2023/02/06 - 2023/02/06
23位(同エリア336件中)
さっくんさん
バングラデシュの地方巡業?を終えダッカに戻ってきました。インド亜大陸を旅する上での洗礼とも言える「お腹を壊す」と言う現象が遂に始まってしまいましたが、そんな事に怯んでいる暇はありません。楽しみだったダッカを放浪しに早速出かけます!
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ダッカのシャリマール・ホテルは格安でありながら朝食も付きます。クルナ出発時は朝が早過ぎて食べられませんでした。この日以降はお腹の具合を鑑みてパスせざる得なかったので、今回が最初で最後の無料の朝食となってしまいましたが、とっても美味しかったです。
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食後はチャー(チャイ)を頂きました。(別料金)何か色々なものがトッピングされています。トッピングは飲んでみましたが結局は中身は不明です。
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バス、自家用車、CNGそしてリキシャ。サイズも速度も違う乗り物が交差点でバトル・ロイヤルを繰り広げています。音も写真に収められたらと思います。車やCNGのブップーとけたたましく鳴るクラクション。チロリロリーン♪と日本の自転車より遥かに反響する風鈴の様なリキシャのベル。賑やかで猥雑で「生きてる~!」って実感が沸いてきます。
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ダッカに到着した日も登った陸橋に再び登って下界を眺めます。下界は常に人、リキシャ、車の雑踏に溢れ返るダッカで陸橋の上は唯一落ち着けるところかもしれません。
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これだけ通行量があって排気ガス問題はどうかと言えば、リキシャは自転車ですし、CNGはその名の通り環境問題対策のガス車ですのでそれ程酷さは感じません。さて、現在車社会で問題になりつつあるEV車ってどう思います?二酸化炭素排出と言う問題の解決には、その国の国内では多少効果は見込めるでしょう。でもその電池を作るのに何が必要で、それは何処で産出されるか知っていますか?流通速度を高める為には安価な材料が大量に必要となります。その材料が豊富にあるのはコンゴ。その為にどう言う悲劇が起こるかは明白に歴史が証明しています。環境に優しいを名目に、見えないところでアフリカの人々を虐げる結果となるとすれば、それは本末転倒ではないですか?環境問題やSDGsには常に利権絡みの闇と表裏一体。綺麗な花には毒がある様に、綺麗な言葉の裏には常に闇が潜んでいます。それを思えばこの混沌の方がよっぽど美しいと思います。冗談では無く本当にコンゴの今後が心配になります。先進国が如何にコンゴで罪を犯してきたのか?少しでも多くの人に知って欲しい。是非ググってみてください。
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国立モスクです。メッカのカーバ神殿をモチーフに建設されたそうです。因みに対面(撮影している側)のビルの踊り場で謎の両替屋を見つけたので両替しました。どう考えても闇でしたが、レートは問題無しでした。
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実は昨夜から、お腹を壊してとんでもない状態に陥りました。でもインド亜大陸を旅すると言う事で想定内の事です。本来一度お腹を壊して免疫を作ってからが本番なのですが、今回はお腹を壊したままの帰国になりそうです。
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そろそろオールド・ダッカ突入です。さて一体お腹を壊した原因は何でしょう?そもそも衛生概念の乏しい私、原因は幾らでも考えられます。カレーの付け合わせのサラダは生ものです。余りの辛さにいけないとは承知で、現地の水を一度チビリと飲んでしまいました。移動の連続だった旅、激しい振動を数時間、一日中受け続け、脳から内臓までシェイクされ続けました。年老いた体にはきつかったのかもしれません。バハルプールの朝の思わぬ寒さもありました。多分それらが総合した結果だったのでしょう。でも予定調和なので体は参っていても精神的にはビクともしません。
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とは言っても心は清々しくも、年老いた体の劣化は隠しきれません。こうした国では中々公衆便所は見つかりません。あったとしても日本人が利用可能かどうかはかなり怪しいです。こうしたところもバックパッカーとしての嗅覚の見せ所です。うっかりすれば大惨事です。こうした時に限って縁起でも無い応援歌を思い出してしまいます。中日ドラゴンズのゲーリー選手の応援歌です。ゲーリー♪ゲーリー♪お食事中の方ごめんなさい。いや、大活躍したプロ野球選手の名前です。
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そして私の嗅覚で嗅ぎ付けた場所は此方です。スリランカでも見かけたのでインド亜大陸でフランチャイズ展開しているショッピング・センターなのかもしれません。携帯屋さんがぎっしり入っています。モーティジールやオールド・ダッカにもお店があって、4~5階建てで高い階にトイレがあります。勿論無料でモーティジールのお店には西洋式もありました。勿論紙はありません。お腹を壊した旅人も、そうではない健全な旅人でも使い道はあると思います。私は何度もお世話になりました。ありがとうございます。
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ダッカのリキシャは始終ベルを鳴らしっぱなしで走ります。流行りなのか非常に反響が強いベルでチロロ~ン♪とまるで風鈴の様に響きます。複数のリキシャのベルが共鳴すると、何やら気分がトランスします。いつしか「あなたの知らない世界」に連れていかれてしまいそうです。
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此処はいったい何処でしょう?でもこの喧噪に身を置いていると何故か落ち着くのです。アジアからアフリカへと続くイスラームの街並み、人々の熱気や人情が直に伝わってくる旧市街の風景。これを楽しみに旅を続けていると言っても過言ではありません。
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現在先進国と呼ばれる国々では、偏見や差別に起因した表現や認識を改める為、映画やゲームの主人公に敢えて不細工を起用して作品を台無しにしてしまったり(どうしてそうなる?それより欧米で行われているアジア人差別にもっと尽力すべきでは?)、環境問題を掲げて国民にコオロギを喰わせて補助金を貪る様な狂ったアンバランスで勘違いな思想が蔓延してて耳障りで仕方ないです。(わざわざ優良な植物性蛋白質を豊富に持つ大豆を餌に与え、それに劣る動物性蛋白質であるコオロギを大量のエネルギーを消費し飼育して食用にする意味が私には理解できません。)それに比べたらこのカオスの方がよっぽど心地良く、健全に感じます。
ポリティカル・コレクトネス、SDGs、動物愛護…。そのどれも表題として掲げている目的自体はとても素晴らしく共感出来るものなのですが、実際それらの団体の活動自体がどれもアンバランスなもので、見当違いなものが多く、特定の団体だったり集団の利権の為に悪用されているにしか感じられ無い事実が非常に残念です。 -
何処から何処迄が生きていて、何処へ繋がっているのか?最早誰も解らないのではないでしょうか?もう整理しようにも何処から手を付ければ良いか解らない、この電線が、陳腐なリノベーションから街を守っているかの様にさえ思います。結局人間なんてカオスの様なものであって、そんな多様性に満ちたものであるのだから特定の思想に縛られる様なものであってはならないと感じます。自分が美しいものを美しいと評し、自分が美味しいものに舌鼓を打つ。そんな基本的人権を否定する様な社会には、私は暮らしたくありません。
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目立つからそう思えるのかもしれませんが、果物屋さんがとても多く感じました。
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オールド・ダッカの本来の表玄関ショドル・ガットの港通りに到着です。何処でも活気に満ちたダッカで更に一層喧噪に満ちた一画です。大型客船が此処から旅立ち、渡し舟が引っ切り無しに行き交い、そして次から次へとあらゆる物資が陸揚げされていきます。
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ダッカ到着日以来、再びショドル・ガットにやって来ました。ダッカの水路の玄関口。オールド・ダッカが繫栄した時代は船こそがメインの移動手段だったでしょうから、ショドル・ガットはダッカの表玄関、ヴェネツィアに例えればサンマルコ広場界隈と言えるでしょう。
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ヴェネチアに負けずにゴンドラが引っ切り無しに川を往復しています。え?ゴンドラじゃないですって(笑)
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バングラデシュは水の都。ヒマラヤ山脈から流れ込む水は、日本の4割程の国土に、日本の2,7倍の水資源をもたらします。雨季には国内の降水量の4倍に及ぶ水が流入し、国土の約3分の一が浸水します。
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そんな中でも数少ない浸水の被害を受けにくい地域があります。中央部のモドゥブル台地や北西部のバリンド台地等の氾濫原より海抜の高い洪積台地と呼ばれる地域です。
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ダッカはそのモドゥブル台地の南端に位置します。地質学等確立していなかっただろう時代から、ムガル帝国は経験則から此処にダッカを築いたのでしょう。そしてその繁栄は今日もバングラデシュを牽引しています。
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対岸では手作業で船が建造されていました。
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停泊中の船内にお邪魔しました。因みに此処まで勝手に話しかけて来た人物と歩いて来ました。私は経験則で解ります。バングラデシュでは珍しいけど、此処はバングラデシュでは珍しい観光客が集まる場所。彼は然り気無く近づき親切を装い、色々ガイドして、最終的に高額なガイド代を請求するタイプ。私にはモロバレです。解っちゃうんです。だから傷つけ無いうちに、深入りする前に、然り気無く、私は客としては価値が無いと知らせます。バレてしまっては仕方ない、せめてチップくれよ!と彼は言いますが、この程度は相手の「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。」なフレーズ。
「どうしてだい?雑談交わしてただけなのに、友人だと思っていたのに、チップ払えとは心外だなぁ!」
互いに苦笑いしながら手を振って別れました。うん、これでチャッカリ渡し船の大体の料金把握しました。 -
旅客船が並んでいます。クルナ往きは生憎ありませんでしたが、どれでも良いから乗ってみるのも良かったかもしれません。
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港はこれから船へ乗船する人、荷を積み込む人、積み下ろす人々で活気に満ちています。
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旅立ちを見送る家族の光景かなとカメラをズームさせたら…。
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商売の風景でした。
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バングラデシュでは、幹線こそ橋の建設が進んでいますが日本の様に小まめにとはいきません。未々渡し船が重要な存在です。
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渡し船が数珠繋ぎの様に連なって客を対岸へと運んでいきます。
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さて、先程のインチキガイド君には「全く興味無い」と伝えておいて心は痛みますが、渡し船には乗って見たいので、インチキガイド君からチャッカリ聞き出した情報を元にチャレンジといきましょう。
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ショドル・ガットの渡し舟の発着所へやってきました。
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これ迄バングラデシュは全く観光スレしていないと書いてきました。しかしどうやら此処だけはそれが当てはまらない様です。地球の転び方でも料金トラブル等の注意喚起が書かれていました。そうした噂も聞いた事があります。船に乗ってしまえば船頭と二人きりで汚い川の上、逃げ場が無いので余りにもリスキーです。
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案の定私が近づくと大声で呼び込みの声がかかります。慌てる事はありません。素直に応じても飛んで火にいる夏の虫でしょう。
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一旦周囲を観察します。ではどうして渡し舟に船頭と二人きりと言う構図が生まれるのでしょう?これには二つの理由があります。渡し舟の料金はとても安いです。だからいっその事貸切ってしまおうと旅人自ら二人きりに持って行ってしまう事です。まぁそれがたまたま良い船頭さんなら、渡し舟で往復するだけでは無く軽くクルーズする事も可能でしょう。
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もう一つは船頭さんからしてみたら、そりゃ貸し切りの方が都合が良いのです。何せ一人だから乗り合いの船を漕ぐよりずっと楽です。しかも貸し切りの運賃は一人で乗り合い分より稼げますから美味しい話なのです。悪い船頭さんなら鴨と一対一になれるのですから尚更ですよね。
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一方私はと言えば、先の旅行記でも書きましたが乗り合いで乗るものは、現地の人と乗り合う事こそ味があると思う派です。元々渡し舟は乗り合いで乗るものなのです。海外から来た観光客だから貸し切りで乗りなさいと言うなら乗りたくありません。更にリスキーなら尚更です。
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私は呼び込みの声は無視して、渡し舟に乗り込む現地の人々の流れを観察しました。丁度良いタイミングで現地の人々の列にどさくさに紛れて入りました。
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上手くいきました。船は靴を脱いで座って乗船します。定員は約6名です。
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出港します!世界一汚いクルーズ、出発です(笑)
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料金が解らなかったので10タカ渡したら5タカ戻ってきました。つまり片道5タカです。成程です。貸し切りの言い値が100タカ。渋るとすぐ50タカに下がります。乗り合いは6人乗りで一人5タカなので、片道全員で30タカ。一人運んで20タカ更に儲かるのだから観光客は良い客なのです。復唱します。三途の川は六文銭、ブリゴンガ川は5タカです(笑)
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但し、このクルーズ、臭いです(笑)本当に久し振りにドブの臭いを思い出しました。私はスレスレ日本のドブの臭いを知っている世代です。だから大丈夫な方ですが、これが初体験だとダメな人もいるでしょう。
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貸切れば、儲けたい船頭さんは往復だけじゃなくクルーズを勧めてくるかもしれませんが、ちょっとこの臭いに耐えられるかどうか…。私的には往復で十分かと思いました。
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因みに渡し舟と並行してモーター付きの乗り合い船も並行して走っていますし、遠回りをすれば橋を渡ってオールド・ダッカへ戻る事も出来ます。
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それでもやっぱり渡し舟は大好きです。そしてどんなにボッタクられてもヴェネチアのゴンドラよりは安上がりです(笑)
ヴェネチアの運河も負けずに臭いし…(笑) -
対岸からオールド・ダッカを眺めます。その昔、海のシルクロードを伝って訪れた交易の船が次々と停泊し出港していたのでしょう。
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オールド・ダッカで一際目立つピンクの建物は、アーシャン・モンジールです。
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ちょっと先には橋も見えます。しかし其処迄遠回りして、更に渋滞に巻き込まれるより渡し舟を使った方がよっぽど早いのです。
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さて再びオールド・ダッカへ戻りましょうと思っていたところでヘマを犯してしまいました。私の直前で渡し舟が出発してしまったのです。続いて乗り込んだ渡し舟は最初に私が乗り込んだので、後続を待たずにそのまま出発しそうになりました。私が外国人だったので貸し切りのつもりだったのです。私はそんなつもりはありません。奄美の黒兎の様に私は靴を片手に渡し舟を乗り移って、地元客が乗船を始めた渡し舟に飛び移りました。
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ダッカのゴンドラを堪能できました!
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オールド・ダッカ対岸からも目立っていた建物、アーシャン・モンジールへ向います。別名は色の通りでピンク・パレスです。
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入館料を聞いて驚きました。なんと500タカ!勿論外国人料金ですが高過ぎです。世界遺産だって200タカです。本当悩みましたが結局入館しました。
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ダッカの領主だったナワブ家の住居で1856年に建造され(1869年落成)植民地時代、東パキスタン時代と激動のダッカの歴史を眺めてきました。現在では内部は博物館として利用されています。
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庭園も綺麗に整備されており、喧噪のオールド・ダッカとは打って変わって静寂な空間となっています。ダッカっ子にとっては当然地元料金で入館出来るので、格好の憩いの場となっています。
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勿論お腹を壊している最中の私にとっても癒やしのスペースとなりました。
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入り口付近に建てられていた付属の小さな館も可愛らしい意匠です。
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再びオールド・ダッカの人の海に飛び込みます。
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東京にいるとウザく感じる人混みが、何故だか落ち着くのは何故でしょう?
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高架の下に小さなモスクがありました。二つのノッポなミナレットが此処がモスクである事を自己主張しているかの様です。
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アルメニア教会がありました。アルメニアはヨーロッパで初めてキリスト教を国教と定めた国ですが、地理的に歴史上様々な勢力に翻弄された結果、ユダヤ人同様に多くの人々が世界中に散り散りになった歴史があります。こんな場所にもあるとは思いもよりませんでした。
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オールド・ダッカの由緒あるモスク、スター・モスジッドを訪れました。ムガル帝国時代に建てられたモスクで、ムガル帝国らしく横に三連のドームを持ちますが、後付けで二つドームが加わり5つのドームを持つモスクとなっています。
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此方はミフラーブ。ミフラーブとはメッカの方角を示す窪みで、ムスリムはこの方角に祈りを捧げます。
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スター・モスクと言われるだけに星形のプールがありました。
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ムガル帝国の様式でもある赤砂岩で造られてはいないし、インド・デリーのジャマー・マスジッドやパキスタン・ラホールのバドシャヒー・モスクの様に壮大でも無い、こじんまりとしたモスクですが、奥に並ぶ三連のドームがムガル帝国のモスクである事を言葉足らずながら主張している様でした。
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先進国の商店街は衛生的問題とか治安の問題とかからでしょうか?ショーウインドウで仕切られており、余り好きじゃないのです。排他的と言いましょうか?こうした旧市街はそんな敷居なんてものは無く、売る側、買う側の息遣いが聞こえてきそうな程活気に満ちていて、生きていると言うか、そんなライブ感が大好きなのです。
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イスラームの旧市街は私にとって、異国情緒をプラスした三丁目の夕陽の世界観です。今は亡き思い出のあの頃の故郷にタイム・スリップした気になります。ねじり鉢巻巻いた剥げ爺が自転車のベル鳴らしっぱなしで突っ走り、それに全く動じない買い物篭片手に提げた高木ブーの雷様の様な肝っ玉母さん達。彼等の隙間を掻い潜る様にアジトへ向かう我等悪童達。そんな幼き頃の活気と喧騒に満ちた下町の商店街の思い出が何故か甦ります。
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オールド・ダッカに張り巡らされた巨大なバザールを男達が大きな重そうな荷物を担いで歩いていきます。
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その先には巨大なゲートがありました。これはポロ・カトラと呼ばれるムガル帝国時代に築かれたキャラバン・サライのゲート跡です。キャラバン・サライとはアラビア語でフンドック、隊商宿の事です。つまりここ界隈はムガル帝国時代から重要なバザールであった事を物語っています。
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ポロ・カトラを反対側から眺めました。イスラームの隊商宿キャラバンサライは旅の商人達の宿のみならず、商談をするスペース。温泉であるハンマーム、モスク等旅の商人達が必要なもの全てが揃っていました。イスラームの街は、旅の商人達にキャラバン・サライを気に入って貰らい、彼等に街の評判を上げて貰える事で街の繁栄を勝ち取りました。もし、それを怠ったなら、旅の商人達は別の街へと移ってしまい、更には交易ルートから外れてしまいます。そうなったら街の命運は尽きてしまうでしょう。
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現在でもムガル帝国時代と変わらない、いやそれ以上に活気に満ちたバザールとなっています。
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少し歩みを進めれば、もう一つのキャラバン・サライの名残のゲート、チョト・カトラが見えてきました。
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オールド・ダッカの路地は狭いので、最終的には人力が決め手となります。途上国の人々はこれだから基礎体力がある筈です。快適便利の麻薬漬けの私では到底敵いません。
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裏側からチョト・カトラを見上げます。イスラームの意匠が美しいです。
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オールド・ダッカの路地裏は、最早入り組み過ぎてMaps .MEも機能しません。でもそれで良いんです。折角自由に旅しているのに結局機械に指示される通りじゃ意味無くね?さぁスマホはポケットにしまいましょう。
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そして自分の嗅覚に頼って路地を彷徨います。そして当然の如く迷います。これが致命的となる治安の悪い国もありますが、バングラデシュは迷い放題です。
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どうしても解らなくなったら現地の人に尋ねれば良いのです。いつしか道を尋ねていたのが話題はズレて、ローラの話題で盛り上がってしまったり、中々先に進みません。
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親切なバングラデシュの人に道案内をして頂き、ダッカで一番楽しみにしていたラール・バゲル・キラー(ラール・バーグ・フォート)を訪れました。ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブの息子、ムハンマド・アザームが1687年に建造した城郭です。
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城の中心に建つのはラール・バゲル・キラーをムハンマド・アザームから引き継ぎ建造したベンガル地方総督であるナワブ・シャイスタ・カーンの娘ビビ・パリの霊廟です。ペルシャ様式の四分庭園の中央に建てられています。
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霊廟の東には謁見室とハンマームを持つ建物が建てられています。
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西にはモスクが配置されています。
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中央に霊廟、その東に謁見室、その西にモスクと言う配列はタージ・マハルの様式と同様です。タージ・マハルでは前面に四分庭園が築かれましたが、此処では四分庭園の中央に廟が築かれています。タージ・マハルはその後もう一つシャー・ジャハーンの霊廟を築く構想があった為、シンメトリーを保つ為意図的に四分庭園からずらした部位にタージ・マハルが築かれましたが、ひとつの霊廟を建てる場合、廟は四分庭園の中央にあってこそシンメトリーが成り立つので、これが正解の配置となります。
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ラール・バゲル・キラーはキラー、即ちフォート(城郭)と言う名前が付けられているので本来は城郭を目的に築かれた筈ですが、現存するのは廟とそれに付随する謁見室とモスクのみとなっています。つまり城郭としては未完の城郭です。
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これはタージ・マハル建造で多くの国家予算を使い果たしてしまい、また6代皇帝アウラングゼーブが、3代アクバル皇帝から続いてきたヒンズー勢力との融和政策を廃してイスラーム・ファーストな政策を取った事によるヒンズー勢力の反発の増加。これらがムガル帝国の地盤を揺るがしていた事に原因があるでしょう。
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実力の持ち主でもあったアウラングゼーブ時代は未だ良かったものの、跡継ぎの時代になるとムガル帝国は坂道を転げ落ちる様に弱体化していきました。最早城郭を整備するどころではなくなってしまったのでしょう。
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次にこのラール・バゲル・キラーが歴史の舞台に躍り出るのは、ムガル帝国の弱体化に付け込んでインドを植民地化したイギリスに対して起こしたムガル帝国最期の反乱、セポイの乱の舞台となります。
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1858年イギリス統治に反対するインド人の反乱、セポイの乱。結局イギリスに勝つ事は叶わず、首謀者でもあった時の皇帝バハードル・シャー2世は有罪となりミャンマーに流刑となり名実共にムガル帝国は滅亡しました。この時此処ラール・バゲル・キラーにも多くのインド人傭兵が立て籠もり、イギリス軍と戦ったそうです。
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勿論皇帝は此処にはおらず、ラール・バゲル・キラーはセポイの反乱の起こった中の一場面に過ぎません。然しながら私にとってムガル帝国の最期となった場所に訪れる事が出来たのは、とても大きな事で感慨深い事でもありました。
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と言うのも、之迄インドのデリーで2代皇帝フマユーン、アグラーで5代皇帝シャー・ジャハーン及びその妻ムムターズ・マハル。アグラー郊外スィカンドラーで3代皇帝アクバル。パキスタンのラホールで4代皇帝ジャハーン・ギール及びその妻ヌール・ジャハーン。インド・アウランガーバード郊外フルダーバードにて6代皇帝と、歴代皇帝の廟を巡り、デリーのラール・キラー、アグラー城。パキスタンのラホール・フォートとムガル帝国の三大城郭を訪れ、ムガル帝国の歴史を追って旅を続けてきたからです。
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ラール・バゲル・キラーに陽が落ちようとしています。インド亜大陸に花開いたモンゴル帝国、インド人の訛りで発音すればムガル帝国。インド亜大陸の旅で常に追ってきた彼等の歴史、インド亜大陸最後に訪れる事になったバングラデシュで訪れたムガル帝国最期の地。感無量の夕陽です。
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現在は大勢のバングラデシュのカップルや家族が憩いの時を過ごす美しい庭園となっています。
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ムガル帝国終焉の地に沈む夕陽。
バイオハザードのレオンじゃなくても…
「泣けるぜ!」 -
チンギス・ハーンの侵攻も無かった筈のインドで何故モンゴル帝国?と思う方も多いかと思います。モンゴル帝国がチンギス・ハーン死後分割統治が進む中、再び強力なモンゴル帝国復興を掲げ、一時期はハンガリー王国迄攻め込み、嘗てのチンギス・ハーン再来を彷彿とさせたティムール帝国。しかしそのティムール帝国も一代で崩壊。しかしそんなティムール帝国の王族の中にバーブルと言う男がいました。そのバーブルも再びモンゴル帝国復興を目指しました。彼の妻は一説によるとチンギス・ハーンの血筋の女性だったと言われます。
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そんな彼でしたが、結局ティムールの故郷であるウズベキスタンで花を咲かせる事は出来ませんでした。仕方なく南下し現在のアフガニスタン・カブールで彼は時節を待ちました。そして当時弱小イスラーム帝国が乱立していたインド北部に彼は目を付け、侵攻し遂に念願の自分の王朝を築いたのです。場所は遠く離れてしまったものの、漸く彼が目指したモンゴル帝国の再興を叶えたのです。即ちモンゴル帝国=ムガル帝国と言う訳です。バーブル自体はインドを余り好んでいた訳では無い様ですが、孫にあたるアクバル大帝がインド土着のヒンズー勢力との融和政策を始めるに至って、帝国は盤石なものとなり、そしてそれを破ったアウラングゼーブ以降斜陽を迎える事となりました。
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やがて沈み始めた帝国の力は最早止める術は無く、最早沈み始めた太陽を押し留める術も無く、係員の誘導に促され私は後ろ髪を引かれつつラール・バゲル・キラーを後にしました。私がインド亜大陸で最後に訪れた国バングラデシュで私が追い求めたムガル帝国最期の地の一つとなったラール・バゲル・キラー。また私の旅にひとつ区切りを入れられる事になったかと思います。ありがとう!ラール・バゲル・キラー。さようならムガル帝国。
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ヒンズー教の寺院タケシュワリ寺院を訪れました。創建は12世紀のセーナ朝と言う由緒ある寺院です。
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御本尊はドゥルガー。戦いの女神でシヴァ神の后。タケシュワリとはヒンズー語で「女神が隠された場所」と言う意味で、ダッカの語源ともなったと言われています。
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規模の大きいモスクがありました。
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中に入らなかったのでハッキリしませんが、ポシェニ・ダランと呼ばれるイスラーム・シーア派の礼拝所です。シーア派はムハンマドの後継者を巡る意見の違いから分派した宗派です。宗教的指導者を指すイマームについてスンニ派と大きく解釈が違います。イランに殆どが人口が集中しますが、各地に少数ですが信者が存在します。
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オールド・ダッカを抜けたところでリキシャ・ワーラーに声をかけられました。インドなら兎も角バングラデシュではリキシャ・ワーラーから積極的に営業をかけられるのは珍しい事です。値段も手頃、体調の事も鑑みてお世話になる事にしました。彼はバングラデシュのリキシャ・ワーラーにしては英語を巧みに操り、そして良く喋ります。そして何度も後ろを振り向きながら喋り続けます。
「ちゃんと前見て運転してくれ!」 -
そして彼、なんとバングラデシュでは闇なビールを飲めるバーへ行こうと何度も誘います。更に明日の観光の営業もしてきます。バングラデシュでは珍しいタイプです。それでも他国である様なしつこさは無く、料金の支払いで揉める事も無く、ホテル迄戻る事が出来ました。私は彼に既視感を感じていましたが、実は私がフォローさせて頂いているバックパッカーさんのバングラデシュの旅行記に搭乗するリキシャ・ワーラーさんでした。実は有名人なのかもしれません。
悪質なドライバーにホテル迄利用してしまうと、翌日もホテルの前に張られていたりする事もあるので、タクシーやリキシャはホテル前では無く、少し離れた場所で降りる事をお奨めします。勿論会話の中で自分の泊まっているホテル名を出すのは御法度です。 -
お腹を壊しているので、朝食以来断食状態です。自主ラマダーンです。何か栄養ドリンク的なものを発見しましたが、残念な味でした。でも体調を崩していたとは言え、オールド・ダッカ歩きは思っていた以上に興奮出来ました。旧市街の規模としても世界でも有数の広大さと複雑さを持っているのではないでしょうか?とても迷い甲斐のある街でした。
本日も最後までごらんになってくださり、ありがとうございました。
次回はダッカ近郊の街ショナルガオンからダッカそして帰国までを御送りします。
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