2008/11/02 - 2008/11/03
266位(同エリア605件中)
さっくんさん
デリーに次いで訪れたジャイプールはマハラジャの街です。中央アジア出身のムガル帝国が、ヒンズー教のマハラジャを従えて繁栄出来た秘訣を探ります。後半は14年しか使用されなかったムガル帝国の幻の都、ファテープル・シークリーを訪れます。
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街の独特な建物の色からピンクシティとも呼ばれるジャイプールに到着しました。
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本当に街中の建物の色が統一されています。でも落ち着いたピンク色で良かった!
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ジャイプールと言えば、この風の宮殿が真っ先に思い浮かびます。
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横から見ると実は劇薄な不思議建築です。
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宮女達が街を歩く庶民達を見下ろす為の建物だったとか…。
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もうひとつ、インドらしい門を潜りました。
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アンベール城に向かいます。
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アンベール城へは象に乗って向かいます。
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アンベール城はラージプート族のマハラジャの居城です。
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時代は先述したムガル帝国期と被っています。さてどんな顛末を辿るのでしょう?
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ムガル帝国の名君と称えられた三代アクバルは政略結婚を繰り返すと言う事で、ヒンズー諸勢力を平和的に懐柔していきました。
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先の記事で説明した通り、ムガル帝国はインドとは民族も、宗教も異なる民族がインドに建てた王朝です。戦闘だけで支配を広めれば、寿命が短くなるだけです。
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即ちムガル帝国支配の下、各ヒンズー勢力が各々の支配地を運営すると言う仕組みをアクバルが構築しました。
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このアクバルの手法は実は彼オリジナルなものでは無く、手本があったのですが、それは以降書こうと思っているパキスタンの旅で詳しく紹介したいと思います。
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こうした歴史から、アンベール城の魅力はヒンズー教建築とイスラーム建築の融合が最大の見所となっています。
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これは私の推測に過ぎませんが、現代ではモスクのドームの代表的な形とさえなっている玉葱型ドームは、実はこのヒンズー様式とイスラーム様式の出逢いがあって完成したのでは無いかと思っています。
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古いモスクの形状の変遷の歴史を追って見てみると、普通の半円状のドームが、胴の部分が伸びてドングリの様な形状となりました。更にその胴部分に膨らみを持たせ、球根状のドームが完成します。ペルシャで良く見られる形状です。
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当時イスラーム文化のファッション・リーダーと言えばペルシャでした。ムガル帝国も積極的にペルシャの文化を吸収しました。タージ・マハルに眠るムムターズ・マハルはペルシャ系です。こうしてペルシャから伝わった球根型ドームが、ヒンズー建築と融合する事で更に丸みを増し、玉葱型に発展したのでは無いでしょうか?
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柱と梁を繋ぐ装飾とか興味深いです。
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またアンベール城は現在も続く王族の元居城でもある事から保存状態がすこぶる良いのです。
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天井へと続く装飾はイスラームのムカルナス(鍾乳石造り)の影響が強く感じます。
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ムガル帝国は滅んでしまったので、城は荒らされて、宝石等価値あるものの多くは略奪されてしまいましたが、この城が折衷様式で作られている事から、当時のムガル帝国の城の様子を推し量る事も出来ます。
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緻密な装飾で壁が覆われています。
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外を見れば、複雑に城壁が張り巡らされているのが解ります。
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見下ろせば象に跨がった観光客の大群が押し寄せて来ます。
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山の上にも砦があります。
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見下ろせば目が眩む程幾何学的な庭園が広がっています。
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下に降りてきました。
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近くで見れば、尚更緻密な幾何学性に驚かされました。
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結構イケメンな象使いさん。
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ジャル・マハル、訳して水の宮殿です。そのまんまやんか…
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ジャイプール市内のシティ・パレスを訪れました。
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ラジャスターンのマハラジャがアンベール城から遷都したものです。
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アクバルの融和路線により平和が保たれた為、山城のアンベール城より平地の方が好ましかったと言う事でしょう。
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アンベール城同様、ラジャスターンのヒンズー様式とイスラーム様式の折衷様式で建てられています。
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先に述べた風の宮殿や、この後訪れるジャンタル・マンタルも、本来この宮殿の一部分でした。
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現在も王族が暮らしているそうです。
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現役バリバリの王宮なので当然の如く綺麗に整備され克つゴージャスです。
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貴賓謁見の間として使われたディワニ・カース
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色とりどりのサリーが美しいです。
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天井の装飾です。
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シティ・パレスを後にします。
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ジャンタル・マンタルを訪れました。
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ジャンタル・マンタルは日時計等の天体観測施設です。
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ジャイプルのマハラジャがインド北部に5つ作った施設のひとつです。
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ウズベキスタンにも似た施設がありましたが、現在の時間と秒単位の誤差しか無い正確な観測が出来ます。
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イスラームはキリスト教と違って科学とは共存しており、天文学は発達していたので、ガリレオが「それでも地球は回っている!」と無念の言葉を残して宗教裁判で裁かれていた頃既に地動説は常識でした。
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ジャイプールを後にします。
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インドと言えばオート・リクシャーです。
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ファテープル・シークリーに到着しました。
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跡継ぎに恵まれなかった3代皇帝アクバルが、聖者の預言通りに子を授かったのを記念して建造された新都でしたが、水不足の為14年程しか使われなかったそうです。
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都市はイスラーム様式とヒンズー様式が融合されています。アンベール城がヒンズーのマハラジャが建てた融合建築だとすると、ファテープル・シークリーはアクバルが、アンベール城に対する返礼とも言える融合建築と言えるでしょう。
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アクバルのヒンズーとの融和政策こそムガル帝国がヒンズー主流のインドで繁栄する秘訣であった事は間違いありません。結果アクバルはこの手法で一時は脆弱だったムガル帝国の基盤を磐石なものに変えました。
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残念ながら、滅んだ王朝の、しかも短期間で廃城となった城なので、内装は殆ど当時の面影を残していません。
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アクバルは子宝に恵まれず、やっとの事で息子ジャハン・ギールを得る事が出来ましたが、後の皇帝の例を見れば、皇室は一人っ子が相応しいと感じます。
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何故なら5代、6代の皇位継承を巡る争いでは、皇位を逃した兄弟一族は血の粛清となる血生臭いものとなったからです。
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そして、その争いに勝ち皇位を得た5代シャー・ジャハーン、6代アウラングゼーブ共に親の望んだ継承者では無かった事も共通しています。
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歴史は繰り返すと言う事でしょうか?
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そして親の望まぬ形で皇位継承した事は、その親に対する霊廟建築に親に疎んじられた皇帝の思いが表現されている様に感じます。4代ジャハーン・ギールの霊廟は、何処と無く未完成さを感じますし、5代シャー・ジャハーンは霊廟は築かれず、タージマハルにムムターズ・マハルと共に眠っています。
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皇子誕生の祈祷までして貰い、新しい都迄与えられたジャハーン・ギールは皇位継承において、とても恵まれた皇帝だったと言えます。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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