釧路旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ツアーの2日目は釧路プリンスホテル17階の展望レストランから始まります。午前9時15分にフィッシャーマンズワーフMOOの3階に大阪以外からの参加者に対して10日間のツアーのオリエンテーションが添乗員さんからありました。添乗員さんと札幌からバスで移動してきた大阪チームはバスの中でオリエンがあったそうです。その後の午前10時には大阪からのメンバーも集合して、13人が初めて揃いました。ここから1時間ほどは釧路市の職員の方から長期滞在で使えるカードの申請や、コロナ禍の緊急事態宣言中の旅の仕方についての話がありました。この時申請したカードは意外に便利で、市立博物館や展望台の見学時に65歳以上だと無料になりました。続いてはフィッシャーマンズワーフMOOの担当者の方からMOOでの買い物時のスタンプカードの説明があり、最後にプリンスホテルの担当者の方から、翌日の屈斜路湖プリンスホテルでのランチの案内と、屈斜路湖プリンスに宿泊して津別峠で星空を見るオプションと早朝に雲海を見るオプションの案内がありました。MOOの担当者の方とはオリエンが終わってからオープン時の事を少しお話をさせていただきました。午前11時にオリエンテーションが終わると、その後はフリータイムになり、ツアーが実際に始まるのは翌日の3日目からになります。お昼前に釧路川の対岸の港文館の見学に行きました。ここへ立ち寄る予定はなかったのですが、旅行前にテレビ東京の「なないろ日和!」で紹介していたのを思い出しました。その話を受け付けの方に話すと「東京のローカルなので北海道では放送されないので見ていないんです。」と残念そうでした。石川啄木について学んだあとはタクシーに乗って「竹老園東家本店」という蕎麦屋へ向かいました。観光ガイドステーションでバスでの行きかたを聞いていたのですが、目の前を通ったタクシーを見たら手を挙げてしまいました。釧路市内の駅の南側は普段でもタクシーは少ないのですが、この日は日曜日なのでさらに少なかったようです。到着した蕎麦屋は座敷は満席で「表のテーブル席なら待たずにいただけます。」と言われましたが、しばらく待つことにしました。すると妻は32年前に来たことがあると言い出してびっくりです。離れのような座敷で名物の料理とそばをいただき、地元釧路の日本酒の福司もいただいて、大満足の昼食を楽しみました。食後は道を聞いて、春採湖の湖畔を散歩して釧路市立博物館へ向かいました。この博物館の建築も毛綱毅曠の建築なので楽しみにしていました。また7月に行った苫小牧の近くの白老のウポポイで見たアイヌ文化の勉強もこの博物館でできます。市内へ戻るバスに乗り遅れてしまい、私立病院の前で昼寝していたタクシーの運転手さんいお願いしてホテルまで送ってもらいました。部屋で少し休んだ後は夕日も楽しめそうもなかったので午後6時になって近くの「煉瓦」という炉端焼きの店に行って2日目も早々とホテルに戻りました。

トラピックス 釧路で過ごす10日間(2)竹老園の座敷に遊び、春採湖畔を散策して釧路市立博物館でアイヌ文化を学び、毛綱毅曠の建築を体感する。

27いいね!

2021/09/05 - 2021/09/05

358位(同エリア1370件中)

旅行記グループ 2021道東10日間の旅

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111

kojikoji

kojikojiさん

ツアーの2日目は釧路プリンスホテル17階の展望レストランから始まります。午前9時15分にフィッシャーマンズワーフMOOの3階に大阪以外からの参加者に対して10日間のツアーのオリエンテーションが添乗員さんからありました。添乗員さんと札幌からバスで移動してきた大阪チームはバスの中でオリエンがあったそうです。その後の午前10時には大阪からのメンバーも集合して、13人が初めて揃いました。ここから1時間ほどは釧路市の職員の方から長期滞在で使えるカードの申請や、コロナ禍の緊急事態宣言中の旅の仕方についての話がありました。この時申請したカードは意外に便利で、市立博物館や展望台の見学時に65歳以上だと無料になりました。続いてはフィッシャーマンズワーフMOOの担当者の方からMOOでの買い物時のスタンプカードの説明があり、最後にプリンスホテルの担当者の方から、翌日の屈斜路湖プリンスホテルでのランチの案内と、屈斜路湖プリンスに宿泊して津別峠で星空を見るオプションと早朝に雲海を見るオプションの案内がありました。MOOの担当者の方とはオリエンが終わってからオープン時の事を少しお話をさせていただきました。午前11時にオリエンテーションが終わると、その後はフリータイムになり、ツアーが実際に始まるのは翌日の3日目からになります。お昼前に釧路川の対岸の港文館の見学に行きました。ここへ立ち寄る予定はなかったのですが、旅行前にテレビ東京の「なないろ日和!」で紹介していたのを思い出しました。その話を受け付けの方に話すと「東京のローカルなので北海道では放送されないので見ていないんです。」と残念そうでした。石川啄木について学んだあとはタクシーに乗って「竹老園東家本店」という蕎麦屋へ向かいました。観光ガイドステーションでバスでの行きかたを聞いていたのですが、目の前を通ったタクシーを見たら手を挙げてしまいました。釧路市内の駅の南側は普段でもタクシーは少ないのですが、この日は日曜日なのでさらに少なかったようです。到着した蕎麦屋は座敷は満席で「表のテーブル席なら待たずにいただけます。」と言われましたが、しばらく待つことにしました。すると妻は32年前に来たことがあると言い出してびっくりです。離れのような座敷で名物の料理とそばをいただき、地元釧路の日本酒の福司もいただいて、大満足の昼食を楽しみました。食後は道を聞いて、春採湖の湖畔を散歩して釧路市立博物館へ向かいました。この博物館の建築も毛綱毅曠の建築なので楽しみにしていました。また7月に行った苫小牧の近くの白老のウポポイで見たアイヌ文化の勉強もこの博物館でできます。市内へ戻るバスに乗り遅れてしまい、私立病院の前で昼寝していたタクシーの運転手さんいお願いしてホテルまで送ってもらいました。部屋で少し休んだ後は夕日も楽しめそうもなかったので午後6時になって近くの「煉瓦」という炉端焼きの店に行って2日目も早々とホテルに戻りました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 初日の晩は午後8時にはホテルに戻り、午後10時前には寝てしまったので明け方から何度も目が覚めてしまいました。釧路川の河口では一晩中漁船の出入りがあったようで賑やかです。

    初日の晩は午後8時にはホテルに戻り、午後10時前には寝てしまったので明け方から何度も目が覚めてしまいました。釧路川の河口では一晩中漁船の出入りがあったようで賑やかです。

  • 釧路プリンスホテルの朝食は17階の「トップ オブ クシロ」というレストランです。緊急事態宣言中ですが、マスクと手指の消毒だけでビニール手袋の使用はありませんでした。トングの使用もなくすべて小皿に盛られた料理を取るスタイルです。

    釧路プリンスホテルの朝食は17階の「トップ オブ クシロ」というレストランです。緊急事態宣言中ですが、マスクと手指の消毒だけでビニール手袋の使用はありませんでした。トングの使用もなくすべて小皿に盛られた料理を取るスタイルです。

  • 和食と洋食のメニューが並んでいますが、ほとんど和食のメニューを選んでいました。鮭やホッケやサバの塩焼きは日替わりで、イカの塩辛と三升漬けも日替わり、北海道のフキの煮物やポテトなど治山の食材が多いのも良かったです。

    和食と洋食のメニューが並んでいますが、ほとんど和食のメニューを選んでいました。鮭やホッケやサバの塩焼きは日替わりで、イカの塩辛と三升漬けも日替わり、北海道のフキの煮物やポテトなど治山の食材が多いのも良かったです。

  • そして釧路港が見渡せる席に座って食事ができるのが良いです。

    そして釧路港が見渡せる席に座って食事ができるのが良いです。

  • 今回のトラピックスのツアーでは基本の釧路プリンスホテルか追加料金を支払って天然温泉の大浴場のあるラ・ヴィスタが選べましたが、このレストランがあるのでプリンスホテルにしました。

    今回のトラピックスのツアーでは基本の釧路プリンスホテルか追加料金を支払って天然温泉の大浴場のあるラ・ヴィスタが選べましたが、このレストランがあるのでプリンスホテルにしました。

  • こんな天井の高い空間でお客さんが少ないので密になるような状態はなく、安心して食事することが出来ました。

    こんな天井の高い空間でお客さんが少ないので密になるような状態はなく、安心して食事することが出来ました。

  • 午前9時15分にフィッシャーマンズワーフMOOでツアーのオリエンテーションがあるので早々に出かけます。釧路市内の道路はその多くが2車線の広いものですが、周囲のビルにひと気も無く寒々しい雰囲気です。

    午前9時15分にフィッシャーマンズワーフMOOでツアーのオリエンテーションがあるので早々に出かけます。釧路市内の道路はその多くが2車線の広いものですが、周囲のビルにひと気も無く寒々しい雰囲気です。

  • MOOに到着しましたが、午前10時の開店前なのでここもひと気がありません。2階に上がると受付カウンターが置かれていて、添乗員さんとはここで初めて会うことになりました。

    MOOに到着しましたが、午前10時の開店前なのでここもひと気がありません。2階に上がると受付カウンターが置かれていて、添乗員さんとはここで初めて会うことになりました。

  • 今回のツアーは大阪からの参加者7名に同行した添乗員さんとその他の6名の13人の参加者でした。事前に連絡いただいたところでは20名でしたので、緊急事態宣言の延長でキャンセルされた方やワクチンやPCR検査の条件が揃わない方もいたのではないでしょうか。

    今回のツアーは大阪からの参加者7名に同行した添乗員さんとその他の6名の13人の参加者でした。事前に連絡いただいたところでは20名でしたので、緊急事態宣言の延長でキャンセルされた方やワクチンやPCR検査の条件が揃わない方もいたのではないでしょうか。

  • 大阪チームは伊丹空港から札幌の千歳空港に入り、空港からバスで釧路に入ったので、その間にツアーのオリエンテーションを受けているので、参加者はそれ以外の6名だけでした。

    大阪チームは伊丹空港から札幌の千歳空港に入り、空港からバスで釧路に入ったので、その間にツアーのオリエンテーションを受けているので、参加者はそれ以外の6名だけでした。

  • 午前10時になると大阪チームも合流して、釧路市の関係者からのオリエンテーションがありました。日曜日の朝から市役所の担当の方が2名も来て、滞在中のコロナの感染予防や釧路市への移住や滞在カードの作成についての説明がありました。このときに作成したカードは意外に便利で、65歳以上だと市立博物館や湿原展望台が無料になりました。

    午前10時になると大阪チームも合流して、釧路市の関係者からのオリエンテーションがありました。日曜日の朝から市役所の担当の方が2名も来て、滞在中のコロナの感染予防や釧路市への移住や滞在カードの作成についての説明がありました。このときに作成したカードは意外に便利で、65歳以上だと市立博物館や湿原展望台が無料になりました。

  • 続いてはフィッシャーマンズワーフMOOの方が館内での買い物のポイントカードの説明や館内の施設の説明がありました。MOOの開業の仕事には妻が大きくかかわっていたこともあり、担当の方とはその後に少しお話させていただきました。

    続いてはフィッシャーマンズワーフMOOの方が館内での買い物のポイントカードの説明や館内の施設の説明がありました。MOOの開業の仕事には妻が大きくかかわっていたこともあり、担当の方とはその後に少しお話させていただきました。

  • MOOのCIは1988年に田中一光デザイン室から独立した廣村正彰さんが担当されていた話など盛り上がりました。廣村デザイン事務所は2020TOKYOのピクトのデザインを担当されていましたから時の人ですね。妻とこの包装紙を見ていて、田中一光さんぽいからこれも廣村さんのデザインかもね。と話がはずみます。<br />

    MOOのCIは1988年に田中一光デザイン室から独立した廣村正彰さんが担当されていた話など盛り上がりました。廣村デザイン事務所は2020TOKYOのピクトのデザインを担当されていましたから時の人ですね。妻とこの包装紙を見ていて、田中一光さんぽいからこれも廣村さんのデザインかもね。と話がはずみます。

  • 午前11時にオリエンテーションが終わるとMOOの営業も始まっていて、おいしそうな匂いに誘われて見てみると釧路名物の「さんまんま」の実演厨房でした。お昼の予定は別にあるのでここは我慢します。

    午前11時にオリエンテーションが終わるとMOOの営業も始まっていて、おいしそうな匂いに誘われて見てみると釧路名物の「さんまんま」の実演厨房でした。お昼の予定は別にあるのでここは我慢します。

  • 釧路川の対岸にサンセットクルーズの事務所があるので行ってみることにしました。

    釧路川の対岸にサンセットクルーズの事務所があるので行ってみることにしました。

  • 幣舞橋の上から切るフィッシャーマンズワーフMOOの姿が一番きれいだと思えます。

    幣舞橋の上から切るフィッシャーマンズワーフMOOの姿が一番きれいだと思えます。

  • 昨日はシルエットになっていた秋の像は柳原義達(やなぎはら よしたつ)の作品です。1976年の建設当時に市民運動によって資金拠出もされ、当時の日本国内でも一流の4人の彫刻家によって春夏秋冬のそれぞれの像が造られたそうです。

    昨日はシルエットになっていた秋の像は柳原義達(やなぎはら よしたつ)の作品です。1976年の建設当時に市民運動によって資金拠出もされ、当時の日本国内でも一流の4人の彫刻家によって春夏秋冬のそれぞれの像が造られたそうです。

  • サンセットクルーズの事務所はまだ午前中ということもあって閉まっていました。出向の1時間前の午後3時過ぎまでに予約が必要と書かれてありましたので電話番号を控えました。ただ、この日は夕焼けになりそうもなかったので電話はしませんでした。

    サンセットクルーズの事務所はまだ午前中ということもあって閉まっていました。出向の1時間前の午後3時過ぎまでに予約が必要と書かれてありましたので電話番号を控えました。ただ、この日は夕焼けになりそうもなかったので電話はしませんでした。

  • 対岸からなフィッシャーマンズワーフMOOの建築の面白さが良く確認できました。まだ時間もあるので少し先に見えた港文館に行ってみることにしました。<br />

    対岸からなフィッシャーマンズワーフMOOの建築の面白さが良く確認できました。まだ時間もあるので少し先に見えた港文館に行ってみることにしました。

  • その建物の前には石川啄木の像が建っていました。旧釧路新聞社(現北海道新聞社)社屋は明治41年の1908年に竣工し、北大通に移転した後の1965年(昭和40年)に解体されています。石川啄木は竣工した明治41年1月21日に記者として、この社屋に赴任してきました。編集長格の業務を任されていたようですが、76日の在籍期間をもって東京へ移っています。

    その建物の前には石川啄木の像が建っていました。旧釧路新聞社(現北海道新聞社)社屋は明治41年の1908年に竣工し、北大通に移転した後の1965年(昭和40年)に解体されています。石川啄木は竣工した明治41年1月21日に記者として、この社屋に赴任してきました。編集長格の業務を任されていたようですが、76日の在籍期間をもって東京へ移っています。

  • 解体から28年を経た平成5年の1993年にフィッシャーマンズワーフの対岸に復元されたのが港文館です。旧釧路新聞社の竣工当時は東北海道唯一の煉瓦造りの建物だったそうです。啄木が中学の時に1学年年長だった金田一京助宛の手紙にも「小生着釧の翌日、社は今回新築の煉瓦造りの小さいけれど気持ちよき建築へ移転仕候…」と書かれています。

    解体から28年を経た平成5年の1993年にフィッシャーマンズワーフの対岸に復元されたのが港文館です。旧釧路新聞社の竣工当時は東北海道唯一の煉瓦造りの建物だったそうです。啄木が中学の時に1学年年長だった金田一京助宛の手紙にも「小生着釧の翌日、社は今回新築の煉瓦造りの小さいけれど気持ちよき建築へ移転仕候…」と書かれています。

  • 港文館の2階は石川啄木の資料や談話室になっています。見学は無料ですが受付の女性に「テレビ東京の「なないろ日和!」を見てきました。」と伝えると「北海道ではテレビ東京の番組は放映されていないので見ていないんです。」と残念そうでした。

    港文館の2階は石川啄木の資料や談話室になっています。見学は無料ですが受付の女性に「テレビ東京の「なないろ日和!」を見てきました。」と伝えると「北海道ではテレビ東京の番組は放映されていないので見ていないんです。」と残念そうでした。

  • 元々はここへは来る予定はなかったのですが、妻帯者であった石川啄木の釧路での女性遍歴が興味深かったので足を延ばしたわけです。啄木の恋愛の短歌は「一握の砂」では北海道を離れる「忘れがたき人々」に見られます。芸奴の小奴以外にも看護婦の梅川ミホや寺の住職の娘である小菅まさえといった女性とも関りがあったそうです。

    元々はここへは来る予定はなかったのですが、妻帯者であった石川啄木の釧路での女性遍歴が興味深かったので足を延ばしたわけです。啄木の恋愛の短歌は「一握の砂」では北海道を離れる「忘れがたき人々」に見られます。芸奴の小奴以外にも看護婦の梅川ミホや寺の住職の娘である小菅まさえといった女性とも関りがあったそうです。

  • 「小奴といひし女の やわらかき 耳朶なども忘れがたかり」雪の中に建つ建物はこの釧路新聞社社屋だとわかります。

    「小奴といひし女の やわらかき 耳朶なども忘れがたかり」雪の中に建つ建物はこの釧路新聞社社屋だとわかります。

  • 「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」<br />以前妻とマレーシアのペナン島を旅した際に、ジョージタウンの郊外の白砂の海岸にあるシーパールラグーンという屋台のような店に行ったことがあります。ペナンに駐在する日本人の方から「エビカニ屋」と呼ばれるその店の焼きたての熱々の蟹を竹の棒で叩き割って食べた時のおいしさに、この歌を思い出したことがあります。

    「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」
    以前妻とマレーシアのペナン島を旅した際に、ジョージタウンの郊外の白砂の海岸にあるシーパールラグーンという屋台のような店に行ったことがあります。ペナンに駐在する日本人の方から「エビカニ屋」と呼ばれるその店の焼きたての熱々の蟹を竹の棒で叩き割って食べた時のおいしさに、この歌を思い出したことがあります。

  • このような釧路時代の女性遍歴がわかりやすくビジュアル付きで紹介されています。啄木は家族を小樽に残して1人で釧路に移り、上司である主筆への不満と東京での創作活動へのあこがれが募り、釧路を離れることになります。以前妻と函館を旅した際に暴風雪の立待岬へ行ったことがあります。車両通行止めになった少し先の墓地にある石川啄木一族の墓参をしたことも思い出しました。

    このような釧路時代の女性遍歴がわかりやすくビジュアル付きで紹介されています。啄木は家族を小樽に残して1人で釧路に移り、上司である主筆への不満と東京での創作活動へのあこがれが募り、釧路を離れることになります。以前妻と函館を旅した際に暴風雪の立待岬へ行ったことがあります。車両通行止めになった少し先の墓地にある石川啄木一族の墓参をしたことも思い出しました。

  • 港文館の建物の前にあった石川啄木像の制作風景の写真も印象に残りました。本郷新(ほんごう しん)は函館の大森浜にロダンの考える人のような姿の啄木像を制作しています。ロダンやブールデルの影響が感じられる具象彫刻なので好きな作家です。

    港文館の建物の前にあった石川啄木像の制作風景の写真も印象に残りました。本郷新(ほんごう しん)は函館の大森浜にロダンの考える人のような姿の啄木像を制作しています。ロダンやブールデルの影響が感じられる具象彫刻なので好きな作家です。

  • 小奴(近江ジン)の直筆の揮毫がありました。「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」は釧路駅に到着した啄木が詠んだ歌ですが、釧路駅は現在の場所ではなく、現在のプリンスホテルの北側辺りにあったそうです。

    小奴(近江ジン)の直筆の揮毫がありました。「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」は釧路駅に到着した啄木が詠んだ歌ですが、釧路駅は現在の場所ではなく、現在のプリンスホテルの北側辺りにあったそうです。

  • 啄木の歌がカルタになっているのは今回初めて知りました。見学を終えるとお昼になったので移動することにしますが、幣舞橋の辺りの北大通りに出てもタクシーは走っていません。橋のたもとの観光ガイドステーションでバスの路線図をいただき、バス停まで教えていただきました。

    啄木の歌がカルタになっているのは今回初めて知りました。見学を終えるとお昼になったので移動することにしますが、幣舞橋の辺りの北大通りに出てもタクシーは走っていません。橋のたもとの観光ガイドステーションでバスの路線図をいただき、バス停まで教えていただきました。

  • ところがバス停に立っているとタクシーが通りがかったので手を挙げてしまいました。目的地は春採湖の近くの「竹老園東家本店」です。タクシーの運転手さんによると普段も少ないタクシーが日曜日なのでさらに少ないとのことでした。

    ところがバス停に立っているとタクシーが通りがかったので手を挙げてしまいました。目的地は春採湖の近くの「竹老園東家本店」です。タクシーの運転手さんによると普段も少ないタクシーが日曜日なのでさらに少ないとのことでした。

  • 到着した「竹老園東家本店」は有名な蕎麦屋なので日曜日の昼時はとても混んでいました。「テーブル席だったらすぐに入れます。」と言われましたが、ここまで来て座敷に座れないのは悲しいので少し待つことにしました。

    到着した「竹老園東家本店」は有名な蕎麦屋なので日曜日の昼時はとても混んでいました。「テーブル席だったらすぐに入れます。」と言われましたが、ここまで来て座敷に座れないのは悲しいので少し待つことにしました。

  • ここで妻が「あたしここに32年前に来たことがある。」と言い出します。あれっ、そんな話しは旅行前には聞いていませんでした。これは今回の旅で何度か聞くことになります。

    ここで妻が「あたしここに32年前に来たことがある。」と言い出します。あれっ、そんな話しは旅行前には聞いていませんでした。これは今回の旅で何度か聞くことになります。

  • 明治7年の1874年創業という北海道でも最古級の歴史を誇る老舗蕎麦店です。昭和2年の1927年にここ沼ノ端(春採湖岸)に2代目の伊藤竹次郎は豪壮な屋敷を建て隠居しますが、そば造りが忘れられず東家総本店として営業を開始しています。

    明治7年の1874年創業という北海道でも最古級の歴史を誇る老舗蕎麦店です。昭和2年の1927年にここ沼ノ端(春採湖岸)に2代目の伊藤竹次郎は豪壮な屋敷を建て隠居しますが、そば造りが忘れられず東家総本店として営業を開始しています。

  • 昭和29年に昭和天皇と皇后陛下、昭和34年には高松宮殿下と妃殿下、昭和35年には秩父宮妃殿下、昭和44年に三笠宮殿下が来られたという碑が建っていました。以前に小樽の海陽亭の女将さんと話していて、「宮様が小樽に来られるのでうちに泊まることになって、布団を誂えたのに急に予定が変更になって…。」なんてお話を伺ったことを思い出しました。京都で何度かお会いして、小樽にもうかがったのですが、閉店してしまって残念です。

    昭和29年に昭和天皇と皇后陛下、昭和34年には高松宮殿下と妃殿下、昭和35年には秩父宮妃殿下、昭和44年に三笠宮殿下が来られたという碑が建っていました。以前に小樽の海陽亭の女将さんと話していて、「宮様が小樽に来られるのでうちに泊まることになって、布団を誂えたのに急に予定が変更になって…。」なんてお話を伺ったことを思い出しました。京都で何度かお会いして、小樽にもうかがったのですが、閉店してしまって残念です。

  • 30分ほど待ちましたが一番奥の階段を上がった三間続きの部屋の真ん中の部屋に案内されました。我が家では年長である妻が上座に座ることになっています。実家でも父が座っていた席に妻が座るのは暗黙の了解になっています。待っている間に広間では遺影を置いて皆さんでそばを食べていらっしゃいました。釧路では墓参りの後でもそばを食べる習慣があるそうです。

    30分ほど待ちましたが一番奥の階段を上がった三間続きの部屋の真ん中の部屋に案内されました。我が家では年長である妻が上座に座ることになっています。実家でも父が座っていた席に妻が座るのは暗黙の了解になっています。待っている間に広間では遺影を置いて皆さんでそばを食べていらっしゃいました。釧路では墓参りの後でもそばを食べる習慣があるそうです。

  • 冷たいビールを飲んだ後は日本酒に変えました。地元釧路の「福司」の熱燗かモッキリとメニューにあって、モッキリの意味が分からなかったので尋ねると「徳利の口までお酒を入れることです。」とのことでした。

    冷たいビールを飲んだ後は日本酒に変えました。地元釧路の「福司」の熱燗かモッキリとメニューにあって、モッキリの意味が分からなかったので尋ねると「徳利の口までお酒を入れることです。」とのことでした。

  • 日本酒は現在では瓶詰めで販売されていますが昔は量り売りをしていました。その時代は酒屋の樽(たる)から徳利(とっくり)や升などに直接日本酒を注いで販売する形式が主流で、これを「盛り切り」と言い、後に「もっきり」に変化したと言われているそうです。

    日本酒は現在では瓶詰めで販売されていますが昔は量り売りをしていました。その時代は酒屋の樽(たる)から徳利(とっくり)や升などに直接日本酒を注いで販売する形式が主流で、これを「盛り切り」と言い、後に「もっきり」に変化したと言われているそうです。

  • 注文はお店の方と相談して名物の「かしわぬき」と「蘭切りそば」と「茶そば」と「そば寿司」のセットになった特製品コースを1つ注文して2人で食べるのと、妻の希望で「海老天ぷら(2本入り)」にしました。普通の蕎麦屋の海老天がMサイズだとするとXLサイズくらいの太さがあって、甘くておいしかったです。

    注文はお店の方と相談して名物の「かしわぬき」と「蘭切りそば」と「茶そば」と「そば寿司」のセットになった特製品コースを1つ注文して2人で食べるのと、妻の希望で「海老天ぷら(2本入り)」にしました。普通の蕎麦屋の海老天がMサイズだとするとXLサイズくらいの太さがあって、甘くておいしかったです。

  • こちらは「かしわぬき」でTBSの「マツコの知らない世界」という番組でも紹介されていました。簡単に言うとかしわそばからそばを抜いた暖かい蕎麦の汁なのですが、「かえし」にこだわりを置いているように思えました。このスープだけで日本酒が飲めるなと思いました。

    こちらは「かしわぬき」でTBSの「マツコの知らない世界」という番組でも紹介されていました。簡単に言うとかしわそばからそばを抜いた暖かい蕎麦の汁なのですが、「かえし」にこだわりを置いているように思えました。このスープだけで日本酒が飲めるなと思いました。

  • 続いて「蘭切りそば」と「茶そば」が出てきました。蕎麦猪口の染付の菱形に東の東家のマークが本店を感じさせます。

    続いて「蘭切りそば」と「茶そば」が出てきました。蕎麦猪口の染付の菱形に東の東家のマークが本店を感じさせます。

  • 「蘭切りそば」は天皇、皇后両陛下が召し上がっておかわりされたそうです。卵切りの卵(らん)を蘭の字に当て、竹老園東家総本店の雰囲気に合わせて「蘭の花」を表現したつなぎに卵黄を使った蕎麦です。

    「蘭切りそば」は天皇、皇后両陛下が召し上がっておかわりされたそうです。卵切りの卵(らん)を蘭の字に当て、竹老園東家総本店の雰囲気に合わせて「蘭の花」を表現したつなぎに卵黄を使った蕎麦です。

  • 「茶そば」はお茶が練り込んでいるわけではなく、お茶の緑色をしている意味です。新蕎麦を食べている気分を味わっていような気分になるように、緑色の蕎麦が出されるようになったそうで、クロレラが練り込んであるそうです。

    「茶そば」はお茶が練り込んでいるわけではなく、お茶の緑色をしている意味です。新蕎麦を食べている気分を味わっていような気分になるように、緑色の蕎麦が出されるようになったそうで、クロレラが練り込んであるそうです。

  • そして「そば寿司」は甘酢に漬けたそばが生姜と一緒に海苔巻きになっています。蕎麦寿司を最後に食べたのは父と一緒に行った京都でのことなので何年前だったか思い出しながらいただきました。テーブル席にしないでお座敷でいただいてよかったと思います。とてもおいしいお蕎麦でした。これで釧路の食のミッションが1つ達成です。

    そして「そば寿司」は甘酢に漬けたそばが生姜と一緒に海苔巻きになっています。蕎麦寿司を最後に食べたのは父と一緒に行った京都でのことなので何年前だったか思い出しながらいただきました。テーブル席にしないでお座敷でいただいてよかったと思います。とてもおいしいお蕎麦でした。これで釧路の食のミッションが1つ達成です。

  • 「竹老園東家本店」を出て近くを歩いていたおじさんに道を尋ねて春採湖に出ました。お店で「市立博物館に行きたいのですが。」と聞いて出たのですが、たぶん車で行く道を教えてくれたのだと途中で気づきました。

    「竹老園東家本店」を出て近くを歩いていたおじさんに道を尋ねて春採湖に出ました。お店で「市立博物館に行きたいのですが。」と聞いて出たのですが、たぶん車で行く道を教えてくれたのだと途中で気づきました。

  • 春採湖の周囲は遊歩道になっていて、車が通らないので散歩している方がいらっしゃいました。

    春採湖の周囲は遊歩道になっていて、車が通らないので散歩している方がいらっしゃいました。

  • 目指す「釧路市立博物館」まではゆっくり歩いても20分くらいの散歩道でした。

    目指す「釧路市立博物館」まではゆっくり歩いても20分くらいの散歩道でした。

  • すぐに毛綱毅曠の設計した博物館の建物が見えてきました。正面からの写真はよく見かけますが、湖側からの姿も美しいです。

    すぐに毛綱毅曠の設計した博物館の建物が見えてきました。正面からの写真はよく見かけますが、湖側からの姿も美しいです。

  • 遊歩道は高い木立に囲まれて、ようやく北海道に来た感じがしてきました。

    遊歩道は高い木立に囲まれて、ようやく北海道に来た感じがしてきました。

  • 最後に少し登り坂がありましたが、無事に到着しました。博物館の正面に回る途中には北海道の岩石の標本が並んでいました。ほとんど「ブラタモリ」の世界ですが、軽くパスしていきます。

    最後に少し登り坂がありましたが、無事に到着しました。博物館の正面に回る途中には北海道の岩石の標本が並んでいました。ほとんど「ブラタモリ」の世界ですが、軽くパスしていきます。

  • 釧路市立博物館は春採湖畔の丘陵に位置していますが、この地形は風水術でいうところの「金の鳥が羽を展げ、卵を抱いている形、すなわち金鶏展翅形であり、この地勢を建築形態に写し取ったのが、釧路市立博物館である。さらに、釧路市のシンボルが丹頂鶴であることを考え合わせれば、金鶏展翅形ならぬ丹頂展翅形とでもいえよう」と建築家は言っています。

    釧路市立博物館は春採湖畔の丘陵に位置していますが、この地形は風水術でいうところの「金の鳥が羽を展げ、卵を抱いている形、すなわち金鶏展翅形であり、この地勢を建築形態に写し取ったのが、釧路市立博物館である。さらに、釧路市のシンボルが丹頂鶴であることを考え合わせれば、金鶏展翅形ならぬ丹頂展翅形とでもいえよう」と建築家は言っています。

  • エントランスに立つ「朔北の母子像」は幣舞橋の「冬」の彫刻や、「港文館」にある石川啄木像を制作した本郷新の作品でした。母子像という題名ですが、ミケランジェロの造った4つのピエタのうちのフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されている「パレストリーナのピエタ」かミラノのスフォルツァ城博物館に収蔵されている「ロンダニーニのピエタ」を思い出させました。

    エントランスに立つ「朔北の母子像」は幣舞橋の「冬」の彫刻や、「港文館」にある石川啄木像を制作した本郷新の作品でした。母子像という題名ですが、ミケランジェロの造った4つのピエタのうちのフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されている「パレストリーナのピエタ」かミラノのスフォルツァ城博物館に収蔵されている「ロンダニーニのピエタ」を思い出させました。

  • このマンモスの全身骨格はロシアでみつかった化石をもとに作られたレプリカで、体の長さ3.5メートル、体の高さ2.9メートル、牙の長さが2.5メートルあるそうです。日本ではマンモスの歯の化石が夕張市や襟裳岬など10か所ほどで発見されているそうです。このエントランスホールから先は有料ですが、午前中に市役所の方に作ってもらった「くしろステイメンバーズカード」と身分証明書の提示で65歳以上は無料になりました。

    このマンモスの全身骨格はロシアでみつかった化石をもとに作られたレプリカで、体の長さ3.5メートル、体の高さ2.9メートル、牙の長さが2.5メートルあるそうです。日本ではマンモスの歯の化石が夕張市や襟裳岬など10か所ほどで発見されているそうです。このエントランスホールから先は有料ですが、午前中に市役所の方に作ってもらった「くしろステイメンバーズカード」と身分証明書の提示で65歳以上は無料になりました。

  • 空間構成は内部空間が「天、人、地」の3層構造になっていることが特徴です。3階をアイヌの神々や祖先の「天の記憶」、2階を「産業や水産、都市といった人々の記憶」、1階を大地の記憶とし、この3層の吹抜を貫く「二重螺旋階段」は過去と現在と未来をつないでいます。博物館を記憶の建築と呼ぶのも、この二重螺旋こそが人類の遺伝子DNA(二重螺旋)と共鳴する装置と見立てているからだとしています。

    空間構成は内部空間が「天、人、地」の3層構造になっていることが特徴です。3階をアイヌの神々や祖先の「天の記憶」、2階を「産業や水産、都市といった人々の記憶」、1階を大地の記憶とし、この3層の吹抜を貫く「二重螺旋階段」は過去と現在と未来をつないでいます。博物館を記憶の建築と呼ぶのも、この二重螺旋こそが人類の遺伝子DNA(二重螺旋)と共鳴する装置と見立てているからだとしています。

  • 1階は釧路の大地の成り立ちから始まり、湿原の植生について説明があります。釧路湿原の約80%をヨシやスゲの湿原が占め、ここは川や湧き水で潤されており、常に地下水位が高いという特徴があります。地表面が地下水位よりも下にあるので低層湿原とも呼ばれています。また湿原のいたる所には池や沼の表面が植物の成長によって埋められてできた谷地眼(やちまなこ)と呼ばれる深い壷状の沼地が形成されます。

    1階は釧路の大地の成り立ちから始まり、湿原の植生について説明があります。釧路湿原の約80%をヨシやスゲの湿原が占め、ここは川や湧き水で潤されており、常に地下水位が高いという特徴があります。地表面が地下水位よりも下にあるので低層湿原とも呼ばれています。また湿原のいたる所には池や沼の表面が植物の成長によって埋められてできた谷地眼(やちまなこ)と呼ばれる深い壷状の沼地が形成されます。

  • エゾシカはニホンジカの一種で北海道全域に生息し、オスは大きな角を持っていますがこの角は毎年生え変わります。4月から5月に古い角が落ちて新しく生えて、9月には立派な角になります。角はオス同士の争いに使われると考えらています。<br />エゾシカはかつて絶滅の危機に陥ったときもありましたが、近年数が急激に増えて、樹木の枝や皮を食べて木が枯れたり、交通事故増えるなどの問題が起きています。

    エゾシカはニホンジカの一種で北海道全域に生息し、オスは大きな角を持っていますがこの角は毎年生え変わります。4月から5月に古い角が落ちて新しく生えて、9月には立派な角になります。角はオス同士の争いに使われると考えらています。
    エゾシカはかつて絶滅の危機に陥ったときもありましたが、近年数が急激に増えて、樹木の枝や皮を食べて木が枯れたり、交通事故増えるなどの問題が起きています。

  • 釧路地方には7種類の天然記念物に指定された鳥がいます。タンチョウ、シマフクロウ、クマゲラは1年中住んでいて、シマフクロウは日本では北海道にしかいません。オオワシとコクガン、ヒシクイは渡り鳥で冬に渡来し、オジロワシは冬に渡ってくるものもいますが、一部は1年じゅう住んでいます。

    釧路地方には7種類の天然記念物に指定された鳥がいます。タンチョウ、シマフクロウ、クマゲラは1年中住んでいて、シマフクロウは日本では北海道にしかいません。オオワシとコクガン、ヒシクイは渡り鳥で冬に渡来し、オジロワシは冬に渡ってくるものもいますが、一部は1年じゅう住んでいます。

  • ヒグマは北半球に広く住んでいますが、日本では北海道にしかいません。日本で最も大きな陸上ほ乳類です。川で鮭などを捕る姿が有名ですが、木の実やフキなど植物も食べる雑食の動物で、シカやネズミやアリなども食べることが知られています。冬は穴の中で寝てすごしますが、ごく浅い眠りで少しの刺激で目を覚まします。妊娠したメスは2月ころに穴の中で子どもを生みます。4月上旬ころには冬眠穴から出てきますが、子どもを産んだ雌は5月下旬ころに子どもとともに出てきます。

    ヒグマは北半球に広く住んでいますが、日本では北海道にしかいません。日本で最も大きな陸上ほ乳類です。川で鮭などを捕る姿が有名ですが、木の実やフキなど植物も食べる雑食の動物で、シカやネズミやアリなども食べることが知られています。冬は穴の中で寝てすごしますが、ごく浅い眠りで少しの刺激で目を覚まします。妊娠したメスは2月ころに穴の中で子どもを生みます。4月上旬ころには冬眠穴から出てきますが、子どもを産んだ雌は5月下旬ころに子どもとともに出てきます。

  • 秋になると釧路沖にはミンククジラが回遊してきます。ミンククジラは口が大きいのですが歯はありません。歯の代わりに歯の場所にひげのようなものが生えているヒゲクジラ類の一種です。ヒゲクジラ類はこのヒゲを使って餌を濃し取り、魚やオキアミやイカなどを食べています。<br />

    秋になると釧路沖にはミンククジラが回遊してきます。ミンククジラは口が大きいのですが歯はありません。歯の代わりに歯の場所にひげのようなものが生えているヒゲクジラ類の一種です。ヒゲクジラ類はこのヒゲを使って餌を濃し取り、魚やオキアミやイカなどを食べています。

  • 釧路の海にはクジラやアザラシ、オットセイやトドといった哺乳類も生息しています。アザラシやオットセイやトドは水中と陸上の両方で生活しています。ゼニガタアザラシは人が近づきにくい岩場などで繁殖し、根室から釧路、十勝の岩場で見ることができます。ゴマフアザラシは氷の上で繁殖し、流氷とともに北海道近海に現れます。トドも冬に日本に現れますが、数が減少して保護が求められています。一方で魚などを大量に食べるため、漁業被害も多くて両者の共存が求められています。

    釧路の海にはクジラやアザラシ、オットセイやトドといった哺乳類も生息しています。アザラシやオットセイやトドは水中と陸上の両方で生活しています。ゼニガタアザラシは人が近づきにくい岩場などで繁殖し、根室から釧路、十勝の岩場で見ることができます。ゴマフアザラシは氷の上で繁殖し、流氷とともに北海道近海に現れます。トドも冬に日本に現れますが、数が減少して保護が求められています。一方で魚などを大量に食べるため、漁業被害も多くて両者の共存が求められています。

  • 北の海にはタラバガニをはじめ、ハナサキガニやケガニなど冷たい海に住むカニ類も豊富です。タラバガニの大きなものは甲羅の幅が25センチにも達し、「キング・クラブ」とカニの王様といわれる所以です。ハナサキガニの名は根室半島の花咲周辺で多くとれることに由来します。タラバガニとハナサキガニは、はさみを入れても足の数が左右4対8本で、分類学上はカニよりもヤドカリに近い種類です。形がカニに似ているのでタラバガニ、ハナサキガニという名前が付きました。<br />北海道のカニとして道外の人々にも親しまれているケガニが本来のカニで、はさみを含めた足の数は左右5対10本です。

    北の海にはタラバガニをはじめ、ハナサキガニやケガニなど冷たい海に住むカニ類も豊富です。タラバガニの大きなものは甲羅の幅が25センチにも達し、「キング・クラブ」とカニの王様といわれる所以です。ハナサキガニの名は根室半島の花咲周辺で多くとれることに由来します。タラバガニとハナサキガニは、はさみを入れても足の数が左右4対8本で、分類学上はカニよりもヤドカリに近い種類です。形がカニに似ているのでタラバガニ、ハナサキガニという名前が付きました。
    北海道のカニとして道外の人々にも親しまれているケガニが本来のカニで、はさみを含めた足の数は左右5対10本です。

  • ここで学んだことはこの後のツアーでガイドさんからの説明や、日々見ることが出来た動物に対しての知識として役に立ちました。

    ここで学んだことはこの後のツアーでガイドさんからの説明や、日々見ることが出来た動物に対しての知識として役に立ちました。

  • 2階に移ると懐かしい国鉄の「DISCOVER JAPAN」のスタンプ帳が並んでいました。日本国有鉄道(国鉄)が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーンで、1970年の大阪万博の終了の1ヵ月後の10月14日(鉄道の日)から始まりました。キャンペーン開始と同時に国鉄提供によるテレビ紀行番組「遠くへ行きたい」が始まり、永六輔が1人で日本全国を旅する番組でした。

    2階に移ると懐かしい国鉄の「DISCOVER JAPAN」のスタンプ帳が並んでいました。日本国有鉄道(国鉄)が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーンで、1970年の大阪万博の終了の1ヵ月後の10月14日(鉄道の日)から始まりました。キャンペーン開始と同時に国鉄提供によるテレビ紀行番組「遠くへ行きたい」が始まり、永六輔が1人で日本全国を旅する番組でした。

  • アンノン族(雑誌an anやnonnoの読者)のような女性客が増えるにつれ、国鉄のキャンペーンも女性を重視して、1977年に始まった「一枚のキップから」は長続きしなませんでしたが、1978年に山口百恵が歌う「いい日旅立ち」をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち」へと続いていきます。旅好きだった父の影響もあって、先日実家の片づけをしたら膨大なスタンプが出てきました。

    アンノン族(雑誌an anやnonnoの読者)のような女性客が増えるにつれ、国鉄のキャンペーンも女性を重視して、1977年に始まった「一枚のキップから」は長続きしなませんでしたが、1978年に山口百恵が歌う「いい日旅立ち」をキャンペーンソングとした「いい日旅立ち」へと続いていきます。旅好きだった父の影響もあって、先日実家の片づけをしたら膨大なスタンプが出てきました。

  • 川崎船は江戸時代後期から昭和初期まで福井県より北の日本海沿岸から北海道にかけて、漁業や物資の運搬などに広く使われました。釧路地方では明治30年の1897年頃に新潟県の人々によって川崎船を使った漁が行われたことをきっかけに、沿岸漁業から沖合漁業へと転換されて新たに漁場が開かれました。

    川崎船は江戸時代後期から昭和初期まで福井県より北の日本海沿岸から北海道にかけて、漁業や物資の運搬などに広く使われました。釧路地方では明治30年の1897年頃に新潟県の人々によって川崎船を使った漁が行われたことをきっかけに、沿岸漁業から沖合漁業へと転換されて新たに漁場が開かれました。

  • 展示されている川崎船は現在の博物館の建設に合わせて、船大工の平岩一(ひらいわはじめ)が設計し製作したもので、実際の船の大きさよりはひと回りほど小さな造りとなっています。釧路の漁業の発展に活躍した貴重な船です。

    展示されている川崎船は現在の博物館の建設に合わせて、船大工の平岩一(ひらいわはじめ)が設計し製作したもので、実際の船の大きさよりはひと回りほど小さな造りとなっています。釧路の漁業の発展に活躍した貴重な船です。

  • 妻はフィッシャーマンズワーフMOOの開業前にディスプレイで吊った大漁旗の事でも思い出しているのでしょうか。もう32年前の事です。

    妻はフィッシャーマンズワーフMOOの開業前にディスプレイで吊った大漁旗の事でも思い出しているのでしょうか。もう32年前の事です。

  • 太平洋戦争中の釧路の生活をまとめた展示もありました。どちらかというと南方から攻めあがってくるアメリカ軍の事ばかりがクローズアップされがちですが、北海道の各地でも空襲もあったし、出征する方もいらしたのだと改めて知ります。このような展示はにほんではあまり見かけることは少ないのですが、中国東北部を旅しているといろいろな博物館で目にすることがあります。その多くは悪意のある展示ではないことに救われる気持ちがあります。

    太平洋戦争中の釧路の生活をまとめた展示もありました。どちらかというと南方から攻めあがってくるアメリカ軍の事ばかりがクローズアップされがちですが、北海道の各地でも空襲もあったし、出征する方もいらしたのだと改めて知ります。このような展示はにほんではあまり見かけることは少ないのですが、中国東北部を旅しているといろいろな博物館で目にすることがあります。その多くは悪意のある展示ではないことに救われる気持ちがあります。

  • この刺し子は「どんざ」と呼ばれ、漁業で使われた仕事着です。北海道では明治から大正時代にかけてさかんに使われました。仕事で動きやすいようにと丈が膝くらいまでで、袖口も細くなっています。寒風や潮風を防いで丈夫でなければならないので紺無地や絣(かすり)の木綿地を2、3枚重ねたり、布と布の間に綿を入れたりして作られています。冬の間にこれら仕事着をつくることは、翌年の漁に備える漁師の妻の大事な仕事でした。

    この刺し子は「どんざ」と呼ばれ、漁業で使われた仕事着です。北海道では明治から大正時代にかけてさかんに使われました。仕事で動きやすいようにと丈が膝くらいまでで、袖口も細くなっています。寒風や潮風を防いで丈夫でなければならないので紺無地や絣(かすり)の木綿地を2、3枚重ねたり、布と布の間に綿を入れたりして作られています。冬の間にこれら仕事着をつくることは、翌年の漁に備える漁師の妻の大事な仕事でした。

  • イタオマチプ(板綴船)はアイヌの船の一種で、河川や湖沼や海でも使われます。木をくり貫いた丸木舟を船の敷とし、船首と船尾と舷(側面)に板を縄で綴じ合わせてあります。「蝦夷生計図説」に描かれているウイマムチブ(お目見え船)をモデルに北海層ウタリ協会釧路支部が製作しました。

    イタオマチプ(板綴船)はアイヌの船の一種で、河川や湖沼や海でも使われます。木をくり貫いた丸木舟を船の敷とし、船首と船尾と舷(側面)に板を縄で綴じ合わせてあります。「蝦夷生計図説」に描かれているウイマムチブ(お目見え船)をモデルに北海層ウタリ協会釧路支部が製作しました。

  • 7月に行った白老町のウポポイでも同じような舟を見ましたが、こちらのほうが大きくて高度な技術を感じます。詳しく見ているとエジプトのギザで見た4600年前建造されたクフ王の「太陽の船」を思い出しました。

    7月に行った白老町のウポポイでも同じような舟を見ましたが、こちらのほうが大きくて高度な技術を感じます。詳しく見ているとエジプトのギザで見た4600年前建造されたクフ王の「太陽の船」を思い出しました。

  • 祭礼用のござを思い出すデザインの帆はガマで織られたものだと思います。裏表でデザインが違う美しさを感じます。

    祭礼用のござを思い出すデザインの帆はガマで織られたものだと思います。裏表でデザインが違う美しさを感じます。

  • アイヌとは人間あるいは男性を意味するアイヌ語です。かつてのアイヌの人々は北海道を中心として樺太や千島や本州北部などに住み、狩りをしたり魚を獲ったり、植物を採集したり、周辺諸民族と交易を行って生活していました。また、暖かい地域では補助的に作物の栽培もみられました。

    アイヌとは人間あるいは男性を意味するアイヌ語です。かつてのアイヌの人々は北海道を中心として樺太や千島や本州北部などに住み、狩りをしたり魚を獲ったり、植物を採集したり、周辺諸民族と交易を行って生活していました。また、暖かい地域では補助的に作物の栽培もみられました。

  • 本州あるいは北方諸民族の影響を受けながら、独自の風俗・習慣・言語・信仰などを生み出しました。釧路アイヌと呼ばれる人々は釧路川流域を生活の基盤としており、江戸時代の終わり頃には5、6軒で構成された村が、10数ヶ所あったと記録されています。

    本州あるいは北方諸民族の影響を受けながら、独自の風俗・習慣・言語・信仰などを生み出しました。釧路アイヌと呼ばれる人々は釧路川流域を生活の基盤としており、江戸時代の終わり頃には5、6軒で構成された村が、10数ヶ所あったと記録されています。

  • 装身具には首飾り・耳輪・腕輪などがあります。身を美しく飾ることのほかに魔除けの意味もあったといいます。首飾りは、普段身に付けることは稀で、霊送りや結婚式などの際の盛装の一部として用いました。

    装身具には首飾り・耳輪・腕輪などがあります。身を美しく飾ることのほかに魔除けの意味もあったといいます。首飾りは、普段身に付けることは稀で、霊送りや結婚式などの際の盛装の一部として用いました。

  • 首飾りの玉は古くは大陸から、新しくは本州との交易で入手しました。ガラス玉のほかに金属類、木製品、メノウ、コハクなどの石を用いています。中心に大きな玉、あるいは飾り板を置き、紐を通して連ねて首飾りとします。

    首飾りの玉は古くは大陸から、新しくは本州との交易で入手しました。ガラス玉のほかに金属類、木製品、メノウ、コハクなどの石を用いています。中心に大きな玉、あるいは飾り板を置き、紐を通して連ねて首飾りとします。

  • 中国の雲南省や四川省を旅しているとチベット族の方々の装身具を見ることがありますが、使われている素材が似ていることに気が付きます。ウポポイの「国立アイヌ民族博物館」の1階のシアターで「世界が注目したアイヌの技」を観ましたが、とても勉強になりました。

    中国の雲南省や四川省を旅しているとチベット族の方々の装身具を見ることがありますが、使われている素材が似ていることに気が付きます。ウポポイの「国立アイヌ民族博物館」の1階のシアターで「世界が注目したアイヌの技」を観ましたが、とても勉強になりました。

  • アットゥシを織る女性の姿がありました。ウポポイで聞いた話ですが、植物を採取して織物に仕上げるまでの工程で、糸にするまでが一番大変で、作業の7割以上がここに集中して、織りあげるのはたいして大変ではないそうです。

    アットゥシを織る女性の姿がありました。ウポポイで聞いた話ですが、植物を採取して織物に仕上げるまでの工程で、糸にするまでが一番大変で、作業の7割以上がここに集中して、織りあげるのはたいして大変ではないそうです。

  • 衣類についての展示はバリエーションは多く、衣服に施された刺繍のデザインは見事です。

    衣類についての展示はバリエーションは多く、衣服に施された刺繍のデザインは見事です。

  • 右側にはチェブケリと呼ばれる鮭の皮で造られた靴があります。左にはわらで編まれたホシという脚絆とシトゥケリという草鞋も見えます。

    右側にはチェブケリと呼ばれる鮭の皮で造られた靴があります。左にはわらで編まれたホシという脚絆とシトゥケリという草鞋も見えます。

  • 木工芸品のバリエーションも多く、よく見かける彫刻を施したニイタと呼ばれる盆以外にも丸椀や長椀、筋子をつぶすすじこつぶしという専用の道具まで多岐に渡ります。

    木工芸品のバリエーションも多く、よく見かける彫刻を施したニイタと呼ばれる盆以外にも丸椀や長椀、筋子をつぶすすじこつぶしという専用の道具まで多岐に渡ります。

  • アイヌでは製鉄などは行われなかったようなので、片口の付いた鉄鍋は内地との交易で手に入れたものだと思います。マキリという小刀の柄や鞘はアイヌ独特のデザインが彫刻されていますが、刀身は交易で手に入れたものだと思います。

    アイヌでは製鉄などは行われなかったようなので、片口の付いた鉄鍋は内地との交易で手に入れたものだと思います。マキリという小刀の柄や鞘はアイヌ独特のデザインが彫刻されていますが、刀身は交易で手に入れたものだと思います。

  • 限られた壁面の1スパン毎ですが衣食住と分類されている展示は非常に分かりやすいです。ウポポイの贅沢なスペースに展示されている工芸品より展示されている量は多いのではないかと思うほどです。

    限られた壁面の1スパン毎ですが衣食住と分類されている展示は非常に分かりやすいです。ウポポイの贅沢なスペースに展示されている工芸品より展示されている量は多いのではないかと思うほどです。

  • 子供のころに田舎で見た囲炉裏の自在鉤と同じ機能ですがアイヌの方の炉鉤のデザインは細かい高さ調整がしやすいように思えました。

    子供のころに田舎で見た囲炉裏の自在鉤と同じ機能ですがアイヌの方の炉鉤のデザインは細かい高さ調整がしやすいように思えました。

  • 信仰や儀式に使われる道具の多くが内地で造られたものというのが面白いです。蒔絵を施した椀や湯桶や盃台、錫製のような銚子なども並んでいます。下にはアイヌ独特のデザインのイカヨプと呼ばれる矢筒が並んでいます。この博物館では毒矢についての説明がなかったように思います。

    信仰や儀式に使われる道具の多くが内地で造られたものというのが面白いです。蒔絵を施した椀や湯桶や盃台、錫製のような銚子なども並んでいます。下にはアイヌ独特のデザインのイカヨプと呼ばれる矢筒が並んでいます。この博物館では毒矢についての説明がなかったように思います。

  • シントコは行器(ほかい)とも呼ばれる四角ないしは円い筒形の脚付き容器です。シントコをはじめ、高坏(たかつき)や鉢、そして片口(かたくち)などの漆器類はアイヌの人が本州の和人から交易品や労働の対価として手に入れたものです。アイヌの人はこれらを宝物として扱い、普段の生活では家の東側の奥に位置する神聖な場に富の象徴として飾りました。

    シントコは行器(ほかい)とも呼ばれる四角ないしは円い筒形の脚付き容器です。シントコをはじめ、高坏(たかつき)や鉢、そして片口(かたくち)などの漆器類はアイヌの人が本州の和人から交易品や労働の対価として手に入れたものです。アイヌの人はこれらを宝物として扱い、普段の生活では家の東側の奥に位置する神聖な場に富の象徴として飾りました。

  • イナウ(家を守護するカムイと付属の槍)はカムイや先祖と人間の間を取り持つもの(贈り物・メッセンジャー・神霊の依り代)とされ、しいて言えば神道における御幣に相当するものです。

    イナウ(家を守護するカムイと付属の槍)はカムイや先祖と人間の間を取り持つもの(贈り物・メッセンジャー・神霊の依り代)とされ、しいて言えば神道における御幣に相当するものです。

  • イナウを作るには直径が3センチほどのヤナギやミズキの枝を採集し、大体70センチほどの長さに切ります。そしてきれいに皮を剥ぎ、木肌をあらわにして乾燥させます。充分に原料の枝が乾燥したら、先に木片を刺した小刀を使って木の端の方向に薄く削り、枝の先に木片の房が下がる形にします。

    イナウを作るには直径が3センチほどのヤナギやミズキの枝を採集し、大体70センチほどの長さに切ります。そしてきれいに皮を剥ぎ、木肌をあらわにして乾燥させます。充分に原料の枝が乾燥したら、先に木片を刺した小刀を使って木の端の方向に薄く削り、枝の先に木片の房が下がる形にします。

  • イナウについては先の旅行のウポポイで学んではいましたが、「ヒグマの霊送り」の儀式のイナウは初めて見ました。アイヌの人々は世界には人間が住むこの世と神々が住むあの世があり、神々も人間と同じ姿で同じ生活をしていると考えます。<br />動植物や岩石、湖や沼などの生物や無生物、或いは風や雷などの自然現象や日常使用する器など、地上界に存在する全てのものに魂があり、天上界の神々が姿を変えて現れたものとされます。

    イナウについては先の旅行のウポポイで学んではいましたが、「ヒグマの霊送り」の儀式のイナウは初めて見ました。アイヌの人々は世界には人間が住むこの世と神々が住むあの世があり、神々も人間と同じ姿で同じ生活をしていると考えます。
    動植物や岩石、湖や沼などの生物や無生物、或いは風や雷などの自然現象や日常使用する器など、地上界に存在する全てのものに魂があり、天上界の神々が姿を変えて現れたものとされます。

  • そして、人間に利益をもたらす神々へは感謝の気持ちを表す儀式を行って天上界へ送り返すと、再び姿を変えて地上界へ現れると信じています。特に山の神ヒグマ、沖の神シャチ、村の守り神シマフクロウの霊送りは盛大に行われました。

    そして、人間に利益をもたらす神々へは感謝の気持ちを表す儀式を行って天上界へ送り返すと、再び姿を変えて地上界へ現れると信じています。特に山の神ヒグマ、沖の神シャチ、村の守り神シマフクロウの霊送りは盛大に行われました。

  • 左手に酒を入れた椀を持って、右手でイクパスイを持って先端にお酒をつけて揺らすようにして捧げます。天目台と揃いの椀は江戸か明治の時代に造られた本州からの移入品だと分かります。

    左手に酒を入れた椀を持って、右手でイクパスイを持って先端にお酒をつけて揺らすようにして捧げます。天目台と揃いの椀は江戸か明治の時代に造られた本州からの移入品だと分かります。

  • イクパスイ/イクニシ(酒を捧げる祭具)の名称はイクが「酒を飲む」、パスイが「箸」の意で、日本語では「(カムイに)酒を捧(ささげる)箸」として捧酒箸と訳されるそうです。<br />

    イクパスイ/イクニシ(酒を捧げる祭具)の名称はイクが「酒を飲む」、パスイが「箸」の意で、日本語では「(カムイに)酒を捧(ささげる)箸」として捧酒箸と訳されるそうです。

  • 子供のころに北海道を旅した叔母から彫刻の美しいペーパーナイフをいただいたのですが、いつの頃か失ってしまいました。現在は質の良い工芸品はとても高価なので大切に持っていればよかったと後悔しています。

    子供のころに北海道を旅した叔母から彫刻の美しいペーパーナイフをいただいたのですが、いつの頃か失ってしまいました。現在は質の良い工芸品はとても高価なので大切に持っていればよかったと後悔しています。

  • 刀の鍔はセッパと呼ばれ、金属製品を作らなかったアイヌの人々は内地からもたらされる刀剣類を古くから愛好し、部品の一つ一つまで宝物として珍重してきました。男性の儀礼用の刀のほか、女性の首飾りの部分としても使われました。

    刀の鍔はセッパと呼ばれ、金属製品を作らなかったアイヌの人々は内地からもたらされる刀剣類を古くから愛好し、部品の一つ一つまで宝物として珍重してきました。男性の儀礼用の刀のほか、女性の首飾りの部分としても使われました。

  • アイヌの文化のコーナーにはモニターが置かれ、舞踊の映像が流れていました。重ね重ね阿寒湖のシアターイコロがコロナ禍で休業しているのが残念です。もう一度鶴の舞が見たかったです。

    アイヌの文化のコーナーにはモニターが置かれ、舞踊の映像が流れていました。重ね重ね阿寒湖のシアターイコロがコロナ禍で休業しているのが残念です。もう一度鶴の舞が見たかったです。

  • こののちの8日間ではタンチョウの姿を何度も見ることが出来ました。雪原に舞う鶴の姿を見たいと思ったので、もう一度冬に来なければと思いました。市立博物館の見学を終え、私立病院の前のバス停に急いだのですが、タッチの差でバスは目の前を通過してしまいました。祈る気持ちで市立病院の入り口に向かうとタクシーが1台停まっていたのでホテルまで送ってもらいました。

    こののちの8日間ではタンチョウの姿を何度も見ることが出来ました。雪原に舞う鶴の姿を見たいと思ったので、もう一度冬に来なければと思いました。市立博物館の見学を終え、私立病院の前のバス停に急いだのですが、タッチの差でバスは目の前を通過してしまいました。祈る気持ちで市立病院の入り口に向かうとタクシーが1台停まっていたのでホテルまで送ってもらいました。

  • ホテルでゆっくりして夕方になって食事に出かけました。もたもたしていたら午後6時前になってしまいました。

    ホテルでゆっくりして夕方になって食事に出かけました。もたもたしていたら午後6時前になってしまいました。

  • 釧路に来てロシアのサンクトペテルブルグを感じた1つの理由として、このクラウンプラザホテルがあります。市内から17キロ離れたプルコヴォ空港の近くにクラウンプラザホテルがあり、ここに3泊したことがあります。同じ系列のホテルなので建物のデザインが似ています。毎晩夜中まで遊んでタクシーを飛ばしてホテルへ戻ったことを懐かしく思い出します。

    釧路に来てロシアのサンクトペテルブルグを感じた1つの理由として、このクラウンプラザホテルがあります。市内から17キロ離れたプルコヴォ空港の近くにクラウンプラザホテルがあり、ここに3泊したことがあります。同じ系列のホテルなので建物のデザインが似ています。毎晩夜中まで遊んでタクシーを飛ばしてホテルへ戻ったことを懐かしく思い出します。

  • 弊舞橋の施設や官設鉄道の開通に伴い、物流拠点となった釧路川沿岸には煉瓦倉庫群などが建設され始めます。旧ヤマイチ本山商店倉庫もその1つで、塩や米・や穀などの保存に利用されていました。<br />

    弊舞橋の施設や官設鉄道の開通に伴い、物流拠点となった釧路川沿岸には煉瓦倉庫群などが建設され始めます。旧ヤマイチ本山商店倉庫もその1つで、塩や米・や穀などの保存に利用されていました。

  • 平成11年の1999年に釧路の老舗水産会社であるマルア阿部商店がこの建物を活用保存して「ろばた煉瓦」という炭火焼レストランを出店しています。釧路2晩めはここで晩御飯にします。

    平成11年の1999年に釧路の老舗水産会社であるマルア阿部商店がこの建物を活用保存して「ろばた煉瓦」という炭火焼レストランを出店しています。釧路2晩めはここで晩御飯にします。

  • 少し出遅れたので席は満席になっていました。待合室はレトロな雰囲気なので、夜景モードで写真を撮ってみました。

    少し出遅れたので席は満席になっていました。待合室はレトロな雰囲気なので、夜景モードで写真を撮ってみました。

  • 懐かしいアンクルトリスグッズが並んでいます。1958年当時「寿屋」に在籍していた柳原良平によってアンクルトリスは生まれています。寿屋は現在はサントリーになっていますが、叔母たちと話をすると今でも寿屋と呼ぶほどポピュラーな名前だったのだと思います。この当時のコピーライターは開高健でCMプランナーは酒井睦雄という時代です。

    懐かしいアンクルトリスグッズが並んでいます。1958年当時「寿屋」に在籍していた柳原良平によってアンクルトリスは生まれています。寿屋は現在はサントリーになっていますが、叔母たちと話をすると今でも寿屋と呼ぶほどポピュラーな名前だったのだと思います。この当時のコピーライターは開高健でCMプランナーは酒井睦雄という時代です。

  • 柳原良平は海運会社専属の画家を目指すが日本にはそのような職がなく、あきらめて寿屋に入社したほどの無類の船好きだったそうです。太平洋フェリーの「きそ」には巨大なイラストが飾られていました。

    柳原良平は海運会社専属の画家を目指すが日本にはそのような職がなく、あきらめて寿屋に入社したほどの無類の船好きだったそうです。太平洋フェリーの「きそ」には巨大なイラストが飾られていました。

  • まずは大きなつぶ貝の刺身からいただきます。コリコリとした食感で甘味がありとても美味しいです。後日つぶ焼きで有名なかど屋に2回通い、焼いているおばさんにした処理の方法などを教えてもらいました。つぶ貝には「脂」と呼ばれる唾液線があって、この部分にはテトラミンという毒素がある場合もあるそうです。釧路にはその脂取り専門の職業があるそうです。

    まずは大きなつぶ貝の刺身からいただきます。コリコリとした食感で甘味がありとても美味しいです。後日つぶ焼きで有名なかど屋に2回通い、焼いているおばさんにした処理の方法などを教えてもらいました。つぶ貝には「脂」と呼ばれる唾液線があって、この部分にはテトラミンという毒素がある場合もあるそうです。釧路にはその脂取り専門の職業があるそうです。

  • 本物のシシャモのオスとメスと北寄貝と柳カレイを焼きましたが、北寄貝の甘さには驚きました。やはり東京で食べるのとは違います。あまりのおいしさが忘れられずに後日炉端焼き発祥の「炉ばた」でも焼いてもらいました。また、今回の旅でシシャモが鮭のように河川を遡上すると知りました。

    本物のシシャモのオスとメスと北寄貝と柳カレイを焼きましたが、北寄貝の甘さには驚きました。やはり東京で食べるのとは違います。あまりのおいしさが忘れられずに後日炉端焼き発祥の「炉ばた」でも焼いてもらいました。また、今回の旅でシシャモが鮭のように河川を遡上すると知りました。

  • 魚や貝が焼ける間に食べたするめの天ぷらもおいしかったです。途中から釧路の福司の生冷酒に変えました。福司はいろいろの見比べなしたがどれもおいしいのでお土産にしました。

    魚や貝が焼ける間に食べたするめの天ぷらもおいしかったです。途中から釧路の福司の生冷酒に変えました。福司はいろいろの見比べなしたがどれもおいしいのでお土産にしました。

  • 妻のしめは醤油いくら丼です。小ぶりの丼にイクラの醬油漬けがたっぷり乗っています。毎年北海道の弟が送ってくれる筋子から醤油漬けを作っているので美味しさはよく知っています。

    妻のしめは醤油いくら丼です。小ぶりの丼にイクラの醬油漬けがたっぷり乗っています。毎年北海道の弟が送ってくれる筋子から醤油漬けを作っているので美味しさはよく知っています。

  • こちらはサーモンとイクラの醤油漬けと帆立の丼です。これもおいしかったです。

    こちらはサーモンとイクラの醤油漬けと帆立の丼です。これもおいしかったです。

  • 大満足の晩御飯でしたが、海鮮丼を2つも食べてしまったので8,000円くらいでした。前の晩の岸壁の炉端は6,000円と釧路の食事は東京に比べると安いです。ただ緊急事態宣言中なので、アルコール提供は午後7時までで、午後8時には閉店なのがちょっと残根です。

    大満足の晩御飯でしたが、海鮮丼を2つも食べてしまったので8,000円くらいでした。前の晩の岸壁の炉端は6,000円と釧路の食事は東京に比べると安いです。ただ緊急事態宣言中なので、アルコール提供は午後7時までで、午後8時には閉店なのがちょっと残根です。

  • ホテルに戻りがてらにレンガ造りの倉庫の建物もしっかり見ていきます。

    ホテルに戻りがてらにレンガ造りの倉庫の建物もしっかり見ていきます。

  • この周辺には使われないままに残されたレンガ倉庫が何棟もあるのですが、もったいないような気持ちもしますが町中は寂れているので仕方ないのかもしれません。

    この周辺には使われないままに残されたレンガ倉庫が何棟もあるのですが、もったいないような気持ちもしますが町中は寂れているので仕方ないのかもしれません。

  • 毎晩こんな暗い道を歩いて晩御飯を食べていました。ただ時間は午後8時過ぎで毎晩ホテルに戻ってからの時間が長かったです。

    毎晩こんな暗い道を歩いて晩御飯を食べていました。ただ時間は午後8時過ぎで毎晩ホテルに戻ってからの時間が長かったです。

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2021道東10日間の旅

この旅行記へのコメント (2)

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  • ateruiさん 2021/09/26 00:15:34
    すばらしい
    釧路の夜 素晴らしいですね

    kojikojiさん いらんからぷてぇ
    釧路の夜 いいですね

    煉瓦 良いところですね 
    私がよく泊まる ゲストハウスで 話には聞いていたんですが
    素晴らしいところですね

    イクラやほて手の貝柱の丼も見事ですね 

    kojjikojiさん いやいらいけれ aterui

    kojikoji

    kojikojiさん からの返信 2021/09/26 01:18:15
    Re: すばらしい
    ateruiさん
    旅行記にお立ち寄りいただきありがとうございます。ガイドブックの受け売りみたいな有名なお店ばかり食べ歩いていましたが、新しいお店を探そうにもコロナ禍で多くの店は閉まったままの釧路でした。でもどのお店もおいしくて食の面でも大満足の旅でした。またお時間がありましたらお立ち寄りください。長い旅行記になりそうなので、時間がかかりますがこうやってコメントいただけると頑張れます。ありがとうございます。
    kojikoji

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