
2024/06/08 - 2024/06/08
190位(同エリア193件中)
かくちゃんさん
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水戸街道は17世紀半ばまで、水戸から見て若柴宿の先、馴柴から布川を通り布佐から現在の成田道を経て我孫子宿に至っていました。この道筋は江戸時代以前から使われていたと考えられており、水戸街道の距離もこの道に沿って測られています。そこで、今回は番外編として馴柴三叉路から我孫子成田道追分までの古水戸街道を辿ってみました。
スタートは関東鉄道竜ケ崎線入地駅。1両編成気動車の乗降客は私一人でした。駅のベンチで着替えて出発。
10分弱で水戸街道に入り、馴柴三叉路に到着。第12区では右折した道を今回は直進します。紅葉内一里塚を経て、旧小貝川の三日月湖を右手に見ながら平坦な道を時々曲がりくねりながら進み、須藤堀一里塚を経て、旧鎌倉街道の入口に到着。竹薮の中にある急な階段を上り、王子大明神を参拝した後、鳥居をくぐり、未舗装の旧鎌倉街道を踏破した後、中田切(布川)一里塚を経て、布川市街地を抜け、利根川に架かる栄橋を渡り、布佐、中里(湖北)、向原(東我孫子)の各一里塚を経て、旧水戸街道と成田道の追分を通過し、我孫子宿に至り、本日のゴール八坂神社に到着。
一軒目に入った居酒屋さん、年配の女性が一人で切り盛りしていてあまりに忙しそうなため、なかなか料理が出てきそうもありません。居心地は悪くなかったのですがお腹も減っていたので生ビール2杯飲んですぐに退散。我孫子駅の南口から北口に出てウロウロしていると、「生ガキ」と「レバ刺し」の案内板が。のれんを覗いてみるとカウンター席が空いていたので入店。まずは生ビールをいただきます。いか刺しが中心のおつなお通をいただいた後「生ガキ」をいただきます。これがうまい!クリーミーという表現がぴったりの味わいで生ビールに合います。次のお目当ては「レバ刺し」。低温処理とのことですが、これがまたうまい!生ではないせいか、臭みがなく、熱を通したことでほどよく身が引き締まり、食感も味もこの上なし!舌鼓を打った後、伊勢志摩サミットの乾杯酒にも選ばれた「作(ざく)」の一升瓶が目の前に見えたのでこれも併せていただきます。ただ、常温でした。店のスペースの都合上日本酒を置く冷蔵庫がないのかもしれませんが、冷だったらもっと美味しいだろうにと思うとちょっと残念。最後にカキフライをいただき、食べたいものを堪能させていただきました。お店の名前は「もつ焼やまじゅう」。大満足で帰途に就いたのでした。
- 旅行の満足度
- 2.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
関東鉄道竜ケ崎線入地駅。
昭和レトロ感満載の無人駅で乗降客も私一人でしたが、ホームには簡易改札機があり何とPASMOが使えます。入地駅 駅
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馴柴三叉路。
ここが今日の事実上のスタート地点で右折すると新道、直進すると旧道となります。
車の流れを見ていると右折している車が多かったように思います。旧道は新道には勝てないのですかね。 -
馴柴三叉路の道標。
この道標は、三叉路で旅人が迷いやすいので、若柴宿の老人が普門品(ふもんぼん)一巻を読誦するたびに一文(一両の2,500分の1)づつ供えて積み立て、文政9年(1826年)12月に建立されました。ただ、明治に入り、牛久沼淵の道路や鉄道が開通すると街道はさびれ、この地を通る人も少なくなってしまいます。それでも撤去もされずに200年近くこの地で道案内をしています。敬意を表すばかりです。 -
水戸街道 14番目の一里塚 紅葉内(こうよううち)一里塚があったのではないかと勝手に妄想している場所。
距離的にはこの辺りで、写真中央に少し土地が盛り上がった場所がありますが、雰囲気が成井一里塚に似ていて、確証はありませんが一里塚はここのような気がしてなりません。 -
旧小貝川。
現在は三日月湖となっています。釣りを楽しんでいる人が何人かいました。何が釣れるんでしょうかね。 -
水戸街道 13番目の一里塚 須藤堀一里塚があったのではないかと勝手に妄想している場所。
江戸時代以前、この辺りは沼地だったようで、写真の辺りがかろうじて陸地だったようです。距離的にもこの辺りと思われます。 -
旧鎌倉街道の竹薮の階段。
木陰にはなっていますが暗すぎず、厳かな雰囲気を醸し出しています。階段は結構急でした。 -
王子大明神。
竹薮の階段を上り終えたすぐの所にあります。 -
王子大明神近くの鳥居。
この鳥居をくぐって旧鎌倉街道は続きます。 -
旧鎌倉街道入口。
雰囲気は、旧東海道宇津ノ谷峠岡部口、蔦の細道(古東海道)と旧東海道との分岐点に似ています。 -
水戸街道 12番目の一里塚 中田切(布川)一里塚があったのではないかと勝手に妄想している場所。
かつて沼地だったと思われるこの辺りも、江戸時代に新田が開発され道が変わっていると考えられるため、実際の道筋が分からないのですが、距離的にはこの辺りと思われます。 -
布川旧市街。
宿場町か少なくても間の宿だったのではないかと想像しています。
直進する道は行き止まりとなっていますが、かつてはこの道が布佐まで続いていたと思われます。肉のながさわ グルメ・レストラン
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栄橋から見た利根川。
この大河が人工とは思えないですよね。
放水路として台地を掘削して造られたようで、天井川のように少し高い位置にあります。 -
水戸街道 11番目の一里塚 布佐一里塚跡。
木陰はありませんが、近くに飲料水の自動販売機があったため、スポーツドリンクを購入し建物の陰で給水して休憩させていただきました。
碑は昭和9年に千葉県が建立したものです。華蓮厨房 布佐店 グルメ・レストラン
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水戸街道 10番目の一里塚 中里(湖北)一里塚跡。
布佐一里塚同様、昭和9年に千葉県が建立した碑がありますが、その他、平成19年に我孫子市教育委員会が建てた案内板があります。 -
水戸街道 9番目の一里塚 向原(東我孫子)一里塚。
ここにも千葉県が建立した碑がありますが、千葉県が建てた碑は全て古道にあります。ということは、新道には一里塚はなかったということなのでしょうかね。
若干崩れてしまってはいますが、右塚が写真のように現存しています。 -
水戸街道と成田道の追分。
令和3年に再整備され、時代時代に応じて建立された石碑が写真真ん中に集められています。 -
水戸街道 5番目の宿場町 我孫子宿。
写真は1831年(天保2年)建築の我孫子宿名主小熊邸。残念ながら非公開です。 -
八坂神社。
1396年(応永3年)に創建された由緒ある神社で、京都の八坂神社に勧請して建立されたのだそうです。
街道と駅前通りの交差点にあります。 -
「やまじゅう」さん。
我孫子駅の北口にあります。
次回、行く機会があればもつ焼きかもつ煮を注文しようと思います。やまじゅう グルメ・レストラン
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生ガキ。
美味しかったです。やまじゅう グルメ・レストラン
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