2008/10/31 - 2008/10/31
764位(同エリア1825件中)
さっくんさん
2008年に訪れたインドの旅を紹介します。ムガル帝国の栄枯盛衰の跡を追う事が第一のテーマで、他にも仏教、ヒンズー教遺跡も見学しました。記事中では、当時の10年前訪れた、ただただハチャメチャなインドの旅の記憶も交えながら進めたいと思います。(1,4,6話に分記します。)
インドは好き嫌いがハッキリ分かれる旅先だと思います。また、ガイドやドライバー付きで旅したのか?バックパッカーとして旅したのかでも大きく印象が変わってくると思います。インドには数多くの見所があります。そんな史跡をじっくりと楽しみたい人、インドが初で高齢な方は、ガイドとドライバーをつけた旅を強くお勧めします。ヨーロッパで個人旅行が出来たとしても、三分歩く毎に詐欺師と出逢う様な旅では、目的地までたどり着く前に、時間も体力も精神力も擦り減ってしまうでしょう。
でも観光よりも体験重視と言うバックパッカー道を究めたい旅人には、観光客ズレにズレ捲ったインドは最高の舞台とも言えるでしょう。幸いインドはガンジーの無抵抗主義のお陰で暴力に訴える犯罪は多くありません。たちはだかる詐欺師を上手くかいくぐり、日本では有り得ない体験を是非楽しんで欲しいと思います。
そんなバックパッカーを目指す旅人に遺書として残すとすれば
1インドに深夜に到着しない事。到着した場合は空港で一泊し朝、公共機関で(今ならメトロ?)デリーを目指す事。夜に空港で客待ちしているタクシーは99.9%詐欺タクシーです。運転手は二人組、先ず貴方の目的地は無視されます。そして暗闇で周囲の様子が解らない場所に唐突に行く手を遮る人物が(グル)現れこう言います。「貴方のホテルのある場所は、治安の問題で今クローズしてる。」「宗教儀式で入れない」etcと。そして貴方はボッタクリ・ホテルに強制連行されるでしょう。
勿論日中にデリーに辿り着いたにせよ、三歩歩けば詐欺師に当ります。ホテルに行くと言えど、鉄道に乗ると言えど、バスと言えど、必ず前期の様な理由をつけてガバメントの運営しているツーリスト・インフォメーション(ボッタクリ旅行社)へと連行しようとします。彼等は電話をして確認を取ったりしますが、それは巧みなグルです。組織的に動いていて、一人をかわしても、かわされた詐欺師が「そっち方面に鴨が向かった。」と仲間に電話するので、次の詐欺師に先回りされます。本当に疲れます。
兎に角、「〇〇の為に△△はクローズしている。(運行されていない。)」と言うフレーズを聞いた瞬間、詐欺認定してください。電話確認すると言うのもグルに電話しているだけなので信用しない事。そしてガバメントと言う言葉は他国では政府と訳しても、インドでは「ボッタクリ」と訳してください。三日間優しくされた相手でも、相手から貰った食べ物、飲み物は絶対口にしない事。記憶と財産を失う事になります。リキシャーの言い値なんて、十分の一の値段を言ってるくらいに思って信用しない事。リキシャーに乗る事は喧嘩する事。それくらいに構えて乗ってください。
そんな糞みたいな連中に囲まれてバラナシに至っては牛の糞にも囲まれて、臭いし汚いし嘘つきばっかりだし、本当インドが大嫌いになる事間違いないと思います。でも帰る頃には、もう一度訪れたくなる不思議な魅力も秘めた国でもあります。なんなんでしょうね?この国は!
それでは良い旅を!グッドラック!
PR
-
10年ぶりにインドへやって来ました。前回の様なハチャメチャな事にならない様に自戒を込めて、要所ではドライバー兼ガイドさんに手綱を握って貰います。取り合えず初日のデリーは自由です。
-
ラクシュミー ナーラーヤン寺院、ヒンズー教寺院です。
-
高度成長の歪みでしょう。物凄いスモッグです。
-
10年前、初めて訪れたインドで私はまんまとボッタクリ・フルコースを味わいました。奴等は各業者が手を組んで鴨から全てを奪い去ります。インドではグルでボッタクリが行われます。深夜にタクシーに乗ってしまったが最期、そのフルコースは始まります。
-
当時は深夜便で到着した客の選択肢はタクシーしかありません。そこでボッタクリ・タクシーの登場です。でも運賃をボルだけではありません。こっちが初見で暗闇のデリーで道が解らないのを良い事に、唐突に現れた実はグルが、治安情勢が悪化して封鎖されてるとか、様々な手口で、客の予約したホテルでは無く、提携してるボッタクリ・ホテルへ連行します。そしてホテルは翌日提携してるボッタクリ・旅行社に鴨を引き渡すと言う形です。以前このフルコースに嵌まった日本人の旅人が行方不明になる事件もありました。
-
私の場合はホテル迄は連行されてしまったのですが、手持ちのルピーが無かったので、翌日旅行社で両替をして支払う事になったのですが、そこから当時の私の悪癖である酒癖の悪さが爆発してしまいます。何せ騙されてとんでも無い宿泊費を請求され、望みもしないツアーに参加させられそうになっているのですからストレス・マッハです。
-
結果店側が「お願いですから二度と顔出さないでください。今すぐ出ていってください。」と言われる程店内でストレス発散の大暴走、結局宿泊料金は踏み倒して(所詮ボッタクリですから)旅行社を後にしたのは良いのですが、酔いを冷ます為、コンノート・プレイス脇の緑地でふて寝して、一時警察に連行され(保護され?)その夜、苦い思い出を残しデリーを後にするのでした。未だに酔っぱらいながら良くインドの鉄道の切符を買ったと思います。もしかして無賃乗車??…記憶にありませんBY角栄
-
しかしデリー駅で私の酒癖をピシャッと止めてしまう程の出来事が起こりました。切符は買ったものの、全てヒンズー語で何が何だか解らない、酔ってるから更に訳が解らない。そんな折ローカーストの少年が私の世話をしてくれたのです。バクシーシ目当ては解っていましたが、悪さを働く事無く必死に私の手伝いをしようとアレコレしてくれる少年に、列車が来たら幾ばくかバクシーシ施そうと思ったその時です。
-
拳王侵攻隊の様な(酔った私の目には間違いなくそう見えました。)ターバン巻いたシーク教徒の鉄道警察が少年の足首を掴むと、ごみ袋を引き摺るかの様に連れ去ってしまいました。ローカーストの少年が観光客にまとわりついていると判断したのかもしれませんがあんまりに、あんまりです。必死に追いかけましたが、酔った足では追いつけませんでした。インドのカースト制度は知ってはいましたが、これ程とは思いませんでした。私の不注意で少年を不幸に追い込んでしまいました。あまりにやるせなく、私は行き先も確かめず、たまたまホームに停まっていた列車に乗り込むと、逃げる様にデリーを後にしたのです。そして、泥の様に眠りこけました。
続きは4話で話します。 -
ですから、今回はしっかり観光したいと思います。
-
さて、最初に訪れたのはプラーナー・キラーです。
-
プラーナー・キラーはムガル帝国二代皇帝フマユーンが整備した城塞で、五代シャー・ジャハーンが築いたラール・キラーがあるので古い城と呼ばれています。
-
インドに初めて訪れた人は、北部インドを周遊する人が多いと思いますが、此処デリーの見所やタージ・マハルのあるアグラ等、ヒンズー教の国なのに、イスラーム所縁の見所が多いと感じるかもしれません。その理由はインドがイギリスの植民支配される以前はムガル帝国と呼ばれたイスラーム王朝の支配があったからです。
-
それ故、インド北部にはムガル帝国時代の史跡が多く、ヒンズーの史跡はムガル帝国の影響が及ばなかった南部に多く残ります。それは食文化にも影響が残っています。インドと言えばカレーですが、イスラームの主食はナンなので北部ではナンでカレーを食べますが、南部ではお米が主食のヒンズー教徒が多いので、カレーもお米で食べられます。
-
さてではムガル帝国とは一体何でしょう?日本でも昔は「我こそは源氏の血統!」なんて名を名乗る事で相手を圧倒していた時代がありましたが、それは世界でも同様だった様です。13世紀にユーラシア大陸を震撼させたチンギス・ハーンでしたが、14世紀、その再来と自称し、中央アジアを再び震撼させたティムールと言う男がいました。
-
ティムール帝国は一代で滅びたものの、16世紀にそのティムールの血統だと自称するバーブルと言う男が旗を挙げます。しかし、彼は故郷ウズベキスタンでは結局結果を残す事が出来ませんでした。そこで彼は現在のアフガニスタンに移動し時勢を読みます。
-
そんな時インドは弱小王国が群雄割拠している状態でした。そのチャンスをバーブルは逃しませんでした。そして念願の自分の王国を立ち上げます。場所は変わったとしても、彼の初志は自分の祖先が目指したモンゴル帝国の再興です。そんな訳でムガル帝国のムガルとは、インドの訛りであり、訛りを訂正するとモンゴル帝国になるのです。
-
つまりムガル帝国とはインドで花開いたモンゴル帝国、即ち外部の民俗が興した帝国であり、中国で言えば元や清の様な事例となります。
-
今回の旅は、そのムガル帝国の歴史を追う事が大きなテーマのひとつになっています。
-
プラーナー・キラーで陽気なインド人若者と仲良くなりました。
-
イケメン君と
-
ヤンチャ君
-
最後に「チャイでも如何?」って誘われましたが、私は反射的に断りました。するとヤンチャ君は言いました。
「君は賢明だね。インドでは睡眠薬強盗はそこら中にいるからね。」 -
さて、ヤンチャ君は私に親切に忠告したのでしょうか?それとも実は睡眠薬強盗を見破られて悔し紛れの発言だったのか?今となっては知る由はありませんが、睡眠薬強盗はヨーロッパでもインドでも日常茶飯事で行われているのは確かな事です。
-
オールド・デリーにやってきました。
-
どんな街でも、旧市街に入ってからこそ本 私の本来の旅が始まります。
-
ラージ・ガートにはガンジーの骨が分骨されています。ガンジーはヒンズー教徒なので基本はガンジス川に流されました。
-
小さなモスクがありました。
-
此方はヒンズー寺院です。
-
ラール・キラーを訪れます。5代皇帝シャー・ジャハーンが築いた城塞で、それに伴う城壁で囲まれた一画をオールド・デリーと呼んでいます。
-
赤砂岩はムガル帝国の建築では欠かせない建材で、ほぼ殆どの建築で使われています。
-
この赤砂岩の色から、レッド・フォートとも呼ばれています。
-
ムガル帝国の三大都市の現パキスタン・ラホールに向いているので、ラホール門と呼ばれます。
-
貴賓謁見の間に向かいます。
-
貴賓謁見の間です。
-
此処にシャー・ジャハーンが座りました。
-
言い遅れましたが現在オールド・デリーと呼ばれるこの街は、当時はシャー・ジャハーナーバードと呼ばれていたそうです。
-
ムガル帝国は伝統的に赤砂岩を使って各施設を作りました。ラール・キラーも同様なのですが、城内の施設はシャー・ジャハーンが好んだと言う、より高価な大理石が多用されています。
-
調べているのですが、中々解らない事もあります。デリーのラール・キラー。アグラのアグラー城。パキスタンのラホール城。三つの城は各々どの様に使い分けられていたのでしょう?
-
どの城も歴代皇帝が増築を繰り返しており、モスクや謁見の間等重要施設も同等に配置されているので、季節や情勢により使い分けていたのかもしれません。
-
少なくともシャー・ジャハーンは、この街に自分の名を冠する程なので、大のお気に入りだったに違いありません。
-
しかしそんなシャー・ジャハーンは後にアグラー城に幽閉され、自分の街に帰る事はありませんでした。
-
素晴らしい城郭でした。
-
ラホール門から続くオールド・デリーの表参道チャンドニーチョウクを歩きました。
-
インドへ来たなぁと実感出来る大通りです。
-
もう勝手に歩行者天国です。
-
インド名物チキン・マハラジャ・マックを頂きました。第三ヵ国のマックあるあるですが、料金設定が高い事、高い事、現地の感覚に慣れると日本人の感覚だと馬鹿馬鹿しい値段です。庶民的なカレーが二杯は食べられます。
-
ジャマー・マスジッドの門前町に来ましたが、明日の参拝にします。
-
ミナレットが夕陽に映えます。
-
正にカオスです。楽しいな。
-
嗚呼、完璧にインドのカオスに酔っています。
-
このカオスな街角に突如地下鉄の駅へと続く階段を発見し驚愕しました。将来的(現在は完成?)には空港まで延びると言います。これが10年と言う月日の変化でしょうか?もう、ボッタクリ・タクシーも昔話でしょうか?地下鉄はやはりカオスの様な混雑でした。
-
翌朝、ジャマー・マスジッドを訪れました。
-
ジャマー・マスジッドを訳すと金曜モスク。金曜モスクは固有名詞では無く、その街の中心的モスクをそう呼びます。
-
ムガル帝国版ラムセス2世、即ち建築王5代皇帝シャー・ジャハーンによって建立されました。
-
ミナレットの上に登れます。
-
ラール・キラーを見下ろします。
-
此方は旧市街方面です。
-
そして正門方面を眺めました。
-
広大な敷地です。
-
ミナレットから降り、モスクを見上げました。
-
ムガル帝国の築いたモスクの3連するドームの配置は、モスク建築のひとつの様式として世界に広まっています。
-
現代モスク建築の最高峰でもあり、世界各国のモスクの様式を取り入れて建てられた、アブダビのシェイク・ザーイド・グランド・モスクにも、この三連のドームが採用されています。
-
イスラーム建築は基本シンメトリーに建てられるので、真正面からの構図がいちばんしっくりきます。
-
旧市街を後にします。
-
二代皇帝フマユーンの廟を参拝します。
-
因みに初代バーブルの廟はアフガニスタンにあるので現在参拝は難しいです。三代アクバル、五代シャー・ジャハーン、6代アウラングゼーブは当旅行記で4代ジャハーン・ギールはパキスタン編で訪れます。
-
二代皇帝フマユーンは不遇の皇帝だったと言えるでしょう。強大なる男、シェール・シャーと同じ時代、同じ場所に王として君臨したのは不遇の事。あっという間にムガル帝国は蹂躙され、フマユーンは命からがらペルシャに亡命、息子アクバルは人質として囚われの身になり、呆気なくムガル帝国は滅びてしまいます。
-
シェール・シャーがどの様な人物だったかはパキスタン編で語りますが、秦の始皇帝しかり、チンギス・ハーンしかりティムールしかり、カリスマ的強さを誇った者程後継ぎに恵まれないパターンは歴史あるあるです。シェール・シャーも正にそれだったのです!
-
フマユーンもまた、只の二代目のボンクラでは収まらない男だった様で、シェール・シャー亡き後の彼の国の混乱に乗じて彼の国を滅ぼし、アクバルを生還させ、そしてムガル帝国を再興しました。
-
ペルシャでパラダイスを具現化した造り、四分庭園が築かれ、田の字に水路が施され、その中央に廟が建てられます。こうする事で四方どの方向から眺めてもシンメトリーな造形となります。
-
ドームは後のタージ・マハル程の膨らみを持たず、ペルシャ調の球根型に近いもの。建材赤砂岩を基調に大理石で白の紋様が入ります。
-
後のタージ・マハルに繋がる端麗な霊廟でした。
-
デリーで最後に訪れたのはクトゥブ・ミナールです。
-
インド最古のミナレットでムガル帝国以前の奴隷王朝時代に築かれました。
-
ミナレットはヒンズー教やジャイナ教の寺院を破壊して、その建材を再利用して建てられた事で、それらの文化も折衷されたものとなっています。
-
左に建つ鉄柱は、鉄の純度が異様に高く錆びないのだそうです。その製法は今も判明していないそうです。
-
モスク跡も結構見応えありました。
-
その後、もっと高いミナレットを気づく予定もあった様です。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。次回はジャイプールを訪れます。 -
しかし、指揮を取ったハルジー朝のスルタン、アラー・アッディーンが暗殺された事で中断されてしまいました。そんな失意のアラー・アッディーンの廟が残されていました。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。次回はジャイプールを訪れます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
南アジアの旅
-
インド1
2008/10/31~
デリー
-
インド2
2008/11/02~
ジャイプール
-
インド3
2008/11/03~
アグラ
-
インド4
2008/11/04~
カジュラホ
-
インド5
2008/11/04~
アウランガバード
-
ブータン
2016/12/10~
ブータン
-
バングラデシュへ!号外
2023/01/29~
コロンボ
-
バングラデシュへ!前編スリランカでトランジット1
2023/01/30~
コロンボ
-
バングラデシュへ!前編トランジットでスリランカ2
2023/01/31~
コロンボ
-
バングラデシュへ!入国からバゲルハット迄
2023/02/01~
クルナ
-
バングラデシュへ!バハルプール
2023/02/03~
その他の都市
-
バングラデシュへ!プティヤ
2023/02/05~
その他の都市
-
バングラデシュへ!ダッカ
2023/02/06~
ダッカ
-
バングラデシュへ!ショナルガオン~ダッカ~帰国迄
2023/02/07~
ダッカ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
デリー(インド) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 南アジアの旅
0
80