型的な朝の風景です。
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アグラーのジャマー・マスジッドが見えてきました。
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赤砂岩の建材、三連のドームはムガル帝国のモスク建築の様式美です。
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屋根の上にはチャトリと呼ばれる装飾がギッシリと乗せられています。インドならではの様式です!スライムみたいで可愛いです。
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奥にある窪みはミフラーブです。インドのモスクは入り口とミフラーブの距離が短いです。
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アグラー城の門前を通ります。勿論午後には訪れます。
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タージ・マハルにやって来ました。
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タージ・マハル正門です。此方もスライム、じゃなくてチャトリが沢山乗ってます。
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10年ぶりの再会です。インドといえばコレ。誰もが知る、この形を見ればカレーを食べたくなる、そんな存在では無いでしょうか?
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ムガル帝国の建築王、5代皇帝シャー・ジャハーンが溺愛した妃ムムターズ・マハルの為に建てた霊廟です。
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霊廟はムガル様式の赤砂岩を使う事無く総大理石と言う豪華仕様。どうしても遠景が多くなりますが、寄っても手抜き無く装飾が施され美しく、イスラームの枠を越えて霊廟建築の至宝と言えるでしょう。
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「私が死んだら、後世に残るお墓を作ってね!」
と甘え上手なムムターズに言われたシャー・ジャハーンは建築王の名にかけて、この霊廟を築くのですが、
他にも現パキスタンのラホール城の鏡の間やシャリマール庭園等、ジャハーンが彼女の為に建てたものは数多く残ります。まるでインド版の玄宗皇帝と楊貴妃の様です。 -
タージ・マハルの門を潜ると広大なスペースに田の字に水路を張られた四分庭園が設けられています。これはペルシャで楽園を表しています。しかしタージ・マハルは2,3,4代皇帝の霊廟と四分庭園の位置とは違う位置に建てられています。
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図に表すとこんな感じです。それまでの霊廟は四分庭園のど真ん中に建立されたので何処から眺めてもシンメトリーが成立しました。どうしてタージ・マハルはイスラーム建築の重要な要素を外して建てられたのでしょうか?
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四分庭園を挟んで、その奥に霊廟を建てる事で奥行きを感じさせる事に成功はしていますが、それだけではありません。シャー・ジャハーンはもっと壮大なプランを想定していたのです。
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現在のタージ・マハルの奥にヤムナー川が流れています。その川を軸に対照的にもうひとつのタージ・マハルを建造します。こうする事でヤムナー川を中心にシンメトリーは完成します。対岸のタージ・マハルは漆黒とし、自らが埋葬される筈でした。
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ヤムナー川の対岸を眺めます。
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ズームしました。発掘調査され建設途上だった基礎部分が確認出来ます。
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では、どうして計画は頓挫したのでしょう?それは幾ら何でもタージ・マハルは一基だけでムガル帝国が傾く程の費用がかけられていました。もうひとつ建てたら帝国の命取りに成りかねません。シャー・ジャハーンの為の墓標が、それどころかムガル帝国の墓標に成り兼ねないのです。
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そして更に次期皇帝の座を狙っていたアウラングゼーブは敬虔なムスリム。本来質実剛健を由とするイスラームの教えから、華美過ぎる霊廟の製作に没頭する父を許せなかったのかもしれません。アウラングゼーブはそんな父シャー・ジャハーンをアグラー城に幽閉すると、6代皇帝の座に就きます。こうしてシャー・ジャハーンの夢は潰え、彼はアグラー城で没しました。
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結局シャー・ジャハーンの霊廟は作られる事はありませんでした。そして彼の遺言によってタージ・マハルに眠るムムターズ・マハルの横に眠る事になります。これは帝国では異例な事で1~6代の皇帝で唯一夫婦で埋葬された霊廟になります。
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でも、此方の方が反ってシャー・ジャハーンにとって幸せだったと思うのです。自ら造った白亜の霊廟で愛する妃の直ぐ脇で、永遠の時間を過ごせるのですから。
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全てがシンメトリーで作られたタージ・マハルの本堂の中心に置かれたムムターズの棺。後付けで置かれる事となった故、シャー・ジャハーンの棺が唯一シンメトリーを破ってしまったのは皮肉な事です。
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こうした顛末から、タージ・マハルはムムターズ・マハルに捧げられた霊廟である事は変わりありませんが、それと共にシャー・ジャハーンの霊廟でもあり、ムガル帝国初の夫婦の霊廟であると言えます。
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シャー・ジャハーンが幽閉されていたアグラー城方面を眺めます。
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タージ・マハルの西に配置されるモスクです。
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本堂の周囲を観察しました。
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東西南北、どの方向から見ても同じ形に見える様にデザインされています。
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寄ると本堂の大きさに圧倒されます。
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四隅に置かれたミナレットは装飾です。
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迎賓館内部に入ります。
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振り返りました。
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迎賓館の門が良い塩梅です。
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きっちり収まりました。
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再びヤムナー川沿いにアグラー城を望みます。大気汚染が酷いので遠景はまともに撮れません。
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東に建つのは迎賓館です。
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帰路に赴けば、太陽が昇りきり鏡面反射が始まっていました。
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逆さタージを写せました。これを狙うなら正午付近が狙い目です。
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本来のシンメトリーの美しさを引き立たせる為、影にもこだわりたかったので、太陽が真上になるまで待っていたかったのですが、残念ながら本日重要人物の来賓があるそうで、これが限界でした。
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シャー・ジャハーンの愛を一身に受けたムムターズ・マハルでしたが、36歳の若さで亡くなってしまいます。しかし彼女早世したからこそタージ・マハルが出来たと私は考えています。
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何故なら続く6代皇帝アウラングゼーブはガチのムスリム。自分の霊廟さえ作らせなかったストイックな男です。父のシャー・ジャハーンとは反りも合わなかったので、シャー・ジャハーン夫婦が6代皇帝時代まで存命していたなら確実にタージ・マハルは生まれなかったでしょう。
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これはラホールに残る4代皇帝ジャハーン・ギール廟を見れば一目瞭然です。シャー・ジャハーンはジャハーン・ギール(皇位継承時は亡くなっていたので、正確には彼の妻のヌール・ジャハーン)の望んだ皇位継承者を破って皇位に就いたので、両親への思いは複雑です。だから彼が築いた両親の廟は、とてもタージ・マハルを築いた男の作品とは思えない程質素なものです。
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つまり、タージ・マハルはシャー・ジャハーンと言う類い希なる建築王がいて、彼がゾッコンする愛妃がいて、しかも彼女が早世して、ジャハーンが幽閉される前に完成する。と言う奇跡の様な条件が揃ったからこそ現世に残されたと言う事です。
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さて、アグラー城に戻って来ました。いよいよ入場です。
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アグラー城は3代アクバルによって建てられました。以降4代ジャハーン・ギール、5代シャー・ジャハーンの居城となりました。
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しかし6代アウラングゼーブがシャー・ジャハーンをこの城へ幽閉すると、本人はデリーのラール・キラーに移りました。
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なんと、浴場だそうです。
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ジャハーン・ギール宮殿です。
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シャー・ジャハーンが囚われていたムサンマン・ブルジュに入ります。
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アグラ城からタージ・マハルを眺めます。
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シャー・ジャハーンは、どう言う想いでタージ・マハルを眺めたのでしょう。
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幽閉されているとは言え、罪人では無いどころか前皇帝なので、娘達に囲まれ悠々自適な生活ではあった様です。
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とは言えそれだけでは済ませられない心境だった事は間違いないでしょう。
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自らが築いた至上の傑作を見る事が出来ると言う事は、彼にとって幸せな事だったのでしょうか?それとも残酷な事だったのでしょうか?
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いや、それは愚問かもしれません。彼がひたすら愛した妃の墓標をずっと眺めつづけられたのですから。
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実際、シャー・ジャハーン自身の霊廟が築かれない事が決定したと解ると、自分の死後はタージ・マハルに埋葬して欲しいと答えたそうです。
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ムサンマン・ブルジュと遠くにタージ・マハル。
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続いて貴賓謁見の間に向かいます。
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此方が貴賓謁見の間でございます。
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美しい回廊に。
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美しい謁見台です。
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モーティー・マスジッド(モスク)
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王族専用なので大きくは無いですが、総大理石造りでゴージャスです。
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チャトリが沢山!
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白いチャトリと白亜のドームの共演です。
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アグラー城を後にします。
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大抵ツアーではタージ・マハルとアグラー城を見ると、この街を去ってしまいますが、郊外に是非訪れて欲しい見所があります。残念ながら、其処へはリキシャーしか手段が無いので、インドでも有数のボッタクリで知られるアグラーのリキシャーを乗りこなすテクニックは必須です。
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その見所とは、ムガル帝国の繁栄を磐石なものとした3代皇帝アクバルの霊廟です。
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ゲートを潜ると、例に倣って四分庭園の中心に立派な廟が残されています。
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頂点にドームが無いのが破壊若しくは破損したものか、或いは元からそう言うデザインなのかは不明です。(盗掘にあった事実はあります。)
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ムガル帝国の霊廟の中で一番チャトリが多く乗せられた霊廟でしょう。
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入り口寸前で廟を見上げました。
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もう一度廟を振り返りました。
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崩壊してしまった遺構もありました。
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アクバル廟を見終え、アグラーを後にします。此処からは十年前と同様のコースで列車でカジュラホに向かいます。此処迄乗って来たリキシャの支払いは、ホテルで私を待っていたガイド君に任せました。その時のリキシャワーラーの絶望的な表情ったら無かったです(笑)私からはボッタクれても、ハイカーストには何の抵抗も出来ないですから。
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私が飲み終わったチャイの陶器を紙でくるんで鞄にしまうと、隣の乗客が不思議そうな面持ちで尋ねられました。
「何故そんなものお持ち帰りするの?」
何故なら私はその陶器に思い出があるからです。 -
10年前、チャイを飲み終わったら、陶器の器を地面に叩きつけて破壊するのが作法でした。するとローカーストの人が現れて掃除します。仕事をしたのでバクシーシを与えます。そして器は消費されるので、陶器を作る仕事が増えます。これがローカーストの人々の収入になるのだそうです。良いか悪いかは別として、そうしなければならないのならと飲んでは叩きつけた陶器の思い出。今回こそ叩き壊す事無く、持って帰ろうと思ったのです。
そう言えば過去のインドの旅の夜汽車で隣にいた、線の弱そうな白人の旅人が私に震えながら尋ねました。
「君、これ本当に美味しいと思って食べてる?」
青白い顔の彼を横目で見つつ、私は、この青年は二度とインドに来る事はまいと思いました。
日本の蕎麦屋に入って、日本人が蕎麦を啜る音が不愉快だとホザく外国人をたまに見かけますが、世界の如何なる料理も楽しく食べられる事。それが世界を旅する旅人の基本中の基本だと私は思っています。例えそれが旅で無くとも、もう死んでしまった私の鬼婆(母)に、味はともあれ、美味しく食べるのが、作ってくれた方に対する最低限の礼節だと言われ育ちました。それが出来ぬのなら、尻尾巻いて帰れば良いのです。負け犬の遠吠えはみっともないだけです。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。
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