遠野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
5日目はツアーの最終日です。午前9時30分にホテルを出発して、すぐ近くにある「こども本の森 遠野」に向かいます。ここは元々あった古い商家を安藤忠雄が費用を負担して町に寄付したことでも有名な図書館です。安藤忠雄というとコンクリート打ちっぱなしのイメージですが、ここでは木の肌の美しさを感じます。ここで90分思い思いに絵本を読むということなのですが、並んでいる絵本の多くは表紙を見ただけでストーリーは頭に浮かんでしまいます。数年前に姪にプレゼントした「エルマーのぼうけん」のエルマー・エレベーターのリュックの中に「チューインガム、桃色の棒付きキャンデー2ダース、輪ゴム1箱、黒いゴム長靴、磁石が1つ、歯ブラシと歯磨き」が入っていることも知っています。ここまで覚えておかないと姪と友達にはなれません。2人で笑っていてもママは何が面白いのか分かっていないようです。「おとなは、だれも、はじめは子共だった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)」という星の王子様の言葉を義妹に贈りました。30分ほど建築について見てまわり、残りの1時間はホテルの方にお願いして見学できるようになっていた「遠野城下町資料館」へ向かいました。ホテルから電話が入っていてスムーズに見学することが出来ました。ここで遠野南部氏について学ぶことが出来て遠野の旅が完結したような気がしました。最終日は少し肌寒く、妻がストッキングを買いに行くと言い出します。資料館からスーパーに向かおうとすると隣が用品店でした。「アンド―洋品店」に飛び込むとちょうど開店したところでした。そこのお母さんと話が弾んでしまい、お茶までいただいてしまいました。何度も通った「仙臺屋」さんのお茶が美味しいということだったので図書館に戻りながら入ってみることにします。「安東さんのおばさんの紹介です。」というと歓迎してくださいます。図書館に戻って、全員で「遠野TAPROOM」に向かいます。ここは2日目の夜にも立ち寄った地ビールの醸造所です。本当は違う場所での見学でしたが、理由は分かりませんが旅行前に場所が変わっていました。ここで地ビールの試飲と小さな醸造タンクの見学をしました。これで遠野の旅は終わり、お昼を食べに「道の駅遠野 風の丘」に向かいます。最後の買い物もここで済ませます。町中で買えなかったパドロンというピーマンの様な野菜も買えました。旅の終わりは仙台駅で、ここで1時間30分ほど自由時間があり、念願の牛タンも食べることが出来ました。午後6時過ぎに仙台を出る「やまびこ218号」で東京へ向かい充実した旅が終わりました。<br />

クラブツーリズム 民話のふるさと「遠野」とイーハトーブの街「花巻」(14)こども本の森 遠野で童心に返り、城下町資料館を見て仙台を目指す。

2いいね!

2022/11/10 - 2022/11/10

208位(同エリア238件中)

旅行記グループ 2022平泉・花巻・遠野の旅

0

104

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

5日目はツアーの最終日です。午前9時30分にホテルを出発して、すぐ近くにある「こども本の森 遠野」に向かいます。ここは元々あった古い商家を安藤忠雄が費用を負担して町に寄付したことでも有名な図書館です。安藤忠雄というとコンクリート打ちっぱなしのイメージですが、ここでは木の肌の美しさを感じます。ここで90分思い思いに絵本を読むということなのですが、並んでいる絵本の多くは表紙を見ただけでストーリーは頭に浮かんでしまいます。数年前に姪にプレゼントした「エルマーのぼうけん」のエルマー・エレベーターのリュックの中に「チューインガム、桃色の棒付きキャンデー2ダース、輪ゴム1箱、黒いゴム長靴、磁石が1つ、歯ブラシと歯磨き」が入っていることも知っています。ここまで覚えておかないと姪と友達にはなれません。2人で笑っていてもママは何が面白いのか分かっていないようです。「おとなは、だれも、はじめは子共だった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)」という星の王子様の言葉を義妹に贈りました。30分ほど建築について見てまわり、残りの1時間はホテルの方にお願いして見学できるようになっていた「遠野城下町資料館」へ向かいました。ホテルから電話が入っていてスムーズに見学することが出来ました。ここで遠野南部氏について学ぶことが出来て遠野の旅が完結したような気がしました。最終日は少し肌寒く、妻がストッキングを買いに行くと言い出します。資料館からスーパーに向かおうとすると隣が用品店でした。「アンド―洋品店」に飛び込むとちょうど開店したところでした。そこのお母さんと話が弾んでしまい、お茶までいただいてしまいました。何度も通った「仙臺屋」さんのお茶が美味しいということだったので図書館に戻りながら入ってみることにします。「安東さんのおばさんの紹介です。」というと歓迎してくださいます。図書館に戻って、全員で「遠野TAPROOM」に向かいます。ここは2日目の夜にも立ち寄った地ビールの醸造所です。本当は違う場所での見学でしたが、理由は分かりませんが旅行前に場所が変わっていました。ここで地ビールの試飲と小さな醸造タンクの見学をしました。これで遠野の旅は終わり、お昼を食べに「道の駅遠野 風の丘」に向かいます。最後の買い物もここで済ませます。町中で買えなかったパドロンというピーマンの様な野菜も買えました。旅の終わりは仙台駅で、ここで1時間30分ほど自由時間があり、念願の牛タンも食べることが出来ました。午後6時過ぎに仙台を出る「やまびこ218号」で東京へ向かい充実した旅が終わりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス タクシー 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

PR

  • ツアーも最終日です。まずはホテルから至近距離の「こども本の森 遠野」に向かいます。この建物は中央通りに面しているので、この数日で何度も前を通りました。

    ツアーも最終日です。まずはホテルから至近距離の「こども本の森 遠野」に向かいます。この建物は中央通りに面しているので、この数日で何度も前を通りました。

  • ツアーではここで90分自由に本を読めるという自由時間になっています。朝一番の利用なのと、予約制なので他にお客さんの姿もありません。

    ツアーではここで90分自由に本を読めるという自由時間になっています。朝一番の利用なのと、予約制なので他にお客さんの姿もありません。

  • 近隣の小林荒物金物店の奥さんによると修復される前は軒先も崩れそうで、支柱で補強がされていて危ない感じだったんですよとおっしゃっていました。その姿はグーグルのストリートビューでも見ることが出来ました。

    近隣の小林荒物金物店の奥さんによると修復される前は軒先も崩れそうで、支柱で補強がされていて危ない感じだったんですよとおっしゃっていました。その姿はグーグルのストリートビューでも見ることが出来ました。

  • 「こども本の森 遠野」は2021年7月に開館した施設で、遠野市が所有する築約120年の旧「三田屋」呉服店の建築部材を生かし、安藤忠雄が自費で新築して市に寄贈しています。2020年に大阪・中之島で開館した「こども本の森 中之島」と「こども本の森 神戸」と3館があります。

    「こども本の森 遠野」は2021年7月に開館した施設で、遠野市が所有する築約120年の旧「三田屋」呉服店の建築部材を生かし、安藤忠雄が自費で新築して市に寄贈しています。2020年に大阪・中之島で開館した「こども本の森 中之島」と「こども本の森 神戸」と3館があります。

  • 2011年の東日本大震災後の復興構想会議の議長代理を務めた安藤忠雄は、大阪で「こども本の森」の計画を進めるなかで、「東北にも同じような施設をつくりたい」と考えるようになったそうです。

    2011年の東日本大震災後の復興構想会議の議長代理を務めた安藤忠雄は、大阪で「こども本の森」の計画を進めるなかで、「東北にも同じような施設をつくりたい」と考えるようになったそうです。

  • 遠野と東日本大震災については2日目のガイドさんからもうかがっていましたが、1896年の明治三陸地震津波や1933年の昭和三陸地震津波など岩手沿岸部はこれまで多くの津波被害を受けてきました。<br /><br />

    遠野と東日本大震災については2日目のガイドさんからもうかがっていましたが、1896年の明治三陸地震津波や1933年の昭和三陸地震津波など岩手沿岸部はこれまで多くの津波被害を受けてきました。

  • 遠野市は内陸と沿岸の中間地点に位置し、過去の地震津波の際にも沿岸被災地の支援活動を行ってきた教訓から、被害に備えた体制の整備と大規模訓練を行っていたそうです。

    遠野市は内陸と沿岸の中間地点に位置し、過去の地震津波の際にも沿岸被災地の支援活動を行ってきた教訓から、被害に備えた体制の整備と大規模訓練を行っていたそうです。

  • 東日本大震災の発災後に遠野市は官民一体となって、自衛隊・警察・消防・ボランティアの受け入れ、炊き出し活動、物資センターの運営などの沿岸被災地の後方支援活動を行なったそうです。

    東日本大震災の発災後に遠野市は官民一体となって、自衛隊・警察・消防・ボランティアの受け入れ、炊き出し活動、物資センターの運営などの沿岸被災地の後方支援活動を行なったそうです。

  • 被災資料の洗浄や修復を行った「文化財レスキュー」、全国から献本と募金を呼びかけて被災地に約20万冊の図書を届けた「献本活動」を展開し、文化による復興支援の活動も行なっています。

    被災資料の洗浄や修復を行った「文化財レスキュー」、全国から献本と募金を呼びかけて被災地に約20万冊の図書を届けた「献本活動」を展開し、文化による復興支援の活動も行なっています。

  • 安藤忠雄はピノー財団の現代美術コレクションを納めたブルス・ドゥ・コメルスやヴェネツィアのパラッツォ・グラッシとプンタ・デ・ラ・ドガーナのような古い建物の中に新しい形を組み込む手法がここでも見て取れます。

    安藤忠雄はピノー財団の現代美術コレクションを納めたブルス・ドゥ・コメルスやヴェネツィアのパラッツォ・グラッシとプンタ・デ・ラ・ドガーナのような古い建物の中に新しい形を組み込む手法がここでも見て取れます。

  • 木像の建物を一度解体して構造材は再び再利用して組み立てられ、その中に書架の塊が組み込まれています。内部は迷路のようだったり隠れられるスペースがあったり、子供が喜びそうな仕掛けがたくさんあります。

    木像の建物を一度解体して構造材は再び再利用して組み立てられ、その中に書架の塊が組み込まれています。内部は迷路のようだったり隠れられるスペースがあったり、子供が喜びそうな仕掛けがたくさんあります。

  • 書家の上部は手が届きませんが、その列の下にはその本が必ず納められているので読むことが出来ます。

    書家の上部は手が届きませんが、その列の下にはその本が必ず納められているので読むことが出来ます。

  • 世界中の国から寄付された本の並ぶコーナーもあります。

    世界中の国から寄付された本の並ぶコーナーもあります。

  • 座敷童子の座るスペースもあります。

    座敷童子の座るスペースもあります。

  • 懐かしい本がたくさん並んでいます。小学生の頃は毎日学校の図書館から本を借りて、2歳年下の弟と競い合うように本を読みました。夏休みも開館しているときは必ず借りたので、1年間で263冊読んで学校で1番になりました。弟は少し少なくて2番でしたが、その後の人生で弟に勝った記憶はありません。

    懐かしい本がたくさん並んでいます。小学生の頃は毎日学校の図書館から本を借りて、2歳年下の弟と競い合うように本を読みました。夏休みも開館しているときは必ず借りたので、1年間で263冊読んで学校で1番になりました。弟は少し少なくて2番でしたが、その後の人生で弟に勝った記憶はありません。

  • この本も図書館で借りました。扉絵も変わっていないのだなと嬉しくなりました。1975年に日本テレビで放送された「ガンバの冒険」はもう中学生でしたが、面白かったです。オープニングのガンバの唄は河原裕昌が歌っていたと知った時は驚きました。

    この本も図書館で借りました。扉絵も変わっていないのだなと嬉しくなりました。1975年に日本テレビで放送された「ガンバの冒険」はもう中学生でしたが、面白かったです。オープニングのガンバの唄は河原裕昌が歌っていたと知った時は驚きました。

  • この本はクリスマスに父に買ってもらった本です。50年以上経ってもエルマーのリュックの中身は覚えているほど読み直しています。姪とそんな話で盛り上がれるのは嬉しいことです。

    この本はクリスマスに父に買ってもらった本です。50年以上経ってもエルマーのリュックの中身は覚えているほど読み直しています。姪とそんな話で盛り上がれるのは嬉しいことです。

  • 注文の多い料理店の話しは寿司屋の座敷で冷酒を飲みながら姪と語り合いました。こちらは少し酔っていますが、ジュースを飲みながら話しに付き合ってくれます。

    注文の多い料理店の話しは寿司屋の座敷で冷酒を飲みながら姪と語り合いました。こちらは少し酔っていますが、ジュースを飲みながら話しに付き合ってくれます。

  • 90分の滞在時間中は自由に本が読めますが、読んだ本は籠に入れて返却し、クリーニングしてから書架に戻すそうです。その手間が申し訳ないので手には取りませんでした。

    90分の滞在時間中は自由に本が読めますが、読んだ本は籠に入れて返却し、クリーニングしてから書架に戻すそうです。その手間が申し訳ないので手には取りませんでした。

  • ツアーの参加者は我々が最年少なくらいで、団塊世代以上の方ばかりですが、意外に皆さん絵本を手に取って読んでいらっしゃいました。

    ツアーの参加者は我々が最年少なくらいで、団塊世代以上の方ばかりですが、意外に皆さん絵本を手に取って読んでいらっしゃいました。

  • 元々は2階建ての立派な呉服屋さんの屋敷だったのだと思います。2階部分を取り払った大きな空間が魅力的です。

    元々は2階建ての立派な呉服屋さんの屋敷だったのだと思います。2階部分を取り払った大きな空間が魅力的です。

  • 昔の床のレベルは板の間で会わせられ、靴を脱ぐ必要がありますが、三和土の部分はそのまま靴を履いて進むことが出来ます。

    昔の床のレベルは板の間で会わせられ、靴を脱ぐ必要がありますが、三和土の部分はそのまま靴を履いて進むことが出来ます。

  • 「かいじゅうたちのいるところ」は幼心に怖かった記憶が残っています。実写版の映画を観た時もその時の感情が蘇りました。「ちびくろさんぼ」も一時は題名が問題になって販売されなかった記憶があります。姪が3歳の時に「はらぺこあおむし」を一言一句間違えずに記憶していたのに驚いたこともありました。実家でお酒を飲んで横になっていたら、タオルケットを掛けてくれて、背中をポンポンしながら「はらぺこあおむし」を語り出した時は笑えました。

    「かいじゅうたちのいるところ」は幼心に怖かった記憶が残っています。実写版の映画を観た時もその時の感情が蘇りました。「ちびくろさんぼ」も一時は題名が問題になって販売されなかった記憶があります。姪が3歳の時に「はらぺこあおむし」を一言一句間違えずに記憶していたのに驚いたこともありました。実家でお酒を飲んで横になっていたら、タオルケットを掛けてくれて、背中をポンポンしながら「はらぺこあおむし」を語り出した時は笑えました。

  • 素晴らしい図書館でした。平日の朝一番なので子供の姿はありませんが、きっと学校の無いときは賑わうのでしょう。とはいえ町中の通りで人の姿を見る事はほとんどありませんでした。

    素晴らしい図書館でした。平日の朝一番なので子供の姿はありませんが、きっと学校の無いときは賑わうのでしょう。とはいえ町中の通りで人の姿を見る事はほとんどありませんでした。

  • 図書館の奥には昔の住宅の部分も残されているというので見に行きます。

    図書館の奥には昔の住宅の部分も残されているというので見に行きます。

  • 修復はされていますが、昔の雰囲気を良く残してあると思います。

    修復はされていますが、昔の雰囲気を良く残してあると思います。

  • 家族のいる部屋を遠野では常位(じょうい)というそうですが、この奥座敷にはロフトのようなものがありました。スタッフの女性が説明してくださいましたが、ここには神棚が納められていたそうです。呉服屋さんの経営がどうなったのか、後継ぎ問題直か分かりませんが、この家から座敷童子が出て行ってしまったのだろうかなどと考えてしまいます。

    家族のいる部屋を遠野では常位(じょうい)というそうですが、この奥座敷にはロフトのようなものがありました。スタッフの女性が説明してくださいましたが、ここには神棚が納められていたそうです。呉服屋さんの経営がどうなったのか、後継ぎ問題直か分かりませんが、この家から座敷童子が出て行ってしまったのだろうかなどと考えてしまいます。

  • いろいろなグッズも売っていましたが、記念にこの本を買うことにしました。ここでの時間はまだ1時間あるのですが、表に出ることにしました。

    いろいろなグッズも売っていましたが、記念にこの本を買うことにしました。ここでの時間はまだ1時間あるのですが、表に出ることにしました。

  • 小林荒物金物店では買い物もしないのに奥さんと楽しいお話しをさせていただきました。

    小林荒物金物店では買い物もしないのに奥さんと楽しいお話しをさせていただきました。

  • 松林堂の上品な女将さんと妻は「喫茶たいげつ」のオムライスの話で盛り上がってました。通りには人の姿はありませんが、立ち寄ったお店で出会った方は皆さん楽しい方ばかりでした。

    松林堂の上品な女将さんと妻は「喫茶たいげつ」のオムライスの話で盛り上がってました。通りには人の姿はありませんが、立ち寄ったお店で出会った方は皆さん楽しい方ばかりでした。

    まつだ松林堂 グルメ・レストラン

  • 向かったのは「遠野城下町資料館」でした。3日目にも立ち寄ったのですが、ここだけのチケットの販売が無いということで見学できませんでした。宿泊した「あえりあ遠野」のスタッフの方に相談したら「電話しておきますので受付でお名前を伝えてください。」とのことです。たぶん同じ経営の系列なのだと思います。「遠野ふるさと館」にはツアーで見学しているので無料で入ることが出来ました。

    向かったのは「遠野城下町資料館」でした。3日目にも立ち寄ったのですが、ここだけのチケットの販売が無いということで見学できませんでした。宿泊した「あえりあ遠野」のスタッフの方に相談したら「電話しておきますので受付でお名前を伝えてください。」とのことです。たぶん同じ経営の系列なのだと思います。「遠野ふるさと館」にはツアーで見学しているので無料で入ることが出来ました。

    遠野城下町資料館 美術館・博物館

  • 遠野をじっくり見学して「遠野物語」については勉強しましたが、2日間登った「鍋倉城址」の遠野南部氏について知りたいことがたくさんありました。

    遠野をじっくり見学して「遠野物語」については勉強しましたが、2日間登った「鍋倉城址」の遠野南部氏について知りたいことがたくさんありました。

  • 遠野南部氏は八戸根城の第22代城主の南部直義が盛岡藩初代城主の南部利直に遠野にある横田城への移封を命じられたことから始まります。直義は移封を辞退しましたが盛岡南部家の背後には徳川幕府があり、また八戸根城の命脈を守ろうとする第21代の清心尼の意向もあり、国替えの指示に従いました。

    遠野南部氏は八戸根城の第22代城主の南部直義が盛岡藩初代城主の南部利直に遠野にある横田城への移封を命じられたことから始まります。直義は移封を辞退しましたが盛岡南部家の背後には徳川幕府があり、また八戸根城の命脈を守ろうとする第21代の清心尼の意向もあり、国替えの指示に従いました。

  • 鹿踊りの前垂れに染め抜かれた向鶴や九曜の紋は遠野南部氏に由来するものです。<br />丁寧に描かれた蛸唐草の徳利は第27代信彦の墓所から出土したものです。

    鹿踊りの前垂れに染め抜かれた向鶴や九曜の紋は遠野南部氏に由来するものです。
    丁寧に描かれた蛸唐草の徳利は第27代信彦の墓所から出土したものです。

  • 鍋倉城の縄張り図を見ると宿泊していた「あえりあ遠野」は城の敷地の一部だったことが分かりました。2日連続で登った三の丸跡や本丸屋敷跡を見ると始めて全体像がつかめました。

    鍋倉城の縄張り図を見ると宿泊していた「あえりあ遠野」は城の敷地の一部だったことが分かりました。2日連続で登った三の丸跡や本丸屋敷跡を見ると始めて全体像がつかめました。

  • 遠野南部家家臣だった田口家に伝わる「紺糸威二枚胴具足」です。兜の前立ての鬼の耳が面白いです。非常に手の込んだ細工さなされ、保存された状態も素晴らしいです。

    遠野南部家家臣だった田口家に伝わる「紺糸威二枚胴具足」です。兜の前立ての鬼の耳が面白いです。非常に手の込んだ細工さなされ、保存された状態も素晴らしいです。

  • 江戸時代初めの頃の遠野の武士には戦国時代の気風が残っていて、馬を飼って訓練し、武芸に励み、衣食住も質素であったそうです。屋敷の敷地内や城下町の近所に「手作地」と呼ばれる田畑を持ち仕事の無い日には田畑を耕し手体を鍛えました。盛岡屋敷勤めは朝8時から12時間以上働き、遠野勤めは朝から晩まで碁を打ったりのうちへ行っていたというのが面白いです。

    江戸時代初めの頃の遠野の武士には戦国時代の気風が残っていて、馬を飼って訓練し、武芸に励み、衣食住も質素であったそうです。屋敷の敷地内や城下町の近所に「手作地」と呼ばれる田畑を持ち仕事の無い日には田畑を耕し手体を鍛えました。盛岡屋敷勤めは朝8時から12時間以上働き、遠野勤めは朝から晩まで碁を打ったりのうちへ行っていたというのが面白いです。

  • 「御腰物筒」は道中行列の際に刀を入れて運ぶ道具で、肩に担いで使用します。遠野南部氏は21代の清心尼の頃までは一対の長柄傘を使って行列を作っていましたが、22代義直は盛岡藩第2代の藩主南部重直から「盛岡家中と同じ格式の行列は無礼だ」と当てつけを言われます。

    「御腰物筒」は道中行列の際に刀を入れて運ぶ道具で、肩に担いで使用します。遠野南部氏は21代の清心尼の頃までは一対の長柄傘を使って行列を作っていましたが、22代義直は盛岡藩第2代の藩主南部重直から「盛岡家中と同じ格式の行列は無礼だ」と当てつけを言われます。

  • 遠野南部家では格下になることの意地からか、一対の道具を使わないようにしますが、重要な儀式での外出には今まで通り一対の長柄傘を持つことにしたそうです。

    遠野南部家では格下になることの意地からか、一対の道具を使わないようにしますが、重要な儀式での外出には今まで通り一対の長柄傘を持つことにしたそうです。

  • 武士の正装で肩から背に掛けて小袖の上に着る「肩衣(かたぎぬ)」と袴です。

    武士の正装で肩から背に掛けて小袖の上に着る「肩衣(かたぎぬ)」と袴です。

  • 胸には遠野南部家の向鶴の紋があります。南部家定紋の起源について2説残されているそうです。1つは藩祖の南部三郎光行が建久4年の1193年の春に将軍源頼朝に従って信州浅間山へ狩に赴いたときに、陣所付近の池に飛来した2羽の鶴を殺さずに射ち落とし、頼朝から賞されたことを記念して2羽の鶴を定紋にしたという説です。

    胸には遠野南部家の向鶴の紋があります。南部家定紋の起源について2説残されているそうです。1つは藩祖の南部三郎光行が建久4年の1193年の春に将軍源頼朝に従って信州浅間山へ狩に赴いたときに、陣所付近の池に飛来した2羽の鶴を殺さずに射ち落とし、頼朝から賞されたことを記念して2羽の鶴を定紋にしたという説です。

  • もう1つは13代南部守行のときの応永18年の1411年の正月、根城南部10代光経が先陣の将として秋田安東氏と山北(仙北郡)での戦中、夜明けの空に2羽の鶴が飛来し、九曜の星が空から降ってくる夢を見て勝利をおさめることができたため、このことを記念して胸に九曜の星をつけた向鶴を家紋と定めたということです。「陣羽織」の背にも金糸で刺繍された紋があります。

    もう1つは13代南部守行のときの応永18年の1411年の正月、根城南部10代光経が先陣の将として秋田安東氏と山北(仙北郡)での戦中、夜明けの空に2羽の鶴が飛来し、九曜の星が空から降ってくる夢を見て勝利をおさめることができたため、このことを記念して胸に九曜の星をつけた向鶴を家紋と定めたということです。「陣羽織」の背にも金糸で刺繍された紋があります。

  • 「打掛」は江戸時代の武家女性の上着で、帯を締めずに着るものです。九曜の紋が背中とソデに刺繍されています。

    「打掛」は江戸時代の武家女性の上着で、帯を締めずに着るものです。九曜の紋が背中とソデに刺繍されています。

  • 「兜」は江戸時代の筋兜で、八幡座には九曜紋、吹き返しには向鶴紋が施されています。「軍扇」は武士が陣中に携帯するものです。

    「兜」は江戸時代の筋兜で、八幡座には九曜紋、吹き返しには向鶴紋が施されています。「軍扇」は武士が陣中に携帯するものです。

  • 今日に至る城下町の元が築かれたのは八戸から所替えされた22代直義の頃といわれます。八戸から来た大工だけでは手が足りず、遠野の大工や木挽きを召し抱えて町づくりに取り組みます。武士と町人の住むところを分けて、城の周りには武士の屋敷を置いて城の守りを固めます。城下町の道路については1日じっくり歩いたので体感出来ました。

    今日に至る城下町の元が築かれたのは八戸から所替えされた22代直義の頃といわれます。八戸から来た大工だけでは手が足りず、遠野の大工や木挽きを召し抱えて町づくりに取り組みます。武士と町人の住むところを分けて、城の周りには武士の屋敷を置いて城の守りを固めます。城下町の道路については1日じっくり歩いたので体感出来ました。

  • 江戸時代中頃になると宿場町として各地から旅人が集う遠野には学問や文化の賑わいも見られます。一日市(ひといち)町には文化振興策として文武修行宿(文武舘)を創設します。

    江戸時代中頃になると宿場町として各地から旅人が集う遠野には学問や文化の賑わいも見られます。一日市(ひといち)町には文化振興策として文武修行宿(文武舘)を創設します。

  • 貞享年間の1684年頃になると仙台藩領の柳津の茶が良く飲まれ、量り売りされていました。その後に岐阜の美濃茶を行商する者もあらわれて茶の湯が流行し、毎年宇治から茶壷を買い求めて楽しむようになります。

    貞享年間の1684年頃になると仙台藩領の柳津の茶が良く飲まれ、量り売りされていました。その後に岐阜の美濃茶を行商する者もあらわれて茶の湯が流行し、毎年宇治から茶壷を買い求めて楽しむようになります。

  • 点茶用の小振りな棗には花菱の紋が金蒔絵で描かれています。江戸中期ごろには城下町の繁栄と共に江戸で花開いた元禄文化も伝わり、「遠野古事記」によるとこの頃には盛岡で買い求められた筆や墨、白粉や櫛や扇子を扱う小間物屋が市に立ちます。遠野には茶人も多く、仕入れた茶の吟味もやかましかったようです。

    点茶用の小振りな棗には花菱の紋が金蒔絵で描かれています。江戸中期ごろには城下町の繁栄と共に江戸で花開いた元禄文化も伝わり、「遠野古事記」によるとこの頃には盛岡で買い求められた筆や墨、白粉や櫛や扇子を扱う小間物屋が市に立ちます。遠野には茶人も多く、仕入れた茶の吟味もやかましかったようです。

  • 向鶴の紋の入った食籠(じきろう)です。遠野では元禄年間になると色の黒いまんじゅう、雪餅、かま焼き、あげ焼きという鋳型に入れて焼いたお菓子を売り歩くものがいたそうです。穀町ではおこしが旅の土産として人気があったそうです。

    向鶴の紋の入った食籠(じきろう)です。遠野では元禄年間になると色の黒いまんじゅう、雪餅、かま焼き、あげ焼きという鋳型に入れて焼いたお菓子を売り歩くものがいたそうです。穀町ではおこしが旅の土産として人気があったそうです。

  • 城に年始の挨拶に来る武士にはおこしやせんべい、粉取大豆、干栗、豆柿、切昆布を腰の高い樫木に盛って出しました。蒔絵で葦原に飛ぶ雁と汐汲の情景が描かれた菓子器です。脚には向鶴の紋が入っています。奥の食籠は金梨地に向鶴紋が散らされています。

    城に年始の挨拶に来る武士にはおこしやせんべい、粉取大豆、干栗、豆柿、切昆布を腰の高い樫木に盛って出しました。蒔絵で葦原に飛ぶ雁と汐汲の情景が描かれた菓子器です。脚には向鶴の紋が入っています。奥の食籠は金梨地に向鶴紋が散らされています。

  • 4段重ねの食籠には向鶴、蓋付きの椀には九曜紋が施されています。

    4段重ねの食籠には向鶴、蓋付きの椀には九曜紋が施されています。

  • 花巻人形は江戸時代中期に作り始められ、内裏雛をはじめ1,000種類を超える人形が作られました。

    花巻人形は江戸時代中期に作り始められ、内裏雛をはじめ1,000種類を超える人形が作られました。

  • 東北では仙台の堤人形に次ぐ歴史をもち、米沢の相良人形ととともに東北の三大土人形の1つに数えられています。題材は内裏雛などの縁起物、昔話物、風俗物など広範囲にわたり、江戸時代には3月と5月の節句によく販売されていました。

    東北では仙台の堤人形に次ぐ歴史をもち、米沢の相良人形ととともに東北の三大土人形の1つに数えられています。題材は内裏雛などの縁起物、昔話物、風俗物など広範囲にわたり、江戸時代には3月と5月の節句によく販売されていました。

  • 「五節句盃」もなかなか良いものです。五節句とは正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の節句のことです。正月と雛祭りと端午の節句と七夕と重陽の節句を思わせる絵も細かいです。元禄8年1695年の頃までは五節句の時にお城や過労や親せきにお礼参りをして歩いたそうですが、宝永2年の1705年の頃からは凶作が続き、この風習もすたれてしまったようです。

    「五節句盃」もなかなか良いものです。五節句とは正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日の節句のことです。正月と雛祭りと端午の節句と七夕と重陽の節句を思わせる絵も細かいです。元禄8年1695年の頃までは五節句の時にお城や過労や親せきにお礼参りをして歩いたそうですが、宝永2年の1705年の頃からは凶作が続き、この風習もすたれてしまったようです。

  • 「林和靖(りんなせい)図」橋本雪蕉(せっしょう)は花巻に生まれ、遠野の南画に影響を与えました。「林和靖は.宋代の詩人なり、錢塘の人、廬を西湖の孤山に結んで之に閑居し…」とあるので、現在の浙江省の杭州の西湖の中の孤山という島に住んでいました。

    「林和靖(りんなせい)図」橋本雪蕉(せっしょう)は花巻に生まれ、遠野の南画に影響を与えました。「林和靖は.宋代の詩人なり、錢塘の人、廬を西湖の孤山に結んで之に閑居し…」とあるので、現在の浙江省の杭州の西湖の中の孤山という島に住んでいました。

  • 妻と2人で蘇州から1晩かけて杭州までを京杭運河を船で渡ったことがあります。早朝に杭州に着いて、白堤を歩き始め孤山で休憩し、そのまま蘇堤を歩き、西湖十景を訪ねたことを思い出します。へとへとに疲れた妻は最後には三潭印月を望む島のベンチで横になって寝てしまいました。

    妻と2人で蘇州から1晩かけて杭州までを京杭運河を船で渡ったことがあります。早朝に杭州に着いて、白堤を歩き始め孤山で休憩し、そのまま蘇堤を歩き、西湖十景を訪ねたことを思い出します。へとへとに疲れた妻は最後には三潭印月を望む島のベンチで横になって寝てしまいました。

  • 遠野南部氏23代義長の頃は武士は飲酒が禁止されていました。花見と月見の宴の夜は夜10時まで飲酒が許されたそうです。ただ午後11時を過ぎると中止命令の使いが来たそうです。前の日の晩のホテルの食事は箪笥に入ったものでしたが、この花見の茶弁当の料理を真似たものだったと分かりました。

    遠野南部氏23代義長の頃は武士は飲酒が禁止されていました。花見と月見の宴の夜は夜10時まで飲酒が許されたそうです。ただ午後11時を過ぎると中止命令の使いが来たそうです。前の日の晩のホテルの食事は箪笥に入ったものでしたが、この花見の茶弁当の料理を真似たものだったと分かりました。

  • 「寒山拾得之大横物」は巨大な掛軸で、岸駒(がんく)の子の岸岱(がんたい)の作です。寒山(かんざん)と拾得(拾得)は唐時代の禅僧で、浙江省の天台山の近くに住んだとされます。蘇州の旅では妻と貸自転車に乗って寒山寺まで参拝したのを思い出します。2回目の旅では父が亡くなった年の大晦日で、母の書いたお経を納めにも行きました。

    「寒山拾得之大横物」は巨大な掛軸で、岸駒(がんく)の子の岸岱(がんたい)の作です。寒山(かんざん)と拾得(拾得)は唐時代の禅僧で、浙江省の天台山の近くに住んだとされます。蘇州の旅では妻と貸自転車に乗って寒山寺まで参拝したのを思い出します。2回目の旅では父が亡くなった年の大晦日で、母の書いたお経を納めにも行きました。

  • 22代の直義の時代には「せい」という「かるた札」の博打が身分の上下なく流行したそうです。その後禁止されますが、誰もやめる気配は無く、神社のお祭りでも声高に博打が行われたそうです。「加宇」という「おいちょかぶ」のような博打もあったそうです。展示してあったのは「二十四孝かるた」で、御伽草子「二十四孝」の孝行の優れた人物の絵を合わせて遊ぶものです。

    22代の直義の時代には「せい」という「かるた札」の博打が身分の上下なく流行したそうです。その後禁止されますが、誰もやめる気配は無く、神社のお祭りでも声高に博打が行われたそうです。「加宇」という「おいちょかぶ」のような博打もあったそうです。展示してあったのは「二十四孝かるた」で、御伽草子「二十四孝」の孝行の優れた人物の絵を合わせて遊ぶものです。

  • 貝合わせの「絵貝」も博打に使われたのでしょうか。一緒に展示されていましたが、こちらについては説明がありません。

    貝合わせの「絵貝」も博打に使われたのでしょうか。一緒に展示されていましたが、こちらについては説明がありません。

  • 「黒漆塗九曜紋付耳盥(たらい)」はお歯黒を付ける際に、口を漱ぐのに使用するもので、「丸に向鶴紋付御髪取」は切った髪の毛を集める際に使用した道具です。

    「黒漆塗九曜紋付耳盥(たらい)」はお歯黒を付ける際に、口を漱ぐのに使用するもので、「丸に向鶴紋付御髪取」は切った髪の毛を集める際に使用した道具です。

  • 「雲雀桐花兎紋大香合」は加賀蒔絵の香合で、前田家より南部家に輿入りした女性の所持したものです。デザインも洒落ているし、淵には銀河回されて、非常に凝った造りです。

    「雲雀桐花兎紋大香合」は加賀蒔絵の香合で、前田家より南部家に輿入りした女性の所持したものです。デザインも洒落ているし、淵には銀河回されて、非常に凝った造りです。

  • 鼈甲のかんざしもいい素材が使われているのがよく分かります。その細工の細かさも素晴らしいです。

    鼈甲のかんざしもいい素材が使われているのがよく分かります。その細工の細かさも素晴らしいです。

  • 元禄末の1704年頃までには遠野でも藍と共に煙草も栽培されていたそうです。喫煙具も数多く展示してありました。

    元禄末の1704年頃までには遠野でも藍と共に煙草も栽培されていたそうです。喫煙具も数多く展示してありました。

  • 盛岡藩の鐔工(つばこう)の橘孝家の造った鍔が並んでいます。

    盛岡藩の鐔工(つばこう)の橘孝家の造った鍔が並んでいます。

  • 三日月と北斗七星の鍔が目に止まったのは宮沢賢治を訪ねて花巻へ行ったばかりだったからかもしません。

    三日月と北斗七星の鍔が目に止まったのは宮沢賢治を訪ねて花巻へ行ったばかりだったからかもしません。

  • 江戸時代の初めには刀の柄を皮で巻き、鞘の先に鉄の逆さ輪で張り、鞘は太く長い鮫皮にした実用的なものが好まれますが、時代が下がるにつれて美しい彫刻を施したり、鞘も細い刀が好まれるようになります。

    江戸時代の初めには刀の柄を皮で巻き、鞘の先に鉄の逆さ輪で張り、鞘は太く長い鮫皮にした実用的なものが好まれますが、時代が下がるにつれて美しい彫刻を施したり、鞘も細い刀が好まれるようになります。

  • 「附馬牛人形」は江戸時代から大正時代にかけて花巻人形の影響で製作されました。その後一時途絶えますが昭和60年から再び作られるようになります。土に和紙を混ぜて型取りし、焼かずに乾燥させて彩色します。

    「附馬牛人形」は江戸時代から大正時代にかけて花巻人形の影響で製作されました。その後一時途絶えますが昭和60年から再び作られるようになります。土に和紙を混ぜて型取りし、焼かずに乾燥させて彩色します。

  • 昨晩観た夜神楽の恵比寿舞を思い出します。これらの人形は常位(じょうい)にある神棚に飾られたのでしょう。

    昨晩観た夜神楽の恵比寿舞を思い出します。これらの人形は常位(じょうい)にある神棚に飾られたのでしょう。

  • 同じデザインの大黒天もありました。製作が楽なので安価に大量生産できたようです。

    同じデザインの大黒天もありました。製作が楽なので安価に大量生産できたようです。

  • 鯛に乗ったうさぎと波と月のデザインも洒落ています。こんなのが売っていたら買いたかったです。

    鯛に乗ったうさぎと波と月のデザインも洒落ています。こんなのが売っていたら買いたかったです。

  • 小さな資料館でしたが、これで遠野南部氏のことが少し分かったような気がしました。受付の女性にお礼を伝えて表に出ました。

    小さな資料館でしたが、これで遠野南部氏のことが少し分かったような気がしました。受付の女性にお礼を伝えて表に出ました。

  • 表に出た途端に妻がタイツを買いたいと言い出します。もうバスに乗って仙台まで戻って、新幹線に乗り換えて帰るだけなのでと思いましたが、スーパーに行くことにします。すると隣に「アンド―洋品店」があり、店内は暗いですが、店は開いていそうです。タイツを買って、試着室でそのまま履いて店のおばさんと話し込んでしまいました。

    表に出た途端に妻がタイツを買いたいと言い出します。もうバスに乗って仙台まで戻って、新幹線に乗り換えて帰るだけなのでと思いましたが、スーパーに行くことにします。すると隣に「アンド―洋品店」があり、店内は暗いですが、店は開いていそうです。タイツを買って、試着室でそのまま履いて店のおばさんと話し込んでしまいました。

  • ここでお茶をいただいて、しばらく休憩させていただきました。いただいたお茶が美味しかったところから「仙臺屋」の話しになり、「こども本の森 遠野」に戻りながら立ち寄ってお茶を買いました。アンド―のおばさんに紹介されたというと喜んでくださいました。ここでも少し話し込んでしまいます。

    ここでお茶をいただいて、しばらく休憩させていただきました。いただいたお茶が美味しかったところから「仙臺屋」の話しになり、「こども本の森 遠野」に戻りながら立ち寄ってお茶を買いました。アンド―のおばさんに紹介されたというと喜んでくださいました。ここでも少し話し込んでしまいます。

  • 「こども本の森 遠野」で再集合した後は歩いて「遠野TAPROOM」に行きました。ここは2日目の晩にクラフトビールを飲みに来た店です。当初のツアーでは別の場所でビールについて学ぶはずでしたが、大人の事情なのかここになりました。ここで遠野のホップについて説明がありました。遠野市は1963年からホップ栽培を続けている生産地で、他には秋田県の横手市と北海道の富良野が有名だそうです。遠野でずっと飲んでいたキリン一番搾りとれたてホップは遠野のホップ100%使用していますし、富良野のホップはサッポロビールが使用しています。

    「こども本の森 遠野」で再集合した後は歩いて「遠野TAPROOM」に行きました。ここは2日目の晩にクラフトビールを飲みに来た店です。当初のツアーでは別の場所でビールについて学ぶはずでしたが、大人の事情なのかここになりました。ここで遠野のホップについて説明がありました。遠野市は1963年からホップ栽培を続けている生産地で、他には秋田県の横手市と北海道の富良野が有名だそうです。遠野でずっと飲んでいたキリン一番搾りとれたてホップは遠野のホップ100%使用していますし、富良野のホップはサッポロビールが使用しています。

    遠野醸造TAPROOM グルメ・レストラン

  • 「IBUKI」は遠野市を代表する日本産ホップのブランドです。毎年11月に販売されるキリンビールの「一番搾り とれたてホップ生ビール」に使用されています。「MURAKAMI SEVEN」は、キリンビールでホップの研究を長年続けてきた村上敦司が開発した品種です。「江刺7号」が7番目の畝で生育していたことから「MURAKAMI SEVEN」と名づけてブランド化し、遠野ではこの2つがメインに作られています。

    「IBUKI」は遠野市を代表する日本産ホップのブランドです。毎年11月に販売されるキリンビールの「一番搾り とれたてホップ生ビール」に使用されています。「MURAKAMI SEVEN」は、キリンビールでホップの研究を長年続けてきた村上敦司が開発した品種です。「江刺7号」が7番目の畝で生育していたことから「MURAKAMI SEVEN」と名づけてブランド化し、遠野ではこの2つがメインに作られています。

  • 今回の旅は偶然に11月になってからでしたが、キリン一番搾りとれたてホップが11月1日発売なので上手くタイミングが合いました。

    今回の旅は偶然に11月になってからでしたが、キリン一番搾りとれたてホップが11月1日発売なので上手くタイミングが合いました。

  • ツアーの人数が多いので2チームに分かれ、我々は最初に店の奥にある醸造所の見学をしました。生産量が少ないのでこれくらいのタンクで作られるとのことです。又月に数度の仕込みの日だったので作業を見ることが出来ました。

    ツアーの人数が多いので2チームに分かれ、我々は最初に店の奥にある醸造所の見学をしました。生産量が少ないのでこれくらいのタンクで作られるとのことです。又月に数度の仕込みの日だったので作業を見ることが出来ました。

  • タンクの中でビールが作られるところです。部屋の中はエビオスの様な匂いが充満しています。ビールづくりの過程で、麦汁を発酵させるために使われているビール酵母が材料なので同じ匂いなのは当たり前ですね。

    タンクの中でビールが作られるところです。部屋の中はエビオスの様な匂いが充満しています。ビールづくりの過程で、麦汁を発酵させるために使われているビール酵母が材料なので同じ匂いなのは当たり前ですね。

  • この機会はビールを簡単にカン詰め出来るものだそうです。

    この機会はビールを簡単にカン詰め出来るものだそうです。

  • ツアー全員にホップ柄の唐草の手ぬぐいがいただけました。よく見ると1,200円もします。添乗員さんがかなりのお金を払っていると言っていました。

    ツアー全員にホップ柄の唐草の手ぬぐいがいただけました。よく見ると1,200円もします。添乗員さんがかなりのお金を払っていると言っていました。

  • 工場見学の後はビールの試飲に移ります。

    工場見学の後はビールの試飲に移ります。

  • グラスに結構な量が入っているので3杯飲んだらいい気分になりました。これで遠野の旅は終わりです。バスに乗って仙台を目指します。

    グラスに結構な量が入っているので3杯飲んだらいい気分になりました。これで遠野の旅は終わりです。バスに乗って仙台を目指します。

  • 仙台へ向かう前に早めのお昼ご飯の時間になりました。「道の駅 遠野 風の丘」に立ち寄ります。

    仙台へ向かう前に早めのお昼ご飯の時間になりました。「道の駅 遠野 風の丘」に立ち寄ります。

    道の駅 遠野風の丘 道の駅

  • 最近は道の駅がたくさん増えたので、ツアーでも立ち寄ることが多くなりました。というか道の駅に立ち寄るのがツアーの立ち寄り先になっている感が強いです。

    最近は道の駅がたくさん増えたので、ツアーでも立ち寄ることが多くなりました。というか道の駅に立ち寄るのがツアーの立ち寄り先になっている感が強いです。

  • 美味しそうなリンゴが並んでいますが、盛岡の旅で送ったリンゴがまだ残っていますし、月末には秋田から青森を旅する予定なので我慢します。

    美味しそうなリンゴが並んでいますが、盛岡の旅で送ったリンゴがまだ残っていますし、月末には秋田から青森を旅する予定なので我慢します。

  • 「遠野かぶ」は「暮坪かぶ」のことで、3日目のお昼には「暮坪そば」を食べる予定でした。このかぶは「おいしんぼ」という漫画でも紹介された究極の野菜です。たまたま予定していた「伊藤屋」という蕎麦屋が休みでランチ難民になりました。名残りのパドロンというピーマンの様な野菜が売っていたのでお土産にしました。ツアーの方が「美味しいわよ。」と言っていた豆腐の燻製も買ってみましたが、確かに美味しかったです。

    「遠野かぶ」は「暮坪かぶ」のことで、3日目のお昼には「暮坪そば」を食べる予定でした。このかぶは「おいしんぼ」という漫画でも紹介された究極の野菜です。たまたま予定していた「伊藤屋」という蕎麦屋が休みでランチ難民になりました。名残りのパドロンというピーマンの様な野菜が売っていたのでお土産にしました。ツアーの方が「美味しいわよ。」と言っていた豆腐の燻製も買ってみましたが、確かに美味しかったです。

  • 先ほど飲んだビール醸造所とは別の醸造所の遠野ビールZUMONAを飲んでみます。

    先ほど飲んだビール醸造所とは別の醸造所の遠野ビールZUMONAを飲んでみます。

  • お昼には亜麻豚ハンバーグ定食をいただきました。「亜麻(あま)の種子」から得られる「亜麻仁油」を配合した飼料を与えて、遠野のストレスの無い環境で育てられたブランド豚を使ったハンバーグは香ばしくて美味しかったです。

    お昼には亜麻豚ハンバーグ定食をいただきました。「亜麻(あま)の種子」から得られる「亜麻仁油」を配合した飼料を与えて、遠野のストレスの無い環境で育てられたブランド豚を使ったハンバーグは香ばしくて美味しかったです。

  • 妻は何しろラーメンが食べたかったようです。

    妻は何しろラーメンが食べたかったようです。

  • テーブルからは遠野の東にそびえる六角牛山がきれいに見えました。

    テーブルからは遠野の東にそびえる六角牛山がきれいに見えました。

  • 遠野の景色もこれが見納めです。5日間はあっという間でもあり、とても長くも感じました。学ぶものが多い土地でした。

    遠野の景色もこれが見納めです。5日間はあっという間でもあり、とても長くも感じました。学ぶものが多い土地でした。

  • お昼の後は高速に乗り、最後の休憩は前沢サービスエリアでした。岩手県のクーポンを持っている人はここが最後の買い物ポイントです。

    お昼の後は高速に乗り、最後の休憩は前沢サービスエリアでした。岩手県のクーポンを持っている人はここが最後の買い物ポイントです。

    前沢サービスエリア 道の駅

  • 巨大な南部鉄瓶が出迎えてくれました。妻が小さく見えます。後日気が付きましたが、NHKの「新日本風土記」という番組の「北上川」で藩から舟運(しゅううん)を預かった家が経営していると紹介されていたのがこのSAでした。舟の運航管理から車の物流に時代が変わったわけです。

    巨大な南部鉄瓶が出迎えてくれました。妻が小さく見えます。後日気が付きましたが、NHKの「新日本風土記」という番組の「北上川」で藩から舟運(しゅううん)を預かった家が経営していると紹介されていたのがこのSAでした。舟の運航管理から車の物流に時代が変わったわけです。

  • バスは仙台に向かって高速を走り続けます。途中で北上ジャンクションが見え、横手方面の表示が出ていました。3週間後にはまたここを走るのかと思いました。

    バスは仙台に向かって高速を走り続けます。途中で北上ジャンクションが見え、横手方面の表示が出ていました。3週間後にはまたここを走るのかと思いました。

  • 仙台大観音が見えてくるとバスの旅もそろそろ終わりです。

    仙台大観音が見えてくるとバスの旅もそろそろ終わりです。

  • 広瀬川もきれいに紅葉しているのが見えました。

    広瀬川もきれいに紅葉しているのが見えました。

  • 午後5時前に仙台駅に到着しました。ここからスタートしたバスの旅もここで終わりです。

    午後5時前に仙台駅に到着しました。ここからスタートしたバスの旅もここで終わりです。

    仙台駅 (JR)

  • 新幹線に乗るまで1時間ほどの自由時間があったので晩御飯は「伊達の牛たん本舗」にしました。他の店に比べてちょっとお高いですが、空いているのでこの店にしました。昨年の夏には名古屋から太平洋フェリーで仙台にも立ち寄りましたが、寿司を食べに行ってしまったので、牛たんが食べられずでした。

    新幹線に乗るまで1時間ほどの自由時間があったので晩御飯は「伊達の牛たん本舗」にしました。他の店に比べてちょっとお高いですが、空いているのでこの店にしました。昨年の夏には名古屋から太平洋フェリーで仙台にも立ち寄りましたが、寿司を食べに行ってしまったので、牛たんが食べられずでした。

    伊達の牛たん本舗 仙台駅3階 牛たん通り店 グルメ・レストラン

  • まずはレモンサワーで乾杯です。気分は旅が終わった感じですが、ここからまだ3時間はかかります。

    まずはレモンサワーで乾杯です。気分は旅が終わった感じですが、ここからまだ3時間はかかります。

  • 妻は厚切り芯たん定食にしました。これは柔らかくて美味しいです。<br />

    妻は厚切り芯たん定食にしました。これは柔らかくて美味しいです。

  • こちらは牛たん定食の塩と味噌のミックスです。

    こちらは牛たん定食の塩と味噌のミックスです。

  • 牛タンと言えば麦ごはんにとろろですね。とろろは追加しました。お腹が空いていたのでぺろりといただきました。

    牛タンと言えば麦ごはんにとろろですね。とろろは追加しました。お腹が空いていたのでぺろりといただきました。

  • 仙台駅を午後6時12分発のやまびこ218号に乗り、大宮駅で途中下車して5日間の遠野と花巻の旅が終わりました。「遠野物語」と宮沢賢治の童話を久し振りに読み返してみようと思いました。

    仙台駅を午後6時12分発のやまびこ218号に乗り、大宮駅で途中下車して5日間の遠野と花巻の旅が終わりました。「遠野物語」と宮沢賢治の童話を久し振りに読み返してみようと思いました。

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2022平泉・花巻・遠野の旅

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP