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寛平年間(889~898)に平高望が滝と手賀沼の眺望によるこの景勝の地に、空海作の不動尊像を祀ったとの由緒が伝えられている(『湖北村誌』参照)。<br />堂は寛和2年(986)に損壊し、尊像も中峠一里塚東に遷座され、さらに中峠不動尊に移されたという。『我孫子市史研究』12号所載の「我孫子市社寺要覧(寺院編)」によれば、慶長~元和の年代に正泉寺7代で白泉寺開山となった竹厳宗?和尚がここに堂宇を営んだという。ただし、正泉寺の前住職酒井正行師によれば、当地が白泉寺のルーツではないかとの説を採っていた。不動堂東の小径に明和8年(1771)の「林照沙弥 滝前坊」の墓石があるから、そのころ当寺に僧侶がいたと思われる。また不動堂東に寛政11年(1799)の不動明王立像があり、不動信仰の堂があったと考えられる。相馬霊場の設立にあたり、安永5年(1776)に第36番青龍寺移しとなり、札所塔が建てられ、やがて大師堂が建てられ、堂内に文化4年(1807)に弘法大師像が安置された。文化13年(1816)には現在の不動堂が建立された。素朴ながら茅葺き屋根の美しい建物であったと思われる。慶応3年(1867)には芭蕉の句碑が建てられた(後述)。明治20年代に大修理がなされ、昭和51年に屋根の葺き替えがなされ、同63年に銅板葺となった。<br />我孫子市史研究センター会報 第167号 合同部会 三谷 和夫氏<br />参考にさせていただいたブログは下記です。<br />石仏神心 101 北総石仏 我孫子の石仏 岡発戸新田に詳しく書かれています。<br />http://sekibutu.blogspot.com/

我孫子市の岡発戸新田・滝前不動尊・相馬霊場(36)・石仏

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2021/01/14 - 2021/01/14

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中国の風景

中国の風景さん

寛平年間(889~898)に平高望が滝と手賀沼の眺望によるこの景勝の地に、空海作の不動尊像を祀ったとの由緒が伝えられている(『湖北村誌』参照)。
堂は寛和2年(986)に損壊し、尊像も中峠一里塚東に遷座され、さらに中峠不動尊に移されたという。『我孫子市史研究』12号所載の「我孫子市社寺要覧(寺院編)」によれば、慶長~元和の年代に正泉寺7代で白泉寺開山となった竹厳宗?和尚がここに堂宇を営んだという。ただし、正泉寺の前住職酒井正行師によれば、当地が白泉寺のルーツではないかとの説を採っていた。不動堂東の小径に明和8年(1771)の「林照沙弥 滝前坊」の墓石があるから、そのころ当寺に僧侶がいたと思われる。また不動堂東に寛政11年(1799)の不動明王立像があり、不動信仰の堂があったと考えられる。相馬霊場の設立にあたり、安永5年(1776)に第36番青龍寺移しとなり、札所塔が建てられ、やがて大師堂が建てられ、堂内に文化4年(1807)に弘法大師像が安置された。文化13年(1816)には現在の不動堂が建立された。素朴ながら茅葺き屋根の美しい建物であったと思われる。慶応3年(1867)には芭蕉の句碑が建てられた(後述)。明治20年代に大修理がなされ、昭和51年に屋根の葺き替えがなされ、同63年に銅板葺となった。
我孫子市史研究センター会報 第167号 合同部会 三谷 和夫氏
参考にさせていただいたブログは下記です。
石仏神心 101 北総石仏 我孫子の石仏 岡発戸新田に詳しく書かれています。
http://sekibutu.blogspot.com/

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 手賀沼側が新道「手賀沼ふれあいライン」、山側が旧道。

    手賀沼側が新道「手賀沼ふれあいライン」、山側が旧道。

  • 旧道、新道との距離は20m程です。<br />

    旧道、新道との距離は20m程です。

  • 住み良いまちづくり研究所、滝前不動パンフレット<br />www.sumiyoi.com   代表理事 米沢 外喜夫氏。

    住み良いまちづくり研究所、滝前不動パンフレット
    www.sumiyoi.com 代表理事 米沢 外喜夫氏。

  • 滝前不動尊の説明。

    滝前不動尊の説明。

  • 滝前不動尊の参道。

    滝前不動尊の参道。

  • 新四国大師道。新四国相馬霊場を開設した観覚光音禅師が通られた順路によると、ここ三十六番滝前不動の大師堂には湖北台にある七十三番正泉寺から来られ下ヶ戸にある七十四番西音寺向かわれている。パンフレットより。

    新四国大師道。新四国相馬霊場を開設した観覚光音禅師が通られた順路によると、ここ三十六番滝前不動の大師堂には湖北台にある七十三番正泉寺から来られ下ヶ戸にある七十四番西音寺向かわれている。パンフレットより。

  • 不動明王真言。

    不動明王真言。

  • 倶利伽羅不動明王、まさに、火炎に包まれた龍が岩の上に立った宝剣に巻き付き、これを飲み込もうとしている様であらわされている龍神が、不動明王の変化身で、倶利伽羅不動明王と言われている。安政七年(1860)。パンフレットより。

    倶利伽羅不動明王、まさに、火炎に包まれた龍が岩の上に立った宝剣に巻き付き、これを飲み込もうとしている様であらわされている龍神が、不動明王の変化身で、倶利伽羅不動明王と言われている。安政七年(1860)。パンフレットより。

  • 滝の石組、高く組まれた石の上に据えられた竜頭の口からは一条の滝が流れ落ち、かつては大干ばつにも枯れないほど多量の滝が流れ落ちていたと言われる。パンフレットより。

    滝の石組、高く組まれた石の上に据えられた竜頭の口からは一条の滝が流れ落ち、かつては大干ばつにも枯れないほど多量の滝が流れ落ちていたと言われる。パンフレットより。

  • 芭蕉の句碑、「清滝や 波にちりこむ 青松葉」この句は芭蕉が亡くなる三日前に大阪のでの病床で詠まれたもの。パンフレットより。

    芭蕉の句碑、「清滝や 波にちりこむ 青松葉」この句は芭蕉が亡くなる三日前に大阪のでの病床で詠まれたもの。パンフレットより。

  • 新四国三十六番。

    新四国三十六番。

  • 滝前不動尊本堂。 文化十三年(1816)建立・昭和51年萱葺替屋根の入母屋造りの不動堂。パンフレットより。

    滝前不動尊本堂。 文化十三年(1816)建立・昭和51年萱葺替屋根の入母屋造りの不動堂。パンフレットより。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 不動明王立像、不動堂の右にある浮彫りの石造で「寛政十一年(1799)正月吉日 滝前山宝積寺」とある。パンフレットより。

    不動明王立像、不動堂の右にある浮彫りの石造で「寛政十一年(1799)正月吉日 滝前山宝積寺」とある。パンフレットより。

  • 不動堂の扁額。

    不動堂の扁額。

  • 大師堂、新四国三十六番。切妻造り大師堂。<br />

    大師堂、新四国三十六番。切妻造り大師堂。

  • 弘法大師座像。中に文化四年銘の大師像が祀られています。

    弘法大師座像。中に文化四年銘の大師像が祀られています。

  • 周囲は竹林で囲まれています。

    周囲は竹林で囲まれています。

  • 奥に滝前稲荷神社の鳥居。

    奥に滝前稲荷神社の鳥居。

  • 八十八番指差し大師道標。

    八十八番指差し大師道標。

  • 滝前稲荷神社の参道。

    滝前稲荷神社の参道。

  • 滝前稲荷神社拝殿。

    滝前稲荷神社拝殿。

  • 滝前稲荷神社の石祠。

    滝前稲荷神社の石祠。

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