2019/04/17 - 2019/04/20
5335位(同エリア6667件中)
三峯霧美さん
2019年の春、京都と奈良のひとり旅。
京都ではいよいよ(やっと)洛陽三十三観音霊場の結願しました。
そして今回は、御陵印をいただきに御陵監区事務所を回ります。
奈良では西国三十三観音霊場の札所巡りと、丹生上川神社三社を回りました。
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いつもの通り自宅を早朝に出て、東京駅から新幹線で京都入り。
9:48 今夜の宿の都シティ近鉄京都駅に荷物を預けて、歩いて一分もかからないタクシー乗り場へ。
京都市内はバスと電車移動が基本ですが、時間短縮のためタクシーに乗ります。京都駅 駅
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最初の訪問は泉涌寺に隣接する宮内庁の月輪陵墓監区事務所です。
場所を告げたら、ドライバーさんが「え?(それ、どこ?)」って反応なので、今熊野観音寺に行ってくださいとオーダー。
優しい女性のドライバーさんで、おしゃべりしてたらすぐに泉涌寺に着いちゃった。
泉涌寺の広い山内にある今熊野観音寺に向かう参道を降りて行きます。 -
事務所は今熊野観音寺の橋を渡る手前にあります。
左側の赤い橋が今熊野観音寺の橋、その右側の建物が宮内庁月輪御陵監区事務所。
ドライバーさんに「御陵印もらいに行くんです」て言ったら、「はぁ?」って感じでした。 -
泉涌寺は鎌倉時代に天皇の菩提寺となり、お寺の奥に歴代天皇と皇族の陵墓があります。
明治の廃仏毀釈で陵墓は国が管理することになり、現在は宮内庁の管轄です。 -
玄関を入り、受付で御陵印を頂きに伺ったと声を掛けると、箱に入った御陵印を持ってきてくださいます。
昭和の時代は各御陵に行ってもらっていたと聞きました。それはそれは、大変なことでしたね。 -
朱肉、押印用の下敷きなどは完備されて、除菌のウエットシートまでありました。ありがたいです。
当て紙は100円ショップの和紙を切って持参しました。
印は自力で押します。これが力がいるんですよ。
垂直に押すっ! -
御陵印は、京都×2、奈良、大阪、東京の5か所の事務所に全部で89あります。
月輪の事務所の印は18。
宮内庁の施設なので無料ですが、基本、土日は事務所はお休みです。 -
御陵印の集印帳は事前に専用のものを通販で購入しました。扱っていたのは京都の業者さん一か所だけ。
でも、これ、とても優れモノで、初代から順にお名前と場所が印字されていて、混乱せずに押印できます。
というのも、各事務所の管轄している陵墓は歴代の天皇の順に並んでいるわけではないからなんです。 -
月輪の事務所の一番若い印は第三十八代 天智天皇。
自前の集印帳に初代から順に並べたいならば、事前に各事務所が管理している印の種類を調べ、ページに書き込んで訪問しないと、まず、無理です。
順番を気にしないなら、いいんですけどね。 -
こんな風に、御陵印が並んで行きます。
押印に来たのは私一人でしたので、ゆっくりと落ち着いて押すことができました。
用意されたテーブルでは二人が並んで押印できますが、18の印を押すので、先客がいると待ち時間が長くなりそうです。 -
押し忘れが無いかしっかり確認してから、お礼を述べて退出しました。
天皇の御陵は山の中だったり、傍まで行けなかったり、駐車場がなかったりするので、積極的に参拝はしません。
宮内庁は宗教法人とは違い教義やしきたりもなく、印をもらった御陵を訪問するかどうかは、各自のこだわりと自己満足に任されているわけです。
よーするにスタンプラリー状態ですね。 -
10:26 時間がないので泉涌寺のお寺さんはスルーして、東大路通りのバス停まで坂を下りて行きます。
泉涌寺道からバスに乗って北上していきましょう。 -
次は洛陽三十三観音霊場の札所になっている青龍寺へ。
10:47 東山安井でバスを降りて、山に向かって歩いて行きます。
大きな鳥居は京都霊山護國神社のもの。 -
さすがに清水寺と高台寺に近いので、泉涌寺の坂に比べると人も車も多いです。
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10:50 青龍寺 見性山 青龍寺
洛陽三十三所観音霊場 第9番札所
洛陽霊場巡りを始める前に、何度か前を通っていますが、いつも山門が閉まっているので、お参りしたことはありません。
札所だと知らないと、中に入るのに勇気が要りますね。青龍寺 寺・神社・教会
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右手のくぐり戸を通って境内に入ると、小さなお庭があります。
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庫裡の前で二人の男性が御朱印を待っていらしたので、その方々を待って御朱印をお願いしました。
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御用の方は鐘を鳴らすようです。
この呼び出しの鐘は、叩いてみないと音の大きさが分らなくて、想像以上に大きな音がして、叩いた自分がびっくりすることがあります。 -
お庭を先に進むと枝垂桜が咲いていました。
その奥に本堂があります。 -
ご本尊は聖観音。
創建は789年。
御本尊 聖観世音菩薩
唐で天変地異が起こり、海中から香木の伽羅が引き上げられ、徳宗皇帝の御殿に納められました。 -
その夜、皇帝の夢枕に観音様が現れて、自分は信心厚い唐と東の国の人々を救済するために身を分かち香木として現れたので、香木を日本に送れと告げました。
香木を受け取った桓武天皇はその由来を知り、最澄に命じて観音像を彫らせ、長岡京に大宝寺を創建しました。 -
その後、平安遷都と共に現在地に移ります。
お寺は源平の頃に兵火で焼失し、1185年法然上人の門弟見佛上人によって復興、六時礼讃の道場になり引導寺と改称、その後、知恩院第三十二世雄譽霊巌上人により青龍寺と改められました。 -
お庭には後白河天皇追善回願のため、法然が六時礼讃を務めたときに鉦の代わりに叩かれた念仏石があります。
隕石説があるらしく、叩くと金属質の音が響きます。
いつ落ちたものなのかわかりませんが、この大きさだと、落ちたときはすごい爆発だったでしょうね。 -
頂いた御朱印。
大悲殿 -
次は真如堂へ行くのですが、その前にちょっと寄り道。
建仁寺の前を通って・・・ -
期間限定公開中の正伝永源院へ。
お嫁ちゃんが冬の京の旅で拝観したときに、御朱印帳を求めたところ、お寺が主催する公開時にしか領布されないと聞いて、がっかりして帰ってきました。
とてもきれいな御朱印帳なので、私も前年にやっと手に入れました。 -
ちょうど春の公開中、山門前の受付テントの女性に事情を話すと、快く御朱印帳を分けてくださいました。
ほんとは義娘ですけど「娘が1月に拝観して、御朱印帳を頂けなかったので」と説明したら、いたく関心されて「娘さんのためになんて、いいですね~」とおっしゃられて、こそばゆい思いをしました。(写真は前年撮影) -
今回、拝観しませんが、限定御朱印もいただくことができました。
英一蝶の描いた弁財天正伝永源院 寺・神社・教会
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祇園のバス停まで、せっかくなので、雰囲気のある路地を歩て行きましょう。
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11:19 北上するバスの停留所は八坂神社の斜め向かい。
観光客の流れに乗って歩きます。
バス停の後ろは「よしもと祇園花月」呼び込みしてましたよ。 -
11:44 白川通りの真如堂前で下車。
あはは~祇園とは大違い、観光客は皆無です。 -
バス停名は「真如堂前」ですが、前じゃなく後ろですね。
白川に架かる橋を渡って山を登って行きます。 -
11:48 小さな石段がお寺の入り口。
お庭公開の看板が目印になりました。これがないと、あの小さな表示看板だけ。 -
石段を上がったところは本堂の裏手にあたり、きれいな青もみじに目を奪われます。
秋は紅葉の名所です。 -
焦茶色の本堂に新緑のもみじが映えてます。
正面に回りましょう。 -
鈴聲山 真正極楽寺 れいしょうざん しんしょうごくらくじ
通称 真如堂
984年、比叡山の戒算が夢告をうけ、常行堂の本尊の阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(一条天皇の生母)の離宮に安置したのが始まりです。
992年に一条天皇の勅許を得て本堂が創建され、念仏の道場として、女性の信仰を集めました。真如堂 (真正極楽寺) 寺・神社・教会
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名残の桜が咲いています。
応仁の乱で焼失し、1693年に現在地に移転するまで比叡山、近江、京都市内を転々としました。 -
総門 1695年造
吉田神社の神様が夜にお参りに来るので、つまづかないように、敷居がないんだそうですよ。 -
参道の向こう側は宗忠神社の正面参道、その奥は吉田山です。
前に宗忠神社を参拝した時に、向こう側から真如堂を見ました。
その時は特別公開していた金戒光明寺に行き、真如堂スルーしちゃったんですよ。
やっと来れた。 -
石段の右側に三重塔 残念ながら修造中。 1817年建立
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大きな手水舎 奥は修造中の三重塔
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鐘楼 第二次世界大戦時に金属供出によって持ち出され、潰されることなく、戦後、寺に戻ってきました。
その時に穴が二つ開けられましたが、古くから名鐘と言われた音は、変わらないそうです。 -
参道は、なかなか素敵な石段です。
正面の本堂は1717年に造られました。真如堂とは本堂のことなんですね。
本堂外陣までは無料で拝観できます。 -
ご本尊は「うなずきの弥陀」と呼ばれています。
慈覚大師円仁の作で、比叡山の修行僧の本尊として白毫を入れようとしたところ、阿弥陀如来は首を振って拒否。
円仁が「京に出てすべての人、特に女性をお救いください」というと三度うなずいたそうです。 -
一年に一度ご本尊の厨子が開かれ、その時は内内陣で近くで拝観できるそうです。
左手には安倍晴明が亡くなったとき、閻魔大王に掛け合って清明の命を救ったという不動明王像。
右手には最澄作の千手観音が並びます。 -
御朱印帳を預けて、参拝し、本堂をぐるりと歩いてみましょう。
お寺は「三井家」、元財閥の三井家の菩提寺で、三井家は大檀家。
三井各家のお墓や、奉公人の供養塔、今はグループ社員の慰霊塔もあります。 -
裏側は先ほど歩いてきた青もみじの庭。見る角度が違うと、雰囲気が変わります。
秋のここから眺めは、きっと見事でしょうね・・・う~来てみたい! -
有料拝観の書院の庭を見に行きます。
渡り廊下を歩いて、書院へ。 -
手水鉢に瓦が置いてありました。
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柔らかな陽射しと木漏れ日と枯山水。
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書院の玄関はここになるのかな・・・。
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南側にある、燈明寺石灯籠 日本一古い灯籠とも
鎌倉時代に燈明寺にあった石灯籠で、三井家がお寺から入手して京都の三井邸に設置し、その後、昭和30年に東京の三井邸に移され、昭和60年に寄贈されました。 -
東山を借景にした枯山水、涅槃の庭。
意外と新しい庭で 1988年に曽根三郎氏の作庭です。
お釈迦様の涅槃の姿を大きな石で、周りは弟子たちが嘆き悲しむ様子を小さな石で表します。 -
そう思ってみると石が悲しんでいる姿に見えてくるから不思議です。
手前の大きな石はお釈迦様の母、摩耶夫人。
ゆっくりと座敷に座ってお庭を楽しみ、背後の障壁画を鑑賞しました。 -
南側の随緑の庭
2010年に重森三玲の孫の重森千青氏が作庭した、モダンでリズミカルなデザインのお庭。
随縁とは真理は絶対に不変でも、様々な姿を見せるという、仏教の教え。
奥の開山堂の蟇股にある三井家の家紋「四つ目」をモチーフにしています。 -
お庭のことは詳しくは分かりませんが、三玲氏の雰囲気を踏襲しています。
ここで使われている石はすべて境内にあったもの、木は以前からここに生えていたんだそうですよ。 -
三井家は1981年に真如山荘という大きな建物を寄進していて、グループ企業の研修が行わるそうですよ。
新入社員研修に使う会社があって、ここで、「三井」について教えられるそうですよ。
ああ、なんかね、わかる気がする、あの感じ、愛社精神みたいなものが叩き込まれるわけですよ。 -
御朱印を頂きました。
無量寿 本尊の阿弥陀如来を表します。 -
日本で最初の時代劇映画「本能寺合戦」が撮影されたのが、この境内。
2008年に京都映画誕生の碑が建立されました。
境内にあるお堂を廻って行きましょう。 -
元三大師堂 1696年建立
京洛十八大師めぐり 第3番札所 -
元三大師良源の姿を描いた絵がまつられています。
地蔵菩薩と不動明王像が安置されています。 -
新長谷寺 洛陽三十三所観音霊場 第5番札所
本尊 十一面観音
かつては吉田神社の神宮寺で吉田山にありましたが、明治の廃仏稀釈で真如堂に移動しました。
お寺に伝わる由緒によると、陽成天皇のころ(880年ごろ)藤原高房が西国に三歳の子と連れだって赴く途中、猟師が大きな亀を捕らえているのを見て、その日は観音様の縁日だからと、亀を買い取って逃がしてやりました。 -
翌朝、船で海に出ると、海は荒れ、子供は海に落ちてしまいます。すると、昨日助けた亀が現れて子を背に乗せて命を救ったのです。
高房は信心している観音様の御加護だと深く帰依します。 -
その子は後の中納言・藤沢山蔭で、最初の妻が病で亡くなると、後妻を迎えますが、後妻は先妻の子を疎んじて、一家が九州に向かう際、先妻の子を海に突き落とします。
山蔭が子供を探していると、あの亀が再び現れて子供を助けてくれたのです。
山蔭は観音様の遣わしてくれたものと考え、長谷寺の十一面観音像と同じ大きな観音様を造り、八尺の観音像を前立てにして、神楽岡の自邸に新長谷寺を建立しました。 -
洛陽三十三所観音霊場 第5番
新長谷寺 大悲殿 -
千躰地蔵堂
ガラス越しに堂内を覗いてみると。 -
奉納された小さなお地蔵様がびっしりと並んでいます。
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塔頭の法伝寺
桜が綺麗です。
ダキニ天を祀っています。 -
弘法大師作のダキニ天の尊像、日本最初の稲荷大明神と伝わります。
ダキニ天はヒンドゥー教の魔女で、ジャッカルにまたがっています、日本に伝わり、ジャッカルが白狐になり、お稲荷さん信仰と習合しました。 -
青面金剛尊
庚申信仰の御本尊 -
神馬
足元に大黒様がたくさん。 -
桜が満開です、今年の桜に何とか間に合ったという感じです。
さあ、そろそろ戻ろう。 -
唐金阿弥陀如来
1719年に木食正禅によって建立されました。
正禅上人は病人や民衆を救い、この阿弥陀様の頭の部分の模型を持って勧進をして回ったそうです。 -
帰路も真如堂前からバスに乗るので、来た道を戻ります。
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石薬師堂 1966年 金光院より移築
本尊 石薬師如来 最澄作という
平安遷都のころ、光沢のある蓮華のツボミに似た大きな石が涌き、桓武天皇はその石の上にお堂を造り、石に薬師如来を彫らせたそうです。 -
万霊堂のモノトーンが新緑を際立たせます。
名残惜しいですが、お寺を後にしましょう。 -
石段を下りて、バス停に向かいます。
次の目的地は、洛陽三十三所観音霊場、最後にお参りする大蓮寺です。
これで、やっと結願となりますよ。
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