2021/09/21 - 2021/09/21
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kojikojiさん
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阿寒湖のアイヌコタンにある熊の家に立ち寄った際に店に置かれてあった美術展のパンフレットで藤戸竹喜という作家の事を知りました。そして後で知りましたがその熊の家のお店にい方が息子さんだったようです。東京に帰って調べてみるとお店の地下には作品が陳列されていると書かれてありましたが、何が理由か分かりませんが見せてはもらえなかったようです。阿寒湖のアイムコタンは俗化しすぎていて魅力は感じませんでしたが、この作家さんの作品には魅了されたので東京駅のステーションギャラリーに行ってみることにしました。東京駅が新しくなってもちゃんと見学していなかったのと、このギャラリーも行ったことが無かったので半分はそちらが目的です。この日は天気が良くきれいになった東京駅の外観を眺めているとアムステルダムの中央駅を思い出しました。また以前旅した中国の瀋陽の駅も辰野金吾の弟子の太田毅だったなと思い出しました。東京駅の完成する4年前の事です。外観の後はドーム天井の空間を楽しんでステーションギャラリーの見学に移ります。チケットは予約制で事前に予約と発券をローソンでするのがちょっと面倒でした。藤戸竹喜の作品のどれもが素晴らしく、特に熊の毛彫りは見る角度によっては彫刻されていないように見えるほどです。興味深かったのはヤシガニの彫刻で、球体関節とヤシガニのリアルさを見て思わず「攻殻機動隊」と呟いてしまいました。ギャラリーの見学のルートにドーム天井の2階を通過できるのは良かったです。これだけでもここへ来た甲斐がありました。少し歩き疲れたのでステーションホテルにも立ち寄り、ゆっくりお茶を飲んでお菓子を買い求め、丹後屋でお土産を買い求めました。KITTEのビルも見ていなかったので屋上にも行って、東京駅を俯瞰できたのも良かったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地下鉄の丸の内線で東京駅まで出て、地下から表に上がると新丸ビルの外構のガラス面にたくさんの滝のビジュアルが貼ってありました。この時は何だか分からなかったのですが、Tokyo Tokyo FESTIVALの「東京大壁画」というものだったようです。
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「GENKYO横尾忠則」では、滝のインスタレーションで体感型展示がしつらえてあり、横尾忠則が滝の絵を描くために収集した絵はがきのコレクション1万枚をインスタレーションへと展開しているとNHKの日曜美術館で説明されていました。
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新丸ビルで姪の誕生会を開いたときに東京駅を遠くから眺めてはいましたが、近い位置から修復された姿を見るのは初めてでした。東京駅で乗り換えをしても、たいていは疲れていて地上に上がることはありませんでした。
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明治22年の1889年に神戸駅まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄である日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、明治29年の1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決されます。
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明治41年の1908年から建設工事が本格化し、対象3年の1914年に開業され、中央停車場は皇居の正面に設定されて東京駅と命名されます。
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ドイツから招聘されて日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められます。駅舎は繁華街のある現在の八重洲側ではなく、陸軍の練兵場跡地だった現在の丸の内側と決まります。
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皇居の正面と対峙することになり、国家の象徴的な位置付けであったようです。以前はごちゃごちゃした印象で、駅舎をきれいに眺めるとこは出来ませんでしたが、きれいになったものです。同じような駅前の空間と天気のせいか、オランダを旅して、アムステルダムに到着した時を思い出しました。
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東京駅丸の内側駅舎はアムステルダム中央駅をモデルにしたとする説もありますが、藤森照信らの西洋建築研究者により設計者の系譜と建築様式(アムステルダム中央駅はネオゴシック様式で、東京駅はビクトリアン様式)の両面から否定的な意見も出ているそうです。
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間違いのない事実としては2006年に東京駅とアムステルダム中央駅は姉妹駅となっています。この時の旅では駅前のツーリストインフォメーションの券売機にクレジットカードをさしたままトラムでホテルへ行ってしまい、フロントでデポジットのためにカードを探して過ちに気が付いて慌てて戻ったという恐ろしい経験がありました。ちなみにカードは無事に戻り、ホテルの方には「奇跡だ!」と言われました。
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そして東京駅の事を考えると中国の旧満州を旅順から哈爾濱まで旅した満州鉄道の事を思い出します。大連と信用と長春と哈爾濱にある旧大和賓館(ヤマトホテル)に泊まるという旅でしたが、その時に行った瀋陽駅です。
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明治40年の1907年、当時人口30万人の瀋陽市に対し、年間旅客乗降人数は50万人に達し、利用客の増加につれて発着列車が捌けなくなります。満鉄は安奉線と南鉄本線が交わる場所に新駅を建設することにし、新駅完成後の奉天駅は当時満鉄五大駅の最大規模の駅となります。
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駅舎の風格は日本の東京駅と似ていて、2階建ての赤レンガ造りです。辰野金吾の学生であった太田毅が設計し、その後吉田宗太郎に引き継がれ完成されます。駅舎1階は待合室として用いられ、2階はヤマトホテルが営業していたそうです。
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東京駅の駅舎は辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガと鉄筋造りで、3階建てで長さ330メートルの豪壮華麗な洋式建築です。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口で、丸の内北口が降車口と分けて使用されていました。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されています。
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開業年の1914年は第1次世界大戦の開戦の年でもあり、青島(チンタオ)の戦いを指揮した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行ったといわれます。
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1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満州国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関としています。
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2000年に丸の内駅舎を創建当初の姿に復原する方針がまとめられ、復原工事自体は、2007年に起工され2012年に完成しています。
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そろそろ左側のドームの中にある東京ステーションギャラリーの予約時間です。
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ブラケットとは建築用語で「持送り」といって、壁や柱などに取り付けて、庇や梁などの突出部分を支える横材のことを指します。装飾を兼ねたものが多いのですが、このブラケットはアール・ヌーヴォー風のデザインが施されています。
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ドーム天井の下に入るとイスラム教のモスクのような荘厳さを感じる一瞬です。
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西洋的なドーム天井の建築ですが、デザインの日本らしさを感じます。
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戦災復興工事によって設置されたドーム天井裏に、創建当初のレリーフの一部が残存していたそうです。その表面はほとんど焼け落ちていましたが石膏によるパーツには保存可能なものがあり、復原に際して残存した創建時の石膏パーツがドームのアーチレリーフに取り付けられています。
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20世紀初頭のデザインのしたのは21世紀のテクノロジーを駆使した鉄道のシステムが稼働しています。
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干支の彫刻はドーム内の8カ所のコーナーに、その干支の方位に従って十二支のうち八支の彫刻が配置されています。残りの四支の子(ねずみ/北)と卯(うさぎ/東)、午(うま/南)と酉(とり/西)は省かれています。いずれも灰緑色の地色にガラス繊維強化石膏(GRG)で造られています。
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さらにドーム下の八角コーナーには左を向く8羽の鷲のレリーフが取り付けられています。両翼を広げた約2.1メートルの大鷲は細部にわたり躍動感にあふれています。
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ドームを見上げると3階建てのように見え、それぞれに手摺があるので、上に登ってみたくなります。
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阿寒湖のアイヌコタンで知った「藤戸竹喜」の展覧会に入ります。少し時間が早かったのですが空いているようです。
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チケットは事前にローソンチケットで事前購入のシステムになっていました。発見にも出向かなければならないのでちょっと面倒ではありますが、フリーのお客さんがいない分混雑していないので良いかもしれません。
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パンフレットによると旭川市で育った藤戸竹喜(ふじとたけき・1934-2018)は、木彫り熊の職人だった父親の下で12歳の頃から熊彫りを始めました。まさかりで切った木の塊を渡され、それを自分なりに削る。
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父はそれを見て、気に入らなければ、火にくべてしまう。そんな繰り返しの中で熊彫りの技を習得した藤戸は、やがて阿寒湖畔に移り住み、この地で才能を開花させて、数多くの木彫作品を生み出します。
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藤戸竹喜の作品の特徴は、大胆さと繊細さ、力強さと優しさといった、相反するものが同居していることにあります。一気呵成に彫り進められる熊や動物の姿は、まるで生きているかのように躍動し、旺盛な生命力を感じさせる一方で、仕上げに行われる毛彫りは細密で、硬い木であることを忘れさせるような柔らかな質感を生み出しているのです。
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そう書かれてあったように細い毛彫りは見る角度によっては平らに見えて彫刻されていないようです。少し移動すると毛彫りが浮かび上がり、超絶技巧のようなその変化に鳥肌が立ちます。
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1本の丸太とそこに元々あった木の節を取り込んだ子熊の群像はいくら見ていても飽きることがありません。
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作品は2フロアに分かれて展示してありました。展示場を出た螺旋階段の部分は写真を撮っても大丈夫ですとのことでした。
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アール・ヌーヴォーの美しいデザインと乳白色の美しさが際だつオパルセントというガラスを通した柔らかいランプの色が魅力的です。
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壁面にはステンドグラスと円形の羽目殺しの明り取りが設けてあります。
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階段室の壁面は建設当時の鉄骨やレンガがむき出しで展示してありました。
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埼玉県越谷で製造されたレンガはオランダ(イギリス)積みです。
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煉瓦の上に直接漆喰が塗られた跡があり、漆喰が喰い着きやすいように平らなレンガの表面に傷がつけられています。
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1フロア下の展示場で印象に残ったのは藤戸竹喜に縁のある方々のほぼ等身大の彫刻です。
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作品は左がアイヌ文化の伝承者の日川善次郎の像で、中央が藤戸が少年時代に世話になった同じくアイヌ文化の伝承者である杉村フサの像、右が藤戸の父方の曽祖父の川上コヌサの像で、父の竹夫はコヌサから木彫を教わったそうです。
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木彫のリアルさも素晴らしいのですが、本物の首飾りなどが凄味すら感じさせます。左の日川善次郎の像のジャケットには1本の棒から彫りぬかれたチェーンが付けられています。アイヌの先人たちの像を作っている合間に作られたという、甲殻類の細工物もすごいリアルさで、球体関節が施されているヤシガニを見ると「攻殻機動隊」を連想してしまいました。
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「ふくろう祭り ヤイタンキエカシ像」は素晴らしく一番印象に残った作品です。フクロウの舞いを踊るこの像は曽祖父のヤイタンキがモデルで、熊撃ちの名人でもあり日露戦争に従軍して勲功があったそうです。復員後に川に落ちた我が子を命がけで救い、自らは絶命するという最期を遂げたそうです。
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旧第七号階段階段から発見された創建当時のものと思われる階段ブラケット(持ち送り)は戦前に何らかの理由でモルタルで塗り込められたために空襲後も焼け残ったそうです。奥にある光ったブラケットは3階回廊のもので、満月から神月へ月の満ち欠けが表現されています。
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ドームの装飾レリーフの一部も展示してありました。上は「菱の実」をデザインしたもので、釧路湿原のカヌーツアーで行った塘路湖を思い出させます。下のエッグ&ダーツ(Egg&Dart/卵鏃)とは、古代ギリシアの柱頭や建築様式から伝えられる文様のことで、丸い部分と鋭角な部分が交互に配される連続文様と「ovolo」と呼ばれる丸身刳形は「卵」、鋭い部分は矢やダーツ(投げ矢)を意味していると言われます。
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この模様の始まりは紀元前5世紀の古代ギリシャ時代のコリント様式の柱頭で、アカンサスの模様が使われたことが始まりと言われています。
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ステーションギャラリーへ入る前に上がってみたいと思っていた場所にいるのだと分かりました。
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第八号階段の手摺と手前は第七号階段の手摺です。このデザインにもアール・ヌーヴォーの優雅さを感じます。
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妻はミュージアムショップの前で待っててくれていました。ここでは絵葉書を数枚買い求めました。実家の片づけを始めてから断捨離に発展しているので、カタログを買い求める気にはなりませんでした。
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2階のテラスから見上げる3階はさらに優雅なデザインなので上がってみたくなりますが、何に使われているのでしょうか?
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平日の昼下がりの東京駅は思ったよりも人が少ないのだと思いました。たぶん地価の通路はすごい人なのだと思うのですが。
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ドーム天井に施された8枚のレリーフのパネルが展示されてありました。8角形のドームなので十二支全部を使うことが出来なかったのが面白いです。
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近くで見るとその完成度はまちまちのようでした。巳(み)の方角の蛇などはシンプルなデザインです。
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辰(たつ)の方角の龍はすごいリアルに作られています。
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申(さる)も柿を背負ってユーモラスなデザインです。
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丑(うし)は自分の干支でもあるので写真を撮っておきます。
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未(ひつじ)も妻の干支ですから。父は巳(み)年生まれですが、母と弟たちの干支は東京駅に無いことが分かりました。
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ジオラマ模型がいくつかあり、その中に1964年当時のものがありました。
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この模型を見ていて思い出すものがありました。
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まさにその時代の写真でこの後に建築基準法が改正されて高層ビルが立ち並ぶ直前です。先日赤い帽子にちゃんちゃんこを着たので時代の流れを感じます。
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辰野金吾について紹介されたパネルもありました。
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そして当kyプ駅の建築模型も並んでいます。
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学生の頃はよく建築模型を作ることがありましたが、その後の40年近い仕事の中では自分で作ることはありませんでした。
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こういった角度で近くから見る事はないのでじっくり見入ってしまいます。
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表に出て外壁のデザインもじっくり見てみます。「擬石」についての説明板がありました。白い部分が花崗岩に模した左官仕上げで、花崗岩の粉に石灰とセメントを調合したものを塗り、最後に洗い出した仕上げです。
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中央部分の立派な車寄せも見てみます。
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皇室が使われるエントランスですが、今年は犬山の明治村に行って御召列車を見てきたこともあり興味深く見てしまいます。
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少し歩き疲れたのでステーションホテルで休憩することにしました。
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ロビーラウンジでくつろがさせていただきました。大きなソファ席なので展覧会でずっと歩いてきた疲れが取れます。
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本当はこのオリジナルラテが飲みたかったのですが、「あたしこれ。」と妻に先に取られてしまいました。
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飲み物についていたホテルオリジナル焼菓子「ロンデル」というお菓子が美味しかったのでスタッフの女性に尋ねるとにっこり微笑んで「ちょうど午後4時に焼きあがります。」といことで箱に入れてもらいました。6個入りがなんと1,000円というお値段でした。
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お客さんがいらっしゃらないところでロビーの写真も撮らせてもらいました。どのスタッフの方も気持ちよい応対なので気に入りましたが、ここに泊まる機会はないだろうなと思います。
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なんでもない通路もこんなかっこよさです。駅の喧騒を忘れて優雅な時間が過ごせました。
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ギャラリーと反対側のドーム天井も少し見てみることにしました。
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バンケットとレストランのエントランスは東京都庭園美術館の入り口を思い出させました。
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アール・デコのシンプルなかっこいいです。デザインがかっこいいです。
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同じようなデザインの「丹波屋」はホテルのショップでした。なかなかセンスの良いものやホテルのオリジナルグッズが並んでいました。
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子供のころ記念スタンプを押してもらいに来て以来の東京中央郵便局です。現在はKITTEになっていますが、ここへ来るのも初めてでした。
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内装環境設計は建築家の隈研吾さんが担当し、コンセプトの「Feel JAPAN」を表現するために木材や瓦、織物、和紙など日本古来より使われている素材を内装仕上材として多用して歴史と未来がつながりあう空間を演出しているとのことです。
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一応最上階まで上がってみましたが、素材感が感じられるのはエスカレーター回りでしょうか。じっくり見ていないので何とも言えませんが、目的の屋上庭園に向かってみます。
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東京駅の駅舎が俯瞰することが出来ました。
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駅前の空間も以前に比べて開放的になったと思います。
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さすがにライトアップするまでは待ってられないのでそろそろ帰ることにします。
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ほんの数根苗ですが、元気だった母と姪の7歳の誕生日会で新丸ビルに来たことが懐かしく思い出されます。
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この時見た夜景もきれいでした。この数年で景色も変わっているのが分かります。
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いつもは地下を素通りしてしまう東京駅の地上をじっくり見ることが出来てよかったです。
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また近いうちにステーションギャラリーにもホテルにも来てみたいと思います。これで釧路10日間の旅が終わった気がします。
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