2017/04/25 - 2017/07/19
325位(同エリア514件中)
おくさん
銀の道12(銀の道最終回)
銀の道50 Lalin - Bandeira 未来型アルベルゲ
6月15日
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- エティハド航空
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水を入れたカップを電子レンジに入れてスープを作り、昨日バルで買ってきたミニカステラ2個と持ち歩いていたパプリカで簡単に朝飯。7時35にアルベルゲを出発。もう殆どの人が出た後だ。出ようとしたら玄関が開かない。防犯のためにときどきこういうタイプがあるのだが、朝はどこから出るのか聞いてなかったので下を探して見たり上に行ったりウロウロと探し回ったら、2階のドアが開いていて、外の物干し場から一段上がった本当の外に出られるのを発見する。こういうアルベルゲでは、普通は1階の裏口などから出られるようになっているのだが、二階から出るなんて今回はかなり特殊なケースだ。
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昨日このアルベルゲを見つけられないで通り過ぎてしまい戻るのに利用した舗装路を20分歩き、昨日引き返し始めた地点からカミーノに入る。ここ説明分かりずらい?昨日二度利用したバルの前の道ですが。
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賑やかな道路標識が現れた。読んでみたら全部が馴染みのある地名じゃないか。Ourenseは楽しい思い出が残る温泉の町。Lugoはこの後に歩くプリミティボの道にある城壁の町で、ずっと山岳地帯を歩くプリミティボの道もルーゴまで到達すれば山越えは終わりという情報を持っている。Caldas de Reisは昨年泊まったポルトガルの道にある町でアルベルゲはボロだが居心地は良かった。Santiagoは言わずと知れた全ての道のゴール。
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昨日、村に戻るときに巡礼路と幹線道路とが交わる所の目印と覚えて置いたガソリンスタンドが現れたので、そこから左に向かう路地に入って無事に巡礼路に復帰できる。この同じ道を歩くかどうか分からなかったが目印を覚えて置いて良かった。
山の中に入ってきて暫く歩いて行くとローマ時代と思われるような古い石橋が現れた(最初の写真です)。本当に銀の道(もうサナブレスの道だけど)ってこういう古い遺跡があちこちにあるなぁ。一見するとローマ時代と思いそうだが、なんの案内板もないのでそれ程じゃないのかな?何しろ古いと言う事だけは感じられる。
9時45、Silledaの大きな町に入ってきた。朝飯がロクなもんじゃなかったからこの町で何か食べておきたい。なんて思いながら歩いていたら町外れまで来てしまった。スペインは町や村を通り過ぎてしまうと嘘みたいに何にもなくなってしまうので食いっぱぐれる可能性が高い。腹ペコで歩くのは辛いので、これには若干焦る。これは不味いなと思っていたら、町を抜ける分岐に差し掛かったら運良く通りの反対側にバルを発見。まだ明かりも点いてないし、やってないかとドアに手を掛けたら開いたので、中にいたセニョーラに尋ねたところオーケーしてくれた。コラカオを頼み、ガラスケースの中のカステラも頼む。本当は実力のあるボカディージョが食べたかったが開店前のようなので贅沢は言えなそうだ。カステラでも食べられないよりマシなので指さしでお願いする。支払いになったらコラカオ1.2ユーロでカステラはサービスだった。セニョーラはケバイ見た目と違って優しい人だった。出る時にはブエンカミーノと声まで掛けてくれる。ムチャグラシアス。 -
野を越え山を越え目的の町Bandeiraに入ってきた。さてアルベルゲはどこかなとキョロキョロしながら歩いていると、道端のテラス席でギャエレ、ルアンにリリアンの3人組がお茶してるのを見つける。これで自分でアルベルゲを見つける面倒がなくなったので気楽モードになる。時間も早いことだし、私も一緒になって長い時間ここでのんびり寛がせてもらう。バルの支払いはみんなの分も出したる。でも全部でも5ユーロ弱と安かった。
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アルベルゲのオープンは大体どこも13時だ。12時45になったのでぞろぞろと移動を始める。途中にスーパーマーケットのDiaを見つけたのでいつものように買い物しにゾロゾロと入っていく。ヨーグルト4、袋入りカット野菜、たまには発泡ワインのカバを買ってみよう。ペーストチーズ(これは旨かった)、パン、1リットルオレンジジュース、ビスケット、チョリソー、さくらんぼで10ユーロオーバーの大量買い。ギャエレは二人分なので25ユーロも買ってカードで支払っていた。リリアンまで11ユーロと全員が大量に買い込んだ。
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アルベルゲは滅多に見ないタイプ、と言うか、こんなアルベルゲ初めて見た。管理棟、宿泊棟、シャワー・トイレ、キッチン・食堂などが四角いキューブ型の建物に分散してありそれらが高床式でひとつのフェンスの中に納まっている。色も青とグレーのツートンで統一されており未来型のアルベルゲという感じだ。とても綺麗だし清潔感もある。
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ドイツのヨセフ、インゲ夫婦が先に到着していたが、ここには泊まらずに一休みしたら1km先にあるCasa Leirasまで行くそうだ。そこは10ベッドで12ユーロとのこと、ここの倍だ。ここも凄く良いアルベルゲと思うけど、もしかして予約済なのかも知れないな。Casaは私がほんのり憧れている宿なので、サンチャゴが近いこともあるので少し贅沢するのかな?
シャワーのあと洗濯場に行ったら洗剤が置いてあったので遠慮なく使わせてもらおう。固形石鹸1個で洗濯も賄っているので洗濯洗剤があると泡がいっぱい出て嬉しい。 -
みんなで昼飯を食べることにする。広くて奇麗な食堂の中でそれぞれ買ってきたものを上げたり貰ったり、まるで小学校の遠足みたいだ。私がカバを抜いたらギャエレが「今日は誕生日か?」とギャグを飛ばしてきた。ルアンは酒は飲まないがカバなら甘くないサイダーみたいなモンなので飲むようだ。ルアンが割ったチョコレートをくれたが、むき出しのチョコをテーブルに直に置くあたり日本と本当に違う。さすがバゲットパンを剥き出しのまま持ち歩くフランス人。
リリアンは1947年生まれだった。私より3歳お姉さんか、体も小さいのに凄いパワーを感じる。ギャエレとルアンの関係は未だに不明だが住んでる所は離れているのだけは分かった。ギャエレはフランス・スペイン国境の町ハカの近くだった。そこはフランスからのサンチャゴ巡礼路で有名なピレネーの町だ。ルアンとリリアンはパリの近くらしい。前にギャエレには和風マリアカードを上げていたので、リリアンとルアンにもマリアカードを上げる。もうお別れが近づいてるので。 -
夕飯は中庭タイプのテラスでまた4人で食べる。各自残っている食べ物を出し合うが、殆どがギャエレ達の物だったので、どこかで恩返しがしたいな。今頃になってスイス人男性がチェックインしてきたので、この36ベッドもある立派なアルベルゲなのに、やっと宿泊が5人になった。オスピタレラのお姉さんも張り合いがないだろな。ずっとレセプションに詰めているお姉さんにカップに入れたさくらんぼをプレゼントする。
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高床式になっているアルベルゲの外は金網フェンスになっていて、その下に近所の鶏がいるので、ルアンが食べ物を撒いたら沢山集まってきた。面白がって何度も上げてたら益々ヒートアップしてきたので頃合いを見て終了にしてた。
銀の道51 Bandeira - Outeiro レストランで初ディナー
6月16日
アルベルゲで朝飯を食べて8時に出発。全員並んでは歩かないが、遠くに見える程度の距離を取ってはいるから、まったく単独よりは安心できるし心強い。男の私でもそう思うんだから、女性ソロのリリアンはメンタルが強いんだろなと想像する。薄暗い道を歩いたり舗装路を歩いたりしながら黙々と進んでいく。 -
途中にあった枯れる一歩手前の木には沢山のカードや花が供えてあった。ここで誰かが亡くなったようだが肝心の墓標がなかった。上の方にはプラスチックの覆いがあり、その中にマリア様の小さな像やロザリオが供えてあった。どういういわれがあるのか知りたい所だが、分かりようがないので残念。でもきっと誰かの墓標だろうな。
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山を抜けたところの村にバルがあった。今日初めてのバルだし休むにも手ごろな時間を歩いてきたのでみんなで寄っていく。バルの犬なのか、真黒な中型犬がルアンに妙に愛想よくしている。ルアンは犬が好きらしく、テーブル下に寝転んだ犬の腹を盛んになぜている。ここはリリアンが奢ってくれた。
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次の町はそこそこの大きさだった。今日の目的地までは残り数キロかな。その次の村に目指すアルベルゲがあるのだが、そこは店がないのが分かっているのでこの町で買い出ししておこう。ギャエレもその積もりのようで二人でスーパーDiaに入っていく。みんなに上げようと思って大量のカステラ、バナナ2、ポテチ、アスパラ缶に缶ビールで5ユーロちょっと。レジに並んでいたら買い物カートを押した地元の婦人が私に対して強い口調で何か文句を言っている。通るのに邪魔だとでも言っているようだ。婦人の後ろに並んでいたギャエレがカチンと来たのが顔つきから分かった。ギャエレがそのおばさんにスペイン語で何か言ったら掌を返したように優しくなった。ハポンと言う単語だけは聞き取れたが後はなんと言ったんだろう?
先に会計を終わった私はスーパー入り口のベンチに座って今買った缶ビールを飲みだす。缶ビールをゆすりながら歩けないし折角冷たいのが温まっちゃうから。ギャエレも会計が終わって出てきたので、飲む?と勧めてみたがノグラシアスだった。ま、飲みかけを勧めたんだから当たり前か。 -
12時50、オウテイロのアルベルゲに到着する。昨日と同じように近代的でベッドの感覚もゆったりと広く作られたアルベルゲだ。先着に一人男性がいただけで、我々はその次だった。ここは13時オープンだが鍵は掛ってなかったので入ることができた。暑い中の歩行なので少し疲れたが元気に歩きとおせたので良かった。
シャワー、洗濯後、寛ぎスペースで買ってきた物でお昼にする。ルアンが牛乳をくれたので飲んでみるが、日本のと同じ味がしたので何だかほっとするものがある。ビールやワインと違って牛乳の1リットルは飲みきれないので買うことがない。なので飲むのは久しぶりだ。スペインの牛乳も日本と変わらないんだなと思った。
オスピタレラは4時ころやってきた。公営なので今日も6ユーロ。大きなアルベルゲだが残念なのは周りに店もバルもないこと。でも少し歩いた所にレストランがあると教えて貰ったので、夕飯は皆でそこに行くことになった。7時にホテルのレストラン目指して歩き出す。店で食事することはあっても、ほぼ間違いなくバルで食べていたので、ホテルのレストランなんて初めてだ。うんと高いのかな?ちょっと緊張する。こんな格好でもいいのかな? -
着いたホテルは山の中なのでシティーホテルと言う訳には行かなくて小さなホテルだった。ホテルと名の付くものに入るのは1ヶ月以上前に泊めて貰ったサラマンカ以来だ。ホテル付属のレストランはバルのあんちゃんくらいなので緊張する程のものでもなかった。メニューの中に馴染みのプルポ(蛸)があったのでそれと白ワイン、デザートはエラード(アイス)にしてみた。4人全員用に1皿のピニエント・デ・パドロンをギャエレが注文してくれ。これは私の好物で、小さなピーマンの素揚げに岩塩をまぶしたものだ。素朴でとても美味い。ギャエレとリリアンは今日も赤ワインでルアンは今日もコーラ。いつもみんな飲む物が決まっている。
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さて食べ終わってからの肝心の料金の方は割る4で支払いは一人21ユーロだった。ホテルのレストランなので、これでも安い方かも知らないが、一日の目標経費20ユーロを一食で軽く越えてしまったよ。バルで同程度の料理を食べても完全に半額で済む。やっぱりバルの定食って安いんだなぁ。他のみんなはこの高額にビビらないのかな?私は震えが来ちゃうよ。
隣のテーブルには12人ほどの大所帯がコース料理を食べだした。見ると全員が同じシャツを着ていて、Camino de Santiagoの文字が縫い付けてあるので、なんだろな?ホテルに泊まっている団体の巡礼かな。一般的に巡礼同士はフレンドリーなので初対面でも話しかけたりするのだが、このグループは私たちにはまったく興味を示さないのでこちらからも話しかけることはしなかった。グループあるある。
私たちの他に一人の男性巡礼もアルベルゲから一緒に着いてきたが、この人はレストランには入らずに外のテラスでビールを飲んでいたな。帰りも一緒に帰ってきたので、帰り道が分からなかったのか? -
薄暗くなった道をアルベルゲまでペタペタと帰る。明日はとうとうサンティアゴに到着する日だ。それでなのか、何と早朝5時スタートに決まったので今晩の内にできることをやっておく。パッキングはできる限り進めておいてヘッドランプの用意もオーケー。みんなの朝食用に買っておいたカステラを今晩の内にデサジュノだよと念を押して全員に配っておく。でないとまた遠慮されるから。10時を回ったがまだ明るい。巡礼は寝るのが早いので、明るくても構わず寝る。
銀の道52 Outeiro - Santiago サンティアゴ到着 -
6月17日
昨晩は「明日は5時に出発してコンポステラには9時に着こう」なんて話してたので簡単に寝られるように数少ない睡眠導入剤のお世話になった。良く寝られ過ぎて目が覚めたのが5時。すでにギャエレとルアンは出発した後だった。幸いリリアンおばちゃんが私と同じタイミングで動き出したので連れ立って6時に出発。二人ともヘッドランプで照らしながらのスタートとなった。リリアンおばちゃんはこんな道を一人で歩くこともあるだろうに、良く怖くないな。もういつ死んでもいいなんて思わなくちゃやってらんないだろう。 -
サンチャゴが近くなったところで一人旅になってしまう。ま、いつものことだ。やがて山の間からサンチャゴらしき町並みが見えてくるが、サンチャゴだとしてもまだ町の端っこだろう。大きな町は見えてから1時間2時間かかるのは普通だ。町の入口に入って来ると、数年前に列車事故があって多くの人が亡くなった陸橋に差し掛かる。あ、ここだったんか!橋には沢山の品々が結わえ付けてあったのですぐ分かった。事故では巡礼から国に戻る人たちも亡くなったと言うことだ。渡り終えた所には慰霊なのか、十字架が立っていた。
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やがて見覚えのある通りが現れてきた。銀の道がサンチャゴ市内へはどこから入ってくるのかとても興味があったが、ポルトガルの道からの進入路と同じようだった。だがこれは私の勘違いで、市内で道に迷ったこともあって結果的にフランス人の道からの進入路とごっちゃになったらしい。後程調べたら、銀の道からサンチャゴへの進入路は唯一のものだった。まぁ市内に来てしまえば何となく歩いているだけでカテドラルへは着いてしまうので間違っても大事になることはない。
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何度も買物したことのあるパン屋の横を通ってカテドラルへの坂道を登っていく。このパン屋さんは日曜日もやってるしシエスタ中も開いているので節約巡礼者の強い味方だ。
カテドラル到着も一人だった。相変わらず感動のカの字もない。さっさと巡礼事務所へ向かうことにする。事務所に入るには防犯のためか、入口のガードマンからクレデンシャル(スタンプ帳)の提示を良く要求されるが、今日は混み合っているので省略しているようだ。さすがスペイン、混んでる時こそ危険が潜んでるんじゃないのかね? -
巡礼証明書をもらう人の列がこれでもかと続いていて廊下をグルッと回って外まで伸びている。その中にドイツのヨセフとインゲ夫婦の顔もあって再会を喜び合う。私が並ぶとその後ろにも続々と到着した巡礼が並びだして、あっという間に数十人が後に付いた。
無料で発行されるコンポステラーノの他に、初めて距離証明書3ユーロも貰ってみる。今までで一番遠くから歩き始めたので記念だ。係の人は銀の道が何キロあるのか分からないようで、隣の係に聞いてからSevillaから1,007kmと記入してくれた。しかし折角もらった距離証明書だが、これは数日後には残念なことになってしまうのだがちょん。
ここには同じ建物の中に国鉄RenfeとALSAバスの出張所がある。明後日はオビエドにバス移動してプリミティボの道を歩き始めるのでアルサのバスチケットを買っておく。オビエドへは列車でも行くことが出来るが、それだと乗換えが入るので却下。バスなら乗り換えなしでオビエドに行くことができる。しかも列車より安いのでバス一択だ。これも日本にいる間にさんざ調べ倒しての結論だ。備えあれば憂いなし。備えが足りなくて憂えることは道中いっぱいあるけど。
11時40分に発行してもらえたので、12時からのパラドールのタダ飯にあり付けるかと急いで行ってみるが今日は誰も待ってなかった。あれ?ばかに空いてるなぁと思いながら時間まで待ってみるが一向に誰もやってこない。ギャエレ達とはここで待ち合わせすることになってたんじゃなかったかな?私の勘違いだったのか?時間を過ぎるとパラドールの人が外からチラッとこちらを覗いてみるが、何も言わずに行ってしまった。今日は一人だけだから中止になった!?訳が分からないが無いらしいのだけは分かったのでスゴスゴと退散する。仕方ないからカテドラルのミサに参加するか(こら)。バチが当たってミサには入場制限が掛かったので入れなかった。
※お役立ち情報
カテドラルのペレグリノ(巡礼)ミサは12時からですが、1時間前に入ることをお勧めします。それでやっと座れるくらいで30分前の入場だと満席の可能性大です。さらに、入場者数が定員(人数は適当だが目視でいっぱいになる)に達すると入場制限がかかり入ることが出来ません。中を見たくてもみんな入り口の通路に並んでミサが終わるまで待ちぼうけです。
余りに暑いので巡礼事務所に戻って自販機から1ユーロのコーラを買って飲み、エネルギーをチャージしてからクソ暑い中をメノールへと移動する。買物する元気なし。メノールの一番良いところはWi-Fiが誰でも快適に使えるところだ。受付では2泊するので26ユーロのお支払い。去年より1ユーロ上がってんじゃん。指定されたベッドへ行ってみると昨年までは軍隊が使うような毛布だったのがお洒落な薄掛け布団に替わっていた。値上げの原因はこれか! -
ギャエレ、ルアン、リリアンも無事にメノールにチェックイン出来ていた。夕方にみんなでカテドラルのある旧市街に繰り出す。カテドラル近くは多くの人たちで賑わっていた。道端のテーブル席に陣取るが、微妙に坂になっているのが気になる。私は大ジョッキ、ルアンは珍しくビールの小ジョッキを飲んでるな。ギャエレは今日もティント・デ・デラードでリリアンは何を飲んでたかな?
サンチャゴ到達祝いにここは私が奢ったる。ギャエレがテンションが上がっているのか、いつにもまして絶好調のようだ。最初の頃に見たあの怖い顔は何処に行ったんだろう。ルアンがカメラを貸してと言うので渡すと、私を始めみんなを盛んに撮ってくれる。これも意外性があって後で見ると楽しい。
あれ?テーブルから少し離れた通りを見覚えのある人が歩いているのが目に入る。昨年、北の道で仲良くなったセルジオに似ているので大きな声で「セルジオーッ」と2回呼びかけたが無反応で行ってしまった。髭ボーボーはあちこちに居るので見間違いだったのかなぁ?セルジオはイタリアから海路を挟んでスペインに上陸。バルセロナからサンチャゴを目指して歩き続けているのをセルジオのフェイスブックで知っている。時期的には私とここで会っても不思議ではないが、まっさかなー。
店を換えて夕飯を食べに行こう。昨年、イギリス人の道を一緒に歩いたスペイン家族に誘われて行ったはいいが満席で入れなかったレストランに行く。一年越しのリベンジだ。 -
今回は運良く入れたが、いつ来ても大混雑の人気店だ。定食はどれも10ユーロだったかな。私はサラダと豚肉のソテーにデザートにはアイスを頼む。出てきた肉は骨付きの馬鹿でかいものだったのでビックリする。皿が大きいので差ほど大きくは見えないだろうが、実物はびっくりするほど大きいのです。こんな肉の塊見たこと無い。とてもじゃないが食べ切れないので店の人に手まねでドギーバッグをお願いする。ドギーバッグでお持ち帰りするなんて生まれて初めてなので何となくパックに詰めていたら、リリアンが蓋をしたら回りのアルミを手で織り込むことを教えてくれる。なるほど、こうすりゃ中の物がこぼれない様になっているのか、初めて知ったよ。て言うかドギーバッグ自体初めてだし。
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アハハと楽しくやっていたら誰かが隣にやって来てニコニコと話しかけてきた。オーッ、タバラの良いベルゲで一緒だったイギリス人じゃないか。えーと、この人は何ドラゴンと言ってたっけなと思い出そうとするも、イギリスでスコットランドやアイルランドという名前はすぐ出ても、ウェールズが思い出せなかったので「ドラゴンドラゴン」とだけ言って再会を喜び合う。およそ17日振りの再会だった。近くのテーブルではもう一人の大人しい方のイギリス人も食事をしていたので二人の所に行って写真を撮らせてもらう。彼らは足が速いので、もっと早くにサンチャゴ到着してたかと思っていたが再会できて良かった。先に食べ終わった彼らとは固い握手をしてお別れする。
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その後、路上のコンサートを幾つか見たりしていたら、ドイツの夫婦と再会したので一緒に記念写真を撮る。知らない女性巡礼が二人いたな。ドイツ夫婦の友達かな。
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教会でシスター達が歌う綺麗な歌声を聴いたりしながらメノールへ戻る。門の前まで行ったらバックパックを背負ったカップルが出てきたので「コンプリート?」と聞いたらそうだって。200人以上が泊まれるメノールでも満員になることがあるんだな。10時過ぎの到着だとこんな憂き目に遭うのか。でもサンチャゴには私営のアルベルゲがいっぱいあるしオスタルもホテルもあるんだから別の宿が必ず見つかるだろう。今日のメノールには40人程の子供の団体が入ってたのでそれでかな。
※お役立ち情報
アルベルゲ・メノールはサンティアゴで人気の宿です。ここは公営には珍しく予約が可能です。予約が取れなくても飛び込み用の枠が沢山あるので、遅い時間でなければほぼ泊まれると思います。サンチャゴで帰りの日程調整する人がいっぱいいるので、ここは公営だけど3泊まで連泊可能です(確かそう)。 -
Wi-Fiがある所でセルジオのフェイスブックをチェックしたら、私たちが見ていた路上コンサートの模様がアップされていた。えっ、じゃぁやっぱりあれはセルジオだったのか!グーグル翻訳でイタリア語にしてセルジオに送ったらやっぱりそのようだ。返信には、明日の巡礼のためのミサに行くのかと書かれていたので、あした運が良ければ会えるかも知れない。
銀の道53 Santiago カミーノマジック四たび
6月18日
メノールのアルベルゲの朝。ゴールのサンチャゴなので7時を過ぎたがまだみんな寝ている。0階のキッチンへ降りていってWi-Fiがある内に明日からのプリミティボの道の情報を出来るだけ収集する。備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖、先んずれば人を制す(これは違うか)。冷蔵庫に入れておいた、昨日食べきれずに持ち帰った豚肉ソテーをチンして暖め、カステラ、それにコーヒーで朝飯。レストランからの肉が入っただけでとても豪華な朝食に感じるし、朝飯に肉を食べるのって今までであったかな。インスタントでもコーヒーを飲むと凄く気分が落ち着く効果があるので満ちたりた気分にさせてくれる。
ベッドルームへ戻る階段の途中で韓国のユーサンとバッタリ再会する。ユーサンとは銀の道のアルベルゲ・カルメンで一緒になった男性だ。再会するのは何日ぶりだろう?1ヵ月?もっとかな。ユーサンは足が速いので、4日前にサンチャゴに到着して、既にフィステラ・ムシアも回って、これからパリ経由で韓国に帰るそうだ。ユーサンは日本語を少し話せるので喋っていて楽しい。最後に会えて良かった。ここメノールには韓国人が何人もいるが日本人にはまだ54日間一人も会ってないので、そろそろ日本語で喋ってみたい。
リリアンが12時のミサには巡礼がどのくらい来るのかと聞いてきたので、グーグル翻訳を使って11時には殆ど席が埋まるので10時半ならOKと教えたる。足を痛めてタクシーを使ったイタリアのロリーおばさんが声を掛けてきた。ロリーは銀の道で置き忘れたと思ったサンダルを届けて上げた女性の相棒だ。もう一人の婦人と比べてかなりアクが強い。イタリア人は相手がイタリア語が分かろうと分かるまいと一方的にイタリア語で話しかけてくるのが特徴だ。男性だけかと思っていたが、女性も同じだったんだな。翻訳を使って今日のミサでイタリアのセルジオに会える可能性があるとか、イタリアのレンソに会った時のことを伝えてあげる。ロリーの足は治ったそうなので良かった。 -
メノールの玄関では昨日から泊まっているガールスカウトの子供たちがゲームに興じている。子供はいつ見ても可愛い。リーダーの女性に、娘はずっとガールスカウトで息子はビーバーから始めてカブスカウト、ボーイスカウトまで長いことやっていたことを何となく伝えてみる。
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ペレグリノミサには早いが10時前にオブラドイロ広場に行ってみたが人が少ないのでカテドラルに入ってみたら既にミサが始まっているようだ。広場の人が少なかったのはこれか。12時のペレグリノミサの前にミサがあったのかな。折角なので与ってしまおう。席も殆ど埋まっているので最後列の席に座ってみる。変な時間なのでミサでなく祝別式かとも思ったが本物のミサだった。おまけに最後にはボタフメイロのぐるんぐるん迄あったので瓢箪からコマの気分だった。思いがけずに見られて良かった。
セルジオが居ないかなーとキョロキョロ探しながら外へ出て、オブラドイロ広場へ向かうところにセルジオに似た男が石の上に座って何かやっているのが目に留まる。セルジオ?と二度呼びかけてみるも反応がない。発音が違うのか気がつかないのか。だが目の前に立っている私に気づいて顔を上げたらやっぱりセルジオだった!!オーッセルジオーッ、ハグして再会を喜び合う。 -
昨年の話だが、セルジオとレンソとは北の道にあるビルバオのアルベルゲで一緒にご飯を食べた頃から仲良くなって、その前から顔見知りにはなっていた。翌日5人で一緒に歩き始めたが途中からセルジオだけ行方不明になって、一緒に歩いていたレンソやドイツのヤナと騒いだ思い出がある。更に一か月ほど後になってから再会でき、帰国後にドイツのヤナ経由でフェイスブックでも繋がれたと言う縁の深い男だ。
互いのカメラの他に、セルジオはスマホでも撮っているので私のフェイスブックにアップしてくれと頼むも、セルジオには通じなくて自分のとこだけアップして長々とイタリア語で投稿もしている。しょうがないからメノールに戻ったら自分のフェイスブックにセルジオがアップしたのをシェアしちゃおう。メノールに帰ってから早速セルジオのフェイスブックにアクセスしたら、写真を見た人が、「二人は似ている」や「ミフネに似ている」とイタリア語でコメントしていた。似ているのは髭だらけだからだろう。勿論、そのイタリア語も翻訳で分かっただけ。
私の隣でレンソに電話しているらしく、ときどき私の名前が聞こえてくる。昨年の北の道で仲良くなったセルジオとレンソの二人と再会できたのさえ不思議だったが、二人は今年別の道を別の日程で歩いていたのに、両方に再会できてしまったのは本当に不思議と言うほかない。カミーノマジックここに極まれりと言うところだろう。
セルジオはイタリア語しか話さないし、Wi-Fiが無いので翻訳も使えない。スペイン語とイタリア語は従兄同士なので、知っているスペイン語の中から単語を拾って会話を続ける。それによるとレンソは既にトリノに戻って居るそうだ。銀の道を踏破してもうイタリアに帰っていたか。歩くスピードは私とどっこいの気がしていたが、案外早かったんだな。セルジオはこれからポルトガルの道を逆に歩いて奇跡の地ファティマを目指すそうだ。私はプリミティボの道へ行くんだと伝える。互いにカミーノマジックを喜び合って分かれる。 -
意地汚くパラドールのタダ飯を求めて行って見るが今日もやってなかった。長い間ずっと続いていた巡礼者への無料サービスと思うが、ここにきて変更があったのかな。じゃぁ自分の金で食べるかとスーパーへ行って見るが、今日は日曜なので閉まっていた。サンチャゴのような大きな都市でも大手スーパーのFroizはしっかり日曜閉店している。これは昨年も同じ目に遭ったことだが、もしかしたらの希望的観測はあっけなくぺしゃんことなる。Froizはご覧のように入口こそ小さくて、ビルに間借りしているようなスーパーだが中に入ると意外に広く品揃えはばっちりだ。
こういう時は日曜も必ずやっているパン屋へ直行だ。このスーパーからはカテドラルを挟んで間逆の位置にあるが、どうせ暇なんだから歩くのなんて何てことない。暑い日差しの中をせっせと歩いていく。パンが専門だが他の物も売っているのが嬉しい。冷えた1リットルビールにヨーグルト4、ピザパン、チョリソーで5.5ユーロ。このように、このパン屋さんには何度も助けられている。
また暑い中をフーフー言いながらメノールに戻る。3時までは清掃時間なのでベッドルームに入ることはできない。キッチンの隣にはトイレやシャワールームがあるのだが、シャワーもこの時間は鍵を掛けて利用できないようだ。ちえ。仕方ないので流しで腕と顔だけ水で洗って少しさっぱりしてからキッチンで昼飯を食べることにする。
左の奥歯に当たると少し痛いところがある。なので硬いパンや肉などを右ばっかりで噛んでいるので少々右が疲れているのが分かる。でも迂闊に痛い所で噛んで、それがきっかけで慢性歯痛になったらそれこそ偉いこっちゃに成りかねないので疲れても我慢しよう。右顎がんばれ。
午後になったらカルロスが同じ部屋にやってきた。我々より一日遅れの到着だがやっぱり会えた。カルロスとの縁は本当に不思議だ。
ギャエレがセマナサンタがあると誘ってくれたので午後8時にカテドラルに行ってみる。セマナサンタって何だろな?ネットで調べたら聖週間のことだった。聖週間って普通は4月か5月だからとっくに過ぎたんじゃ!? -
凄い人込みに混ざっていると、調度いいタイミングで行列が出発した。昔風の衣装を着た人や兵隊の格好をした人などが神輿を取り巻いて行列を始めた。神輿には大袈裟な聖体顕示台が載っているようだ。楽団も従えた古式ゆかしい行列なのでテレビでしか見られないものを見た気になる。これは滅多に見られないものなので写真を撮ったり動画を撮りながら行列と共にずっと移動する。カルロスも同じように行列と一緒に歩いているのが見える。偉そうな人はサンチャゴの市長か何かかいな。
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ぐねぐねと旧市街を一周して、カテドラル横の広場まで行進は続いた。そこで何やら口上を述べているが勿論スペイン語なのでさっぱり。カテドラルの階段上部には昔のスペイン時代劇に出てきそうな、頭のてっぺんにテーブルみたいのを乗せたセニョーラがいたので、こういう風俗がまだ続いていたのかと新鮮な驚きがあった。歌劇カルメンや怪傑ゾロに出て来る人みたい。
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ギャエレが後ろからつついたので振り返ると、そこにはエディスが笑っていた!!オーッ、エディスもサンチャゴに到着してたのか。エディスとは銀の道で特別仲良くなったが、途中からアストルガ経由フランス人の道へ行ってしまったのでサンチャゴで会えるかどうか疑問だったが、お互いに360kmを歩いた末に再会を果たすことができた。嬉しい限り。これもカミーノマジックに入れていいのかな?カミーノマジックは奇跡じゃないのでアバウトでいいんだろう。入れたからと言っても、だから何だって話だが。
実はこの他にも私と昨年会ったと言う欧米男性がいたのだが、こちらにはまったく覚えがなかった。でも、そういう人には数人会っているので、最初こそ「えー?」なんて態度しか取れなかったが、それよりも相手の事を思って適当に調子を合わせるように方針転換している。リリアンとサンダルを届けて上げた二人のイタリアおばちゃんもやってきて何語だか分からない言葉で再会を喜び合う。 -
エディス、ギャエレと3人でバルに移動して一杯やりながら再会を喜び合う。エディスは今日もビールの小で私とギャエレは今夜もお気に入りになったティント・デ・デラード。最後なのでここは私が奢ったる。やっぱり都会だから代金はいつもの倍くらいしたが気分は晴れ晴れだ。
エディスは別の宿なので、これで今生の別れになるだろう。エディスがフランス語で何か言っている。ちょっと困った顔をしながら、ジャポンとハグと言う単語が聞き取れたので「日本人だからハグはしてはいけないのか?」みたいなことを言っているのが分かったので、こちらからハグさせてもらう。良かった、エディスに会えるとしたら今晩しかチャンスがなかったから。明日はギャエレはフィステラの道へ、私はオビエドへ移動してしまう。 -
アルベルゲに戻って来てからキッチンで夕飯にする。ギャエレは食材を持っているのでキュウリや果物をサイコロ状に切ってサラダにしている。私は残ったチョリソーだけじゃ足りないのでキッチン付属の店でピザパンと缶ビールにオレンジジュース1リットルで5ユーロくらい。イタリアおばちゃん二人とカルロスも来たので一緒に食べる。サンダル届けたイタリアのおばちゃんがお礼にビールを奢ると言ったのを覚えていて1本奢ってくれる。これが銀の道のメンバーでは最後の写真。みんな明日からは別々の道へ行くことになる。
ベッドルームへ戻ってくるとルアンの姿が見えないので、ギャエレに聞いたところ、親に電話しているとのこと。へー、そんなことしてるなんて初めて聞いたな。ルアンは少年だもんな、親に定時連絡してもおかしくない。それともサンチャゴにゴールしたので報告か。
二人とはもう明日でお別れだし、ルアンが居ないなら調度いい、とうとう二人の関係についてダイレクトに聞いてみる。ギャエレは姉か母親かと思ったが、ちょっとだけ配慮してギャエレはシスター?ルアンはブラザーか?などと聞いてみるが旨く伝わらないようだ。幸い、ここはWi-Fiがあるから翻訳が使える。充電中のタブレットの所に連れてって翻訳で二人の関係を聞いてみる。ギャエレからは「教師」と言う単語が返ってきた。ギャエレは先生だったのか!で、次に翻訳されてきたのは「非行」という単語。私には思ってもみなかった言葉なので戸惑っていると、ギャエレは暴力や盗みのジェスチャーをしてみせた。ここでやっと二人の謎の関係が判明する。ギャエレはぶっ飛んだ見た目とは裏腹に非行少年を導く教師だったのか。思わずギャエレに握手を求める。
ルアンを更正させるために二人でサンチャゴの道を歩いていたのだ。3ヶ月のプログラムだそうだから相当な期間を二人で葛藤を抱えながら歩いていたのだ。ギャエレによると、初めルアンは誰とも話そうとしなかったが、私と出会ってから徐々に心を開いていったそうだ。それからは他の巡礼とも話すようになったとのこと。それは翻訳を使わなくても両手の平を心臓から開く仕草とオープンハートと言う言葉で伝わってきた。
だからギャエレが提案したオウレンセでの連泊に私が乗ったとき、修道院経由の大きな回り道に付き合うと言ったとき、ここメノールのアルベルゲで一緒に泊まるのが分かった時にギャエレが毎回ガッツポーズをしてくれたのもルアンの為だったのかと想像できた。つまり私が一緒にいた方がルアンの心の育成には良かったと言うことらしい。こんな言葉もロクに喋れない異国のおっさんが少しでも二人の役に立ったのなら嬉しい限りだ。
その他にも事情が分かると思い当たることが沢山あった。
最初の頃、ギャエレもルアンもとても険しい顔をいつもしていた。ルアンに取って、この長い巡礼は自分への罰であり、ギャエレはそれを監視・指導する教師なので二人の緊張は無理もなかったのだ。二人が一緒に歩かないのも、楽しく会話することがなかったのも同様の理由だろう。
ルアンが一人だけで歩いているのを何度か目にしたが、ギャエレは敢えてルアンを突き放す教育をしていたのかも知れないとも思った。ルアンはフランス語しか喋れないし地図も携帯もお金さえ持っていないので、結局この異国スペインではギャエレを頼るしか生きる術がない。こんな厳しい状況の中に身を置かせるのがギャエレの(所属する組織の)教育プログラムだったのだろうか。
オウレンセで温泉上がりにみんなで祭り会場で飲み食いしたとき、トム爺ちゃんがルアンにもワインを勧めたときにギャエレがマジ顔になって止めたのが解せなかったが、それは教師としての顔だったのだ。 -
後半のギャエレとルアンの仲はかなり打ち解けてきたようにみえた。それはこの写真を見れば一目瞭然だろう。最初の頃はこんな顔をするどころじゃなかったから。途中は覚えてないが、ルアンは後半には良く食事を作って二人で食べていたので、二人の関係も上向いて来た印だったのかも知れないと思った。この3ケ月のプログラムはきっと良い結果を迎えたのかも知れないな。だとしたら私は凄く嬉しい。この後も私とは別行動で半月ほど歩くそうだが、きっとこの良い状態を維持したままゴールのフランスに帰ってくれる気がする。そう想像すると何かこみ上げてくるものがあるようなないような。
ルアンは私にはとてもいい少年だったよ。それを後でルアンに伝えてねと言ったところ、それは私から直接言って欲しいそうだ。それもそうだな、教師であるギャエレの真意はすぐ分かった。ルアンはフランス語しか喋れないから、その時は通訳してねと伝える。でも日本語ならまだしも、咄嗟に適切な外国語が出る訳ないので翻訳が使えるうちにマリアカードの裏にフランス語で書いて上げることにする。前にルアンから自分の名前を日本語で書いてと頼まれたときに留安と書いて上げたので「日本の文字には意味がある。ルアンは安らぎを留めると言う意味だ。ルアンはとても良い友達だった。」とフランス語に翻訳して書いておく。明日分かれる時に渡そう。
銀の道これにておしまいです。
日本を出発してからコルドバで寄り道したので53日掛かりました。
明日はプリミティボの道を歩くためにオビエドへ移動。
ブログは「2017 プリミティボの道」へ続きます。
このブログを始めた時に写真を挟む方法が分からなかったので、2019の1~5までは写真なしになっています。6からは写真を挟む方法が分かったので、やってみると写真を入れる作業は楽しく、写真を入れられなかったブログは今となっては不本意なのでプリミティボの道の前にそれらを編集し直す予定です。
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