2022/11/08 - 2022/11/08
137位(同エリア265件中)
kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
ツアー3日目は終日フリーになります。最近は少しでも自由時間があるツアーに魅力を感じます。この日も早朝に目が覚めてしまい、表を見ると昨日の朝とは違って朝霧はありませんでした。もう少しゆっくり寝ようかとも思いましたが、晴れていれば景色もきれいだろうと思い、2日連続で「鍋倉城址」に上がってみることにしました。予想通り昨日の朝とは全く違う景色を楽しむことが出来ました。北側には早池峰山と紅葉した手前の山並み、東側には六角牛山が朝日々浮かんでいます。この日も誰に合うことも無くホテルに戻りました。ゆっくり朝ご飯を食べた後は、妻と別れて遠野市内の中心部から少し離れた「遠野物語」にゆかりのある御堂や建物を巡りました。遠野の町は来る前に思っていたよりも小さいのでその多くを見ることが出来ました。その中でも一番良かったのは「会下の十王堂」でした。調べておいた「遠野物語」のストーリーとその場所を確認するのも楽しく、また新たな発見もありました。途中から妻を待たせているのが気になり始めましたが、結局約束していたより1時間以上遅れてホテルに戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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ツアー3日目は終日自由時間です。最近はツアーに参加しても夕食が付いていなかったり、まったくフリーの日があったりするものが気に入っています。本当はゆっくりしてもいいのですが、早朝のこの景色を見てしまうと気が変わってしまいます。
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ホテルの客室階の廊下の突き当りの窓からは遠野駅までが見通せました。駅前通りの電柱の列が宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」を思い出してしまいます。
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昨日の早朝は朝霧で何も見えませんでしたが、この日も霧は出ていても流れが速くて消えてしまいそうです。どこかで落ち葉焚きをしている煙も見えます。
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東には六角牛山の姿も見えます。昨日学んだ三つの山の三姉妹の話しを思い出してしまいます。幻想的な姿に女神が住んでいそうな気がしてきます。
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この景色を見ていたら、もう一度鍋倉城址の展望台に行ってみようという気になりました。太陽もちょうど昇ってきました。
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部屋の窓から鍋倉城址を眺めるとしっとりとした黄葉がさらに美しくなっているようです。妻に朝ご飯を待っていてくれるようにお願いして1人で出掛けます。
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まずは南部神社へ登る階段に向かいます。
南部神社 寺・神社・教会
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思った通りで太陽が上がってくると紅葉がさらにきれいになってきます。
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2日目に遠野市の郊外で見てきた紅葉よりも鮮やかな色をしています。
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紅蓮の炎の様なモミジの紅葉を見たのは初めてだと思います。それほどの鮮やかさです。
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三の丸公園の広場から遠野市を見渡してみます。盆地を囲う山々の内側にはまだ霧が立ち込めていますが、柳田国男の訪れた頃もこんな風景だったのではないかと思います。
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2日目も誰にも会うことはありません。展望台に登ってさらなる景色を楽しみます。
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この日も鍵は開いていました。鍵を開けた方が3センチほど扉を開けてくれているのが憎いです。たったそれだけで時間前に見学させてもらうものの気持ちは楽になります。
鍋倉城址 名所・史跡
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遠野市の西側にあるこの山も「遠野物語」の舞台のようで、展望台にその方角と物語が書かれてありました。その物語は「サムトの婆」で神隠しにまつわる伝説です。
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寒戸にいた娘がある日、木の下に草履を残して消息を絶った。その30年後、親戚たちが集まっているところへ、その娘がすっかり老いさらばえた姿で帰ってきた。事情を尋ねる親戚たちに対し、娘はみんなに逢いたくて帰って来たものの、山に帰らなければならないと言って去って行った。その日は風が強かったので、遠野ではそれ以来、強風の日は「寒戸の婆が帰ってきそうな日だ」といわれたという。
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天ガ森と附馬牛方面は朝霧に覆われているようです。
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その左の緩いカーブの先に早池峰山が見えるはずですが、その姿は見えませんでした。三姉妹の末娘は性格もしたたかなので、隠れているのかもしれません。
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東側の六角牛(ろっこうし)山は逆光ではありますが美しいシルエットを見せてくれます。三姉妹の長女の性格を表しているようです。
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この紅葉の美しいしっとりとした気候の時期に来ることが出来て本当に良かったと思います。伝説ではありますが「遠野物語」の出来事が本当のように思えてきます。
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ホテルに戻りかけると携帯電話が鳴って、妻が部屋から手を振っていました。
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一度部屋に戻って朝ご飯に向かいます。1階の「レストラン銀杏」はピークの時間を過ぎているので空いていました。
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朝ご飯も毎日がっつりといただきました。昔は朝ご飯を食べなくても午前中は体が動きましたが、歳を重ねるとだんだん気力も体力も落ちてきます。ホテルの近所の「新里豆腐店」の汲上げ豆腐とおから煮は毎日おいしくいただきました。
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あえりあ遠野のコーヒーは美味しかったのと、岩泉ヨーグルトは大好きなのでたくさんいただきました。岩手県内では飲むヨーグルトは売っているのを見掛けますが、濃厚なヨーグルトはあまり見かけません。
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ホテルのレストラン「銀杏」にも遠野南部流鏑馬が遠野まつりの流鏑馬で射抜いた的が飾られています。「当矢」と書かれた縁起物として飲食店に飾られています。
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朝食の後は又1人で遠野の町中と近隣を散策することにします。昨日もたくさん歩いたので妻はホテルでお休みです。
語り部の聴ける宿 あえりあ遠野 宿・ホテル
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ホテルの朝食をいただいた「レストラン銀杏(いちょう)」です。表から眺めて店の名前の意味が分かりました。大きな銀杏の木が植えられていました。これは後で気が付きましたが、宇迦神社の銀杏に倣ったのかもしれません。
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遠野駅から始まる駅前通りは10体の彫刻が置かれてあります。これらの像が建ち並ぶ道は「民話の道」と名付けられ、「民話のふるさと」としての遠野を一層充実させることを目的に30年前の竹下登が行った「ふるさと創生事業」の一環で整備されたそうです。
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こちらは「こだま’91」という作品です。これらの彫刻の1つ1つの由来や作者については詳しく紹介されていません。
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来内川は町中だというのに水草が育つほどの清流です。揺らぐ水草をいつまでも見ていられそうです。
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ドウダンツツジとモミジの紅葉の続く川辺の道です。
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朝ご飯でいただいた「新里豆腐店」はホテルと目の鼻の先にあります。ホテルで出来立てがいただけるので買いに来ませんでしたが、豆乳は飲んでみたかったです。
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現在は中央通りと呼ばれる昔の「一日市」が立った通りを東に向かい、住宅街の中にポツンと残る「会下の十王堂」に行ってみました。
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「遠野物語拾遺」53話には、遠野町会下にある十王堂で、古ぼけた仏像を子供達が馬にして遊んでいるのを、近所の者が神仏を粗末にするなと言って叱りとばして堂内に納めた。するとこの男は、その晩から熱を出して病んだ。そうして十王様が枕神に立って、せっかく自分が子供らと面白く遊んでいたのに、なまじ気の利くふりをして咎めだてをするのが気に食わぬと、お叱りになった。巫女を頼んで、これから気をつけますという約束で許されたという事である。
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「遠野物語拾遺」68話には、会下の十王様の別当の家で、ある年の田植え時に家内中の者が熱病にかかって働く事のできる者が一人もいなかった。それでこの田んぼだけは、いつまでも植え付けができず黒いままであった。隣家の者、困った事だと思って、ある朝別当様の田を見まわりに行ってみると、誰がいつの間に植えたのか、生き生きと一面に苗が植え込んであった。驚いて引き返してみたが、別当の家では田んぼどころではなく、皆枕を並べて苦しんでいた。怪しがって十王堂中を覗いてみたら、堂内に幾つもある仏像が皆、泥まみれになっていたという事である。
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小さな御堂には鍵が掛けられるようになっていますが、参拝する方もいらっしゃるのか鍵は開けられていました。小さな畳敷きの堂内に入り、参拝させていただきました。もちろん最初に像が泥まみれになっていないか確認しましたが、この時期は田植えではなくて、稲刈りの季節なので泥まみれにはならないなと思いました。
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遠野で十王堂は「かっぱ淵」の近くの「常堅寺」の境内でも参拝しました。死後の世界をつかさどる10人の王を祀ったお堂で、閻魔大王が中央に鎮座していました。その左右には十王の姿がありますが、どれが誰とかは分かりません。
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初七日を司る泰広王(不動明王)、二七日を司る初江王(釈迦如来)、三七日を司る宗帝王(文殊菩薩)、四七日を司る五官王(普賢菩薩)、五七日を司る閻魔王(地蔵菩薩) 、六七日を司る変成王(弥勒菩薩)、七七日を司る太山王(薬師如来)、百ヶ日を司る平等王(観音菩薩)、一周忌を司る都市王(勢至菩薩)三回忌を司る五道転輪王(阿弥陀如来)の十王は人間が亡者になって仏様の世界に入って行く時、 生前の罪業の軽重を裁判し次に生まれて来る世界を決定する冥土の10人の裁判官です。
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小さな御堂の中に1人座っていると、まるで自分が裁きに合っているような錯覚にとらわれてきます。生きているうちにもう少し善行に励み、極楽に行けるようにしなければと思います。
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十王とは別に奪衣婆(だつえば)という三途の川のほとりで冥界に至る亡者の衣を剥ぎ取る老婆も置かれてありました。父の生家のあった地域のお寺にもお堂があり、等身大の奪衣婆が着差いされた姿で置かれてありました。十王と奪衣婆についても父に初めて教わった記憶があります。その恐ろしい姿はしばらく夢に見るほどでした。
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十王の脇には紅白の頭巾をかぶった6体の地蔵尊も祀られています。六道(ろくどう)とは仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界を指し、天道(てんどう)と人間道(にんげんどう)、修羅道(しゅらどう)と畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)と地獄道(じごくどう)に分かれます。
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このうちの天道と人間道と修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道と餓鬼道と地獄道を三悪趣(三悪道)と分類します。天道は如意輪観音、人間道は准胝観音または不空羂索観音、修羅道は十一面観音、畜生道は馬頭観音、餓鬼道は千手観音、地獄道は聖観音が司りますが、像の姿に違いは無いのでどの仏が誰かは分かりません。
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役行者(えんのぎょうじゃ)の様な像も安置されていたので、山伏信仰とかも関係しているのかもしれませんが、詳しいことは分かりません。
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御堂に脇に立つ「会下家の十王堂のカツラ」も見事な巨木です。その足元には安永元年の勺水聴風と書かれた碑は根元に呑み込まれています。まるでタイのアユタヤのワット・マハタートの仏陀の頭部を思い出します。勺水聴風の「勺」は古代中国における小さなコップの口縁に長い柄のついた酒をくむ用器のことで、水を飲みながら風の音を聴くという風流な言葉だなと感じました。
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元来た道をとぼとぼ戻りながら、この午前中のルートを妻を誘っても来ないだろうなと感じました。それほど地味な町内巡りですが、ひたすら歩き続けました。この町内の「遠野物語」と「遠野物語拾遺」を歩くきっかけになったのは、この地図を見つけてしまったからでした。
地図PDF https://tonojikan.sakura.ne.jp/tonojikan_system_admin/wp-content/uploads/2016/04/machinakamap.pdf -
中央通りにある「松田酒店」まできました。周囲には何の案内もありませんがここは「遠野物語拾遺」225話の物語の場所のようです。土淵村に治吉ゴンボという男がいた。この郷でゴンボとは酒乱の者や悪態をする者のことを言うが、この治吉も丈高く、顔かたちが凄い上にことに筋骨の逞しい男であった。市日に遠野町の建屋という酒屋で酒を飲んでいるところへ、気仙から来たという武者修行の武士が入って来た。下郎を一人つれて、風呂敷包みをワシコに背負い、滝縞の袴を穿いた偉丈夫である。
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治吉はこの侍を見るなり、俺こそはこの郷きっての武芸者だ、さあ試合をしようと言った。侍は心得たと、家来に持たせた荷物の中から木刀を取り出させる。治吉はもともとただの百姓で剣術などは少しも知らず、酒の酔いに任せて暴言を吐いただけであるから、相手のこの物々しい様子を見てひそかに驚いたが、もう仕方が無い。今日で命は無いものだと覚悟をして、見る通り俺は獲物を持ち合わさぬが、何でも有り合せの物でよろしいかと念を押した…。店の裏へ獲物を探しに行ったは角材を拾って戻ってきます。治吉さあ武芸者、木刀などでは面白くない。真剣で来いと例の材木を軽々と振廻して見せた。すると何を思ったのかその侍は、からりと木刀を棄て、いや先生、試合の儀はどうかお取り止め下さい。その代りに、拙者が酒を買い申そうと、酒五升を買って治吉に差出した。治吉はますます笠に掛って、いやならぬ、どうしても試合をすると言って威張って見せると、侍はそれを真に受けて怖がり、ひたすら詫びを言っていたが、とうとう家来といっしょにこそこそと逃げ去った。天下の武芸者を負かした上に、五升の酒をただで飲んだと言って、治吉はますます自慢してならなかったそうな。
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バス停に名前の残る「一日市」の立った通りは現在は閑散としていますが、往時の賑わいは凄かったようです。その様子は午後に行った博物館で知ることが出来ました。通り筋には「石臼神社」とあります。ここは「遠野物語」27話にある「池端の石臼」が由来の場所です。
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早池峯より出でて東北の方宮古の海に流れ入る川を閉伊川という。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池の端という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台の淵というあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を托す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人いで来べしとなり。この人請け合いはしたれども路々心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部に行き逢えり。この手紙を開きよみて曰く、これを持ち行かば汝の身に大なる災あるべし。書き換えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき石臼をくれたり。米を一粒入れて回せば下より黄金出づ。
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この宝物の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき窪みの中に溜りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家の旁にあり。家の名を池の端というもその為なりという。
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向かい合うように通りの反対側には「宇迦神社」がありました。この神社は地元では「うんなんさま」と親しまれているそうです。祀神は宇迦之御魂神と虚空蔵菩薩と書かれてありましたので、神仏が合祀されているようです。「うんなん」には運南や宇南の字があてられることもあり、宮城県と岩手県に分布している信仰のようです。うんなんさまの神使としてウナギが知られており、この神様は水神や田の神とされています。
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街道であったこの地には「一里塚」が設けられていたようです。一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代で、徳川家康が秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりです。一里塚の大きさは5間(約9メートル)四方、高さ1丈(約1.7 メートル)に土を盛り上げてつくられ、一里塚の上には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていました。
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この町の一里塚は明治24年の遠野町の大火で焼失してしまい、現在は銀杏の木が植えられると書かれてありました。それで「あえりあ遠野」のレストランは「銀杏(銀杏)」という名前なのでしょう。
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宇迦神社に祀られた宇迦之御魂神と虚空蔵菩薩は丑と寅の守ご本尊なので地元の同級生の名代でお参りしておきます。
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小さい神社で参拝する人の姿もありませんが、妙に落ち着く場所でした。
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同じ境内の中には木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を祀る祠もありました。「古事記」では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)といいます。神話では日向に降臨した天照大御神の孫の邇邇芸命と笠沙の岬で出逢い、求婚されます。父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売と共に差し出しましたが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚しました。大山津見神はこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからで、木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げました。その子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのはこれが理由です。
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もう1つ普賢神社も並び、別雷之命(わけいかづちのみこと)と普賢菩薩が祀られています。ここは巳年と辰年の守り本尊だということはすぐに分かりました。
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早池峰神社の御神紋の剣が奉納されていました。昨日参拝した早池峰神社には巨大な剣が立っているのを見て、アーサー王伝説のエクスガリバーという剣を連想してしまいました。
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境内には「山神」の石碑も納められていました。
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「こども本の森 遠野」の前を通過しました。ここには翌々日の朝に立ち寄る予定になっていますので、そのまま通過します。現在は美しい姿を見せてくれますが、近所の奥さんに聞いたら、以前は軒が壊れそうでつっかえ棒をして危なかったんですよとおっしゃっていました。そんな世間話も楽しい遠野です。ちなみにその姿がグーグルのストリートビューで以前の姿を見ることが出来ました。(2022年11月現在)
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その並びにはよろず屋という酒屋さんがあります。遠野は非常に数多くの酒屋があり、その多くが「遠野物語」の舞台になっていました。この店は「遠野物語拾遺」98話の「万吉米店」の話が残っています。遠野の一日市に万吉米屋という家があった。以前は繁昌した大家であった。この家の主人万吉がある年の冬に鉛温泉に湯治に行き、湯槽に浸っていると戸を開けて1人のきわめて背の高い男がはいって来た。退屈していた時だからすぐに懇意になったが、その男おれは天狗だといった。鼻はべつだん高いというほどでもなかったが、顔は赤くまた大きかった。そんなら天狗様はどこに住んでござるかと尋ねると、住居は定まらぬ、出羽の羽黒、南部では巌鷲早池峰などの山々を、行ったり来たりしているといって万吉の住所をきき、それではお前は遠野であったか。おれは五葉山や六角牛へも行くので、たびたび通って見たことはあるが、知合いがないからどこへも寄ったことがない。これからはお前の家に行こう。何の仕度にも及ばぬが、酒だけ多く御馳走をしてくれといい、こうして数日湯治をして、また逢うべしと言い置いてどこへか行ってしまった。
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その次の年の冬のある夜であった。不意に万吉の家にかの天狗が訪ねて来た。早池峰から出て来てこれから六角牛に行くところだ。一時も経てば帰るから、今夜は泊めてくれ。といい、その後も年に数度はこの家にやってきたそうです。最後に来た時にはこう言ったそうである。おれももう寿命が尽きて、これからはお前たちとも逢えぬかも知れない。形見にはこれを置いてゆこうと言って、著ていた狩衣のような物を脱いで残して行った。そうして本当にそれきり姿を見せなかったそうである。この時に置いて行ったとされる茶碗や下駄が「遠野市立博物館」に展示してあります。
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その脇には古い商家が残されています。「小林荒物雑貨店」にはこの時は立ち寄りませんでしたが、夕方に店の奥さんとしばらく話し込んでしまいました。
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軒先には真っ赤な唐辛子が干してありました。こんなさりげないものだけで旅行者は郷愁を感じてしまいます。
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通りには「旅館福山荘」という建物がありました。往時は繁盛したのだと思える店構えです。こんな旅館に泊まってみるのもいいですね。
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コミュニティスペースの「Commons Space」の建物は「江戸東京たてもの園」に保存されているような見事な看板建築です。看板建築とは鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない中小規模クラスの商店によって関東大震災後に数多く建設された、かつての伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗併用の住宅のことです。
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通りをさらに西に進むと「仙臺屋」があります。ここは駄菓子店だったそうですが、現在はお茶屋さんでした。時間の無いこの時は写真だけ撮って先を急ぎます。「一日市に仙台屋という駄菓子屋がある。その店の前を走って通ることを「ツバサミを取って走る」という。それは、着物の裾を帯の後ろに挟み、おかっぴきスタイルで走る様をいい、おいしい物を前にして、見ぬふりをして走り去るのは無粋で愛想も素気もないことの例えとして、そう言う」と紹介されていました。
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仙臺屋には最終日に偶然にお茶をいただいて話し込んでしまった用品店のおばさんに勧められてお茶を買い求めました。遠野では1人のおばさんと知り合うと次に行った店のおばさんと話が弾みます。
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遠野にはいくつもの店が「明けがらす」というお菓子を作っているようです。調べてみるとやはり有名な「まつだ松林堂」が発祥の店のようです。
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店の名前に惹き付けられた雑貨店です。「カーゴカルト」という言葉を初めて知ったのは1975年に発売された諸星大二郎の「マッドメン」という漫画でした。主としてメラネシアなどに存在する招神信仰で、いつの日か先祖の霊または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達のもとに現れる、という物質主義的な信仰です。空を飛ぶ飛行機をおびき寄せるためにニセの飛行場を作ったり、張りぼての飛行機を作ったりしたそうです。
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遠野駅の前にある「遠野市観光センター」の建物にも立ち寄ってみました。ここで岩手県のクーポン券が使えるか確認しておきます。岩手県では宿泊した日からしか使えないので、使用開始期限を確認して古いものから使っていきました。HPで使える店を確認しておいても「うちはやってないんですよ。」断られるケースもありました。
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案内所の前には「北風の舞」というタイトルの銅像がありました。着物を着た女性の髪の毛が風によって舞い上がっている様がデザインされています。
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次は彫刻家の中野滋によって制作された「天空へのみち」という銅像です。サブタイトルとして「ジャックと豆のつる」とあります。確かに豆の場合は蔓で、それが太くても木にはならないですね。
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駅前の池に置かれたかっぱの作者は池田宗弘という人で、仮面ライダーの変身ベルトをデザインされた方だそうです。一昨日は持っていなかった機関車の模型を抱えていました。夜のうちにどこからか持ってきたのでしょうか。遠野の河童はいたずらをしないと聞いていたのですが。
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遠野駅にも立ち寄って絵葉書にスタンプを押したり、パンフレットを貰ったり。
遠野駅 駅
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絵葉書を投函したポストにはかっぱの雌の木像が置かれてありました。ここで投函したらゲゲゲの鬼太郎の妖怪ポストに届いてしまうのではないかと危惧しましたが、ちゃんと家に届きました。
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「旅の蔵遠野」の火の見櫓の上には天狗がいました。「万吉米店」の物語の地を歩いて来たばかりなので目に止まりました。
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遠野駅から西に進んで大工町を散策することにします。この「佐々木酒店」には午後に立ち寄って、「生どぶろく」を自宅に半ケース送りました。
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遠野の町は城下町であり宿場町としても繫栄し、特徴ある形態をしていたようです。防衛上侵入を防ぐために道路幅の広狭や鍵状の形、町内の出入り監視のための桝形、町の西側には寺院を設けているのがこの大工町通りです。
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また自然の河川を堀の役目もさせていたようです。京都風の景観を作るために町割りも碁盤の目状とし、地名にも東山や西山、愛宕山や嵐山と呼んだそうです。
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この街並みは昭和63年の「美しい都市づくり」の選考において、大工町通りが入賞しています。街づくりにあたっては地域住民が直接参加し、地場産の材を活用し、家屋や歩道や街路灯まで景観を考慮させたようです。
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大工通り面していくつかの寺院が並んでいます。その中に「万福寺」があります。「遠野物語拾遺」152話に「よみがえり」で描かれています。表町のある家の子供が死にきれた時のこと。この子を可愛がっていた某が万福寺の墓地で掃除をしていたら、その子がよちよち歩いてきたので不思議に思い、早く家に行けと言って帰した。あまりに気にかかるので子供の家に行くと先刻息をひきとったが、今、生き返ったところだといって大騒ぎの最中だったという。
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大工町通りからマップにあった「欠き稲荷」「夜泣き鼓」の場所を探してみましたが、探し出すことは出来ませんでした。公園の中に杉原千畝夫妻を紀念する碑が置かれてありました。杉原千畝は義父の人だったと思いましたが、奥さんの父親が遠野で教鞭をとっていたそうです。以前カウナスの記念館に行ったことを思い出しました。
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大工町通りに戻りさらに進むと「伊藤酒店」の古い建物が残っていました。酒店として店頭での御商売はあまり積極的でなさそうですが、何とも言えない風情の残った建物です。こういった建物が残されればよいと思います。琺瑯看板も懐かしいものが並んでいます。
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来内川に沿って歩くと瑞応院のモミジの巨木が見事に紅葉していました。1本の木としてこれほど見事な紅葉は見たことがありません。
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大工町に並ぶ寺院はどこも立派で、遠野の人の菩提を守っているのだと感じました。
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来内川に架かる柳玄寺橋もマップに掲載されていました。「遠野物語拾遺」第137話に「幽霊銭」という話です。遠野の町の某が、夜、寺ばかりある町の墓地を通っていると、つい先ほど死んだ女が歩いてきて、これを持っていけと言う。手に取るとなにか小重たい物で、家に帰ってあけて見ると多量のお金が入っていて、貧乏だったのが急に裕福になったという。一文でも残しておくと、そのお金は、一夜のうちに元通りになっていたという。
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ホテルの脇を流れる来内川はこの先で猿ガ石川に合流して北上川となります。
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橋を渡った先に「柳玄寺」がありました。山門は向唐門の四脚門という立派なものです。ここも「遠野物語」27話の「池端の石臼」にまつわる墓があるそうです。広大な墓地から見つけることは出来ないと思い、探すことはしませんでした。
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唐破風には見事な龍の彫刻が彫られています。3体の彫刻は道教に由来する中国の人物のようです。手に持った盆には宝珠と珊瑚が乗っています。左右の男性像は金剛力士像で、通常「仁王」という名で親しまれ、寺院の境内を守る者として、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の一対で安置されています。
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門の内部にも見事な彫刻が並んでいます。これは日光東照宮の陽明門の裏側にある眠り猫と同じ構図だと分かります。左甚五郎の作と伝えられる猫と違って素朴な雰囲気が良いです。横には平安時代の男女の姿があります。
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さらに日光の東照宮の厩の三猿の姿もありました。ここは厩ではないので、彫刻の意味は完結されませんが、素朴な彫刻が面白いです。右手には織田時代の小谷の方と書かれてあるので織田信長の妹のいちだと分かります。 小谷城主浅井長政に嫁いだころの姿でしょう。
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この彫刻もどこかの寺院にある物の倣いだと思いますが、出展がどこなのかまでは分かりません。中国の安徽省の宏村の民家に残る彫刻と同じような道教の神々のようにも見えます。
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七福神が記念写真のような姿で並んでいます。その横には奈良時代の装束の男女像。
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唐門の裏側にも彫刻が施されてあります。これも道教に由来する物なのでしょうか?二郎真君などかと想像をめぐらしますが、思い当たりません。
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せっかく中まで入ったので本堂を参拝しました。屋根を支える龍の彫刻も見事です。
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柱には獅子の姿もありました。獅子というよりは猫に寄っているような気もしますが、素朴な彫刻を楽しませていただきました。
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花巻に向かって列車が疾走していきました。East i-D(イーストアイ・ダッシュディー)の愛称をもつ気動車が走っていきました。
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来内川には白鷺が1羽小魚を狙っています。何とものどかな風景です。
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さらに街を南下すると「旧村兵屋敷」に着きました。ここは「遠野物語拾遺」88話と110話と138話に出て来るところです。村兵の先祖は貧しかったが、愛宕山の鍋ヶ坂で「背負っていけ」という一体の仏像に出会い、それを愛宕山に祀ってからは、めきめき富貴になったという。また、この家の別家の女房が畑に胡瓜を取りに行き、神隠しにあってからは胡瓜を作らぬという話しです。
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現在は町の集会所の様な施設になっているようです。表の格子戸の扉が少し開けてあり、お休みどころとあったので中に入ってみます。
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建物の扉は閉まっているので中には入ることは出来ませんが、周囲を見ることは出来ました。朝一番で行った十王堂でも感じたのですが、ギリシャのテッサロニキやカストリアという町で正教の教会堂を巡ったことを思い出しました。町中にある小さなお堂は鍵がかかっていて、途方に暮れていると通りがかった人が「隣の家の奥さんが鍵を持っているから開けてもらいなさい。」と教えてくれました。その家のドアを叩くと嫌な顔もせず鍵を開けてくれて説明までしてくださいました。
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カストリアでは博物館の方に尋ねると自分の自家用車で町中の教会をいくつも周って鍵を開けて見せてくれたことがありました。遠野では住人の方のお世話にはなりませんでしたが、少し開けられた扉などに心遣いを感じました。
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「旧村兵屋敷」の隣には「外川酒店」があります。しかし、遠野という町は飲食店の数に比べて酒屋の数が多いです。松林道の奥さんによると遠野の人は外食する習慣があまりないと仰っていたので、近所に住む人の飲み物で商売が成り立っているのだと思います。コンビニなど無い町並みに好感も持てます。
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ここも「遠野物語拾遺」194話の舞台でもあります。遠野の六日町の外川某の祖父は、号を仕候といって画をよく描く老人であった。毎朝散歩をするのが好きであったが、ある日早くこの多賀神社の前を通ると、大きな下駄が路に落ちていた。老人は、ここに悪い狐がいることを知っているので、すぐにははぁと思った。そうしてそんなめぐせえ下駄なんかはいらぬが、これが大きな筆だったらなあといったら、たちまちその下駄が見事な筆になったそうである。老人はあぁ立派だ。こんな筆で画をかいたららなぁといって、さっさとそこを去ったという。またある朝も同じ人がここを通ると、社の前の老松が大きな立派な筆になっていたという。近年までその松はあった。この神社の鳥居脇には一本の五葉の松の古木があったが、これも時々美しい御姫様に化けるという話があった。
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「外川酒店」の先を左に曲がってしばらく歩くと「松三鉄工所」があります。この辺りにも「石こ鍛冶」という「遠野物語拾遺」192話の物語が残っています。遠野六日市の鍛冶職人松本三右衛門という人の家に夜になるとどこからとも無くがらがらと石が降って来る。それが評判になって町中の者は見物にやって来たが、見物人のいるうちは何の変った事も無くて、帰ってしまうとまた降った。毎朝石を表に出して、昨夜もこんなに降りましたと見せる程であった。ちょうどその頃に、元町の小笠原という家の赤犬が、御城下で一匹の非常に大きな狐を捕った。尻尾が二本に岐れて、いずれも半分以上も白くなっている古狐であった。この狐が捕えられてから、松本の家に石の降ることは止んだという。それでも今でも遠野ではこの家のことを石こ鍛冶と呼んでいる。
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さらに南に向かうと昨日行った「卯子酉神社」がありますが、昨日に行った場所なので道を戻って「多賀神社」に向かいます。この辺りがきつねが出たという場所です。そこに「紅唐伝話館」と書かれた電話ボックスがありましたが、いかにも怪しいです。これはきつねが騙そうとしてるなと気が付いたので写真だけ撮っておきました。ネットで調べても何も出てこないので、絶対にきつねが化けたものです。
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「多賀神社」はこんもりとした森の中にあるのが分かります。いかにもきつねが出てきそうな場所です。ここにもきつねにまつわる「遠野物語拾遺」の話しがいくつか残っています。193話では、遠野の城山の下の多賀神社の狐が、市日などには魚を買って帰る人を騙して、持っている魚をよく取った。いつも騙される綾織村の某、ある時塩を片手につかんでここを通ると、家に留守をしている筈の婆様が、あんまり遅いから迎えに来た。どれ魚をよこしもせ。おら持って行くからと手を出した。その手をぐっと引いて有無を言わせず、口に塩をへし込んで帰って来た。その次にそこを通ると、山の上で狐が塩へしり、塩へしりといったそうである。
古峰神社 (遠野町) 寺・神社・教会
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街道沿いの石鳥居の脇には古い石碑がいくつも並んでいます。ここが遠野の町の町外れなのだろうと感じます。
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駒形神社の御神体は「お蒼前様」「古峯ヶ原様」と呼ばれ、家畜の安全祈願で知られます。
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そしてここにも「山神」の碑が置かれてあります。遠野の町にいくつこのような碑があるのか分かりませんが、強力な結界に囲まれているのではないかと思います。
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長居石段を登ってみます。街道から少し離れただけで空気が変わったような気がします。普段神社を参拝するときに振り替えることはありませんが、そんな気になりました。
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石段を登り切った右手にさらに階段が続き、その上に神社の拝殿がありましたが、プレハブ小屋のような建物に驚きました。これもきつねの騙されていたのかもしれません。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命で、御神体は男根と女陰だそうです。一説には阿曽沼孫四郎広郷が天正2年の1574年に横田城を鍋倉山に移転した際に城中鎮守として勧請した伝えられています。当時この辺りは多賀の里と呼ばれていました。
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境内社として八坂神社があり素戔嗚尊を祀っています。
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多賀神社の境内からは隣の知恩寺へ至れる道がありました。三間一戸の二重門が見えました。二重門とは1階と2階の間に屋根のある2階建ての門ですが、幅が五間無いとバランスが悪く見えます。
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知恩寺は日蓮宗の寺院で北身延波木井山の号があります。日蓮宗で総本山は山梨県身延山久遠寺ですが、遠野南部氏の初代未長は山梨県波木井郷に住み、日蓮に深く帰依していたことから身延山に寄進し、久遠寺を創建したことでも知られています。
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遠野南部氏34代の行義が鍋倉城址の一画を寄進してこの知恩寺を建立します。後の時代になって久遠寺から「北身延」の公称が許されました。
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隣には「旧遠野宝物館」の建物がありました。大正12年に建設された建物は昭和7年に郷土館になり、昭和24年から図書館として使われます。現在は使われないままのようでもったいない建物です。
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ここからは来内川に沿ってホテルに戻ります。妻と約束した時間から1時間は遅れています。
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ようやく見慣れた景色にたどり着きました。ホテルの建物も見えてきました。
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午後からは妻と一緒に遠野の町中を散歩します。この日は火曜日だったのですが、町中のレストランもスーパーも休みでランチ難民になることに気が付いていませんでした。
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