2019/05/20 - 2019/05/20
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5年ぶりに帰ってきた、津軽、弘前。
地元の山の景色や食は私を色々と魅了してきました。東京暮らしが続いて、しかも辛い出来事が続くと、地元を懐かしむ感情も現れます。
しかし、地元津軽も、私にとってはいろいろあった地でした。
それを振り返らずに今回は旅したつもりです。しかし、最後に、それと向き合う時がやってきます。
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弘前バスターミナル
なんか殺風景なこの感じ。。。弘南バス パンダ号 (青森 弘前~上野) 乗り物
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プラットホームは地下のヨーカドーの商店街?で繋がってます。階段は以前のまま。
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地元の創作郷土料理店の分店とか
そば処菊富士 グルメ・レストラン
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ドトールコーヒーとか入ってます。
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あとこのJTBもそのままですね。
旅行記作成時点で移転しています -
こんな通路の、ドアを開けて階段を登ると、
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盛岡行きと、私の地元黒石行きが発着する2番線
一番身近な乗り場でした。 -
こんな感じのバスターミナルです
20年間変わらない雰囲気です。昔、ヨーデル号で盛岡に出て新幹線に乗る人が多かった頃は、案内所にJR弘前駅の出張窓口としてみどりの窓口もありました。 -
青森空港行きがやってきました
以前は東京行きの夜行バスに使われていたと思われる車両です -
こちらの、日野セレガRです。
セレガーラが高速バスに弘南バスでも普及してきて、Rが近距離運用にくるようになったのですね。路線バス (弘南バス) 乗り物
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出発です。
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弘前駅に寄ります
APPLIESE ショッピングモール
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このバスはじめて見た感じ
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青森空港は自宅から車で向かうことが多かったのでこのバスは初めてです。弘前市内の経路が何か不思議でした。もしかして運転手の自己判断???
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料金表も液晶ディスプレイになったのですね。
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弘前市内から郊外を通る国道7号バイパスへの連絡道を経由した後、合流でバイパスに入ります
渋滞してますね。。。街中の商店街は人気は無いのですが、郊外の大型量販店とバイパス国道だけは賑わっています -
そこそこ車が多いです
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平川を渡ると藤崎町です
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ここを右に行くと川部駅
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田んぼの夕暮れ
赤い建物はよく買い物していたジャスコ藤崎店、あ、イオンですね。 -
常盤バイパスから北はコンクリート舗装
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コンクリート舗装の隙間に水が入ってそれが冬に凍って割れるので、アスファルトでの穴埋めがいっぱい
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もう少しで浪岡町
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右側に奥羽本線
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バイパスから旧道に移って浪岡町中心部へ。
ここが「青森市」に強行合併されてもう20年近いですが、住民の半分以上はそれでも「浪岡町」と呼びます。
ウィキペディアにちょうどうまくまとめられているのですが、浪岡町と青森市の家の際には大騒動が起こりました。
浪岡町は弘前市と青森市の昼間で、地理的には弘前市に近く、学生の通学なども弘前が多いのですが、あおもりには県庁があることから通勤の利用は若干青森が多い、と言う状況の中で、強引に「中核市」となることを望んでいた、青森市の当時長期独裁を強敷いていた佐々木市長が、浪岡町の当時の加藤町長に話を持ちかけて一方的に合併を決めたと言う経緯があります。
合併後と市議会議員の報酬が、青森市区域選出議員と浪岡町選出議員で大幅に異なる(浪岡町選出議員が圧倒的に少ない額の報酬しかもらえない)などの非常に差別的な政策が次々と発表されたことから、合併反対と加藤町長もリコールを求める住民運動が舞い上がり、当然のことながら加藤町長のリコールも成立、住民投票でも圧倒的反対多数の意見が示されました。
しかしながら、そういったリコールが決まる前に、青森市と青森県議会が、勝手に合併を決めてしまい、官報にまで掲載されてしまったため、合併が取り消せない、と言う異常な事態になったわけです。今ウィキペディアを見ていて知りましたが、当時のあおもり県議会議員の鹿内博士議員等が反対していたようですが、それも無視されるなど、青森市の佐々木市長と密接なつながりのある自民党が強引に押し切ったと言う要素がミエミエです。
理由としては、「中核市」と言う政令指定都市に準ずる扱いとされるちんこを確保したかったと言う事と、「青森りんご」のブランドが青森市は欲しかったのだろう、と言われています。どういうことかといいますと、青森市の本来の区域には、ほとんどりんごの栽培地域がありません。りんごは、弘前市や浪岡町、黒石市を中心とする津軽地域の、平野と山の中間の地域で栽培される作物だからです。それで、青森市はリンゴが欲しかった。それで、りんごの名産地である浪岡町を強行合併した、と言う噂がずっと言われているわけです。
ちなみに、この鹿内市議会議員は、その後青森市長に当選しましたが、浪岡町役場を継承した青森市の浪岡事務所を廃止する、などの政策を打ち出し(お金がなかったからなのですが)、それで浪岡町民の支持が落ちてしまったと言う経緯があり、前回の選挙で自民党候補に敗れました。駆け出しの政治家だった頃、うちの祖父にも挨拶状を送ってきたり、いろいろやってきた鹿内市長は立派な市長だったと思いますが、青森駅の駅ビルにどうせ立て替えなければならない市役所併設する、と言う政策も、「佐々木市長がやっていた政策だから」という理由で中止してしまったので、ちょっと、市長として(他の市長に比べれば力量は充分あるのですが)もったいなかったかなぁ、と言う気もします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E5%B2%A1%E7%94%BA -
浪岡町中心部に入ってきました
今やゴーストタウンです。 -
ちょうどこの時期は知事選挙の期間でした
原子力利権を背景に南部地域優遇を続ける県知事の三村が圧倒的な優勢でした。
野党系の候補者として後からやっと出てきた市民団体代表、あまりにも知名度がなさすぎて、全く以て歯が立ちませんでした。
この後の参議院選挙にはもう少し知名度のある候補が出たので、県知事選挙を利用して知名度アップをしてから参議院に出せばよかったと思うんですが。。。おーい、山内、しっかりしろ。。。
この浪岡町は、六ヶ所村の再処理工場など下北半島の原子力施設建設計画への津軽地域の反対運動の中心的な街でもありました。うちの家族とも親戚であった平野町長など、反対運動の中心人物として活動してきましたが、度重なる妨害に遭いました。
そういったこともあって、浪岡町の影響力をそぐために合併を急いだのかもしれません。
浪岡は、農民文学者で、日本共産党の初期のメンバーでもあり、医師として「民衆に医療を」と掲げ運動していて津川武一先生の出身地でもあり、社会運動が盛んな町だったのです。
津川武一は、国会議員としても活躍しました。中選挙区時代、それでも共産党はなかなか議席を獲得するのが難しかったわけですが、この自民党が強い青森県で、津川先生はいち早く当選を決めて国会へ赴いておりました。しかしながら、共産党の中でなかなか幹部にならなかったと言うことで代表質問等でテレビに暴れ現れる機会が案外少ないわけです。それで、この地域の人々は「なんで共産党の質問なのに今日も武一は出ないんだ」と言うようになって共産党への不信感というものが現れるようになったと言うこともあります。ちなみに、この地域では、中選挙区時代、当選数は大体自民党2、社会1、共産1という様相でした。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E6%AD%A6%E4%B8%80
その後、現代の小選挙区制になるわけですが、青森県内が4つのブロックに分かれていた時代は、あおもり49として津軽地域の選挙区で統一されていました。ところがところが、選挙区割の再編で青森県が3つの選挙区になった際、浪岡町がなんと弘前市をはじめとする区、青森4区から分離され、「青森市」本土と一緒にされてしまいました。
どういうことになるかと言うと、地理的や人的なつながりがほとんどない大間町と浪岡町が全く同じ選挙区になってしまったのです。これでは、地に足をつけた政治活動をすることができません。それで、ブロック単位でまとめて建設会社を幹事にして票読みして選挙に勝つ自民党が圧倒的に強くなってしまったのです -
すっかり寂れた雰囲気になっています
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いやほんとにゴーストタウンじゃないですかこれ
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ここの写真に写っている敷地、うちの家族が代々懇意にしてきたメガネ屋さんのお店だったのですが、更地になっていました。
これを見たときに、私のいろいろな昔の思い出が一気に現れました。
首が痛かったこと、暴力事件の被害に孤立無縁で戦い続けたこと、その後のいろいろな経験などなど。。。
一気に気持ちがざわつき始めます -
ツルハドラッグは15年前位からこの地域に一気に出店攻勢をかけてきました。
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ツルハドラッグの先の交差点を右折して、青森空港へ向かうバイパス県道に入ります
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ここのあたりは、首の暴行被害を受けて、山で散歩するトレーニングをしていた私が、その前後に車で通っていた地域。
そして、様々な行政などの組織が青森にあるので、首が痛い中、弘前ではなく青森に出なければならない時に毎回通っていたところでもあります。
私は、何度か首を狙った暴力事件の被害を受けておりますが、そのうち一件は小学校時代のもので、それを隠蔽するために、黒石市の教育委員会は、国会議員などにも隠蔽工作を依頼しました。
それで、中学校は、黒石市内や、あるいは黒石市内の成績上位者が行く傾向が強かった弘前大学附属中学校には行くことができず、なんと山を越えて1時間もバスで青森市の青森山田中学校(福原愛など、スポーツ活動で有名ですよね)に通っていました。ちょうどそこの送迎バスがこの辺を通っていました
実はそこでも暴力事件の被害にあいまして、もうふんだりけったりだったのですが、その後、リハビリのために、山の散歩道を歩くことを繰り返していた時も、ここら辺を通って通っていました
その後も、青森市に出かける用事が弘前市より増えていまして、何度も何度もこの道路は走りました。高速道路を使って行くことも多かったですが。 -
いろんな思い出が一気によみがえってきます。
多くは、はっきり言って辛い思い出です。 -
こうして、旅行記書くために写真を見るだけでも、いろいろなことを考えます
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バイパスと旧道が合流して青森空港を目指します。
それまで落ち着いていたチック症状がちょっと出てきて、足とか手がバタバタと震えてきます。精神的なストレスを感じているのでしょう。 -
あー、やだ。。。
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右側のスペースが王余魚沢入口バス停
難読地名です。
以前はこの空港リムジンバスも停車して客扱いを行っていましたが、今回は通過しました。
この少し先に信号があり、そこを右折して旧道に入ると集落があります -
まっすぐ進むと有料道路経由で青森空港、そして青森市内
右に曲がると空港の裏の急な坂を通る旧道経由で青森市内 -
空港まであと一息
この坂は、以前は石油焚きの融雪装置が取り付けられていましたが、10年位前に電気式に交換されました -
身体がバタバタバタバタ。。。。
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料金所
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空港手前の橋
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空港入口
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立体駐車場
2005年頃から工事していました。新幹線が建設されて飛行機からそっちに客が移ったら飛行機の客が減ったから問題だと言って空港整備を始めたのが青森県。。。 -
先程の県道の橋
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青森駅からのJRバスも到着してました
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観光バス駐車場
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バス車内
かつては上野行き格安便に使われていたと思われます。 -
運転席
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平成16年ですとまだ新しいですね。
ですが、パンダ号で毎日東京往復だった車両と思われるので、相当走行距離はあるはずです。 -
バスを撮影
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私が住んでいた頃はなかったのですが、全日空がデハビランドQ400で大阪行きと札幌行きで就航しています
実際問題供給過剰で、いらないんですけどね -
展望デッキのところにある、航空機模型
体調が悪い中、青森市内と黒石の自宅を往復していた私は、所要1時間の車での移動の間、2度休憩をとっていました。
1つ目はこの青森空港で、展望デッキに出て飛行機を眺めること。そしてお手洗いに行くこと。
もう一つは、道の駅浪岡で、りんごや野菜を買ったり、おそばを食べたりすることでした。 -
かつて青森空港にやってきた飛行機の写真
臨時便のチャーター便で多少ですが外国の機材も来ます。
特筆すべき定期路線は、ハバロフスク行のダリアビア航空
2000年代の頃就航していて、初期にはツポレフ154、そして末期にはツポレフ204が飛んでいました。
今思うと、即座にロシアに出かけるべきだったのですが、当時は正確な情報が地元の新聞等でも伝わっておらず、極東ロシアにこの路線を使って支店を開設した第二地方銀行の関係者や、新聞社主催のツアーで行く客のための飛行機だと言うイメージばかりがあり、個人旅行を考える人は皆無でした。
この地域の人たち、県などの「上から提示された旅行スタイル」を守る事しか頭になくて、それ以外の旅行は存在しないかのような感覚なので、なかなか難しいものがあります。。。うちの祖母が、3?11の震災で仙台空港が水浸しになったときの感想は「仙台空港はハワイに行く人が使う空港だよね、ハワイに行くとき不便になるんだね」だそうで。。。仙台発着のハワイ行きってそんなにありましたっけ?
新聞の折り込みにハバロフスク行き時刻表は載るんですけど、どこに予約すればいいのかとか全然わかりませんでした。連絡先にあるのは、地元新聞社の東奥日報旅行が主催する団体ツアーばかり。。。
今だったら「東京のJICとかユーラスツアーズに電話してロシア国内のチケットやビザの招待状を手配してもらい、ダリアビア航空の空港カウンターで航空券を購入、そして1日函館の領事館に行ってビザを取得でOK、簡単簡単」とわかるのですが。。。 -
展望デッキに来ました。
なんか昔の思い出が一気に出てきます。 -
ちょっと暗くなったけど、この景色。。。
青森空港 空港
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旅行記書いてても辛いです。
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日ペリが来た以外ほとんど変わってません。
私の過去の辛い記憶が一気に押し寄せてきます。 -
そもそも、「地元に帰る」といえば帰ってきたわけですが、ほんとの地元、黒石市には行ってません。
弘前駅で弘南電車を眺めただけ。 -
今回は黒石駅にも来ませんでした
黒石駅 駅
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黒石の最中が美味しい明治時代創業の和菓子屋
松葉堂まつむら グルメ・レストラン
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これも100年以上の歴史がある造り酒屋
中村亀吉酒造 専門店
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黒石のシンボル、こけし(風の提灯)
今回はみんな訪問してません。
やっぱり、行く気になれないんです。
行く用もなかったけれど。
黒石市と青森市には、悪い思い出がいっぱい。 -
黒石で、首の痛みの中リハビリとして歩いていた冬の終わりの河原の白鳥
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3月ごろの景色
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これは5月ごろ
みんな、首の痛みと、それに関連した国会議員まで絡んだスキャンダルとセットの記憶です。 -
リハビリとして登った「黒森山」から望む岩木山
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こちらもリハビリで通った青森空港裏の林道のトンボ
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青森空港の飛行機を見るのもちょっとした楽しみでした
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秋には、空港裏の山でリハビリがてら栗拾いとか
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黒森山に登ると、青森空港に着陸するから飛行機と同じ高さで写真が撮れるんです。
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雪が降った後の青森空港裏の林道
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A300運用終了寸前の写真
青森まで出かけた折、休憩として空港によるのですが、その時に。
みんな、辛い記憶です。 -
震災直前の時期でした。
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こんな景色や
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美味しい山菜や
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こんなのも懐かしいけど、どうしても、嫌な記憶と結び付くのです。
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今回の、赤い機関車と青い客車で秋田から弘前、というルートは、私のこの津軽に住んでいた頃の思い出の中で、もっとも楽しかった、そして、あけぼの最後の年には、希望に満ちた思い出でありました。
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赤い機関車も!
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ここら辺は楽しい思い出の地
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2013年
あけぼの最後の年
病院通いで、周囲に弘前大学以外の病院に行くことをひたすらバッシングされながら、あけぼのに毎月乗りました。 -
毎回毎回、「金がかかるだろ、深夜バスで行きなさい」とも怒鳴られながら
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でも、首が痛い私が、どうして10時間もバスに座っていれるのです?
羽越本線の夜明けはいつも美しい景色でした。JR羽越本線 乗り物
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その年も、後半に入ると嫌な出来事が多いのですが、寝台特急あけぼのは、なんか眠れなくて疲れるけど、落ち着ける時間を過ごさせてくれました。
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そして、弘前も、黒石や青森市とは違って、良い思い出が残ったところでした。
今回は、この空港周辺を除いて、楽しかった思い出だけをトレースしようとした日程だったのです。
山の綺麗な景色や美味しい水を思い出すことは、私にこの地域を懐かしむ感情を想起させます。しかし、それにも、嫌な記憶もまた、私の人生です。 -
夕暮れどきの空港を眺めていると、いろんな思い出を思い出しました
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そして、iPadに入れていた楽譜を見ながらこの歌を歌っていました
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圧倒的に寂れてしまった街を見た今回の旅
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この歌の2番はこんな歌詞で始まります
‘Tis(文語体のit is) sad to think the days are gone’
(過ぎ去った日々を考える事は悲しいことである) -
そして、歌詞にある ‘the village seems asleep or dead’ と言う言葉に、妙な共感を覚えたのでした。
いろんな意味で、過ぎ去ったことを考えるのは悲しいことである、と言うことを考え続けたこの頃です(今も)
https://youtu.be/HdgGQzr1raQ -
飛行機が飛んできました
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小牧空港からのフジドリーム航空でした
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エンブラエルのジェット機じゃなくてATRのプロペラ機の方もっと安いのに。。。
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着陸を見届けて、2階のお手洗いに行きました
このうがい機能付き水飲み機は5年前から何も変わっていませんでした青森空港エアポートラウンジ 空港ラウンジ
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うがいができる水飲み器なんです
ペダルを踏むとうがい薬が出てきます -
それで、空港のレストランで食事を食べることにして、レストランに行ってみたら、予告もなく利用時間を短縮していて、なんと19時20分ラストオーダーだと言い出します。時刻は19時23分
お店の入り口には営業時間の張り紙はしていません。ですが、最終日の出発時刻に合わせて営業していると考えるのが自然で、しかも急いで食事をとる客も考えられる空港では、ラストオーダーが閉店時刻の40分前と言うのは不思議な気がします。そして何度も言うように、予告もなく営業時間が短縮されていました森のレストラン ライアン 青森空港店 グルメ・レストラン
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https://4travel.jp/dm_shisetsu_tips/13632676
それで、押し問答の末終わったスパゲティーだったら作ってくれると言うことになり、まずそうでしたが注文しました。 -
メニューはこんな感じ。。。混んでいる様子でもないので、3分遅れただけで締め切るなど何なんでしょう?
大事なのは、営業時間をしっかりと明記することです -
森田村の「つがる地球村」と言う観光施設が営業しているレストランですが、美味しい記憶はありません。
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メニュー
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案の定美味しくありませんでした
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気分が悪いので、私が1番最後の客にならないようにさっさと出てきました
案の定、他の客がビールを飲みながらダラダラダラダラやってます -
出発ロビー
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今度は、理由は忘れましたが飛行機が遅れているので。。。手荷物検査は長蛇の列。
手荷物検査が遅いせいで、遅れた出発時刻に間に合うのか微妙な雰囲気になってきました。。。
先程のレストランの対応について、家族に津軽弁で怒鳴って電話してたので、怒っている私が青森県人であることがはっきりわかってしまいました -
ほんとに、今度遅れた出発時刻にギリギリで手荷物検査が進みます
手荷物検査のせいでさらに出発遅れになりそうな感じ。。。 -
搭乗口の売店などには目もくれずに登場して出発です
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またまたボーイング737 800
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ドアが開いてる続々と乗り込んで
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早速出発
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機内は大体6割くらい乗ってます
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道路の街頭の形から、どこの上空を飛んでるか津軽平野であれば大体判断できます
この辺多分私の家の上空なんじゃないでしたっけ? (ちょうど当時の自宅の上が飛行機が通るルートになっていました) -
飛んでしまえば早いのが飛行機
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着陸ように機内を暗くして
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アクアラインが見えて
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到着してすぐに飛行機から降ります
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革張りシートになっています
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深夜便国際線の乗り継ぎができるのが羽田ですが、私としては、だったらなんで成田空港を作ったんだと言いたくなります。
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ガラガラの羽田空港国内線乗り場
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青森県農協が出しているこんな意味不明な広告
これを羽田空港に出して何人が青森県の農業に興味を持ってくれるんでしょ?
しかも、航空会社のパイロットと客室乗務員風の人物の足元の写真をモデルを使って撮影し、スーツケースの代わりに農産物が入った籠をひいていると言うことで、なんといいますか、何か出来損ないの広告のような印象を持ちました青森県農協が出しているこんな意味不明な広告
これを羽田空港に出して何人が青森県の農業に興味を持ってくれるんでしょうか?
しかも、航空会社のパイロットと客室乗務員風の人物の足元の写真をモデルを使って撮影し、スーツケースの代わりに農産物が入った籠をひいていると言うことで、なんといいますか、何か出来損ないの広告のような印象を持ちました。。。 -
預入手荷物はないのでさっさとバスへ
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ちょうど調布駅行き高速バスがやってきたのでそれに乗って
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首都高走って
エアポート リムジンバス 羽田空港線 (東京空港交通) 乗り物
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多少の渋滞はありましたが40分程度で到着
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東京は雨でした
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これで、現在の東京のマンションに戻って、私の5年ぶりの地元訪問は終わりました
なんか唐突な感じがしました。
この時は、また用事があるので近いうちに行くだろうと思っていましたが、その後用事があってもいけない状況が続きました。コロナもありました。
そうしているうちに、五能線キハ40が置き換えると言うことではないですか。。。
本来は次回行った時、同じように秋田空港から、今度は五能線経由で弘前駅向かうつもりでした。しかし、いろいろな用事が二転三転し、そしてコロナになったりして行けないでいるうちに、五能線のキハ40は「走るんです」になってしまうことになりました。。。
やはり、今回秋田空港から帰るべきだったのですね。
この1週間後、もう一つ、私の青森県での生活にケリをつける出来事があり、それでこの2019年5月の活動は終了しました。
おわり
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