姫路旅行記(ブログ) 一覧に戻る
兵庫巡り6回目で姫路の姫路城 好古園 男山(千姫天満宮) 播磨国総社等を見ました。(写真)西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守。<br />(姫路城)<br />日本100名城の一つで、400年間、一度も落城や火災に会う事が無く、当時のままで今に引き継がれた城です。(戦争中、姫路の町は焼かれ、城に弾が落ちましたが、不発弾で助かりました。城全体が白い為、黒い布を被せて守ったそうです。)1346年、赤松貞範が姫山に城を築く。その後、代々、城主が変わり増築をし、1581~1609年頃、今の様な形になりました。城主は小寺頼季 黒田官兵衛 豊臣秀吉等と変わり 徳川時代に入り、池田輝政 本多忠政と変わり、1749年、上野国前橋より酒井氏が最後の城主として入城し、明治になり版籍奉還となりました。48名の城主が変わりました。その後、「明治の大修理」「昭和の大修理」平成21~27年にかけて「平成の修理」がありました。昭和6年と昭和26年、国宝に指定。平成5年に世界遺産に指定された。<br />(天守閣)<br />天守閣は大天守と3つの小天守(東・西・乾小天守)で構成されます。<br />大天守は約15mの石垣に高さ約31mの木造建築が乗った構造。外から見ると屋根の形などで5階建てに見えますが、実は地上6階 地下1階の7層です。建物の中央部分を貫通する2本の大柱(東大柱は一本柱 西大柱は3階で継いだ2本の継木です。)<br />(千姫について)<br />千姫は家康の孫娘で7歳で豊臣秀頼に輿入れをし、大坂夏の陣で炎の中、助け出された。江戸に帰る途中、警護についた本多忠刻と恋愛関係になり、20歳で結婚。10年間、姫路城で暮らし、幸福な時を迎えたが、子供や夫が相次いで死に、江戸に帰り「天授院」となり竹橋御殿で70歳で亡くなりました。<br />{旅程}<br />①2022年4月30日(土)<br />1)自宅(JR)7:39板宿8:00(山陽電鉄)8:52山陽姫路9:00(観光ループバス400円)9:05大手門前で降ります。<br />1)(姫路城観光)(好古館共1050円)<br />桜門橋 大手門 三ノ丸広場を通り、大樹展示場を見て、入城券購入。 <br />2)菱ノ門(出格子窓 花菱) 三国堀 中村大佐顕彰碑 い・ろノ門(高麗門 屋根) 将軍坂(石畳ノ坂 狭間 「暴れん坊将軍」撮影) はノ門(櫓門 クロス瓦) 東方下土塀 にノ門(鉄ノ門扉 曲道) ほノ門(本丸入口) 乾小天守 姥ガ石 油壁 水ノ門(6つの門)を通り、靴を脱ぎ、西小天守に入ります。 <br />3)西小天守 ハの渡櫓 乾小天守 ロの渡櫓 東小天守を通り、<br />4)大天守(1F肘木・刻み番付・石落とし・六葉釘隠し2F武具掛け・破風ノ間・筋交・出格子窓3F東西ノ大柱・武者隠し・内室4F石打棚・高窓・破風ノ間5F千鳥破風 6F刑部神社・幻ノ窓・周囲の景色を見て、狭い階段をBF1(流し・厠・武器庫)に行き、再び、西小天守より外に出ます。  <br />5)備前丸(本丸) 備前門(鉄ノ門扉・石棺) 帯の櫓 りノ門・太鼓櫓(狭間・二ノ丸入口) 二ノ丸(お菊ノ井戸) りノ一・二渡櫓(大天守ノ鯱) ぬノ門(二重ノ櫓門・鏡石) るノ門(穴門・石垣の違い)と歩き、  <br />6)西ノ丸(百間廊下)クノ櫓 渡櫓 をノ櫓 るノ櫓ぬノ櫓 化粧櫓・千姫(徳川秀忠ノ娘)人形)を見学し、入城門を出ます。 <br />石庭 帯郭櫓 喜斎門跡と大天守を右に回り込み、男山・好古園に行きます。

2022年4月兵庫(6)姫路城(大天守(東・西大柱) 3つの小天守各種門・櫓 本丸 二の丸 西の丸(百間廊下 化粧櫓) 三の丸等)

49いいね!

2022/04/30 - 2022/04/30

219位(同エリア2230件中)

愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

兵庫巡り6回目で姫路の姫路城 好古園 男山(千姫天満宮) 播磨国総社等を見ました。(写真)西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守。
(姫路城)
日本100名城の一つで、400年間、一度も落城や火災に会う事が無く、当時のままで今に引き継がれた城です。(戦争中、姫路の町は焼かれ、城に弾が落ちましたが、不発弾で助かりました。城全体が白い為、黒い布を被せて守ったそうです。)1346年、赤松貞範が姫山に城を築く。その後、代々、城主が変わり増築をし、1581~1609年頃、今の様な形になりました。城主は小寺頼季 黒田官兵衛 豊臣秀吉等と変わり 徳川時代に入り、池田輝政 本多忠政と変わり、1749年、上野国前橋より酒井氏が最後の城主として入城し、明治になり版籍奉還となりました。48名の城主が変わりました。その後、「明治の大修理」「昭和の大修理」平成21~27年にかけて「平成の修理」がありました。昭和6年と昭和26年、国宝に指定。平成5年に世界遺産に指定された。
(天守閣)
天守閣は大天守と3つの小天守(東・西・乾小天守)で構成されます。
大天守は約15mの石垣に高さ約31mの木造建築が乗った構造。外から見ると屋根の形などで5階建てに見えますが、実は地上6階 地下1階の7層です。建物の中央部分を貫通する2本の大柱(東大柱は一本柱 西大柱は3階で継いだ2本の継木です。)
(千姫について)
千姫は家康の孫娘で7歳で豊臣秀頼に輿入れをし、大坂夏の陣で炎の中、助け出された。江戸に帰る途中、警護についた本多忠刻と恋愛関係になり、20歳で結婚。10年間、姫路城で暮らし、幸福な時を迎えたが、子供や夫が相次いで死に、江戸に帰り「天授院」となり竹橋御殿で70歳で亡くなりました。
{旅程}
①2022年4月30日(土)
1)自宅(JR)7:39板宿8:00(山陽電鉄)8:52山陽姫路9:00(観光ループバス400円)9:05大手門前で降ります。
1)(姫路城観光)(好古館共1050円)
桜門橋 大手門 三ノ丸広場を通り、大樹展示場を見て、入城券購入。
2)菱ノ門(出格子窓 花菱) 三国堀 中村大佐顕彰碑 い・ろノ門(高麗門 屋根) 将軍坂(石畳ノ坂 狭間 「暴れん坊将軍」撮影) はノ門(櫓門 クロス瓦) 東方下土塀 にノ門(鉄ノ門扉 曲道) ほノ門(本丸入口) 乾小天守 姥ガ石 油壁 水ノ門(6つの門)を通り、靴を脱ぎ、西小天守に入ります。
3)西小天守 ハの渡櫓 乾小天守 ロの渡櫓 東小天守を通り、
4)大天守(1F肘木・刻み番付・石落とし・六葉釘隠し2F武具掛け・破風ノ間・筋交・出格子窓3F東西ノ大柱・武者隠し・内室4F石打棚・高窓・破風ノ間5F千鳥破風 6F刑部神社・幻ノ窓・周囲の景色を見て、狭い階段をBF1(流し・厠・武器庫)に行き、再び、西小天守より外に出ます。
5)備前丸(本丸) 備前門(鉄ノ門扉・石棺) 帯の櫓 りノ門・太鼓櫓(狭間・二ノ丸入口) 二ノ丸(お菊ノ井戸) りノ一・二渡櫓(大天守ノ鯱) ぬノ門(二重ノ櫓門・鏡石) るノ門(穴門・石垣の違い)と歩き、
6)西ノ丸(百間廊下)クノ櫓 渡櫓 をノ櫓 るノ櫓ぬノ櫓 化粧櫓・千姫(徳川秀忠ノ娘)人形)を見学し、入城門を出ます。
石庭 帯郭櫓 喜斎門跡と大天守を右に回り込み、男山・好古園に行きます。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
高速・路線バス 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 「板宿駅」で山陽電鉄本線に乗り換えます。

    「板宿駅」で山陽電鉄本線に乗り換えます。

  • 山陽電鉄本線「板宿駅」

    山陽電鉄本線「板宿駅」

  • (車窓風景)加古川

    (車窓風景)加古川

  • 山陽電鉄本線「姫路駅」で降ります。

    山陽電鉄本線「姫路駅」で降ります。

  • JR姫路駅の駅ビル

    JR姫路駅の駅ビル

  • 観光ループバスで姫路城に行きます。

    観光ループバスで姫路城に行きます。

    城周辺観光ループバス 乗り物

  • 姫路城(大手門と桜門橋)

    姫路城(大手門と桜門橋)

  • 姫路城(地図)

    姫路城(地図)

  • 桜門橋

    桜門橋

  • 桜門橋より天守閣を見ます。

    桜門橋より天守閣を見ます。

  • 姫路城大天守(左が西小天守)

    姫路城大天守(左が西小天守)

  • 桜門橋と大天守

    桜門橋と大天守

  • 姫路城(大手門)

    姫路城(大手門)

  • 姫路城(大手門の紋)

    姫路城(大手門の紋)

  • 姫路城(三の丸)

    姫路城(三の丸)

  • 姫路城(三の丸から大天守を見ます。)

    姫路城(三の丸から大天守を見ます。)

  • 姫路城(三の丸から大天守を見ます。)

    姫路城(三の丸から大天守を見ます。)

  • 姫路城(三の丸から大天守を見ます。)<br />日本100名城の一つで、400年間、一度も落城や火災に会う事が無く、当時のままで今に引き継がれた城です。(戦争中、姫路の町は焼かれ、城に弾が落ちましたが、不発弾で助かりました。城全体が白い為、黒い布を被せて守ったそうです。)1346年、赤松貞範が姫山に城を築く。その後、代々、城主が変わり増築をし、1581~1609年頃、今の様な形になりました。城主は小寺頼季 黒田官兵衛 豊臣秀吉等と変わり 徳川時代に入り、池田輝政 本多忠政と変わり、1749年、上野国前橋より酒井氏が最後の城主として入城し、明治になり版籍奉還となりました。その後、「明治の大修理」「昭和の大修理」平成21~27年にかけて「平成の修理」がありました。昭和6年と昭和26年、国宝に指定。平成5年に世界遺産に指定された。<br />天守閣は大天守と3つの小天守(東・西・乾小天守)で構成されます。<br />大天守は約15mの石垣に高さ約31mの木造建築が乗った構造。外から見ると屋根の形などで5階建てに見えますが、実は地上6階 地下1階の7層です。建物の中央部分を貫通する2本の大柱(東大柱は一本柱 西大柱は3階で継いだ2本の継木です。)

    姫路城(三の丸から大天守を見ます。)
    日本100名城の一つで、400年間、一度も落城や火災に会う事が無く、当時のままで今に引き継がれた城です。(戦争中、姫路の町は焼かれ、城に弾が落ちましたが、不発弾で助かりました。城全体が白い為、黒い布を被せて守ったそうです。)1346年、赤松貞範が姫山に城を築く。その後、代々、城主が変わり増築をし、1581~1609年頃、今の様な形になりました。城主は小寺頼季 黒田官兵衛 豊臣秀吉等と変わり 徳川時代に入り、池田輝政 本多忠政と変わり、1749年、上野国前橋より酒井氏が最後の城主として入城し、明治になり版籍奉還となりました。その後、「明治の大修理」「昭和の大修理」平成21~27年にかけて「平成の修理」がありました。昭和6年と昭和26年、国宝に指定。平成5年に世界遺産に指定された。
    天守閣は大天守と3つの小天守(東・西・乾小天守)で構成されます。
    大天守は約15mの石垣に高さ約31mの木造建築が乗った構造。外から見ると屋根の形などで5階建てに見えますが、実は地上6階 地下1階の7層です。建物の中央部分を貫通する2本の大柱(東大柱は一本柱 西大柱は3階で継いだ2本の継木です。)

  • 姫路城(三の丸から6Fの大天守を見ます。)

    姫路城(三の丸から6Fの大天守を見ます。)

  • 大柱展示場(西大柱は下柱は天守の地下から3階部分(14.5m) 上柱は3階から5階部分(12.4m)を支えていた。二本の継木で全長24.7mでした。)東大柱は継手なしの通し柱です。)

    大柱展示場(西大柱は下柱は天守の地下から3階部分(14.5m) 上柱は3階から5階部分(12.4m)を支えていた。二本の継木で全長24.7mでした。)東大柱は継手なしの通し柱です。)

  • 大柱展示場(創建から昭和の大修理までの約350年間を支えた3本の大柱)

    大柱展示場(創建から昭和の大修理までの約350年間を支えた3本の大柱)

  • 大柱展示場(上が西柱(上柱) 中央が天守の敷柱 下が西柱(下柱))

    大柱展示場(上が西柱(上柱) 中央が天守の敷柱 下が西柱(下柱))

  • 姫路城(入場口)姫路城と好古園供で1050円です。

    姫路城(入場口)姫路城と好古園供で1050円です。

  • 姫路城(地図)

    姫路城(地図)

  • 姫路城(菱の門)修復中(姫路城内最大の櫓を備えた玄関口です。)

    姫路城(菱の門)修復中(姫路城内最大の櫓を備えた玄関口です。)

  • 姫路城(菱の門)修復中(姫路城内最大の櫓を備えた玄関口です。)

    姫路城(菱の門)修復中(姫路城内最大の櫓を備えた玄関口です。)

  • 菱の門(修理中)

    菱の門(修理中)

  • 三国堀(菱の門を入った所にあり、敵を二つに分ける為に造られた。)姫山と鷺山の間の四角い堀)

    三国堀(菱の門を入った所にあり、敵を二つに分ける為に造られた。)姫山と鷺山の間の四角い堀)

  • 三国堀(元はダムのようで、ここから水を流していました。)

    三国堀(元はダムのようで、ここから水を流していました。)

  • 三国堀より天守を見ます。(左より乾小天守 中央は西小天守 右は大天守)

    三国堀より天守を見ます。(左より乾小天守 中央は西小天守 右は大天守)

  • 中村大佐顕彰碑(明治政府の廃城令で姫路城天守もその対象になりましたが、陸軍省の中村重遠大佐が危機を救いました。)

    中村大佐顕彰碑(明治政府の廃城令で姫路城天守もその対象になりましたが、陸軍省の中村重遠大佐が危機を救いました。)

  • いの門(右側に脇戸の付いた高麗門で古い様式で切妻造り・本瓦葺きの屋根です。)

    いの門(右側に脇戸の付いた高麗門で古い様式で切妻造り・本瓦葺きの屋根です。)

  • ろの門(左側に脇戸の付いた高麗門で古い様式で切妻造り・本瓦葺きの屋根です。)

    ろの門(左側に脇戸の付いた高麗門で古い様式で切妻造り・本瓦葺きの屋根です。)

  • ろの門より天守を見ます。

    ろの門より天守を見ます。

  • 「ろの門」とそれぞれに書かれています。

    「ろの門」とそれぞれに書かれています。

  • 将軍坂(TV番組の「暴れん坊将軍」の撮影で使われました。)

    将軍坂(TV番組の「暴れん坊将軍」の撮影で使われました。)

  • 将軍坂よりの土塀の狭間(ここから鉄砲で敵を狙います。形が縦長の狭間は弓矢で狙います。)

    将軍坂よりの土塀の狭間(ここから鉄砲で敵を狙います。形が縦長の狭間は弓矢で狙います。)

  • はの門(門を進むと石垣が出っ張ており、行き止まりと思わせる。)

    はの門(門を進むと石垣が出っ張ており、行き止まりと思わせる。)

  • はの門(石灯籠の基礎をはの門の礎石として使われています。)墓石・石仏・古墳の石棺が石垣や建物の基礎として使われています。

    はの門(石灯籠の基礎をはの門の礎石として使われています。)墓石・石仏・古墳の石棺が石垣や建物の基礎として使われています。

  • はの門(石灯籠の基礎をはの門の礎石として使われています。)墓石・石仏・古墳の石棺が石垣や建物の基礎として使われています。

    はの門(石灯籠の基礎をはの門の礎石として使われています。)墓石・石仏・古墳の石棺が石垣や建物の基礎として使われています。

  • はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

    はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

  • はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

    はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

  • はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

    はの門を潜り、「にの門」を見ます。(十字の鬼瓦(クロス瓦)があり、キリスタンだった黒田官兵衛(孝高)の名残とも魔除けとも言われています。

  • にの門(はの門よりUターンをします。)

    にの門(はの門よりUターンをします。)

  • にの門(はの門よりUターンをします。)

    にの門(はの門よりUターンをします。)

  • にの門(天井が低く、通路が直角に曲がっており、登り坂の変形櫓門です。敵が通過しにくい様になっています。)

    にの門(天井が低く、通路が直角に曲がっており、登り坂の変形櫓門です。敵が通過しにくい様になっています。)

  • にの門(天井が低く、通路が直角に曲がっており、登り坂の変形櫓門です。敵が通過しにくい様になっています。)

    にの門(天井が低く、通路が直角に曲がっており、登り坂の変形櫓門です。敵が通過しにくい様になっています。)

  • にの門(厳重な鉄板張りの門扉です。)

    にの門(厳重な鉄板張りの門扉です。)

  • にの門を通り、大天守を見ます。

    にの門を通り、大天守を見ます。

  • ほの門(本丸への入口にある門で、万が一の時に埋めやすいように低く作られている。)

    ほの門(本丸への入口にある門で、万が一の時に埋めやすいように低く作られている。)

  • 姥が石(秀吉が築城の際、石不足を聞きつけた餅屋の老婆が石臼を差し出したという石)

    姥が石(秀吉が築城の際、石不足を聞きつけた餅屋の老婆が石臼を差し出したという石)

  • 姥が石(秀吉が築城の際、石不足を聞きつけた餅屋の老婆が石臼を差し出したという石)

    姥が石(秀吉が築城の際、石不足を聞きつけた餅屋の老婆が石臼を差し出したという石)

  • 油壁(秀吉時代のものとされ、ほの門と水の一門を繋ぐ築地塀です。)

    油壁(秀吉時代のものとされ、ほの門と水の一門を繋ぐ築地塀です。)

  • 油壁(右のほの門と左の水の一門を繋ぐ築地塀です。)

    油壁(右のほの門と左の水の一門を繋ぐ築地塀です。)

  • ほの門を潜った所のイの渡櫓より乾小天守を見上げます。

    ほの門を潜った所のイの渡櫓より乾小天守を見上げます。

  • ロの渡櫓

    ロの渡櫓

  • 水の一門(この先はいずれの門も防御の為、人がすれ違いにくく、小さく狭い下り坂になっています。中央に油壁)

    水の一門(この先はいずれの門も防御の為、人がすれ違いにくく、小さく狭い下り坂になっています。中央に油壁)

  • 水の一門の紋

    水の一門の紋

  • 水の二門

    水の二門

  • 水の三門(この先はいずれの門も防御の為、人がすれ違いにくく、小さく狭い下り坂になっています。)

    水の三門(この先はいずれの門も防御の為、人がすれ違いにくく、小さく狭い下り坂になっています。)

  • 水の四門

    水の四門

  • 水の六門

    水の六門

  • 西小天守を登ります。(どこも狭い階段です。)

    西小天守を登ります。(どこも狭い階段です。)

  • 小天守の西小天守より入り、ハの渡櫓 乾小天守 ロの渡櫓 東小天守を回り込んで、大天守に入ります。

    小天守の西小天守より入り、ハの渡櫓 乾小天守 ロの渡櫓 東小天守を回り込んで、大天守に入ります。

  • 乾小天守(昔の城下町の様子)

    乾小天守(昔の城下町の様子)

  • 乾小天守(昔の城下町の様子)

    乾小天守(昔の城下町の様子)

  • ロの渡櫓(展示と屋根を支えるための肘木が添えられた梁が並ぶ、高い天井が特徴です。)

    ロの渡櫓(展示と屋根を支えるための肘木が添えられた梁が並ぶ、高い天井が特徴です。)

  • ロの渡櫓(鬼瓦)

    ロの渡櫓(鬼瓦)

  • 東小天守にある軸組構造模型

    東小天守にある軸組構造模型

  • 大天守1階(屋根を支えるために肘木が添えられた梁が並ぶ、高い天井が特徴です。)

    大天守1階(屋根を支えるために肘木が添えられた梁が並ぶ、高い天井が特徴です。)

  • 大天守1階(武具掛け(鉄砲や槍などを掛けていました。)

    大天守1階(武具掛け(鉄砲や槍などを掛けていました。)

  • 大天守の1階より2階に上がる階段(GW中ですので大混雑でした。)

    大天守の1階より2階に上がる階段(GW中ですので大混雑でした。)

  • 大天守2階(6階建ての構造が分かります。)

    大天守2階(6階建ての構造が分かります。)

  • 大天守2階(破風の間 敵と対峙する屋根裏部屋です。)

    大天守2階(破風の間 敵と対峙する屋根裏部屋です。)

  • 大天守2階(沢山の人々が列をなしています。)

    大天守2階(沢山の人々が列をなしています。)

  • 大天守2階(太い筋交い)

    大天守2階(太い筋交い)

  • 大天守2階(出格子窓)

    大天守2階(出格子窓)

  • 大天守2階(姫路駅方向)下は本丸(備前丸) 右はりの一渡櫓 中央は三の丸 奥が姫路駅)

    大天守2階(姫路駅方向)下は本丸(備前丸) 右はりの一渡櫓 中央は三の丸 奥が姫路駅)

  • 大天守3階

    大天守3階

  • 大天守3階(東大柱)

    大天守3階(東大柱)

  • 大天守3階(西大柱(3階で接木になっています。))

    大天守3階(西大柱(3階で接木になっています。))

  • 大天守3階(この向こうが内室)

    大天守3階(この向こうが内室)

  • 大天守3階を階段より見ます。(右に東大柱)

    大天守3階を階段より見ます。(右に東大柱)

  • 大天守3階から4階に上がる途中(この下に内室があります。)

    大天守3階から4階に上がる途中(この下に内室があります。)

  • 大天守4階

    大天守4階

  • 大天守4F(全体)左に石打棚(床から一段と高い所にある窓から敵を攻撃するための土台です。)

    大天守4F(全体)左に石打棚(床から一段と高い所にある窓から敵を攻撃するための土台です。)

  • 大天守4階(高窓)籠城の際、射撃をすると、室内に硝煙が充満するため、煙だしの為です。

    大天守4階(高窓)籠城の際、射撃をすると、室内に硝煙が充満するため、煙だしの為です。

  • 大天守4F(石打棚)床から一段と高い所にある窓から敵を攻撃するための土台です。

    大天守4F(石打棚)床から一段と高い所にある窓から敵を攻撃するための土台です。

  • 大天守4F(破風の間)入母屋破風の屋根裏の空間です。格子窓の一つは開閉できます。

    大天守4F(破風の間)入母屋破風の屋根裏の空間です。格子窓の一つは開閉できます。

  • 大天守5階

    大天守5階

  • 大天守5階(左に西大柱)

    大天守5階(左に西大柱)

  • 大天守5階(南北に千鳥破風があり、屋根裏部屋風で明り採りの窓です。)

    大天守5階(南北に千鳥破風があり、屋根裏部屋風で明り採りの窓です。)

  • 大天守6階

    大天守6階

  • 大天守6階(全体)

    大天守6階(全体)

  • 大天守6階(刑部神社 姫路城の守護神で刑部明神が祀られています。姫路城で足軽をしていた宮本武蔵が当時の城主・木下家定の命で天守に出るという妖怪を退治したという伝説があり、刑部明神が褒美の名刀を与えたという伝説があります。)

    大天守6階(刑部神社 姫路城の守護神で刑部明神が祀られています。姫路城で足軽をしていた宮本武蔵が当時の城主・木下家定の命で天守に出るという妖怪を退治したという伝説があり、刑部明神が褒美の名刀を与えたという伝説があります。)

  • 大天守6階(刑部神社 姫路城の守護神で刑部明神が祀られています。姫路城で足軽をしていた宮本武蔵が当時の城主・木下家定の命で天守に出るという妖怪を退治したという伝説があり、刑部明神が褒美の名刀を与えたという伝説があります。)

    大天守6階(刑部神社 姫路城の守護神で刑部明神が祀られています。姫路城で足軽をしていた宮本武蔵が当時の城主・木下家定の命で天守に出るという妖怪を退治したという伝説があり、刑部明神が褒美の名刀を与えたという伝説があります。)

  • 大天守6階(刑部神社)

    大天守6階(刑部神社)

  • 大天守6階(四隅にある「幻の窓」で平成の修理で見つかりました。)

    大天守6階(四隅にある「幻の窓」で平成の修理で見つかりました。)

  • 大天守6階より見渡します。<br />(西側)中央に西の丸(中央に右より化粧櫓 ヌの櫓 ルの櫓 ヲの櫓 クの櫓がかろうじて分かります。全体を百?廊下が続きます。)

    大天守6階より見渡します。
    (西側)中央に西の丸(中央に右より化粧櫓 ヌの櫓 ルの櫓 ヲの櫓 クの櫓がかろうじて分かります。全体を百?廊下が続きます。)

  • (西側)右下に西小天守 中央左に西の丸 

    (西側)右下に西小天守 中央左に西の丸 

  • (西側)左上は菱の門 下は三国堀 右はいの門

    (西側)左上は菱の門 下は三国堀 右はいの門

  • (西側)中央の左から右に今まで歩いて来た門が見えます。

    (西側)中央の左から右に今まで歩いて来た門が見えます。

  • (西側)中央の左から右に今まで歩いて来た門が見えます。左 いの門 中央 炉の門 右中央に将軍坂 右下 はの門

    (西側)中央の左から右に今まで歩いて来た門が見えます。左 いの門 中央 炉の門 右中央に将軍坂 右下 はの門

  • (西側)西の丸の中央下に化粧櫓 中央右はヌの櫓  左上はルの櫓(この後、西の丸に行きますが、中に入ると、何処を歩いているか、分かりにくくなります。

    (西側)西の丸の中央下に化粧櫓 中央右はヌの櫓  左上はルの櫓(この後、西の丸に行きますが、中に入ると、何処を歩いているか、分かりにくくなります。

  • (西側)この後、登る男山

    (西側)この後、登る男山

  • (西側)この後、登る男山の男山八幡宮

    (西側)この後、登る男山の男山八幡宮

  • 鯱

  • 南側(手前が三の丸 奥が姫路駅)

    南側(手前が三の丸 奥が姫路駅)

  • 南東側(姫路市立動物園)

    南東側(姫路市立動物園)

  • 東側(中央に堀 左中央に姫路市立美術館)

    東側(中央に堀 左中央に姫路市立美術館)

  • 東側(姫路カトリック教会)

    東側(姫路カトリック教会)

  • 東側(姫路神社)

    東側(姫路神社)

  • 北側(中央が姫山公園)

    北側(中央が姫山公園)

  • 北側(県立歴史博物館(休館中))

    北側(県立歴史博物館(休館中))

  • 大天守6階より降ります。(沢山の人で一杯で、入場制限をしております。)

    大天守6階より降ります。(沢山の人で一杯で、入場制限をしております。)

  • 大天守5階の2つの大柱

    大天守5階の2つの大柱

  • 降りていく階段です。(狭く、気を付けて降ります。)

    降りていく階段です。(狭く、気を付けて降ります。)

  • 3階の武者隠し(4隅にあります。左に小さな通路があり狭間が設けられています。)

    3階の武者隠し(4隅にあります。左に小さな通路があり狭間が設けられています。)

  • 大天守2階全体

    大天守2階全体

  • 大天守2階(筋交い)

    大天守2階(筋交い)

  • 大天守1階に降ります。

    大天守1階に降ります。

  • 大天守1階(1階隅の3か所に石落としの扉があり、敵に石を落としたり、射撃の為の設備です。)

    大天守1階(1階隅の3か所に石落としの扉があり、敵に石を落としたり、射撃の為の設備です。)

  • 大天守1階(六葉釘隠し)釘の頭部を隠す為の装飾で猪目というハート型の隙間があります。

    大天守1階(六葉釘隠し)釘の頭部を隠す為の装飾で猪目というハート型の隙間があります。

  • 大天守1階(姫路城ゆかりと甲冑と刀剣)

    大天守1階(姫路城ゆかりと甲冑と刀剣)

  • 大天守地階に降ります。

    大天守地階に降ります。

  • 大天守地階(全体)

    大天守地階(全体)

  • 大天守地階(内室)

    大天守地階(内室)

  • 大天守地階(流し)具体的な用途は不明ですが、すのこの下は中央部が水が溜まるように傾斜しており、その水が北側の内庭に出ます。

    大天守地階(流し)具体的な用途は不明ですが、すのこの下は中央部が水が溜まるように傾斜しており、その水が北側の内庭に出ます。

  • 大天守地階(奥が厠)厠は2か所あり、3つの便器があり、備前焼の大甕が埋められていた。

    大天守地階(奥が厠)厠は2か所あり、3つの便器があり、備前焼の大甕が埋められていた。

  • 大天守地階(武器庫)

    大天守地階(武器庫)

  • 小天守より外に出て、水の六門を抜けた所より大天守を見上げます。本丸に行きます。

    小天守より外に出て、水の六門を抜けた所より大天守を見上げます。本丸に行きます。

  • 備前丸(本丸)池田輝政の御殿があり、本多輝政が城主になると西の丸に移されました。

    備前丸(本丸)池田輝政の御殿があり、本多輝政が城主になると西の丸に移されました。

  • 備前丸(本丸)池田輝政の御殿があり、本多輝政が城主になると西の丸に移されました。

    備前丸(本丸)池田輝政の御殿があり、本多輝政が城主になると西の丸に移されました。

  • 備前丸(本丸)より見る大天守と西小天守

    備前丸(本丸)より見る大天守と西小天守

  • 備前丸(本丸)より見る大天守

    備前丸(本丸)より見る大天守

  • 備前丸(本丸)より見る手前が西小天守 奥が乾小天守

    備前丸(本丸)より見る手前が西小天守 奥が乾小天守

  • 大天守(6階)

    大天守(6階)

  • 大天守(千鳥破風 神社等に多い、端が屋根の端と一致していない破風です。)

    大天守(千鳥破風 神社等に多い、端が屋根の端と一致していない破風です。)

  • 大天守(出格子窓 連続する格子が美しい城を象徴する窓)

    大天守(出格子窓 連続する格子が美しい城を象徴する窓)

  • 大天守(出格子窓 連続する格子が美しい城を象徴する窓)

    大天守(出格子窓 連続する格子が美しい城を象徴する窓)

  • 大天守(懸魚) 梅鉢懸魚、兎毛通など棟木を隠す復数の装飾版

    大天守(懸魚) 梅鉢懸魚、兎毛通など棟木を隠す復数の装飾版

  • 備前丸(本丸)より見る手前がお菊の井戸のある二の丸 中央が三の丸 奥が姫路駅

    備前丸(本丸)より見る手前がお菊の井戸のある二の丸 中央が三の丸 奥が姫路駅

  • 備前門(本丸の出口にある本丸を守る門)

    備前門(本丸の出口にある本丸を守る門)

  • 備前門を出た所の井郭櫓

    備前門を出た所の井郭櫓

  • 備前門を出た所の旧番所(奥に東小天守が見えます。)

    備前門を出た所の旧番所(奥に東小天守が見えます。)

  • 備前門(出口)

    備前門(出口)

  • 備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

    備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

  • 備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

    備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

  • 備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

    備前門左右の石垣の角の部分の四角い石は近くの古墳よりの石棺が使われています。

  • 帯の櫓(切腹丸)

    帯の櫓(切腹丸)

  • 帯の櫓(切腹丸)の通路

    帯の櫓(切腹丸)の通路

  • 狭間(矢や鉄砲等を敵に討ちかける物で丸・三角・四角などの穴の形があります。)

    狭間(矢や鉄砲等を敵に討ちかける物で丸・三角・四角などの穴の形があります。)

  • りの門近くの城壁と大天守

    りの門近くの城壁と大天守

  • 「りの門」は秀吉の義弟の木下家定時代のものと伝わる。 左が太鼓櫓(時や戦いの合図を告げた。)

    「りの門」は秀吉の義弟の木下家定時代のものと伝わる。 左が太鼓櫓(時や戦いの合図を告げた。)

  • 「りの門」は秀吉の義弟の木下家定時代のものと伝わる。 右が太鼓櫓(時や戦いの合図を告げた。)二の丸に出ます。

    「りの門」は秀吉の義弟の木下家定時代のものと伝わる。 右が太鼓櫓(時や戦いの合図を告げた。)二の丸に出ます。

  • 二の丸のお菊の井戸(怪談・播州皿屋敷が伝わります。女中のお菊が攻め殺され投げ込まれたという井戸です。)1500年頃、城を奪おうという計画があり、相手方に女中の「お菊」を密偵で忍び込ませたがばれて、自分の女にならないかと言われたが拒んだ。その為、家宝の皿10枚を「お菊」に渡したが、そのうちの一枚を隠し、その責任を「お菊」になすりつけ、この井戸に投げ込まれた。怪談でこの井戸から「お菊」の声で「1枚 2枚・・・」と声が聞えて来ました。

    二の丸のお菊の井戸(怪談・播州皿屋敷が伝わります。女中のお菊が攻め殺され投げ込まれたという井戸です。)1500年頃、城を奪おうという計画があり、相手方に女中の「お菊」を密偵で忍び込ませたがばれて、自分の女にならないかと言われたが拒んだ。その為、家宝の皿10枚を「お菊」に渡したが、そのうちの一枚を隠し、その責任を「お菊」になすりつけ、この井戸に投げ込まれた。怪談でこの井戸から「お菊」の声で「1枚 2枚・・・」と声が聞えて来ました。

  • 二の丸のお菊の井戸

    二の丸のお菊の井戸

  • 二の丸のお菊の井戸(怪談・播州皿屋敷が伝わります。女中のお菊が攻め殺され投げ込まれたという井戸です。)1500年頃、城を奪おうという計画があり、相手方に女中の「お菊」を密偵で忍び込ませたがばれて、自分の女にならないかと言われたが拒んだ。その為、家宝の皿10枚を「お菊」に渡したが、そのうちの一枚を隠し、その責任を「お菊」になすりつけ、この井戸に投げ込まれた。怪談でこの井戸から「お菊」の声で「1枚 2枚・・・」と声が聞えて来ました。

    二の丸のお菊の井戸(怪談・播州皿屋敷が伝わります。女中のお菊が攻め殺され投げ込まれたという井戸です。)1500年頃、城を奪おうという計画があり、相手方に女中の「お菊」を密偵で忍び込ませたがばれて、自分の女にならないかと言われたが拒んだ。その為、家宝の皿10枚を「お菊」に渡したが、そのうちの一枚を隠し、その責任を「お菊」になすりつけ、この井戸に投げ込まれた。怪談でこの井戸から「お菊」の声で「1枚 2枚・・・」と声が聞えて来ました。

  • 二の丸のお菊の井戸(下を見ます。結構、深いです。)

    二の丸のお菊の井戸(下を見ます。結構、深いです。)

  • りの一渡櫓(手前から明治・昭和・平成時代に造られた大天守の鯱)体は魚で、頭は虎 尾は上を向いています。)

    りの一渡櫓(手前から明治・昭和・平成時代に造られた大天守の鯱)体は魚で、頭は虎 尾は上を向いています。)

  • りの一渡櫓(手前から明治・昭和・平成時代に造られた大天守の鯱)体は魚で、頭は虎 尾は上を向いています。)

    りの一渡櫓(手前から明治・昭和・平成時代に造られた大天守の鯱)体は魚で、頭は虎 尾は上を向いています。)

  • りの一渡櫓(大名行列の衣装や道具の展示がありました。)

    りの一渡櫓(大名行列の衣装や道具の展示がありました。)

  • りの二渡櫓(石落としや狭間を備えている櫓)下に二の丸の出口のぬの門です。

    りの二渡櫓(石落としや狭間を備えている櫓)下に二の丸の出口のぬの門です。

  • ぬの門(出口)上にりの二渡櫓 左に鏡石

    ぬの門(出口)上にりの二渡櫓 左に鏡石

  • ぬの門の出口の鏡石(別名「人面石」と言われ、呪術的な意味で積まれたという。中央下に鼻 下の左右に目 中央左右に眉があります。)

    ぬの門の出口の鏡石(別名「人面石」と言われ、呪術的な意味で積まれたという。中央下に鼻 下の左右に目 中央左右に眉があります。)

  • ぬの門の出口の鏡石(別名「人面石」と言われ、呪術的な意味で積まれたという。中央下に鼻 下の左右に目 中央左右に眉があります。)

    ぬの門の出口の鏡石(別名「人面石」と言われ、呪術的な意味で積まれたという。中央下に鼻 下の左右に目 中央左右に眉があります。)

  • 扇の勾配

    扇の勾配

  • をの門跡

    をの門跡

  • をの門跡

    をの門跡

  • るの門(石垣を切り開いて造られたような狭く珍しい門です。別名「穴門」と言われています。)

    るの門(石垣を切り開いて造られたような狭く珍しい門です。別名「穴門」と言われています。)

  • るの門(礎石跡)

    るの門(礎石跡)

  • るの門(石垣を切り開いて造られたような狭く珍しい門です。別名「穴門」と言われています。)

    るの門(石垣を切り開いて造られたような狭く珍しい門です。別名「穴門」と言われています。)

  • るの門を出た所の石垣で中央にカットしたような稜線が見えます。右は秀吉時代、左は池田時代に積まれた石垣です。石垣の稜線で築城の時代の違いが分かります。)

    るの門を出た所の石垣で中央にカットしたような稜線が見えます。右は秀吉時代、左は池田時代に積まれた石垣です。石垣の稜線で築城の時代の違いが分かります。)

  • 西の丸への北門跡

    西の丸への北門跡

  • 西の丸への北門の礎石跡

    西の丸への北門の礎石跡

  • 西の丸への北門の武者隠し

    西の丸への北門の武者隠し

  • 西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守<br />

    西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守

  • 西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守<br />

    西の丸より見た大天守と左に西小天守 その左に乾小天守

  • 西の丸の庭

    西の丸の庭

  • 西の丸と百間廊下

    西の丸と百間廊下

  • 西の丸の百間廊下(長屋は約300mで「百間廊下」と呼ばれ、外側に廊下、内側に部屋があり、主として、女中の部屋が中心でした。又、外からの防御機能が備わっています。)

    西の丸の百間廊下(長屋は約300mで「百間廊下」と呼ばれ、外側に廊下、内側に部屋があり、主として、女中の部屋が中心でした。又、外からの防御機能が備わっています。)

  • 西の丸の渡櫓(レ タ ヨ カの渡櫓があり、それぞれ、役割がありました。)

    西の丸の渡櫓(レ タ ヨ カの渡櫓があり、それぞれ、役割がありました。)

  • 「百間廊下」の特徴(レ タ ヨ カの渡櫓があり、それぞれ、役割がありました。)

    「百間廊下」の特徴(レ タ ヨ カの渡櫓があり、それぞれ、役割がありました。)

  • クの櫓より入城し、廊下には姫路城の歴代城主や建築の技術、千姫の展示があります。

    クの櫓より入城し、廊下には姫路城の歴代城主や建築の技術、千姫の展示があります。

  • 渡櫓を歩きます。

    渡櫓を歩きます。

  • レの渡櫓(百間廊下)<br />

    レの渡櫓(百間廊下)

  • ルの櫓

    ルの櫓

  • 廊下の大戸(ここで、女子部屋との境になります。)

    廊下の大戸(ここで、女子部屋との境になります。)

  • ヨの渡櫓

    ヨの渡櫓

  • 小さい女中部屋

    小さい女中部屋

  • 雨水抜きのパイプ

    雨水抜きのパイプ

  • 男山と千姫天満宮(後で登ります。)

    男山と千姫天満宮(後で登ります。)

  • 千姫天満宮(千姫が建立した神社で千姫が天神を信仰していた為に、名ずけられた。)<br />

    千姫天満宮(千姫が建立した神社で千姫が天神を信仰していた為に、名ずけられた。)

  • 千姫色彩乾湿座像

    千姫色彩乾湿座像

  • 千姫色彩乾湿座像<br />

    千姫色彩乾湿座像

  • 西の丸より見る男山

    西の丸より見る男山

  • ヨの渡櫓よりルの櫓と右はタの渡櫓

    ヨの渡櫓よりルの櫓と右はタの渡櫓

  • 西の丸(カの渡櫓)

    西の丸(カの渡櫓)

  • カの渡櫓より西の丸の庭園を見ます。

    カの渡櫓より西の丸の庭園を見ます。

  • 化粧櫓(百間廊下の終点にあり、千姫の化粧料(持参金)で築かれたという櫓で千姫がこの櫓を休息所とした事が由来です。豪華な装飾が施されています。)<br />千姫は家康の孫娘で7歳で豊臣秀頼に輿入れをし、大坂夏の陣で炎の中、助け出された。江戸に帰る途中、警護についた本多忠刻と恋愛関係になり、20歳で結婚。10年間、姫路城で暮らし、幸福な時を迎えたが、子供や夫が相次いで死に、江戸に帰り「天授院」となり竹橋御殿で70歳で亡くなりました。

    化粧櫓(百間廊下の終点にあり、千姫の化粧料(持参金)で築かれたという櫓で千姫がこの櫓を休息所とした事が由来です。豪華な装飾が施されています。)
    千姫は家康の孫娘で7歳で豊臣秀頼に輿入れをし、大坂夏の陣で炎の中、助け出された。江戸に帰る途中、警護についた本多忠刻と恋愛関係になり、20歳で結婚。10年間、姫路城で暮らし、幸福な時を迎えたが、子供や夫が相次いで死に、江戸に帰り「天授院」となり竹橋御殿で70歳で亡くなりました。

  • 化粧櫓の出口よりヌの櫓を見ます。

    化粧櫓の出口よりヌの櫓を見ます。

  • 化粧櫓

    化粧櫓

  • 西の丸よりの大天守

    西の丸よりの大天守

  • 西の丸よりの大天守

    西の丸よりの大天守

    姫路城 (姫路公園) 名所・史跡

  • 西の丸の化粧櫓近くの北門の礎石跡

    西の丸の化粧櫓近くの北門の礎石跡

  • 入城口を出て、姫路城の東側に回り込みます。<br />礎石で造った石庭

    入城口を出て、姫路城の東側に回り込みます。
    礎石で造った石庭

  • 堀

  • 太鼓櫓

    太鼓櫓

  • 帯郭櫓(天守閣を取り巻きます。)<br />

    帯郭櫓(天守閣を取り巻きます。)

  • 喜斎門跡(姫路城の裏口・勝手口の意味合いの搦手門)

    喜斎門跡(姫路城の裏口・勝手口の意味合いの搦手門)

  • 東小天守(3重3階地下1階)がはっきりと見えました。

    東小天守(3重3階地下1階)がはっきりと見えました。

  • 東より見た左は大天守 右は東小天守<br />この後、男山と好古園に行きます。(次のブログ)

    東より見た左は大天守 右は東小天守
    この後、男山と好古園に行きます。(次のブログ)

49いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP