2008/11/04 - 2008/11/04
9位(同エリア94件中)
さっくんさん
インド四番目の訪問地はガシュラホー。ガシュラホーには前回のインドの旅でも訪れました。未だ世界遺産に認定される以前のガシュラホー村は本当に長閑な村でインドのカルチャーに苦しめられていた当時の私にとって癒しとなった村でした。そんな訳で期待も高かった再訪なのですが…。
十年前の旅の記憶も含めて紹介したいと思います。
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カジュラホを訪れました。十年前此処を訪れた時、デリー、バラナシ、アグラとインドきっての観光地のカオスに圧倒されていた私にとって、カジュラホはまるで癒しの様な村でした。
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そんな事もあってカジュラホの再訪は楽しみにしていました。村民にだから声をかけられた時は、待ってました!とばかりに気さくに会話を始めたのですが、次第に雲行きがおかしくなって行きました。単なる土産屋の勧誘だったのです。
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更に歩みを進めれば何人もの村民に声をかけられますが、全て土産屋の勧誘です。此処十年でカジュラホの寺院群は世界遺産に認定され、観光客が押し寄せ、そして観光地化されてしまったのでしょう。風景こそ変わりませんが、人は全くと言って良い程変わってしまいました。
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観光地化と言う事は彼等ばかりの責任では無く、此処を訪れる観光客の行いにも責任ある事なので一方的には責められません。それでも期待が高かった事もあってか、この変貌にはガッカリさせられました。
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そして余りにもしつこく、あまりにも粘着質に纏わりつく彼等をIt's none of your business!と激しく一喝し、それでも纏わりつく売り子を突き飛ばすと私は遺跡に入場するのでした。
解っています。この国で暴力を奮ったら負けです。でも、でも、悔しかった。悔しかったのです。十年前、あれだけ素朴だった人々が、オーバーツーリズムに毒されて、こんな金の亡者達へと豹変してしまった事がです。 -
10年一昔と言うけど、こんなに変わってしまうとは驚きです。さて此処で10年前のインドの旅を振り返ります。デリー編で書いた続きです。デリーで酔った勢いで適当に乗ってしまった夜行列車。それは酷い有り様でした。人の足が私の枕に、私の足が、誰かの枕に。通路に折り重なる様に一夜を過ごしました。
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朝起きて、鏡を見れば額が擦れたのかうっすら血が出ていて、それがまるでインド人が額に施すティーガの様で、私は「これでインド人らしくなった。」と苦笑しました。さて泥酔して先に述べた様な酷い有様の車内で眠りこけた私は、荷物を完璧に見失っていました。しかしそんな私の荷物をキープしてくれた人がいたのです。もし彼がいなかったら私の旅は此処で終わっていたかもしれません。デリーに到着してすぐ、危うくボッタクリ・フルコースに巻き込まれそうになり、インド人の糞っぷりに泥酔した挙句大暴れしてしまった私ですが、そんな私を救ってくれるインド人もいたのです。初対面でいきなり殴り倒されたかと思えば、いきなり優しくハグされた様な不思議な国…。と私は当時の旅行記に残しています。
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なんとか自分を取り戻した私が先ず最初にやらねばならなかった事。それはこの列車は何処に向かっているのか?そして今何処を走っているのかを知る事でした。何故なら適当に乗ってしまったからミステリー・トレイン状態なのです。
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一夜明かしてしまったので、次に向かおうとしていたアグラーはとっくに過ぎている筈です。乗客に尋ね捲ったところ、次に停まる駅で降りてバスを乗り継げばバラナシに行けるとの事です。これはデリーからは様々な方面に列車が出ている事を鑑みれば奇跡的な事でした。
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そこからバスを乗り継ぎ、最後はリクシャーを使ってバラナシへ向かったのですが、あれやこれや能書き垂れて値段がどんどん釣り上げてきます。
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リキシャが周りにいない場所へ止め、激しい口論の末に降りながら
「解った、解ったよ!払えば良いんだろ?」
とポケットに手を突っ込み、相手が油断した隙に
「あ、危な方~い!」
と指差しながら大声で怒鳴ります。思わず相手が振り向いた間に、予め見定めておいたリキシャの入れない路地裏に猛ダッシュです。その昔、下町の路地裏で警察とチェイスして鍛えたこの逃げ足をなめて貰っては困ります。嗚呼でも疲れます。体力的にも精神的にも。 -
アジアにはシクロやトゥクトゥク等、料金交渉制でトラブルの多い乗り物が多くありますが、インドの観光地のそれは、ちょっと異常です。(それでも強盗化する中南米のタクシーよりマシですが…。)
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その理由はカースト制にあります。タクシーの運転手はローカーストですからハイカーストからはボッタクれません。もしボッタクれば暴行を受けるでしょう。インドではハイカーストはローカーストに暴力を奮ってもほんの軽犯罪にしかなりません。だから彼等はカーストと関係の無い旅人からボッタクれるだけボッタクろうとするのです。
でも最近耳にしましたが、今ではウーバーで
呼べるリキシャも登場した様です。ボッタクリが淘汰される日が来るかもしれません。でもそれはそれで、インドらしさが失われる?
ボッタクリ、詐欺、嘘つきは、インド固有の伝統です(笑) -
この寺院の屋根に乗る三つの塔は、この国の三つの宗教(ヒンズー教、仏教、イスラーム)を表しており、三つの宗教の融和を願って建てられました。
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ただ私が訪れた08年はヒンズーとイスラーム間の感情の縺れが所々に散見され、旅をしていて恐さを感じる部分もありました。
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植民支配からの解放からインド、パキスタン分離迄のイギリスの無責任な政策により、両者が決定的に敵対する事となって、その後数度に渡る全面戦争が起こりました。当然現在でも両者にその痼は残ります。
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しかしそれとは別に、インドには特殊な事情による感情もあるのです。その発端はガンジーによる安直で無責任なローカースト救済が関係しています。
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ガンジーは、カースト制度により人として扱われないローカーストの人々を、人類平等を唱える宗教へと改宗させました。当時仏教はインドでは廃れほぼ機能していなかったので、結果殆どの人はムスリムになったのです。
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しかしながら、立場だけ変えても、周囲の見る目が変わらなければ、扱いも変わりません。更にインパ紛争で敵対国の宗教に鞍替えしたのですから、裏切者扱いされてしまいます。
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こうしてカースト制度と反パキスタン思想が変に絡んでしまい、事態を一層複雑にしてしまった感があります。
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私が心配した通り、私が帰国して2週間後、私が訪れたムンバイで同時多発テロが発生してしまいました。
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時にガンジーは聖人の様に扱われますが、実際の彼は闇なる部分も多く持ち合わせます。実際彼はカースト制度を擁護していますし、彼はボーア戦争当時黒人を差別する発言を多く残しています。アフリカでは、ガンジーの像を撤去する運動が起きた程です。
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カースト制度は身分制度であり人種差別とは違うと主張する人も多いかと思いますが、それは詭弁です。実際カーストの違いは人々の肌の色で大抵察しはつきます。インド映画の女優さんって大抵肌の色が薄いですよね。結局黒人差別と何ら変わりが無いのです。
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違いを挙げるならばカースト制度は黒人差別より遥かに長い歴史があり、更に宗教が絡んでいるので余計に厄介だと言う事です。
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カースト制度は現代社会の一般的見解では完全否定されて然るべき事ですが、インドに長年培われ心の芯まで染み込んだ思想なので、急激に変える事は大混乱を生じさせる危険も伴うでしょう。ただ、これからインドの発達が加速し、世界での立場が大きくなるのならば、カースト制度の撤廃を推進させねばならないでしょう。
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嘗てそんなカースト制度に反逆した男がいました。彼の名はゴーダマ・ブッダ。彼はカーストに関係無く人々は誰でも悟りを開けると説きました。
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インドでは結局ヒンズー教には勝てませんでしたが、東南アジアでは仏教の圧勝でした。玄奘三蔵や空海の活躍により、仏陀の言葉は日本にも到達しました。
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なんかここのくだり、ユダヤ教とイエス・キリストの出現に似ていると思うのです。ユダヤ教がローマの傀儡となり神殿と戒律ばかり重視して、本当に困窮している人々を救わない。そんな時勢に待った!を唱えたのがイエスなのです。
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仏様と言うと穏やかな表情しか思い浮かびませんが、周囲がカースト制度が当然である社会の中で、キッパリとそれは違うと発言し、行動に移したのですからブッダは鋼鉄の様な精神の持ち主だったに違いありません。
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本当様々な出来事が起きるインドの旅ですが、学ばされた事も沢山あります。
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苦労してやっと辿り着いたバラナシで、寺院に入ると子供達が群がってきます。一人が私の靴を靴箱へ、一人が道案内、一人が私の額にインド人が良く額に塗っている赤い塗料を塗ります。そして私が寺院を去ろうとするや否や「バクシーシ!バクシーシ!」と各々ががなりたてます。
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生憎細かいルピーの持ち合わせが無かった私は1ドル紙幣を差し出しました。それでも当時は破格です。皆俺も!俺も!と手を出すのを払って、私は「全員で1ドルだ。嫌なら払わん。YesかNoか?」と尋ねるも収集がつきません。そんな中、御破算になっては意味が無いと悟ったリーダー格があっという間に事態を収集しました。
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わたしはその聡明な少年に興味が沸き、もう1ドル君だけに払うから、私のガイドにならないか?と尋ねました。勿論少年は快諾、そしてそれは絶大な効果がありました。各見所で群がってくるバクシーシ狙い達を少年は軽々と追い払います。
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そんな彼に最後に連れていって貰ったのはガートと呼ばれる火葬場です。甘酸っぱい様な死臭立ち込めるガートに昇る煙を見ていると、最初こそ恐いもの見たさがやがて私の胸を打ち始めました。日本では死んだら機械の中で焼かれ、壺に封印された上で石の中に閉じ込められます。此処では人は露天で焼かれ、魂は煙と共に天に舞い、焼け残った体は川の藻屑となります。天涯孤独で自由人の私にとって、此方の方が相応しい最期の様に感じました。
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その後ガンジス川の畔で遠藤周作さんの「深い河」を読み耽り、アグラーに引き返しタージ・マハルを観光後此処カジュラホにやってきました。
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先に述べた通りカジュラホで長閑さを満喫した私は、当初のバラナシ~ブッダガヤ~コルカタでは無く、一路ネパールのカトマンズに行き先を変えました。しかしバスを乗り継いで向かう、その長い道中で、私はインドを旅する者への洗礼とも言える強烈な下痢に苦しむ事となります。
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ベンガル・タイガーかダイバ・ダッタが出没しそうなインドの山奥でバスは停留所に停まりました。私はもう限界です。私は「ちょっと待っててくれ!」と叫ぶとバスを降りました。でもこんな山奥に置いていかれたら堪りません。誰かに存在を知って貰わねばなりません。考えている暇はありません。でも私はナメ猫世代、お得意だったヤンキー座りで、インド人にメンチ切りながら速効で事を済ませバスに飛び乗ります。これぞ字の如くヤケクソでした。
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カトマンズに到着するや否や、私は薬局に駆け込み強めの下痢の薬を購入しました。宿を決めて早速薬を飲むと効果覿面!まるで火曜サスペンスの毒殺シーンの様にあっという間に吐血してしまいました。まるで無菌室で育ったかの様な日本人にとって、現地の薬は強烈過ぎたのでしょう。
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翌日私はジェネラル・ホスピタルへ向かいました。お医者さんは私の手首の至る所の脈を診ます。そして体温計も使う事無く、平熱である事、感染性の下痢では無いと診断を下し、処方箋を頂きました。不思議な事に、それ一発で私は全快してしまったのです。正に東洋医術の神秘です。
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そんな病後の体を癒しながら観光するにはカトマンズは最適な街でした。それを支えてくれたのは、そんな私の体調を気遣ってお粥を作ってくれる様になった料理店の存在です。そこで働く少年と親しくなり、そんな彼と話すのも楽しみのひとつになりました。
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しかし私はそんな彼を一度怒らせてしまった、いや泣かせてしまいました。それは何と無しの普段通りの会話でした。彼は聞きました。
「何で日本人の旅人ってみんな長髪なの?」
当時のバックパッカーは長髪が多かったです。そんな私もそのうちの一人でした。
「我々バックパッカーって類いは髪切る金があれば旅に使っちゃう、貧乏旅行者だから…。」 -
「嘘だ!嘘だよ…。」
彼の目には涙が一杯です。
「嘘だよ。だって君達は高い航空券買って此処まで来てる。僕は、どんなに頑張ったって、この国を出れやしない!」
金槌で頭ぶん殴られた様な衝撃の一言でした。 -
本当に失言でした。私が日本では相対的に貧乏なのは間違いないでしょうが、彼は絶対的に貧困層の少年です。余りに心無い発言でした。猛反省です。そんな大ピンチを救ってくれたのも少年でした。彼は機転も効く少年で、話題をすっかり変えてしまいました。
帰国後にバックパッカーのバイブル「深夜特急・インド編」を読んで驚きました。沢木耕太郎さんもインドで同じ様な体験をしていました。腹痛と共に、インドに訪れた日本人が、必ず通るだろう通過儀礼なのでしょうか?
10年前のインド旅行記は6話に続きます。 -
インドやネパールのローカーストと蔑まれる人々の中にも聡明な子供達が沢山います。逆に無能なハイカーストも大勢いる事でしょう。こんな身分制度(表向きは無くなりましたが…。)が続く限り、こんな才能豊かな子供達を身分だけで仕事を制限する事は、国にとっても大きな損失だと思います。
今時インドと言えばIT産業が有名ですが、IT産業は新しい産業が故にカーストに束縛されなかった為、必死にローカーストの人々が努力した結果、インド人の数学とローカーストのひたむきの努力が融合した結果、世界のトップクラスに躍り出たと言います。もしローカーストの縛りが完璧に撤廃されればインドは更なる飛躍を遂げる事でしょう。
逆に言えば、これまでインドはどれだけの才能の卵を無駄に失ってきたかと言う事です。 -
さて、今回の旅に戻ります。それにしても、どうして?って程あからさまな彫刻の連続です。
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それにしても複数とあり、動物とあり、ちょっとやり過ぎなくらい奔放に楽しんでおられます。
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なので純粋な人や女性の中には気分を害してしまう人もいる様です。
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ただ、表現としては、結構生々しかったり、日本人的には大胆過ぎる構図だったりもしますが、独特の丸みを帯びた造形の彫刻はユーモラスでもあり嫌味は感じられず、決してグロテスクに走るものでありません。
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因みに日本には48手あると言われるものが、インドでは108手あると言われます。
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それにしても何でまた、こんな彫像を彫る様になったのでしょう?
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普通彫刻と言えば王族の権威を表す様なものか、宗教の有り難さを表現するものが殆どです。
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でも、これは列記とした宗教に関わる芸術であって、公衆便所の落書きと一緒にしてはいけません。
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ミトゥナ像と呼ばれており、男女がひとつになって、初めて完全になると言うヒンズー教の思想から生まれたものと言われています。
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密教も後期になると、この様な思想を取り入れチベット仏教でも男女交合を描いた絵があったりしますから、元々地元に根付いた思想なのかもしれません。
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カジュラホにはヒンズー教の他にジャイナ教の寺院もありますが、そこにも変わらずミトゥナ像が彫られています。
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ヒンズー教は多神教で、信仰対象や思想、各々の神の人気も時代によって変遷します。カジュラホの築かれた時代は、ミトゥナ像が一大ムーブメントだったのかもしれません。
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行為による達成感と高揚、それを達観の域まで持っていく思想なのかもしれませんが…私は逆に煩悩の塊になってしまいそうです。
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もし玄奘三蔵の旅が、この時期だったとしたら、中国や日本のお寺にもエロ仏像の宝庫になっていたのでしょうか?
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ただ、本家インドでも、この時代以降ミトゥナ像はめっきり姿を消してしまうので一過性のムーブメントだったのでしょう。
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このミトウナ像を前にして、行為の奔放さに驚愕して、ガン見してしまう気持ちは良く解ります。私も同様です。
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ただ、それだけで終わったらもったいないのです。私は行為の最中の二人に寄り添っている人々の中に、非常に興味深い描写の彫刻があるので、そこも見逃さないで欲しいのです。
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例えば口を手で覆って「あらまぁ!」なんて仕草の女性。「イヤァ!」なんて手で目を覆いつつ、実は興味津々で指の間から覗き見しちゃってる女性、はたまた興奮しちゃったのか、手を自分の股間へついつい延ばしちゃう人まで…。
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是非主人公だけではなく、寄り添った脇役も見逃さないで眺めてください。
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また、彫像ばかりに目が行きガチですが、寺院本体の建築も素晴らしく、イスラーム支配が続いた北部では貴重な史跡です。
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それにしてもインドを旅して感じるのは宗教の多様性です。一国に様々な宗教が混在している珍しい国と言えます。
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最大勢力のヒンズー教、仏教とジャイナ教等インドで生まれた宗教。イスラーム等外来の宗教。ヒンズー教とイスラームから影響を受けて生まれたシーク教、中国から亡命してきたチベット政府もインドにあります。
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そのごった煮感こそがインドの魅力でもあるのですが…。
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それにしてもこれらの画像、4トラベル的に大丈夫でしょうか?
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これは世界遺産ですから…違法だと思われたなら、貴方が厭らしい妄想をなさっているだけです。
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PTA様が発狂しそうです。
ちょっとだけよ!
貴方も好きねぇ。
何度真似してオカンに叩かれた事か(笑) -
もう、お腹いっぱいになりました。
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遺跡を出るにあたって悩ましい事がありました。あの鬱陶しい客引き達がお出迎えなのは明白です。
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一方、このエロチックな寺院のグッズも見てみたいと言う気持ちもありました。でも、あんな連中からは絶対買い物したくない!
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結局遺跡からの退場は、鬱陶しい客引きを避ける為、裏口から出る事にしました。でも、ちょっと離れた場所に数少ない商品を地べたに並べた物売りがいました。見格好から明らかにローカーストの御老人。カーストが低いから入り口には立てないのでしょう。
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前を歩いていたインド人が、その物売りをからかったり挑発したり、酷い仕打ちして通り過ぎて行きました。
「幾らカーストが違うからって、なんて事しやがるんだ!」
10年前、一方的にボコられて怪我をしたローカーストの人を、同じ日本人のバックパッカーさんと医者に連れて行ったのですが
「これは人では無い(カーストが違うから)治療出来ない。」
と拒否られた事思い出しました。
狂ってるコイツら…
性分的に弱い者いじめは大嫌いなんです。 -
私も通り過ぎる時、何気無く御老人の商品を見下ろしました。
!!なんと御老人が売っていたのは、私が探していた商品、でもあの鬱陶しい客引きの店で買いたいとは思えないので諦めかけていた商品でした。 -
それはカジュラホのエロい彫刻を図柄にしたトランプです。否、基!ガシュラホの世界遺産を図柄にしたトランプです。これまで私の買うお土産は特殊過ぎて一般層には受けが悪かった事もありましたが、これならインドに興味が無い只のエロ親父にも受けそうだし、別の視点から見たら世界遺産のトランプでもあるのです。格好のバラマキ様のお土産になります。(男性専用ですが…)
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御老人は私が興味を持っている事を悟ると、押しつける事も無く、ひとつのパッケージを開いて中を見せてくれようとします。そんな御老人を制して、私は御老人に手持ちを全部くださいと頼みました。
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値段も御老人の言い値で買いました。釣りを探す御老人を制すと、御老人のインド人特有の円らな眼から涙が零れました。私の手を両手で握って頭を下げます。そんな御老人の手を私は両手で包むと私も頭を下げます。
感謝しなければいけないのは、私の方なのです。
ありがとう!御老人!
この街は世界遺産になってスッカリ変わってしまいました。どいつもこいつも金、金、金。私の綺麗な思い出は破壊され、私はすっかりこの街を嫌いになるところでした。でもこのローカーストの御老人だけが、当時の思い出通りのカジュラホの人でした。そしてこの御老人が私の思い出を守ってくださったのです。 -
「ローカーストのおじいさん、ありがとうございました。貴方のお陰でカジュラホを嫌いにならずに済みました。私の大切な思い出を守ってくださりました。そして今、貴方が売ってくれたトランプも素敵な思い出になっています。勿論貴方との出逢いも。」
最後までご覧になってくださりありがとうございます。
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