2023/02/07 - 2023/02/09
33位(同エリア359件中)
さっくんさん
あっという間にバングラデシュ滞在日程は終了してしまいました。ダッカ近郊のショナルガオンを訪れ、ダッカを象徴する場所ショドル・ガットを再訪すれば、お別れに相応しい素敵な夕陽が待っていました。
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朝です。出発です。泣いても笑っても街を散策出来る最後の一日です。お腹を壊している?そんなの関係ネェ!です。ホテルで泣き寝入りしてる場合ではありません。私の大好きなボクサーに辰吉丈一郎さんがいます。彼より良い記録を持つボクサーはいっぱいいます。彼より巧いボクサーもいっぱいいます。でも彼程ボクシング愛を感じるボクサーを私は他に知りません。ボクシング・バカと言う言葉がこれ程似合うボクサーは他にいないでしょう。
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ボクサーって不思議なもので、ダウン喰らって意識は朦朧としていると言うのに、フラフラと立ち上がって両手だけは自然とファイティング・ポーズ構えてるんですよね。私も旅バカを自称しているのなら、腹壊しただけで意気消沈出来ません。でも不思議なものでホテルで寝ていると悶々としていても、いざ歩き出せばシャキッとしてくるのです。もうナチュラル・ハイですね。飛びます!飛びます!日本をバングラデシュにしてしまえ!by筋肉少女隊。
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人混みに思わず余り気にしていませんでしたが、見上げればモーティジールの街は結構美しいです。
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さて最終日の今日は再びローカル・バスに乗ってダッカ近郊の街ショナルガオンに向かいます。
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と思ったら、何やらデモに遭遇しました。今回のは規模も小さければ規律のあるデモでしたが、バングラデシュではホッタールと呼ばれるデモが時折行われ、大規模のものになると商店等が閉店したり、交通が麻痺する事もあるので情報に気を付けた方が良い場合があります。
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何を訴えているのでしょうか?
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ショナルガオンはダッカの南約30㌔。ヒンズー語で「黄金の都」と言う意味を持ちます。
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12世紀にヒンズー王国セーナ朝の下で大きく発展。ダッカに都が遷る迄東ベンガルの中心として繁栄した古都です。
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バスを降りると、バスの係員さんが勝手にリキシャをアレンジしてくれました。これがインドだとボッタクリを疑わなければいけませんが、此処はバングラデシュ。迷わないようにと言うご配慮です。普通なら歩いていく私ですが、此処では親切をちゃんと頂きましょう。勿論言い値も支払いも適正価格でした。
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さて、13世紀になるとショナルガオンにもイスラームが到達し、モスクやマドラサ(神学校)が建造され、交易に強いイスラームの下、水運の利を上手く使って中国や東南アジア交易が行われ繁栄しました。
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しかしムガル帝国が覇者となると東ベンガルの中心都市はムガル帝国が整備したダッカへと移され、ショナルガオンは徐々に衰退していきました。
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ショナルガオンの街の中心にショドル・バリと呼ばれる地方領主の館が民族博物館として残されています。併設されたもう一つの博物館と共に大きな敷地は有料公園として維持管理されています。
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女学生さん達が記念写真を撮影しています。未々不十分ではある様ですが、厳格なパキスタンと比べればバングラデシュの女性は結構前に出ていますし積極的です。そう言えば現職の首相も女性です。
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物凄い女性のパワーです。服装から察するにヒンズー教のお嬢さん達の様です。皆様綺麗に着飾って、集合写真が終わっても各々撮影会が続いています。とても観光どころではありません。他の見所から先回りしましょう。
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建物を回り込んで奥へと進みます。敷地は水場が多い広大な公園となっています。
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ショドル・バリの脇も池があります。
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木造の橋を恐る恐る渡りました。
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蹴っ飛ばしたら壊れそうです。
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大きな池ではボート遊びも出来る様です。
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何やら賑やかな一画に出ました。
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広大な敷地の中央には移動式遊園地等もあり、大きなテントの下はお土産屋さんが出店していました。
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バングラデシュを旅していて初めてお土産屋さんを発見しました。いったい何が売られているのでしょう?
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素朴な置物を中心とした品揃えです。
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少なくとも海外から訪れた観光客が食指を伸ばす様なものはありませんでした。
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領主の館とは別に新設された博物館に入館します。(此方は公園の入場料に含まれる。)
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かなり素朴な展示品が陳列されていました。
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さてお嬢様達の見学も終了した様なのでショドル・バリを見学します。此方は公園の入場料とは別途入館料が必要です。
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内装は結構壮観です。
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建物の歴史も写真付きでしっかり解説されています。
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イスラームの影響もほんわか感じます。
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奥の中庭と取り囲む回廊。
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このイスラームのスライム型の紋様に更に半円を多数付け加えた様な形状、ムガル帝国の城郭等で見た事があります。アクバル皇帝によるイスラームとヒンズーの融和政策を象徴する様なデザインでしょうか?
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館内は展示数は少ないものの、見た事の無い様式の彫像が飾られていました。
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ヒンズー関連の偶像でしょうか?
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魔術的な妖しさを醸し出しています。
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第一と第二の中庭を繋ぐ部分はイスラームの多柱式モスクを彷彿させる門が連立する空間がありました。
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第一の中庭に戻ってきました。
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ショドル・バリの散策を終え、ゴアルディ・モスジッドを見学に路地を曲がりました。そんな私を不思議そうに見る地元の老人、!と思い老人に尋ねれば、やっぱり私は曲がる道を間違えていました。親切な老人に正しい道を教えて貰い、モスクに辿り着けばそこは学校の目の前、やっちゃいました。しかも放課後の下校時間と鉢合わせ。あっという間に学生さんに取り囲まれてしまいました。
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なんと学生さん達は英語を学んでいます。結構本格的、ベンガル語が見当たりません。でもこれなら読めるから急遽英語の先生になる私(本当か?)余りに人だかりが増えてしまい、驚いた先生が事態収拾に出てくる始末。ごめんなさい!
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そんな嵐の様な一瞬が収まって漸くモスクを参観します。名前はゴアルディ・モスジッド。シングル・ドームのシンプルで小振りのモスクです。建造年代は1493年から119年。バゲルハットのモスク群より新しく、ムガル帝国時代よりは古いものです。ムガル帝国期以前の貴重なイスラームのモスク建築となります。
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モスクには唐草紋様が彫られています。荒草紋様はペルシャ起源の紋様です。インドのイスラーム文化は常にペルシャ文化に憧れを抱いていたので、唐草紋様もそれと共に輸入されたのでしょう。更にその美しさは遥か東の日本に伝わりました。
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ゴアルディ・モスジッドのミフラーブです。
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外観的にはバゲルハットに点在する小型モスクとほぼ同様の可愛らしいモスクでした。
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ショドル・バリとゴアルディ・モスジッドの観光を終え、もう一つの見所パナム・ノゴルを探して、嘗ては黄金の都と呼ばれ、現在は寂れたダッカの近郊都市となったショナルガオンの長閑な道を歩みます。
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途中幾度も下校時間の学生さんの餌食になります。
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可愛らしい笑顔が次々と…。
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子供達の目はキラキラ輝き何事にも興味津々。海外からやって来た孤独な旅人は真っ向の、今日習ったばかりの英語の実践の相手。その力を発揮してバングラデシュを盛り上げていって欲しい!
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少年達にパノム・ノゴルの行き方を教えて貰いました。ちょい行き過ぎていた様です。
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パナム・ノゴルと言う一画を訪れました。現地ではパナム・シティと表記されています。地球の転び方では無料と表記されていましたが、今ではしっかり管理されているらしく入場料が必要でした。
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パナム・シティは現在は廃墟です。此処は元々ヒンズー教徒の富裕層が暮らす一画でした。しかし此処が東パキスタンとして独立し、イスラームの国となった為、ヒンズー教徒の間で不安が広まり、移住出来る資産があった富裕層のヒンズー教徒は移住していきました。結果彼等の暮らした豪邸は廃墟となったのです。
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国情がそれどころでは無かった時期もあり、廃墟は荒れ果てるままであった時期もありましたが、当時の建築様式を後世に残す貴重な歴史遺産である事から管理される事になりました。
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今では国内のヒンズー教徒を中心に多くの観光客で賑わうスポットとなっています。
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この一角が築かれたのは1895年から1905年だそうです。領主の館であるショドル・バリが築かれたのが1901年なので、同時代のショナルガオンの重鎮達が暮らした一画と言う事でしょう。
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インドのイギリスによる植民地時代は1858年から1947年、ムガル帝国が滅亡した後、目の上のたん瘤が取れた状態のヒンズー勢力が台頭し、時代の波に乗れた者達の夢の跡。東パキスタン建国が1955年の事ですから、約半世紀の栄華の跡です。
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イギリスの植民支配の終了、インドの独立そしてパキスタンとの分離に至る過程で、インドからパキスタンへと逃避するイスラーム教徒、パキスタンからインドへと逃げるヒンズー教徒で大混乱を極め、お互いの敵対感情が膨張する中、数多くの血が流される悲劇が生まれました。
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巨大な国に支配された地域が独立を果たした。それは美談に語られる事が多いですが、それは更なる宗教紛争だったり民族紛争の始まりだったりする事は事実多いのです。チトーを失った後のユーゴスラビアやソビエト崩壊後のコーカサスとか…。
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大きな組織の下では宗教や民族の違いも生活を脅かす存在とはならなかったのですが、いざその大きな存在が消え、並立していた片方が国を動かす権力を持った瞬間、持たざる側にとっては死活問題へと変わってしまうのです。かと言って長い歴史上交じり合って生きてきた彼等の生活圏を国境線と言う一本の線で分離する事は先ず不可能な事。そうした現実が各地で悲劇を産みました。そんな悲劇の中でも最大の一つにユーゴスラビア紛争の中起こった民族浄化が挙げられると思います。
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コーカサスを旅した時、未承認国家ナゴルノ・カラバフを訪れました。ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン領なのですがアルメニア人が多く暮らす事からアルメニアとロシアの後ろ盾の下未承認国家として独立しました。そのナゴルノ・カラバフ領内にシューシと言う街があります。そこはナゴルノ・カラバフ領内ではあるもののアゼルバイジャン人が多いと言う複雑な背景がありました。故にナゴルノ・カラバフ紛争に於ける最大の激戦地となり、ナゴルノ・カラバフ建国と共にシューシに暮らすアゼルバイジャン人は民族浄化の被害に逢い誰一人暮らす事が出来なくなりました。その廃墟を訪れた時の重々しい気持ちは今も忘れる事が出来ません。ナゴルノ・カラバフを巡る紛争はその後も続き、今度はアゼルバイジャンがシューシを奪還。ウクライナ紛争によるロシアの弱体化と共に再び紛争が再開されたとの情報もあり、心が痛みます。此処パノム・ノゴルは紛争による廃墟化ではありませんが、国が分裂した事を発端として廃墟化した事は共通しています。出来ればこれ以降この様な廃墟が生まれない未来である事を願います。
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此処を逃れてインドへ向った富裕層達は無事にインドへ辿り着けたのでしょうか?
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勿論インドへ移住できなかった、この地に暮らすヒンズー教徒も数多くいます。逆に移動出来なかった人々の方が多かったのではないかと思います。ご安心ください。バングラデシュでは現在でも約10%弱のヒンズー教徒が暮らしています。
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不謹慎な言い方になってしまうかもしれませんが、バルカン半島然り、コーカサス然り、エルサレム然り、そして此処バングラデシュも…。宗教や民族の坩堝な場所は、時に紛争と言う悲劇に飲みこまれるかもしれませんが、平穏時は正に見所満載な旅心を刺激し続ける場所とも言えると思います。
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何せ一つの街の中に幾つもの宗教や民族の歴史が詰まっているのです。勿論それだけに予習も大変ですが…。そしてそれを学ぶ中、平和と言うものが如何に壊れ易いものか、そして如何に貴重なものなのかと言う事もまざまざと実感させられます。民族紛争なんて日本には関係ないや!と思う人も多いでしょうが、人口が減り、海外から移住者も増えつつある昨今、問題が起こる前に我々も学ぶ必要があるのではないでしょうか?
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パノム・シティの街並みは思っていた以上に規模があり見応えがありました。
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廃墟マニアにはうってつけの案件だと思います。そう言えば我が国には紛争はありませんが、バブルと言う時代に色々やらかしたお陰で、遊園地やら巨大温泉旅館や高層マンション等有名な廃墟がありますね。
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あ!そう言えば軍艦島を忘れていました。日本のキング・オブ・廃墟です。日本を支えたエネルギーの変遷により廃墟化した日本の歴史の生き証人の様な廃墟です。廃墟と遺跡…。何処からが廃墟で何処からが遺跡なのでしょうか?
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此処パナム・ノゴルはその建築が持つ芸術性と歴史の変遷が認められ、またバングラデシュも豊かになって余裕も出てきた事が重なり、管理が施される様になり廃墟から遺跡への道を歩み出したと言うところでしょうか?
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パナム・ノゴルは水運で繁栄したヒンズーの富裕層の家屋と言う事もあって、様々な世界の建築様式が建築に反映されており、それを見比べるのも楽しさのひとつです。
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この門の左右に建てられた柱はコリント式。古代ギリシャの建築様式ですね。如何にもお金持ちが好みそうな様式です。
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あ!この家屋には装飾であるペイントも剥げる事無く残されていました。
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勿論ヒンズー教徒の家屋なので、当時のヒンズーの様式で建てられていますが、至る所に遊び心で取り入れられた彼等にとってのエキゾティックな演出が施されていて、当時の文化を想像する良い材料となります。
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パノム・ノゴルに人の暮らしがあったのは1900年頃から東パキスタンが建国される1955年の約半世紀。日本で言えば日清戦争後辺りから、大正浪漫、第二次世界大戦を通り抜け高度成長期に入る迄。たった50年とは言え世界が激動した時代でもありました。
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戦後さて、これから!と思った矢先、東パキスタン建国はパノム・ノゴルに暮らす人々にとって青天の霹靂だったに違いありません。もし東パキスタンが建国されず、ヒンズーの富裕層がそのまま此処で生活を続けていたとしたらパナム・ノゴルはどうなったのでしょう?
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かなり立派な造りで建てられているので、持ち主が歴史的価値を自覚しているのなら原型を保ちながら、現代的なリノベーションを加えながら生活しているかもしれませんし、そうでなければ富裕層なので、全てを解体し、まるっきり現代的な建築に置き換えられてしまっているかもしれません。
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一本道の両側に約50軒の富裕層の家屋の廃墟群、再び入口へと戻ってきました。不思議ですね。遺跡や廃墟はその過ぎ去った時間を鮮明に浮かびあげてくれます。過去に彼等が暮らした風景を想像したり、同時期の日本に想いを馳せたり、同じ様な背景で主を失った世界の廃墟を訪れた記憶が甦ったり…。
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帰りのバスに乗るべく大通りの入り口まで戻りました。
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陸橋からお腹を壊している時の貴重な食材バナナを探しましたが、オレンジや葡萄は何処でも見かけるのですが、バナナは中々見つかりません。
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ショナルガオンへの入り口はダッカの郊外都市だけあって、バハルプールやプティヤへの村の入り口とは規模の違う賑わいっぷりです。
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陸橋から眺める大通りは正に大幹線と言った風情です。
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壮観な眺めです。オート・リキシャがとても秩序だって整列しています。でも幾ら世界のトップクラスの人口密度のバングラデシュとは言えこれだけオート・リキシャが集まって果たして需要はあるのでしょうか?
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ブリゴンガ川を渡ります。ショドル・ガットがある川です。つまりこの川を渡ったと言う事はダッカへ戻ってきた事を表します。
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オールド・ダッカへ戻ってきました。いつもながらの喧噪です。もうこの喧噪が体に馴染んできました。何故かホッとします。
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指差し注文は現地の人も定番でしょうか?
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嗚呼お腹を壊していなかったなら、絶対に食べていたお店でした。衛生的か?ですって?コオロギ喰うよりよっぽどマシですよ!
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人があまり使わない陸橋の上は格好の犬の塒です。行き倒れさんの寝床でもありました。
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パワフルな熱気に満ちたオールド・ダッカのメイン・ストリート。
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喧噪を避けて路地に逃げ込みました。
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そんな狭い路地にもリキシャは活躍します。
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スナック菓子は、小さなサイズを繋がったまま簾の様に陳列するのがバングラデシュ風です。スナック菓子もピリ辛系が主体です。壊れたお腹には優しくありません。
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更に狭い道を求めて…嗚呼行き止まりでしょうか?
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最早狭過ぎる路地裏に迷い込みました。いったい何処へ繋がっているのでしょう?
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脱出出来ました!
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此処はいったい何処でしょう?
否、もう何処でも構いません。 -
人通りがある道に戻ってきましたも
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やっとメインっぽい道に出れました。
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アンコール遺跡のタ・プローム寺院は木に飲み込まれつつある姿が諸行無常を感じさせ、人気のある遺跡ですが、オールド・ダッカではなんと、街の一画の商店が木に飲み込まれつつありました。
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一体どの様な店主がこの家で暮らしているのでしょう?きっとこえだちゃんが住んでいるのだと思います。
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物凄いゴミの山、物凄い臭い。
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やっと此処に出ました。この陸橋迄来れば、目指すショドル・ガットもすぐ其処です。
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まるで蜘蛛の巣の様な配線。
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さて、大好きになったバングラデシュにお別れの挨拶をしに行きましょうか!
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ショドル・ガットの港通りに出ました。ブリゴンガ川からあらゆる物資が此処に集積されます。探していたバナナもありました。旅の最期が近づきました。旅の最期は旅の始まりに訪れた此処、ショドル・ガットに決めていました。さあ!ダッカにバングラデシュにお別れを告げに行きましょう!
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ショドル・ガットでは夕焼けの下、未だ未だ渡し舟が引っ切り無しに往来を続けています。渡し舟だけでは無く様々な物資が此処へ集積されてきます。多分その光景はムガル帝国が此処にダッカを築いて以来滔々と続けられてきた光景でしょう。私はその物資が集積される傍らに腰を下ろして、暮れ行くショドル・ガットの風景を満喫する事にしました。
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私をバックパッカーの旅へと傾倒させたインドの旅。以降歳を重ね、以前の様な体験重視の旅以上にイスラームをテーマとして旅をし始め、「此処は外せない。」と言う目的意識も芽生えた事で、ガイドさんやドライバーさんをチャーターする旅も増えてきました。只、インド亜大陸最後の未訪問国となるバングラデシュを訪れるに至って、やっぱり此処へは初心に還ってバックパッカー・スタイルで訪れようと心に決めていました。
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インドの旅での苦闘の経験から、結構身構えてのバングラデシュ訪問でしたが、実際は余りにも親切なバングラデシュの人々に支えられて、まるでパッケージ・ツアーに参加したか、ベテラン腕利きガイドに先導されたかの如く今日に至ってしまいました。ストレスを感じるどころか、感謝感激雨霰と言ったところです。やっぱり観光客ズレしていない国×イスラームの国のコラボレーションにハズレ無しです。
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様々なハプニングを乗り越えて…と言うのがバックパッカーの旅の醍醐味とするならば、肩透かしな程快適な旅となりましたが、その肩透かしで済んだ理由は、その場で出逢ったバングラデシュの人々の親切が積み重なったからこそであり、それが無かったとしたら私は途方に暮れていた事でしょう。
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日本を含めた先進国の旅は、時に一人旅である孤独を痛感させられる瞬間があるのです。昨今の流行り病のせいで余計その兆候が進んでしまいましたが、それ以前から先進国では快適・便利の方向性から、人と接する事無く旅が出来てしまうシステムが進んでいます。ネットを使って予約を済ませ、乗り物を使いこなし、グーグルマップのナビを使い人に道を尋ねる事も無くホテルや目的地に辿り着き、効率的に旅を済ませ、おおよそ会話を使う事も無く旅を完了させる事も出来てしまいます。でも、それで本当に楽しいのでしょうか?歴史にダイブし、テンションが上がっている内はそれでも楽しいものですが、ふと我に返った時、余りに無関心な世界観に恐ろしい程孤独を感じてしまう事があるのです。
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対して観光立国の途上国では集まってくるのは殆ど金目当てで疲れてしまったりします先に訪問したスリランカはその良い例でした。そんな中、バングラデシュは困っていれば皆、誠実に解決してくれようと努力してくれました。街を歩いていればそこら中から声がかかります。日本人だと解れば称賛してくれたり、お茶をご馳走されたり、一人である寂しさを感じる暇さえありませんでした。本当にバックパッカー・スタイルの旅で良かったと思える旅先でした。ガイドされた旅では、目的地から目的地へ移動はお任せなので、こうした現地の人々の優しさに触れる機会を失ってしまいます。バングラデシュは本当に自由旅行が楽しい旅先だと思います。確かに見所の派手さには欠けるけど、旅の本質が楽しい旅先だと感じました。(その旅の本質を何処に置くかは人其々だとは思いますが…。)
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私も良い歳なのですから、他人様の旅行記を眺めては、自分の旅のチッポケさに凹む時もありました。ビジネス・クラス?ファースト・クラス?の立派な飛行機の席。豪華ホテルやレストランの数々…。空港のラウンジ。「私のしらない世界」が其処にはありました。私も良い歳なんだから、少しは大人の旅をしろよ!とかも感じた事もありました。
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勿論お金をかけようと思えば幾らでもレベルは上げられます。でも、それじゃやっぱり駄目なんです。三つ子の魂百までと言いますか…。旅は金をかければかける程快適便利に旅は出来ます。しかし金をかければかける程、現地の人々とのギャップは離れて行ってしまいます。私の訪れる国は大抵途上国と呼ばれる国々です。其処で現地の人が一生訪れる事の出来ない様なホテルで泊まり、一生食べる事の無い様な高級レストランで食事をして、どうして現地を知る事が出来るでしょう?腹壊しても現地の人と同じものが食べたいし、現地の人が泊まる様なホテルで眠りたい。だから絶対旅先では現地の食べ物しか食べませんし、日本人宿なんて以ての外なのです。
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以前白人の友達を日本食レストランに招待した時、彼にだけ添えられたレンゲに彼は躊躇しました。
「どうして私だけレンゲがついてるの?」
「味噌汁は日本人はスプーンを使わず飲むんです。只外国人はスプーンを使いたい人が多いからだと思うよ。」
と私が答えると、彼はレンゲを放り出しました。彼は日本人と同じ様に味噌汁を嗜みたかったのです。多分私も彼の考え方と一緒なのでしょう。現地に溶け込みたくて旅に出るのですから、それに関わらないものを持ち込みたくないのです。快適とか便利だと言う要素を突き詰めれば長年暮らして拘った我が家に勝る場所なんて他にある訳がないのですから。知らない文化に飛び込むのですから、日本人も日本食もスマホも極力封印して現地にダイブしていたい。拘りなんです。そう自分のスタイルは容易く変えられるものではありません。それが結局不利に働いたとしても…。 -
野良犬みたいに旧市街の狭い道をクンカ、クンカと嗅覚働かせて歩き回るのが私の旅のスタイル。例えガイドさんを雇ったとしても前回のアルジェの様に、自分で歩ける様な旧市街はフリータイムを取って、自由な旧市街散策の時間を大切にしています。そんな旧市街徘徊が楽しかった中でもダッカは三本の指に入るのは間違いない街でした。
夕陽が傾いて、ブリゴンガ川に反射し橋を渡します。今なら渡し舟無しで対岸へと渡れるかもしれません。 -
途切れる事無く渡し舟の影法師が川を行き来します。乗船するはお仕事中なのでしょうか?お疲れ様の方々でしょうか?渡し舟は其々の人生を運んでいきます。無機質な日本の大都会の満員電車の車内では考えもしなかい感傷的な想いが浮かんだり…。
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渡し舟を蹴散らす様に、大型客船が川を横切ります。
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そうそう!観光資源に乏しいとか、派手さに欠けるとは言いましたが、私的には観光的にも十分過ぎる程堪能出来ました。インド亜大陸で最後に訪れた未訪問国でもあった事から、これまで追いかけてきた歴史の総決算とも言える場面と出逢えた事は感動的でした。西安から始めてガンダーラと続いた、玄奘三蔵の足取りを追った旅。実は経典を追った彼の旅はその後も続き、彼が辿り着いた先は、今回訪れたバハルプールを含むバーラ王朝の地であったり、これ迄インド、パキスタンを旅して訪れた様々なムガル帝国の史跡の末に辿り着いたムガル帝国終焉の地ののひとつラール・バゲル・キラーでは感無量の時を過ごせました。また、喧騒のダッカと長閑過ぎる地方のコントラストも素敵でした。
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持て余すかなぁと思っていましたが、どっこいどっこいあっという間に滞在時間は過ぎ去ってしまいました。本当に訪れて良かった。バックパッカー・スタイルで訪れて良かった。野菜が満載の川岸にへたり込んで暮れ行くダッカの時間を、時間に追われる事無く存分に楽しみます。
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陽は更に堕ち最早光の架け橋も途切れ途切れになってきました。
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単なる夕焼けのシーンですがブリゴンガ川を行き交う渡し舟の動きは予測が立て辛く、そんな渡し舟の動きを見てると飽きる事がありません。孤独じゃないですか?って?いや、此処はバングラデシュ。私の周りには最早地元の人が取り囲んでます。とりとめの無い会話を楽しみながら暮れ行くダッカを楽しんでいます。
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そう、これぞ「ダッカ3丁目の夕陽」です。
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もう最終日となっちゃったと言う寂寥感と無事見るべきものは見たと言う満足感が、ごっちゃ混ぜとなってブリゴンガ川に溶け込みキラキラ輝いています。
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こんな通勤手段なら仕事の疲れも一気に吹っ飛びそうだなぁ。
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まさかダッカで大好きな船の入った構図の夕陽を堪能する事になるとは思ってもいませんでした。
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カモメさんも帰宅の時間です。夕陽鑑賞隊の顔が夕陽に輝いています。バングラデシュは未々開発途上ですがとてもパワフルで若さに満ちたこれからの国です。上から目線で「今頃の若い者は…」と悪態をつく様な老害の様な国々よりずっとずっと好感が持てました。
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嗚呼夕陽が沈もうとしています。
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今、万感の想いと共に夕陽が沈んでいきます。また此処で夕陽を眺められます様に!
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陽は墜ちる寸前に一瞬その身を一際赤く染め上げます。思わず私が指差します。
「まるで空がバングラデシュの国旗の様だ!」
バングラデシュの人々と和やかに堕ち往く夕陽を眺めます。 -
もう太陽も首の皮一枚残すのみとなりました。脳裏にわエンドロールが流れています。Special Thanks to 親切を頂いた名も知らぬバングラデシュの人々の数々。本当に多くの親切に支えられた旅でした。
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夕陽がすっかり落ちてしまいました。バングラデシュの人々との即席「ダッカ3丁目の夕陽鑑賞隊」も握手と共に解散の時間です。
オールド・ダッカにありがとう!
バングラデシュの人々にありがとう! -
わざと細い路地裏を迷いながらオールド・ダッカを抜けていきます路地裏では職人さん達が腕を振るっています。いっそ迷ってバターの様に溶けてこの街に馴染んでしまいたいです。
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わざとナビも機能しない様な狭い路地裏を彷徨いながらオールド・ダッカを抜けていきます。
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オールド・ダッカを抜けました。此処迄歩いたならもう十分でしょう。後は信頼出来るリキシャに後事を託します。私は旅に点数をつけるのが好きではありません。他人様がどう判断するかは別として、旅した当時、自分の出来る限りがこれだったので満点をつけてあげたいのです。良く頑張りました!楽しみました!また大好きな国がひとつ増えました。バングラデシュの皆さま、本当にありがとう!最後の夜が更けようとしています。
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ダッカで空港へ向かう為初めてCNGに乗りました。動力として使われるガス名がそのまま愛称となっています。内部の客席はツーシーターなので地方を走るオートリキシャーの様に相乗りはありません。正にベビー・タクシーです。ダッカでは強盗避けの為客室周囲は全面網に覆われて、まるで護送車に乗ってる気分です。只今不良外国人を空港まで護送中です!
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嗚呼遂にお別れの時です。出発の朝、ホテルの洗面台の鏡に映る自分の顔を見て驚きました。到着時、快適・便利な平穏な生活にちょっと贅肉付き過ぎじゃね!と焦った私。インド亜大陸を旅する洗礼とも言えるお腹を壊して出すもの出し切って、食事を制限してた上で、散々歩いた結果、ベスト・ウェイトに近づけました!バックパッカーの旅はデトックスな旅でもあります。
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帰国便の飛行場。いつも、旅が終わってしまう…と感傷的になる瞬間です。そして旅行記を書き、此処迄書き進めると、再び感傷的な気持ちになります。これで今回の旅が完結してしまう…と。
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そんな時は「銀河鉄道999」のテーマソングを歌って感傷を吹き飛ばしましょう!
ひとつの旅が終わる時、それは新たなる旅が始まる時です。
次の舞台は何処でしょう? -
イスラームをテーマにした旅はアジア全域、故郷のアラビア半島、ヨーロッパの一部そしてアフリカ北部と物凄く広域です。でもだいぶ絞られてきてはいます。
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前回アルジェリアへ旅した時はアプリでした。半年も経たずに今回はWEBに変更になりました。アプリ作るのも、HP作るのも大層な予算が必要なのにどうしてコロコロ変えるのでしょう?面倒臭い。そしてこのシステム、効果はあるのですか?例えば私が某国の悪徳添乗員だったとします。
「は~い皆様!PCR検査してなくてもワクチン打ってなくてもご安心ください!これから私が送信したメールの青い画像を見せて検疫を通過して下さ~い!」
と言って本来赤表示のツアー・メンバーをスルーさせちゃう事も可能では無いでしょうか?
検疫ではパスポートと画面を照らし合わせたりせずに、この青い画面だけ(軽くスクロールくらいはするが…。)確認して済んでしまいます。これじゃ全く意味が無いのでやらない方がマシなのでは?と考えてしまいます。 -
成田空港からバスに乗りました。コロナ禍以前の様に最寄りの街迄は未だ運休状態です。新宿まで向かいます。バスが走り出して驚きました。体調も此処迄悪くなってしまったのでしょうか?感覚が狂ってしまったのでしょうか?バスが浮いています。まるでリニアモーターカーの様です。嗚呼そうか!これまでバングラデシュのバスに揺られ続けていたからです。悪路を走る度にバスは跳ね、アトミック・ドロップ(尾骶骨割り)を何度も喰らった様なダメージを受ける、如何にも「走ってます!」と言うバングラデシュのバスに体が馴染んでしまった為、現代の日本のバスの走行感覚が余りに無さ過ぎて気持ち悪く感じてしまったのです。
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車窓から流れる本来見慣れた光景は、余りにもソリッドで、余りに無機質で、そして待ち往く人々もごく疎らで、しかも生命感を感じない。まるでタイムスリップしてしまい未来の都市に迷い込んでしまったかの様な落ち着かない感覚です。まさか「きさらぎ」駅に到着なんて事は無いですよね?
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新宿に到着しました。それまでは大混雑であまり好きでは無かった新宿駅構内。今では余りに人が少ない様に感じます。いや、コロナの影響では無いでしょう。人々が皆恐ろしい程寡黙に、無表情で、秩序立って動いています。まるでアンドロイドの様に。これでは話しかけるタイミングすら掴めそうにありません。
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私はこの国に馴染んで上手くやっていけるのでしょうか?
どうやら壊したお腹と共に、心もリハビリが必要の様です。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- kayoさん 2023/10/08 01:47:18
- 勇気を頂けました!
- さっくん様、初めまして!
バングラ旅を計画しておりまして偶然出くわした旅人です。
旅行記を通して、バングラひとり旅に背中を押され、勇気づけられました。
私も何十年前に何度も行ったインド、バックパッカー旅で
免疫はついたと思っていましたが、久しぶりの南アジアでは腰が引けていました。
インドのムガール帝国がモンゴル、その後はウズベキスタンのティムールと
つながっていたとは?断片、断片でしか旅をしなかった者にしてはビックリでした。
凄く興味深く旅行記を拝見させていただき、勉強になりました。
前編のヒンズー教の村、昔に行ったインドのプシュカールを思い出しました。
私の中でもヒンドゥー寺院は極彩色の南インドスタイルではなく、
あの寺院のスタイルを思い出します。直近に行ったシンガポールでは
どこも南インドのヒンドゥー建築でしたが、
南インド出身者が海外へ華僑のように飛び出したかのかと勝手に想像しています。
あまりぼられず、言い値で旅できるって所が良いですね~。
所々で交渉も必要でありそうですが、こういう交渉も旅の醍醐味。
渡し船は地元民と一緒に乗れば5タカ、覚えておきます。
最後のサンセットの写真群、別れ恋しさが伝わってきます。
本当に良い旅をされたこそだと思います。
バングラデシュ人、人が良さそうなので安心しました。
kayo
- さっくんさん からの返信 2023/10/08 11:02:14
- Re: 勇気を頂けました!
- Kayoさん 暖かいコメントありがとうございます。南アジアと言うと経験しているからこそ構えてしまう部分ありますよね。でもバングラデシュやパキスタンは見違える程人が違います。親日家が多く、社交的でカメラに写るのが大好きな人達なので一人旅でも寂しくないと思います。ダッカは結構広いですが、モーティジール周辺が何かと便利だと思います。また大河に囲まれた平野の国なので乾季と雨期では交通が極端に変わる様なので時期と自分の趣向に注意してください。乾季は移動が便利な分、バングラならではの船の交通は出来ませんでした。一方雨期は水没してしまう部分が多いので移動の中心となるバス路線に不安が付き纏うと思います。インスタ映えする様な著名な観光資源が無い為人々が観光ズレしておらず、バックパッカースタイルの旅には理想的な国だと感じました。是非バングラデッシュの旅を満喫してきてください!
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