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ひかり幼稚園が併設されている大光寺。前回解らなかった百庚申を下記のブログを参考に探しに来ました。「お目当ての百庚申ですが、境内にも見当たりません。我孫子の石像物・所在地...
我孫子
旅行記グループ我孫子市の西部・寺社巡り・石仏・第一部
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2023/02/22~
by 中国の風景さん
「江戸・東京札所事典」による新四国相馬霊場八十八ヶ所開創者は観覚光音禅師である。寺伝によれば宝永八年(1711)信州佐久郡海尻村に生まれ、十三歳江戸へ出て呉服商伊勢屋方...
旅行記グループ東葛地区寺社めぐり(柏・流山・我孫子・松戸)総括編・総合編
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2021/09/12~
平将門の乱が平定された天慶3年(940)に祀られた布佐の氏神。祭神は天之迦具土命。合祭主は日本武命と武内宿祢命である。この乱で竜崖城主栗巻禅定は戦死している。河岸町とし...
旅行記グループ我孫子市の東部・寺社巡り・石仏・第三部
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2021/04/03~
我孫子市布佐にある天台宗寺院の勝蔵院は、西光山と号します。勝蔵院の開山開基は不詳ながら、文禄元年(1592)に創建、宝永2年(1706)法印孝順が中興開山したといいます...
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共同墓地ですので由来など説明はありません。石仏神心によれば墓地内にも供養塔があるようですが良くわかりません。参考にさせていただいたブログは下記です。石仏神心 83-3 ...
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布佐八景の1つ「愛宕暮雪」。 布佐台地の東端、坂南側に位置し、布佐を一望できる。布佐八景の1つ。「愛宕暮雪」、老松は亭々とし、凍雲低く垂れる夕べ、微かな風が時刻の鐘を響...
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安永五年(1776)には、相馬霊場第三十七番土佐岩本寺写しとなり、本尊は聖観世音とされた。そして、大師堂は本堂前庭にあった鐘楼堂のあきに建てられていたという。それが大正...
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我孫子市布佐にある真言宗豊山派寺院の延命寺は、求宝山医王院と号します。延命寺は、忠変僧都が文禄2年(1539)に開山したといいます。第五世権大僧都隆宣の代には、虚空蔵堂...
「我孫子の景観を育てる会」より布佐の網代場とは18世紀末の天明の頃、鹿島灘、九十九里、霞ヶ浦の魚を積んだなま舟は、銚子を夕刻に発し、屈強な若い船頭3人で力漕、"網代場"...
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我孫子市史研究センター発行「手賀沼べりの道今昔」に収載の近江礼子氏論文「手賀沼べりの水神信仰」によると、我孫子市内に水神社は現存6箇所です。布佐の水神社は文化二年(18...
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水神社前から200m程南下します。右手に墓地をみて水田の広がる三叉路に庚申塔が5基祀られています。焼香炉もない状況から見て整地の際に集められてきた流浪の涯の居場所のよう...
2021/02/14~
天和3年(1683)以前の「水戸道中」である国道356号沿いに、我孫子市内では根戸、東我孫子、湖北、布佐に「一里塚」が築かれた。昭和9年(1934)に県が建立した「一里...
我孫子の布佐台にある廃寺 観音院。布佐駅から徒歩10分。昔観音院があったが現在は廃寺となり跡地は布佐台自治会集会所になっている。いくつかのお堂が残っており、石神堂には金...
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布佐下浅間神社御祭神 木花之開耶姫命、御由緒・当社は正保2年(1645)6月鎮座である。社地は手賀沼に面する高さ15mほどの丘で、境内に貝の化石層がある。宝暦13年(1...
JR成田線(我孫子支線)「布佐」駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。手水鉢には「文化4年布佐下新田○主了禅妙覚」と彫られています。本殿裏には相馬霊場41番があります...
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「我孫子市史」による長福寺の縁起 長福寺(新木1984) 山号玉桜山 真言宗豊山派 もと龍泉寺末。永禄元年(1558)龍泉寺の永楽法印がここに隠棲したのにはじまる。ただ...
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南側に布佐共同墓地が広がっています。北側にも清陵苑墓地があるところです。入り口入ってすぐに、左右に分かれた六地蔵と3体の馬頭観音がおられます。荒涼とした感じで置かれてい...
水神社 江蔵地704-1 江蔵地自治会館の敷地内 御祭神…罔象女命旧江蔵地村字八反野に鎮座。中世の龍崖城の北、取手小文間(おもんま)から布佐台にかけての輪中水城の鎮守と...
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「我孫子市史」による興陽寺の縁起興陽寺 白山1-16、山号自性山 曹洞宗 もと葛飾郡金杉村高徳寺末、開山は大凉玄樹大和尚、開基を山高八右衛門とする。開山の寂年は天正八年...
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「我孫子市史」による葺不合神社の由緒葺不合神社(新木1811)、主祭神 鵜葺草葺不合尊、合祭神 市杵島比売命 日本武尊 白山比売命。当社は、鵜葺草葺不合尊を祭神とする例...
旅行記グループ我孫子市の中央部・寺社巡り・石仏・第二部
2021/02/06~
我孫子市古戸にある真言宗豊山派寺院の古戸観音堂は、稲荷山観音院と号す寺院だったといいます。古戸観音堂の創建年代は不詳ながら、当地周辺は古代の寺院址だと伝えられ、天正20...
「我孫子市史」による新木太子堂の縁起太子堂(新木3125) 創立年代は明らかでない。村の先覚者の篤志によって聖徳太子像が奉祀され、霊像として崇敬されてきたものである。境...
「我孫子市史」による地蔵院の縁起地蔵院(新木3050)、山号寿栄山 真言宗豊山派 もと龍泉寺末。開山及び開基は不詳であるが、貞享三年(1686)銘の舟形大日如来像を浮彫...
明治から昭和初期まで、馬の用途は農耕が主であった。例えば1932年の飼養総数は154万頭で、うち約113万頭が農耕用、30万頭が馬車用である。明治期になると乾田馬耕(い...
「我孫子市史」による観音寺の縁起観音寺 日秀90、山号慈愍山 曹洞宗 もと正泉寺末。草創について『湖北村誌』には、古く将門神社の境内に仏堂が営まれ、将門の守本尊の行基菩...
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「我孫子市史」による古戸天神社の由緒天神社(古戸609)、祭神 菅原道真公。利根川沿岸の水田を見下す台地の東端に鎮座する。延享三寅年(一七四六)三月の棟札は社殿創建当...
農村に於ける共同墓地とは村落共同体型の墓地においては、墓地使用権もしくは墓地所有権をめぐり紛争を生じることがある。墓地使用権は、村落の構成員としての資格に基づいて取得す...
古戸稲荷神社の由緒古戸稲荷神社は、古戸村の鎮守社として天正7年(1579)創建、文化年間(1804-18)に遷座したといいます。明治41年厳島神社(古戸坂下783旧在)...
境内掲示による中里諏訪神社の由緒当諏訪神社の創建は古く、戦国の世が漸く終わろうとする、天正四(1576)年三月のこととされる。祭神は「武御名方尊」である。武御名方尊は、...
2021/01/25~
御由緒・平将門は天慶三年(940)に戦歿したが、その霊は遺臣らとともに手賀沼明神下から日秀まで手賀沼を騎馬で渡り、沼のほとりの岡に登って朝日の昇るのを拝したという。その...
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