2015/11/11 - 2015/11/11
60位(同エリア134件中)
さっくんさん
ラホール二日目は自分の足で自由に散策しました。自由に歩けば更に現地が見えてきます。更にインドとの違いに驚きました。元は同じ国の同じ民族だったのに、これ程国民性が変わるのか?と驚愕します。両者の決定的違いは宗教です。改めて宗教の人間性に与える影響力の強さを実感しました。
しかしそれだけで両者の違いを説明するには足りないでしょう。この違いに大きく影響しているのは観光客が与える影響です。インドとパキスタンに来訪する観光客の数には雲泥の差があります。インドとは言え余り観光客の訪れる事の無い村は長閑なものです。(おぞましいカースト制は逆に地方の方が色濃く残る)
しかしデリーやアグラーは三歩歩けば詐欺師にぶつかる程詐欺師だらけ。観光地化の負の側面が色濃く残る街です。しかし観光地化の負の側面の原因を現地の人々だけに求めるのは不公平だと思うのが私の持論です。いや寧ろ、そこを訪れる観光客にこそ、その要因があるケースの方が大きいのです。
例えば貧しい国の人々に、その国には元来チップと言う習慣が無いにも関わらず、チップをばら撒き、金で心を汚してしまった結果…。そんな哀しい光景を私は幾度も見てきました。
インドへ行って詐欺師に騙され、ボッタクられ、帰国して大いに嘆く…。私から言わせて貰えば、私も初回そうだった様に、その様な旅人が簡単に養分になってくれるから、インドの詐欺師が減らないばかりか増えるのです。どっちもどっち、卵が先か鶏が先かの問題です。養分が無ければ詐欺師は食えず、減るしかないのです。そんなインドで楽しく旅をしたいなら、詐欺師との攻防も、楽しめるくらいになるしかありません。
どんな綺麗な河川も湖沼も、養分が増えれば富栄養化が進み、水は澱んでいく様に、人の心も澱んでいきます。此処パキスタンは養分に乏しいが故か、国名の由来(清浄なる国)の通り、まるで清流のように澄んだ心の人々で満ちていました。この街の大気汚染はとても清浄なものとは程遠いですが…。
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本日は完全フリーの一日です。リキシャーに乗って出かけます。
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デコトラと並走しています。頑張れリクシャー!負けるなデコトラ!
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インドでは喧嘩ばっかりのリクシャーの旅でしたから、相当構えて乗りましたが、呆気ない程アッサリと運んでくれました。
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ムガル帝国議会3代皇帝アクバルが整備したキャラヴァン・サライを訪れました。隊商宿の事ですが、宿のみならず商談の場としても利用されました。
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広大な敷地があります。
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アクバルのキャラバン・サライ。
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アシフ・カーンの霊廟を訪れました。
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アシフ・カーンはジャハーン・ギールの妻ヌール・ジャハーンの兄弟で、シャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルの父でもあります。
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アシフ・カーンの石棺です。
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ヌール・ジャハーン廟。ヌール・ジャハーンは4代皇帝ジャハーン・ギールの妻。5代皇帝の妻の霊廟タージ・マハルとは同じ人物の作品とは思えない質素ぶりです。これは皇位継承時にヌール・ジャハーンが5代皇帝となったシャー・ジャハーンとは別の兄弟を推した事が影響しているでしょう。
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二つある柩の片方は娘さんのものだそうです。
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タージ・マハルに眠るムムターズ・マハルは夫の熱烈な愛を一身に受け、甘え上手に暮らしましたが早世しました。
一方ヌール・ジャハーンは夫に先立たれたものの、彼女自身も政治の才覚があった様で早世した夫の亡き後のムガル帝国を支えました。 -
それではヌール・ジャハーンの夫であり4代皇帝ジャハーン・ギールの霊廟に向かいます。
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振り返りました。
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キャラヴァン・サライからジャハーン・ギールへ続く門。
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ジャハーン・ギール廟へと続く門にあしらわれた緻密なムカルナス。
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さて門を潜ってジャハーン・ギール廟へ入りましょう。
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ジャハーン・ギール廟です。
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タージ・マハル、フマユーン廟、アクバル廟…歴代ムガル帝国の皇帝の廟を見てきましたが、明らかにジャハーン・ギール廟が違うところは、基壇の上の部分が無い、つまりドームを伴う本堂にあたる部分が無いと言う事です。
はっきりとした理由は解りませんが、先代の皇帝の廟を築くのは当然後を継いだ5代皇帝シャー・ジャハーンとなるのですが、皇位継承にあたってシャー・ジャハーンは実は先代が求めた後継ぎでは無く、皇位継承戦争で先代が決めた継承者を倒して皇位についた経緯があります。
だから手を抜いたと考えてはいけないでしょうか?何しろ愛した妻にはタージ・マハルを建立し、ムガル帝国の建築王と呼ばれ、数々の建築物を後世に残した彼の作品としては、余りにも地味な作品ではあります。 -
しかしながら、内装には手抜きを感じません。
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それどころか、タージ・マハルへ向けての前哨戦的な装飾も見られます。
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美しい石棺です。
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この装飾はタージ・マハルに受け継がれています。
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マクバラ・ジャハーン・ギール・モスク。
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ラホール市内へ戻ります。リクシャーのトラブルもありません。インドとは大違いです。
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ラホール市内へ向かう途中、リクシャーの車窓から。
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ラホールに戻ってきました。
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バドシャヒー・モスクがチラリと見えました。
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デコバスが停まっていました。格好良いなぁ。
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デコバスを激写していると、ドサクサに紛れてオッサンが笑顔で乱入します。
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死ぬ程驚きました。突然カメラのフレームに強面のオッサンが真顔で飛び込んで来たのです。
「ごめんなさい!すみませんでした!」
慌ててカメラをしまうと余計表情が険しくなります。そしてカメラと自分の顔を交互に指差します。
「え?どう言う事?あ!カメラ?」
恐る恐る写真を撮るとオッサンは満足そうに去って行きました。
パキスタンはイスラームで珍しく写真大好き人間が多いです。(男性限定)カメラ持ってると催促される事も屡々です。 -
城門を潜っていざ、ラホール散策です。
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この雑踏感はインドに通ずるものがあります。
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ワクワクしますね。血が騒ぎます。
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迷路の様な路地を闇雲に入っていきます。
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一応目的地に設定しているモスク迄辿り着く事が出来るでしょうか?
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喧噪の向こうにミナレットがちらりと見えます。きっと目指すモスクに違いありません。
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ヤバい!お腹が鳴ってくるではありませんか!美味しそうなカレーの匂いです。
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そうです!そうです!見つけました!予想が当たればワジール・ハーンのモスクです。
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間違いありません。地球の転び方の写真と一緒です。オジサンもそうだと言っています。ワジル・ハーンのモスクです。
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シャー・ジャハーンの時代、王室専属医であり後にパンジャープを統治した人物、ワジール・ハーンにより建立されました。
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カリグラフィの修練所としても機能していたと言います。
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さて、本殿に入ります。
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ミフラーブです。この方角にメッカがあります。
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天井の装飾も見事です。
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此方は立体的な装飾が施されています。
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壁面も美しい装飾で埋め尽くされています。
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ミナレットの真ん中あたりの覗き窓から隣のミナレットが見えました。
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ミナレットに登れました。
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モスクを見下ろしました。
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お腹が空きました。何か屋台でも無いかなぁ?
ありました!真下です! -
カメラをズームします。間違いないです!屋台です。食べに行きましょう!
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可愛らしいムガル様式の三連のドーム。
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ありました!ありました!どのお店にしましょうか?
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大鍋がいっぱいのお店がありました。中には美味しそうなカレーが!どうやって頼めば良いか解らないので大将の前で小銭を出したら怒られました。
「人前でジャラジャラお金出すもんじゃない!」
座ってなさいとの事で大人しく席に着きました。
確かに盗まれる可能性もありますし、貧しい人にとっては目に毒なものです。配慮に欠けていました。反省です。それにしても大将、恐そうだなぁ…。 -
出てきました!サモサって言うのかな?揚げたパン状のものをカレーに浸して食べます。美味い!カレーが一滴残らず無くなる迄完食です。
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食べ終わり、お勘定をとポケットに手を突っ込むと、大将は微動だにせず首を横に振りました。イスラームは旅人を歓待する…と言う事でしょうか…。何と言う事でしょう大将は最初っから私からお金を取ろうとしていなかったのでしょう。何と言う事でしょう…。私は深く一礼し店を後にしました。
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年代物の城門、名も無いだろう素敵な城門。
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ゴールデン・モスクです。込み入った場所にあり行き方が解らずにいると、とある少年が導いてくれました。最初は躊躇したのです。お隣の国とかだと到着した後にチップだのバクシーシだのねだられて面倒臭い事になるからです。でもラホールの彼は要件が済むと何事も無かった様に笑顔を残して去っていきました。
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お店の人に声をかけられました。私が日本人だと知ると椅子を用意され飲み物を頂きました。これがインドだったら、さぁ大変。それは睡眠薬が入っているかもしれません。
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銀細工の職人街の様です。
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この方は日本で働いていた経験がある方です。日本にいた時は自分の人生でも素晴らしい時間でした。と語って頂き、またまた飲み物をご馳走になりました。
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何ヵ国も旅してますが、これ程ホスピタリティー溢れる街は初めてです。旅人からは金は取れねぇ!的大将にカレーをご馳走して頂いたかと思えば、私が日本人と知ると、あちこちの店(決して飲食店では無い。)から椅子を出され、飲み物を頂き、道を尋ねれば、その地迄導いてくれたかと思えば、然り気無く去っていく…。
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お!またデコトラ発見です。
あ!なんかヤバい! -
やっぱり見つかってしまいました(笑)
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そしてドライバーさん参上です。
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驢馬車の彼も参戦です。
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振り向けば小さなお店の店長さんもポーズを決めて待ってます。
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そして始終どこそこから写真を撮ってくれ、一緒に写真に収まって欲しい、インタビューさせてくれ等々、全く先に進めないけど、何だか嬉しい。
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…インドとパキスタンって、同じ民族の筈なのですが、感想が全くと言って良い程正反対なんです。
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インドでは…飲み物勧められたら睡眠薬強盗を疑え。人に道を訊ねたらバクシーシを覚悟しろ。いや何も頼まなくても始終バクシーシ,バクシーシ!リクシャー乗るなら喧嘩する気で、乗車しろ!…ですもの。共通する事と言えば見た目と写真が好きな事くらいかな…。
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別にインドは嫌いでは無いし素晴らしい部分も沢山あります。でも事実は事実。同じ民族なのに、決定的違いは宗教、これが一番大きく明快な違いです。宗教とは思想、宗教とは教育そして道徳でもあります。
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インドには制度としては無くなったものの、未だカーストと言う非人道的悪習が色濃く残ります。ロー・カーストの人々はハイ・カーストの人々に施される筈も無く、時に命の危険さえ孕みます。ですから彼等がバクシーシを求めるターゲットは旅人なのです。命懸けでも蝿の様に集りつきます。そうしなければ生きていけないですから。リクシャーの運転手が旅人だと知れば問答無用なのもその構図です。
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一方、イスラームは平等を説いています。キリスト教に於ける祭司の様な人もいません。導師はいますが、信者と同等只の人です。でも現実社会、悲しい事に貧富の差は必ずしや発生します。ですから富める者はそうでない者へ喜捨が推奨され、喜捨を行う事で徳が積まれると信じています。ですから彼等は進んで物乞いに施します。施されている身ですから、彼等は無理に旅人にたかりつきません。更にイスラームは旅人も喜捨の対象となってたりもします。あの痩せギスの大将もそんな気持ちで私から金を取らなかったのかもしれません。
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どっちが旅しやすい国だと思います?明白ですよね。教育(宗教)が違うと同じ民族でもこれ程変わるのか?と驚きます。勿論紛争中の国とか、パキスタン以上に貧困が深刻になれば旅人にバクシーシをねだる人も出てくるでしょうが、そもそもインドはパキスタンより遥かに経済大国であってあの有様です。
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ただ、インドの肩を持とうとするなら、訪れる観光客の数の差でしょうか?パキスタンは本当に観光客が少ないです。だから全然スレていない純粋な人が多いです。一方同程度の街であってもインドに訪れる観光客の数はパキスタンとは比べ物にならない程多いので観光客ズレは激しいです。
だからと言って地方へ行けば、確かに純粋なインド人に出逢えますが、地方に行けばカーストの風習は都会より色濃く残り、長く滞在すれば消えぬカーストの壁に胸糞悪い思いをする事になるでしょう。
私は往き倒れになった人を救世軍に連れて行ったら
「これは人では無いから治療出来ない。」
と返答された時は、カースト制度を知ってはいたけど、正直そう言った相手に〇意を抱きました。ハッキリ言います。カースト制度は糞です! -
嗚呼、否、此処はインドを叩く場では無いし、比べる事も下品な事だと思います。只同じ民族が宗教でどう変わるのか?と言う興味は正直ありました。もし変わる事無く同様だとしたら帯締め直して、リクシャー乗る時は喧嘩上等でかかっていこうと思ってラホール散策にでかけ、そして本当に、本当に、驚きました。
インドの旅も、散々罵っておいてですが楽しかったのです。昔「インドなんて二度と行くか!ボケ!!でも、また行きたいかも」なんて書籍がありましたが、正にそれが正しい私のインド感でしょうか?でもこれは次元が違う事。ラホールでは一度も苛々しなかったばかりか、これ程歓待を受けた街はありません。 -
タダで飯食わせて貰ったから、飲み物奢ってくれたから、嬉しいのではありません。その奥底にある彼等の気持ちが痛い程伝わってきたから嬉しいのです。街で出逢って語らった人々も、ヤンチャ君迄私に、日本に、レスペクトしてくれている事が痛い程伝わってきたからです。これより先大変な事が起きた時、世界の人一人だけ助けられるとしたら、パキスタンの人を助けたい!そう思える程感動しました。今でも街でパキスタン料理の看板を見つけると、誘蛾灯に集まる蛾の様に入ってしまいます。
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本当に、本当に、楽しい一日でした。
ラホールのみなさん、本当に、ありがとう! -
最高に美味いカレーを夕食に頂きました。本当に素敵な楽しい一日となりました。
最後までご覧になって下さりありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- PuellaApuliaeさん 2024/11/02 21:07:55
- パキスタンにとても行きたくなりました
- こんばんは、いつも大変興味深い旅行記をありがとうございます。
インドに行ってお腹を壊してインド人に負けて帰ってきました。インド人のムスリム版と言われるパキスタンにはそれゆえ及び腰になってまだ行っていません。これほどまでに違うとは、驚きです。俄然行きたくなってきました。
先日Netflix(アメリカ商業主義の見本なので見ておられないでしょう)の海外ドラマで、「ヒーラマンディ」というシリーズもののドラマを見ました。インド独立寸前のラホールが舞台で、花街の芸妓たちが主役です。独立にかけた彼女たちの情熱を主題にしていましたので、インドナショナリズムのドラマなのですが、ヒンドゥーとは異なるムスリムならではの習慣が色々描かれていました。
ムガル芸術と建築がとても好きなので、やはりいつか行きたいと思っております。
- さっくんさん からの返信 2024/11/04 10:29:12
- RE: パキスタンにとても行きたくなりました
- コメントありがとうございます。良くお解りで…(笑)今や中国産が必要悪な様に、YouTubeやインスタ等は使っていますが、マック、KFC、スタバ等にはかれこれ20年以上入っていません。いつも部屋の中では相当疲れてでもいない時は、何かと手と頭を動かしていないと落ち着かない為、余り動画を集中して見るのは機内のみとなるので、その動画も見れずじまいです。機内であれば嬉しいのですが…。
私は知っての通りイスラーム贔屓なので、どうしてもイスラーム寄りの投稿になってしまうのでその点は留意してください。とは言っても嫌な思いをしなかったのは間違いなく、書いた事も全て実際の事です。バングラデシュも同様ですが、旅人には是非通しでバングラ~インド~パキスタンと通しで旅をして欲しいと思います。私の書いた事が実感できる筈です。これらはインドの観光地との比較であり、観光地化されているか、されていないかでも大きく異なるとは思います。しかしそれにイスラームのホスピタリティと言うものが付け加わっているのは確かでしょう。
デリー、アグラー、そしてラホールはムガル帝国の三大都市であり、ムガル帝国の歴史を追う旅人にとっては見所の多い都市だと思います。次回記事にしますが、アクセスは悪いですがロータス・フォートも二代フマユーンから一時期ムガル帝国を妥当し政権を握ったシェール・シャーの居城であり、政権を奪還し、当時シェールの人質になっていた三代アクバルが何故あれ程の英傑に成長したかが理解できた貴重な訪問となりました。
これまで二代から六代迄のムガル帝国の墓標を訪れてきましたが、初代はカブールに葬られています。でも絶対自分が葬られる前には訪問しようと思っています。
> こんばんは、いつも大変興味深い旅行記をありがとうございます。
> インドに行ってお腹を壊してインド人に負けて帰ってきました。インド人のムスリム版と言われるパキスタンにはそれゆえ及び腰になってまだ行っていません。これほどまでに違うとは、驚きです。俄然行きたくなってきました。
> 先日Netflix(アメリカ商業主義の見本なので見ておられないでしょう)の海外ドラマで、「ヒーラマンディ」というシリーズもののドラマを見ました。インド独立寸前のラホールが舞台で、花街の芸妓たちが主役です。独立にかけた彼女たちの情熱を主題にしていましたので、インドナショナリズムのドラマなのですが、ヒンドゥーとは異なるムスリムならではの習慣が色々描かれていました。
> ムガル芸術と建築がとても好きなので、やはりいつか行きたいと思っております。
- PuellaApuliaeさん からの返信 2024/11/04 21:00:01
- Re: パキスタンにとても行きたくなりました
- 早速のお返事ありがとうございました。
バーブルはアフガンに葬られているのですか。あちら出身だから考えてみればそうですね。為政者としても文筆家としても最高の人物だったそうなので(メロンが好きだったそうです)、ぜひ足跡をたどりたいものですが、アフガンは到底無理です。
この春に、「宝塚アフガニスタン友好協会」という団体の代表である老婦人がチャリティのためにアフガニスタン細密画展を企画されていたので行ってみましたところ、そのご婦人はヘラートによく行っておられたそうで、行動力に感銘を受けました。行けるんですね。脱帽です。
- さっくんさん からの返信 2024/11/09 16:16:21
- RE: Re: パキスタンにとても行きたくなりました
- コメントありがとうございます。
バーブルは文筆家としても有名だったのですね!ウズベキスタン出身で中央アジアで覇権を握るのが夢だった彼にとってインドは余り好きでは無かったと聞いています。より故郷に近い、其処から虎視眈々とインド情勢を睨んでいたカブールこそ眠るのに相応しい土地だったのでしょう。
今でもヘラート迄足を延ばし活動している婦人がいらっしゃるのですね。凄い事です。アフガン程東西列強の狭間で悲惨な運命を辿った国は無いと思います。アフガニスタンはヒマラヤ等の山脈に阻まれた中央アジアと南アジアを繋ぐ回廊の様な土地。故にシルクロード交易の重要なルートにあたり、カブールはシルクロード風情を残す素晴らしい街だった事が「深夜特急」を読んでも伝わってきます。あと十年早く生まれていたら…。と思います。でも諦めていません。方法なら幾らでもあります。重要なのは自分の熱量だと思っています。
> 早速のお返事ありがとうございました。
> バーブルはアフガンに葬られているのですか。あちら出身だから考えてみればそうですね。為政者としても文筆家としても最高の人物だったそうなので(メロンが好きだったそうです)、ぜひ足跡をたどりたいものですが、アフガンは到底無理です。
> この春に、「宝塚アフガニスタン友好協会」という団体の代表である老婦人がチャリティのためにアフガニスタン細密画展を企画されていたので行ってみましたところ、そのご婦人はヘラートによく行っておられたそうで、行動力に感銘を受けました。行けるんですね。脱帽です。
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