2015/11/13 - 2015/11/13
71位(同エリア126件中)
さっくんさん
フランスのクソゲーメーカーUBIがアサシンクリード・シャドウズの発売延期を発表、株価は大暴落、延期によって2000万ユーロの損失が出る見込みの様です。でもこれだけでは足りません。日本を侮辱した作品を発表した償いは倒産で補って貰わねばなりません。ポリコレに汚染された企業は要らない。皆さんあと一息です。頑張りましょう!
さて、今回は再び郊外へ。ロータス・フォートを見学します。アグラー城やラホール城と違って、この城は皇帝が暮らす為の城では無く実践の為の城なので前述の城の様な煌びやかさはありません。しかしこの城の来歴を学べば、どうしてアクバルの偉大な功績を残せたかが理解出来た様な気がしました。
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本日もデコトラを眺めつつ、ロータス・フォートに向かいます。
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本日も動物さんに出逢いました。ヤギさんがご飯を食べています。
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パキスタンでは車も家畜を撮る時は主さんもしっかり写してあげましょう。頼まなくても頼まれます。
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素敵な笑顔に出逢いました。
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本日はバザールでは無いので、動物さん達ものんびりしています。
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ロータス・フォートに到着しました。
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では城内に入りましょう。
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ロータス・フォートはシェール・シャーと呼ばれる人物により建造されました。
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シェール・シャーはムガル帝国一代バーブルの配下でしたが二代フマユーンの政策に反発、一時はフマユーンをペルシャに亡命させ、彼の息子アクバルを人質にし、ムガル帝国を崩壊に追い込みました。
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シェール・シャーはスール朝を開き、最盛期にはアフガニスタン、パキスタン、北インド迄勢力を拡げました。
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一代で突如として頭角を表し、瞬く間に広大な領土をかっさらったその秘訣は何処にあるのでしょう?
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先ずは道路の整備が挙げられます。グレート・トランク・ロードと呼ばれる道をアフガニスタンからバングラデシュ迄繋げました。
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インフラの整備は軍事面、政治、産業、全ての意味合いで重要な要素となった事でしょう。
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そして第二に御当地の既存領主との融和政策です。
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ヒンズー勢力が多数を占めるこの地方では、彼等と全面戦争を行うより、武力で圧倒した上で友好的な政策で従属させる事こそが重要だったのです。
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王立モスク跡。
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この歴史を知って私は驚きました。ヒンズー勢力との融和政策はムガル帝国3代皇帝アクバルが帝国の基盤を確かなものとした政策だったからです。
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そのアクバルはシェール・シャーに人質として捕らえられていました。
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当時のアクバルは未だ少年に過ぎません。しかしムガル帝国が復活し、アクバルが玉座に就いた時、シェール・シャーと同様の政策を行ったのは事実です。
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アクバルは人質の身でありながら、シェール・シャーの手腕を虎視眈々と学んでいたのかもしれません。
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シェール・シャーはその他にも貿易に於ける税金の撤廃や貨幣制度の改革等を次々に行い、優れた手腕で短期間に大きな領土を掌握しました。
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先程幼少だったアクバルがシェール・シャーの政策を学べたのか?と疑問を投げ掛けましたが、もとい!シェール・シャーの作った体制が完璧過ぎた故、変える必要が無かったのかもしれません。
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少なくとも在位した時幼少だったアクバルにとって、この完璧な体制は有利に働いた事でしょう。然しながら、その体制の利点を把握し、自分のものとし、更に発展させたからこそ、アクバルもまた名君として語り継がれる事になったのでしょう。
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それにしてもこれだけの功績を残した傑物が、どうしてあまり知られていないのでしょう?私は見逃していました。
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それはシェール・シャーと彼が興したスール朝の存在した機関が余りに短い事によります。
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スール朝を興して5年、シェール・シャーは突然の事故により他界してしまったのです。シェール・シャーの偉業が余りにも大きかった事もあり彼の亡き後王朝は混乱に陥ります。突然の崩御に彼の息子はその混乱を終息させる事は出来ませんでした。
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そんなスール朝の混乱を見逃さなかった人物がいます。シェール・シャーに敗北しペルシャに亡命していたムガル帝国2代皇帝フマユーンです。彼はこのチャンスをしっかりとものにし、スール朝に雪辱を果たしムガル帝国を再興する事に成功しました。こうしてスール朝はたった6年で歴史からその名を消す事となったのです。
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二代目は兎角ボンクラ扱いされる事が多いですが、フマユーンはそれにあたらないでしょう。確かにシェール・シャーに一旦国を明け渡してしまいましたが、それはシェール・シャーと言う男が傑物だったから。彼の亡き後雪辱を果たしたのですから、フマユーンもまた、たいした男でありました。
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こうして、スール朝はあっさり歴史からその名を消してしまいましたが、シェール・シャーの功績はムガル帝国3代皇帝アクバルへ引き継がれ帝国の基盤を磐石なものへと変えていく事となるのです。
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ムガル帝国の視点から見れば、雨降って地固まったと言う事となったと言えましょう。
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ハヴェリ・マン・シン。ハヴェリとは邸宅。マン・シンはムガル帝国3代皇帝アクバルが一番信頼していた将軍です。と言う事はスール朝が滅びてムガル帝国がロータス・フォートを奪取後に建築されたものでしょう。
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周囲は本当何も無い長閑な自然が広がります。
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薪を集めているのでしょうか?
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城の周囲は約4キロにも及びます。
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城内には巨大な井戸が掘られています。三つ掘られていた様です。
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井戸の底まで階段で降りる事が出来る構造になっています。
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巨大な井戸を覗き込みました。
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ロータス・フォート整備の目的はペルシャに追放したムガル帝国2代皇帝フマユーンの復帰を牽制する為でした。
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防御を目的とした実践的な城であり、ラホール・フォートやアグラ城の様な居城では無いので質実剛健な造りだったのでしょう。
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だからか、城にはきらびやかな装飾は一切見られません。
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城外には城下町もありません。現在城内に小さな村落があります。
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その代わり堅牢な城塞があります。
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正に戦う為の城だったと言う事です。
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これだけ難攻不落に造られた城ではありますが、実戦を経験する事無く現在に至ります。
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今となっては時を経ても倒壊する事無き屈強な城壁が風を受けながら佇むのみ。アクセスが悪いので訪れる観光客も疎らです。
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デリーのラール・キラー。アグラーのアグラー城そしてラホールのラホール・フォートとムガル帝国の三大城塞を旅しました。そのどれもが皇族の居城で、その城下町は現在でも賑やかな大都会でした。
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ですから周囲を大自然に囲まれた巨大で堅牢な廃城は私にとって新鮮に感じました。
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今回ロータス・フォートを訪れて本当に良かったと思います。
インドを旅してムガル帝国の歴史に興味を持った私でしたが、二代皇帝フマユーンの時代に政権が一時奪取されていたとは知りませんでした。 -
いや、知っていたとしてもたった6年間の出来事です。何処かの山賊の様な者に奪われて、フマユーン自身がリベンジして、3代アクバルが名君で…。と教科書通りに軽く流していた事でしょう。
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しかし、此処を訪れる事になって、必死になって予習して、現地のガイドさんの説明を受けて、そして自分の足で歩き感じる事で、漸く歴史の真実に近づく事が出来ました。
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ムガル帝国の奪われた6年は、シェール・シャーと言う類稀なる名君によって為された偉業であって、彼の突然の死は彼の興したスール朝には不幸となったが、それを取り戻したムガル帝国にとっては「雨降って地固まる。」結果を齎し、彼の偉業を引き継ぎ発展させたアクバルは、これを以て名君と呼ばれる様になったと言う事です。
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全く無学で、旅にでも出ないと知識が増えないお馬鹿さんの私ですから、これからも少しでも旅に出て学んでいきたいと思います。ロータス・フォートには色々と学ばせて頂きました。世界の政治家のお馬鹿さん達、シェール・シャーの言葉聞こえましたか?繁栄の秘訣は融和ですよ!戦ってる場合じゃないですよ!特に青と白と赤で出来てる旗持ってる国の政治家さん!耳かっぽじって聞いてくださいね!
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さようなら、ロータス・フォート。
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見学を終えラホールに戻ります。デコトラさんもお疲れ様です。
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夕食はカレーです。
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料理は見た目ではございません。
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車窓から夕陽が見えました。
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この様な夕陽をシェール・シャーも眺めていたのでしょうか?
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楽しかった一日が終わります。
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嗚呼渋滞です。
本日も最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- kummingさん 2024/11/10 14:43:28
- すごく面白かったです♪
- さっくんさん、お久ーでございます。
どこぞのブログで(サウジだったかと??)1番やりたかった、行きたかった処に行けて、その達成感、満足感のあと、しばらく虚脱状態に陥った、とおっしゃっていましたよね?
さっくんさんとは比べようもない貧弱な旅歴の私ですが、南伊旅の後、私もそのような状況に陥り、しばらく旅へのモチベも4tr チェックする気も失せていました。ですが、旅立つ時には、すでに次の旅のフライト、をおさえてしまう(安い時期に買っておく)くせがあり、そんな状態のまま訪れたモロッコでした。
さっくんさんがアップされるブログも、その間(去年秋~今年夏)きちんと読めていなかった気がします。でも、インドにイスラム建築多し⁈は、目から鱗(*_*)
俄然、インドに行きたい~、もちろん初心者マークの定番王道廻るだけ、になるけれど。
このブログはパキスタン編なので、ムガール帝国の統治って、今のパキスタンにまで及んでいたって事ですか?
制覇した地を統治するには、武力ではなく寛容の精神をもってせよ! ですよね。北風と太陽、なら、太陽政策こそが賢い正しい戦略ですよね?
今、世界にはびこる独裁者たちに、ちゃんと歴史のお勉強して学んで欲しい、今日この頃^ ^ 良かったら、イスラム圏世界の話、歴史で、さっくんさんが読まれて良かった本とか、教えてもらえたら嬉しいです♪
長くなりましてm(._.)m
- さっくんさん からの返信 2024/11/10 19:48:30
- RE: すごく面白かったです♪
- コメントありがとうございます。kummingさんと言えばイタリアのイメージが強いので、イタリアへの熱量はさぞかし強いものがあると思います。見るべきものは見た!とは平知盛の辞世の句ですが、正にそんな想いだったのでは無いでしょうか?
さてムガル帝国の初代バーブルは実はウズベキスタン出身でジンギスハーンの再興を目指したティムールの血統。彼もモンゴル帝国の再興を目指しましたが故郷では夢を達成出来ず、アフガニスタンのカブール迄落ち延び、虎視眈々と時節を待ちました。その頃インドでは弱小勢力が小競り合いを繰り返していました。そんなチャンスを見逃さずバーブルはインド北部を制圧モンゴル帝国を興します。ムガルはモンゴルのインド訛りなのです。つまりムガル帝国とは中国史で言う元や清と同様異民族による支配に相当します。
そんな訳でインド(パキスタン・バングラデシュ含む)では北部ではムガル帝国(イスラーム)その影響力が及ばない南部はヒンズー勢力が支配しました。これは食べ物にも影響を与え、北部のカレーはイスラーム式にナンで食べ、南部はヒンズー式に米で食べます。
この様に北部にはムスリムが多く暮らし、南部はヒンズーが多かったものを、イギリスが勝手に東西に国境を引いてインドとパキスタンに分けてしまいました。当然インドに残されたムスリムはパキスタンを目指し、パキスタン側に取り残されたヒンズーはインドを目指しましたが、当然そんな中で悲惨なぶつかり合いが多発し、印パ紛争を過激なものにしました。イギリスはパレスティナ紛争でも大きな遺恨を残しましたが、インドでも悲惨な紛争の発端を作りました。
そんな訳なのでインド・パキスタンの北部に残るムガル帝国の三大城塞と城下町があった、デリー・アグラー・ラホールには、現在の国境とは関係無く多くのイスラーム史跡とムスリムが暮らしているのです。また~ーバードと言う地名はイスラマーバード同様イスラーム式命名であって、インドのハイダラーバードやアウランガーバード等もムスリムが多く暮らす街となります。
どうやらインドに興味津々の様ですが、インドの自由旅行はちょっと他国の様にはいきません。行く前に他のバックパッカーや私に知らせてください。本当詐欺師ばかりだし、他国と違って詐欺師同士が連携しているので非常に厄介です。これを話し出したら一晩必要だ(笑)
この頃目が弱まったのか本を全然読めて無くて…思い出したら随時紹介したいと思います。この様にインド・イスラーム文化は中央アジアからやって来た人々が、当時の西アジアのイスラーム文化の中心、ペルシャの様式とインドの芸術を掛け合わせて素晴らしいイスラーム建築を想像しました。特にムガル様式の三連のドームや玉葱型のドームは本家アラビア迄逆輸入され、今やモスクのシンボルにさえなっています。
自由旅行を究めし旅人がいずれ必ず訪れる国、インド。
「インドなんて二度と行くか!ボケ!…でも、また行きたいかも?!」
なんて書籍がありましたが、本当そんな国だと思います。
どれでは良い旅を!
> さっくんさん、お久ーでございます。
> どこぞのブログで(サウジだったかと??)1番やりたかった、行きたかった処に行けて、その達成感、満足感のあと、しばらく虚脱状態に陥った、とおっしゃっていましたよね?
>
> さっくんさんとは比べようもない貧弱な旅歴の私ですが、南伊旅の後、私もそのような状況に陥り、しばらく旅へのモチベも4tr チェックする気も失せていました。ですが、旅立つ時には、すでに次の旅のフライト、をおさえてしまう(安い時期に買っておく)くせがあり、そんな状態のまま訪れたモロッコでした。
>
> さっくんさんがアップされるブログも、その間(去年秋~今年夏)きちんと読めていなかった気がします。でも、インドにイスラム建築多し?は、目から鱗(*_*)
> 俄然、インドに行きたい~、もちろん初心者マークの定番王道廻るだけ、になるけれど。
>
> このブログはパキスタン編なので、ムガール帝国の統治って、今のパキスタンにまで及んでいたって事ですか?
> 制覇した地を統治するには、武力ではなく寛容の精神をもってせよ! ですよね。北風と太陽、なら、太陽政策こそが賢い正しい戦略ですよね?
>
> 今、世界にはびこる独裁者たちに、ちゃんと歴史のお勉強して学んで欲しい、今日この頃^ ^ 良かったら、イスラム圏世界の話、歴史で、さっくんさんが読まれて良かった本とか、教えてもらえたら嬉しいです♪
>
> 長くなりましてm(._.)m
- kummingさん からの返信 2024/11/10 23:24:52
- RE: RE: すごく面白かったです♪
- さっくんさん、丁寧なお返事に感謝ですm(._.)m
ざーっとですが、わりと最近、何もなかった無風地帯、と思い込んでいたユーラシア大陸、中央アジア地域一帯が、歴史上とってもダイナミックな地域で、その動きがアジアはもちろん、中東、西欧世界に大きく影響していたんだなー、という事を知りました。その過程でインドとテイムールの末裔の関係も、ムガールがモンゴルのインド訛りって事も、うっすらと知ったので、いつもさっくんさんの解説はとっても面白くてためになる!
追いかけるほど深みにハマり、私の手に負えない世界、世界は繋がっているんだなー、と今さらながら、しみじみ。
どっちかというと、横の糸(地理的広がり、地政学的繋がり)より、縦の糸(時間的流れ、歴史的繋がり)、に興味の重心があったのですが、最近は横の糸にも興味が湧いてきて、ますます私の頭では追いかけられなくなってます(笑)
実に大英帝国ってロクなことやっていませんね!さっくんさんほどではないけれど、私も西欧世界優性説には疑問を感じる今日。
だいたい私が行ってみたい処は踏破済みのさっくんさん、インド個人旅は一応、旦那の引退記念?という事にして、荷物持ち、兼ボディガード?として帯同予定、旅程作成の際は、アドバイスなど、よろしくお願い致します♪
何を隠そう、私がイスラム世界とキリスト教世界の絡み、への関心をもつようになったきっかけは、塩野七生さんとさっくんさんでした。
遅くに失礼致しましたm(._.)m
コメントありがとうございます。kummingさんと言えばイタリアのイメージが強いので、イタリアへの熱量はさぞかし強いものがあると思います。見るべきものは見た!とは平知盛の辞世の句ですが、正にそんな想いだったのでは無いでしょうか?
>
> さてムガル帝国の初代バーブルは実はウズベキスタン出身でジンギスハーンの再興を目指したティムールの血統。彼もモンゴル帝国の再興を目指しましたが故郷では夢を達成出来ず、アフガニスタンのカブール迄落ち延び、虎視眈々と時節を待ちました。その頃インドでは弱小勢力が小競り合いを繰り返していました。そんなチャンスを見逃さずバーブルはインド北部を制圧モンゴル帝国を興します。ムガルはモンゴルのインド訛りなのです。つまりムガル帝国とは中国史で言う元や清と同様異民族による支配に相当します。
>
> そんな訳でインド(パキスタン・バングラデシュ含む)では北部ではムガル帝国(イスラーム)その影響力が及ばない南部はヒンズー勢力が支配しました。これは食べ物にも影響を与え、北部のカレーはイスラーム式にナンで食べ、南部はヒンズー式に米で食べます。
>
> この様に北部にはムスリムが多く暮らし、南部はヒンズーが多かったものを、イギリスが勝手に東西に国境を引いてインドとパキスタンに分けてしまいました。当然インドに残されたムスリムはパキスタンを目指し、パキスタン側に取り残されたヒンズーはインドを目指しましたが、当然そんな中で悲惨なぶつかり合いが多発し、印パ紛争を過激なものにしました。イギリスはパレスティナ紛争でも大きな遺恨を残しましたが、インドでも悲惨な紛争の発端を作りました。
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> そんな訳なのでインド・パキスタンの北部に残るムガル帝国の三大城塞と城下町があった、デリー・アグラー・ラホールには、現在の国境とは関係無く多くのイスラーム史跡とムスリムが暮らしているのです。また~ーバードと言う地名はイスラマーバード同様イスラーム式命名であって、インドのハイダラーバードやアウランガーバード等もムスリムが多く暮らす街となります。
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>
> どうやらインドに興味津々の様ですが、インドの自由旅行はちょっと他国の様にはいきません。行く前に他のバックパッカーや私に知らせてください。本当詐欺師ばかりだし、他国と違って詐欺師同士が連携しているので非常に厄介です。これを話し出したら一晩必要だ(笑)
>
> この頃目が弱まったのか本を全然読めて無くて…思い出したら随時紹介したいと思います。この様にインド・イスラーム文化は中央アジアからやって来た人々が、当時の西アジアのイスラーム文化の中心、ペルシャの様式とインドの芸術を掛け合わせて素晴らしいイスラーム建築を想像しました。特にムガル様式の三連のドームや玉葱型のドームは本家アラビア迄逆輸入され、今やモスクのシンボルにさえなっています。
>
> 自由旅行を究めし旅人がいずれ必ず訪れる国、インド。
> 「インドなんて二度と行くか!ボケ!…でも、また行きたいかも?!」
> なんて書籍がありましたが、本当そんな国だと思います。
>
> どれでは良い旅を!
>
>
> > さっくんさん、お久ーでございます。
> > どこぞのブログで(サウジだったかと??)1番やりたかった、行きたかった処に行けて、その達成感、満足感のあと、しばらく虚脱状態に陥った、とおっしゃっていましたよね?
> >
> > さっくんさんとは比べようもない貧弱な旅歴の私ですが、南伊旅の後、私もそのような状況に陥り、しばらく旅へのモチベも4tr チェックする気も失せていました。ですが、旅立つ時には、すでに次の旅のフライト、をおさえてしまう(安い時期に買っておく)くせがあり、そんな状態のまま訪れたモロッコでした。
> >
> > さっくんさんがアップされるブログも、その間(去年秋~今年夏)きちんと読めていなかった気がします。でも、インドにイスラム建築多し?は、目から鱗(*_*)
> > 俄然、インドに行きたい~、もちろん初心者マークの定番王道廻るだけ、になるけれど。
> >
> > このブログはパキスタン編なので、ムガール帝国の統治って、今のパキスタンにまで及んでいたって事ですか?
> > 制覇した地を統治するには、武力ではなく寛容の精神をもってせよ! ですよね。北風と太陽、なら、太陽政策こそが賢い正しい戦略ですよね?
> >
> > 今、世界にはびこる独裁者たちに、ちゃんと歴史のお勉強して学んで欲しい、今日この頃^ ^ 良かったら、イスラム圏世界の話、歴史で、さっくんさんが読まれて良かった本とか、教えてもらえたら嬉しいです♪
> >
> > 長くなりましてm(._.)m
- さっくんさん からの返信 2024/11/11 20:31:28
- RE: RE: RE: すごく面白かったです♪
さすがkummingさん、縦の糸、横の糸、美しくて的確な表現を使いますね!正にその通り。近世の歴史なら兎も角中世の歴史としては欧州の歴史は確かに濃密ですが閉鎖的で極西の辺境史と言うのが私の見解。中世の歴史はイスラームを主眼にすると本当の意味で「世界史」が見えてくると思います。(私がそうでした…)何故ならば欧州の歴史は欧州内でほぼほぼ完結してしまいますが、イスラームを学びだすと隣接する中国は元よりアジア全域、中東、北アフリカ全般、そして欧州、ヴォルガ川を通じてヴァイキング史迄リンク。アメリカ大陸を除く世界全般に知識を広げる必要があります。そしてそこでは今時の白人どもが押し付ける間違いだらけの多様性では無く、本当の意味での多様性に満ちた歴史や文化を学べます。
インドは初心者が訪れる王道を旅するだけと謙遜しますが、実はイスラームの史跡を追いたいのなら、その王道で殆ど網羅出来てしまうのです。初めてインドを訪れる旅人、自由旅行者でもツアーでも、ゴールデントライアングルと呼ばれるデリー、アグラー、ジャイプルの三都市を訪れる事が多いです。デリーとアグラーはムガル帝国の三大都市のうち二つ。ジャイプルはムガル帝国統治時に栄えたマハラジャの街ですが、アクバルの融和政策の影響を色濃く残すムガル帝国とヒンズー文化の融合を示す城塞等が残っています。
その後ルートを東に取りガンジス川で有名なバラナシ、仏教の聖地ブッダガヤを巡ってコルカタに至るのがバックパッカーの王道ルート。南に向かいヒンズー・インドを巡るも良し、西に向かいシーク教の聖地アムリトサルからパキスタンのラホールに越境し、一度にムガル帝国の三大都市を制覇してラホールアウトも良し。コミュ力抜群のkummingさんならインド人もビックリ?!かもしれません。是非楽しんでください!
> さっくんさん、丁寧なお返事に感謝ですm(._.)m
>
> ざーっとですが、わりと最近、何もなかった無風地帯、と思い込んでいたユーラシア大陸、中央アジア地域一帯が、歴史上とってもダイナミックな地域で、その動きがアジアはもちろん、中東、西欧世界に大きく影響していたんだなー、という事を知りました。その過程でインドとテイムールの末裔の関係も、ムガールがモンゴルのインド訛りって事も、うっすらと知ったので、いつもさっくんさんの解説はとっても面白くてためになる!
>
> 追いかけるほど深みにハマり、私の手に負えない世界、世界は繋がっているんだなー、と今さらながら、しみじみ。
> どっちかというと、横の糸(地理的広がり、地政学的繋がり)より、縦の糸(時間的流れ、歴史的繋がり)、に興味の重心があったのですが、最近は横の糸にも興味が湧いてきて、ますます私の頭では追いかけられなくなってます(笑)
>
> 実に大英帝国ってロクなことやっていませんね!さっくんさんほどではないけれど、私も西欧世界優性説には疑問を感じる今日。
>
> だいたい私が行ってみたい処は踏破済みのさっくんさん、インド個人旅は一応、旦那の引退記念?という事にして、荷物持ち、兼ボディガード?として帯同予定、旅程作成の際は、アドバイスなど、よろしくお願い致します♪
>
> 何を隠そう、私がイスラム世界とキリスト教世界の絡み、への関心をもつようになったきっかけは、塩野七生さんとさっくんさんでした。
>
> 遅くに失礼致しましたm(._.)m
>
>
> コメントありがとうございます。kummingさんと言えばイタリアのイメージが強いので、イタリアへの熱量はさぞかし強いものがあると思います。見るべきものは見た!とは平知盛の辞世の句ですが、正にそんな想いだったのでは無いでしょうか?
> >
> > さてムガル帝国の初代バーブルは実はウズベキスタン出身でジンギスハーンの再興を目指したティムールの血統。彼もモンゴル帝国の再興を目指しましたが故郷では夢を達成出来ず、アフガニスタンのカブール迄落ち延び、虎視眈々と時節を待ちました。その頃インドでは弱小勢力が小競り合いを繰り返していました。そんなチャンスを見逃さずバーブルはインド北部を制圧モンゴル帝国を興します。ムガルはモンゴルのインド訛りなのです。つまりムガル帝国とは中国史で言う元や清と同様異民族による支配に相当します。
> >
> > そんな訳でインド(パキスタン・バングラデシュ含む)では北部ではムガル帝国(イスラーム)その影響力が及ばない南部はヒンズー勢力が支配しました。これは食べ物にも影響を与え、北部のカレーはイスラーム式にナンで食べ、南部はヒンズー式に米で食べます。
> >
> > この様に北部にはムスリムが多く暮らし、南部はヒンズーが多かったものを、イギリスが勝手に東西に国境を引いてインドとパキスタンに分けてしまいました。当然インドに残されたムスリムはパキスタンを目指し、パキスタン側に取り残されたヒンズーはインドを目指しましたが、当然そんな中で悲惨なぶつかり合いが多発し、印パ紛争を過激なものにしました。イギリスはパレスティナ紛争でも大きな遺恨を残しましたが、インドでも悲惨な紛争の発端を作りました。
> >
> > そんな訳なのでインド・パキスタンの北部に残るムガル帝国の三大城塞と城下町があった、デリー・アグラー・ラホールには、現在の国境とは関係無く多くのイスラーム史跡とムスリムが暮らしているのです。また~ーバードと言う地名はイスラマーバード同様イスラーム式命名であって、インドのハイダラーバードやアウランガーバード等もムスリムが多く暮らす街となります。
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> >
> > どうやらインドに興味津々の様ですが、インドの自由旅行はちょっと他国の様にはいきません。行く前に他のバックパッカーや私に知らせてください。本当詐欺師ばかりだし、他国と違って詐欺師同士が連携しているので非常に厄介です。これを話し出したら一晩必要だ(笑)
> >
> > この頃目が弱まったのか本を全然読めて無くて…思い出したら随時紹介したいと思います。この様にインド・イスラーム文化は中央アジアからやって来た人々が、当時の西アジアのイスラーム文化の中心、ペルシャの様式とインドの芸術を掛け合わせて素晴らしいイスラーム建築を想像しました。特にムガル様式の三連のドームや玉葱型のドームは本家アラビア迄逆輸入され、今やモスクのシンボルにさえなっています。
> >
> > 自由旅行を究めし旅人がいずれ必ず訪れる国、インド。
> > 「インドなんて二度と行くか!ボケ!…でも、また行きたいかも?!」
> > なんて書籍がありましたが、本当そんな国だと思います。
> >
> > どれでは良い旅を!
> >
> >
> > > さっくんさん、お久ーでございます。
> > > どこぞのブログで(サウジだったかと??)1番やりたかった、行きたかった処に行けて、その達成感、満足感のあと、しばらく虚脱状態に陥った、とおっしゃっていましたよね?
> > >
> > > さっくんさんとは比べようもない貧弱な旅歴の私ですが、南伊旅の後、私もそのような状況に陥り、しばらく旅へのモチベも4tr チェックする気も失せていました。ですが、旅立つ時には、すでに次の旅のフライト、をおさえてしまう(安い時期に買っておく)くせがあり、そんな状態のまま訪れたモロッコでした。
> > >
> > > さっくんさんがアップされるブログも、その間(去年秋~今年夏)きちんと読めていなかった気がします。でも、インドにイスラム建築多し?は、目から鱗(*_*)
> > > 俄然、インドに行きたい~、もちろん初心者マークの定番王道廻るだけ、になるけれど。
> > >
> > > このブログはパキスタン編なので、ムガール帝国の統治って、今のパキスタンにまで及んでいたって事ですか?
> > > 制覇した地を統治するには、武力ではなく寛容の精神をもってせよ! ですよね。北風と太陽、なら、太陽政策こそが賢い正しい戦略ですよね?
> > >
> > > 今、世界にはびこる独裁者たちに、ちゃんと歴史のお勉強して学んで欲しい、今日この頃^ ^ 良かったら、イスラム圏世界の話、歴史で、さっくんさんが読まれて良かった本とか、教えてもらえたら嬉しいです♪
> > >
> > > 長くなりましてm(._.)m
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旅行記グループ 南アジアの旅
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