2022/11/09 - 2022/11/09
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2022/11/09
この旅行記スケジュールを元に
ツアー4日目になりました。この日は午前7時45分という中途半端な時間に遠野を出発します。花巻に向けて出発したバスは30分ほどで「道の駅宮森」に到着します。ここは「宮守川橋梁」通称めがね橋の脇にあり、この橋梁を通過する列車を見るための時間でした。ここはJR釜石線の前身である岩手軽便鉄道が通ていた場所で、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった場所と言われているそうです。ここでの休憩を挟んでバスは花巻にある「宮沢賢治記念館」に向かいます。最初に「宮沢賢治童話村」の駐車場で花巻市のガイドさんと合流して、バスの中から案内が始まります。山の上にある「宮沢賢治記念館」から見学がスタートします。小学校の5年生の時の誕生日に父に買ってもらった「銀河鉄道の夜」は愛読書で、その中の「グスコーブドリの伝記」は心に残る物語です。最近11歳になった姪と「ドングリと山猫」や「注文の多い料理店」について語り合えるのは父のお陰かもしれません。この夏に父に貰った本は姪にプレゼントしました。この記念館を出るときに買った「雨 ニモマケズ」の全文が書かれた巻物をプレゼントしましたが、ちょうど学校で全文を暗記している最中だったようで喜ばれました。館内の壁面は賢治にまつわるキーワードが架かれ、それに関する写真パネルがグリット状に展示され、残された遺品や書籍や資料がケースに入って展示してあります。そしてガイドさんの説明が上手で、今まで知らなかったことが洪水のように頭に入ってきます。改めて宮沢賢治を読み直したいと思いました。一応kindleで購入はしてあるのですが。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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4日目の朝も早起きしたので美しい日の出を見ることが出来ました。と言っても周囲を山に囲まれた遠野の夜明けは少し遅いのかもしれません。
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残念ながら遠野の銘菓「明けがらす」のような鳥が飛ぶ風景にはなりませんでした。
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遠野の町の建物もシルエットになっていて、柳田国男が遠野に来たときの風景と大差ないと思うと感慨深いものがあります。
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六角牛山の向こうの三陸海岸の夜明けも美しかったなと春に行った旅を思い出します。
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我が家の旅はそのほとんどが晴れで、ここまで天気が良いと何でだろうという疑問が湧いてきます。旅行中の出来事はLINEで地元の友人に報告しているのですが、旅行に出掛けると東京の天気が悪くなると言われています。
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真っ赤に染まった紅葉に朝日が当たるとその色がさらに際立って美しさを増します。本当にこのタイミングで旅が出来てよかったと思います。
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この日は遠野から花巻とさらに西にある花巻温泉を巡るので、ホテルの出発は午前7時45分でした。そのため午前7時にオープンする朝食会場は10分ほど早く開けてもらいました。
語り部の聴ける宿 あえりあ遠野 宿・ホテル
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まだ夜が明けきっていないような景色の中を出発しました。
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高速には乗らずにしばらくは遠野バイパスを走ります。初日に花巻駅から遠野駅まで乗車したJR釜石線に沿って走っているようです。
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JR釜石線の線路と猿ヶ石川が交互に現れては消えていきます。
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日本の風景ではなく、ヨーロッパのどこかのアルプスの周辺で見た景色を連想させます。クロアチアの北の方とかスロヴェニアが頭に浮かんできます。
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40分ほど走ってバスは「道の駅宮森」に着きました。朝早いので道の駅はまだ営業していません。目的はすぐ脇にあるJR釜石線の「宮守川橋梁」とその手前に残るJR釜石線の前身である岩手軽便鉄道の橋脚です。
岩根橋駅 駅
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宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフになったとされる場所です。遠野に向かう列車の車窓からもこの場所を確認することは出来ました。スイスの氷河特急のランドヴァッサー橋を想像していましたが、橋自体がほぼ真っすぐでカーブが無いので橋脚の写真は撮れませんでした。
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しばらくすると花巻方面へ向かう列車がやってきました。ツアーの出発時間はこのタイミングに合わせたものでした。1時間に1本くらいしか走らないのですから見逃すわけにはいきません。
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日曜日に通過した時はSL銀河とすれ違った後だったので、この公園にもたくさんの人がいました。
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この景色の中を蒸気機関車が通過するのが見えたら、誰でも「銀河鉄道の夜」を思い出すと思います。列車が行ってしまうとツアーの皆さんはすぐにバスに向かいます。
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バスは1度「宮沢賢治童話村」の駐車場に入り、花巻市の観光ガイドさんをバスに乗せて、「宮沢賢治記念館」に向かいます。駐車場の前には「山猫軒」という看板を掲げたレストランがあります。これまでの同じツアーは人数が少なかったのでこのレストランで食事が出来たそうですが、今回は人数が多いので同じ経営の新花巻駅前の店になりました。
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「宮沢賢治記念館」の前にはヤマナシの木があり、ちょうど実を付けていました。これを見ただけで心は小学5年生に戻って、感情は子ガニになってしまいます。「クラムポンは何で死んだんだっけ。そもそもクラムポンは何なんだっけ。
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足元に落ちていたヤマナシを1つカメラバックの中に入れて家まで持ち帰りました。宮沢賢治の「やまなし」を読み聞かせてくれた父へのお土産です。
「どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂いだろう。」
「おいしそうだね、お父さん」
「待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈しずんで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝ねよう、おいで」
親子の蟹は三疋自分等らの穴に帰って行きます。 -
「宮沢賢治記念館」の建物は木立の中に隠れているように建っていました。
宮沢賢治記念館 美術館・博物館
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タイトルを見なくても「よだかの星」だと分かります。よだかは美しいハチスズメやカワセミの兄でありながら、容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われ、鷹からも「たか」の名前を使うな「市蔵」にせよと改名を強要され、故郷を捨てます。自分が生きるためにたくさんの虫の命を奪っていることに嫌悪して、彼はついに生きることに絶望し、太陽へ向かって飛びながら、焼け死んでもいいからあなたの所へ行かせて下さいと願います。
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太陽にさえ「お前は夜の鳥だから星に頼んでごらん」と言われて、星々にその願いを叶えてもらおうとしますが相手にされません。居場所を失い、命をかけて夜空を飛び続けたよだかは、いつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となり、今でも夜空で燃える存在となりました。
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見学が始まる前にいろいろな記憶や感情が蘇ってきました。改めて子供の頃に宮沢賢治を読んでいて良かったと思うと同時に父に感謝します。そして11歳の姪に自慢してやろうと思います。
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入り口にはまるめろの実が置いてありました。宮沢家の詩にも何度も出てくる果実です。「原体剣舞連」には「蛇紋山地に篝をかかげ ひのきの髪をうちゆすり まるめろの匂のそらに あたらしい星雲を燃せ dah-dah-sko-dah-dah」
「火薬と紙幣」では「栗の梢のモザイツクと 鉄葉細工(ぶりきざいく)のやなぎの葉 水のそばでは堅い黄いろなまるめろが 枝も裂けるまで実つてゐる
「イーハトブの氷霧」には「けさはじつにはじめての凛々しい氷霧だつたから みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した」
「秋」には「青じろいそばの花から 蜂が終りの蜜を運べば まるめろの香とめぐるい風に 江釣子森の脚から半里 雨つぶ落ちる萓野の岸で 上鍋倉の年よりたちが けさ集って待ってゐる」とあります。賢治にとってなじみのある果物だったのですね。 -
記念館は「宮沢賢治の心象世界」と「宮沢賢治の作品世界」と「宮沢賢治のフィールド」をまるで賢治の頭の中を覗き見るような感覚で見学することが出来ました。それは案内してくれたガイドさんの力量と話し方によるものが大きかったと思います。この写真は農学校の実習田で大正14年に写した敬愛するベートーヴェンの姿を模して撮らせたものです。
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賢治が傾倒した「農」「宗教」「宙(そら)」「芸術」「科学」の5つのジャンルを「宮沢賢治の心象世界」のコーナーで細分化されて解説されています。
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「科学」
宮沢賢治は科学に深い理解を抱き、盛岡高等農林学校で地学や農学や化学を納めました。アインシュタインの相対性理論など20世紀の新しい科学を学び、豊かな自然と四次元宇宙を科学的な視点でとらえました。 -
さらに科学は分類化され、賢治の活動や作品に分類されます。そこには肥料設計やイギリス海岸、東北砕石工場などの他に「グスコーブドリの伝記」や「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」など作品名が書かれてあります。その外郭には賢治の関心のあった単語が並べられています。
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賢治が実際に使用したものではありませんが、同型の偏光顕微鏡が展示してあります。岩石や鉱物を約0.03ミリの研磨薄片にして、偏光を照射して観察します。
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「芸術」
賢治はそれまで誰も思いつかなかった考えと手法によって多くの作品を生み、多彩で独自の世界をつくりだしました。詩約800篇、童話約100篇、短歌約900首、それに俳句、歌曲、短篇、絵画、教材用絵図、花壇設計に至ります。 -
芸術の周りには「注文の多い料理店」「花壇設計(涙ぐむ目)」に並んで「星巡りの歌」がありました。高倉健の映画に「あなたに」の中で田中裕子が歌う歌には感動しました。
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「セロ(チェロ)」
これは賢治の生前の愛用品です。胴の内側に「1926.K.M」と記入があるそうです。名古屋の鈴木政吉の製作です。賢治はこれをもって上京し、特訓を受けました。賢治は当時としては高価だったこのチェロを友人の中古チェロと交換してやったために、このチェロは空襲を免れたそうです。さらに鈴木政吉の名前で思い出したのですが、大正15年の1926年に長男梅雄と三男鎮一が渡独した際に近所に住んでいたアインシュタインにバイオリンを弾いてもらっています。アインシュタインはバイオリンをこよなく愛し、天才バイオリニストのフリッツ・クライスラーの友人でしたが、政吉の作品を手にした際に愛用のバイオリンと弾き比べ、「音の出方、音の価値については到底貴下の父親の作品に比する価値はない。自分の一生は勿論、永く家宝として愛用したい。」といったそうです。そして鈴木政吉に手紙まで送っています。遠い話ではありますが、宮沢賢治とアインシュタインがつながった気がしました。 -
「妹トシのバイオリン」
明治40年に制作された鈴木政吉の「第5号型」です。トシが花巻高等女学校時代に使い、妹の病死後に賢治が柳原昌悦に贈ったものです。花巻農学校時代に賢治から1年程度の教えを受け、卒業後も親交を深め、平成元年の1989年に80歳で亡くなると、賢治からの手紙やバイオリンはこの「宮沢賢治記念館」に寄贈されています。 -
「レコードとアルバム」
愛聴していたベートヴェンの第6交響曲「田園」など12枚のレコードが戦火による焼失を逃れて展示してあります。 -
賢治が東京で仕入れた「便利瓦(布にアスファルトのようなものを塗ったトタン板の代用品)」がよく売れたため、その儲けでレコードを購入しています。賢治が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がイギリスに本社を置くポリドール・レコードから感謝状を贈られたという話しも残っています。
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「農」
賢治は盛岡高等農林学校を卒業した後に様々な家業を模索しましたが、大正10年の1921年から郷里である花巻で農学校教師となり、農村生活の実情に対する認識を深め、やがす羅須地人協会を開きます。 -
農業と農村に科学と芸術を生かした新しい文化をもたらそうとして、農民教育に肥料設計に稲作指導に尽力しました。病臥の回復後に東北砕石工場岸時代にも晩年になっても農村のに対する思いは変わりませんでした。
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「宗教」
賢治は妙法蓮華経に深く感動して、その精神に生きた人です。天性の鋭敏な感受性と表現力で法華経の教えに近代科学の知見を加えて創作し、苦労の多い農村生活を明るく豊かにするために尽力しました。 -
宗教の周りには「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」「雁の童子」などが取り囲み、一番外には妹の宮沢トシや実業家であった父の宮沢政次郎の名前が読み取れます。日蓮や釈尊は分かりますが、大谷光瑞の名前から賢治が彼を批判していたことを知りました。
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阿修羅像からは「春と修羅」が思い出されます。「心象のはひいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の湿地 いちめんのいちめんの諂曲模様 (正午の管楽よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき) いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ…
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「十界曼荼羅(ご本尊」後ろに掛けられたのは国柱会の本尊で、賢治に授与されその仏壇に奉安されていました。花巻空襲の際は防空壕で焼失を免れました。日蓮主義の在家教団である国柱会に24歳の時に入会し、花巻町内を唱題して歩くという熱狂さでしたが、すぐ失望と軽蔑に変わったようです。
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宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」は未完成の原稿しか存在しません。そこで賢治の実弟の宮沢清六氏らが、賢治の死後の戦後に原稿を並べかえるなどして形を整えました。「朝日評論」の昭和21年の1946年4月号で発表されると、読者の感動を呼び高く評価されて広く読まれました。
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戦時中は愛国主義や精神主義的な一面がことさらに強調されていた賢治に社会変革者としての一面もあったことが一般に認識され、戦後の民主化のなかで賢治が再評価されるきっかけとなりました。ガイドさんによると賢治が世に紹介されることにおいて、実弟の宮沢清六氏の存在が大きかったということです。
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次のコーナーでは賢治の時代ごとの知人との相関図がありました。これを見ると今まで知らなかった関係が見えてきます。といっても東北砕石工場から晩年にあって佐々木喜善と繋がったくらいです。高村光太郎とは羅須地人協会時代に知り合っています。
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賢治の生い立ちと同時にその当時の社会的な出来事が比べられます。三陸大津波の年に生まれ、日露戦争が開戦され、東北に大飢饉があった暗い時代だったようです。
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その後の大正時代も第1次世界大戦やロシア革命にシベリア出兵、そして関東大震災と暗い時代は続きます。個人的には法華経に開眼し、農学高等専門校を首席で入学するも妹が亡くなるなど悲しい時代でもありました。
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時代が昭和に移っても大恐慌や満州事変に上海事変とキナ臭い時代は続きます。その頃の賢治は充実した生活を送っているようですが昭和8年に亡くなります。37歳という若すぎる死です。
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一番興味深かったのは家族についての表でした。代々呉服屋を営む家で祖父は商才のある人で投資にも成功し、広大な土地を所有していました。母方の祖父は花巻銀行の専務や花巻電気取締役と実業界で活躍した人でした。両親とも名字が同じ宮沢というのも面白い偶然です。妹のトシさんの写真は初めて見ましたが美人だったのですね。
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一度ガラス張りの窓から表を眺めてブレイクダウンします。いろいろな情報が洪水のようで混乱してきます。
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同人誌「アゼリア」は大正6年の盛岡高等農学校3年生の7月に12人の同人と創刊します。謄写版(とうしゃばん)刷りです。アゼリアは西洋ツツジのことです。謄写版は子供の頃は「ガリ版」と呼び、小学生の頃は当たり前のように使われていました。表面にロウを塗った「原紙」に、文字や画像を直接描いて版とします。描画した部分はロウが削られます。原紙をメッシュのシートに重ねて、印刷用紙の上に置き、その上からローラーなどでインクを塗ると、ロウが削られた箇所だけインクが押し出されて印刷されるという仕組みです。
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「春と修羅」と「注文の多い料理店」の初版本(復刻版が並んでいます)。賢治の生前に出版された本はこの2冊だけでした。この秋口に行った盛岡では「注文の多い料理店」を出版した光原社に行くことが出来ました。
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賢治の描いた「日輪と山」です。オリジナルは失われてしまい、色については実弟の宮沢清六氏の記憶によるものだと説明がありました。
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複製ですが「雨ニモマケズ」の手帳には感激しました。
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この手帳は俗に「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれるそうです。賢治の死後に発見された遺品の1つですが、花巻の実感で闘病中に書かれたと推察されます。
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10ページにわたり書かれていたのですね。ここに来て初めて知ることの多さに驚かされます。
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四本刃の鍬は羅須地人協会時代に開墾耕作に使用したものです。
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「土色図」は自筆教材絵画で、土壌の成分と色との関係を示す三角座標図です。黒の頂点が腐植質で、赤が鉄分。白が好物の三成分のそれぞれ100%を示します。
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詩「永訣の朝」
刺繍「春と修羅」には妹のトシの死を悼む一連の挽歌が含まれています。これはその冒頭をなす妹の死の日の朝の心象スケッチです。 -
童話「インドラの網」
チベット高原を題材にした超現実的な童話です。鉱物的な透明な世界を展開しています。 -
「有翼の天使」
マーク・オーレル・スタインがシルクロードのミーランで発掘した有翼の天使像です。「雁の童子」はこれをモデルにして書かれたのではないかと知ると天の眷属だった白い鬚の老人の家族たちが雁の姿にされ、弾丸に射抜かれてからだに火が燃え出し、世にも悲しく叫さけびながら落ちていく情景が思い出されました。 -
童話「雁の童子」
西域の沙車(さしゃ)に住む須利耶圭(すりやけい)は撃たれて落ちてきた雁が姿を変えた童子を育てます。不思議な因縁を描く西域の物語です。 -
「国訳妙法蓮華経」
賢治は「私の一生の仕事はこの経をあなたのお手元に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい、正しい道に入られますように」と遺言し、翌年に実弟の清六により1,000部が刊行されます。 -
1000部の国訳妙法蓮華経は父への遺言によって作られ、知友に贈られました。この後に行く賢治最初の詩碑「雨ニモマケズ」の碑の下にも埋められているそうです。
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「絶筆短歌二首」
半紙に毛筆で書かれた短歌二首は亡くなる直前の昭和8年の1933年9月19日から20日に掛かれました。豊作と篤い信仰との喜びがうたわれています。
「方十里稗貫(ひえぬき)のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる」
「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし」 -
「両親宛の遺書」
昭和6年の1931年9月に東北砕石工場製品見本をもって上京します。東京についてすぐに発熱し、死を覚悟して遺書を書きます。遺書を書いた2年後の同月同日の9月21日に永眠します。 -
童話「双子の星」
チュンセとポウセ二人の童子が訪ねた「空の泉」は「天の川の西の岸から、よほど離れた処に、青い小さな星で円くかこまれてあります」とあります。天の川との位置関係や星の配列からかんむり座をモデルにしたそうです。 -
歌曲「星めぐりの歌」
童話「双子の星」でチュンセとポウセの2人の童子が奏でる曲です。アンドロメダの雲はアンドロメダ座大銀河と思われますが、「さかなのくちのかたち」ではないようです。映画「あなたへ」の中で田中裕子が歌う曲はこの旅でも聞いていました。
https://www.youtube.com/watch?v=gptY8RBKbes -
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「銀河鉄道の夜」第50葉
「もうぢき鷲の停車場だよ」とカンパネルラがいう場面で、「三つならんだ小さな青白い三角標」が登場します。わし座のアルタイルの両脇にはほぼ同じ距離で並ぶ星があり、この3つの星が三角標のモデルと思われます。 -
「銀河鉄道の夜」第15葉
ケンタウルス祭の晩、明るく飾られた町では、子供たちが「ケンタウルス、露をふらせ」と叫び、花火に興じています。ケンタウルスあるいはケンタウルスという言葉は、南天の星座名ケンタウルス座から着想を得ています。 -
「花壇設計図」
花巻温泉株式会社園芸部に就職した賢治の教え子の冨手一(とみてはじめ)に与えた設計図です。昭和2年の1927年4月頃に実を付けた蔓草のこのデザインをさらに展開し、花巻温泉の小スキー場の南斜面花壇を作りました。冨手は「やがて腰を上げると「ここをこうやって」と次々に指示されるままに私は動き、先生がテキパキと進め我を忘れてかけ巡るのでした。蔓草の茎を形どった通路が無造作に見える先生の線の引き方にもかかわらず、実に自然に、生きて居る形に出来る。実(み)の形の円の花壇が次々に出来上る。芝生になる分にはローングラスの種子が手早に蒔付けされる。たちまち模様が出来て、草も木もない黒い土一色だが先生の画いた花模様が素晴らしくきれいで、若かった私には本当に夢の様で、今でも忘れぬ思い出です。」と言葉を残しています。 -
「日時計花壇設計図」
これも冨手一に与えた設計図です。中央部に日時計がある花壇なので、こう呼ばれています。大正末の花巻温泉の貸別荘のあいだに造られていました。ミリ方眼紙は現在も使われているのでしょうか?子供の頃になんて便利な紙だろうと思いましたが、50年振りに見た気がします。この後に行った「ポランの広場」にも日時計の立った庭がありました。 -
「Tearful eye設計図」
「MEMO FLORA」ノートの中に描かれた花壇設計の1つです。「Tearful eye」(涙ぐむ目)と名付けられています。この後に行った「賢治自耕の地」の畑にはこの花壇が再現されていました。 -
童話「グスコーブドリの伝記」手帳メモ
「GERIEF手帳」の77ページと78ページの「グスコーブドリの伝記」構想メモです。この手帳は東北砕石工場岸として炭酸石灰などの販売に奔走する時期に使用されたものです。雑誌「児童文学」からの寄稿依頼を受けて童話の高層を練ったものと思われます。 -
童話「風野又三郎」手帳メモ
「兄妹像手帳」の89ページと90ページのメモです。この手帳には他にもメモが数多く残されています。昭和6年の1931年頃に「風の又三郎」の構想が練られていました。 -
童話「風の又三郎」
昭和6年の1931年頃に成立した「風の又三郎」の9月1日の章です。風の日に転校生高田三郎が登校した場面です。 -
創作メモ「風野又三郎梗概」
童話「風の又三郎」ははじめ「風の神の子」の話しとして3種の草稿が書かれ、創作メモの「風野又三郎梗概」や2種の手帳に筋書きメモが残されています。また別に「さいかち淵」や「種山ヶ原」の物語が書かれてあります。これらが書き直しや組み合わせにより「風の又三郎」の転校生高田三郎へ転生します。 -
童話「グスコーブドリの伝記」挿絵
宗像志功の手による画です。童話「グスコーブドリの伝記」は昭和7年の1932年3月の月刊「児童文学」第2冊に発表されました。第1冊には「北守将軍と三人兄弟の医者」が発表されています。 -
「注文の多い料理店」挿絵3
童話「かしはばやしの夜」の挿絵と扉絵です。菊池武雄の描いたものです。 -
菊池武雄は岩手師範の同級生で城南小の同僚であった藤原嘉藤治の紹介で、賢治に童話集「注文の多い料理店」の装丁と挿絵を依頼されます。最初菊池は辞退したが、賢治から職業画家でない方がよいと励まされ、挿絵はすべて自由に構想して描いたそうです。
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扉絵のドン・キホーテの様な洋装の画家とイーハトーブの農民清作との対比が面白いです。
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「注文の多い料理店」挿絵1
「注文の多い料理店」中の9枚の扉絵は作者のイメージと画家の表現力の鮮やかな協調を感じます。これらも菊池武雄の手によるものです。 -
イーハトヴ童話「注文の多い料理店」
大小13年の1924年のイーハトヴ童話「注文の多い料理店」は杜陵出版部、東京光原社で刊行されています。1000部が発行され、装丁と挿絵はともに菊池武雄です。 -
刺繍「春と修羅」
大正13年の1924年に自費で出版しました。1000部を関根書店より発行し、外箱の装丁は花巻の画家阿部芳太郎、表紙絵は広川松五郎です。賢治は「春と修羅」を詩集と呼びたくなかったようです「心象スケッチ」という言葉は今回の旅で心に残りました。 -
「俳句」
詩稿の裏や反故紙を使って自作や多作の短歌や俳句の筆写がなされました。右下の「風耿(ふうこう)」は賢治の俳号です。 -
「無題」
手紙の下書きの便箋の裏面に描かれた賢治の毛筆がです。原稿やメモの余白にもミミズクの絵を描いています。 -
「フジ子さんの像」
賢治の自筆メモ画です。末妹クニの長女フジ子の肖像です。昭和8年の1933年の文語詩「巨豚」の下書稿の裏面に描かれています。 -
「無題」
横罫ノートに描かれた水彩画です。製作年代は不明です。 -
「無題」
空のひび割れから覗く不気味な顔と台地のひび割れからは青や赤の手が伸びています。 -
「無題」
童話「月夜のでんしんばしら」のイメージを描いたものでしょう。原画は戦災により焼失しています。残されたモノクロ写真に弟の清六氏の記憶により彩色しています。 -
「無題」
天と地をつなぐ竜巻、山頂にはウサギがいます。これも戦火で焼失しています。 -
自筆謄写版楽譜「”IHATOV”FARMERS’SONG」
イーハトヴ農民の歌と題して、賛美歌448番の曲に「ポラーノ広場のうた」の詩を付けています。 -
童話「セロ弾きのゴーシュ」
町の交響楽団でセロを弾いているゴーシュ。毎晩訪ねて来る動物たちとの交流の中で自分の欠点井気づいたり音楽の深さを感じ取って成長していきます。 -
劇「ポランの広場」
童話「ポランの広場」の一部を脚色して大正13年の1924年に花巻農学校生とに上演させた台本です。後年になって羅須地人協会時代に6幕物で上演しようとしますが実らず、長編童話「ポラーノの広場」が残されました。
ツアーでなければもっとゆっくり見学したかった「宮沢賢治記念館でした。」
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旅行記グループ 2022平泉・花巻・遠野の旅
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