2019/08/08 - 2019/08/10
11位(同エリア2653件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/08/08
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エボラ→リスボン(バス)
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ピンゴ・ドーチェ(スーパー)
2019/08/09
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シントラ
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リスボン
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飛行機での移動
リスボン7時15分発→フランクフルト11時15分着
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飛行機での移動
フランクフルト18時10分発→羽田12時15分着(8月11日)
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この旅行記スケジュールを元に
エボラから移動して、リスボンにやって来ました。
リスボンの街はオデュッセウス(ギリシア神話の英雄)によって建設されたという伝説があるそうです。
Estrimnios (エストリムニオスが、ポルトガルの先住民であると言われています。
そして後にローマ人によってOestrimni(「極西の人々」のラテン語)と呼ばれ、青銅器時代後期(BC1100~700年)に領土を現在のGalicia(ガリシア)からAlgarve(アルガルヴェ)まで広げました。これらの先住民族のコミュニティはリスボンのテージョ川沿岸河口のこの地を交易の要として支配していました。
リスボンの地名の由来は、地理学者のPomponius Mela(ポンポニウス・メラ)(ヒスパニア出身)がラテン語でUlyssippo(ウリシッポ)と記しています。それが→Olissipo「オリシッポ」と呼ばれ、ギリシャ人によってオリシポ、オリシポナと呼ばれていったようです。
最近の考古学的な見解では、古代の名前オリッシポが示すように、リスボンはCastelo de S. Jorge(サン・ジョルジェ城)の丘の上にあるローマ時代以前の集落の周りで形成されていったとが示されているようです。
1755年のリスボン大地震の後に、BC63年~AD14年のローマ皇帝アウグストゥス時代の遺跡(ローマ劇場)が再発見されました。
この高台には足を運ぶことはありませんでしたので、ちょっと残念でした。
リスボンを一望できる場所でもあるだけに、この目で見ておきたかったです。
その後の大航海時代のリスボンについては、皆さんご存知のとおりです!
今回はその15世紀からのリスボンを観ました。
【旅程】
8月2日(金)
羽田14時05分発→フランクフルト18時45分着
ルフトハンザ航空LH717便(11時間40分)
↓
フランクフルト21時00分発→バルセロナ23時00分着
ルフトハンザ航空LH1138便(2時間)
8月3日(土)
バルセロナ市内観光
カサ・バトリョ→カサ・ミラ→サンパウ病院→サグラダ・ファミリア→カタルーニャ広場→カテドラル
↓
タラゴナ
ラス・ファレラス水道橋
↓
バレンシア
8月4日(日)
バレンシア観光
ラ・ロンハ
↓
ラ ・マンチャ地方
クエンカ市内観光
↓
ラ・マンチャ地方
カンポ・デ・クリプターナ
↓
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月5日(月)
マドリッド市内観光
プラド美術館
↓
トレド観光
カテドラル→サント・トメ教会
マドリッド
8月6日(火)
コルドバ観光
花の小径→メスキータ
↓
グラナダ
アルハンブラ宮殿
8月7日(水)
グラナダ市内観光
カテドラル
↓
ミハス
↓
セビリア
フラメンコショー鑑賞
8月8日(木)
セビリア市内観光
スペイン広場→カテドラル→ムリーリョ公園→アルカサル→カテドラル→ヒラルダの塔→黄金の塔
↓
エヴォラ歴史地区観光
ディアナ神殿→ロイオス教会→カテドラル→サン・フランシスコ教会
↓
リスボン●
8月9日(金)
ロカ岬●
↓
ジェロニモス修道院→ベレンの塔→発見のモニュメント●
↓
シントラ観光
シントラ王宮
↓
リスボン●
フランクフルト18時10分発→●
8月11日(日)
羽田12時15分着●
ルフトハンザ航空LH716便(11時間05分)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
PR
-
エボラからリスボンにやって来ました。
ここに見える大海原は、実はテージョ川です。 -
まずはレストランに向かいます。
Grand' Elias(グランド・エリアス)グランド・エリアス 地元の料理
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左上はバカリャウ(干しダラ)のコロッケ
右上はリゾット
左下はアイス
右下はサービスのワインだったと思います。ロゼだったような・・・。
ポルトガルでは、Vinho Verde(ヴィーニョ・ヴェルデ)若摘みのワインが有名です。 -
Hotel Real Palacio(オテル・レアル・パラシオ)
このホテルに2泊しました。オテル レアル パラシオ ホテル
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ホテルのロビー
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客室です。
可もなく不可もなく。 -
アメニティ
ブルーのアズレージョ柄が、爽やかで涼しげです。 -
ホテルの向かい側の景色です。
ホテルの目の前の通りは(トマース・リベイロ)通りです。
ホテルのすぐ側にはIgreja de Sao Sebastiao de Pedreira(サン・セバスチャン・ペドレイラ教会がありました。
残念ながら、行けませんでした。 -
ホテルのそばにあるスーパー「Pingo Doce(ピンゴ・ドーチェ)」です。
添乗員さんはピンゴ・ドーチェと呼んでましたが、よくよく考えると、ポルトガル語だと、ピンゴ・ドーセになるような気がするのですが・・・。 -
ポルトガルではお馴染みのバカリャウ(たら)です。
市場のように無造作に並んでます。でもリーズナブルかも。
こちらのスーパーでワインを購入しました。
お土産でなく、お部屋で飲むためでした。オープナーがないことに気づき買う羽目に。たいがい旅行では、お食事の際にワインを飲むので、お部屋ではもっぱらウィスキーなのですが、今回は夫がワインを飲みたがったため、ちょっと面倒でした。
それから、スーパーで買った大きなショッピングバッグは今も使っています。ファスナーもついていて結構便利です。 -
朝食です。
これが最後の朝食です。帰国日は、朝早いためBox Breakfast でした。 -
ついに最西端までやってきました。
ただ、これまでずっとお天気続きでしたが、霧雨が降っていました。
岬なので風も結構強いです。
昨日のエボラの暑さが嘘のように、ひんやりとしています。
私は七分丈のブラウスにウインドブレーカーを着ていました。 -
イチオシ
Cabo da Roca(ロカ岬)
元より岬は大好きですが、数ある岬の中でもこのロカ岬は格別です。
極東から最西端の地までやって来たのかと思うと、感慨深かったです。
しかも朝早いためか、観光客もあまりいません。
良かったです!ロカ岬 海岸・海
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白い十字架のモニュメントがあります。
この付近では1703年5月22日に、ロカ岬の海戦が起きました。スペインの王位継承を巡ってヨーロッパ諸国で行われた戦争です。フランス、オランダの両海軍が、この近くで激突しました。結果はフランス軍の勝利でした。 -
こうして見ると、つくづく最果ての地にやって来たんだなぁ~と思います。
こちらには朝一で来ましたが、正直言うと夕陽が沈む光景を見たかったです。
ただ、海を眺めて大航海時代に思いを馳せると、どんな気持ちでここから遠い世界へ旅立って行ったのか、夢や希望を、あるいは大切な人を残して旅立つ心境など考えずにはいられませんでした。 -
Cabo da Roca(ロカ岬)
Aqui...... Onde a terra se acaba E O Mar Comeca......
(ここに........ 地終わり、そして海始まる)
Ponta mais ocidental do continente Europeu(ヨーロッパ大陸の最西端)と書かれた石碑があります。
これは、ポルトガルの詩人、Luis Vaz de Camoes(ルイス・デ・カモンイス)が詠んだ詩です。
大航海時代を描いた「Os Lusiadas」(ウズ・ルシアダス)の第3詩20節から引用されています。
Ponta mais ocidental do continente Europeu(ヨーロッパ大陸の最西端)と石碑に刻まれています。
Camara Municipal de Sintra(シントラ市)1979年
ここは、北緯38度47分、西経9度30分、標高140mです。 -
水平線が見えるだけです。(晴れていたら、もっと綺麗だったでしょう。)
この遥か先にはアメリカ大陸があります。 -
ご覧のように断崖です。白波がたっています。
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ここはリスボン市の西北西30km地点にあります。
古代ローマ人に、プロモントリウム・マグヌム (大いなる岬) として知られた所です。
一応ここもCosta do Sol((コスタ・ド・ソル)太陽海岸)の1つです。
コスタ・ド・ソルはスペインで言うコスタ・デル・ソルです。
テージョ川右岸の大西洋に沿う海岸線です。
(テージョ川はスペインのトレドにあったタホ川と同じです。スペインからポルトガルに流れてきて太平洋に注ぎます。)
でもこの日は「太陽海岸」にはちょっと程遠いお天気でした。(悲) -
灯台です。
1772年に建設されましたが、今もまだ灯台としての役目を果たしています。 -
ワンちゃんです。
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ツーリズムセンターです。
こちらでは、Certificado de acreditacao, Cabo da Roca(最西端証明書 ロカ岬)を交付してもらえます。 -
右の門はレストランです。
壁には大航海時代を思わせる帆船のアズレージョがあります。 -
中に入りました。
左はInfante Dom Henrique(エンリケ航海王子)でしょうか・・・。
右はFilipa de Lencastre(フィリパ・デ・レンカストレ)?(エンリケ航海王子の母)のような気もするのですが、定かではありません。
最初、Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ)かとも思いましたが、ちょっと違うような・・・間違っていたらごめんなさい。 -
こちらではアイスも売っていましたが、寒くて食べる気になりませんでした。
(-_-;)
お土産もたくさんありました。
ちなみに真夏ですが、フィッシャーマン・セーターまでありました。(O_O)
ワインもたくさんありました。
素敵なパッケージの物もありました。ただし観光地価格です。 -
さて次はリスボンに戻って、ジェロニモス教会の観光をしました。詳しくは、この旅行記の前の前にアップしてます。
この地域はBelem(ベレン)地区です。
Santa Maria de Belem(サンタ・マリア・ベレン)地区とも言います。
サンタ・マリア教会から名前がつけられているのでしょう。
そしてベレンと言うのは、ベツレヘム(ヨルダン川西岸地区)から名前がつけられたようです。ジェロニモス修道院 寺院・教会
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トーレ・デ・ベレン公園にやって来ました。
海の方に向かって行きました。
目の前に何かが見えます。いったいなんでしょう?
それにしても雨が降ってきて肌寒く、傘をさしました。
持っていない人も結構いて、傘売りの人もいました。 -
Sacadura Cabral and Gago Coutinho Monument
(サカドゥーラ・カブラルとガーゴ・コウチーニョの記念碑)
Santa Cruz(サンタ・クルス)号のレプリカです。
長さ:10.82m
翼幅:14.05m
高さ:3.7m
重さ:1800kg
設備重量:2500kg
巡航速度:115km/h
本物はキャンバスで覆われた木造でした。
複葉水上機(Fairey IIID:ロールス・ロイス製イーグルVII350馬力)
Sacadura Cabral(サカドゥーラ・カブラル)という飛行操縦士と、Gago Coutinho(ガーゴ・コウチーニョ)という海軍士官航空士(ナビゲーター)の2人がリスボンからリオ・デ・ジャネイロまでの南大西洋飛行を成し遂げました。
1922年6月、天文ナビゲーションシステムのみを利用しての初の飛行でした。
ただし、初のというのは南太平洋飛行が「初」であって、北大西洋飛行は3年前の1919年5月に米NY州のロングアイランドからニューファンドランド経由でリスボンに着水しています。
有名なリンドバーグはそのもっと後のことです。
1927年5月、NYからパリへ単独で無着陸飛行をしました。
それにしても、こんな小さな飛行機に乗って大西洋を渡ってしまうなんて、凄いですね。
海軍航空隊の100年(1917-2017年)として機体の後ろの方に説明もありました。
サカドゥーラ・カブラルは1924年11月15日、イギリス海峡を飛行中に、副操縦士とともに霧と視界低下のために姿を消してしまいました。 搭乗していた水上飛行機からのいくつかの残骸が4日後に発見されましたが、遺体は決して発見されませんでした。 彼らに捧げられた彫像がリスボンにあります。
一方ガーゴ・コウチーニョはいくつかの知識分野で多目的活動を行っていましたが、航空ナビゲーターとして世界で知られて脚光を浴びました。
彼は水平線を必要とせずに(飛行中)星の高度を測定するために使用できる新しい6分モデルを開発しました。この新しい装置は精密六分儀と呼ばれ、水泡を利用した人工地平線のシステムを用いました。
またナビゲーション、天文学、地理学、数学に関する数々の英知によりポルトガル国王D.カルロス1世から、アフリカとアジアでのいくつかの任務を受けました。
そしてリスボン大学とポルト大学からPh.D. Honoris Causaを含むいくつかの名誉ある賞を受賞し、科学出版物もいくつか執筆しました。1958年にポルトガル海軍の海軍大将の地位を得て、その翌年に亡くなりました。Sacadura Cabral and Gago Coutinho Monument モニュメント・記念碑
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海のように見えますが、実は川の河口付近です。
テージョ川です。テージョ川はここポルトガルでの呼び名ですが、スペインではタホ川と呼ばれています。
あの古都トレドの周囲を流れていたタホ川です!
タホ川はスペイン領を716km、スペイン=ポルトガルの国境を47km、ポルトガル領を275km流れて、この先の大西洋に注いでいます。
1007kmと長い川です。
ところで目の前の船は「Lisboat」と書かれた観光船のようです。天気が良かったら気持ち良さそうですが、この日は見てるだけで寒そうです。 -
この橋ではありませんが、もっと左の先に行くと、ヴァスコ・ダ・ガマ橋があります。全長は17.2kmもあります。ヨーロッパで1番の長さです。
渡った対岸はサン・フランシスコという地区です。
この橋はPte. 25 de Abril(4月25日橋)です。2,277mです。
米のサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジにちょっと似てます。
そういえば、サンフランシスコもリスボンも坂のある街ですし、坂があるせいかケーブルカーまであります。
ところでこの橋を渡った対岸には、Cristo-Rei(クリスト・レイの像)があります。これはリオのキリスト像の影響で造られたようです。
この写真では小さいですが、写真の真ん中より少し右側にあるのが、クリスト・レイです。
向こうに見える対岸は左岸になります。4月25日橋 建造物
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ポツポツと小雨が降ってきました。
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イチオシ
Torre de Belem(ベレンの塔)
この塔は「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」として1983年に世界遺産に登録されました。
正式な名称は「Torre de Sao Vicente(サン・ヴィセンテの塔)」です。
1515年から1521年にかけて建造されました。
本来はヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえるために、マヌエル1世の命で建造された要塞です。
マヌエル1世の死のわずか2年前の1519年に完成しました。
Gaspar de Paiva (ガスパル・デ・パイヴァ)が1521年9月15日初代の大尉に任命されました。
リスボンの守護聖人に敬意を表して、サン・ヴィンセンテ城と名付けられました。ベレンの塔 建造物
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一番左の突出した部分が見張り塔です。
実はこの塔はただの灯台ではなく、要塞の役目も果たしていました。
この時代は海賊が多かったために警備上の要となっていました。 -
この塔はポルトガルの他の建造物にも多いのですが、マヌエル様式になっています。
4階建てなっています。
地下は地下牢になっていて、潮の満ち引きを利用した水牢にもなっていました。
主に政治犯用でした。
(スペインのフェリペ王時代)恐ろしいです。
窓の下のバルコニー部分や塔の上部一面には十字架が見えます。
この十字架はテンプル騎士団の十字架に似ていますが・・・・。
気になって調べてみると、マヌエル1世はキリスト騎士団長だったようです。つまりキリスト騎士団が改編される前はテンプル騎士団でしたので納得です。
マヌエル様式の建造物は他にも、トマールのキリスト教修道院などもありますが、これはキリスト騎士団の修道院です。ちなみに同じベレン地区にあるジェロニモス修道院もそうです。
そして、このベレンの塔から北に、Ermida do Restelo(Capela de Sao Jeronimo(ジェロニモ礼拝堂))があります。
こちらでは、ヴァスコ・ダ・ガマが長い船旅に出航する前夜、彼の部下である乗組員らと、祈りの夜を過ごした場所でもあります。 -
Ermida do Restelo(Capela de Sao Jeronimo(ジェロニモ礼拝堂))からTorre de Belem(ベレンの塔)までは、このように一直線です。
① ベレンの塔方向から、Ave.do Torre de Belem(トーレ・デ・ベレン通り)をまっすぐ進むと、Ave.do Restelo(レステロ通り)に突きあたります。
その先の公園にJardim Ducla Soares の十字架を持った像があります。
そしてその先にあります。地図上では一直線です。
②ジェロニモス修道院は、海よりに下った右のあたりです。
丘の上のErmida do Restelo(Capela de Sao Jeronimo(ジェロニモ礼拝堂))からのテージョ川の眺めも良さそうです。
おそらくこの立地は、それも考えて建築されたのではないでしょうか。
確信はありませんが、個人的な推測です。 -
Restelo Hermitage= Ermida do Restelo= Capela de Sao Jeronimoです。
ベレン地区の小さな丘の上にあります。
(Google Earthより) -
ベレンの塔から発見のモニュメントの場所までは、近くて歩いて行けますが、ツアーなのでバスで移動しました。
ここから見えているのは、まだ海ではありません。
テージョ川です。川の河口です。右の方向に行くと、大西洋になります。
スペインのタホ川が流れていたトレドから、4日かけてようやく河口までやってきました。思えば長い川です。 -
Padrao dos Descobrimentos(発見のモニュメント)の東側です。
これは大航海時代の記念碑です。
船の舳先はテージョ川、つまり海に向いています。発見のモニュメント モニュメント・記念碑
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先頭から
1Infante Dom Henrique(エンリケ航海王子)
2Afonso V(アルフォンソ5世)
3 Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ)
4 Afonso Bardia(アルフォンソ・バルディア)
5 Pedro Alvares Cabral(ペドロ・アルヴァレス・カブラル)
6 Fernao de Magalhaes(フェルナン・デ・マガリャンイス)(マゼラン)
7 Nikolau Coelho(ニコラウ・コエーリョ)
8 Gasbar Corte Real(ガスバール・コルテ・レアル)
9 Martin Afonso de Sosa(マルティン・アフォンソ・デ・ソーザ)
10Joan Barros(ジョアン・バーロス)
11Esteba de Gama(エステバ・デ・ガマ)
12Bartolomeu Dias de Novais(バルトロメウ・ディアス)
13Diogo Kaon(ディオゴ・カオン)
14Antonio de Abreu(アントニオ・デ・アブレウ)
15Afonso de Albuquerque(アフォンソ・デ・アルブケルケ)
16Francisco de Xavier (フランシスコ・デ・ザビエル)
17Cristobaun da Gama(クリストバウン・ダ・ガマ) -
このモニュメントは1940年の国際博覧会のために造られました。
これは大航海時代のCaravel(キャラベル船(3本のマストを持つ小型の帆船))の船首の部分を表しています。
Carvalho(オーク材)→Caravel・・・が名前の由来とも・・。 -
発見のモニュメントの西側です。
先頭から
1Infante Dom Henrique(エンリケ航海王子)
2 Joao Ⅰ(ジョアン1世(エンリケ航海王子の弟))
3 Joan Gon Salves(ジョアン・ゴン・サルベス)
4 Jill Ianes(ジル・イアネス)
5 Pero de Alenquere(ペロ・デ・アレンケーレ)
6 Pedro Nunes(ペドロ・ヌネシュ)(数学者)
7 Pero de Escobar(ペロ・デ・エスコバール )
8 Jacome de Maiorca(ジャコメ・デ・マイオルカ)
9 Pero da Govilha(ペロ・ダ・ゴビリャン)
10Gomez Jianes de Zulara(ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ)
11Nuno Goncalves(ヌノ・ゴンサルヴェス)
12Luis Vaz de Camoes(ルイス・デ・カモンイス)
13Huerei Enrique Carvalho(フエレイ・エンリケ・カルバーリョ)
14Fernan Gonzalo de Carvalho((フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ)
15Filipa de Lencastre(フィリパ・デ・レンカストレ)(エンリケ航海王子の母
16Infante Pedro de Portugal(ペドロ・デ・ポルトゥガル)Duque de Coimbra(コインブラ公)(エンリケ航海王子の兄) -
この船をもった先頭の人物は、エンリケ航海王子です。
手に持っているのは小さな帆船のようです。
航海王であることの象徴です。
ただし王子は実際には船に乗って主導して行ったわけではなく、1度モロッコに渡っただけのようです。
支援していたパトロンでした。 -
船の高さは56m、 幅は20m、長さは46mあります。
彫刻は、彫刻家Soares Branco(ソアレス・ブランコ)とAntonio Santos(アントニオ・サントス)の協力を得て、 Leopoldo de Almeida(レオポルド・デ・アルメイダ)によってモデル化されました。
1960年8月航海士ヘンリーが亡くなってから500年を記念して再建されたものです。歴史的には古い物ではありません。でも、大航海時代のポルトガルを象徴しているような、わかりやすいモニュメントで、画像的にも映えます。
それから像ですが、エンリケ王子に続いて、十字軍、宣教師、地図製作者、戦士、入植者、 年代記者、芸術館など32名です。
この中で唯一の女性は、エンリケのの母、ランカスターの女王フィリパです。 -
Luis Vaz de Camoes(ルイス・デ・カモンイス)が持ってるのは叙事詩でしょうか。
彼はポルトガル最大の詩人です。あのシェイクスピア、フォンデル、ホーマー、ヴァージル、ダンテ等と比較されました。 -
アンカー(錨)の上にある碑文には
「AO INFANTE D. HENRIQVE E AOS PORTVGVESES QVE DESCOBRIRAM OS CAMINHOS DO MAR」
(海のルートを発見したポルトガルのエンリケ航海王子とポルトガルへ)と刻まれてます。 -
これは、ポルトガル人航海者が辿った航路を示す世界地図のモザイクです。
南アフリカ共和国から贈呈されました。
ポルトガルが発見した年が描かれてます。 -
「CALECUTE 1498」という文字があります。
ヴァスコ=ダ=ガマは、1498年5月20日にインド西岸のマラバール海岸のカリカットに到達しました。
名前が似てるのでお間違いないように!
カリカット(Calicut)は、インド南西部、15世紀頃のムスリム商人の寄港地です。
カルカッタ(Calcutta)はインドの東部で、今ははコルカタ(Kolkata)。17世紀末にイギリスの交易拠点として設けられました。 -
日本もありますが、この頃はこんな風に思われていたのでしょうね。(笑)
でも結構現在の姿に近いかもしれません。
「1541」という年はポルトガル船が豊後に漂着した年です。
えっ?種子島ではないの?・・・と思ったのですが、どうもこの年に船が漂着していたようです。種子島は1543年でした。
それにしても、地図全体をドローンで撮ったら、素敵な世界地図になりそうです。 -
発見のモニュメントの後ろ姿です。
離れてみると、よくわからない建造物ですね。(笑) -
マリーナです。
船がたくさんありました。 -
線路が道路と並行して走っています。(車窓)
遠くには、かすかにジェロニモス修道院が見えています。 -
Pte. 25 de Abril(4月25日橋)です。
この先の対岸にクリスト・レイ像があります。
見えにくいのですが、写真中央少し下の右端に、像が見えます。(車窓)
かろうじて写っていました。(^_^;) -
街中で見かけた壁に描かれたアズレージョです。
アズレージョと言っても様々なタイプの絵があります。
見ていると楽しくなります。(残念ながら撮影に失敗したため、この1枚だけになってしまいました。)実際にはたくさんありました。 -
Praca dos Restauradores(レスタウラドーレス広場)
「Restauradores」というのは「復興者たち」という意味があります。
たいがいどこの国も隣国、近隣国とは領土問題等々でトラブルが多いのですが、ポルトガルとスペインもそうです。
16世紀末からスペインに支配されてきました。そして1640年についに蜂起し、再独立を勝ち取りました。
(スペインから旅を続けてきた立場としては、なんとも微妙な立ち位置です。)
Monument to the Restorers(レスタウラドーレスのモニュメント)が見えます。オベリスクです。高さは30mです。
Alberto Nunes(アルベルト・ヌネス)により独立
Simoes de Almeida(シムエス・デ・アルメイダ)により勝利のオベリスク
台座には、復興戦争の決戦について刻まれています。
1640年12月1日、南面の独立復興の日
1644年5月26日、モンティホの戦いの日
1663年6月8日、アメシアルの戦いの日
1665年6月17日、モンテス・クラロスの戦いの日
オベリスク本体は14.6mです。レスタウラドーレス広場 広場・公園
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広場にやって来ました。
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Pratos do Dia
こちらでランチにします。 -
Carne de porco Alentejana (カルネ デ ポルコ ア アレンテジャーナ)
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プリンだったと思います。
他にもサラダかスープもあったような気がしますが、写真を撮り忘れました。 -
ちょっとだけお散歩。
アズレージョの小物がたくさんあります。 -
コルクが名物なのですが、バッグまでコルク製です。
コルクって、劣化しやすいイメージがあるのですが、大丈夫でしょうか・・・。
以前イタリアで買ったワインのボトルのコルク栓が、ダメになったので・・・・・。 -
Fabrica Nata(ファブリカ・ナタ)です。
ナタです。ポルトガル名物のエッグタルトのことです。
こちらがそのお店です。
↓
Praca dos Restauradores 62-68, Lisbon 1250-188, Portugalファブリカ ダ ナタ カフェ
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店内の様子です。
ちなみにエッグタルトは昔マカオに行った時にも食べました。
マカオはポルトガル領でしたので、パステル・デ・ナタという食文化が入っていきました。ちなみに香港でもエッグタルトはありますが、香港は英国領でしたので、イギリスとポルトガルを足して2で割ったような感じ。 -
Pasteis de Nata(パスティス・デ・ナタ)
複数形ですので・・・。 -
Praca de Rossio(ロシオ広場)
通称Praca de D. Pedro IV(ペドロ4世広場)
ロシオというのは「所有者のいない草原」という意味のようです。
1450年頃にエスタウ宮ができました。そして宗教裁判所となりました。
この頃は異端審問がポルトガルでも拡大していた時期です。
1836年の大火で、古い異端審問の宮殿は崩壊しました。
異端審問は各地でありましたが、特にスペインの異端審問は初期の頃は、converso((コンベルソ)カトリックに改宗したユダヤ教徒)やmourisco((モスリコ)カトリックに改宗したイスラム教徒)でした。ロシオ広場 (ペドロ4世広場) 広場・公園
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Pedro IV(ペドロ4世)の像です。
この像ができて、広場の名前もペドロ4世広場とされたのですが、一般市民には受け入れられませんでした。
ロシオ広場は1世紀の間、リスボン市民の待ち合わせ場所となってきました。 -
ランチの後は、シントラに行きました。
この旅行記は既に投稿してます。
(時系列では、ズレてしまいますが・・・・。) -
実はこの日は今回の旅行の最終日でした。
つまり明日でお別れです。
私はもう少しリスボン市内でのんびりしたかったのですが、明日の朝が早いため夫はホテルに戻りたいと・・・。
勿体なかったのですが、諦めてホテルに戻りました。 -
ホテルの近くです。
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左の木が繁っているあたりが、Parque Infantil da Praca Jpse Fontana公園です。
そして右の白とグレーの柄の建物は、警察施設のようです。この奥の棟の屋上にヘリポートがあります。
Direcao Nacional da Policia Judiciana
日本の警察庁のような機関でしょうか・・・。 -
このパティオはレストランやカフェやヨガスタジオが入ったビルです。
早めにご飯を食べようとやってきたのですが、そもそも早すぎてレストランはやっていません。
営業しているのは、カフェぐらいでした。
どうしてもお肉が食べたい夫に合わせてブラブラ・・・・。こんなことなら、もっと都心部にいれば良かったのに。 -
そしてホテル近くを巡って早めに空いていたお店にようやく入ることができました。
・・・というか開いたばかりでした。
タパス料理でしたが・・・う~~ん、お世辞にも美味しいとは言えませんでした。 -
そして8月10日の帰国の日になりました。
早朝4時すぎにはホテルを出発して空港へ。
Aeroporto de Lisboa(リスボン空港)
Aeroporto Humberto Delgado(ウンベルト・デルガード空港)です。
実は呼び名が変わりました。
2016年5月、反サラザール派の将軍名前に因んで改称されました、
元はLisbon Portela Airport (リスボン・ポルテラ空港)と呼ばれていました。 -
出発ロビーへと向かいます。
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搭乗口へ向かいます。
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昔日本にもあったボーダフォンのマークです。
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フライト案内でチェックします。
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搭乗券を準備してください。
わかり易く足元に表示がありました。
空港内ではパステル・デ・ナタ(エッグタルト)も売っています。私もお土産に買いましたが、手荷物として気をつけていたつもりが、帰国後開けてみると少し潰れてました。 -
朝早いのですが日が昇ってきました。
-
ポルトガル・・・さようなら~!Adeus!
-
さて、こちらはドイツのフランクフルト空港です。
今回はルフトハンザ航空を利用しましたので、ドイツ経由です。
ちなみにこちらは御手洗いの満足度チェックです。 -
逆光でわかりにくいのですが、おじさんが座っています。
よく見るとアインシュタインでした。
なんだか妙にしっくりしていました。(笑) -
空港ピアノです。自信があったら弾くのですが・・・・。
ところで今回はHanedaへの乗り換えに、だいぶ時間がありました。
ですから、私はフランクフルト市内に出かけたかったのですが、例によって夫と意見が食い違い諦めて、買い損なったお土産をDuty Freeで買ったりしてました。 -
空港内で見つけたくまのぬいぐるみ。
シュタイフはいくつかあるから、これにしよう~っと。 -
このベーカリーではビールを注文して、ワゴンで売っていたソーセージを買いました。お店では売ってませんでしたので・・。
しかもソーセージ屋さんは、私が買った後には、もう店じまいしてました。 -
とりあえず、これで満足したようです。
やっぱり市内に出かけて食べてくれば良かったのに・・・と思う私でした。
ターミナルを移動するのも、ちょっと面倒だというので仕方がありません。 -
フランクフルトから羽田への便の1stミールです。
-
続いて2ndミールです。
名残惜しいのですが、これで今回の旅行もお終いです。
そしてこの旅行記を綴っている現在、新型コロナの影響で今年は海外どころか、国内旅行も自粛ムードです。
Stay Homeで、リモートワークもしたり。
平穏な日常のありがたみを感じる今日この頃です。
これまでヨーロッパを巡った折に、ペストに苦しめられた歴史を垣間見てきました。
ただ、21世紀に全世界を恐怖に陥れるようなこんな事が起こるとは誰が考えていたでしょう。
さて今は、4トラさんの他の方々の旅行記を拝見して、疑似体験させていただいて小さな癒しを頂戴しています。
そしてこの旅行記を書いている今は2020年ですが、思えば1年前ちょうどリスボンにいたことになります。
この旅行記を書きながら、ちょっと懐かしいような、ちょっと寂しいような・・・・でも、旅は人間の心を豊かにしてくれて、様々な出会いをくれて、本当に最高~~~!!!と改めて思いました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- pedaruさん 2020/08/17 05:32:41
- リスボン
- noelさん おはようございます。
去年訪れたリスボン旅行記に惹かれてお邪魔します。
行く先々、歴史や成り立ちが詳しく説明されていて、驚きました。これだけの旅行記を書くということは、たいへんな労力を必要とします、万巻の書を紐解いて、書き上げた旅行記だと推察します。
私はこの旅行記を読んで、いまさらたくさんのことを学びました、行く前に読むべきだったなぁ、と後悔しています。でも私が行ったのは3月ですから、どっちにしても無理ですね。ベレンの塔、ロカ岬、行きそびれました、計画が甘く、気に入ったところにだけ時間を取られて、効率的に回れないのが、私の気まま旅でした。
遡って、旅行記を拝見したいと思います。
pedaru
- noelさん からの返信 2020/08/17 21:33:30
- RE: リスボン
- pedaruさん、こんばんは。
ご訪問いただき、ありがとうございます。
拙い旅行記ですが、お褒めいただき嬉しく存じます。
ポルトガルの旅行は、ツアーでしたので、個人的には行きたい場所がまだありましたが、それは仕方なく諦めるしかありませんでした。
> 私はこの旅行記を読んで、いまさらたくさんのことを学びました、行く前に読むべきだったなぁ、と後悔しています。でも私が行ったのは3月ですから、どっちにしても無理ですね。ベレンの塔、ロカ岬、行きそびれました、計画が甘く、気に入ったところにだけ時間を取られて、効率的に回れないのが、私の気まま旅でした。
私の場合は、行く前にもある程度調べますが、むしろ実際に見てからの方が、好奇心に駆られて、調べることも多いのが現実です。
ツアーのいい面は、個人旅行だったら、わざわざ行かない場所に連れて行ってくれるので、そこで意外な発見があったりするところです。
pedaruさんのモロッコ旅行記も、興味深く拝見させていただきました。
元々モロッコには、いつかは行きたいと思っておりました。
その中でもサアード朝の墳墓群を拝見して、スペインのグラナダのアルハンブラ宮殿を思い出しました。
腰壁のタイル(アスレホ)は一見すると、そっくりでした。
また特徴ある鍾乳石状の繊細なアーチなども、そっくりでした。
元を正せば、スペインを征服した側が造った物ですから、そっくりなのも当然ですが・・・。
益々興味が湧きました。
ただ、リスボンの電車で盗まれたネクサス、ショックでしたね。
お気の毒に思います。でも海外では、他人事では済みませんので、私も気をつけたいと思います。
他にも気になる旅行記が、たくさんあるようですので、拝見させていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
noel
-
- sanaboさん 2020/08/10 01:28:43
- 旅行記完結、お疲れさまでした^^
- noelさん、こんばんは~
遂に18篇に及ぶ大作が完成しましたね、お疲れさまでした。
訪れたことのある懐かしい街や日程的に無理と諦めて旅程から外した街、
近い将来行きたいと楽しみにしている街などが次々と登場し、
それぞれの思いとともにnoelさんの旅行記を楽しませていただきました♪
リスボン編の表紙のお写真を拝見し、「あっ、あそこだ!」とすぐに
わかりましたよ~
リスボンにもローマ遺跡があったのですね。(あっても不思議ではないけれど…)
noelさんとしては後ろ髪を引かれる思いだったようですけど、
「イベリア半島・ローマ遺跡巡りツアー」があったら入ってるかしら?(笑)
一年前の8月は寒かったのですね。旅行記を拝見しながら改めて
日付を確認してしまいました。そしたらちょうど一年前。
ロカ岬は私達日本人からすると、本当に地の果てという感じがして
感慨深い思いになりますね…。
海のようなテージョ川が、トレドのあの小さなタホ川だと
リスボン旅行記作成時に知り、驚いたことを覚えています。
私はそれぞれ別の機会でしたけど、noelさんはタホ川を訪れた
4日後にテージョ川にいらしたのですね。
ボートに乗ってず~っと下って来たら、どのくらいかかるのかしらと
考えてしまいました。
「発見のモニュメント」の人物も詳しく解説して下さっていて
カモンイスが叙事詩らしきものが書かれた巻物のような物を手にしていることを
今回知って、ちょっと感激しました。「ウズ・ルシアダス」ですよね、絶対!
最終日にリスボン市内でもっとゆっくりしたかったり、フランクフルトでも
市内へ出てみたかったけれどご主人様のご意見を尊重されたnoelさんは
良く出来た奥様ですね。私はnoelさんの爪の垢を煎じて飲まなくては…
本来なら今年のご旅行に出かける頃だったかもしれないのに
このような状況となり、本当に残念です。
来年の夏頃にはまた安心して旅行できるようになっているといいですね。
noelさんも引き続きお元気でお過ごしくださいね☆
sanabo
- noelさん からの返信 2020/08/10 16:12:43
- RE: 旅行記完結、お疲れさまでした^^
- sanaboさん、こんにちは
ようやく完成した旅行記、ご覧いただきありがとうございました。
それと伴に「ポレチュの旅行記」完成しましたね!
ゆっくり拝見させていただきますね。
sanaboさんに言われて、今回の旅行記が18篇あった事に改めて気づきました(^_^;)
>リスボン編の表紙のお写真を拝見し、「あっ、あそこだ!」とすぐにわかりました>よ〜
確かsanaboさんの旅行記にもありましたよね!面白いと思って拝見してました。
表紙はどの写真にするか、正直迷いましました。ジェロニモス修道院か、ベレンの塔かと迷いましたが、分かりやすさで選びました。
>リスボンにもローマ遺跡があったのですね。(あっても不思議ではないけれど…)
>noelさんとしては後ろ髪を引かれる思いだったようですけど、
>「イベリア半島・ローマ遺跡巡りツアー」があったら入ってるかしら?(笑)
そんなツアー、いいですね。
コロナ終息後に企画があったら、参加したいです。
素敵なアイデアです!さすが!
>一年前の8月は寒かったのですね。旅行記を拝見しながら改めて
>日付を確認してしまいました。そしたらちょうど一年前。
はい。そうだったんです。
何故かリスボンだけ、雨で寒かったんです。
それ以外は、むしろシンドイ位の暑さだったのですが。
>ロカ岬は私達日本人からすると、本当に地の果てという感じがして
>感慨深い思いになりますね…。
そうですね。
折しも天気も悪かったので、尚更色々考えてしまう事になりました。
>海のようなテージョ川が、トレドのあの小さなタホ川だとリスボン旅行記作成時に>知り、驚いたことを覚えています。
>私はそれぞれ別の機会でしたけど、noelさんはタホ川を訪れた4日後にテージョ川>にいらしたのですね。
>ボートに乗ってず〜っと下って来たら、どのくらいかかるのかしらと
>考えてしまいました。
確かにスペイン語とポルトガル語は、似ているようで違いますので、タホ→テージョはわかりにくいかもしれませんね。
それとボートで下る・・・なんて素敵なアイデアなんでしょう。
途中流れが速くなければ可能かも。
もはや、sanabo旅行会社が設立出来そう。
>「発見のモニュメント」の人物も詳しく解説して下さっていてカモンイスが叙事詩>らしきものが書かれた巻物のような物を手にしていることを今回知って、ちょっと>感激しました。「ウズ・ルシアダス」ですよね、絶対!
本当ばもっとズームして、1人1人撮りたかったのですが、人が多いのと、雨のため断念しました。
「ウズ・ルシアダス」私もそう思います。
細かな事に気づいて下さるので、流石はsanaboさんです。
>最終日にリスボン市内でもっとゆっくりしたかったり、フランクフルトでも市内へ>出てみたかったけれどご主人様のご意見を尊重されたnoelさんは良く出来た奥様で>すね。私はnoelさんの爪の垢を煎じて飲まなくては…
そんな事ありませんよ。
ただ単に喧嘩になるのを回避するためです。(汗)
私が一番したいのは、一人旅です。
そもそも個人的な嗜好が偏ってるので、一人旅の方が向いてると常々思ってるのですが……。
だから、sanaboさんの旅行が羨ましいです。
>本来なら今年のご旅行に出かける頃だったかもしれないのにこのような状況とな
>り、本当に残念です。
>来年の夏頃にはまた安心して旅行できるようになっているといいですね。
そうですねー。
今年ばじっと耐え忍んで、コロナ後の旅を夢見てます。
sanaboさんも、どうぞお気をつけてお過ごし下さい!
noel
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