飛鳥旅行記(ブログ) 一覧に戻る
石舞台の写真を見たのは小学校の教科書だったでしょうか、一度は来てみたいと思っていて、やっと達成です。<br />飛鳥周辺を廻るのは、とても一日では足りませんが、ちゃっちゃと半日でエッセンスな部分だけ見て行きます。

2019年春 京都と奈良、御陵印と洛陽・西国札所巡りの旅・四日目【3】石舞台古墳、西国札所、石楠花が咲く岡寺

8いいね!

2019/04/17 - 2019/04/20

537位(同エリア928件中)

三峯霧美

三峯霧美さん

石舞台の写真を見たのは小学校の教科書だったでしょうか、一度は来てみたいと思っていて、やっと達成です。
飛鳥周辺を廻るのは、とても一日では足りませんが、ちゃっちゃと半日でエッセンスな部分だけ見て行きます。

PR

  • 12:57 石舞台近くの有料駐車場に移動<br />石舞台前の無料駐車場が土曜日に空いてるわけがなく有料駐車場に停めました、空いてます。<br />普段食べない朝食をしっかり食べたので、車内でコンビニおにぎりをつまんで、ランチは終了。

    12:57 石舞台近くの有料駐車場に移動
    石舞台前の無料駐車場が土曜日に空いてるわけがなく有料駐車場に停めました、空いてます。
    普段食べない朝食をしっかり食べたので、車内でコンビニおにぎりをつまんで、ランチは終了。

  • 石舞台古墳の周辺は芝生の広場があって、お弁当を広げてるグループもぽつぽつ。<br /><br />石舞台は古墳の石室で、盛り土がなくなってしまって石が露出したのです。<br />埋葬されていたのは蘇我馬子だと言われています。

    石舞台古墳の周辺は芝生の広場があって、お弁当を広げてるグループもぽつぽつ。

    石舞台は古墳の石室で、盛り土がなくなってしまって石が露出したのです。
    埋葬されていたのは蘇我馬子だと言われています。

  • 大きな桜の木の下が入り口。国営の飛鳥歴史公園の一部です。<br /><br />元の古墳の形は推測するしかありませんが、周りに空堀と外堤があり、外堤は一辺が80mという大きさで、1959年に復元工事が行われています。

    大きな桜の木の下が入り口。国営の飛鳥歴史公園の一部です。

    元の古墳の形は推測するしかありませんが、周りに空堀と外堤があり、外堤は一辺が80mという大きさで、1959年に復元工事が行われています。

  • 石舞台古墳<br />横穴式石室、30個の花崗岩で造られてて総重量2300トン、3km先の多武峰から運ばれたそうです。<br /><br />当然埋葬品は盗掘にあい、石室の内部に石棺の破片が落ちてたのみ。<br />あんな大きなもの、持ちだしたのね・・・。

    石舞台古墳
    横穴式石室、30個の花崗岩で造られてて総重量2300トン、3km先の多武峰から運ばれたそうです。

    当然埋葬品は盗掘にあい、石室の内部に石棺の破片が落ちてたのみ。
    あんな大きなもの、持ちだしたのね・・・。

    国営飛鳥歴史公園 公園・植物園

  • 蘇我馬子は飛鳥時代の貴族で大臣。4代の天皇に仕え、権勢を誇っておりました。<br /><br />人物像は日本書紀と古事記に記されていますが、編纂したのが藤原氏の時代なので、悪人に仕立て上げられたと推察されます。

    蘇我馬子は飛鳥時代の貴族で大臣。4代の天皇に仕え、権勢を誇っておりました。

    人物像は日本書紀と古事記に記されていますが、編纂したのが藤原氏の時代なので、悪人に仕立て上げられたと推察されます。

  • 羨道(えんどう)の長さは11m ここから石室の中に入れます。<br />実は、中に入れるとは思いませんでした。<br /><br />

    羨道(えんどう)の長さは11m ここから石室の中に入れます。
    実は、中に入れるとは思いませんでした。

  • 7.7m×3.5m 高さが4.7mもあって、石の間から空が見えるせいか、圧迫感はありません。<br />

    7.7m×3.5m 高さが4.7mもあって、石の間から空が見えるせいか、圧迫感はありません。

  • 復元された石棺がありました。<br />

    復元された石棺がありました。

  • 石舞台の周囲は桜が植えられて、お花見にいい場所です。

    石舞台の周囲は桜が植えられて、お花見にいい場所です。

  • あすか野ログハウス<br />休憩も兼ねてソフトクリームでも食べようか<br /><br />大型観光バスが入ってて、人がたくさんいます。

    あすか野ログハウス
    休憩も兼ねてソフトクリームでも食べようか

    大型観光バスが入ってて、人がたくさんいます。

    あすか野ログハウス グルメ・レストラン

  • あすかルビーという苺のソフトクリーム<br />果汁入りで安い方、100円増すと果肉入りになるらしい。安い方でも普通に美味しい。<br />昭和っぽい雑然としたテーブル席で休憩しました。

    あすかルビーという苺のソフトクリーム
    果汁入りで安い方、100円増すと果肉入りになるらしい。安い方でも普通に美味しい。
    昭和っぽい雑然としたテーブル席で休憩しました。

  • 13:47 岡寺門前駐車場へ移動<br />この日3回目の有料駐車場、節約のためレンタサイクルも考えましたが、山の中腹にある岡寺に来るのはチャリじゃ無理。<br />

    13:47 岡寺門前駐車場へ移動
    この日3回目の有料駐車場、節約のためレンタサイクルも考えましたが、山の中腹にある岡寺に来るのはチャリじゃ無理。

  • 石段を登って岡寺へ行きます。<br /><br />お寺の駐車場は、めちゃくちゃ狭い道の奥、ストレスフルなのでこっちに駐車しました。

    石段を登って岡寺へ行きます。

    お寺の駐車場は、めちゃくちゃ狭い道の奥、ストレスフルなのでこっちに駐車しました。

  • お寺に向かう途中に治田神社があります。式内社の治田神社の比定社<br />創建不明、この地は8世紀の岡寺の伽藍跡で、一時八幡宮と称し、岡寺の鎮守だったそうです。<br /><br />たぶん無人、それに時間が無くて、横目に見るだけ。

    お寺に向かう途中に治田神社があります。式内社の治田神社の比定社
    創建不明、この地は8世紀の岡寺の伽藍跡で、一時八幡宮と称し、岡寺の鎮守だったそうです。

    たぶん無人、それに時間が無くて、横目に見るだけ。

  • 13:50 岡寺  東光山 眞珠院 岡寺 (龍蓋寺 りゅうがいじ)<br />奈良大和四寺巡礼、最後のお寺です。<br /><br />飛鳥の岡にあるから「岡寺」と呼ばれ、現在は岡寺が正式名称。<br />7世紀末に草壁皇子が住んでいた岡宮の跡地(治田神社がある場所)に、天智天皇の勅願によって創建されたと考えられています。

    13:50 岡寺  東光山 眞珠院 岡寺 (龍蓋寺 りゅうがいじ)
    奈良大和四寺巡礼、最後のお寺です。

    飛鳥の岡にあるから「岡寺」と呼ばれ、現在は岡寺が正式名称。
    7世紀末に草壁皇子が住んでいた岡宮の跡地(治田神社がある場所)に、天智天皇の勅願によって創建されたと考えられています。

    岡寺 寺・神社・教会

  • 仁王門 1612年再建<br />開基は義淵<br />子に恵まれない夫婦が観音様に祈願をしたところ、柴垣の上に白布に包まれた赤子がいて、その夫婦に育てられた赤子が義淵だと伝わります。<br /><br />天智天皇は観音様の申し子だと義淵を引き取り、岡宮で草壁皇子と共に育てられたのだそうです。

    仁王門 1612年再建
    開基は義淵
    子に恵まれない夫婦が観音様に祈願をしたところ、柴垣の上に白布に包まれた赤子がいて、その夫婦に育てられた赤子が義淵だと伝わります。

    天智天皇は観音様の申し子だと義淵を引き取り、岡宮で草壁皇子と共に育てられたのだそうです。

  • 手水舎<br />出家した義淵は元興寺に入り、育った岡宮の地を与えられ、龍蓋寺を建立します。<br />江戸時代までは興福寺の末寺でした。<br />

    手水舎
    出家した義淵は元興寺に入り、育った岡宮の地を与えられ、龍蓋寺を建立します。
    江戸時代までは興福寺の末寺でした。

  • まだ枝垂桜が咲いていました。<br /><br />義淵は703年に日本で初めての「僧正」に任じられ、その門下には東大寺創建の良弁、大僧正となった行基などの高僧がいました。

    まだ枝垂桜が咲いていました。

    義淵は703年に日本で初めての「僧正」に任じられ、その門下には東大寺創建の良弁、大僧正となった行基などの高僧がいました。

  • 鐘楼堂<br />梵鐘 1808年に造られました。戦争の供出を逃れたので厄除、平和を願う鐘なんだそうです。鐘を撞てもいいみたい。<br />

    鐘楼堂
    梵鐘 1808年に造られました。戦争の供出を逃れたので厄除、平和を願う鐘なんだそうです。鐘を撞てもいいみたい。

  • 本堂 1805年建立 <br />本尊 如意輪観音菩薩<br />西国三十三所 第七番<br /><br />本堂は完成までに30年かかっているんだそうですよ。<br />バス旅行の団体さんがいて、境内はとても賑やか。

    本堂 1805年建立 
    本尊 如意輪観音菩薩
    西国三十三所 第七番

    本堂は完成までに30年かかっているんだそうですよ。
    バス旅行の団体さんがいて、境内はとても賑やか。

  • 御本尊の如意輪観音座像は奈良時代に造られ、塑像(土でできてる)では日本最大、弘法大師が日本・中国・インドの土で造ったと伝わります。<br /><br />頭部は奈良時代のものですが、体部は補修されていて、半跏像だったものを座像に改めています。

    御本尊の如意輪観音座像は奈良時代に造られ、塑像(土でできてる)では日本最大、弘法大師が日本・中国・インドの土で造ったと伝わります。

    頭部は奈良時代のものですが、体部は補修されていて、半跏像だったものを座像に改めています。

  • 脇侍の不動明王像と愛染明王像が、開眼以来223年で初めての修理を終えて特別拝観がおこなわれていました。<br /><br />また、内々陣の扉が開かれて、すぐそばで御本尊を見ることができ、本尊と自分との間に結縁如意宝珠(大きな水晶)があって、御本尊と御縁を結ぶことができます。

    脇侍の不動明王像と愛染明王像が、開眼以来223年で初めての修理を終えて特別拝観がおこなわれていました。

    また、内々陣の扉が開かれて、すぐそばで御本尊を見ることができ、本尊と自分との間に結縁如意宝珠(大きな水晶)があって、御本尊と御縁を結ぶことができます。

  • 行列に並んで 御朱印を頂きました。<br />西国三十三所 第七番 岡寺 厄除大悲殿<br /><br />

    行列に並んで 御朱印を頂きました。
    西国三十三所 第七番 岡寺 厄除大悲殿

  • 龍蓋池<br />この地を荒らし農民を苦しめた龍を、義淵が法力で池の中に封じ込め、大きな石で蓋をしたという伝説から「龍蓋寺」という名になりました。<br />その池がここ。<br />龍は改心して善龍になって今でもこの池で眠っているそうです。

    龍蓋池
    この地を荒らし農民を苦しめた龍を、義淵が法力で池の中に封じ込め、大きな石で蓋をしたという伝説から「龍蓋寺」という名になりました。
    その池がここ。
    龍は改心して善龍になって今でもこの池で眠っているそうです。

  • その伝説を描いたものがレリーフになっていました。<br />悪い龍の厄難を取り除いたという伝説は「やくよけ」となり、日本最初の厄除寺となりました。

    その伝説を描いたものがレリーフになっていました。
    悪い龍の厄難を取り除いたという伝説は「やくよけ」となり、日本最初の厄除寺となりました。

  • 龍玉願い珠<br />岡寺のもちの木に龍玉をつるし、厄を落として、願いをもち帰るのだそうですよ。

    龍玉願い珠
    岡寺のもちの木に龍玉をつるし、厄を落として、願いをもち帰るのだそうですよ。

  • 境内はシャクナゲ咲き始めました。

    境内はシャクナゲ咲き始めました。

  • 西国、江戸時代の復刻御朱印<br />大悲宝楼閣 復刻御宝印<br /><br />西国三十三所草創1300年を記念して、奈良県内の4寺で江戸時代の復刻御朱印が期間限定で授与されました。これでコンプリート!<br />

    西国、江戸時代の復刻御朱印
    大悲宝楼閣 復刻御宝印

    西国三十三所草創1300年を記念して、奈良県内の4寺で江戸時代の復刻御朱印が期間限定で授与されました。これでコンプリート!

  • 春のお寺は、この花が定番<br />シャガ

    春のお寺は、この花が定番
    シャガ

  • 右側に瑠璃井 弘法大師ゆかりの厄除けの湧水です。<br />左側からお寺の境内を廻る道に入ります。

    右側に瑠璃井 弘法大師ゆかりの厄除けの湧水です。
    左側からお寺の境内を廻る道に入ります。

  • 修行中の弘法大師の像<br />山側の参道は、昨年の台風の被害なのか、地滑り箇所がいくつかあって、復旧工事中でした。

    修行中の弘法大師の像
    山側の参道は、昨年の台風の被害なのか、地滑り箇所がいくつかあって、復旧工事中でした。

  • お稲荷さん<br />覆い殿に守られています。<br />如意稲荷社

    お稲荷さん
    覆い殿に守られています。
    如意稲荷社

  • ここにも弥勒菩薩

    ここにも弥勒菩薩

  • 奥之院石窟堂 弥勒の窟<br />天井が低いから気を付けて入りましょう。<br />前を歩いていた男性が頭をぶつけて、痛そうでした。

    奥之院石窟堂 弥勒の窟
    天井が低いから気を付けて入りましょう。
    前を歩いていた男性が頭をぶつけて、痛そうでした。

  • 石窟の中に弥勒菩薩座像が安置されています。<br />場所に似合わぬ優しいお顔。

    石窟の中に弥勒菩薩座像が安置されています。
    場所に似合わぬ優しいお顔。

  • 右 奥之院 弥勒菩薩の御朱印<br />弥勒<br />左 奈良大和 四寺巡礼の御朱印<br />厄除佛

    右 奥之院 弥勒菩薩の御朱印
    弥勒
    左 奈良大和 四寺巡礼の御朱印
    厄除佛

  • しゃくなげの道を進みます。<br />

    しゃくなげの道を進みます。

  • 右下に本堂が見えてきました。

    右下に本堂が見えてきました。

  • さらに進むと青もみじが綺麗なもみじのトンネル。

    さらに進むと青もみじが綺麗なもみじのトンネル。

  • 木々の間から畝傍山が見えました。

    木々の間から畝傍山が見えました。

  • 尾根の上に建つ三重宝塔<br />2001年再建完成。<br /><br />以前の三重塔は治田神社境内にあって、1472年7月に大風(たぶん台風)で倒壊し、再建を断念。古材は現在の仁王門と楼門の再建に使われています。

    尾根の上に建つ三重宝塔
    2001年再建完成。

    以前の三重塔は治田神社境内にあって、1472年7月に大風(たぶん台風)で倒壊し、再建を断念。古材は現在の仁王門と楼門の再建に使われています。

  • 本堂の手前に見えるのが開山堂<br />談山神社(妙楽寺)から移築された護摩堂で、1797年建立、明治の廃仏毀釈で1871年に岡寺に移築され、阿弥陀三尊像が安置されています。<br />その手前にあるのが楼門

    本堂の手前に見えるのが開山堂
    談山神社(妙楽寺)から移築された護摩堂で、1797年建立、明治の廃仏毀釈で1871年に岡寺に移築され、阿弥陀三尊像が安置されています。
    その手前にあるのが楼門

  • 不動明王と愛染明王の御朱印

    不動明王と愛染明王の御朱印

  • 御影の印<br />右 愛染明王<br />左 不動明王

    御影の印
    右 愛染明王
    左 不動明王

  • 大師堂 昭和の初めに建立(もう90年たってますね)<br />右は四国を巡って修行中の弘法大師の像<br />

    大師堂 昭和の初めに建立(もう90年たってますね)
    右は四国を巡って修行中の弘法大師の像

  • お大師様をお参りします。<br /><br />境内の石楠花は3千株、見ごろはゴールデンウィークあたりまで。<br />ゴールデンウィーク中はダリアを池や鉢に浮かべるイベントが行われます。<br />

    お大師様をお参りします。

    境内の石楠花は3千株、見ごろはゴールデンウィークあたりまで。
    ゴールデンウィーク中はダリアを池や鉢に浮かべるイベントが行われます。

  • 14:45 ゆっくり一周して来たら、団体さんがいなくなって、ずいぶん静かになりました。<br />車に戻って、橘寺に向かいます。

    14:45 ゆっくり一周して来たら、団体さんがいなくなって、ずいぶん静かになりました。
    車に戻って、橘寺に向かいます。

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP