遠野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
山口集落から遠野市内に戻って来るとだいぶ陽も傾いてきました。かなり充実した1日でしたが、まだまだ「遠野物語」巡りは終わりません。市内を通らずに遠野バイパスで西側に回り込んで「卯子酉(うねどり)神社」に向かいます。ここは「遠野物語拾遺」では「昔ここは大きな淵であって、その淵の主に願をかけると不思議に男女の縁が結ばれた」と記されています。バスを降りた所には「新里愛宕神社」への急な石段もありました。ここも「遠野物語」に出てくるところなので行ってみたいと思っていました。ところが「熊出没注意!」の看板が立っています。ガイドさんに聞いてみると「昨日もこの辺りで目撃情報があったそうです。」とのことです。「五百羅漢」までも行けるルートがありましたが、もう1人のガイドさんから「このルートで五百羅漢に行くのは止めてください。」と説明がありました。参道の脇には数多くの石碑が並び、山神や湯殿山の文字が読み取れました。「卯子酉(うねどり)神社」に参拝しましたが、いきなり妻が赤い布に願い事を書き始めたのにはびっくりしました。確か恋愛成就の神社だったはずです。さらに赤い布代100円までおねだりです。近くで焚火をしているおばあさんがいて、周囲は煙で覆われて不思議な雰囲気になりました。逢魔時(おうまがとき)なんて言葉が頭に浮かんできます。昼と夜の移り変わる時刻に魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられた時間です。この日最後の立ち寄り先は「とおの物語の館」でした。ここは柳田国男が遠野で宿泊した「旧高善旅館」と柳田国男の住宅であった「旧柳田国男隠居所」そして「 昔話蔵」を巡ります。最後にお土産物売り場に立ち寄りましたが、大きなチャグチャグ馬っこが置かれてありました。大きくて立派な上に細工も見事でしたが、高いのだろうと思いながらも値段を見てみるとなんと1,100円です。展示品の現品処分ということで、ネットで本来の値段を見てみると16,000円くらいしています。さらに手元には遠野市のクーポン券もあります。実質100円で買えるで迷う必要はありません。附馬牛(つきもうし)人形が思ったほどでもなかったので、ストックホルムでダーラナホースを買おうと思っていたのに高くて買えなかった悔しい思いがここで昇華した気がしました。<br />長い1日が終わりましたが、この日の夕食はツアーに含まれていません。旅行前に午後7時に「魚っこや」という店を予約していましたが、早くホテルに戻れたので午後6時に変えてもらいました。ところが店に行ってみると暖簾も出ていなく、店先は真っ暗です。恐る恐る扉を開けてみると「いらっしゃいませ!」の声で安心しました。小さい店でこの日は予約3組だけの営業とのことで、フリーのお客さんが来ないようにしているようです。遠野の飲食店の多くが同じような営業形態だったのでこの時期に行くには予約が必須だと思いました。ホテルのレストランでさえ2日前に予約が必要だということでした。「魚っこや」は三陸の大槌町出身のご主人が毎日魚を取り寄せていて、こんな山の中でこんな新鮮な魚が食べられるのかというほどの美味しさでした。妻と2人で言葉もなく黙々と食べてしまいました。大満足な上に値段の安さにも驚きました。飲みきれなかったどぶろくを下げてホテルに戻りかけながら、途中にあるTAPROOMという地ビールの醸造所にも立ち寄ってしまいました。ここでも美味しいビールを楽しんで千鳥足でホテルに戻りました。

クラブツーリズム 民話のふるさと「遠野」とイーハトーブの街「花巻」 (7)卯子酉神社に参拝し、柳田国男について旧宅と旧高善旅館で学ぶ。

7いいね!

2022/11/07 - 2022/11/07

166位(同エリア265件中)

旅行記グループ 2022平泉・花巻・遠野の旅

0

110

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

山口集落から遠野市内に戻って来るとだいぶ陽も傾いてきました。かなり充実した1日でしたが、まだまだ「遠野物語」巡りは終わりません。市内を通らずに遠野バイパスで西側に回り込んで「卯子酉(うねどり)神社」に向かいます。ここは「遠野物語拾遺」では「昔ここは大きな淵であって、その淵の主に願をかけると不思議に男女の縁が結ばれた」と記されています。バスを降りた所には「新里愛宕神社」への急な石段もありました。ここも「遠野物語」に出てくるところなので行ってみたいと思っていました。ところが「熊出没注意!」の看板が立っています。ガイドさんに聞いてみると「昨日もこの辺りで目撃情報があったそうです。」とのことです。「五百羅漢」までも行けるルートがありましたが、もう1人のガイドさんから「このルートで五百羅漢に行くのは止めてください。」と説明がありました。参道の脇には数多くの石碑が並び、山神や湯殿山の文字が読み取れました。「卯子酉(うねどり)神社」に参拝しましたが、いきなり妻が赤い布に願い事を書き始めたのにはびっくりしました。確か恋愛成就の神社だったはずです。さらに赤い布代100円までおねだりです。近くで焚火をしているおばあさんがいて、周囲は煙で覆われて不思議な雰囲気になりました。逢魔時(おうまがとき)なんて言葉が頭に浮かんできます。昼と夜の移り変わる時刻に魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられた時間です。この日最後の立ち寄り先は「とおの物語の館」でした。ここは柳田国男が遠野で宿泊した「旧高善旅館」と柳田国男の住宅であった「旧柳田国男隠居所」そして「 昔話蔵」を巡ります。最後にお土産物売り場に立ち寄りましたが、大きなチャグチャグ馬っこが置かれてありました。大きくて立派な上に細工も見事でしたが、高いのだろうと思いながらも値段を見てみるとなんと1,100円です。展示品の現品処分ということで、ネットで本来の値段を見てみると16,000円くらいしています。さらに手元には遠野市のクーポン券もあります。実質100円で買えるで迷う必要はありません。附馬牛(つきもうし)人形が思ったほどでもなかったので、ストックホルムでダーラナホースを買おうと思っていたのに高くて買えなかった悔しい思いがここで昇華した気がしました。
長い1日が終わりましたが、この日の夕食はツアーに含まれていません。旅行前に午後7時に「魚っこや」という店を予約していましたが、早くホテルに戻れたので午後6時に変えてもらいました。ところが店に行ってみると暖簾も出ていなく、店先は真っ暗です。恐る恐る扉を開けてみると「いらっしゃいませ!」の声で安心しました。小さい店でこの日は予約3組だけの営業とのことで、フリーのお客さんが来ないようにしているようです。遠野の飲食店の多くが同じような営業形態だったのでこの時期に行くには予約が必須だと思いました。ホテルのレストランでさえ2日前に予約が必要だということでした。「魚っこや」は三陸の大槌町出身のご主人が毎日魚を取り寄せていて、こんな山の中でこんな新鮮な魚が食べられるのかというほどの美味しさでした。妻と2人で言葉もなく黙々と食べてしまいました。大満足な上に値段の安さにも驚きました。飲みきれなかったどぶろくを下げてホテルに戻りかけながら、途中にあるTAPROOMという地ビールの醸造所にも立ち寄ってしまいました。ここでも美味しいビールを楽しんで千鳥足でホテルに戻りました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 「デンデラ野」で妻に置いて行かれそうになりながらも無事にツアーバスに乗ることが出来ました。遠野の町の北側を横断する遠野バイパスまで戻り、そのまま花巻方向へバスは進みます。

    「デンデラ野」で妻に置いて行かれそうになりながらも無事にツアーバスに乗ることが出来ました。遠野の町の北側を横断する遠野バイパスまで戻り、そのまま花巻方向へバスは進みます。

  • 早池峰神社の近くでは清流だった猿が石川も遠野の町を過ぎると大きな川になっています。

    早池峰神社の近くでは清流だった猿が石川も遠野の町を過ぎると大きな川になっています。

  • 田んぼの向こうは鍋倉城址の裏手にある山並みです。

    田んぼの向こうは鍋倉城址の裏手にある山並みです。

  • 遠野の町の東側にそびえる六角牛山(ろっこうし)がきれいに見えました。

    遠野の町の東側にそびえる六角牛山(ろっこうし)がきれいに見えました。

  • 夕日が雲間から差し込んで紅葉と相まって余計に美しく見えました。

    夕日が雲間から差し込んで紅葉と相まって余計に美しく見えました。

  • 遠野バイパスを左に折れて猿が石川を渡るとすぐに「卯子酉(うねどり)神社」に着きました。鬱蒼とした杉木立の中に建つ小さな祠のようです。

    遠野バイパスを左に折れて猿が石川を渡るとすぐに「卯子酉(うねどり)神社」に着きました。鬱蒼とした杉木立の中に建つ小さな祠のようです。

  • 駐車場でバスを降りると目の前には「新里愛宕神社」へ至る階段が見えました。翌日の午前中はここまで来ようと思っていたのですが、この階段の上にさらに登らないと神社には行けませんよとガイドさんが教えてくれました。遠野城下町の境界に位置し、境界を守る神であるとともに火防の神としても有名で、「遠野物語拾遺」64話には、この愛宕さんの火防にまつわる話が載っています。

    駐車場でバスを降りると目の前には「新里愛宕神社」へ至る階段が見えました。翌日の午前中はここまで来ようと思っていたのですが、この階段の上にさらに登らないと神社には行けませんよとガイドさんが教えてくれました。遠野城下町の境界に位置し、境界を守る神であるとともに火防の神としても有名で、「遠野物語拾遺」64話には、この愛宕さんの火防にまつわる話が載っています。

  • 愛宕様は火防の神様だそうで、その氏子であった遠野の下通町辺では、五、六十年の間火事というものを知らなかった。ある時某家で失火があった時、同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。翌朝火元の家の者大徳院に来たり、昨夜は和尚さんのお蔭で大事に至らず、まことにありがたいと礼を述べると、寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、助けに来て下さったということがわかったそうな。

    愛宕様は火防の神様だそうで、その氏子であった遠野の下通町辺では、五、六十年の間火事というものを知らなかった。ある時某家で失火があった時、同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。翌朝火元の家の者大徳院に来たり、昨夜は和尚さんのお蔭で大事に至らず、まことにありがたいと礼を述べると、寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、助けに来て下さったということがわかったそうな。

  • 愛宕神社は京都が総本山で、子供の頃の夏休みに祖父母に家に預けられていた時に千日詣りで登ったことがあります。愛宕山頂の愛宕神社に参拝すると千日間の功徳を得るとされるお得感のあることに釣られて行きましたが、50年以上火事には合っていないのでご利益は千日以上ありそうです。

    愛宕神社は京都が総本山で、子供の頃の夏休みに祖父母に家に預けられていた時に千日詣りで登ったことがあります。愛宕山頂の愛宕神社に参拝すると千日間の功徳を得るとされるお得感のあることに釣られて行きましたが、50年以上火事には合っていないのでご利益は千日以上ありそうです。

  • 階段の脇には大きな石碑が数多く並んでいました。その多くは山の神のもので、山の神に出会った場所に碑を建てるという習慣があったので、これより先には行くなという結界でもあるようです。愛宕山は城下町を守る境の神なので、旅立ちの時に安全を祈り家族と別れる場所でもあり、金比羅山、伊勢両宮、湯殿山などが建てられたのでしょう。

    階段の脇には大きな石碑が数多く並んでいました。その多くは山の神のもので、山の神に出会った場所に碑を建てるという習慣があったので、これより先には行くなという結界でもあるようです。愛宕山は城下町を守る境の神なので、旅立ちの時に安全を祈り家族と別れる場所でもあり、金比羅山、伊勢両宮、湯殿山などが建てられたのでしょう。

  • これだけ山の神の碑があるとこれより先に行くのが躊躇われます。

    これだけ山の神の碑があるとこれより先に行くのが躊躇われます。

  • 翌日の予定をどうしようか悩んでしまいます。この日の午後に見学した「遠野ふるさと村」に行かなくて済んで、時間を持て余すので朝早く起きて「五百羅漢」まで散歩しようかとも考えていました。

    翌日の予定をどうしようか悩んでしまいます。この日の午後に見学した「遠野ふるさと村」に行かなくて済んで、時間を持て余すので朝早く起きて「五百羅漢」まで散歩しようかとも考えていました。

  • 「五百羅漢」への道には「熊出没注意!」の立て札がありました。結局神仏を敬うのではなく熊が怖いので「五百羅漢」へ行くのは止め、「愛宕神社」の参拝もやめることにしました

    「五百羅漢」への道には「熊出没注意!」の立て札がありました。結局神仏を敬うのではなく熊が怖いので「五百羅漢」へ行くのは止め、「愛宕神社」の参拝もやめることにしました

  • 「卯子酉神社」は思っていたよりも小さな社でした。ツアーの24人で参拝するには狭すぎるような気がします。

    「卯子酉神社」は思っていたよりも小さな社でした。ツアーの24人で参拝するには狭すぎるような気がします。

  • 「遠野物語拾遺」35話では、かつて一帯は大きな淵でそこに「淵の主」が住み、その主に男女の縁を祈願すると不思議に叶い、特に信仰の篤い者には時として主自らが姿を現したといい、現在では祠の前にある木々の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれると云われる。江戸時代に遠野の商人の港屋平兵衛が普代村鳥居の卯子酉明神(鵜鳥神社)を勧請して創建したと伝わる。なお、祠の傍らにある小池には往時は片葉の葦が生えていたという。とあります。

    「遠野物語拾遺」35話では、かつて一帯は大きな淵でそこに「淵の主」が住み、その主に男女の縁を祈願すると不思議に叶い、特に信仰の篤い者には時として主自らが姿を現したといい、現在では祠の前にある木々の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれると云われる。江戸時代に遠野の商人の港屋平兵衛が普代村鳥居の卯子酉明神(鵜鳥神社)を勧請して創建したと伝わる。なお、祠の傍らにある小池には往時は片葉の葦が生えていたという。とあります。

  • 祠やその周囲のイチイの木の枝には真っ赤な布が結ばれています。赤い布が置かれ100円で願い事が書けるようになっていました。

    祠やその周囲のイチイの木の枝には真っ赤な布が結ばれています。赤い布が置かれ100円で願い事が書けるようになっていました。

  • 近くでは落ち葉を燃やしていました。乾燥していない落ち葉はくすぶって白い煙を上げています。落ち葉焚きなんて何十年とやっていないなと思うと同時に、逢魔時(おうまがとき)というのはこんな時間帯だったかと思います。黄昏時の「誰そ、彼」ではなく、もっと不思議な雰囲気の時間でした。

    近くでは落ち葉を燃やしていました。乾燥していない落ち葉はくすぶって白い煙を上げています。落ち葉焚きなんて何十年とやっていないなと思うと同時に、逢魔時(おうまがとき)というのはこんな時間帯だったかと思います。黄昏時の「誰そ、彼」ではなく、もっと不思議な雰囲気の時間でした。

  • 妻に100円をねだられ、手渡すと赤い布に何かを書き始めました。ここは恋愛成就の願いをするところですが何を書いているのでしょう。

    妻に100円をねだられ、手渡すと赤い布に何かを書き始めました。ここは恋愛成就の願いをするところですが何を書いているのでしょう。

  • 左手だけで布が結べると願いが叶うということです。

    左手だけで布が結べると願いが叶うということです。

  • 「遠野物語拾遺」には「信心の者には、時々淵の主が姿を見せた」とも伝えていますが、現れることはありませんでした。

    「遠野物語拾遺」には「信心の者には、時々淵の主が姿を見せた」とも伝えていますが、現れることはありませんでした。

  • 「卯子酉神社」の参拝が終わると再びバスに乗って、この日最後の「とおの物語の館」に向かいます。

    「卯子酉神社」の参拝が終わると再びバスに乗って、この日最後の「とおの物語の館」に向かいます。

  • 後日分かりましたがこれらの施設と宿泊していた「あえりあ遠野」は同じ経営のようでした。翌々日にはここに併設する劇場で夜神楽を観る事も出来ました。

    後日分かりましたがこれらの施設と宿泊していた「あえりあ遠野」は同じ経営のようでした。翌々日にはここに併設する劇場で夜神楽を観る事も出来ました。

    とおの物語の館 美術館・博物館

  • まずはガイドさんと一緒に「旧高善旅館」の見学からからスタートしました。

    まずはガイドさんと一緒に「旧高善旅館」の見学からからスタートしました。

  • 「旧高善旅館」は柳田国男が滞在した宿で、明治から昭和にかけての遠野を代表する旅籠として知られています。柳田をはじめ、折口信夫、ネフスキーなどが宿泊し、民俗学調査の拠点としました。「遠野物語」の草創に深くかかわった宿として現在の位置に移築し、柳田の生涯や遠野での足跡を紹介しています

    「旧高善旅館」は柳田国男が滞在した宿で、明治から昭和にかけての遠野を代表する旅籠として知られています。柳田をはじめ、折口信夫、ネフスキーなどが宿泊し、民俗学調査の拠点としました。「遠野物語」の草創に深くかかわった宿として現在の位置に移築し、柳田の生涯や遠野での足跡を紹介しています

  • 廊下の突き当りの円窓は壁の下地の小舞い下地の小舞竹を団扇のように組んでいます。障子の立て桟は団扇の骨のように見えます。こんなと言っては失礼ですが岩手県の山奥にずいぶん洒落たデザインだと思います。

    廊下の突き当りの円窓は壁の下地の小舞い下地の小舞竹を団扇のように組んでいます。障子の立て桟は団扇の骨のように見えます。こんなと言っては失礼ですが岩手県の山奥にずいぶん洒落たデザインだと思います。

  • 帳場囲いの有るのがホテルで言うフロントだったのでしょうか。この当時はお勘定は部屋で行われていたのかもしれません。今年は北海道の旅が多く、各地で見た鰊御殿や豪商の館で帳場をいくつも見てきました。

    帳場囲いの有るのがホテルで言うフロントだったのでしょうか。この当時はお勘定は部屋で行われていたのかもしれません。今年は北海道の旅が多く、各地で見た鰊御殿や豪商の館で帳場をいくつも見てきました。

  • ガイドさんの説明以外にもパネルの展示があり、この旅館と柳田国男の関係がよく分かります。「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した柳田は遠野には3回足を運んでいます。初期は山の生活に着目し、「遠野物語」で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という言葉には戦慄しました。

    ガイドさんの説明以外にもパネルの展示があり、この旅館と柳田国男の関係がよく分かります。「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した柳田は遠野には3回足を運んでいます。初期は山の生活に着目し、「遠野物語」で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」という言葉には戦慄しました。

  • 東京帝国大学では農政学を学び、農商務省の高等官僚となった後の講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深めていきます。当時の欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも起こっていた「怪談ブーム」のさなかで当時新進作家だった佐々木喜善と知り合い、岩手県遠野の佐々木を訪問して「遠野物語」を執筆することになります。

    東京帝国大学では農政学を学び、農商務省の高等官僚となった後の講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深めていきます。当時の欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも起こっていた「怪談ブーム」のさなかで当時新進作家だった佐々木喜善と知り合い、岩手県遠野の佐々木を訪問して「遠野物語」を執筆することになります。

  • 偶然ではありますが、今年の春に中野にある「哲学堂」へ何十年振りかに行く機会がありました。人をかどわかす未知の存在に挑んだ井上円了と、失われつつある民俗を守ろうとした柳田国男について比較してみる機会となりました。

    偶然ではありますが、今年の春に中野にある「哲学堂」へ何十年振りかに行く機会がありました。人をかどわかす未知の存在に挑んだ井上円了と、失われつつある民俗を守ろうとした柳田国男について比較してみる機会となりました。

  • 学術用語としての「妖怪」の確立と浸透に多大な貢献をなした井上円了は、みずからの研究を「妖怪学」と名づけて、徹底的に妖怪を究明しようとしています。彼は「妖怪」を定義し、それに含まれる妖怪現象を体系的に考察しようとした最初の研究者でもありました。

    学術用語としての「妖怪」の確立と浸透に多大な貢献をなした井上円了は、みずからの研究を「妖怪学」と名づけて、徹底的に妖怪を究明しようとしています。彼は「妖怪」を定義し、それに含まれる妖怪現象を体系的に考察しようとした最初の研究者でもありました。

  • 明治19年の1886年の井上円了が28歳のときに不思議研究会を組織し、翌年には不思議庵井上円了の名で「妖怪玄談」を刊行しています。この著書の冒頭で妖怪を次のように定義しています。「洋の東西を論ぜず、世の古今を問わず、宇宙物心の諸象中、普通の道理をもって解釈すべからざるものあり。これを妖怪といい、あるいは不思議と称す。」この定義は現在の妖怪研究者がおこなう定義とほとんど同じだそうです。

    明治19年の1886年の井上円了が28歳のときに不思議研究会を組織し、翌年には不思議庵井上円了の名で「妖怪玄談」を刊行しています。この著書の冒頭で妖怪を次のように定義しています。「洋の東西を論ぜず、世の古今を問わず、宇宙物心の諸象中、普通の道理をもって解釈すべからざるものあり。これを妖怪といい、あるいは不思議と称す。」この定義は現在の妖怪研究者がおこなう定義とほとんど同じだそうです。

  • 井上円了は妖怪を心理的妖怪と物理的妖怪に体系づけ、細かく定義しています。夢もまた妖怪であるとしていて、納得できる部分もありますが、どんどん難解になっていき理解に至っていません。

    井上円了は妖怪を心理的妖怪と物理的妖怪に体系づけ、細かく定義しています。夢もまた妖怪であるとしていて、納得できる部分もありますが、どんどん難解になっていき理解に至っていません。

  • この賓客用の部屋に柳田国男や折口信夫やネフスキーが宿泊されたそうです。内装はその当時のものになっていると説明がありました。

    この賓客用の部屋に柳田国男や折口信夫やネフスキーが宿泊されたそうです。内装はその当時のものになっていると説明がありました。

  • 2階には4つの客室がありますが、現在は表に面した2つの部屋のみが公開されています。吹き抜けの2階からは常位(じょうい)という家人のいる部屋が見下ろせますが、当時は衝立などで見えないようにしてあったそうです。

    2階には4つの客室がありますが、現在は表に面した2つの部屋のみが公開されています。吹き抜けの2階からは常位(じょうい)という家人のいる部屋が見下ろせますが、当時は衝立などで見えないようにしてあったそうです。

  • 最初に見た円窓の裏側に降りてきました。

    最初に見た円窓の裏側に降りてきました。

  • 帳場の裏の常位(じょうい)の部屋に移ります。

    帳場の裏の常位(じょうい)の部屋に移ります。

  • 神棚は人々が集まる常位(じょうい)に設けられることが多いです。お社他に大黒と恵比寿が祀られていますが、内容は家によって違うそうです。様々な神仏が一緒に飾られるのが遠野の特徴だそうです。神棚の下に貼られた切り紙はキリコと呼ばれるものです。飾られた5枚は左から恵比寿とお供えの鯛、鏡餅、お神酒徳利、大黒のようです。

    神棚は人々が集まる常位(じょうい)に設けられることが多いです。お社他に大黒と恵比寿が祀られていますが、内容は家によって違うそうです。様々な神仏が一緒に飾られるのが遠野の特徴だそうです。神棚の下に貼られた切り紙はキリコと呼ばれるものです。飾られた5枚は左から恵比寿とお供えの鯛、鏡餅、お神酒徳利、大黒のようです。

  • 囲炉裏に掛かる自在鉤は真鍮で造られた三日月と波と鯛のデザインです。

    囲炉裏に掛かる自在鉤は真鍮で造られた三日月と波と鯛のデザインです。

  • 柳田国男にとっての旅は「本を読むのと同じ」であり、「世を知り、人をしる」種のものだったという言葉は共感できます。「辺土」という言葉も久しぶりに聞いた気がします。

    柳田国男にとっての旅は「本を読むのと同じ」であり、「世を知り、人をしる」種のものだったという言葉は共感できます。「辺土」という言葉も久しぶりに聞いた気がします。

  • 「歩く旅には靴や下駄は不向きであって、何と云っても草鞋に限ると思う」と述べ、草鞋を履いていた時代こそ「旅行の黄金時代」とまで言ったそうです。30代の頃は海外に行くときには履き古した靴で出掛けて、新しい靴で帰ってくるということが多かったです。2か月近い旅では新しい靴が足に合わずに苦労することも多かったです。

    「歩く旅には靴や下駄は不向きであって、何と云っても草鞋に限ると思う」と述べ、草鞋を履いていた時代こそ「旅行の黄金時代」とまで言ったそうです。30代の頃は海外に行くときには履き古した靴で出掛けて、新しい靴で帰ってくるということが多かったです。2か月近い旅では新しい靴が足に合わずに苦労することも多かったです。

  • ここでは昭和35年のNHKラジオの録音で柳田国男の肉声を聞くことが出来たようです。旅行前に何度か見直してきた昭和52年放送の「NHK特集 遠野物語を行く~柳田国男の風景」でもこの肉声を聞くことが出来ました。

    ここでは昭和35年のNHKラジオの録音で柳田国男の肉声を聞くことが出来たようです。旅行前に何度か見直してきた昭和52年放送の「NHK特集 遠野物語を行く~柳田国男の風景」でもこの肉声を聞くことが出来ました。

  • 柳田国男の創設した日本民俗学と柳宗理らの提唱した民芸についてはこれからも傾注して行くのだろうなと感じています。コロナ禍で思いがけずに海外に行くことが減りましたが、その分じっくり日本を再発見することが出来てよかったと思います。

    柳田国男の創設した日本民俗学と柳宗理らの提唱した民芸についてはこれからも傾注して行くのだろうなと感じています。コロナ禍で思いがけずに海外に行くことが減りましたが、その分じっくり日本を再発見することが出来てよかったと思います。

  • 読書については子供の頃の昔話の読み聞かせから始まり、父の影響で読んだ本がたくさんありました。当時は面白くないと思った書物だったり、家族旅行で行った中山道の藤村記念館や歌碑を訪ねる旅も今となっては貴重な体験だったと思います。

    読書については子供の頃の昔話の読み聞かせから始まり、父の影響で読んだ本がたくさんありました。当時は面白くないと思った書物だったり、家族旅行で行った中山道の藤村記念館や歌碑を訪ねる旅も今となっては貴重な体験だったと思います。

  • 昭和33年の1958年の神戸新聞に「故郷七十年」を連載し、父の友人の三木家に約1年預けられた幼少時代に一日中本を読んでいたと言い、「私の雑学風の基礎はこの一年ばかりの間で形造られたように思う」と書いています。

    昭和33年の1958年の神戸新聞に「故郷七十年」を連載し、父の友人の三木家に約1年預けられた幼少時代に一日中本を読んでいたと言い、「私の雑学風の基礎はこの一年ばかりの間で形造られたように思う」と書いています。

  • 「旧高善旅館」を出ると目の前に小さな社が置かれ、その中には「鳴釜」が納められていました。これは複製ですが、「遠野物語」に関わるものです。

    「旧高善旅館」を出ると目の前に小さな社が置かれ、その中には「鳴釜」が納められていました。これは複製ですが、「遠野物語」に関わるものです。

  • 「遠野物語拾遺」93話には次のように書かれてあります。<br />遠野一日市の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それが段々強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴っている所を絵に書いて貰って、これを釜鳴神といって祭ることにした。今から二十年余り前の事である。

    「遠野物語拾遺」93話には次のように書かれてあります。
    遠野一日市の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それが段々強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴っている所を絵に書いて貰って、これを釜鳴神といって祭ることにした。今から二十年余り前の事である。

  • 一度表に出て左手に回り込むと「旧柳田国男隠居所」があります。ここは昭和31年から昭和37年8月8日に88歳で永眠するまで柳田國男が妻の孝とともに過ごした家です。

    一度表に出て左手に回り込むと「旧柳田国男隠居所」があります。ここは昭和31年から昭和37年8月8日に88歳で永眠するまで柳田國男が妻の孝とともに過ごした家です。

  • 東京の世田谷区成城にあったものをここへ移築しています。柳田が好んだ装飾が施された趣のある建物です。ここでは柳田の功績や著作を紹介しています。

    東京の世田谷区成城にあったものをここへ移築しています。柳田が好んだ装飾が施された趣のある建物です。ここでは柳田の功績や著作を紹介しています。

  • 「旧柳田国男隠居所」にもパネルか置かれて、詳しく説明されています。老夫婦が2人で住んだ家なので、ツアーの24人がいっぺんに入ると交通渋滞が起きます。

    「旧柳田国男隠居所」にもパネルか置かれて、詳しく説明されています。老夫婦が2人で住んだ家なので、ツアーの24人がいっぺんに入ると交通渋滞が起きます。

  • 御所人形も2体並んでいると座敷童子のように見えてきます。

    御所人形も2体並んでいると座敷童子のように見えてきます。

  • 柳田国男の書斎です。今まで本人がいたかのような状態が残されています。気になったのはマルボロの箱でした。昭和35年当時日本にマルボロはあったのでしょうか?フィルター付きのマルボロは1954年に発売され、1955年に赤い三角形の傘のデザインになっています。

    柳田国男の書斎です。今まで本人がいたかのような状態が残されています。気になったのはマルボロの箱でした。昭和35年当時日本にマルボロはあったのでしょうか?フィルター付きのマルボロは1954年に発売され、1955年に赤い三角形の傘のデザインになっています。

  • 座敷の違い棚のデザインが面白いと思いました。柳田国男は棚に何を飾ったのかが気になりました。

    座敷の違い棚のデザインが面白いと思いました。柳田国男は棚に何を飾ったのかが気になりました。

  • 遺された写真を見るとタバコ好きだったことが分かります。この当時にマルボロを吸っていたとすると洒落たおじいさんだったのではないでしょうか。

    遺された写真を見るとタバコ好きだったことが分かります。この当時にマルボロを吸っていたとすると洒落たおじいさんだったのではないでしょうか。

  • 座敷に隣接したこの部屋は寝室に使われたそうです。亡くなる直前はここで1週間ほど寝込んだそうです。遺言には蔵書のこと以外は何も書かれていなかったそうです。

    座敷に隣接したこの部屋は寝室に使われたそうです。亡くなる直前はここで1週間ほど寝込んだそうです。遺言には蔵書のこと以外は何も書かれていなかったそうです。

  • これでこの日の観光は終わりました。狭い地域をバスで移動しているので、とても充実したものでした。このツアーにおける柳田国男の「遠野物語」のパートは終わりますが、翌日のフリータイムではさらに市内に残る「遠野物語」を訪ね、「遠野市立博物館」に行く時間も出来ました。

    これでこの日の観光は終わりました。狭い地域をバスで移動しているので、とても充実したものでした。このツアーにおける柳田国男の「遠野物語」のパートは終わりますが、翌日のフリータイムではさらに市内に残る「遠野物語」を訪ね、「遠野市立博物館」に行く時間も出来ました。

  • お土産を売っている部屋にも立ち寄りました。ありきたりのものには興味がなく、欲しいと思っていた「附馬牛(つきもうし)人形」も期待にはそぐいませんでした。棚に置かれた「ちゃぐ馬っこ」も高いのだろうと思って値段を見ると、高さ30センチくらいの大きいものが1,100円という信じられない値段です。展示品で劣化があるということでしたが、見る限り難はありません。しかも手元には遠野市からいただいたクーポン券が4,000円分あります。お釣りは出ないので1,000円分の券に100円を足して購入しました。元々は16,000円くらいのものの様なので手に入ってよかったです。とりあえず数日はホテルの部屋に飾ることにします。

    お土産を売っている部屋にも立ち寄りました。ありきたりのものには興味がなく、欲しいと思っていた「附馬牛(つきもうし)人形」も期待にはそぐいませんでした。棚に置かれた「ちゃぐ馬っこ」も高いのだろうと思って値段を見ると、高さ30センチくらいの大きいものが1,100円という信じられない値段です。展示品で劣化があるということでしたが、見る限り難はありません。しかも手元には遠野市からいただいたクーポン券が4,000円分あります。お釣りは出ないので1,000円分の券に100円を足して購入しました。元々は16,000円くらいのものの様なので手に入ってよかったです。とりあえず数日はホテルの部屋に飾ることにします。

  • 最後は「昔話蔵」を見学しました。元々この地にあった造り酒屋の蔵を改築し、遠野地方に古くから伝わる昔話を紹介しています。広々とした蔵の中はまさに昔話の世界です。「昔話」という言葉は大正11年の1922年に出版された「江刺郡昔話」という本で初めて使われたと知りました。著者は柳田国男に遠野の物語を語り伝えた佐々木喜善です。

    最後は「昔話蔵」を見学しました。元々この地にあった造り酒屋の蔵を改築し、遠野地方に古くから伝わる昔話を紹介しています。広々とした蔵の中はまさに昔話の世界です。「昔話」という言葉は大正11年の1922年に出版された「江刺郡昔話」という本で初めて使われたと知りました。著者は柳田国男に遠野の物語を語り伝えた佐々木喜善です。

  • 柳田国男と佐々木喜善の出会いについての紹介もありました。柳田国男との出会いから喜善は本格的に民俗学の道を歩むことになります。

    柳田国男と佐々木喜善の出会いについての紹介もありました。柳田国男との出会いから喜善は本格的に民俗学の道を歩むことになります。

  • さらに佐々木喜善と宮沢賢治との関係も知ることが出来ました。ヒントはここでもらったので東京に帰ったらまたいろいろ調べてみようと気持ちになります。

    さらに佐々木喜善と宮沢賢治との関係も知ることが出来ました。ヒントはここでもらったので東京に帰ったらまたいろいろ調べてみようと気持ちになります。

  • 佐々木喜善の生涯の年譜がありました。柳田国男とは早稲田大学の聴講生として知り合ったという記憶がありましたが、その前に哲学館(現在の東洋大学)に入学していたと初めて知りました。哲学館は井上円了が創設したところです。これはまだまだ学ぶことが多そうです。

    佐々木喜善の生涯の年譜がありました。柳田国男とは早稲田大学の聴講生として知り合ったという記憶がありましたが、その前に哲学館(現在の東洋大学)に入学していたと初めて知りました。哲学館は井上円了が創設したところです。これはまだまだ学ぶことが多そうです。

  • 宮沢賢治の童話で一番好きな「グスコーブドリの伝記」も展示してありました。昭和16年に羽田書店刊の初版の函付のようです。

    宮沢賢治の童話で一番好きな「グスコーブドリの伝記」も展示してありました。昭和16年に羽田書店刊の初版の函付のようです。

  • 「昔話蔵」にはこのように場面の中に入り込んで楽しめるところもありました。結婚して数年したら仕事をやめてしまい、それ以来ずっと我が家の座敷童子状態です。おかげで家内安全が続いています。

    「昔話蔵」にはこのように場面の中に入り込んで楽しめるところもありました。結婚して数年したら仕事をやめてしまい、それ以来ずっと我が家の座敷童子状態です。おかげで家内安全が続いています。

  • 「河童の話し」を読んでいくとつい先日行った奄美大島のケンムンについても書かれてありました。かっぱはいたずらをするくらいですが、ケンムンはその人物の未来を決めるので恐ろしいと思いました。「山猿」が「経立(長く生きた動物の妖怪)」になり、川を下ると「かっぱ」になり、家の座敷に入ると「座敷童子」になる話しは興味深いです。

    「河童の話し」を読んでいくとつい先日行った奄美大島のケンムンについても書かれてありました。かっぱはいたずらをするくらいですが、ケンムンはその人物の未来を決めるので恐ろしいと思いました。「山猿」が「経立(長く生きた動物の妖怪)」になり、川を下ると「かっぱ」になり、家の座敷に入ると「座敷童子」になる話しは興味深いです。

  • 「天狗の話」を読んでいくと面白い事実に気が付きました。江戸時代の終わりころに遠野の万吉という男が花巻の温泉で清六天狗と名乗る男と知り合います。天狗より早く温泉を出たはずなのに遠野の家に帰るとすでに天狗が待っていたと言います。万吉が酒でもてなすと天狗はその後もたびたび訪れるようになります。清六天狗が万吉の家に置いて行った下駄や茶碗は「遠野市立博物館」で見ることが出来ますし、天狗が酒を買った「あずま屋」という酒屋は現在も営業しています。

    「天狗の話」を読んでいくと面白い事実に気が付きました。江戸時代の終わりころに遠野の万吉という男が花巻の温泉で清六天狗と名乗る男と知り合います。天狗より早く温泉を出たはずなのに遠野の家に帰るとすでに天狗が待っていたと言います。万吉が酒でもてなすと天狗はその後もたびたび訪れるようになります。清六天狗が万吉の家に置いて行った下駄や茶碗は「遠野市立博物館」で見ることが出来ますし、天狗が酒を買った「あずま屋」という酒屋は現在も営業しています。

  • 「ネズミの嫁入り」も子供の頃に父に読み聞かせてもらった昔話の本に載っていました。置かれた人形も良く出来ています。似たような話に「古家の洩り」がありますが、勘違いで物語が進んでいくところが昔話の醍醐味だと思います。

    「ネズミの嫁入り」も子供の頃に父に読み聞かせてもらった昔話の本に載っていました。置かれた人形も良く出来ています。似たような話に「古家の洩り」がありますが、勘違いで物語が進んでいくところが昔話の醍醐味だと思います。

  • 人形は木彫りの手の込んだものです。花嫁の乗る輿は中国の清朝のもののようにも見えます。この輿を見ると中国の映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)の紅高粱(赤いコーリャン)と大紅灯篭高高挂(紅夢)という映画を思い出します。どちらも主演はコン・リーでしたが、赤い輿と真っ赤な花嫁衣装とスオナという伝統楽器の演奏が印象に残ります。80年代後半から90年代の中国映画は面白いものがたくさんありましたが、あのころのような映画は作られないのでしょうね。<br />https://www.youtube.com/watch?v=02YR_zaotQc&amp;t=21s

    人形は木彫りの手の込んだものです。花嫁の乗る輿は中国の清朝のもののようにも見えます。この輿を見ると中国の映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ)の紅高粱(赤いコーリャン)と大紅灯篭高高挂(紅夢)という映画を思い出します。どちらも主演はコン・リーでしたが、赤い輿と真っ赤な花嫁衣装とスオナという伝統楽器の演奏が印象に残ります。80年代後半から90年代の中国映画は面白いものがたくさんありましたが、あのころのような映画は作られないのでしょうね。
    https://www.youtube.com/watch?v=02YR_zaotQc&t=21s

  • 「潮吹き臼」の話しも説明文を読んでいて思い出しました。これも父に読んでもらった昔話で覚えたものでしたが、すっかり忘れていました。貧しい弟が年越しもできず、長者の兄のところへ米を借りに行きますが、欲張りな兄はばかにして追返えしてしまいます。その帰り道に出会った老人から知恵と麦饅頭を授かった弟はその饅頭を森の小人の石臼と交換しますがこの石臼がなんでも望みのものを生み出すものでした。

    「潮吹き臼」の話しも説明文を読んでいて思い出しました。これも父に読んでもらった昔話で覚えたものでしたが、すっかり忘れていました。貧しい弟が年越しもできず、長者の兄のところへ米を借りに行きますが、欲張りな兄はばかにして追返えしてしまいます。その帰り道に出会った老人から知恵と麦饅頭を授かった弟はその饅頭を森の小人の石臼と交換しますがこの石臼がなんでも望みのものを生み出すものでした。

  • これをねたんだ兄は石臼を盗み出し、舟に乗せて海へ出ると甘い物を出して食べ、次に塩を欲します。ところが塩は舟いっぱいになっても止まらず、ついに舟は沈み兄はおぼれ死んでしまいます。石臼は海底へ沈み、いまでも塩を吹続けているので海の水は塩辛いという話しでした。

    これをねたんだ兄は石臼を盗み出し、舟に乗せて海へ出ると甘い物を出して食べ、次に塩を欲します。ところが塩は舟いっぱいになっても止まらず、ついに舟は沈み兄はおぼれ死んでしまいます。石臼は海底へ沈み、いまでも塩を吹続けているので海の水は塩辛いという話しでした。

  • むがすあったずもなー。ある所におばあさんがいました。おばあさんはおじいさんから上着を剥ぎ取って1日中来ていました。どんとはれ。

    むがすあったずもなー。ある所におばあさんがいました。おばあさんはおじいさんから上着を剥ぎ取って1日中来ていました。どんとはれ。

  • 「古家の洩り」も紹介されていました。これも懐かしい話で何十年振りかに思い出しました。おじいさんとおばあさんが住んでいた小さな家に泥棒と虎が同じ日に忍び込んでいました。ここで飼われている馬を盗みたいと狙っていましたが、「この世で一番怖いものは何?」という話しを耳にします。「もっと怖いのは”ふるやのもり”(古い家の雨漏り)だ。」と聞いて、自分たちより怖いものがあると知ります。泥棒は虎と馬を間違えて背に乗りますが、虎は”ふるやのもり”に捕まったと思い逃げ出します。

    「古家の洩り」も紹介されていました。これも懐かしい話で何十年振りかに思い出しました。おじいさんとおばあさんが住んでいた小さな家に泥棒と虎が同じ日に忍び込んでいました。ここで飼われている馬を盗みたいと狙っていましたが、「この世で一番怖いものは何?」という話しを耳にします。「もっと怖いのは”ふるやのもり”(古い家の雨漏り)だ。」と聞いて、自分たちより怖いものがあると知ります。泥棒は虎と馬を間違えて背に乗りますが、虎は”ふるやのもり”に捕まったと思い逃げ出します。

  • 「ぬかんぼとべにざら」は母を亡くした女の子は”ぬかんぼ”と呼ばれ、実の子は”べにざら”と呼ばれたそうです。”ぬかんぼ”は継母にいじめられますが、長者の息子に見初められるという「シンデレラ」のような物語です。

    「ぬかんぼとべにざら」は母を亡くした女の子は”ぬかんぼ”と呼ばれ、実の子は”べにざら”と呼ばれたそうです。”ぬかんぼ”は継母にいじめられますが、長者の息子に見初められるという「シンデレラ」のような物語です。

  • 「雪女の話し。」子供の頃に読み聞かされた雪女の話しも怖かったです。自分の知っている昔話の原点はほとんどが父の読み聞かせだったと改めて感じます。結婚したころの妻は色の白い線の細い女性でした。冷え性なので冬に寝るときに引っ付かれると背筋がゾクッとするほど寒かったです。「雪女あっちに行け!」なんて言っていました。遠野に来てそんなことを思い出して隣を見ると妻は雪だるまになっていました。どんとはれ。

    「雪女の話し。」子供の頃に読み聞かされた雪女の話しも怖かったです。自分の知っている昔話の原点はほとんどが父の読み聞かせだったと改めて感じます。結婚したころの妻は色の白い線の細い女性でした。冷え性なので冬に寝るときに引っ付かれると背筋がゾクッとするほど寒かったです。「雪女あっちに行け!」なんて言っていました。遠野に来てそんなことを思い出して隣を見ると妻は雪だるまになっていました。どんとはれ。

  • 子供向けの施設のようでもありますが、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。父に読んでもらった本は実家を片付けるときに見当たらなかったのでもう失われてしまったのだと思います。

    子供向けの施設のようでもありますが、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。父に読んでもらった本は実家を片付けるときに見当たらなかったのでもう失われてしまったのだと思います。

  • 孫左衛門の家の周りはトラクターも走っていて、「こどもの飛び出し注意!」という立て札もあったので、車に気を付けてねと思います。

    孫左衛門の家の周りはトラクターも走っていて、「こどもの飛び出し注意!」という立て札もあったので、車に気を付けてねと思います。

  • ここを見学していて午前中にあったかっぱおじさんの話してくれた「民話」とここに描かれた「昔話」とは違うものだと感じました。かっぱおじさんの話しは諸星大二郎や星野之宣の歴史ものの漫画を読んでいるような気になりました。

    ここを見学していて午前中にあったかっぱおじさんの話してくれた「民話」とここに描かれた「昔話」とは違うものだと感じました。かっぱおじさんの話しは諸星大二郎や星野之宣の歴史ものの漫画を読んでいるような気になりました。

  • 日が暮れてきて「旧高善旅館」の障子から漏れる明かりが風情があります。これで三味線の音色でも流れてきたら最高なのですが。

    日が暮れてきて「旧高善旅館」の障子から漏れる明かりが風情があります。これで三味線の音色でも流れてきたら最高なのですが。

  • この時間の「旧高善旅館」が一番輝いて見えました。ここで自由解散で、3日目はフリータイムなのでツアーの方に合うのは翌々日の朝になります。

    この時間の「旧高善旅館」が一番輝いて見えました。ここで自由解散で、3日目はフリータイムなのでツアーの方に合うのは翌々日の朝になります。

  • 早朝にも開いていた「新里とうふ店」は夕方も明かりが灯っていました。ここの汲み上げ豆腐やおからや豆腐プリンはホテルのレストラン銀杏の朝ご飯で食べることが出来ました。夜遅くに店開きしている豆腐店を見るとキツネに騙されている気がしてきます。

    早朝にも開いていた「新里とうふ店」は夕方も明かりが灯っていました。ここの汲み上げ豆腐やおからや豆腐プリンはホテルのレストラン銀杏の朝ご飯で食べることが出来ました。夜遅くに店開きしている豆腐店を見るとキツネに騙されている気がしてきます。

    新里とうふ店 グルメ・レストラン

  • ようやく長い1日が終わってホテルに戻ってきました。

    ようやく長い1日が終わってホテルに戻ってきました。

    語り部の聴ける宿 あえりあ遠野 宿・ホテル

  • 部屋に戻って窓際にちゃぐ馬っこを飾ってみました。ツアーの2日目と3日目の晩御飯は自由食なので、出発前に電話して「魚っこや」という店を予約していました。午後7時に予約していましたが、電話をして午後6時からに変えてもらいました。

    部屋に戻って窓際にちゃぐ馬っこを飾ってみました。ツアーの2日目と3日目の晩御飯は自由食なので、出発前に電話して「魚っこや」という店を予約していました。午後7時に予約していましたが、電話をして午後6時からに変えてもらいました。

  • ホテルから歩いて5分ほどの距離でしたが、駅前通りから路地に入ると真っ暗です。見つけたお店の電気は消えていて、暖簾も出ていません。店の中は明るいので恐る恐る扉を開けてみると「入らっしゃいませ!」と迎えてくれました。小さいお店でこの日は3組のお客さんだけの貸切営業でした。この時期は予約営業の店が多いので注意が必要です。

    ホテルから歩いて5分ほどの距離でしたが、駅前通りから路地に入ると真っ暗です。見つけたお店の電気は消えていて、暖簾も出ていません。店の中は明るいので恐る恐る扉を開けてみると「入らっしゃいませ!」と迎えてくれました。小さいお店でこの日は3組のお客さんだけの貸切営業でした。この時期は予約営業の店が多いので注意が必要です。

  • 遠野南部流鏑馬は、1661年に八戸から村替えになった南部直栄が遠野市松崎町光興寺にあった八幡神社を現在地に遷宮して馬場を造営し、流鏑馬を奉納させたのが始まりとされます。遠野まつりの流鏑馬で射抜かれた板は「当矢」と書かれ、縁起物として飲食店に飾られています。

    遠野南部流鏑馬は、1661年に八戸から村替えになった南部直栄が遠野市松崎町光興寺にあった八幡神社を現在地に遷宮して馬場を造営し、流鏑馬を奉納させたのが始まりとされます。遠野まつりの流鏑馬で射抜かれた板は「当矢」と書かれ、縁起物として飲食店に飾られています。

  • 最初はキリンビールの一番搾り「とれたてホップ」の生ビールからスタートします。続いて地元の日本酒へ進みます。

    最初はキリンビールの一番搾り「とれたてホップ」の生ビールからスタートします。続いて地元の日本酒へ進みます。

  • お刺身の盛り合わせをお任せと言いながら白身魚と鮪で盛り合わせてもらいます。

    お刺身の盛り合わせをお任せと言いながら白身魚と鮪で盛り合わせてもらいます。

  • 魚はご主人の出身である大槌町から届くので、どれも新鮮でおいしいと評判の店です。

    魚はご主人の出身である大槌町から届くので、どれも新鮮でおいしいと評判の店です。

  • まずは生ビールで乾杯です。喉が渇いているので一気に半分飲んでしまいました。

    まずは生ビールで乾杯です。喉が渇いているので一気に半分飲んでしまいました。

    魚っこや グルメ・レストラン

  • 鮭の白子は初めていただきましたが、塩味と歯ごたえもあって美味しかったです。

    鮭の白子は初めていただきましたが、塩味と歯ごたえもあって美味しかったです。

  • ヒラメの南蛮漬けの2品はお通しでした。隣の3人のお客さんいはマンボウも出ていました。

    ヒラメの南蛮漬けの2品はお通しでした。隣の3人のお客さんいはマンボウも出ていました。

  • コンロの上で帆立をバターで焼きます。

    コンロの上で帆立をバターで焼きます。

  • 帆立の肝はよく焼いてくださいということでしたが、貝柱はレアでいただいたら甘くて美味しかったです。

    帆立の肝はよく焼いてくださいということでしたが、貝柱はレアでいただいたら甘くて美味しかったです。

  • スープがもったいないと思って飲もうとしたら女将さんがご飯を入れてくれました。これがまた最高に美味しかったです。食い意地が張っていると得することが多いです。

    スープがもったいないと思って飲もうとしたら女将さんがご飯を入れてくれました。これがまた最高に美味しかったです。食い意地が張っていると得することが多いです。

  • お刺身の盛り合わせが届きました。時計回りにホタテ、マグロ、ホウボウ、カンパチ、ヒラメ、イシガレイの縁側、イシガレイ、サワラに中央にアイナメです。三陸のマグロ以外はこの日に大槌で揚った新鮮な魚ばかりです。カワハギの肝醤油も最高です。

    お刺身の盛り合わせが届きました。時計回りにホタテ、マグロ、ホウボウ、カンパチ、ヒラメ、イシガレイの縁側、イシガレイ、サワラに中央にアイナメです。三陸のマグロ以外はこの日に大槌で揚った新鮮な魚ばかりです。カワハギの肝醤油も最高です。

  • 是東京で食べたらいくらするだろうなんて下世話なことを考えてしまいます。遠野と言えば山の中のイメージが強いですが、車でも列車でも1時間ほどで海岸線の大槌町まで行けるそうです。

    是東京で食べたらいくらするだろうなんて下世話なことを考えてしまいます。遠野と言えば山の中のイメージが強いですが、車でも列車でも1時間ほどで海岸線の大槌町まで行けるそうです。

  • 大槌に上がったというマグロの子供の刺身はみずみずしくて美味しかったです。今年は大間に行ってクロマグロも食べたし、奄美大島のマグロも美味しかったです。年末にもう一度大間のマグロが食べられるかもしれません。

    大槌に上がったというマグロの子供の刺身はみずみずしくて美味しかったです。今年は大間に行ってクロマグロも食べたし、奄美大島のマグロも美味しかったです。年末にもう一度大間のマグロが食べられるかもしれません。

  • 遠野の上閉伊酒造の国華の薫に移りました。一升瓶に少し残っていたお酒をグラス1杯分サービスしていただきました。切れていたお酒はすぐに酒屋さんから冷えたものが届きました。

    遠野の上閉伊酒造の国華の薫に移りました。一升瓶に少し残っていたお酒をグラス1杯分サービスしていただきました。切れていたお酒はすぐに酒屋さんから冷えたものが届きました。

  • げその天ぷらももったいないほど新鮮なものを使っています。甘くておいしいげそでした。

    げその天ぷらももったいないほど新鮮なものを使っています。甘くておいしいげそでした。

  • 妻の注文した海老グラタンは思っていたのとは違いました。巨大な海老を背開きしてホワイトソースとチーズが乗っているだけですが美味しい1品でした。海老に自信がないと作れないなと思いました。

    妻の注文した海老グラタンは思っていたのとは違いました。巨大な海老を背開きしてホワイトソースとチーズが乗っているだけですが美味しい1品でした。海老に自信がないと作れないなと思いました。

  • 鱈の白子のグラタンも甘くて美味しかったです。これは今度家で作ってみようと思いました。

    鱈の白子のグラタンも甘くて美味しかったです。これは今度家で作ってみようと思いました。

  • 最後は遠野名物のどぶろくに移りました。飲みきれない分は持って帰るつもりで1本頼みました。遠野どぶろく特区」を日本で初めて認可された土地でもあります。お米とつぶがまだ残った状態のドロリとした飲み口が何とも言えません。

    最後は遠野名物のどぶろくに移りました。飲みきれない分は持って帰るつもりで1本頼みました。遠野どぶろく特区」を日本で初めて認可された土地でもあります。お米とつぶがまだ残った状態のドロリとした飲み口が何とも言えません。

  • 女将さんが「どぶろくにはこれ食べてみて。」と出してくださったたくあんも美味しかったです。これだけ食べて飲んで、えっというくらいの安さでした。店を出るとご主人が店先まで見送りに出てくれました。次に遠野に行く機会があれば絶対に来たいと思う店でした。

    女将さんが「どぶろくにはこれ食べてみて。」と出してくださったたくあんも美味しかったです。これだけ食べて飲んで、えっというくらいの安さでした。店を出るとご主人が店先まで見送りに出てくれました。次に遠野に行く機会があれば絶対に来たいと思う店でした。

  • 飲みきれなかったどぶろくの瓶はそのまま手に提げてホテルに向かいます。中国の蘇州では甕に入った紹興酒を下げていましたし、いろいろな国でこんな感じで歩いている気がします。以前シチリアのパレルモでラベルを剥がすために貰ったワインの空き瓶を持ってホテルに帰る途中、道に迷ってしまい真っ暗な道でようやく見つけた人に道を尋ねようと思ったら、走って逃げられてしまったこともありました。

    飲みきれなかったどぶろくの瓶はそのまま手に提げてホテルに向かいます。中国の蘇州では甕に入った紹興酒を下げていましたし、いろいろな国でこんな感じで歩いている気がします。以前シチリアのパレルモでラベルを剥がすために貰ったワインの空き瓶を持ってホテルに帰る途中、道に迷ってしまい真っ暗な道でようやく見つけた人に道を尋ねようと思ったら、走って逃げられてしまったこともありました。

  • ホテルへの戻る道でもう1軒引っかかってしまいました。ここは「遠野醸造TAPROOM」という店で、遠野のホップを使った地ビールを醸造している店です。

    ホテルへの戻る道でもう1軒引っかかってしまいました。ここは「遠野醸造TAPROOM」という店で、遠野のホップを使った地ビールを醸造している店です。

    遠野醸造TAPROOM グルメ・レストラン

  • 緑色のホップのランプが迎えてくれました。ここで軽く地ビールを飲んでいくことにします。

    緑色のホップのランプが迎えてくれました。ここで軽く地ビールを飲んでいくことにします。

  • ツアーの予定にも最終日にビール醸造所に行く予定になっていて、「遠野ビアツーリズム」だと思っていたのですが、時期的なものなのか再度ここへ来ることになりました。

    ツアーの予定にも最終日にビール醸造所に行く予定になっていて、「遠野ビアツーリズム」だと思っていたのですが、時期的なものなのか再度ここへ来ることになりました。

  • 店の奥には醸造所があり、この中は最終日に見学させていただきました。

    店の奥には醸造所があり、この中は最終日に見学させていただきました。

  • ここで造られた松崎町ベリーエールです。しっかりとコクのある飲み口です。

    ここで造られた松崎町ベリーエールです。しっかりとコクのある飲み口です。

  • インディアペールエールは苦みが控え目の軽い口当たりです。

    インディアペールエールは苦みが控え目の軽い口当たりです。

  • おつまみは遠野産のパドロンの素揚げです。熱々をいただきながらビールを流し込みます。

    おつまみは遠野産のパドロンの素揚げです。熱々をいただきながらビールを流し込みます。

  • クリスピーフライドポテトもビールにはよく合います。ベルギーのブリュッセルで食べたフリッツのおいしさを思い出します。牛脂で2度揚げしたポテトのおいしさは忘れられません。

    クリスピーフライドポテトもビールにはよく合います。ベルギーのブリュッセルで食べたフリッツのおいしさを思い出します。牛脂で2度揚げしたポテトのおいしさは忘れられません。

  • 行きたかったお店2軒に行くことが出来たので大満足の夜でした。車はおろか人の姿も無い駅前通りをホテルに戻ります。これで長い1日が終わりました。

    行きたかったお店2軒に行くことが出来たので大満足の夜でした。車はおろか人の姿も無い駅前通りをホテルに戻ります。これで長い1日が終わりました。

7いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2022平泉・花巻・遠野の旅

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP